序章
歓声の中に力強く床を蹴る音が響く。
空に美しい放物線を描いたボールの先、そこでぶつけられた凄まじいエネルギーを以て、目の前に待ち構える腕が弾かれた。
額に滲む汗を拭うこともせず、少年たちの身体は尚も躍動する。足を止めずにひたすらボールを追いかける。
この一瞬、この一時間と少しに、文字通り己の命が懸かっているから。
決してボールを落としてはいけない。
繋いで、託して、打ち抜かなければならない。それが出来なかった方が負ける。
それが彼らの知る“バレーボール”という競技だ。
しかし残酷にも、ボールは彼らの守備を砕く。
一人が伸ばした手の数センチ先に落ちた絶望に、一際大きな歓声が上がった。
得点板の数字が無慈悲にもゲームの終わりを告げた。
勝利を掴んだチームは無言で抱き合い、対照的に最後のボールを落としたチームはコートに崩れ落ちた。
そして悪魔のような男がどこからともなく姿を現した。
「プレイヤーの皆様、お疲れ様でした。手に汗握るいい試合でしたね」
夜に紛れるような漆黒のスーツをまとった者。その上にはローブが揺れ、胸元には三輪の白百合が美しく男を彩っていた。
いや、本当は男であるかも定かではない。ただ男声で話すというだけで、顔も見えない彼の正体など知るはずもない。
確かであるのは、彼が人ならざる者であるということだけだ。
『ウィナー、ルドニーク。セットカウント2-0』
感情の抜け落ちたアナウンスが会場中に響く。
その声は照明の当たらない観客席のボルテージをさらに引き上げた。闇の中に蠢くのは、これまた人ではない。
会場中の熱気を一身に受けて、男は声高に叫ぶ。
「さあ、ファンサービスの時間ですよ」
男の声に、コート正面の扉がギギギと音を立てて開いた。重厚なその扉の奥にはどこまでも真っ暗な空間が広がっている。
ヒッと掠れた声を上げたのは敗れたチームのプレイヤーだ。ある者は己の体を抱いて震え、ある者は座り込んだまま呆然と動かない。
その姿に、ネットの反対側に立つプレイヤーたちは気まずそうに背を向けた。
すると間もなく、扉の奥から何かが現れた。
巨大な手だ。
霧で形取られたような腕。淀んだ空気がコートに立ち込める。
弾かれたように誰かが叫び出した。
「嫌だッ死にたくないッ!」
「助けてくれ!」
涙と汗で濡れた顔を歪める。
そんな彼らの必死の声を男は嘲笑った。
そして一瞬の後、コートから数人のプレイヤーの姿が消えた。
悲痛な叫び声を残して扉の奥へ吸い込まれたのは合わせて五人、敗者のおよそ半分。
人数の減ったコートで誰もが沈痛な表情を浮かべる。残された敗者たちも、扉の奥を呆然と見つめて涙すら流れなかった。
絶望に沈んだその様子に男は笑みを深めた。嗚呼、人の子の悲運のなんと甘いこと。産まれてしまったばっかりにこんなに惨い一生を歩むなんて。儚きものほどその価値は増すものだ。
しばらくコート内を眺めていると、不意にチリンと涼やかな音色が男の耳を擽った。
……合図だ。
「観客の皆様、お待たせいたしました。本日のメインディッシュでございます」
つい先刻プレイヤーたちを飲み込んだばかりの気味の悪い扉が、再びゆっくりと開かれる。その奥からのそのそと姿を現したのは、男と同じような背格好をした何かだった。
プレイヤーたちが錆びついた首をそちらへ回す。
その視線の先、真っ白な皿の上に盛り付けられたそれは。
「……敗者の味を、どうぞお楽しみください」
恭しく頭を下げた男。
あくまでも礼儀正しさを崩さない姿勢がこの状況の狂気を掻き立てる。
最前列に座った観客たちの前に置かれたのは——美しく調理された仲間の肉だった。
同情も憐れみもない。ただ冷徹に突きつけられる運命から逃れることはできない。
この世界に産まれ落ちてしまったことが、最大の不運。
生き残りたくば勝者であれ。
これは、命を懸けた戦いなのだ。