青木裕紀 Monologue
「私、知りませんっ 本当に知りませんっ」
寝足りなさそうな金髪の女性を引きずり出し、部屋の捜索に入るとすぐに間宮のボストンバッグから巻物が発見される。解けて見ると、植物の図柄の絵画だ。床の間に飾ってあるものと同じ絵だ。
「山岸。間違いないか?」
「はい。これが本物です。今かかっているものが贋作でしょう」
「よし。間宮さん。署でゆっくり話を聞かせて貰いたいのですが?」
「いいですよ。これ私知らないもん。私のじゃないもん」
まるで小学生の女の子のように拗ねていやがる。ひょっとして頭おかしいのでは?
「田中。連行しろ。手錠はいい」
「ハイ、課長」
呆気にとられる金光を横に、俺達は階下へ降りる。
「女将。間宮さんのカバンからお宅の絵が発見されました。部屋に飾られていた絵も捜査で入り用です。後日返還しますのでご協力お願いします」
女将は明らかに動揺し、
「はい… でも…間宮先生が… 信じられない」
それはそうだろう、一流文化人が部屋の絵をすり替えるなんて、思いもよらなかったであろう。
「女将。ちょっと」
「はい?」
俺は女将と二人きりになり、そっと囁く。
「あくまで個人的意見なのですが… 彼女は、シロかもしれない」
「えっ…」
顔は困惑した表情だが、目に希望の光が宿る。
「徹底的に調べますよ。彼女がやったのか否か、もし否なら誰が、を。そこで女将。あ、金光、丁度いい、お前にも頼みがある」
金光が心配そうにこちらを見ているので、こちらに呼ぶと、
「ああ、何でも言ってくれ」
「昨夜の句会の出席者全員の名簿を提出してくれ」
「それは… 昨夜あの場にいた者全員という事だな?」
また、笑みが溢れてしまう。金光ほど察しの良い、頭の回転の早い男を俺は知らない。
「昼までには用意できる。どこに持っていけばいい? 名刺の所か?」
「その通り。あと女将。この絵が飾ってあった部屋の過去十年分の宿泊者名簿を頼みたい」
「わかりました。後程金光さんにお渡しします」
「頼みます。私の勘が当たることを祈っていてください」
「はい、是非…」
「頼むぞ、青木!」
信頼しきった目で俺を見つめる。
玄関を出て車に向かう途中、先程の金髪の女性が後を追ってくる。
「おい、待てよ」
「何でしょう?」
「アイツが… ゆーこがこんなことする筈絶対ねえ。ちゃんと調べろ」
妙に目力のある女。これがあの、
「島田光子さん」
島田はギョッとした顔で、
「へ? なんでアタシの名前…」
俺は目を細め、脳内のファイルをゆっくりと紐解いていく。
「間宮由子と中学生時代に先輩後輩の関係。間宮が十四の時に起こした窃盗事件。それに憤慨して放火未遂。」
「ちょ… 何でそんなこと知ってんだよ…」
「それと。金光が蓮田SAで轢き逃げされた後の救命、その後の入院生活での付きっきりの介護補助。」
島田の目がキラリと光り、細く鋭い目となる。
「オマエ… ハムか?」
公安をハムと呼ぶか。相当警察慣れしている。
「昔の部署でしたが、今は刑事部捜査二課です。」
首を傾げながら、
「二課って… 詐欺とか脱税とかだろ… 盗難は三課じゃねえのか?」
昔からずっと警察に面倒をかけてきただけあって、警察組織を熟知している様子につい微笑んでしまう。
「フッ 流石にお詳しいですね。ですが今回の件は盗難事件ではありません」
「じゃあ何の容疑なんだよ?」
「簡単に言えば、贋作を使った詐欺事件、です」
ほんの一瞬。瞬きをする。どうやら寝耳に水といった訳ではなさそうだ。ひょっとしたら間宮絡みで何か出てくるかも知れない。
「アイツはそんなのに関わっていねえ。絶対!」
「それをこれからしっかり捜査するのです。島田さん、任意で結構ですので是非貴女にも事情聴取をお願いしたい」
島田はその鋭い目で俺を睨みながら、
「わかった。後で…アイツと…行く。」
「お待ちしています。」
先導する車に乗り込み、チラリと後続の車の様子を確認する、どうやら間宮は大人しくしているようだ。
「課長、間宮は組織に関わってないのですかね?」
石田が疑うような視線で問うてくる。静岡県警生え抜きの二十八歳の若者だ。
「おそらくな」
山岸が運転しながら、
「だとすると、密売組織と間宮を繋ぐ人物…」
「それだ。今日中、遅くとも明日までには解明するぞ。いいな!」
「ハイ」「はいっ」
島田光子。取り寄せた資料を読んだときは呆然とした。十代の頃の暴れっぷりには目を疑い何度も読み返した。二十代から最近に至るまでも恐喝、傷害、器物破損など。それらの案件をザッと見ただけだと、犯罪心理学で言う典型的な『犯罪性格』者だ。
しかし各事件を照査すると、意外な事実が浮かび上がってきた。それは殆どの事件が彼女自身が原因ではなく、家族、友人、知人に関わる事が原因であった。
ごく最近だと、昨年九月十七日『居酒屋しまだ』にて客に暴行し重傷を負わせた事件。事実は泥酔した三十代の男が二十代の女性客に絡み、かつ性的な接触行為に及び、それを止めようとした際、男の顔面を殴打し男の鼻骨が『粉砕』された…
当初、何故こんな女が金光に纏わりついているのか理解が出来なかったが、彼女の起こした事件を掘り下げていくうちに、金光との共通点を見出し、深く納得してしまった。
その共通点とは。『他人のため』
金光も大学時代、そんな男だった。同じバスケットサークルで先輩と激しくやり合ったのは、新歓コンパで無理矢理一気飲みをさせられた同級を庇っての事。試験でカンニング疑惑をかけられた同級生の為に、学長に直談判をしに行った事も思い出される。
多少自己に甘い点はあった〜練習をサボるためにウソをついたり。ただそのサボった理由が同級生のバンドのライヴを応援する為だったり。
そんな彼は俺にとって眩しい存在であった。試験前に特に勉強する事もなく、成績は常にトップクラス。下級生からの人望は厚く、女性によくモテていた。一時期、そんな彼に激しく嫉妬し、練習をサボった時には怒りに任せ相当な暴言を吐いた。彼はそれを黙って聞き、もう二度としないから許して欲しいと言った。
それから彼は俺によく話しかけるようになり、気がつくと卒業までの間まるで親友であるかのような付き合いが続いた。俺は人格否定までしたあの暴言をどうして彼は許し、以降俺を頼るようになったのか不可解であった。
「俺にあれだけの事を言ってくれた奴は、お前が初めてだったんだ。お前は信用できる。」
飲み屋でそう聞いた時、俺は己の小さく狭い人間性を呪った。嫉妬に駆られて暴言を吐いた俺をこいつは大きな器で取り込んだ。敵うはずが無い。そう思った瞬間、ふっと肩の力が抜け、彼への嫉妬心がスッと姿を消した。
大学四年の早々に彼は大手都市銀行への内定を受け取った。俺は会社員になるのは性格的に向いてないと思い、国家公務員試験の準備を進めていた。
「お前なら一次は楽勝だよ。で、どの官庁に希望出すの?」
「さあな。まだ決めてない、というか、よくわからん、自分の向き不向きが。金光、お前どう思う?」
「そうだな。大蔵省…だと、俺の天敵になるのか。運輸省… なんか違う。国土省… もっと違う、厚生省? 労働省?」
「あのな… 俺の性格からの、向き不向きを…」
「そうだ、警察庁は? お前の実直さと正義感。それに手っ取り早く上目指すなら、警察庁だってゼミの先輩が言ってぜ」
「警察… 全く考えてなかったわ…」
数ヶ月後。俺は警部補として任用されていた。
卒業式の夜、飲みながら彼は俺に言った。
「俺もお前も出世はできねえよ。だってすぐ上と喧嘩しちまうからなあ。ま、上から下を見下ろすのも悪くなさそうだけどさ、下から上を見下す方がもっと面白そうじゃね?」
「お前らしいな、金光。これからは会う事も少なくなると思うが、いつもお前の事は気にかけておくよ」
「ああ。俺もだ。転勤先が同じ地域ならまた会おうぜ!」
その後の彼は俺とは違い、社会と世間の垢を上手く飲み込み、トントン拍子に出世を重ねていく。三年前の不幸により銀行員としての前途が消え、少なからず心配していた。この八月、栃木県警の知り合いからSAでの轢き逃げ事件を聞き、背筋が凍った。
犯人はナンバーを巧みに隠しており、目撃者の情報も曖昧なものが多く、当初捜査は難航した。俺は犯人は逃走後車を処分したと考え、車の闇処分屋のリストを県警の知人に送り捜査を促した。
数週間後、群馬県の処分屋がヒットし、犯人は捕まった。その処分屋が政治家がらみであった為、事件解決が全国報道される事はなかったので、大学の仲間にそれを知らせた。本当は数十年ぶりに金光の顔を見たかったのだが、今のこの事件の捜査が忙しく、それは叶わなかった。
先週、警視庁から連絡が入る。TVで人気の俳人の間宮由子が贋作を購入し、ある旅館にある本物とすり替えようとしている、との情報がタレ込まれた、と。その贋作がどうやら今俺が追っている闇業者から流れたものと推察され、間宮の周辺を洗っている最中に何と『金光軍司』の名前を発見した。間宮と金光の接点は『島田光子』という女性であった。
旅館を調べると間宮由子主宰の句会が開かれる事がわかり、更に調査すると金光の転職先の旅行代理店が仕切っていることが分かった。当然その責任者は金光であることも。
ここで俺は引っかかる。あの金光軍司がこんな詐欺事件に絡むはずがない、当然その周囲の人間が関わっている筈がない、と。
とすると、あの天然ボケの人気俳人が老獪な詐欺師にまんまと引っかかったと考えるのが正解ではないか。俺の本能がそう囁く。
それを立証するには先程山岸巡査長が言ったように、間宮と密売組織を繋ぐ第三者を特定しなければならない。
そこで俺たちは万全の準備を行い捜査令状を取り、今朝の踏み込みとなったのだ。目的は間宮由子の確保、そして間宮及びその周囲の人間の供述を取るためだ。当然、金光も、である。
何十年ぶりの金光は何ら色褪せることのない輝きを放っており、事故の後遺症で足を引きずっているのが多少痛々しかったが、徹夜明けの俺にとってその眩しさは久しぶりに目が眩む感じがした。
過去に浸っていると、あっという間に署に到着する。副署長に報告に行くと署長室だと言うので署長室に向かう。署長は去年赴任した磯部駿警視、三十二歳。東大法卒のキャリア組だ。
「青木先輩。わかってらっしゃると思いますが、相手は人気タレントです。どうか宜しく…」
キャリア組なので、課長の俺に対しても敬語を使ってくる。頭脳明晰だが決断力に欠け優柔不断な面が否めない。まあ、キャリアの若造なんてこんなものだ。
「青木課長、頼みましたよ。またあの時みたいに自殺未遂とか、勘弁してください」
副署長、矢崎亮一警視。四十八歳、静岡県警叩き上げのノンキャリア組。捜査一課で活躍し、現場上がりの実に優秀な男である。
「ハアー。わかってるよ。大丈夫です、使えそうな協力者もいますので」
以前、県会議員絡みの収賄事件で、秘書を締め上げすぎて自殺未遂をされたことがあり。
「えっ? 自殺… ないない、間宮由子に自殺なんてされたら僕… ヤバイヤバイ…」
他の署員の前では偉そうなのだが、俺の前ではお子ちゃまぶるのだ。これも意識してやっているのだから、コイツはそこそこ上に行けるのではないか。
「ハアーー。だから、大丈夫だって。礼儀正しく、丁寧に。礼節を持ち〜」
矢崎副署長がニヤリと笑いながら、
「頼みますよ、課長。でないと、署長飛んじゃうから」
「ヒイー こ、こんなトコで躓いてらんないって、マジやばいって… ううう」
署長室を後にしながら、二人で噴き出してしまう。
「ったく、副署長は人が悪い。あんなこと言ったら、キャリアの若造は皆ビビるって」
「ギャハハ〜 それが楽しいんだって。てか、アンタだってキャリア組じゃないですか? 何故か県警本部の捜査二課長で落ちぶれたフリしてっけどさ」
「いやいや俺は脱落組。アイツはまだまだこれから出世の道を突き進む組。優しくしてやんなさいよ」
「フン。アイツらはあそこに大人しく座ってりゃいいの。そんで後は桜田門で己の栄達を極めてりゃいいの。俺たちの邪魔さえしなきゃいいの。って、アンタは別な。アンタはこっち側でバリバリやってもらわないかん」
俺は矢崎の肩をポンポンと叩きながら、
「ありがとな、副署長」
「しかしキャリアでこんだけ現場しがみついてんの他にいるの? 新宿鮫以外で?」
矢崎が腹を抱えながら問うてくるので、
「それな。まるでつまんない小説みたいだろ?」
「自分で言うかよ、『沼津鮫』さんよお」
俺はムッとしたフリをして、
「おい、その通り名、やめろって。俺にはミュージシャンの彼女はいねえぞ」
俺らは顔を見合わせ、爆笑する。
「まあでも、正直アンタくらいのキレッキレは、ノンキャリじゃあ居ねえわ。悪いけど重宝させてもらってます、課長殿」
「そろそろ間宮の取り調べ始めますので。午後からは間宮の友人関係の聴取も予定してます」
「はーい。いつもみたいにチャチャって片付けちゃって、沼津に飲み行きましょうよ。課長の奢りで〜」
「下から見下ろす、か…」
「へ? なんですか?」
「いや、こっちの話。沼津な、近々」
* * * * * *
「私は静岡県警捜査二課長の青木裕紀と申します。貴女は現在ある容疑をかけられているためにここに来ていただきました」
間宮由子、旧姓河口、五十二歳。東京都江東区出身。都立日々矢高校から早稲田大学文学部卒。講壇社入社後、俳句新人賞を取り俳壇デビュー。
「私に? 私が何をしたって言うのですか?」
テレビのバラエティー番組に出演多数、天然ボケのキャラが人気。
「それは後ほど話します。貴女には黙秘権がありますの…」
「きゃあ〜〜」
離婚歴四回。その類まれな美貌で、数々の男性と恋愛関係を持つ。
「はい?」
「なんか〜 刑事ドラマ見てるみたいっ ホントに言うんだそれ〜」
「…… その様に定められてますので。え〜黙秘権がありますので、自分の不利になることは無理に言わなくても構いません。」
「じゃーー、言ーわないっ」
「そうですか…」
中学生時代、番長グループに属し、所轄署に暴行、窃盗などで補導歴多数。その頃の通り名は『赤サソリの河口』。俺の『沼津鮫』も大概だが、何だ赤サソリって?
「…」
「…」
「っプハー やっぱ無理〜 なんかお話しましょう♫」
あくまで天然キャラを通すつもりらしい。そろそろギアを上げていくとしよう。
「では。貴女には贋作をそれと知りながら入手した疑いと、」
それまでの天然キャラが崩壊し、猜疑心に満ちた表情となる。
「何それ?」
「貴女はこの小倉遊亀の絵を贋作と知りながら手に入れ、」
「ホンモノですっ」
「ですから、」
「この絵は、ホンモノですっ」
目を見開き、俺を睨みつける。ようやく本性が見えてきた。
「その証拠は?」
「だって、見てくださいこの特徴的な色遣い。小倉ならではの柔らかな曲線。そして何より紙の質感。小倉先生の真作に違いありませんっ」
「…… と、誰が言ってたのですか?」
「これを売ってくれた画商の方ですが何か?」
よし。ここまでは想定通り。ようやく枝が見えてきた。
「と言うことは、貴女自身は真作と贋作の見分け方とか、」
「知る訳ないでしょ。だってホンモノなんだからっ」
「…… では、こちらが宿に飾ってあったホンモノです。ご覧ください」
間宮は一瞬ハッとした表情となる。が、すぐに表情を整え、
「あら。そっくり。でもこれはニセモノね」
「その根拠は?」
「だって、色褪せてるし、なんか古ぼけてない? 小倉遊亀先生らしさが見えないわ」
証言が曖昧になってきた。そろそろ本腰を入れていこう。
「こちらのホンモノは七年前に宿が東京の有名な画廊から鑑定書付きで購入されたものです。間宮さん、貴女は鑑定書はお持ちですか?」
眉を顰め、首を振りながら、僅かに唇を震わせ、
「そ、そんなのないわよ〜 だってホンモノだし…」
「では、その絵を買った画商について話を聞かせてください」
目を瞑り、天井を見上げながら、
「ダーメ。ナイショ。」
「そうですか。そのお話を伺えない限り、この取り調べはずっと続きますので。」
「絵ーーー、いやだぁ」
また元の天然キャラに必死で戻ろうとする。僅かに額の汗が光っている。
「……」
「あらっ?」
「何か?」
「あなた、よく見ると〜 ちょっとステキね♫」
「どこがですか」
「顔よ、顔。せんぱい程じゃないけど〜」
「せんぱい、とは?」
「金光せんぱい」
そうか。あくまでキャラですっとぼけて乗り越えようとするか。警察も甘く見られたものだ、ではそろそろ仕上げに入ろうか。
「金光軍司にも午後事情聴取を行います。」
一瞬で顔が般若のようになる。
「え… ハア? あの人には関係ないでしょっ ダメよ、駄目!」
「彼は任意での取調べを承諾してます。貴女が話して下さらなければ、彼と、あと島田光子にも…」
「待って。あの人たちは関係ないっ そんなの酷い!」
口調も甘ったれたキャラ風から、元々の本性であろう東京の下町風になってきている、よし、あとひと押しだ。
「仕方ありません。貴女の供述が取れないなら、彼らから時間をかけてみっちりとー」
「ズルッ インチキ男! 卑怯者!」
俺が目配せをすると山岸が席を立ち、
「オイッ 課長に向かってなんて事を言うのだ、いい加減にしろ!」
「ウルセー、黙れボケ。テメエ調子こいてんじゃねえぞ、コラ」
よぉし、上出来だ山岸。間宮は完全に素を出し始めた!
「お二人とも、当分東京には戻れないでしょうね。島田は店に戻れず、金光は病院でリハビリも出来ず…」
「ちょ、待てコラ! ざけんな、関係ねーだろあの人には! やめろ!」
「少し休憩しましょう。山岸、行くぞ」
「は、はい…」
「待てやおるあー、逃げんかテメー」
* * * * * *
「いやーーーー、あの人…」
「流石、元ヤン…」
「天然ボケ、色仕掛け、そして… 何なんですかね、あの人…」
「あれは落とせませんよ… 長引きそうだな」
俺は呆れた目つきで三人を睨み、
「バーカ。午後には完落ちだ。賭けるか?」
石田は両手を上げながら、
「マジすか課長! 絶対賭けませんけど〜」
「んだよ、つまんねえ。あれはな、仲間だよ仲間」
「は?」
「仲間想いの類の人種だ。自分の事よりも、仲間に害が及ぶのを極端に嫌う」
山岸は首を傾げながら、不満そうな声音で
「そんな義理堅いですかね、あの女。タレントやってチャラチャラしてて…」
「田中をぶん投げた時。どんな状況だった? アイツは何故俺らに立ちはだかった?」
「え… あっ」
「そうか… あん時、自分じゃなく…」
「同室の島田が捕まると思い込んで…」
俺はそうそうと頷きながら、
「自分の事よりも、島田が俺たちに逮捕されるのを恐れた。さっきも仲間が自分のせいで拘束されるのを恐れた。ヤンキー化するのはそういった時だ。特に、島田に対しての仲間意識は強いからな、午後には完落ちだ。焼き鳥賭けるか?」
山岸は全力で首を振り、
「ジュースすら賭けたくないっす。しっかし、綺麗な人ですよね…」
田中はうっとりとした表情で、
「いい匂いがしました… 眼を潰されかけましたが…」
石田は蕩けた表情で、
「なんと言うか、色気? そそられますよね…」
「魔性ですな。ヤバイヤバイ…」
俺はバーカ、と吐き捨て、
「あの容姿、庇護欲をそそられる立ち振る舞い。全部、計算だ。騙される男がバカだ。」
三人は炎天下の路上で轢き潰されたガマガエルを眺めるような視線で俺を眺め、
「うわーーー、キッツー」
「さすが、沼津鮫っ」
「流石、永遠の未婚男…」
「おいっ 本人の前で言うかソレ、沼津鮫だけはやめろ」
と厳しく注意する。
休憩後の取り調べは田中に任せる、当然彼女は完全に黙秘だ。こちらも焦らずにその姿を見つめる。今の彼女は怒りに打ち震え、修羅の如く田中を睨みつけている。世間の男は弱々しく放っておけない彼女の姿に心奪われ堕落していく。今の彼女を見て、彼らはどう反応するのだろう。
昼食後、金光と島田が連れ添って署に到着する。署の正面玄関前に物凄いブレーキ音を立て到着したものだから、地元ヤクザのカチコミかと四課の連中が色めき立つ登場に苦笑いだ。
金光は軽くびっこを引きながら、それが島田の運転によるものでないことを祈りつつ、真っ白な顔で俺に会釈する。
「遅くなった、すまん。由子ちゃんの状況は?」
「完黙だ。親の仇の如く俺たちを睨み続けてるよ」
島田が揶揄うように、
「へーー。随分と嫌われたもんだな、刑事さんよお」
流石に金光は警察署内で緊張気味なのだが、彼女は平然としている。本当に警察慣れした女性だ、正直やり易い。
「いいんだ。それよりも島田さん。間宮の疑いを晴らすには貴女の供述が是非必要です。ご協力お願いします」
頭を下げると金光も、
「光子、頼む。何でも話してやってくれ。コイツは本当に信用出来る男だ」
島田は俺をジロリと睨みながら、
「ふん。アンタ、ウチの人のダチだったんだって?」
「コイツはどう思っていたか知りませんが。」
大きく息を吐き出し、
「ふん。コイツに頼まれたんだからな。しゃーねえ。何から話せばいいんだよ?」
想定していた以上に、島田の供述は貴重なものであった。我々が全く辿れなかった、間宮と闇業者の間の人物の存在に課はどよめき動き出す。間宮がこの一連の事件を引き起こしたのではなく、間宮がこの事件の囮である事が判明し、署が騒然となる。
島田の供述に従い、二課の数名がすぐに東京へ向かう。俺もスマホを片手にあちこちに連絡を取りつつ聴取を続ける。供述が終わり、すぐに間宮の取り調べを再開すべく部屋を出る。
「二人とも今夜は?」
「アタシの息子んトコ」
島田龍二。三十五歳独身。山口大学獣医学部卒、三津浜動物病院勤務。地元では有名な、
「三津浜のドリトル、ですね?」
金光が感心したように、
「へー。こっちでは龍二くん、そんなに有名なのか?」
「いや、全然。地元の一部でな。今夜、食事でもどうだ? 久しぶりに」
金光の懐かしい蕩けるような笑顔。
「いいね。何か美味いもの食わせろ」
島田も口から涎を垂らしながら、
「酒もな、旨―い酒っ」
俺は軽く吹きながら、
「いいですが、去年の様に泥酔客にチョーパンは勘弁してくださいよ」
ギョッとした顔が意外に可愛い。
「…… オメエ、何で知ってん…」
「何々〜? ソレ…」
おっと。金光には話していないようだ、危ない危ない…
「ああ、また後で。連絡する」
「ああ… おい光子… 何だよ、チョーパンって…」
* * * * * *
取調室で完黙を続けていた間宮に、島田の供述内容を詳しく伝える。話すに従い、間宮は顔をあげ俺の顔を見るようになる。
「…… と言う訳で、島田さんが全て話してくれた。岩倉の居場所も今日中にわかるでしょう」
間宮は本当に悔しげな、いや申し訳なさそうな表情で、
「光子先輩… ハアー またお世話になっちゃった…」
「それで。本当に貴女は掛け軸を自宅から持参した覚えが無いと?」
キッとした顔で机をドンと叩きながら、
「ある訳ないでしょ。一昨日部屋に入って、夕ご飯食べた後初めて『あ、ニセモノが飾ってある』って見つけたんだから」
「宿の掛け軸から貴女の指紋が多数発見されています」
イタズラっ子が悪戯を見つかった顔付きで、
「…… 色々弄ったから…」
「今朝貴女のボストンバッグに宿のホンモノの掛け軸が入っていた訳ですが。心当たりは?」
「ぜんっぜん無い。そんなこと出来るの、アタシと光子先輩と… 宿の人くらい?」
いい感じで嘘なき供述が取れている。
「昨夜の句会の間。部屋の鍵は?」
「光子先輩」
「島田さんはある男に、貴女のマネージャーだが、忘れ物をしたので鍵を貸してくれと言われたそうです」
あれれ、と首を傾げながら、
「マネージャーは昨夜は私に付きっ切りでした。それに部屋に忘れ物なんてしてません」
そのマネージャーと語ったのが岩倉であるならば、話は全て繋がるのだが……
「ところでその絵は家のどこに掛けていたのですか。見やすい場所ですか?」
「それがねえー よく覚えてないんだー。岩倉と画商がウチに来て絵を三幅置いていったんだけど… あーー」
「何か?」
「鑑定書…」
「それが?」
「そうだ。この絵だけ、鑑定書がまだなので、暫く預からせてくれって…」
「だから貴女は先程鑑定書なぞ無い、と言った…」
「ん? そうなる…のかな?」
「それで良いです。山岸、記録。」
「はい。了解です」
すかさず山岸がノートパソコンのキーボードをタカタカ叩く。よし、そろそろ大詰めだな。
「ともあれ、貴女は本当にその画商の絵が贋作だとは夢にも思わなかった。ですね?」
「そうよ。そんな事ぜーんぜん」
「ちゃんと言ってください? 貴女は…?」
俺の強目の言葉にギョッとしつつ、
「え? ああ、えっと、この絵が贋作だなんてちっとも…」
「夢にも」
「あ、ええ、夢にも思いませんでした… ねえ…ちょっと?」
俺は深く何度も頷きながら、
「そして、今はこの絵が贋作と知り、深い悲しみに沈んでいますね?」
「ちょっと、ちょっと、ちょっと。何言わせてんのよ。そんな事…」
俺は間宮にニヤリと笑いながら、
「思っていませんか? 後々裁判でこの供述書は有力な証拠となるのですが。」
ゴクリと唾を飲み込み、カクカクと小さく何度も頷き、
「そ、そうなの? そーなんだ〜 よーし。いい、ちゃーんと書くのよお〜 私はこの絵が贋作と知り、あまりのショックで飛び降り自殺を図…」
この女、またぶっ飛び始めたぞ、
「…… 嘘はいかんっ ったく何考えてんだ…」
「あら。だってアンタが裁判で…」
「そこで飛び降りたらこの調書作成時と辻褄合わんだろうっ」
間宮は憮然とした顔で、
「そこはアンタ何とかなさいよ。プロでしょう。」
何だコイツ。この場になって、天然もクソもない、ただのわがまま女に… 本性全開ってやつだなこれ… 俺もちょっとムキになり、
「ぷ、プロって… アンタ仮にも本邦を代表する歌人だろうがっ 何つー事…」
「俳人です。歌人でも廃人でもありませぬ〜」
勝ち誇った顔が睡眠不足の俺のカンにベタベタ触れている!
「廃人? それアンタにズタボロにされた男達の成れの果ての事か?」
真顔でムッとしながら、
「ハア? ちょっと酷くない? 警察に言うわよっ」
「わたし警察ですが何か?」
田中が笑いを堪えながら、
「ちょ、ちょっと課長〜 今のも全部書きますか〜」
「バカあー な訳ねえだろっ」
「ちゃんと書きなさい、一字一句よっ 裁判で…」
堪りかねた石田が冷たい麦茶を持ってきてくれ、それを一息に飲むと少し落ち着いてくる。石田が俺の耳元でニュース速報を知らせ、俺は思わず眉を顰める。
「ハアハア。それより間宮さん。残念ですが…」
「え… 先輩とせんぱいが脱走したんですか… そんな…」
イラッ この女は俺をイラつかせる天才かもしれない。
「いるし。捜査に協力的だし。今夜メシ食うし」
指を咥え、ぶりっ子風に
「えーー、いーなー。わたしもちょろっと〜」
全く。いい大人がみっともない。こんな仕草に惑う男がいることが信じられない…
「それは無理。それよりも残念ですが、どうやらマスコミが騒ぎ始めています。」
「あっ」
「すぐに岩倉を見つけ出して吐かせますので、それまでの間は相当酷いバッシングを受けるかと…」
「マスコミ…」
間宮が急に項垂れる。昨夜までの彼女には想像もつかないであろうバッシング。絵画泥棒、贋作購入疑惑など… きっと過去も全て洗いざらい暴かれ、あっと言う間に地に落ちた評判に愕然とするのだろう。
「マスコミ… で、思い出した…」
不意に顔を上げ、確かな視線で俺を見つめる。
「昨夜… 句会に… マスコミ席に、居たのよ、岩倉が…」
やはり……
* * * * * *
これで完璧に繋がった。宿に対しては偽名で取材許可を申請していたのだろう。金光の持ってきた名簿には岩倉の名前がなかったのだから。
すぐに所轄に連絡し、『あおば』近辺及び駅周辺の防犯カメラのチェックを依頼する。島田と間宮の供述から、宿に連絡し二人の泊まった『楓の間』の鍵の保全を依頼する。鑑識に連絡し、名簿についた指紋の検証ともう一度楓の間を髪一本逃さず捜索するよう指示を出す。
「よく思い出してくれた。これで昨夜の流れがほぼ繋がった」
間宮は俺の言葉が耳に入らぬ様子で、
「それと〜 岩倉は、ハゲ隠しの黒いベレー帽を被って、ベージュのコートを着ていたわ〜
そうだっ こんなのどう?『ハゲ隠し 帽子の男 追跡し』 ご馳走さま♫」
田中はちょっと真剣な顔で、
「ええと…『ハゲ隠し 帽子の男 』アレ? 何でした?」
「バカヤロウ! そんなの書くなっ 田中っ すぐ所轄に連絡っ」
直立し俺に敬礼しながら、
「ハイッ」
机をドンドン叩きながら、
「ちょっと! 馬鹿って何よ! 頭きた〜 もう知らないっ 黙秘っ プン。」
「山岸っ 県警本部に連絡っ 県内主要駅及びバスターミナルの防犯カメラのチェック。」
「ハイッ」
「あと… 港も一応チェックだ」
「わかりました!」
「石田っ 署長に警察庁への協力依頼、すぐにっ。 高跳びの可能性もあるから、羽田、成田、関空、中部などの国際空港のチェックもだ!」
「了解ですっ」
一気に事態が動き出す。まあ事件が解決する時なんて、こんなものだ。次々と部下に指令を出している俺を間宮は何故かうっとりとした目付きで、
「…すごい… ホントに、刑事ドラマみたい…」
アホか。ドラマなんて所詮演技だろうが、筋書きがあるのだろうが。こっちは全て本気、細い糸をそっと手繰るしかねえんだよ! 俺はスマホでメールを書きながら、
「黙秘したんじゃないのか?」
「ねえねえねえ、何でそんなにいっぺんにいろんな事が出来るの?」
話しかけてくるな、ええとタクシー会社への連絡はー
「邪魔すんなっ おい、誰かいないかっ」
目をハート型にしながらいちいち絡んできやがる、留置所にでも放り込むか?
「ちょ、カッコいいよアンタ… ヤバ…」
「課長、お呼びでしょうかっ?」
所轄の刑事が駆け込んでくる。
「黙れ! いや、すまん、君に言ったんじゃない、県内のレンタカー屋にチェック入れてくれないか?」
彼は目を白黒させつつも。
「わかりましたっ」
「すっご… ねえねえ、お兄さん〜」
「うるさい。『青木だ。どうだ? うん。うん。そうか。よし』おい、誰かいないかっ?」
「キュン キュン キュ〜ンッ」
「誰かっ この女を留置場にーー」
* * * * * *
七時過ぎ。俺は署を抜け出して、行きつけの小料理屋へとタクシーを走らせる。怒涛の夕方だった、だがそれも間も無くケリがつくであろう。店に着くと既に二人は奥に通されているらしい。
「で。大丈夫なのか? 俺らとノンビリ飯食っててー」
駆けつけ一杯を島田に注いでもらい、俺は一気にそれを飲み干す。
「プハー。ああ、あとは署長に任せてきた」
「署長を… いいのか?」
「ああ。可愛い後輩だからな。もうすぐ地方の警察署長巡りを終えて桜田門戻りだから、手土産持たせてやらんと」
島田が呆れ顔で、
「下っ端のくせに、コイツどんだけ上から目線なんだよ」
俺は二杯目を注いでもらいながら、
「いや、これは下から見下ろしてんだ」
注ぎ終えたビール瓶を弄びながら、眉を顰めて
「ハア? 下から? 見下ろす? お前、本当に大学出か?」
金光が俺をマジマジと眺め、それから大爆笑する。
「しかし、流石だな。事件発覚から一日も経たないうちに全てに目星つけてしまうなんて」
「それなー。アンタ、ホントにただのお巡り?」
「アホ。コイツは国家公務員試験に合格して警察庁に入った、キャリアだ」
島田はそんなことは有り得ないと断言した顔付きで、
「嘘つけ。そんなエリートが何でこんな田舎のお巡りやってんだよ?」
「それなー。青木、話してくれよ」
俺は苦笑いしながらグラスを口に含む。銀行を辞めたくせに一目で銀行員とわかる私服姿の金光。金髪をポニーテールで纏め、ほぼスッピン。安物の白いセーターに履き古したジーンズ。全く対極の世界の男女を眺めながら、さてどこから話したものだか頭を巡らせる。
自分の入庁してからのこれまでの話をザックリと話し終えると、金光は腹を抱えて大笑いし、島田は腕を組み何度も頷いている。
「いやー、お前らしい半生だわー、わりーけど笑えるわー」
と笑い続ける金光の頭を叩きながら、
「バーカ。中々出来ねえ生き方じゃんか。出世よりも現場、か。ああ、そんだから『下から見下ろす』んか。アンタのマブダチだけあるじゃねーか、大したもんだ」
と滅茶苦茶評価してくれる。ちょっと嬉しい。
その後、彼らの馴れ初めを聞き出し少し驚く。そんな偶然が? そのケンタなる友人を使った島田の陰謀なのでは、と疑うも島田が偽証している形跡はなく、不本意だがその馴れ初めを鵜呑みにする。
「そう言えば、大学の奴らがお前から事故のこと聞いたって言ってたぞ」
その件について洗いざらい話してやると、島田が何故かブチ切れ始める。
「当然、そいつ死刑だろうな? ああ?」
「心情的には絞首刑の上電気椅子に縛り付けてやりたい所だよ」
島田は嬉しそうに、
「話がわかるじゃねーか。ほら、飲め、もっと飲め。てか、なんでマブダチのアンタは見舞いに来なかったのさ? 冷てーじゃんか」
「ああ。この事件が解決したら、病院に見舞おうと思っていたが、コイツとっとと退院しちまったからな。一体どんな回復力だよ、トカゲかよ?」
島田が爆笑して俺に覆い被さってくる。のを巧みに避けていると、
「それよりよ、この事件の全貌っての? 教えてくれよ。」
金光が物欲しそうな顔でねだってくるのだが…
「すまん。明日か明後日、犯人が捕まったらな。もうちょっと待ってくれ」
いやらしい目付きで俺の肩を組みながら、
「焦らすな〜 このヤロー。女もそんな風に焦らして料理すんのか、ええ?」
ちょ… 近いって… ほら、金光が指名手配の殺人犯の目付きで俺を…
「しかし、金光。お前、いい女見つけたな」
俺がしみじみと呟くと、
「お、おい… ちょっ な、何コイツ言い出してんの…」
島田がちょっとビックリするほどキョドリだすのについ吹いてしまう。そんな金光は、だろだろ、と同意を促す表情で、
「おっ 照れてる照れてるっ な、青木。結構可愛いとこあるだろ?」
うむ、確かに。って、この冬に五十三歳になる女
「おまっ… ん、何なんだよおまえら」
島田光子は真っ赤になってそっぽを向いてしまう。そんな彼女を金光は愛おしそうに眺めている。
「それにしてもよっ 何だよあの報道っ『間宮由子、贋作塗れの人生?』ってよ!」
島田がキレながら吐き出す。
「堪んないだろうな、由子ちゃんも… あ、地元の由子ちゃんファン達、大丈夫かね…」
「今頃TV局殴り込み行ってっかもな〜」
「明日の新聞とかも、酷い書き方するのだろうな…」
ふと思うところがある。のでそれをぶつけてみよう。
「ところで… 間宮由子って… TVで観るあの天然は、昔からああなのかい?」
島田はウンウンと頷きながら、
「昔っから変わんねー。あいつが中一で入学して来た時さぁ」
「江東区立深川西中だったか?」
「おう、それそれ。いきなりアタシの前に出て来てよ、」
「ゴクリ。」
「『アンタ。アタシの舎弟にしてやるよっ』って。みんな大爆笑」
「うわ… 天然だ…」
「アイツ昔から可愛かったんだよ。ヤンキーの先輩からラヴレター貰ってよ、」
「ゴクリ。そ、それで?」
「赤ペンで誤字脱字を添削して突っ返して〜『四二点。追試。』だってよ…」
「…… 採点基準が気になるぞ…」
「ま。何かに秀でたヤツって、なんか変なの多いからな〜 ウチの長男とか〜」
「島田龍二。三津浜動物病院勤務。アンタの二番目の子供だな」
「そ。でもゆーこはコミュ力スゲーからな。ダチ多いしよ」
「あと、魔性… 青木、お前も気を付けろよ。俺らが敵うオンナじゃないからな…」
俺は首を傾げながら、
「そうか? 天然ボケは痛いが、本来の彼女は下町っ娘らしくチャキチャキした気持ちのいいヤツじゃないか。魔性? 何じゃソレ?」
「ハアーーー?」
「えええええ?」
「な、何だよ。俺間違ってるか?」
「…… コレだからエリートっつうのは…何見てんだか…」
「…… コイツ、昔からオンナ見る目なかったからなあ…」
「金光っ お前に言われたくないっ ディスコ行ってナンパしたり、試合にチャラい女子連れて来てたりー」
島田の眉が有り得ない角度でひん曲がり、目が鋭く爛々と光りだし、
「へーーーーーーーーーーー。オマエ、名前なんつったっけ?」
コ、コイツ…
「青木… 裕紀… だが」
「おう、ヒロ、もっと話せっ コイツのオンナ関係、全部言えコラッ」
「ヒ、ヒロって…」
代行が二人を三津浜へ送っていった。署に連絡を入れると三島のレンタカー屋がヒットしたとの事。すぐに署に戻ると伝え、タクシーを拾う。
何て気持ちのいい酒だった事だろう。学生以来、こんなに語り、笑い、突っ込まれた酒の場は無かった。
何と気持ちのいいヤツらだろう。金光は何一つ学生時代から変わっていなかった。彼は何度も『お前も何も変わってないな』と俺に言った。そんな筈はない、この三十年で俺は変わった筈だ。そう言うと『コレからはちょくちょく飲もうや。そうすれば、分かる』と言った。
島田はその経歴と見かけで人間像を捉えてはならない人間だ。生まれながらに人のために生きるー その生い立ち、これまでの生き様を調べ、こんな人間が未だに存在するのか何度も目を疑った。そして実際に会い、酒を酌み交わし、本当に居たのだと心底驚いた。あの金光がゾッコンな訳だ。何よりも直向きさを愛する彼にとって、彼の人生でやっと出会えた運命の人なのだろう。
タクシーが署につき、署長室に向かう。夜十一時過ぎだが誰一人帰った気配がないほど騒々しい。それもそうだ、何年にも渡り追い続けていたヤマが間もなく…
「署長。進捗状況は?」
「先輩、お帰りですか。先輩の読み通り、岩倉は三島でレンタカーを返した後、新幹線で名古屋へ、そして中部国際空港から今夜の便でバンコクに飛ぼうとしていました。間もなく空港で身柄を確保します」
「成る程。あとは時間の問題ですね」
「ハイッ こんな、こんな大事件を僕が… 先輩、本当に感謝です!」
「油断するな。岩倉を確保し、ここまで護送されてから礼を聞く。気づかれて潜られると今までの苦労が水の泡だ。すぐに中部空港周辺のタクシー会社に連絡。」
「そ、そうでしたっ 了解ですっ おい誰かっ」
二時間後。異変に気付き空港を後にしようとした岩倉を地元のタクシー会社からの通報により空港連絡橋を渡り切ったところで確保した、との連絡が入った。