第12話 春光
背景を作っていきながらゆっくりお話が進んでいくので、付き合ってくださると幸いです。
「あいつはあの容姿のせいで、<狼>では<忌み子>って呼ばれてるんだ」
ネロは静かに話し始めた。
「 [穢れを内に秘め、溢るる穢れは、色をもってすがたに現る]……あんたも知ってるだろ?黒い髪と黒い目は不吉の象徴だ。意味もなく厭われる……酷いところだと殺されたりもする」
ネロの言葉に、強く頭を殴られたような衝撃がして、目がくらくらした。
——もちろんロトルは、黒い髪と黒い目が不吉とされることなんて知らなかった。
ロトルは唇を震わせ、呆然とうつむき、そして、脳裏にアトイの姿を思い起こした。
頑なに頭巾をとらず、人に顔を見られないよう、いつもうつむきがちに話すのにはそんな理由があったのだ。
彼の伏し目がちの、空虚な瞳がぼんやりと浮き上がり、ひどく胸が苦しくなった。
彼はずっと捕らわれ続けていたのだ。
—— 陰惨と、這うように追いかける冷たい視線に。
そしてロトルは一つのことに気が付きハッとした。
アトイが絶対に頭巾をとらぬよう、ロトルに指示したのは、己もまた、他人とは異なる容姿をしているからなのだと。
自分の髪をみて、驚嘆の息を漏らした人たちに、ついさっき出会ったばかりなのに、ロトルは今ここで、ようやくその真の意味を理解した気がした。
自分の白髪をつまんで見つめた。
—— なぜ、容姿が人と違うだけでそんな扱いを受けなければならないのだろうか。
汚いものを見るような、あの酔っぱらいの目が脳裏をかすめ、行き場のない気持ちが押し寄せてきた。
それをグッと唇を噛み、耐え忍ぶ。
そして祈るように手を組んだ。
—— 自分に髪を隠せと言ったアトイは、あの時どんな気持ちだったのだろうか……
「……大丈夫か?」
心配そうなネロの声に、ロトルは頭巾の中で小さくうなずいた。
ネロはしばらくロトルの様子を窺っていたが、やがて、再び静かに話し始めた。
「アトイは<何もない>と<光>を除いた、全ての<詩>を使えるんだ」
ロトルは森での出来事を思い出した。
「多くても読める<詩>は2つまで……それが理だ。その理からあいつは外れちまってる」
( エピカは2つまで……? )
そんなこと、アトイはあの時言っていなかった。
きっと知られたくなかったのだろう。己が普通の人とは、少し異なるということを。
ネロは首にかけてあった丸い小石を服から取り出すと、外してロトルに渡した。
遠慮がちにその石を受け取ると、掌で転がして、ロトルはじっくりと石を観察した。
琥珀のようなその石には、アトイの外套と同じ狼が彫られており、溝が金色に塗られていた。
つるつるとした表面はなめらかで、親指で撫でるとさらりと滑り、心地が良かった。
「あたしの<狼>の石だ」
( ホロケウ…… )
さっきの二人のやり取りと、壁の至る所に貼られた記事を見て、ロトルは何となくだがホロケウというものが何なのかわかり始めていた。
アトイはホロケウのことを、狩りを生業とする者と言っていたが、その狩りというのは食料を求めるような狩りではなく、殺すことそれ自体を最大の目的としたものなのだろう。
そしてその標的は、どうやらウェンと言うらしい。
どちらが先にそう名付けられたのかはわからないが、エピカのウェンを捩っているのだろう。
ただ、アトイがネロに渡していた結晶が一体何なのかはいまだにわからなかった。
どことなく、この手の中の石に似ていたような気がする。
「これは一般人には秘密なんだが……」
ネロが人差し指を口の前に立てた。
「<狼>になるには、ちょっと特殊な道具を使って必ずそれを作らなきゃならないんだ」
ネロがそう言うと、ロトルは何度か瞬きし、手元の石を見つめた。
石は机の角灯の灯りに透け、まるで湖面のように、ゆらゆらと複雑な模様を机の上に映し出していた。
「綺麗……」
万華鏡のようなその光を、うっとりとながめ、場違いにもため息を漏らしたロトルに、ネロは優しく微笑んだ。
「それは<詩>の結晶さ。それを作るのはなかなか大変でね……<詩>をたくさん集めなきゃならないから、そのぶん<詩>を広く読めることが絶対条件なんだ。
<狼>の試験はウェンを何体か倒すことなんだが、その石を作れないと試験を受けさせてももらえない」
ロトルは心の中でがっくりと肩をおとした。エピカがわからない自分にはどうやってもこの石を作ることは叶わないのだ。
しかし、作れないからこそ、その石はより一層綺麗なものに見え始めた。
「結晶は集められた<詩>の中で、一番多かったものの色になる。あたしは<火>が一番広く読めるからその色。綺麗だろ?」
目を輝かせ、力強く大きくロトルが頷くと、ネロはニッと顔をしわくちゃにして笑った。
「どうしてその石が<狼>の証になるのかわかるか?」
ネロの問いに、ロトルは上目で天井をみつめた。
先程ネロは、『ホロケウになるとき特殊な道具を使って作る』と言っていた。
特殊な道具と言っているくらいなのだから、ホロケウじゃないと使うことを許されていないのではないだろうか?
「……狼が彫られてるし、特殊な道具で、ホロケウの人しか作れないから?」
ロトルが首を傾げてつぶやくと、ネロは悪戯っぽく笑った。
「もちろんそれもある。—— さっき言い忘れたけど、作った石は1度回収されて、試験に合格した人にだけ返されるから、不合格の人は持って帰れない。でもそれだけじゃない。わかるか?」
ロトルはグルグルと考えを巡らせたが、さっぱりわからず首を横に振った。
ネロは眉をあげ、口元に笑みを浮かべた。
「その石は持ち主の<詩>の結晶。
——持ち主が死ぬと紡がれた<詩>がほどけ、石は消えてなくなるんだ。
たとえ<狼>を殺して石を奪い、成りすましたとしても、石は消えて何の証にもならないのさ。
だから、この石だけは何が何でも奪われないよう死守しなきゃならないってわけだ」
ロトルは再び手元の石を見つめた。
命とつながった結晶。
そして、深く深く考え込んだ。
—— エピカとはいったい何なのだろう。
エピカを見れない自分にも、いつか解るときがくるのだろうか?
「アトイから石を見せてもらったことは?」
ロトルは首を横に振った。
「そうか……」
ネロは顔を曇らせ、少しだけ影を宿らせた。
「アトイの石は黒いんだ」
( 黒…… )
ロトルは真っ先に、アトイがネロに渡したあの結晶のことを思い浮かべた。
「広く<詩>が読めないと、この結晶を作れないって話したけど、アトイが読める<詩>はそれほど広くないんだ。
——普通だったら<狼>にはなれないくらい。
それでも、あいつは石を作ることが出来た」
ネロはロトルの掌にある、蜂蜜を固めたような結晶を見つめた。
「お偉いさん方の目の前でその石を作らなきゃならないから、アトイの石がウェンの結晶でないことは確かだ。偽ってるなんて、アホなことを言ってるやつもいるけどな」
ふぅ、とネロは深くため息をついた。
「今までそんな色を作ったやつはいない。さすがにお偉いさん方もざわついたそうだ。……しまいには、試験を終えて、何体もウェンを狩ったアトイを、本当に<狼>と認めていいのか話し合いも開かれたそうだぜ……そんな会議して一体何が得なんだか」
ネロは無理やり笑顔を作り、
「優秀な手駒を失うだけだよな」
と言った。
「ま、知ってる通り、何とか<狼>にはなれたんだけどさ……肩身が狭いのよあいつは」
ネロは椅子の背もたれによりかかり、天井を仰いだ。
そして、天井につるされた角灯を見つめながら、はぁと、体の空気が全て抜けてしまうんじゃないかと思えるほど、大きく長いため息をついた。
宙を見つめるその目には、どこかやりきれなさが浮かんでいた。
「あいつの石が黒いのはどうしてなんだろうなぁ……どうして神様はあいつを除け者にするんだろう」
ゆっくりと頭を下げ、ネロはロトルを見つめた。
その顔は何かを必死に抑え込み、泣き笑いするように、ゆがんでいた。
「なぁ……あたしはあいつにただ、普通に生きてほしいんだ」
ネロの声は震えていた。
—— これはおそらくロトルに語りかけた言葉ではないのだろう。
「あいつは、本当はひどく臆病で、優しくて……」
唇がふるえ、言葉はそこで途切れた。
ゆっくりとネロは窓の外を見つめた。
ロトルもつられて同じように窓の外を見つめた。
遠くには雄大な山脈が鎮座し、その周りに帯状の煙のような霞がたなびいている。
慈しむような温白色の春光が、騒がしい店内の中、二人に静寂をもたらしていた。
腹から頭の先まで、こんなに空っぽになったような気持ちになるのは、この穏やかな春の日が持ってくるのだろうか。
泣きたくなるような光に照らされるネロの横顔は、アトイの不遇を憂い、ひたすらその幸せを願っているように見えた。
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