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絶対矛盾の自己同一  無分別の分別  迷妄を離脱して晴朗な悟達に至れ サトリの境地はそこにある。

作者: 舜風人

日々

日夜

迷妄に明け暮れる哀れな

人々には

恐らく一生

サトリの境地に至るなど

夢のまた夢なのであろう。


だが

サトリは別に

難しいものでも

過酷な修行をしないでも


すぐそこにあるって

ご存じだろうか?


日本で(日本人)で

悟りを研究して

サトリに到達した

哲人

仏教者として

二人の悟達者がいる


それが西田幾多郎と

鈴木大拙である、


そうして

なんと

お二人の到達した悟達とは

奇しくも

同じ到達点だったのである。

別に二人が話し合ったとか

そういうことは一切ない。


だが悟達はそこだったのである。





まず西田幾多郎の悟達を探ろう


彼の悟りを表す有名な言葉が「絶対矛盾的自己同一」である。

これは

一見、対立して相容れないものが、見方を変えれば、同一のものであるという意味です。


西田は、「現在」とか「世界」という概念が、絶対矛盾的自己同一そのものであると考えます。


わたしたちは世界と自己が分離して対立して不一致だと思うから苦悩するのです

そこに不安や迷妄が生じるのです、


だが「直接体験」(直覚)次元においては

ぜったいに矛盾しているはずの世界と自己は「自己同一」して「二者即全」である。

自己同一であるから世界も自己も「一即多」として安定して成り立っているのである


世界と我は同一で在り、観察主体は、、従って「無我」である。

つまり


「世界は我であり、我は世界である。」


そういう絶対的な矛盾と見えた世界と我はまったく同一だという

サトリの世界においては

もはや苦悩も

迷妄も一切ないのである


それが西田の到達した

「絶対矛盾の自己同一」 の悟りの境地なのである






それでは、、、、、、、、、、、、、、、、


近代仏教者として世界に禅を広めた

鈴木大拙はどんな悟りに到達したのだろうか?


それは「無分別の分別」という言葉に象徴されるだろう


しばしば

わたしたちは

「あの人は分別がない人だ」などと言いますよね。


分別とは物の道理がわからない人という意味でしょう。


鈴木大拙は

禅の研究によって

人知を超えた


「無分別の世界」(サトリ)があると

悟達したのです


それは

主体と客体を超越して

世界や我を

言葉や概念でとらえないことです


つまり

それは

「見性」せよ

ということです



見性けんしょうとは、人間に本来そなわる根源的な本性(仏性)を徹見することです。


世間知に毒された煩悩を放下して汚汚辱を去り、

それ自体で清浄なものである本来の「自性清浄心」に悟達して


世界と我を純一に「見性」することである


そうすると

世界も我も全く同一であることを悟り

一切の矛盾は消え去るのである


つまり

その悟りの世界においては


「無分別も分別も同一」だという境地に悟れるのです。


其処はまさに成仏の世界でり


したがって



「見性成仏」の世界なのである


「一切法に於いて不取不捨ならば、即ち是れ見性し、仏道を成ず」   六祖壇経


このように


西田幾多郎と

鈴木大拙は


まったく別人で別思想であるにもかかわらず


到達した

悟りの世界は


ほぼ

同一だったという


東洋思想の

精髄の


正に

聖者の悟りの世界だったのです、


なぜなら


東洋思想の精髄とは



迷妄を離脱して晴朗な悟達に至ることを目指す


サトリの境地を求める聖者の世界だからである


日々

日夜

迷妄に明け暮れる哀れな

人々には

恐らく一生

サトリの境地に至るなど

夢のまた夢なのであろう。


だが

このように

サトリは別に

難しいものでも

過酷な修行をしないでも

あなたの

「改心」だけで

得度出来うるものだという

事が

お分かりになられただろうか?


どうか


一日も早く


まよいの苦悩から


「自己放下」して


「直覚」を磨き


「見性」を見据えて


そうして


迷妄や苦悩を離脱して


晴朗な、そして清浄無垢な


悟達の世界に


一刻も、


早く到達することを


あなたも


そして


わたしも


目指しましょう。



なぜなら


そこにしか


苦悩や

迷妄から脱して


清浄無垢な境地に至る方法は


そこにしか無いからなのです。




善悪の対立を超えて

正邪の相克を越えて


此岸と彼岸の遠路を越えて

美醜と生死を超越して


世界と我の対比を乗り越えて

分別と無分別の境界を越えて


迷妄を破り

疑心を打破して


究極の

清浄なる


聖者のサトリの世界へ

到達できる道筋は


そこにしかないからなのだ


























































































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