プロローグは突然に
「・・・・・・・・・んっ」
随分と深く眠っていたらしい。
意識が浮上したのに、なかなか目が開かない。
瞼を持ち上げようと頑張るのに上手くいかず、私そんなに疲れてたっけ?と前の日の事を思い出す。
昨日は仕事がちょっと長引いて、一時間ほど残業をして。
帰りにスーパーに寄って、値引きされてたお惣菜と新作のアイスクリームを買って。
帰宅した後はシャワーを浴びて、晩御飯を食べて、仕事の資料を纏めて、そのご褒美にアイスクリームを食べて。
そして、寝た。
深夜を少し回ったぐらいの時間だったと思う。
そんなに疲れてなかったし、お酒も呑んでなかったから爆睡するような原因には思い当たらなかった。
てか、今何時だろう?携帯のアラーム鳴ったっけ?
まぁでも、目が覚めたなら朝のはず。てか寝過ごしてたらやばい。
その場合、早く起きないと仕事に遅刻してしまう。
今日を乗り越えれば明日明後日は休みだ。
自覚はないけど瞼が開かないほど疲れてるなら今日は残業せずに帰って、明日はゆっくりしよう。
そんな事を考えてムクリと起き上がると、なんだかえらく体が軽い。
ベッドのマットレスに着いたハズの手が硬質な物に触れて、カツンと乾いた音がした。
何の音?と首を傾げると、カクンッと横に頭が"外れた"。
「えっ?」
傾いた、どころでは無い。文字通り"頭"が落ちたのだ。
びっくりした拍子に意識がハッキリしたのか、視界が開ける。
スローモーションを見てるみたいに、見える世界がゆっくりと"回転"するのが不思議だった。
クルクルと回りながら私は落下を続ける。
上下逆さまに映る景色は、殆ど何も無い薄暗い部屋の中のようだ。
(何―――)
疑問を思うより先に、私の頭は何故か床に落ちた。
カァン!と軽い衝撃音を立て、カンカンカンッと床に何度かバウンドすると、そのままの勢いでコロコロと転がっていく。
転がりながら見えたのは、お気に入りの毛足の長いアイボリーのラグでも木製のフローリングでもなく、硬く冷たい黒ずんだ石畳の地面と、先の見えない高い天井。
頭を地面にぶつけたにも関わらず、どういう訳か痛みも感じずに地面を転がり続けた私は、何かにトンッとぶつかって漸く動きを止める事が出来た。
てゆーか、何?なんで私転がってんの?
状況が理解出来ず、パチパチと瞬きしようとしたのに瞼は相変わらず動かない。
それに此処は何処なんだ?と辺りを見回そうとして、首をぐるりと巡らし左右に動かしたハズなのに、私の意思に反して頭はちっとも動かなかった。
仕方なく床に転がったまま、そこから見える薄暗くて殺風景な見知らぬ部屋の景色を見ていたら、不意にヒョイっと誰かが私を持ち上げた。
・・・えっ、持ち上げた?!
「へっ?!」
どちらかと言えば痩せ型とはいえ、成人女性を軽々と持ち上げる事が出来るなんて凄いなぁ・・・・・・・・・じゃなくて!
「誰っ?!」
一人暮らしの私の部屋に、明らかに人を持ち上げる事が出来る怪力な"誰か"が不法侵入している。
その上寝ている私を攫って、どこか知らない場所に連れて来ている!
その事実に驚き、悲鳴に近い声を上げた。
恐怖のためかカチカチと歯が鳴るのを抑えられない。
「やだ!離して!!」
と、身を捩って私を捕まえている不法侵入者・・・もとい、誘拐犯から逃げようとするのに、首から下の感覚が無くて藻掻く事も出来なかった。
ロープで縛られている感じはしない。
という事は、まさか寝ている間に一服盛られた?!
それとも筋弛緩剤でも打たれて身動きが取れない様にされているのだろうか?
ごくごく一般人の私を誘拐して、一体どうしようというのだろう?!
金品狙いの強盗犯か、身体目的の強姦魔か・・・・・・・・・?
どちらにせよ、封じられていない口を武器に、少しでも周りに助けを求めようと大声を上げようとしたその時、
「いやぁ、大成功ですな!魔王様」
「きゃあぁぁぁ・・・・・・あ?」
私の背後から聞こえた場違いに明るい声に、上げかけた悲鳴が中途半端に止まる。
大成功?マオウサマ?
背後にいる誘拐犯らしき人物は、私を抱えたままトコトコと移動を始めた。
「ちょっ、誰よアンタ?!離して!警察呼ぶわよ?!」
「いやぁその辺に落ちてる"モノ"でも何とかなるもんですな。成功して良かった良かった」
「聞いてるの?!てか、勝手に他人の家に入って何する気なの?!自慢じゃないけどお金なら無いわよ!」
「おお、これは随分と活きが良い!これなら即戦力にもなりましょうぞ」
「即戦力?!私に何させる気よ?!はっ、まさか脂ぎったオヤジ共の相手を・・・いやぁぁぁぁぁぁぁ!離して!!離してぇぇぇっ!!」
「やかましいぞ!魔王様がせっかく召喚出した"異世界人"をわざわざ伽の相手になぞすると思うか?勿体ない」
「・・・・・・は?イセカイジン?」
ジタバタと暴れているつもりなのに、全く視界はブレないし動けない。
私を捕らえている背後の誰かは随分と背が低いらしい。
地面から一メートル程の高さで低空移動し、歩みを止めたと思ったら何かの上にポンッと乗せられた。
そこで漸く解放された私は、首が動くようになった事に気がついて慌てて後方を振り返る。
そしてそこに居る誘拐犯を見て、固まった。
そこに居たのは、どう見ても『人間』では無かった。
地べたに座り込んでいる私と同じぐらいの大きさの、得体の知れない"ナニカ"
例えるなら、一番近いのは埴輪だろうか?
一筆書きで描けそうな単純なフォルムは全体的に茶色い。
毛の無い、ツルンとした真ん丸な頭。
その下の顔に当たる部分に眉毛も無く、しかし睫毛はわっさわっさ生えた、ギョロリとした毒々しい紫色の大きな目玉がたった一つ、顔の中央に存在感たっぷりに配置されている。
耳と鼻は無いのに、その分を補うかのように分厚い唇のセクシーな口がツヤツヤと艶めいていた。
首とか肩の境目もくびれも無い胴体の両横には、指の無い丸っこい手腕らしきモノが一本ずつ生え、地面に接している足のようなモノは十本以上あった。
服の代わりだろうか?淡い緑色をした布を胴体(?)部分に巻いている。
化け物だった。
そうとしか形容しがたい姿をした、ナニカだった。
宇宙人なのか妖怪なのか何なのか・・・とにかく今まで生きてきた中で見た事の無い、未知の生物がそこに立っていた。
それを理解した瞬間、ゾワッと全身が怖気立つ。
「ぎゃあああああああああああああああ!!化け物おぉぉぉぉぉぉ!!」
「うわ、うるさっ!」
喉が張り裂けん勢いで私が叫ぶと、近距離でそれを聞いた化け物が(耳も無いのに)触手のような手で耳を塞いで文句を言う。
恐怖のあまりに腰が抜けて上手く動けない。
ソイツから距離を取ろうとして床を這って逃げようとすると、力の入っていないせいか首がカクリと落ちて再び視界が回った。
再び床を転がる羽目になったけど、運良く化け物とは反対方向に転がった事で距離を取れて安堵する。
(逃げなきゃ!)
何故頭が外れるのか、とか。
どうして床を転がっているのか、なんてこの時は疑問にも思わない。
とにかくこのままずっと転がり続け、一刻も早くここから離れようと頑張ってみても、現実はそう上手くいかなかった。
転がった先で何かに頭を踏みつけられて、私は動きを止めざるを得なかった。
そう、頭を踏まれた。
あの化け物とは違う誰かに側頭部を踏みつけられている。
つまりここには、他にもまだ"化物"が存在するのだ!
その事実に絶望する。
一匹でも恐ろしいあんな化け物がまだ他にも居るだなんて、もう逃げようが無い。
このまま私は、化け物に喰われるのだろうか?
それともエロ同人みたく生きたまま永遠の苗床にされて、あんな化け物を産み続けなければならないのだろうか?
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!絶対やだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!離して離して離してぇぇぇぇぇぇ!!!!」
恐ろしい想像をしてしまい、私は絶叫した。
死にものぐるいで逃げ出そうと暴れるのに、未だ頭を踏みつけられたままで動けない。
何故か涙は出ないけど、気持ち的に大号泣しながら只管に悲鳴を上げていた。
ワンチャン、誰かが通りかかって気が付いてくれないかと切望しつつ、喚きまくる。
「いやぁぁぁぁ!いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「・・・・・・ギャーギャーうるせぇ」
「ヒィッ!!」
泣き叫ぶ私の頭を鷲掴み、軽々と持ち上げる。
その怪力具合に更に恐怖しつつ、私を持ち上げた相手と真正面から対峙した。
あの一つ目の化け物と同位体が居るのかと思っていたら、そこに居たのは人間だった。
いや"恐らく人間"と言った方が正しいと思う。
だって私は今まで生きてきて、『額』に『目』のある人間なんて見た事が無いからだ。
前髪は緩くオールバック、他はワックスか何かで逆立ててセットされた波打つ白金の髪。
少し太めの眉毛と、白金の睫毛に縁取られた切れ長の目は淡いブルー。こっちの目はちゃんと顔の中の定位置に二つあった。
病的なまでに白い肌に、通った鼻筋。薄い唇。
軍服を改造した制服のような格好で、それががまた良く似合っている。ついでにマントも装着していた。何かのコスプレなんだろうか?
ちょっと華奢で、一見女の子にも見えなくない中性的な顔立ちはまだ幼く儚げで、化物と同種族には見えない美貌の持ち主だった。総合的に見てイケメンだ。
しかしそれを霞ませてなお、異様さを際立たせている"例"の額の目。
薄暗い部屋の中の僅かな光源で輝く、まるで宝石のアメジストの様な瞳が、額に"斜め"に切り裂かれたような割れ目からこちらをじっと見つめている。
作り物かとも思ったけれどその額の目には確実に意思があって、キョロキョロと眼球運動を繰り返しながら私をジロジロと観察しているようだった。
造形は綺麗なのに、あの一つ目の化け物以上にただならぬ畏怖を感じて私は身を竦めた。
恐怖のあまり無言になった私をその三つ目の化け物が鷲掴みにしたまま、一つ目の化け物の所に向かって歩いて行く。
嫌だ止めてくれと訴えても無視され、無情にも元いた場所に戻されてしまった。
そしてまた私を"何か"の上に置く。
一つ目の化け物と三つ目の化け物に見下ろされ、動けるようになった私は少しでも距離を取ろうと後退さった。
直ぐにどうこうされる気配はなさそうだ。が、この後何をされるか分からない以上、ここから逃げ出す手段は考えるべきだ。
突如として我が身に降りかかったこの危機的状況を打開すべく、無い脳味噌をぶん回して思考を巡らす。
ひとまず状況を把握しよう。
でもその為には情報収集だと、ガタガタと震えカチカチと歯を鳴らしながら私は声を絞り出した。
相手を怒らせないよう、言葉選びは慎重に行わなければならない・・・・・・。
「なんなの、アンタ達・・・私をどうしようっていうのよ、この化け物共!」
初手、間違えた。
パニックになり過ぎて本音をオブラートで包み損ねた。
「こりゃ、口の利き方に気を付けろ!こちらにおわす御方を何方と心得える!」
「知る訳ないでしょ?!」
「なんと?!この御方を存じ上げないと申すのか?!」
「知らないし誰でもいいわよ!それより私をどうするつもり?!」
「どうするも何も、こうしてわざわざ異界よりお主を召喚出した理由なぞ、一つしかなかろう」
「私を食べるの?!」
最悪のパターン"その①"だったのか。
ギョッとして防衛本能から両手で体を抱きしめると、恐怖のあまりに体が固く強ばっていた。
「テメーみてーな身ぃどころか皮すら無い奴、出汁取るぐらいしか使い道ねぇだろ」
「そうですな!いやでも、出汁にしたところで不味そうですが」
「なんですって?!」
失礼千万な事を言われ、一瞬怒りが恐怖を上回った。
そりゃ私もピッチピチに若くは無いけど?!でもまだそれなりに脂も乗ってて程よいお年頃だし?不味いだなんて決めつけられる筋合いは無いと思う!
一口ぐらいは齧ってみてから言えっつーの!
なんてちょっと方向性の違う文句を言いそうになったケド、そう叫んだ結果ガブリ!と食べられたら困るので押し黙る。
そして直ぐに最悪のパターン"その②"を想像して震え上がった。
「じゃ、じゃあまさか私を化け物の苗床に・・・?」
「苗床?」
「何吸い上げるっつーんだ。養分にもならねぇだろ、お前。化けキノコだってもっとマシな原木に種菌植えるわ」
「わたくしめが発見した時、苔が付いてたぐらいですからな!」
「なんですってぇぇぇ?!私が枯れてるって言いたいの?!」
化け物達に『ヤレヤレ』と呆れた顔をされると、普段は温厚な私でも流石にブチ切れる。
てかこの三つ目、顔は良いのに口は悪いな?!
かなり無遠慮に話しかけられるので、つい私も化け物相手に何時ものような口調で怒鳴ってしまった。
「じゃあ一体私をどうするつもりなのよ?!こんな所に誘拐しておいて、何が目的なの!!」
「誘拐などと人聞きの悪い!これは神聖なる召喚の儀式ぞ?
それに異世界人を召喚した理由なぞ一つしかあるまい。
お主は我らの仲間となるのだ!
そしてこの《迷宮》にかつての威光取り戻す為、その身に秘めた特殊な能力を発揮するのだ!」
「何言ってんの・・・?!」
一つ目の化け物が両手(?)を広げ嬉しそうに言った言葉が、全く理解出来なかった。
気の所為だと思い聞き流していたケド、先程からチラチラ聞こえていた"イセカイジン"だとか"マオウサマ"だとか。
迷宮?ってあのダンジョン?仲間?特殊能力?
そんなのゲームとか漫画の中でしか聞いた事無いし、私に当てはまる単語では無い。
「意味分かんない!私は一般人!普通の人間よ?!
特殊能力だかなんだか知らないけどアンタ達みたいな化け物じゃないんだから、仲間になんてなる訳ないでしょ?!」
「なんと?!魔王様自ら召喚したというのに、歯向かうつもりか?!」
「知らないわよ、そんなの!それより私を家に帰して!」
「・・・・・・送還し方なんて知らねぇよ。
つーかお前、俺らの事化け物呼ばわりするけどよ。
テメーも十分"化け物"じゃねぇか」
「は?」
三つ目の化け物が私の前にしゃがみ込んで、ニタリと笑う。
「『動く骸骨』なんざ、誰がどう見たって化け物だろ?」
「すける、とん?」
眼前にビシッと指を突きつけられ、その指先を見つめる。
その指がゆっくりと下ろされたので、動きに合わせて私は自分の体を見下ろした。
いつも寝る時に着ているパジャマ代わりのスウェットを、着ていなかった。
それどころか下着すら身に着けていない事に気がつく。
だったら私は今、真っ裸なのか?というと『そうだ』と言うのが憚られる。
ある意味、すっぽんぽんを超越した状態。
見慣れた肌とかお肉とかの諸々が消失していた。
通常の一般的な日常生活を送っていて本来なら見える事は先ず無いけど、でもその内側に絶対在るべき内臓すら見当たらない。
それなのに何故か真っ白な骨"だけ"が浮いているのが見える。
高校の生物科学準備室に置いてあった、骨格標本そのもの。
人体を構成している順番に繋がった骨の間から、床や背後の景色や・・・とにかく色んな所が丸見えモロ見えしていた。
「・・・?」
両手を確認しようと持ち上げれば、白魚も裸足で逃げ出す白さを誇った、細い枝が連なったような骨の手が目の前に現れる。
グッパグッパと"むすんでひらいて"を繰り返すと、筋肉も無いのにその動きに合わせて手の骨が同じ動きをしていた。
わー、手ってこんな風に動いてるんだぁ~。面白~い。
私が立ち上がろうと考えれば、即座にカタカタと音を鳴らしながら骨が動いて地面が遠くなった。
足を上げたり、体を捻ってみたり。
時間をかけて自分の体を何度も確認するけど、どう見てもそこには骨しかなかった。
随分とスリムになったもんだなぁ、私。
・・・・・・・・・。
ガッシャーン!
「おわーっ?!いきなり崩れ落ちましたぞ?!」
「気ぃ失ったんだろ」
遠くなる意識の中、そんな声が聞こえた気がした。
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誤字脱字は笑って許して貰えると助かります。