もう一度葛城山
二人が愛した葛城山 ❷
それから暫くのうちに家族で葛城山に向かっていた。
妻明楽の目は可成り悪いようで、私は妻が今何を思い何に拘り、そしてそんな彼女が何故今日葛城山を目指したかったのか、ハンドルを持ちながら妻の心の底を考えていた。
それはおそらく長男賢真が母親をおんぶして背中に当たる母の胸の温かさを思うのか、賢真がそれらしいことを言っていたことを思い出しながら、母親と子の心の内を客観的に想像していた。
車は登山口の駐車場につき、
妻は「神様また来させて貰いました。感謝申し上げます。」と大きな声を出し力強く口にした。
確か前にこの場所を離れる時に、彼女は二度と来れないかも知れないと、悲壮な思いで同じ意味のことを口にしていた。
やはり誰よりも寧ろ彼女一人が気にしているのだろうなと、置かれた境遇のきつさに、常に拘っている心が可哀想であった。
パーキンソン病は彼女の手足を時には硬直させ、時には手足の震えを起こし、不特定で変化を繰り返していた。脳の中で出来る神経伝達物質のドーパミンが不足して発症する病気であるらしい。
私は主治医からどのように聞かされても、聞かされるだけでそれ以上はない。病気とはそのようなもので、夫として出来ることを精一杯してあげる事だけが愛情であり、役目であり常識でもあると思っている。
だから今苦しんでいる妻を、みんなで守ってあげ、妻が望む思いを可能にしてあげる事だけが、家族に与えられた使命だろう。
妻は前回来た時とは打って変わって重傷になっているようで、苦しむ姿も時々見せたが、それでも決して弱音を口にすることはなく、一生懸命気迫に満ちて登ろうとしたが、結局体が言うことを聞いてくれなかった。
私たち男三人で母さんを代わる代わるでおんぶして、何とか山頂に着いたのは、前回より遥かに時間がかかっていて、それは殆どおんぶが主体であった。
初夏のそよ風が、満開に咲くつつじの間から、我々に挨拶するように吹き抜けていく。
「母さん風感じるだろう?つつじの間から、爽やかな風が吹いてくるのを」
「あぁ感じるよ。気持ちいい風が・・・つつじ満開だね。母さんにも真っ赤に咲いているのはわかるよ。きれいだねぇ」
「きれいだよ母さん。高校の中庭にも咲いているけど、こんなに一杯咲いていないよ。ここはすごいよ!」
「そうだね。来てよかったね。」
「さぁ、ごはんにしよう!店屋物だけど美味しいぞ。母さんもしっかり食べて」
「ええ、頂きます。」
奪い合うように子供たちはお握りや空揚げをかわるがわる口にしている。
妻も少女に戻ったように両足を組みお握りをほうばっている。
三十分もしたころみんな食事を止め、子供たちはどこかへ散策に。私と妻は至福の時を過ごすようにゆったりと昔話。
「亮さん、みんなに申し訳ないと思うの。真我も私をおんぶして辛かったと思うわ。賢真に命令されて、だからもう二度と来たくないって言うのじゃないかな?」
「そんなことないよ。あいつはあいつで親孝行しているから、結構気持ちは良いものだと思うよ。兄ちゃんの言うこと素直に聞いていることもいいことだから。
だからあいつらは間違いなくきちんと成長しているよ。」
「そうね。それは私も思う。」
「《今度あの向かいの山に登りませんか?》 明楽と始めた逢ったとき、私そう言ってあの山を見たね。金剛山を」
「ええ、冬に登りませんかって・・・私は 『ええ登りましょう』って言ったら、
彼女、友達の横河香苗さん、私は嫌だわって駄々をこねて、あの娘は所詮山登りはあまり好きじゃなかったから、だからあれ以来二人で山に登ったこと等おそらく無かったと思うわ。
亮さんと登りだしたこともあって」
「そうなの。でもやはりあの時に運命の人と出会ったってことだね。」
「後悔してない?こんな私で?」
「していないよ。またそんな風に考える。二人が出会っていい思い出をいっぱい作って、それで今があるのじゃないか、そうだろう?明楽病気に負けるなよ!明楽はそんな性格じゃなかった筈だよ。
おとなしそうで実は男勝りな所があり、怖いくらいの決断力もあった筈。実家のお父さんやお母さんの猛烈な反対を押し切って、私の元へ来てくれた時のことを、今でもはっきり覚えているよ。
あの潔さだけで私は十分ありがたいって言うか、明楽の愛を感じたよ。うれしかった。本当に嬉しくてうれしくて、今も全く同じだから・・・」
「いえ私こそ一杯助けてもらって、ありがとうね。」
「これからも力を合わせて子供たちのためにも頑張ろうよ。病気にも打ち勝って」
「ええ、そうね・・・」
心が落ち着いている筈の妻が、それでも妻は手を震わせ足を引きつらせ辛そうであった。それが当たり前になり、見慣れた光景になり、
言わば妻はこれまでどれだけ辛い試練に向かってきたか、どれだけ逆らって心の落ち着かない日々があったか、どれだけ泣きたい気持ちを隠して笑顔で演技を繰り返してきたか、今彼女の症状を見つめていて、心が冷たい鉄の板で押し付けられるように私は感じてくる。辛い!辛くってたまらない!
私も又、妻の為にも私の為にも子供たちの為にも、食いしばりながら生きているように思えた。
子供たちがどこかから戻ってきて、少し早かったが帰路に就くことにした。
次男の真我も何一つ小言を言うこともなく母を背負って下り始め、
「真我、ありがとうな。母さんうれしくってうれしくって」
「泣かないでね。背中に涙を落されたら嫌だから。お気に入りのTシャツだから・・・お兄ちゃん、何か面白い話をして母さんを笑わせて、父さんは変わり者だから無理だから・・・」
「お父さん、変わり者らしいよ。真我には」
「売れない小説家だから好きなように言われるね。」
「もう辞めたんでしょう?小説書くの?」
「だから今は母さんがこんな状態だから仕方ないだろう。また母さんが落ち着いたら書こうと思っているよ。」
「父さん、僕ね先生に言われたんだけど、あなたの家族って素晴らしい家族ねって、母さんは病気が病気だから、ある意味有名だから・・・
それに家庭訪問の時や授業参観の時に、先生と母さん話しするから、それで先生が言っていたよ。」
「どんなふうに?病気のこと?」
「いや違うよ。父さんが小説を書いているって言ったら、先生が言うには、
あなたたち家族のことを書けばいいと思うって言っていた。素晴らしい家族と思うからっても。それに父さんと母さんがこの山で出会った馴れ初めも、先生もこの山の事よく知っていて、その話も凄いって言った居たよ。」
「おい、そんなことまで言ったのか真我は?」
「先生ったら真我から聞いていながら、私には一言も言ってくれないから、なんだか恥ずかしいわ。でも先生そんなこと言っているの?」
「うん、いつの日か言っていたよ」
「家族をテーマにしてなぁ・・・推理小説では埒が明かないのか?」
「売れっこないって何万と小説家なんかいるのだから」
「賢真、そのように夢を潰すように言わないで、母さんは信じているのよ。
父さんがいつの日か日の目を見る日が来ることを」
「だって母さん読めるの?」
「上手く読めなかったなら真我に読んでもらうわ。だからお父さん真我が高校で習っていないような漢字は避けてね
出来るだけ優しい表現で、仮名ばかりでも賞を取る人もいるじゃない。私、父さんは才能あると思うの。」
「母さん、身内の証言は依怙贔屓になり無効ですよ。」
「みんなもういいから、父さんをからかうのは」
「亮さん、からかってなどいませんから・・・早速家族をテーマーにして書き始めてよ。」
「そうだな・・・」
「兄ちゃん、そろそろ代わってくれない。背中から汗が出てきたから」
「あぁいいよ。よく頑張りました。」
「母さん、私、我が家族をテーマーにして小説書いてみるよ。なんか書けそうに思えてきたよ。真我の先生はよく見てくれているように思うよ。
そんなありがたいことを言ってくれる、真我の担任の先生の為にも書いてみたくなったよ。
他人さんを感動さすようなものこそ我が家にあるかも知れないな。温かい血の通った小説が出来ると思うよ。
こうしてここに来ていることでさえ凄いことかも知れないな。すれ違う人、みんな気にしながらおんぶされた母さんを見ているから。」
「どんな風に思われているかは判らないけど、もしかすると凄い家族愛かも知れないね。」
「さすが賢真はロマンチックなことを言うのね。彼女が出来たから言うことが違うね。そうね、私はとんでもない素晴らしい家族に守られているとつくづく思っているのよ。みんな本当にありがとうね。」
下り坂であったので実にゆっくりであったが、私たちは葛城山を下り続けていた。
「亮さん、私が言える立場じゃないけど、この子達に素晴らしいプレゼントをしてあげて
それはあなたが一冊の本を出すってことだと思うわ。この素晴らしい家族をあなたの手で書き上げてほしいわ。きっと感動してくれる方が居ると思うわ。
真我の担任の絵際先生はもとより、もっともっと多くの人が感動してくれると思うから。賢真がこうして私をおんぶしてくれていることは、誰にも出来ないことかも知れないし、あなたも真我も賢真も何一つ小言を言わないで私を守ってくれていること、凄いことだと思うわ。
そうでしょう賢真?貴方だって彼女が出来たのにこんな親と付き合ってくれて、本当なら彼女とどこかへ行きたいだろうに」
「大丈夫だよ母さん。彼女も十分理解してくれているから気にしないで」
「父さん、母さんの為に感動するような小説書いてあげたら、僕が母さんに聞かせてあげるから。」
「そうか、真我も期待してくれているんだな。」
「そうだよ、みんな母さんの為にだよ。だから父さん頑張って」
「父さんもここらで男を上げないと・・・」
「わかった。わかったよ。」
賢真からバトンタッチをした私は、妻を背負いながら、ほんの少し前からでも軽くなった気がしていた。
以前妻が救急車で運ばれて行った時に、まるで一本の蝋燭に妻を例えてしまったことを思い出していた。
やがて遠くない時期に、妻は苦しみながらこの世を去る運命を背負っていることには間違いないと思うと、背中に伝わる彼女の温かみも皮肉に思えてきた。
この温かみも背中を押す彼女の柔らかな乳房の感触も、過去のものになる日が来るのかと思うと辛くなってきて、背中を走る神経が硬く成ってくるような気がした。
そして二人の子供たちも今日は何度も母を背負い、この感触を背中で感じ心で感じているのだろうと思えて来た。
賢真が弟の真我に、また山へ行き母をおんぶさせてあげたいと強く言ったのは、母のこれからを案じ、居ても立っても居られない心境だったのかも知れない。弟にも母の温もりを心にしっかり記憶させたかったからだろう。
夕刻になり家に帰った家族であったが、妻は心身ともに疲れたのかすぐに眠ってしまった。
二人の子供たちは元気であったが、それでも母がすぐに倒れるようにして床に就いたことが不自然であったのか、理解に苦しんでいるようであった。
それでも長男は、
「母さん余程疲れて居るんだね?」
そう言ったがそれ以上は何も言わずに、自分達の部屋へ身を隠すように腰を上げて、弟にサインを送った。
二人でゲームをするようで、それも久しぶりのようで、山から帰りにその話で盛り上がっていたので、私はせっせと夕ご飯の仕度をすることにした。
何もなければ助け合い、仲の良い素晴らしい家族である筈が、妻明楽の背負わされた運命が、何もかもを緊張させ必死にもさせている。
子供たちも母を思い案じ十分すぎるくらい気を使っている。そしてそれが当たり前で、義務であり責任であると思っている。
むしろ私が妻に対して、どこか一部分で冷静で客観的に見つめているような所もあり、それは言い換えれば、冷たく合理的な心も持ち合わせていて、まるで悲劇のヒロインと暮らしているような物語を想像しているのかも知れない。
それでも私も子供たちも、何一つ間違ったことなど無いと確信している事は確かで、この何年間の間に悔やまれるような言葉も態度も、決して誰に於いても無かったと思っている。
それで万が一妻が急変して、とんでもない事態に成ったとしても、私たちの重ねて来た日々を、誰も責められはしないだろうと自負もある。
翌日は妻も昨夜の疲れから早々と相当長らく寝ていた性で、朝早くから起きていたのか、まだ暗いにも拘わらずごそごそとしていたらしかった。
子供たちは早々と母が作ったおにぎりで、食事を済ませ元気に出かけて行く。
そして私も、妻の顔色や様態を確認してから仕事に出掛けた。
「絶対無理はしないように!」
強くそう言って、私はいつも仕事に出かけるようになった。
そんな私に妻はこの朝、
「亮さん、昨日の続きだけど、必ず書いてね。あなたの生涯の夢を叶えてね。」
そう言ってほほを緩ませ私を見送ってくれた。
車を走らせながら妻の久しぶりの明るい顔を思い出し、余韻に慕いながら、それと同時に妻がその言葉を発した事が相当プレッシャーに感じていて、家族の誰もが同じ方向に向かっていることが窮屈で息苦しくもあった。
推理小説ばかり書いてきた私には、まるで畑違いに思える部分があって戸惑っているかも知れない。それと妻が結婚してから初めて私に、小説を書くことを催促したからかも知れない。そんなことは一度もなかった。
私にとって小説って殺人とか怨念とか、殆どの人が持ち合わせている、どろどろとした感情や心の動き、更には秘めたるもの、この様なものが根源に成っているほど、実は単純なのであると思っていた。やるかやられるか隠すか見つけるかの世界だから。
だから究極の殺人事件に発展して、誰でもがはっきり判る感情、つまり善と悪を書き表せばいいのである。
ところが恋愛小説や家族愛などを表現するには、推理のような訳には行かず、もっとデリケートな文節の積み重ねのように私は捉えている。
思えば妻に初めて声をかけた時も、たまたま妻の友達の、気さくな横河香苗さんが音頭を取ってくれたから、何とか話が纏まったように今でも思っている。
所詮私は女性には疎く、決して積極的では無いようで、これは親譲りの性格だと思う。
だからこんな私に妻と言う男勝りで度胸のある女性が近づいてきて、私たちは結ばれたわけで、それと妻の友達のおせっかいやきの、横河香苗さんが居たから成り立った話で、他力本願であったけどそれが現実である。
私はおそらく恋とか愛とか語るには、資料も経験も持ち合わせていないようである。
それでも私も今は家族をテーマにした《愛》の小説を書きたがっていることは確かで、すでに夕べからその構想を練ろうとしている。
妻の為に、更に子供達の為に、そして私自身の為に。
この日もいつものように仕事に励み、終日私なりに頑張って仕事を終わると同時に家路についた。いつもそのようにしている。
まだ6時半でまだまだ日差しはきつく、暑さも十分で既に夏の日差しにも思う午後であった。
「ただいま」
私は何となくその様に元気に言ったが、返事が無いので妻の姿を捜すと、すぐに姿を見つけたが、様子がおかしい、ドアの空いた儘のトイレの前で倒れていることに気が付き、慌てて妻の背を軽く撫で、私の方に向かせ様とすると、口から泡のようなものを出して、蒼白で息さえしていないことがわかり、それが何を意味するのか咄嗟のことで、私は狼狽えるばかりであった。
「明楽!どうした明楽?おい!明楽!」
私には妻が病気で、今出ている嘔吐や症状は、病気の性だと瞬時に判断したが、抱きかかえ妻をそっと寝かせ、私は震える手で救急の電話をしていた。
「すみません、私仕事から帰って来ると妻が倒れていて、もう駄目かも知れませんが、兎に角来てください。
息もしていない様で、朝から元気に言葉を交わして仕事に行ったのですが・・・信じられません。早く来てやって下さい。」
「わかりました。すぐに出動します。お所とお名前を?」
「はい、猪熊5の16の2 和佐俣亮と申します。」
「わかりました。今出動しますから表に出て待ってください。」
私は息絶えて手遅れだと思いながらも、その妻に涙を落として、胸を抑え人口呼吸をするように、何度も何度も繰り返した。
「どうして?なぜ?何があった?電話出来なかったの?こんなになって・・・」私は決してどうにもならないことに苛立ちを覚えながら、妻の胸を押さえていた。
サイレンが聞こえてきて慌てて表に出て、妻は乗せられ、私も同乗して病院へ向かっていた時、
「ご主人お判りでしょうが、既に亡くなられていて数時間が経っています。
このように死後硬直の特徴も出ていますから、私たちは迂闊なことは言えませんが、経験上同じような例を何度も見てきていますから。
人工呼吸をされていたとおっしゃっていましたが、その時はまだ息があったのですか?」
「いえ、今の状態とまったく同じです。二十分ほど前のことですから・・・ただ朝から元気に私を見送ってくれたのにと思うと、悔しくて、堪らなくて、おそらく病気で・・・妻は大きな病気を二つも抱えていましたから」
「どのような病気で?」
「はい、目がほとんど見えない緑内障と言う病気と、パーキンソン病と言う厄介な脳の病気を」
「そうでしたか・・・でもこの口につている泡は、まるで毒物でも口に入れた様な症状ですが、病院で検診をして貰わないと判りませんが、それとも警察が入り監察扱いに成るかも知れませんね。」
妻は息を引き取ってから数時間経っていると救急隊員が言ったが、おそらく同じ答えが病院でも出るだろうとその状態から私でもわかった。
病院へ着いたが慌てることもなく、救急車が病院に向かう時にサイレンさえ鳴らしていなかったことに気が着いた私は、それだけでも悔しかった。
妻は診察室へ運ばれ、暫くして事務員風の女性がやってきて、小さな声で「今警察がこちらへ向かっておりますから・・・」そう言って会釈をして事務所へ入って行った。
「何故警察?」と思ったが、私とて妻が泡状のものを嘔吐している姿に、疑義を感じていることも確かであった。
それと言うのも救急隊員が妻を搬送中に「毒物」と言いかけたことでも頷けた。
しばらくして担当医がおもむろにそばへ来て、
「既に亡くなられて可成り経っています。病気かとまず考えましたが、はっきり言って解剖されるほど原因がわかる様に思われます。どうも劇薬を飲まれたようにも症状からうかがえます。一応警察に報告させて貰いましたからその事をお伝えしておきます。」
「わかりました。」
それから暫くして警察が来て色々と聞かれることとなった。
妻を残して自宅へ帰ったのは既に深夜になっていて、子供たちにどのように説明すればよいのか、頭の中がパニクッていた私は、彼らを見るなり大粒の涙が迸るように出て、彼らを見つめるだけで何も口に出来ないでいた。
「それで父さん母さんはなぜ死ななければならなかったの?」
弟の真我が早口でそのように口にし、
「父さん一体何があったのか聞かせて?」と兄の賢真も険しい顔で口にした。
「電話では母さんが急死したって言っていたけど、どうして?今朝もあんなに元気だったのに?どうして?」
「今日の弁当も母さん作ってくれただろう。そんな母さんがなぜ死ななければならないの?」
「・・・なぁ二人に言っておかなければならないな。
母さんは・・・まだはっきりしないけど、どうも劇薬を飲んだとお医者さんが言うんだ・・・『何故そんなことを?』って父さんは思ったけど、でも母さんは父さんたちが思う以上に病気で苦しんでいたかも知れないな?
昨日母さんをお前たちがおんぶして葛城山に登ったな。でもあれで薬を飲む気になったのかも知れないな?相当家族に気を使っていた様に思う。それで耐えられなかったのかも知れないな。」
「じゃぁ母さんは自分で劇薬を飲んだのは間違いないんだね?」
「いや、胃の内容物とかを調べてからだと思う。その内はっきりすると思うけど」
「・・・」
「・・・」
「二人とも、母さんが病気に成ってから、必死に頑張ってくれていたのに残念だなぁ。もし母さんが自ら命を絶ったのなら、本当に残念だと思うよ。
ただ母さんこの何年間は、辛い思いをする日が殆どだったから、それに決して治らないし、毎日悪くなって行く病魔と闘っていたから、疲れたかも知れないなぁ。
だから万が一、母さん自ら命を絶ったとしても、決しておまえたち、二人とも母さんを攻めないでくれよ。母さんは母さんなりに考え、家族にとって一番いい方法を選んだと思うよ。
お前たちの事を、嫌と言うほど案じながら死んだと思うよ。
病気など掛かってなくて健康だったなら、絶対死んだりなんかしないから。」
「わかったよ、世間の人はどう言うかはわからないけど」
「そうだよ。残された私らが、これからきちんと生きて行かないといけないよ。それが母さんが一番望むことだと思うよ。真我もわかるな?」
「わかるよ。先生も母さんと仲良かったから泣いてくれると思うよ。」
「真我は先生に優しくして貰っているんだな。」
「そう、いつもなんだかんだと聞かれるよ。」
「心配してくれているんだよ。お前のことや母さんのことを」
「父さん!こんなことしていないで、早く母さんの所へ行こうよ!」
「ああ、そうしよう」
長男の目から涙が溢れ出ていて可哀想過ぎた。
結局妻は服毒自殺と言うことで収まった。
その結果に対して誰も何も言うことなどなく、僅か四十半ばで命を絶たざるを得なかった妻に対して、誰もが哀悼の意を口にするだけであった。
妻が居なくなった我が家は、味気のない空気が漂っていたが、時たま長男が彼女を連れてきて、我が家は今までに無い色が付き始めたように私には思えていた。
妻が居たならさぞ一生懸命おもてなしをして頑張って居ただろうと思うと、妻のパッチリしていた目で優しく見つめられた、過ぎし日の姿を思い出さずにはいられなかった。
あの時葛城山の頂上で、妻たちと一緒に食事をして・・・
「もうお別れですか?」
「はい、あなた方とずっと過ごしたいけど、でも余りにも図々しいとも思いますから、この辺で失礼します。楽しかったです。」
「私たちに然程興味が無かったと言う事でしょうか?」
「いえいえそうではありません。これが運命の出会いであっても、こんなに簡単に出会えるとは思いませんから。」
「運命の出会いであっても?」
「ええ」
「では貴方が言われる事が合っているかも知れないから、この儘お付き合い頂く事は出来ないでしょうか?」
「えっ?」
「明楽ったら、唐突にそんな事言って?」
「いえ、和佐俣さんが今言ったでしょう。運命の出会いかも知れないって?ですからその様に思うのなら、この儘お付き合い下さって、
はたして運命の出会いなのか、そうでは無いのか、お互い知る必要があるとは思いませんか?」
「明楽それって・・・和佐俣さんが大げさに言った社交辞令って事解らないの?」
「そうでしょうか?」
妻明楽はそう言いながらうっすら笑顔を浮かべて私を優しい目で睨んだ。
私は妻と初めて会ったあの日のことを思い出しながら、自然と浮かんでくる涙を拭き続けていた。
あの目をキラキラと光らせた妻はもう居ない。息子の女友達が来て、いささかは花が咲いたようになっていることもあるが、妻ではない。
愛する人でもない。寂しさも虚しさも、私にはどうすることも出来ない。
悔しくて悔しくて・・・
ただ彼女が言っていたように、私は机の前に座って、小説を書こうとしていることは間違いないが、それでも一向に気が乗って来ないことも確かで、未だ妻の温かみを感じている私には、家族愛の小説など、リアル過ぎて無理だと思う心の抵抗もあった。
それから一か月ほど過ぎたとき、妻が生前に小物などをいつも入れていた、机の引き出しの中を丹念に調べていた時の事、
何故なら妻の携帯電話を解約しなければならなくなって、それは余計な電話料金がかかって着たからで、慌てて契約書や電話機を捜していた時の事、妻は大事に電話機を引き出しに直していて、まさかそこに生前自ら映した録画があるとは思いもしなかった。
あの最期の日、妻は電話機の前で録画をしていた。
《亮さん、それに賢真 真我 最期です。聞いて下さい。
母さんはいつの日にからか死ぬことを考えていました。そして覚悟を決めたのは、あの葛城山へ連れて行って貰った時からです。
真我におんぶして貰って、賢真におんぶして貰って、勿論お父さんにもおんぶして貰って、どれだけ幸せだったかはかり知れません。
この人たちをこれ以上辛い思いをさせて良いだろうか?この私と言う存在が、みんなを振り回すようにして良いのだろうか?
誰においても常識のある人は、常識の中で生きようとするのです。それはまさにあなたたちで、どれだけ辛くともどれだけ窮屈であろうと、決してそこから逃れることはしないのです。
そんな家族に私は見守られ、そしてあなた方の犠牲のもとで生き続けていたのです。
亮さんは私の存在の為に、何よりもしたい亮さんのたった一つの夢である小説を書くことを棚に上げ、賢真も敢えて辛い道を選び働きづめで、真我も同じ道を素直に守り、誰もが私を支えるが為に頑張ってくれていることを、この心で見つめて来ました。
しかしながら私の病気は決して良くなって行くことなく、日を重ねるごとに重く圧し掛かってくることを判っていて、それは私が今こうして命を自ら絶つ一番の理由は、兎にも角にも辛いからです。
生き続けることにどれだけ意味があるかは判りませんが、生きて行くことと同じように、苦しみに耐えなければならない重圧が、常に私に覆いかぶさっていて息苦しい毎日なのです。
三人が今から一時間目を瞑って、それで私の気持ちになってください。
おそらく一時間でも大変だと思いますが、それが将来続くとしたらと考えてみてください。
勿論それだけではありません。若い時に等ほとんどの人が掛からないパーキンソン病に、私は何故か掛かっているのです。
三十代の後半から
どうして神様は私だけを虐めるのか、そんな風に思った日もあり、私は亮さんが最近言っているように、性格さえ変わってしまったようです。泣き言を言う嫌な女になったのかも知れません。
いつの日からか毎日のように考え、自ら死んで行くことが果たしてどうなのか、仕方ないことなのか、それともいけないことなのか、追い詰めるように私自身に問い続けました。
結果私は死を選ぶことに決めました。最近外国では私のような不幸な方が、自ら命の管を外していることも知りました。
生きていると言うことの重みより、生き続ける辛さの重みが、その上に圧し掛かっている以上、私は耐えるべきではないと思えたのです。
だから誰もが私の死を尊厳してください。潔く逝ったと心の中に収め認めてください。
そしてそっと過去の出来事と水に流すように私を捉えてください。
亮さん ありがとう あなたと出会えて良かったです。素晴らしい家族が出来たことに感謝申し上げます。
そして出来れば、いや必ずや成し遂げてください。それは我が家をモデルに本を書いてください。家族愛に満ち溢れた物語を、
でも私はあなたの本が出来なくっても、あなたがこれまでに書いてきた全ての原稿の愛読者ですから。
確かに入選したことはなかったです。
でもあなたが私に見せてくれた多くの優しさは、どんな賞を貰うより、あなたが私だけに書いて下さった素晴らしい小説なのです。、何にも劣らない物語なのです。私にとってそれはベストセラーなのです。
貴方は私にとって間違いなく「運命の人」なのです。
お世話になりました。ありがとう亮さん。
そして賢真、
貴方の母さんでよかった。先ずその事を誇りに思います。あなたの背中でおんぶされながら、母さんはどれだけあなたが頼もしかったか、うれしくて、うれしくて心の中で泣き続けていたんですよ。立派に育ってくれていることに感謝しているのよ。
母さんは居なくなるけど、でもあなたには亜美ちゃんがいるから大丈夫ね?しっかり守ってあげるのよ。父さんが私を過ぎるくらい守ってくれたように。
それと、これから・・・これからもお父さんを頼んでおくわ。ありがとう。
真我、あなたに悲しい思いをさせなければならないことは、どれだけ辛いか計り知れないけど、でも母さんそれでも辛いの、毎日が堪らないの・・・
だからあなたはまだ若いし子供だから、いろいろ母さんに文句言いたいと思うけど、でもわかってね、苦しんで苦しんで、あなたたちを困らせることはそれは余計につらいの。
あなたに葛城山でおんぶされながら・・・
汗びっしょりになって、私をおんぶしているあなたの背中から、あなたのぬくもりが伝わってきて、母さんうれしかった。
兄ちゃんの言うことを素直に聞き、逞しくなって立派になって、母さん本当にうれしかった。
だからあなたに申し訳なかったけど、おんぶされながら心が決まったの。これ以上生き続けることは良くないなと。
あなたの担任の絵際先生とも何度も話したけど、貴方はクラスでもみんなに好かれる中心人物だって聞いているわ。
あなたの優しさに感謝します。真我、貴方もいい若者になったね。母さんの自慢だわ。
ありがとう。
それから父さんをお願いね。
もう時間だわ。録画が止まると思うの。
父さんにも賢真にも真我にも、最期に言っておくわ。聞いてね
母さんは誰よりも長生きしたいの。あなたたち二人が結婚して赤ちゃんができ、人並みに孫を連れて・・・そんな日を夢見ているの。
でも許されないようなの。苦しくて辛くて我慢できなくて、迷惑かけて
情けないけど現実から逃れたいの ごめんね。
ごめんなさいね。みんなありがとう。いい人生でした。感謝します。》
携帯に残された何もかもであった。
私は泣くことも忘れ、妻が多くのことを心に思いながら死んで逝った、その哀れな人生に哀悼の意を心でつぶやいていた。
人は生きる事より死ぬことを選ばなければならない瞬間は、どれだけ辛いものであるのかなどわかることはない。
しかし妻は断腸の思いで劇薬を飲み込み死を選んだ。彼女は男勝りの根性をしていたので、そのことが後押しして思い切ったことをしたのかも知れないが・・・
妻が言うように目を瞑り、そのまま真っ暗な空間を感じながら時に耐えていると、限りなく不安な思いが漂ってきて、慌てるように目を開けている。
妻はそれが出来なかった。不安であってもどんな条件に曝されても逃げられない。目を開けてその場から離れることなどできない。
二人の子供も今何かを口にすれば、『それでも生きていてほしかった』と言いたい気持ちで一杯だろうが、それが解っているだけに誰も何も言わない。
無口のままで子供たちは涙を肘で拭いている。私は子供たちのそばへ行き、彼らを抱きよせて慰めることなどする歳でもなかったので、大人の対応でごまかしている。
どの様な形で子供たちの心に残るのかなどわからなかったが、ただ妻はこれからも残された我々三人の心に輝き続けることは間違いないと思えた。
四十九日の間に私は妻に言われたように小説を書き始めていた。それは必然としてのことであった。
我が家の壮大な家族愛をテーマに書くつもりであった。骨子はおおよそわかっていた。
それは妻に対する愛であり、私の生涯の夢でもあった。
四十九日も過ぎ、この間に妻を偲んで我が家に来てくださった方も数多く数え、その中に真我の高校の担任である絵際沙紀先生も居た。
先生とは私は二度目であったので親しく話をさせて貰うことが出来た。
真我はこの先生のことを特別な言い方をしていて、先生も又我が家族のことに特別関心があるような言い方をしているようで、私は妻から色々聞かされていたので、絵際先生は只の担任だけではないように思っていた。
先生が再度我が家に来られたのは真我の将来の話をする事を兼ねてであったが、そのとき先生は事細かに我が家族のことを聞いていた。
それは間違いなく真我が先生の心の中で特別な教え子になっているように思えた。
《先生ね、僕の家の事よく聞くよ。お父さんがどうとかお母さんがどうとか、葛城山へ行ってどうだったとか。お兄ちゃんはどんなお兄ちゃんとか》
弟の真我はいつの日か絵際先生の事をそのように言っていた事があったからである。まるで二人の関係は余程馬が合うのか親戚のような、もっと言えば家族のような関係に思えたことであった。
そしてこの二人の関係が後に私の生き方にも大いに影響する事となる。
妻が居なくなって我が家は殺風景になったことは間違いなかったが、時折賢真の彼女がやってきて簡単なみそ汁などを作ってくれるようで、それを頂くことも何度か数え、心が休まる思いであった。
長男の賢真は既に母親の存在は日ごとに消えて行っているようで、心は彼女によって癒され、母の姿は次第におぼろになって行くようであった。
彼女の名前は木乃下亜美と言う名で長男の彼女らしく心の優しい子で、私にさえかわいい笑顔で愛想を振る舞ってくれるのが、実に心休まる瞬間でもあった。
妻が居なくなってから一年弱が過ぎ、我が家は世間並みに様変わりしていた。
弟の真我は高校を卒業して大学へ、それは私にしては何とも言えなかったが、妻の死によって入ってきた保険金が功を奏して、思いもしなかった大学に進むことが出来た。
そして兄賢真も又そのお金を利用して木乃下亜美さんと結婚する事となり、近くのコーポで生活が始まった。
弟は家を出て寮生活、そして長男は別所帯
ぽっかりとした住み慣れた家で私は妻の位牌と二人暮らしになった。
「母さんみんな出て行ったよ。母さんの保険金使わせて貰ったよ。構わないだろう? 二人とも母さんに気を使って感謝していたから、母さんが娘時代から掛け続けてきた保険だから、有り難く役に立たせて貰ったから
残った分は私の葬式代にして貰うから。
仏さんの前に座り位牌を見ながら私は独り言を口にしていた。
みんなが出て行き静まり帰った部屋で手持ち無沙汰の毎日が続いていたが、それは小説を書くにあたってどれだけ素晴らしい環境であるかなど酸いほど知っていたが、家族愛がテーマであることにいつになっても抵抗を感じている私が居て、心のどこかでやはり推理小説でないと…などと往生際が悪いのである。
とうとう更に丸一年が過ぎ、長男夫婦に孫もでき、私は妻が言い残した約束を未だ果たせず気にしながら悶々としていたある日、
テレビから流れてくるアナウンサーの言葉が私の人生を変えるものであるとは思いもしなかった。
それは毎年のように発表される有名出版社の権威ある賞で、その中のドキュメント大賞に、弟の高校時代の担任であった絵際沙紀先生の作品が選ばれたからであった。
何本ものマイクに囲まれて絵際先生が挨拶をしてから、本の中身について軽く述べ始めた。
「私は高校の教師です。実は学生のころから小説を書いたりすることが好きで、何度か小説らしきを書いてきた過去があります。
ところが五年あまり前に受け持ったクラスの生徒の一人のお宅が、とても素晴らしい家庭環境であり、虜になるように私の心に突き刺さるようになって、その家族のことを忘れられなくて書かせていただきました。
どこの誰かなど申せませんが、とても家族愛が、決して真似など出来ない位のすごい家族愛なのです。
ですから私はその家族の何もかもを知りたくなり、担任と言う立場だけではなく、一人の人間として見つめ続けさせて貰いました。
たった一人の生徒の心が、私の心を動かせてくれたのだと思います。
この様にして立派な本にして頂き、私が今思うことは、この本を彼に一刻でも早く見て貰いたいと言うことです。
ありがとうございました。これまでも月刊誌で多くの方に読んで頂いているようで、またこの様に立派な賞も頂き、こうして立派な単行本にも成り、更に多くの方に感動を与えられればいいのにと思います。
絵際先生はそう言ってマイクを机の上に置いた。
私は彼女が言った家族とはと考えたとき、それはまさしく我が家ではないかと思いはしたが、あの先生は生徒思いでクラスの誰とも話していることも考えられ、それより絵際先生の作品が大賞に成ったことに関心があった。
毎年今の時期に発表される賞だけに以前から私も関心を寄せていて、まさか身近な絵際先生がと思うと驚きであり悔しくもあった。
それから暫くして弟の真我から電話がかかり、先生に本をプレゼントされたことや、題材になった家族が我が家であることも聞かされ、嬉しいような悔しいような複雑な気持ちで捉えていた。
私はこの賞の主催会社の月刊誌は滅多と読むことはなく、それでも大手だから有名で、もし我が家のプライバシーに触れるようなことがあっては、妻が傷つくことにならないかと気を回してみたが、真我が言うには「うちのことを素晴らしい家族だって称賛するような内容だよ。」と言って嬉しそうであった。
だから私はその本のことは全く知らないが、素晴らしい内容なのだと信じ、絵際先生にお礼の言葉をかけたくなっていた。
絵際先生と真我の睦まじい関係が功を奏したのか、素晴らしい本が出来、大賞と言う最高の名誉をいただき、妻の判断も含めて我が家の歩んできた道に間違いが無かったことに結び付けていた。
先生の本がいずれ本屋さんで並べられたなら、息子のためにも私は真っ先に買う積りでいた。
ところがそれから半月ほど過ぎたとき、スーツ姿の男女が我が屋を訪ねてきて、唐突に、
「私どもは、この度絵際沙紀先生の単行本を担当させて貰いました、株式会社樹楽社の屋富次郎太と稲村カエと申します。
実は絵際先生からお父様のことをお聞きしていて、それが一部始終かどうかはわかりませんが、兎に角回りくどいことを考えているより、直接お伺いするほど手っ取り早いと正直考えまして、それで思い切って来させて頂きました。
絵際先生が担任のクラスの生徒の中にご次男様が居られ、それでいろいろ話している内に、この本が出来たように先生からお聞きしています。もうお読み下さいましたか?」
「いえ、私どもがモデルになっていることを息子から聞いていますから、そのうち本を買って読ませて頂こうとは思っていますが、今のところ読んでいません。
それに子供が言うには、決して我が家族を誹謗中傷するような内容ではないことも聞いていますから、ある意味安心しているのです。どれだけ濃い内容であっても、当事者には敵わないだろうと言う自負もあります。」
「なるほど・・・それでお父さんは聞かせて貰っている所によりますと、ご自分でも小説を書かれているとか?」
「ええ、妙な話ですね。小説家の私がモデルになっているとは?」
「でもその小説もいろいろご苦労があり中々書けなかった様ですね。」
「ええ、仕方ないです。」
「実は私どもは正直に申しますと、奥様のこともお聞きしています。大変辛い思いをされたことも。でも絵際先生はそのことに触れていません。触れたくなかったようです。
それって先生がおっしゃるには、誰もが辛いような内容にしたくないからのようです。当事者は勿論、それを読んで下さる読者の方にも
そして出来る事なら一切触れずに家族の在り方を違う形で表しかったようです。
勿論全文中で誹謗中傷など一切御座いません。家族の方が嫌な思いをされるような文面は一切無いと思っております。」
「ええ、それはあの先生が子供に対する態度で分かります。妻はややこしい病気にかかり苦しんでいました。でもあの先生はそんな私たち一家に手を差し伸べてくださったと思います。」
「それでですが・・・先生ともご相談させて貰っているのですが、ご子息も望んでおられることも知り、私どもから一つの提案をさせて頂こうと思い、本日お邪魔させて貰った次第です。
実は絵際先生の本の横でお父様の本を並べられてはと思ったわけです。つまりお父様から見たご自分の家族のことを書いて頂けないかと思うわけです。
それはご子息からお聞きしたのですが、奥様の携帯に自撮りした遺言のようなものもあったようですね。あなた方の家族について家族愛の小説を書くようにと」
「そこまでご存知ですか・・・いやぁ参りました。実はそのことで随分悩んでいて、私今まで松本清張の本ばかり読んでいて、つまり推理小説ばかり書いているわけです。
ですから妻に言い残されてはいますが、家族愛を活字にするのはどうも苦手で、ニ年も過ぎたのですが未だ手つかずで・・・」
「でも奥様の遺言なら是非頑張って頂いて、この際挑戦してみませんか?内容次第では私どもが力に成らせていただきます。」
「内容次第でですね・・・実はこの歳まで小説を書いているのですが、いまだ具体的に本に成っていないので、自称小説家ってところですね。」
「そうでしたか。でもこの事がきっしょになって大躍進されるかも知れませんよ。絵際先生がその最たる例で、ご主人、本ってどれだけうまく書き表す人より、どれだけ経験を積み、どれだけ心が籠っているかだと私たち発行元は考えます。それは多くの読者に感動を与えられる結果になるからです。
そして売れる本はそれなりの根拠があると思われます。ご主人にはそれなりの根拠が潜んでいると私たちは読んでおり、こうして唐突でありますが強引に来させて頂いたわけです。
一つご検討ください。それで絵際先生の本をまだお読みでないようですので一冊置かせて貰います。
多くの読者がこの本を読み感じるものがあり、涙する方が居て感動する方が居り、だからテレビで放映されてから破竹の勢いで、絵際先生のこの本が売れています。どうか前向きにご検討ください。」
「わかりました。まずこの本を読ませて頂いて、それからあなた方が言われるように、逃げていないで妻に誓ったように書かせて頂きます。
こんなチャンスをお与え頂きまして深く感謝申し上げます。」
樹楽舎の二人は帰ったので早速絵際先生の書いた真新しい本を開いてみることにした。真新らしい表紙にそわそわとして、妙に緊張させられながら、インクの匂いのするそれを覗き込むようにそっと開いたが、
「待てよ~これは仏様に先ず報告だな」 そのようにはっと思いつき、仏様の前に座り、
「明楽お前さんの生き様が本になったようだよ。」
そう囁くように口にしてカーンと鐘を鳴らした。
目を瞑って手を合わせていると、ふと何故かこの本の中身など、知る必要など無いのではないかと思ってきて、結局それから何日も過ぎたが、私はその本を読むことなく、仏さまに供えた儘で机に向かっていた。
樹楽舎の二人に唆されるように嗾けられたが、実はそのことが起爆剤になり、興奮して受け入れ、気を入れて執筆活動に精を出し始めていた。
我が小説が絵際先生のような形になって、世に出るかも知れないと思うだけで、心が踊り手に力が入り、恥ずかしながら馬のように入れ込んでいた。
大きなチャンスが来たと思った。
妻のことを絵際先生がどのような書き方で表しているのか、それは読まなければわからなかったが、息子の真我が言うには、決して妻が傷つくような内容ではないと断言していたから、また同じことを樹楽舎の二人も言っていたから、逆に私が書くとするなら、何もかもをありの儘に触れる方が良いのではないかと思えていた。
それは私が奈良の片田舎から、十代で大阪へ引っ越しして来てから、小説家を目指して青春を過ごした時からの出来事を書き表し、それから妻と出会って結婚し、二人の子供ができ、やがて妻が目の病気にかかり、さらに頭の病気にかかり、病魔と日夜戦いながら、やがて耐えられなくなって妻は自ら命を絶った。
このあまりにも残酷な出来事を、家族と言う仲間が助け合い、思いやり、なんとか乗り切ってきた現実と、それでも耐えられなかった妻の決断。
生き続ける意味より、死を選ぶ意味の方が深かった妻の、心の内をあからさまにすることが、本を書く意味になるだろうと私には思えた。
そして妻が最期に自撮りで残して逝った生きざまと死にざまも、活字にするべきであり、話のクライマックスにしたかった。
それで結局私は仏様の前に置いていた本を、やはり開くほど良いのではないかと思えてきて、それから二日かけて一字一字を噛みしめるように、絵際先生の本を読んでいた。
ところが読み続けていると涙が湧いてきて堪らなくなってくる。
これが我が家で起こっていることだと思うと、見る見るうちに涙で本にシミが出来る。
ここに書かれた内容が他人様の事であって貰いたいと願っている私が居て、本の中には妻の自殺も病気の事も具体的には触れられていないが、それでも結果的に書かれた内容の裏で、目の見えなくなった妻、それと体がばらばらに成ってしまった妻と、自殺を選んだ妻が居る事は事実で、何もかもをわかっている私には、辛すぎて、辛すぎて、本を読んだことを後悔していた。
「無理だな・・・」
そんな思いに成っていて執筆活動も一時停止していた時、樹楽舎の稲村カエさんから電話がかかり、
「進み具合はいかがなものでしょうか?私どもが希望しています頃に何とか成るでしょうか?正直申しまして出来るだけ早い程良いと思います。
今がその真っ最中なのですから。お判りだと思われますが、チャンスは今だけだと思われます。生意気申しすが「鉄は熱い内に打て…」まさにそれは今だと考えます。」
その最後の一言が馬に打つ鞭のようで、私は気持ちを入れ替えて、四の五の言わず書かせて頂くことにした。
それから三か月、私は生きてきた洗いざらいを書き綴って、いよいよ最後の章にかかった時には、溢れる程の涙で覆われながら鉛筆を動かせていた。正に妻が生死を問い詰めたクライマックスシーンに取り掛かっていた。
これまで推理小説ばかり書いてきた私には、考えられないような重厚な心になり書き続けている。
あまりにも若くして生涯を終えた妻の在りし日の姿が、そして笑顔が、更にはもっと強烈だったのは、澄み切った目で私を睨むように見つめたあの優しい目が、
そして見え無く成って行く同じ目が、私の心の中で蠢き嘆き、辛くて悔しくて耐えられない様に、もがき苦しんだ仕草や何もかもが、あのトイレの前で息絶えていた姿が、走馬灯に浮かび上がった仏様の様になって見え隠れする。
苦しんで、苦しみ抜いて私は一冊のドキメンタリー小説を書き終えた。
「母さん、ついに今書き終わったよ。頭の中でどれだけ蠢いていた何もかもが、どこかへ出て行くように頭から消えて行ったよ。
母さんの死を無駄にしたくはないから、私はこの度は一生懸命書き綴ったよ。
生きている時はこれ程までに母さんのことを考えたかと言えば、もしかしてそうでもなかったかも知れない。でもこの三か月の間は母さんが私に圧し掛かっているように思えた毎日だったな。重かったよ。
母さん、今さら言っても君は笑うかも知れないけど、私は母さんをどれだけ愛していたのか、今ならはっきり言えるよ。
でももう居ないんだね・・・この三か月間の間に母さんは、私にどれだけ話しかけてくれたか・・・
いつものように玄関から元気よく「ただいま」ってパートから帰ってくるように思えたか。
パート先の店から惣菜を買い込んで、重そうに、いつもそうだったね。
そんな光景が当たり前と思って、胡坐を組んでいるような生き方をしていた私、埒が明かない私の生き方にも、何一つ文句など言わずいつも明るく私を支えてくれた母さん。
母さん、明楽、この本にはね、私の魂が宿っているかも知れないと今なら思うよ。こんな思いで書き綴ったこと、今まで一度も無かったから、
あ~ぁ かあさんに読んで貰いたいなぁ。
明楽、もしかすると今回はね、本屋さんに並ぶかも知れないと思っているんだ。大きなチャンスが来たかも知れないと思っている。
今回はね、出版社が道を開いてくれそうだから。何しろ彼らに依頼されたのだから・・・
樹楽社からだよ。あの大きな・・・樹楽社だよ
何もかもが上手く行き、絵際先生の本と同じように本屋さんで並べられたら、私はもう何もいらない。かあさんの所へ逝ってもいいから・・・
絶筆になってもいいから・・・
嬉しくて、うれしくて、嬉しくて泣けてきて・・・
そんな風に私はこれ以上満たされることなどあり得ないと確信して、書きあがったばかりのその原稿を抱きしめていた。
「我が人生に感謝、鉛筆があり、白い紙があり、その中に埋め尽くされた私の心に操られた文字たち・・・私はどれだけ幸せな人生を歩んでいるか・・・どれだけ夢に満ち溢れた人生であるのか・・・」
いつの間にか涙が沸くように出てきて、満たされた心に酔っていた。
そして待ってましたとばかり、冷蔵庫からワインとチーズとグラスを取り出してきて、チーズをつまみ、ヘッドホンを付け、大好きなホイットニーヒューストンのオールウェイズラブユーを聴き始めた。
まさに今の私にとって至福の時であり、画竜点睛の瞬間である。
「明楽、約束を守ったよ。今日は一番悲しい日で一番うれしい日になったよ。凄い原稿ができたよ。」
ホイットニーの歌を聞きながら妻が残した携帯の自撮りを目に浮かべて、
グラスを片手に「乾杯!」とその手を突き挙げ立ち上がった。
それから私はその瞬間に頭が金づちで叩かれた様になり、その場にしゃがんで朦朧とする中で、痺れてゆく頭にうろたえながらも、両手で頭を押さえて、次第に意識が遠ざかるのを感じながら目を瞑った。
(ホイットニーの歌が流れ第一部の幕を閉じる。)
「お疲れさま 皆さんご苦労さまでした。
緊張の連続でしたでしょうが、良い作品になる事間違いないでしょう。
特に和佐俣凌役の石倉さん大役だったでしょうが見事こなしていただき感服です。
明楽さん役の下村さんも自撮りシーンはとても迫力があり、間違いなくどなたも、目を潤ませながら聞いて頂けるでしょう。
それに賢真さん役の峠谷さん、心のこもった素晴らしい台詞回しでした。感服です。
真我さん役の十和田さんも、また外の方々も長時間に渡りご苦労様でした。
子役時代のお二人もよく頑張ってくれたね。
この作品を目の不自由な方にも知って貰える日が来たことを誇りに思います。
また活字に抵抗があると言われる方でも、ほんの少しだけ耳を傾けて頂ければ、いつの間にか聴き入っていて感動して頂ける事間違いないでしょう。
恋人同士でも、ドライブ中でもお聞き頂けるでしょうし、家族でお聞きして頂いても大いに意味があると私には思えます。
それでは少し休憩をはさんで、後半の第二部に気の抜けない内に取り掛かって頂きます。
後半は絵際先生役の田所さん、気合を入れてお願いします。
それに真我さん役の十和田さん 後半はあなたが主役だから頑張ってください。
それに解説の今池さん、とても重要なナレーションを入れていただかないといけませんね。頑張ってください。」
第二部スタート。
「ごめんください。和佐俣さんですね?」
「はい」
「こちらさんは 猪熊5の16の2 の和佐俣亮さんのご家族の方ですね?」
「はい。和佐俣亮は主人の父です。」
「そうですね。私お父さん宅へ入れさせて貰っている新聞屋ですが、お聞きしたいことがありまして、それで以前からこちらのことをお聞きしていましたから、とりあえず来させて頂きました。
実はお父さん宅に新聞入れさせて頂いておりますが、集金が出来なく成っていて、どうもどこかへ旅行でもされているのかと思いまして、何しろ新聞も何日も溜まっている状態で、このまま入れ続けさせて貰って良いのか、何かお聞きではないでしょうか?」
「そうでしたか、でも何も聞いていませんが・・・わかりました。主人が帰り次第実家へ行って貰います。何かわかると思います。」
「そうですか・・・」
「あぁ新聞代ですね?立て替えてお支払いさせていただきます。」
「はぁ申し訳ありません。」
「いえ、かまいませんのよ。父は一人暮らしだから、どこかへ旅行にでも行っているかも知れませんから」
「そうですか?申し訳ありません。これ領収書です。お父さんにお見せ頂いて、立て替えた分貰ってください。ありがとうございました。」
突然やってきた新聞屋は思いがけないことを言ってきて、その日の夜
仕事から帰ってきた賢真は、幼子と妻と連れ立って実家へ向かった。
「父さん、何があったのかな?どこかへ旅行でもするなら新聞止めておかないといけないのに・・・」
独り言を言うように賢真はハンドルを持ちながら小言を言って、それでもまさかまさかと言う事が起こっているとは考えもしなかった。
「もしお父さん新聞代立て替えたの返して貰えたなら、それでみんなで何かおいしいものでも食べない?今日はまだ夕食の準備していないから丁度いいわ。賢真さんそれでいいでしょう?」
「いいよ、たまには。それに父さんが倍返ししてくれるかも知れないから」
「本当に?」
「長らく行っていないから、それに夢華の顔見たら一頃だと思うよ。」
「じゃぁお父さんのおごりでみんなでご馳走ね。」
「高い新聞代になるな・・・父さん気の毒に・・・ハッハッハ」
実家へ着いた三人はポストに溜まった分厚い新聞を見つけるなり、異様な気がしてきて、冗談交じりでここまで来たことが不謹慎に思えてきた。
「父さん、何かあったのかも知れないな?」
賢真の言葉に妻亜美も険しい顔に変わり、幼子を抱きかかえながら、溜まった新聞を取り出して玄関の鍵を開けた。
「父さん、いないの?」
そう言って勝手知ったる我が家であったが、賢真は恐れるようにして上に上がった。
そしてすぐさま賢真は親父がいつも陣取っていた隅っこの書斎の側で横たわる父の姿を見つけた。
「父さん、父さん!」
既に亡くなっていて臭いさえするように思えた賢真は、妻と子を睨む様に目をやり、
「こっちへ来ないで」強くそう言って、「救急車に電話して」と甲高い声で更にそう言った。
「お父さん、どうなの?」
「亜美、親父は死んで何日も経っているよ。見ないほどいいよ。それより早く電話を」
「ええ、わかったわ。」
何かを感じてか夢華が泣き出し、賢真は妻から子供を取り上げたが、
居ても立っても居られないように掛けかけの妻の電話を代わり、
「あぁすみません、実家に帰りますと、一人暮らしをしていた父が倒れていて、新聞がポストに溜まっていた所を見ると、既に何日も前から亡くなっていたようです。臭いさえします。すぐに来て貰えるでしょうか、警察にも来て貰わないといけないかも知れません。」
「わかりました。すぐに出動します。」
父は脳内出血で倒れて誰に看取られることもなく数日前に死んでしまったようである。
賢真は父の葬儀の間、母の顔が浮かんで来て堪らなかった。
夫婦とはこんな過酷な生き方をしなければならないのか・・・自分の両親がまだ四十代にして死んで逝った現実を、複雑な思いで受け止めなければならないことの辛さが、身にしみて堪らなかった。
自分が夫婦になったばかりだったがゆえに。
大恋愛してそれで家族の大反対を押し切って結ばれた父と母、
それゆえにどうして神様はこんな二人に過酷過ぎる試練を与えるのかと、その様に思うだけでも腹立たしかった。
妻亜美は和佐俣家の何もかもを知っている。知った上で一緒になっている。そんな優しい思いやりのある女性であることも確かで、この度のお父さんの不幸も夫と同じ思いで悲しんでいる。
一方弟の真我は大学の寮から飛んで帰り、父のお通夜を手伝いながら、その夜中に父が書き上げた、言わば絶筆となったドキメンタリー小説を読んでいた。
『この本、絵際先生の本の内容より遥かにすごい!』
読み続ける内に心の中が騒ぎ出し、いつの間にか母が側にいて、父も横で笑っているように思えてきて、幻想と現実が入り乱れてきて、引きずり込まれるような思いに成って夜明けを迎え様としていた。
「先生の本も凄いけど、父の本ももっと凄いよ!」
夜明け前になって読み終えた真我は、朝一番に兄に向かって目を擦り乍らそう言っていた。
滞りなく葬儀を済ませて、長年借りていた住まいを返還し、仏壇だけを賢真の住まいに持ち帰った。
父と母が一目散に歩み続けた舞台は過去のものとなり、あっけなく幕を閉じたが、賢真には何も出来なかったので、何はともあれ二人の位牌を守ることが大事であると、奈良の親戚からも強く言われ、それだけは言われるままに応じていた。
そして弟真我は久しぶりに故郷へ帰ったこともあり、懐かしい母校へ足を運んでいた。言うまでもない大好きだった絵際先生に会うために。
「先生お久しぶりです。帰ってきたので先生の顔見に来ました。」
「そう、うれしいわ。あなたと出会えたおかげで、本も書けたし、それに有名にもなれたから、願ったりかなったりだから・・・何でも遠慮なく言って、ごはんに行こうか?おごるわよ。」
「いや、先生に報告しなければならないことがあって・・・」
「何かしら?」
「父が」
「そうだ!そうだ!お父さん本出来たの?出版社から聞いているのよ?出来たのね」
「ええ、これです。」
「ほんとう?出来たのね。お父さん夢かなったのね。よかった・・・辛い思いをされて書かれたのでしょうね。まさか私の本が話題になるなんて思ってもいなかったけど、お父さんの本が本物だと思うわ。当事者だもの。
出版社の方が言っていたわよ。お父さんもいずれ先生の本と並べて売らせて貰うって・・・よかったねぇ。夢が叶うのね。よかった。お父さん喜んでいるでしょう?」
絵際先生は目を光らせて、それでもおもいっきりの笑顔で真我を優しく見つめた。
「それで先生、今日は・・・実は父が・・・ ・・・実は父が亡くなりまして・・・」
「えっ?」
「亡くなった?」
「どうして?」
「わたしったら・・・その封筒目に入ったものだから、早合点して・・・ごめんなさいね。」
「この原稿を書き上げて間もなく脳内出血で倒れ、誰にも看取られることなく父は死んだらしいです。」
「えっ・・・まさか・・・」
「ええ、まさかです。兄が言うには、父が死んでいたのは、隅っこの書斎で、その書斎の机の上に食べかけのチーズが置いてあり、父の口の中にもチーズのかけらがあり、ワインのビンが置いてあり、そしてグラスは手の近くに転がっていて角が割れていて、
それは警察の話では、おそらくチーズをかじりながらワインを飲んでいる時に病気が起こり、その場に倒れて誰も居なかったので、手遅れになり亡くなったようだと」
「本当に?・・・なんてことでしょう?・・・信じられない?どうしてあなたの家がそんな試練を次々と・・・」
「それで警察が言うには、お父さんは悩んでいたり、苦しんでいたり、また奥さんが若くして亡くなっているようで、気持が塞いでいたりしていなかったでしょうかと、そのようなことも尋ねられたと兄が言っていました。」
「どうして?まさかお父さんも自殺ではないかと?」
「ええ、それもありと考えたのでしょうね。」
「ひどいわ。いくら警察でも」
「いえ、先生、警察が何故そのようなことを聞いたのかは、この原稿に書かれている内容を読めば、そのように思うのも当然だと思います。
それにここを見てください、原稿の表紙が凸凹しているのわかるでしょう。これは父がこの原稿を書き終えたときに、原稿を抱きしめながら泣き続けたのではないかと、つまり原稿が母に見え愛撫したのかも知れません。
だから僕には警察の言っている意味が解ります。
涙一杯にして原稿を見つめながら、亡き妻を偲び、憂い続けた日々が蘇り、そして母が生前に残した自撮りの遺言を守ったこと、どんなにか重かった悲しみに満ちた我が家を、振り返らなければならなかった日々が、堪らなかったのでしょう。」
「お気の毒に・・・」
「いえ、先生。父はおそらく喜んでいたと思いますよ。満足だったと。
この本の中に、《どれだけあなたを愛していたか、計り知れないことを、今ひしひしと感じています。》と書かれています。
父はおそらく原稿 が出来上がり、妻とした約束を果たした喜びに、乾杯していたのだと思います。
好きなワインを手に持ち、チーズをかじって、それにヘッドホンを頭につけていたらしいから、好きな歌を聴きながら酔いしれていたと僕は思います。
だから急に病魔に襲われたかも知れませんが、もしかして、もしかして父は・・・救急車を呼ぼうとしなかったかも知れないと、これを読みながら自然とその様に思えて来ました。
朦朧とした中で母を思い、初めて出会った葛城山の二人を思い出し、この原稿を書き上げて貰う為に、命さえ投げ出してくれた最愛のパートナーを偲び、父は壊れてゆく自らの頭の異変を感じながら、敢えて救急車などを呼ばずに、母に命を捧げることを考えたのかも知れないと思います。」
「・・・」
「父は大好きな小説の執筆のために、まともに仕事に就かずこれまで生きて来ました。ですから母が常に働き我が家が成り立っていたのです。
ところが母が病気になり、父は仕方なく朝からアルバイトをしていましたが、決して本意ではなかった筈、でもそんな生活が長年も続いていて、一向に良くならない母の病気を案じ、それでも何一つ不服など言わなかったですが、鉛筆を取りたい日が多々あったと思います。
それを心苦しく思っていた母は自ら命を絶ち、父に自由に成って貰いたいと望んだのです。父は解き放されたように自由になり、執筆活動を出来るようになりましたが、
そこで書き綴った内容が、帰らぬ母に対する詫びだったのです。父は母の目が悪くなったのは自分の性だと言っていましたから、
長年嫁におんぶされてきた不甲斐ない亭主の懺悔だったのかも知れません。だから父は病気が引き金になって、母の側へ行くことを咄嗟に決意したように思います。
母に出来上がったばかりの原稿を見て貰いたかったのかも知れません。
この何日間の間にこんな余計なことを考えてしまって・・・」
「そうなの・・・真我君、あなた随分大人になったわねぇ、そこまで読むなんて感心だわ。それが事実なら、お父さんたちとんでもなく愛し合っていたのでしょうね。」
「先生もし構わなかったなら先生もこの原稿読んであげてください。それで心に響いて頂ける何かがあるかも知れません。」
「ええ、読ませていただきたいわ。それと出版社が言っているように、この原稿を本に出来ると思うわ。彼らが思っている段取りなら。お父さん喜んでくれるわよ。長年の夢だったのでしょう?
だから出版社と話し合っていい方法を考えて貰うわ。とにかく読ませて貰える?泣いてしまうかもね。」
「ええ、先生も近いうちに結婚される年齢でもあるから、きっと役に立って頂けると思います。」
「わかったわ。あなたの推論を頭の隅に置きながら読ませていただくわ。」
大学の寮へ戻った真我は清々しい思いで毎日を過ごしていた。妙に父が善人に見えてきて、いまだ死んでしまった様には思われなかった。
それは母にも言えて、いつまでも母は真我の心の中で輝いていて、それは今父を物理的には亡くしているが、真我の心の中では元気に生き続けていると感じていた。
そんな日を繰り返していた真我の携帯に絵際先生から電話が入り、
「真我君、あなたに相談なのだけど、あの原稿を読ませて頂いて、それで出版社の方にも見てもらって、
それで結論を言うとね、出版社が私に
『あなたの書き方で書き直して貰えないか』と言われ困っているの。」
「父のでは駄目なのでしょうか?」
「ダメって言うよりあまりにも重たすぎて読者が辛い思いになるから、と言われたの。あなたも知ってくれているように、私が書いた内容は、どちらかと言えばソフトな感じで、軽い流れって言うか、わかって貰えるでしょう?」
「ええ、僕は当事者だから父の書いた内容も迫力があり問題ないと思いましたが、そうですね・・・まったく赤の他人なら確かにリアルって言うか重いでしょうね。」
「だから出版社はあなた流に書き換えて第二弾として出して貰えないかと、勿論今度の作品はあなたたちの家族のことを鮮明に描いて貰いたいって言うの。きっとお父さんも喜んでくれると思うわ。」
「でも父の立場になったら複雑なことは複雑でしょうね。」
「確かに。あなたのお宅へ出版社がお邪魔して、お父さんに急き立てるように書かせた様ですから、虫のいい話だと思うけど。
「いえ、わかりました。兄とも相談しますが、おそらく父は喜んでくれるでしょう。これまで一度だってきちんとした本は出来なかった事実があるわけですから。
構いませんよ。先生の思う様にして下されば。父が言いたかった事はわかって貰える筈ですから、その所を生かして下されば」
「私ねぇ、あなたが前に言っていたお父さんの心の内を、あれから気に成っていてずっと考えていたの。
あなたが言うように、お父さんは潔くお母さんの元へ逝ったのなら、私のような者が生意気に、あなた方家族の本を書いたりして良いのかなと、あの日あなたの考えを知ってある意味ショックだったの。
何一つ困った出来事も経験のない、はっきり言って順風満帆に育って来た私が、艱難辛苦を嫌と言うほど味わっているあなた方家族を、知ったか振りして書き綴って良いのかと悩んでいたの。
本は今も順調に売れていて増刷したと聞かされているわ。だから余計に辛くなってきて、それで毎日のようにあなたのお父さんが書かれた原稿を読み返しているの。
私のって、お父さんの原稿に比べれば相当甘いように思うの。」
「でも先生それがよくってみんなが感動して増刷されているのでしょう。
だから売れるとか売れないとか、それは出版社の方にお任せして、言われるようにするべきだと思いますよ。
だから変に気を使われて道を間違えてもいけないと思いますよ。
二作目を書くにしても今までの先生の立ち位置って言うか、スタイルを変えないで取り組むべきだと思いますよ。
父の原稿を世に出して貰っても、全く売れないばかりか、お金を出して読んでくれた方が、暗い気持ちに成ったりするようじゃ意味ないですからね。
読者は何を求めるかなんて素人にはわかりませんからね。
先生、先生の考えの中で、父の原稿を利用してください。出版社が第二弾を考えてくださっているなら、その原稿が基軸になって、先生流に生まれ変わるなら大いに父も喜ぶでしょう。」
「よかった!あなたに電話して。真我君 私、お父さんのためにもお母さんのためにも、頑張って書いてみるわ。多分にこの原稿を引用させて貰って書いてみるわ。」
「お願いしておきます。」
それから半年が過ぎたとき、
絵際沙紀先生が和佐俣家にやってきて、一冊の本を仏様の前に供えた。
そして手を合わせ、
「お父様、お母さま、この様に本になりましたので、お持ち致しました。
それで原作者の所はお父様のお名前と、私の名前の共著にさせて貰っています。
出版社の方の案で、それが何よりであると私も思います。
出版に当たり、真我君にもお世話になり、賢真さんにもご理解いただき、多くのこともしつこくお聞きし、一部想像もありますが、こうして立派な一冊の本が出来上がりました。
お二人が歩んできた道は険しかったかも知れませんが、それに短かったかも知れませんが、【夫婦】と言う二文字の中身が、あなた方ほど尊く深い意味のある方は居ないかも知れません。
お二人は最期までご自分の立場を主張しなかった。
愛しき人のことだけを考えての潔い行動であり、そこに大いに意味が存在しているように思われます。
お互いが、愛する人に命を差し出す夫婦など外に居るでしょうか?
【愛する事】とはこれほど深い意味があるものでしょうか?
解っているようで解っていないです。
第一私がそんな夫婦になれる自信や覚悟など悲しいかなありません。
でも、それでも、あなた方のような人物になりたいです。そしてそんな人と巡り合いたいです。
多分お二人は誰よりも幸せだったのだろうと、この小説を書き終え、出来上がった今、ひしひしと感じています。
お二人に出会えたことを、深く、深く感謝申し上げます。
ありがとうございました。
重ねてご冥福をお祈りいたします。
(ホイットニーの歌が流れ)
長らくに渡りご視聴有難うございました。
忙しい世の中になり、人間関係が希薄になってきて、夫婦は勿論のこと、家族でさえもその傾向である昨今
それ故にこんな小説が出来上がったように思います。
ご視聴の皆さま
夫婦、そして家族、或いは愛する人を思い
聞き終えた今、
何かを心に感じていただけたでしょうか?
幸せを見つけられたでしょうか?
そう願ってやみません。
了
(この物語はフィクションです。)
題名 2人が愛した葛城山
筆者 神邑 凌
お疲れさま