春 【月夜譚No.80】
カメラを手に駆け回る彼は、いつも楽しそうだ。学校の隅に植えられた大きな桜の木をファインダー越しに見上げ、カメラを下ろしたかと思うと、次の瞬間には晴れ晴れとした笑顔をこちらに向ける。桃色の花弁を全身で浴びる彼に、少年は軽く手を振った。
最初は、そんなに写真を撮って何が楽しいのかと思った。ただの風景を写して、どこが面白いのかと。そう訊いてみると、彼は満面の笑みでこう言った。
写真は、その一瞬一瞬を切り取ってくれる。次の瞬間には変わっていってしまうその光景を、写真という一枚の絵の中に閉じ込めてくれる。自分が見たものを、綺麗だと思ったものを、写真にして色んな人に見てもらえたら、こんなに嬉しいことはない。
正直なところ、その言葉の全ては理解できなかった。未だに写真の面白さはいまいち解らない。
けれど彼の熱意だけは、胸に跡を残すように強く伝わってきた。だから、彼の応援をすると決めたのだ。
ふと触れた髪についていた桜を指で摘まんで笑みを零した少年は、再び彼の方へと目を向けた。