勇者の旅立ち
それから三日。
俺とアッシュは必要な物を積み込んで、村の面々への挨拶を終えた。
……最初アッシュには思わず言い返したが、移動する家ってのは確かに便利だな。荷物……服とか私物とか、一応枕も、何も考えずに全部移せばそれで済んだ。調理器具も面倒だから家のやつ全部持って来た。俺の住んでた家はベッドだのクローゼットだの竈だのの家具だけ残して、あとはすっからかんだ。
「ディード。留守の間、お前さんの家は冒険者の宿替わりにしても構わんか?」
「いいですよ。俺も廃屋になって朽ちるよりはその方がいいんで」
何度か馬車に乗せた顔馴染みの冒険者パーティが使う事になって、『宿代が浮く』と喜び礼を言ってくれた。
アッシュも、町の教会に行く時には断念した私物を今度は全部持ってきたらしい。ゴツゴツと膨らんだ大きな布袋を担いで、腕にはそば殻が詰まった固い枕を大事そうに抱えて来た。
「これがいいんだよ。町のお高い枕は柔らかすぎてイマイチなんだよね」
「枕屋と貴族に喧嘩売るようなこと言うな」
まぁ俺も布切れを適当に詰めただけの枕持ってきたけどな。
これがいいんだ。
そしていよいよ出発の朝。
村の人達が皆見送りに来てくれた。
「箱落とさねぇように気ぃつけろよディード」
「都会はスリとか多いって聞くからな、財布はしっかり体に括り付けとけ!」
「うん、わかってるよ」
近所のおっちゃんおばちゃんから、村を出る子供に向ける親みたいな言葉をかけられると、なんだかむず痒い。両親が死んでる俺には無縁のイベントだと思ってたからな。
アッシュの方は何度か村を出入りしてるからか、むしろみんなの反応は淡泊だ。
「アッシュ、勇者ってのはモテるらしいぞ」
「美人獲得のチャンス!」
「うん、楽しみだよ。ハーレムワンチャンあるかもしれないよね」
うっかり聞こえてきた会話に俺は頭を抱えた。
アッシュは見ためと口調こそ母親似なんだが、父親である村長からは酒好き女好きの部分を綺麗に受け継いでやがるんだ。煙草とギャンブルをやらない辺り『悪癖がひとつ駆逐されたぞ』なんて村人に笑い話にされている始末。
「……ディード、アッシュをしっかり見とけよ」
「勇者が酒飲んで女侍らせてたりしたら、みんなの夢が壊れちまうからな」
「……ういっす」
後で化けの皮が剥がれるよりも、さっさと幻想をぶち壊した方が楽な気がするんだが……まぁ、それはあまりにも非情か。
そんなこんなで、俺達は村を出発した。
「行ってきまーす!」
「じゃあ、また」
「気を付けてねー!」
「しっかりやれよー!」
木の影に見えなくなるまで、村の皆はずっと手を振っててくれた。
「頑張ろうねディード」
「おう。まずは、俺がいつも往復してる西の町で物資を買い足す……で、いいんだよな?」
「うん」
「その後はどうするんだ? 行く先の当てはあるのか?」
「あれ、言ってなかったっけ? ──王都だよ」
「……はい?」
思わず訊き返した俺に、アッシュはにこやかに言った。
「だから王都。教会で言われたんだ、まずは王様に挨拶に行けって」
「……そうか、頑張れよ」
「何言ってるの、ディードも挨拶するんだよ」
「聞いてねぇえええええ!!」
* * *
「よくぞ参った、神託の勇者とその友よ。余はファールスト王国の現国王、ルートゥンパウス3世である」
俺の場違い感が酷い!
町でつつがなく補給を終えて、道中特に事故も無く、現れた魔物と盗賊はアッシュがニコニコと薙ぎ倒して、俺達はあっという間に王都についてしまった。
『一旦宿にでも泊まって身なりを整えた方がいいんじゃないか』っていう俺の渾身の悪あがきは『毎日馬車で身綺麗にしてるのに何を整える事があるのさ』というアッシュの正論に叩き潰された。
風呂付の馬車に乗って移動しているとこういう弊害が出る事を俺は学んだ。
そんなわけで、俺とアッシュは豪華で広い玉座の間で、ずらり並んだ兵士の視線を浴びながら、王様と大臣に頭を下げているのだった。
もう一度言うぞ。
俺の場違い感が酷い!
アッシュはまだいい。身に着けているのは教会の聖堂騎士が着る白銀の鎧だ。勇者に選定された時に激励として貰ったらしいからまだ新品のピカピカ。
対して俺は、村で馬車屋やってた時のちょっと丈夫な村人の服そのまんま。しかも、話が長くなるかもしれないからって、でかい俺の箱を足元に置いた状態!
浮いてる。俺、ものすごく周囲から浮いてる……箱に入ってちゃダメかなぁ……
「面を上げよ、そう固くならんでも良い。勇者アッシュ、お前が噂に聞く『村を起こした神官』の息子じゃな」
「はい」
「うむ、良い面構えじゃ。して、隣の青年が教会からの文にあった……?」
「はい、親友のディードです」
おいアッシュ。なんで教会からの文に俺の事が書いてあるんだ。
王様と大臣は、俺に目線を向けて……なんか、ものすごく同情的な顔になった。
「そうか……お主があのハザードの息子か……」
え、なんだその反応。
てかハザードって誰だ。
「え、と……すいません、俺の両親はハザードって名前じゃありませんけど……?」
「ああ、そうじゃった。あれはいわゆる通り名であったか。いや、しかし、ハザードの息子か……」
王様は目頭を押さえて、しみじみと言った。
「強く……生きるんじゃぞ」
なんだその反応!?
大臣まで頭を抱えて目を逸らしながら首を横に振ってるじゃねぇか!
「……アッシュ、何か知ってるか?」
「おじさんの事については、父さんが『この村で生きていくなら必要ないから』って緘口令出してた事なら知ってるよ」
待ってくれ!
笑顔のアッシュは何も言う気が無いみたいだし、王様と大臣は言わずもがな。周りの兵士に目を向けると、誰も彼もがそっと目を逸らした。なんでだよ!?
「確か世にも珍しいハーフミミックなんじゃったな?」
「そうです。ダンジョンマイスターでもあって、ここまで乗って来た馬車はディードのお手製ダンジョンなので中に快適な居住スペースがあるんです」
「ほほう、それはそれは……」
「過酷な旅にはうってつけじゃのう。うむ、良いパーティではないか」
「ハザードとあの神官が組んでいた頃を思い出しますなぁ……いや、年寄りの昔話は長くなっていかん。陛下、どうぞお話の続きを」
「うむ、その話は後で我々が勝手に酒の肴にするとして……」
俺は内心大混乱だったんだが、時間は待っちゃくれないのだ。王様や大臣なんて偉くて忙しい人達は特に。
王様が大臣を促すと、大臣は抱えていた書類の中から一枚手に取って話し始めた。
「此度の神託が行われるきっかけとなった世界の暗雲について、既にいくらかは知っているかもしれんが、改めて説明をしておこう」
しみじみとした空気から一転、威厳と迫力を取り戻した大臣の言葉に、俺とアッシュは自然と背筋が伸びたのだった。
* * *
「どのような時に神託の儀式が行われるかは知っているであろう? ようは世界全体に滅びの危機を与える可能性があるような何事かが起きた時、それが人の手でどうにかできる事なのか、それとも神の力を勇者と聖剣という形で借りねばどうにもならぬ事なのか、そのあたりの判断を問う意味も込めて行われる物だ」
「邪竜の出現や古代魔法を用いた大国のアンデッド化は勇者が選定されたな。反して飢饉や、ただ悪政による世の乱れ等では神託は下りぬ」
それを聞いて、俺は少なからず驚いた。儀式をして神託が下りなかった場合があったなんて知らなかったからだ。
それは隣のアッシュも同じだったようで、二人そろって間抜け顔で目を見合わせてしまった。
そんな俺達の様子を察したんだろう、大臣が肩を竦めて補足してくれた。
「ようするに、排すべき巨悪が人知を超えているかどうかが基準なのだろうと推測されている。過去のアンデッド化した大国も悪政には違いなかった。古代文明の秘術を用いたアンデッド化が無ければ恐らく信託は下りなかっただろう」
そして、今回の件だ。と、大臣は一枚の黒い羊皮紙をこちらに見せた。
銀色のインクで何か書かれている。
「およそ半年前、魔王が支配する東の果ての島より人族の国々へ一斉に送られた書簡のひとつだ」
──大いなる海の上に、魔界の門は開かれた。
これより世界は魔族によって蹂躙され、
魔の王が治める世がやってくる。
それに否を唱えるならば
神託の勇者を疾く向かわせるがいい。
できるものなら──
「……魔族は独自の言語を使うが、これは御丁寧にも我々人族の言語で書かれていた。これが届いた直後から各地で奇妙な事件が頻発し、あちらこちらで魔族が姿を見せるようになった事から合わせて、これは魔王からの宣戦布告であると我々は判断している」
「現に東の海岸沿いの町や国は、大量に飛来した魔物の猛攻によって撤退を余儀なくされたと報告が入っておる」
この国、ファールスト王国は大陸の西の端に位置している国だ。
勇者の信託の噂こそ冒険者の噂で聞こえてくるが、国全体がのほほんと変わらない日常を送っているのは、災いと物理的に遠いからだったんだろう。
「そういうわけでお主らは大陸の東へ向かって旅をすることになる。恐らく道中で魔王の手先による被害を解決しながら進むことになるじゃろう」
「かなりの長旅が予想されるのでな……いやまったく、ハザードの息子が勇者の友で快適な馬車を作る才能があってよかったわい」
「うむ、神はそのあたりも踏まえて神託を下してくださったのじゃろう」
王様が大臣と一緒にしみじみと頷きあう。
でもその表情は安堵というよりは……村のおっちゃんたちが何か面倒事を頼んでくる時の顔に似ていた。
「出来る事なら路銀なり武具なり授けたいところなんじゃがな……国庫からの支援ができそうにないんじゃ」
「先も述べた通り、我が国は現在最も災厄から遠い安全圏。……というのはどこの国から見ても同じだったようでな。大陸各国から王族や要人の子息・令嬢が続々と疎開に向かっている最中なのだ」
「いくら有事の避難とはいえ、人質でもない要人の子らに庶民の生活をさせるわけにはいかん。警備に人手も割かねばならんし……となると、どれだけ金がかかるやら……」
「我が国は農業も畜産も漁業も盛ん故、食料だけは心配なさそうなのですがな……そういうわけで、王城からの勇者への支援は食料のみとさせていただく!」
「馬車があるなら麦袋は山と積んでやるからの……それにワシの秘蔵の銘酒の樽は全部持たせてやろうぞ。東の国で売ればそこそこの値になるじゃろ。これはワシの私物じゃから、国の予算にも引っかからんし」
「では私からは屋敷で眠っているポーションをいくつか……私物をいくら勇者へ渡したところで、あくまで応援ですからな!」
なんだか偉い人達の世知辛い事情を知ってしまった気分だった。
アッシュと一緒に、お礼を言って頭を下げる。
国の王様と大臣って言っても、何でも思い通りにできるわけじゃないんだな。
* * *
そういうわけで、大きすぎたかと思っていた馬車の倉庫はあっという間に保存食と麦袋と酒樽でいっぱいになった。水樽がいらない分これでもかと麦袋を詰め込まれた。倉庫番の厚意で干した果物も箱が積まれた。
「勇者の馬車というより、行商の馬車みたいじゃない?」
そう言ってアッシュは笑った。俺もそう思った。
でもこれで、路銀が無くても食ってはいける。
食って休めば戦える。親父や村長がよく言っていた事だ。王様たちが俺の馬車に安堵して、せめてと食料を積んでくれたのはそういうことだろう。
馬車に乗り込んで、もらった地図を眺めながら旅の方針をアッシュと決める。
兵隊さん達に見送られながら、王城を背に城下町を出た。
目指すは国境。
勇者とハーフミミックの御者という、異色パーティの旅立ちだった。