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灰の旅人  作者: 棘 慧
消えた娘たち
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第17話 ロトルの望み

本日も訪れてくださりありがとうございます。

「さぁ、寒くなってきたし、そろそろ戻ろう」


 そう言うと、ネロは立ち上がった。


「夕飯はあたしの店で食っていきな。また旨いものを食わせてやるよ」


 ネロの料理は絶品だ。

 露店で買ったものもびっくりするほどおいしいが、ネロのご飯を食べると、ほっと一息ついたような、そんな温かい気持ちになる。


 ロトルは嬉しそうに頷いた。


 商店街を抜けネロの店がある裏の道に入ると、道沿いで何かをせっせと吊るしている人たちがいた。


「ああ……もう吊るされ始めたか」


 隣を歩くネロがつぶやいた。


 吊るしているのは先の広がった六角柱のぼんぼりだった。

 横4つ、縦3つの一式12個のぼんぼりが棒の間につるされていく。


 いったい何をしているのだろうかとその人たちを見つめていると、その問いに答えるようにネロがつぶやいた。


「もうすぐ<春の訪れ(サイ・タリ)>の時期だからな」

「サイ・タリ?」


 ロトルが首をかしげると、ネロは弾むような声で説明した。


「春の訪れを祝うワッカの祭りさ。その日は前日に仕込んでおいたご馳走を食べて、いつもよりもいい酒を飲んで、日が暮れたら提灯とサニアの枝を手にもって、夜が明けるまで踊りながらワッカ中を練り歩くんだ」


 聞いただけでも、いかにも楽しそうで、ロトルは顔をほころばせた。

 きっとワッカ中の人たちが集まって、あの海の底のように静まりかえった夜を、それは溌剌(はつらつ)たるものにしてくれるのだろう。


 ネロは今まさに作業している人たちを指さした。


「あのぼんぼりは毎年新しいものを作って、春の神様がおみえになる際の道標として吊るすのさ」


 木の枠組みに貼られた紙は皺ひとつなくピンと張られている。


 ロトルは真っ白な紙のぼんぼりの中に、ぽつぽつと墨で文字が書かれたぼんぼりが混ざっていることに気が付いた。


「ちょっと違うのが混じってるね」


 ロトルは文字の書かれたぼんぼりを指さした。


 ネロは目を細めて指の先を見ると、「ああ……」とつぶやいた。


「あんた目いいなぁ。あれは街の人の御願い事さ」

「御願い事?」

「神様がここを通った時に、自分の御願い事を見てくれますようにってね」

「……神様は見た御願い事をかなえてくれるの?」


 そう尋ねると、ネロが苦笑した。


「さぁ、どうだろうな……でも、御願い事ってそうゆうもんだろ?」

「そうゆうものなの?」

「たぶんね」


 あまりよくわからなかったが、そうゆうものなのか、と落とし込んだ。


「……ネロも書いたの?」


 ネロは頷いた。


「ああ書いたよ。ワッカに住んでる人には全員、祭りの前に必ず紙が一枚、家に届くんだ」


 ネロが指先で紙の形を宙になぞった。


「その紙に自分の願い事を筆で書いたら、街の健具職人たちがそれを木の枠に張ってくれる。

 そして、お願い事一つにつき一個のぼんぼりができあがるのさ」


「自分のぼんぼりを作ってもらえるの?」


 ネロは頷いた。


「そう。だから練り歩いている時に、自分のぼんぼりを探すのも、祭りの醍醐味だ」

 

 真っ暗闇の中、願い事がかかれた無数のぼんぼりが柔らかく灯るのを想像し、ロトルは思わず口の端を持ち上げた。


「神様……見てくれるといいね」


 ロトルのつぶやきに、ネロも口の端を上げた。


 しばらく次々につられていくぼんぼりを二人で見ていたが、そういえば、とロトルはネロに尋ねた。


「サニアって木?」


 ネロは少し驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑んだ。


「真っ黒い枝に、いくつもいくつも可愛らしい白い小さな花をつける樹木さ——ちょうど<春の訪れ(サイ・タリ)>の時期に満開になるんだ」


 ロトルはまだ見たことのないサニアの花を頭の奥で描いてみた。

 闇夜(やみよ)にぼんやりと浮かぶその白い花はきっと幻想的で美しいのだろう。


「……見てみたいな」


 ロトルがそうつぶやくと、ネロは驚いたように口を開いた。


「あたしはてっきり、あんたも参加するつもりでいると思ってたよ」


 今度はロトルが驚いた。


「ワッカに住んでなくても参加できるの?」


 ネロは笑った。


「あたりまえじゃないか!祭りに参加するためにワッカに旅行に来る人だっているよ」


 ロトルはぱっと顔を明るくした。

 自分もこの目で見ることが出来るのだ!


 しかし、ふと、アトイの姿が瞼の裏に浮かんだ。


(あ……でも……)


「でも……アトイはお祭り、嫌がるかも」


 ネロは目を細め、頷いた。


「まぁ、アトイは絶対に参加したがらないだろうな」


 そう言うと、ネロは腰のあたりで手を傘にした。


「こんな小さいときからワッカに来ているのに、あいつが今まで祭りに参加したことはなかったな」


 ロトルは目を丸くした。


「そんなに小さかったころからアトイのこと知ってたの?」


 ネロはうなずいた。


「あたしの保護者みたいなやつと、あいつの保護者みたいなやつがお互いに知り合いでね。

 ——あたしは孤児だったんだ。んで、今の店はその育ての親から受け継いだもの。

 まぁ、そうゆう縁で、あいつのことはちっちゃい頃から知ってんだ」


「……アトイのちっちゃい頃なんて想像できない」


 ロトルが呆然とそう言うと、ネロは思い切り笑った。


「くっそ生意気なガキだったよ。あいつのすかした態度が(かん)にさわってねぇ。よく突っかかってたよ」

 

 ネロは宙を見つめながら、懐かしそうに目を細めた。


「あいつは昔っから、その保護者みたいなやつと一緒に旅をしててね。ワッカで暮らしてたわけじゃないんだ。……あたしは一度もワッカから出たことがなかったから、いろんな世界を見ているあいつが羨ましくて、悔しくて、それで突っかかってたところもあるんだろうなぁ」


 ネロはロトルに顔を向け、にっと笑った。


「アトイを祭りに参加させるのは、ずいぶんと骨が折れると思うよ」

 

 ロトルは口の端を軽く上げた。

 

「できるかな?」

 

 ロトルが尋ねると、顔の前で手を握り、ネロはにっと歯を見せた。


「嫌がっても、あいつの手をがって掴んで、引っ張っていきな!」


 そう言って、やがて、ネロは体の力を抜くように、柔らかく微笑んだ。


「……そしたら、あたしが必ず見つけて、あんたらにサニアの枝を渡してやるよ」


 ロトルもネロに微笑み返した。


 しかし、まだ懸念(けねん)すべき点が残っていた。


 ロトルは目を伏せてつぶやいた。


「でも、お祭りの前にこの街を出ちゃったら参加できないや……」


 さすがにここまで世話になっていて、アトイに我儘は言えなかった。


 ネロは何やら思案し、そして、ロトルに尋ねた。


「あんた、アトイからついて来いって言われてるのかい?」


 言っている意味が解らず、ロトルは首を傾げた。


「あんた、アトイに拾われたんだろ?行くところがないなら、このままワッカに住み着いちまってもいいんじゃないかと思ってね。仕事なら紹介してやることもできるし、何なら、あたしが雇ってもいいと思ってる」


 ロトルはあんぐりと口を開けた。


 漠然とアトイについて行くものだと思い込んでおり、このままワッカに滞在するという考えは思いつきすらしなかった。


 確かにアトイは、「街まで一緒に来い」としか言っていなかった。

 その後のことは預かり知らぬと言われても仕方ない。

 今日まで宿に泊まらせてくれていたのも、自分の所在が決まるまでの、アトイの優しさからくる猶予だったのかもしれない。


 ロトルは急に怖くなった。

 明日にも、アトイに「お前とはここでお別れだ」と言われてもおかしくないのだ。


 去っていくアトイの背が(まぶた)に浮かび、ギュッと目を閉じた。


 そう恐怖するのは、もう既に自分の心が決まってしまっているためである。


 自分がここワッカで暮らす姿は、どうにも思い描けなかった。


( それに…… )


 アトイといれば、自分が何者なのか、それを見つけることが出来る気がした。


 バラバラになってしまった自分を、一つ一つ拾い集め、そっと体の中に戻していく。

 そうやって、いつか、ようやく自分というものが完成するのではないのかと。


 何故そう思うのかはわからない。

 しかし、一度思ってしまったら、それが正解にしか思えなかった。


 この世界は知らないことだらけだ。

 物も、動物も、人も、世の仕組みも……自分も。


 それを知りたいと思う。目で見たいと思う。

 そうやって自分を形づくっていきたい。


「私は……」


 ロトルはうつむきながら、弱弱しくつぶやいた。


「アトイについて行きたい……アトイがダメって言っても……」

 

 ネロは黙り込んだ。

 しかし、やがて、ぽんとロトルの肩に手が置かれた。

 

 ロトルが顔を上げると、ネロは驚くほど(おだ)やかに微笑んでいた。


「あんたがそう思うなら、心に従えばいい。それを誰かが止める権利なんてないんだから」


 目を細め、ネロは空を見上げた。


「それに……あたしもあんたはアトイといるべきなんじゃないかと思う……不思議とそう思うんだ」


 紅かった空はいつの間にか深い群青色に沈み、芯の残った風がそよそよと吹いていた。

 しかしその風には、薄っすらとした温さが宿っており、徐々に春が歩みを進めていることを感じられた。


 ネロは右手でトンとロトルの背中を軽く押した。


「さ、あたしの店に早く戻ろう!もう腹がペコペコだ!」


 ロトルは頷き、そして二人並んで歩きだした。


 暗く静かな道に、ぱっぱっぱと黄色い明かりが灯っていく。


 何処からか焼き魚の臭いが漂ってきた。

閲覧ありがとうございました。

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