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King & Queen 2  作者: 悠鬼由宇
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仁王立ち

「起きろー軍司ーー 朝飯だってよー」


 目を開けると、朝からうざったい健太の顔が俺を覗き込んでいる。同時に二日酔いの頭痛が俺を襲う。

「悪い。朝飯パス。気持ち悪くて食えない」

 とても朝飯を食べられる心身状態ではない。

「お、おう、そうか。ま、ゆっくりしろや… お大事に…」

 まるで昨日交通事故に遭った者を労わるような目で俺を眺め、健太はよっこらしょと腰を上げ、部屋を出て行く。 俺は再びそっと目を瞑る。


 あれから俺は地酒を浴びるほど飲み途中で記憶を無くした。あまりに衝撃的な過去の事実を未だに受け容れられない。俺がクイーンに何か言ったため彼女は来なかった、そして。

 クイーンが中学生の頃、俺に惚れていた…


 昨夜の夕食時に先生が言っていたのはこの事だったのだ。だが、もし当時俺がその事実を知ったとして、どう対峙していただろうか。

 恐らくは、いや間違いなく『お断り』していただろう。当時の俺は部活に勉強に生徒会に東奔西走し、彼女を作り付き合うどころではなかった。と言うか、女性と向き合う余裕が無かった。

 ましてや不良中の不良、俺とは価値観が全く異なる女子に俺は見向きもしなかったであろう。寧ろ積極的に忌避していた筈だ。


 春先に数十年ぶりに再会した時、彼女は何も変わっていなかった。俺は大きく変わっていた、と言うよりも落ちぶれていた。そんな俺を彼女はどう思ったのだろう。よくある、中学生時代のヒーローが数十年ぶりの同窓会で見たらガックシ、だったのではないだろうか。

 逆に俺から見た彼女。昔は見向きもしなかったのだが、今は女として、人として尊敬している。そして何より、愛おしい。失いたくない。光り輝く彼女に俺は相応しいのだろうか。否。


 一人悶々と布団の中で悶えているうちに、大分具合が良くなってきたので朝風呂に向かう。脱衣所には何人もの服がある。既に朝風呂を楽しんでいるのだ。

 大浴場を抜けて露天風呂に入る。深い緑の山々を一望できる、鬼怒川温泉ならではの景色を堪能させてくれるロケーションだ。昨日は遅くに着いたのでわからなかったのだが、この朝の絶景はこの地の新たな素晴らしさを俺に教えてくれる。


 しばらく景色に見とれていた。ふと気付くと元バスケ部の小室が一人湯を楽しんでいる。

「おお軍司。朝風呂、露天風呂、サイコーだなっ」

「酒抜きにも最高だよ」

「だな。しかし昨日の夜は笑ったわ」

 小室は大学を出た後某大手スーパーマーケットに入社、都内各店の現場を経験した後本社に戻り、今では経理部長だそうだ。

「ははは… アイツが俺のこと… 全然知らなかったわ」

 小室は呆れ顔で頷きながら、

「やっぱそうか。お前女に興味無かったもんなあ」

 そう言って大きく伸びをする。

「って… お前知ってたのか?」

「バスケ部全員、いや、全校生徒全員知ってたのでは?」

「嘘… だろ…?」


 ガラガラと扉が開き、健太グループの和田が下半身も隠さず堂々と湯に入ってくる。いや最高、などと呟きながら俺たちの横にドボンと浸かる。その和田に恐る恐るその話を振ってみると、

「俺らが二年の時、キングの事呼び出して焼き入れようとしたじゃん?」

「ああ。俺が右手の指の骨、折られた時な」

「バーカ。俺は前歯折られたし、お前に。うわー懐っけー」

「そうそう。だけどお前区大会に出てな、左手だけで大活躍な。西中都市伝説の一つな」

 その時補欠で試合に出られなかった小室が手を叩いて喜んでいる。


「小室… でそれが何か?」

「アレって、俺ら何でキングのこと呼び出したか知ってた?」

「んーーー、制服ちゃんと着ろとか、うるせーふざけんな、とかじゃなかった?」

 和田は全力で首を横に振る。

「え… 違ったの…」

「ま、確かに優等生のお前、相当ウザかったし」

 和田がプッと吹き出す。

「二年なのにバスケ部の熱血部長、ウザかったし」

 小室も被せて吹き出す。

「… なんかスマン…」

 和田が咳払いをして、改まりながら、衝撃の事実をサラッと述べる。


「あれさ、健太の横恋慕」

「は?」

「あん時、健太がクイーンに惚れてたの!」

「な、なんだと…?」

 一切、本当に一切そんな事は知らなかった…

 昨夜から、俺にとっての衝撃の事実が多過ぎる…


「健太がクイーンに告ってよ、そしたら『アタシ、惚れてるヤツいっから』って」

 いつのまにか健太グループの川村も風呂にいる。

「で、『そいつ誰だよ』ってったら、」

 和田と川村が俺を指差す。俺は真っ白になる。


「んで。金光の野郎、調子こいてっから、やっちまうかって」

「な、何だよその理由。健太のヤツ…」

「そう、だからあん時俺ら、お前に悪い事したよな」

「ホント、スマンかった。でも、俺、お前に青タン食らって入院したし」

「あ、俺は鼻血三日間止まらんくて手術したわ」


 嘘つけコイツら。俺が二人にお湯をぶっかけていると、

「軍司って喧嘩強かったんだな… 知らなかったわ」

 明らかに小室がドン引きながら言うと、

「そうよ。コイツ真面目だからアレだったけど、コイツが俺らのグループいたら、」

「江東区制覇は間違いなかった」

「いや、城東制覇も」

「何なら江戸制覇」

「馬鹿かお前ら…」


 知らなかった。マジで知らなかった… 健太の奴… クイーンのことを…

 俺は何と愚かだったのだろう。勉強は出来た。運動も出来た。でも一番肝心なものが全く見えていなかった。親友の思い女が誰かすら知らなかった。いや、知ろうともしなかった。

 健太からすれば、今の俺の姿は噴飯物であろう。中学時代は無視していた女に、中年の今夢中になっている。

 俺が四月の頃、クイーンのことをボロカスに言った時の健太の寂しげな表情は、昔の仲間だからなのではなく、昔の惚れた女だからだったのだ。

 俺とクイーンがいい関係になり始めた頃から今に至るまで、アイツはどんな気持ちで俺に接してきたのだろう。もし俺が逆の立場だったのならー 健太の様に飄々と俺に向き合えていただろうか。


 ふと気付くと、永野健太、通称出来の良いケンタが入ってくる。サッカークラブのコーチだけあって、信じられない程の筋肉、今風で言う、細マッチョぶりに感嘆していると、

「オレが今、お前らとこうしてんのも、健太のおかげなんだよなぁ」

 としみじみと呟く。何でも、ケンタが子会社を休職処分中に偶々健太がケンタに連絡をし、『居酒屋 しまだ』に誘われ、以来例の若い奥さんとちょくちょく飲みに来ると言う。

「いや、実は、その、まだ結婚した訳じゃ…」

 照れ臭そうにケンタが話す。は? じゃあ何なんだよ? 付き合ってんだろ?

「いや、まだ、ちゃんと告ってねえんだわ…」

 おい。何だそれ…


 同じ健太でも、こうも違うか。思わず笑ってしまうと、ケンタが

「でもさ、アイツにはお陰で救われたよ。実は、お前もなんじゃないか。キング?」

 出来の良いケンタが俺にウインクしてみせる。

 出発時間ギリギリまで俺達は二人、鬼怒川の大自然に抱かれながら出来の悪い健太について、そして互いの浮き沈み人生について深く長く語り合ったのだった。


 着替えを済ませ荷物をまとめ、フロントへ降りていく。代表の栗木さんにお礼を言うと、

「如何でしたでしょうか。従業員の応対、設備、その他何でも気付いたことがあれば」

「浴室には驚かされました。小さい子供連れ、団体旅行客には大受けでしょうね。ただ、夫婦や恋人との二人での旅行にはインパクトが強過ぎるかな」

「はい。当ホテルの想定客が決まっておりまして。そこは苦しい点でございます」

「今からでは遅いかと思いますが、部屋付きの内湯を充実されては如何でしょう?」

「成る程… 夫婦、恋人で楽しめるような、グレードの高い内湯、ですね?」


「ええ。それと、食事は本当に素晴らしかった。ただし、年齢層が高い程、朝食は軽めのものが良いかと」

「軽めと言いますと、朝粥などでしょうか?」

「ええ。中華料理にもあるじゃないですか、お粥。団体客は大体夜食後に宴会ですよね。二日酔いにも優しい朝食を提供されては如何でしょう?」

「成る程、早速検討いたします。他に何か…」

「それ以外は、従業員の皆さんの暖かいおもてなしを含め、素晴らしかったです。詳細は後日泉さんにレポートを提出しますので、確認していただければ幸いです」

「有難うございます、心待ちにしております。金光専務にお越し頂いて、本当に良かった」

「とんでもございません… かなりご迷惑をかけました」

「流石、泉先生のお気に入り… あ、失礼いたしました… あの伝説の泉さんが気に入られた方だと、感服しております。是非今後もお付き合いのほど宜しくお願いします」


 は? 今サラッとすごいこと耳にした気がする… 俺が泉さんの? はあ?

 それはさておき、二日間の感謝を胸に、深々と頭を下げながら、

「こちらこそ。二日間有難うございました」


     *     *     *     *     *     *


「ったく仕方ねえヤツなんだよ。女房に逝かれて仕事クビになってオンナにフラれて。娘にはウザがられて母親には愛想尽かされて。ま、誰かがかまってやんねえとだわ」

 会計を終え、バスに荷物を積み込んでいる皆のところに行くと、クイーンが大声で俺のことを吹聴している。

「みっちゃん… う・し・ろ」

「旦那が来たよー わ… 怖…」


 誰が旦那だよ。いい加減にして欲しい。顔がにやけるだろうが…

「ホント仕方ないヤ… あ。」

 俺はクイーンの頭を上から押さえながら、

「おい。誰が仕事クビになったよ?」

「あれ、違うのか?」

「お前、マジでそう思ってたのか… それより! 葵が俺をウザがってる? 嘘つくなお前!」

「ウザがってんじゃん」

「え… そう…なのか…? ど、どこがだよ、マジか…」


 割と真剣にショックを受けていると、

「おーーい 夫婦喧嘩禁止っ」

「ハイハイハイ! ったく浮かれやがって」

「でも、ある意味流石キングですね、あのクイーンと…」


 皆、生暖かい視線で俺らを眺めている。と言うか、冷やかしている。とても五十代のオトナのすることでは無かろうに…

 クイーンを見ると、顔を真っ赤にして怒っているーのではなく、怒ったフリをして照れている、まるでJCかJKの様に…

「でもよ… 何つうか、この修学旅行… 」

 皆に聞かれないように、クイーンがそっと俺だけに囁く。

「お、おう…」

 見たことのない表情で、クパッと笑いながら、

「ありがとな」

「あ、ああ…」


 全く。今回の旅で、どれだけ初めてのクイーンを見られたであろう。どれもこれも、中学生の頃のままのクイーンに違いない、俺がその時見ようともしなかった、本物のクイーンの笑顔の数々。

 最高の笑顔を眺めていると、昨夜の話―コイツが昔俺を好きだったコトーを思い出し、思わず赤面し、顔を背けてしまう。彼女からと言うよりも、彼女の過去から背を背けてしまう。

 聞き出したい。彼女の口から、その頃の思い、その時の気持ちを直接聞いて見たい。

 そんなことを思いながらホテルを後にし、俺たちは日光観光の定番である東照宮へ向かう。


+ + + + +


 アイツら絶対許さない。

 やっとの思いで恵那ちゃんをドライブに誘って…

 途中まではすごく上手くいってたのに

 ちんたら走ってるバスをちょっと煽っただけなのに

 何だよ、アイツら

 恵那ちゃんのためにピッカピカに磨いた車を蹴りやがって

 あんなに大勢に囲まれたらヤバイっしょ、下向いて我慢してたのに

 恵那ちゃん機嫌悪くなるし

 家送って、じゃあまたねって言っても無言だったし

 あれから既読つかないし

 これ完全ダメなやつじゃん

 ざけんなよアイツら

 次見かけたら、絶対………


+ + + + +


 東照宮。言わずと知れた、日本を代表する世界遺産である。

 鬱蒼とした古い木々に囲まれ、酷暑を忘れさせてくれる聖なる涼しさに身が引き締まる想いである。

 ここは江戸村のように皆でワイワイガヤガヤと回るわけにはいかず、いくつかのグループ、もしくは個々人で回るようにしおりには書いておいた。

 俺は会社の仕事用に一人であちらこちらの写真を撮ったりパンフレットを集めていると、トイレから出てきた(出来の悪い)健太とバッタリでくわせる。

 あ、丁度いい機会だと思い、健太を誘って木陰のベンチに座り込む。


「お前、中学の頃、クイーンに惚れてたんだってな。さっき和田達から聞いたわ」

 健太はあいつらーと呟きながら、古くも気高い木々を見上げている。

「大昔の話だってーの。てか、あの頃の俺ら、ほとんどの奴がクイーンに惚れてたんじゃね?」

「え、そうなの?」

 健太は吹き出しながら、

「あんな雑誌から抜け出た様な美少女、見たことないって。逆に軍司、マジであの頃クイーンのこと何とも思ってなかったのか? そっちの方がビックリだわ、ウケるー」


 そんなこと言われたって… 本当に当時のクイーンの美しさに覚えがないんだよな…

「ま、そんな訳だからさ。俺に気にすることねーってーの。てか、俺はあん時キッチリ振られた訳だし、それに俺にはババアがいるし。ったく、あん頃はいい女だったんだけどなあ…」

 変わらない。コイツのこの潔さと一途さは、あの頃と何ら変わりない。

「健太、またおいしい企画あったら、一緒に行こうな」

 健太はギョッとして眉を顰めながら、

「どうした軍司、変なモン喰って頭おかしくなったか? 病院行くか?」

 笑いながら頭を気持ちよく叩いてやると、何故か嬉しそうに上目遣いで俺を睨む。


「世界遺産の東照宮、楽しんだかお前達。で何が一番良かった? えーと、瀬戸!」

「はい、泣き龍でしたっ」

「それなっ」

「あれなっ」

「いやー、マジ響いたわー」

「アタシも拍子木叩きたかったあ」

「それダンナの頭を、だろ」

「そうそう、思いっきし… アホか」

「こらこらこらー じゃあ、春本っ お前は何が良かった?」

「ええ、やはり三猿ですかね」

「見ざる」

「言わざる」

「感じざる」

「それなっ」

「マグロかよー、そんなの嫌かもー」

「濡れざる…」

「それなっ」

「濡れるしー まだ滴るしー」

「聞いてねえよっ 想像しちまっただろが、ヤバ…」

「このエロザル、猿田っ」

「エロ猿田―♫ エロエロエロ猿ーー」

「こーーら、名前を馬鹿にしちゃいかんって前から言ってるだろう。やめなさいっ」


 東照宮を後にし、二日に渡る修学旅行の帰路。五十代のいいオトナの集団とは到底思えないハイテンションだ。中学の頃よりも寧ろ悪化している気がする…

 その中心がクイーンだ。三十六年前の不参加の分を取り戻そうとするかの如く、皆を煽り皆もそれに呼応する。昔も今も、人の輪の中心、いやど真ん中で皆を盛り立て熱狂させる女王様。コイツこそが、三つ子の魂百までの最たる存在なのかも知れない。


 昨夜の二日酔いが残っているせいか、瞼が重たくなってくる。クイーン達の大騒ぎの喧騒も全く気にならない、むしろ俺を深い眠りに誘う儀式のような気がしてくる。やがて俺はあっという間に落ちてしまう。

 全く夢を見ず、ハッと気づくとバスは国道沿いのお土産売り場に停車している。皆が気を利かせてくれたのか、それともハブられたのか知らないが、クーラーの効いた車内は俺一人である。

 大欠伸をしながらバスを降りると物凄い熱気にクラクラしてしまう。自然と目がクイーンを探すと、地産の食料品売り場で真剣に物色している。


「忍ちゃんにお土産か?」

「おう、起きたか。イビキうるさくて、みんな大笑いしてたぞ」

 瞬時に顔が赤くなる。

「おお、この漬物旨そうじゃん、焼酎に合いそー。おい、今夜これでキュッと呑むぞ」

 だから俺は二日酔いで… クイーンの優しげな流し目に、思わず深く頷いてしまう。

「よ、よし、これは俺が買ってやる。他になんか旨そうなもんないか?」

 またもや見たことのない嬉しそうな笑顔で、

「こっちこっち、こっちにあるのよ、私、気になっているのが!」

 …… あれ。モード変換? 何故に今?

 首を傾げる俺の腕を凄まじい力で引きずっていくクイーンなのである。


     *     *     *     *     *     *


 バスが東北道に入る頃には、あちこちから鼾が聞こえてくる。先生は大口を開けて安らかな眠りについている。あ、大丈夫、生きてる。ちゃんと。

 色々なことがあり過ぎて、とても出発してからまだ丸一日経過したとは思えない、濃密な時間を過ごしている気がする。


 この旅行で自覚したこと。

 俺は大昔の中学生時代から、パワハラ体質であったこと。あの頃から悪ガキどもを怒鳴り散らし、銀行員時代も役立たずの後輩や寝言を言ってくる顧客に怒鳴りまくっていた。あ、今の会社ではそんなことないよ。今の所ね。

 俺はあの頃、ちっとも周りを見てこなかったこと。まさかあの(出来の悪い方の)健太がクイーンに恋心を持っていたとは。今朝の今朝まで全く気づかず、知らなかった。きっと今でも仄かな淡い気持ちをクイーンに対して持っているのだろう、これからは十分気をつけて行こう。


 それに加えて。まさか、まさかのクイーンがかつて俺に惚れていたことを全く知らなかったこと。なんと周囲の奴らは全員知っていたらしい、知らぬは仏と俺ばかり、なのであった。あの頃の俺は、どんだけ自己中心的な思考回路しか有していなかったのか。


 そして、今回最も悟ったこと。

 俺が今、どれほど深くクイーンに惚れているか、と言うこと。どれだけ反社会的言動を行うも、どれ程暴力的かつ子どもじみていようとも、彼女の喜ぶ顔、姿、そして美声を見聞きするだけでここまでの苦労は全て吹き飛び、胸いっぱいにじわっと温かい炭火が満ちていくのだ。真夏だけに若干暑苦しいが、それでも数十年ぶりの確固とした恋心。

 それにしてもタイムギャップが凄すぎる、35年ほど前に好かれていた相手を今好きになる、相手はきっと、いや間違いなく、遅いよ遅過ぎ、と大笑いすることだろう。なので当分は言わないでおこうと決心する。


 ふと視線を感じ後ろを振り返ると、クイーンと目が合う。目で合図し、俺の横の席に誘う。満足そうな顔で俺の隣にチョンと座る。その顔が、その仕草が一々愛おしい。心が温まる。

 ふと、昨夜のもう一つの話が気になって、周りを眺めると皆爆睡中。丁度良い機会なので聞いておこうと思い、

「なあ、クイーン」

「ん?」

「あの時、お前が修学旅行来なかったのって、ひょっとして俺が原因なのか?」

 クイーンはギョッとした顔で斜め上を見上げ、

「あ、ああ… もう忘れた、そんな昔の話」

「嘘つけ。あれって、俺が…」

「………」

「俺がお前に、来るなって言ったのか?」


 クイーンが俺の目線を外す。俺越しに車窓を遠く眺めている。どれぐらい黙り込んだだろう。やがて意を決したように、徐に呟き始める。

「…『髪』…」

「ああ、お前、黒く染めたんだったよな、髪」

「うん… で、『髪は黒くなったが、お前が来ると』…」

「えっ…?」

「『お前が来ると、皆が迷惑するから来るな』って…」


 ちょっと待てよ… そんな傲慢かつ非道なことを俺が?

「そんな… 俺は… なんてことを… 取り返しのつかないことを…」

 思わず頭を抱えてしまう。吐き気を催す。自分を、あの頃の過去の自分を怒鳴りつけたい衝動に駆られる。

「でもー。まあ、そうだよなあ、アタシが行ってたら他の学校と揉めたりしてな… あー、結局揉めたんだわな、ギャハハ」

「……」

「ま、仕方ねえよ。アンタ生徒会長だったし。アタシが行かなかったから、そこそこ大人しかったろ、みんな…」


「なんてことを…」

 してしまったのか。俺は髪をくしゃくしゃにかき乱す。当時十五才とはいえ、たとえ生徒会長だったといえ、生徒一人の一生の思い出を潰すなど、なんてことを俺はして、そして平気でいられたのだろうか。そして、そんな人としてあり得ないことをしておきながら、すっかり忘れてしまっているなんて…

 自分の本性の浅ましさ、卑しさに本当に吐き気を催してくる。俺は目の前の女性の少女時代の貴重な体験、思い出を奪っておきながら、この歳になって恋心を持つという身勝手さ、図々しさに、走行中のバスから飛び降りたくなる。

 そして。そんな思いをさせた俺をどうして彼女は恨まないのだろうか。どうしてこうも優しく接してくれるのだろうか。


「あん時さあ。マジでアンタに… 惚れてて… だから、貴方の言うことなら何でも… それで貴方が救われるなら…」

 もはや彼女のモード変更を突っ込む余裕もなく、

「何であの時、そう言ってくれなかったんだよ?」

 クイーンは俺の目を寂しそうに見つめながら、

「言ったら、聞いてくれた? 私のこと相手にしてくれた? 付き合ってくれた?」

「いや… それは…」

「でしょう。貴方みたいなスポーツ万能の優等生が、私みたいな社会のクズと付き合うはずないわよね…」

「…… お、俺…」

「初恋ってヤツ。っかーーー、恥ずかしいっつーの」


 キャラが戻ってきた。俺は恐る恐る彼女の目を覗き込み、

「…俺、オマエに何て詫びれば…」

「詫び? そんなん要らねえよ。だって…」

「だって?」

 これまで見た中で、一番幸せそうな表情で、

「こうして今、一緒にいられてるじゃない」

「……」

「私の願い、叶っているし…」


 クイーンの嬉しそうな真っ直ぐな視線が眩しい。そこに嘘偽りは微塵も見られない。彼女は本当に今、俺と再会しこうして出かけたり飯食ったり飲んだりしているのが、嬉しいと言ってくれているのだ。

 余りの眩しさに目が眩みそうだ。もうこれ以上、あれこれ考えるのはよそう。過去の事を反省し悔やむよりも、明日の事を共に考え楽しく過ごしていこう。

 明日の事、これからの事… それってつまり、これから俺たちは真剣に付き合うってこと?

 ちょっと待て。ちょ、待て。

 クイーンも今、俺のことを?

 嘘だろう、あれから数十年経つのだぞ、それでも俺のことを?


「お前、俺のこと…」

 聞こうとすると、クイーンは既に夢の中。眠れる森の美魔女である。閉じた口角が少し上がり、穏やかで幸せそうな寝顔。俺の肩に寄りかかり、静かな寝息を規則正しく繰り返している。

 俺は彼女の左手をそっと握る。すると無意識的にギュッと握り返してくる。

 そんな些細なことで、俺は耳まで赤くなってしまう。


 この旅行を企画し参加し、本当に良かった。ひょっとしたら今後の俺の人生を大きく変えてしまう旅行だったのかも知れない。今後の彼女の人生も大きく変えてしまう旅行だったのかも知れない。俺と彼女だけでなく、それぞれの家族や友人達まで、大きく変えてしまう旅行であったのかも知れない、この『修学旅行』は。

 肩に乗っかっている彼女の頭にそっと口づけをする。先月からか、紙巻きタバコをやめて電子タバコにしてから、ヤニ臭さがなくなっている。彼女の匂いを胸いっぱいに吸い込むと、目の眩むほどの喜びと幸せが胸に頭に満ちてくる。


 真剣に考えよう。

 コイツとのこれからの人生を。

 コイツと歩む、これからの人生のロードマップを少しずつ描いていこう。


 取り敢えず、今夜にでも『居酒屋 しまだ』で告白するか。葵風に言うなら、『告る』か。あっさり断られたりしてな、だが俺たち昭和のバブル男はしつこいのだ、いいよと言うまで、何度でもアタックしてやるからな、覚えておけよ。


 ふと尿意を覚えた時、バスは丁度休憩のため蓮田SAに入る。


+ + + + + 


 嘘だろ…

 何という巡り合わせ

 これは神様のお告げに違いない

 男を見せろ そして 

 俺を袖にした恵那ちゃんを見返すんだ

 見てろ

 見てろ 

 やってやる やってやる

 俺をバカにしやがって

 みんなバカにしやがって

 やってやる やってやる

 ははははは 本気出してやる

 俺が本気出すと こうなんだよーーーーーー


+ + + + +


 全てがスローモーションのようだった

 バスから降りた俺たちが道路を横切ろうとした時に

 黒いワゴンが急加速して突っ込んできた

 皆が慌てて飛び避ける中

 一人道の真ん中で

 仁王立ちして突っ込んでくるワゴンを

 睨めつけ一歩も引かない美しき金色の不動明王


+ + + + +


 おい…

 何で避けないんだよ

 他のみんなはビビって避けてんだろ

 俺を昨日バカにした奴

 オタオタして逃げまくってんだろ

 なのに何でアンタ

 俺を睨みつけてんだよ

 逃げろよ

 避けろよ

 やめろっ

 助けてっ

 あああああああああああ


+ + + + +


 体が勝手に動いていた

 その細い体を抱きしめた

 その勢いのまま道路の向こう側に倒れ込む

 左足に衝撃を受けた

 体が仰向けになる

 青空に金色のポニーテールがはためく

 背中と後頭部に衝撃を受ける

 痛みは全くなく

 だが金色のポニーテールが薄らいでゆくー


+ + + + +


 ゆっくりと彼の胸の動きが止まる

 うっすらと目が開き笑みを浮かべた顔

 ダメ

 アタシがいる

 アタシがする

 翔、どうやるんだっけ アンタに教わったよね 今思い出すね

 まずは 確認 息 してない 脈 ない

 健太 えーいーでー 持ってきて!

 先生 救急車 呼んで!

 両手をこう 彼の胸に当てて もうちょっと上 そう

 三十回 数えながら リズミカルに

 終わったら 顎を少し上げて 鼻をつまんで

 口を覆うように口を当て 息を吹き込む

 胸がせり上がっているかな うん 上がった

 それを二回 ゆっくりと

 それからまた 三十回

 それからまた 二回

 ゴメンよし子 涙を拭いてくれる?

 ありがとう でも大丈夫アタシがやる アタシが助ける

 願いが叶ったのだから

 この人が叶えてくれたから

 一緒になれなくていい

 遠くから見てるだけでいい

 そう思っていた

 でもずっと忘れられなかった

 忘れることなんてできなかった

 10年、20年、そして30年経っても

 一日も忘れた日はなかったよ

 だから貴方が目の前に現れた四月

 あの頃よりももっと素敵になった貴方に

 息が止まったんだよ

 夢かと思った

 夢なら覚めないでと思った

 初めてちゃんと話をした

 やっぱり貴方は最高のキングだった

 翔と貴方の娘が付き合っていると知り

 運命の存在を確信したの

 ホント

 生きててよかった

 生まれてきてよかった

 ずっと一緒に

 これからずっと一緒にいたいよ

 だから貴方を必ず助ける

 あ、先生 大丈夫 アタシがやるから

 え、救急車来た?


+ + + + +


 身体が軽い

 心も軽い

 ここはどこだろう


「どうしてここに来たの?」

「お前、里子…」

「貴方、まだやることがあるのじゃない?」

「俺、お前のこと… 里子…」

「お母さんのこと 葵のこと それから…」

「それから?」

「貴方のことをずっと想っている人」

「いやでも… 俺…」

「貴方、みんなのために帰りなさい」

「でも、お前…」

「いいから。帰りなさい」

「…うん…」

「いつまでも」

「…」

「見守っている」

「…」

「あなたたち」

「… おい。季語がねえぞ」

「アハっ ホントだあー」


     *     *     *     *     *     *


 身動きが取れない。息苦しい。頭痛がひどい。ここは何処だろう。時間をかけて考えているうちに、俺は病院のベッドに寝かされていることを把握する。どれほど時間が経ったのだろう。看護師が俺の意識が戻ったことに気付き、やがて医師がやってくる。


「金光さん、わかりますか?」

 軽く頷く。

「ここは、病院ですよ。交通事故で運ばれてきました」

 わかってるって。それより…

「頭を強く打っていましたが、レントゲンやCTで見る限り脳に異常はありません。」

 それはよかった。それよりも…

「背中、腕も強く打ちましたが、どれも打撲程度です。」

 丈夫じゃないか、俺。それよりも光…

「ただ、左足の損傷がひどく、再手術が必要です。後ほど詳しく説明しま…」

「せんせい… ほかの… みんなは…」

 口に咥えた呼吸器越しに、細々と言うと、

「ええ、当院に搬送されたのは貴方だけです。他に負傷した方がいるとは聞いてませんよ」

「そう、ですか… よかった…」

「しっかり話せますね。良かったです。あ、美希ちゃん、連れの方に知らせてきてくれる?」


 しばらくすると呼吸器や尿管が取り除かれ、外す時死ぬほど痛かった、ICUを出て一般病棟に移される。時計を見ると夜の九時過ぎだ。個室の病室には疲れ切った表情の健太、先生、そして泣き腫らした目のクイーンが待っていた。

 ワゴン車は俺を跳ね飛ばした後、そのまま走り去って今も捜索中。他のメンバーは皆無事で俺とクイーンが救急車で運ばれた後、無事に東京に戻った。健太が先生を連れて車でこの病院に引き返し今に至るとの事ー

 その間、クイーンがずっとそばにいてくれたらしい。手術室に無理やり入ろうとして、危うく通報されかけたと聞き、思わず笑うと全身に激痛が走る。


 取り敢えず今夜はクイーンが病院に付きっきりでいてくれるらしい。実に不本意な形だが、久しぶりに二人きりになれそうだ。ちょっと頬が緩む。同時に激痛が走る。

 既にお袋には連絡を入れてくれていて、全てクイーンに任せると頭を下げたらしい、携帯電話で。嘘かホントか分からぬが、俺の事故を聞いた葵はその場で気を失ったと言う。きっと隣に翔がいたからだろう、なんとあざとい女だ、一体誰に似たんだか…

 因みにこの病院は、埼玉の蓮田SAから程近いところに位置するらしい。まあ地方の地域を支える総合病院、といった風情だ。看護師が皆農婦に見えてしまうのは、頭を強打したせいだろう。


「軍司、良かったな、おい、俺、わかるか、わかるよな?」

 健太が大声で話しかけてくる、ウザい。

「… だれですか、あなた?」

 信じられないと言った表情で、

「… ウソだろ… 俺だよ俺…」

「オレオレ詐欺かよ。バーカ、あいててて…」

「おーーーーい… 軍司―――――」


 思わず健太がしゃがみ込む。変わらず、なんて友人思いの良いやつなのだろう。ちょっと、いやだいぶウザいけど。

「コラ軍司っ こいつが、健太がどれだけ心配してたと思ってんだ! いや、でも、良かった。うん、良かった」

 ウザ… いや、めんどくさい人がもう一人。

「… だれですか、あなた?」

 先生は俺の頭を軽くコツンと叩き、

「先生は騙されないぞ。それより軍司、お前光子によーーく感謝するんだぞ。心臓マッサージや人工呼吸を全部光子がやったんだぞ。救急隊の人が、光子の処置が無かったらちょっとヤバかった、と言っていたぞ」

 クイーンが、俺を? 助けてくれた?


「そう言えば、おい、こら! 光子! お前、何で車の前に仁王立ちしたんだ! お前が避けないから軍司がお前を助けようとしたんだぞ!」

「そうだよクイーン。何で避けなかったんだよ?」

 クイーンは腕を組みしばし考えた後、

「んーーーーーーーーーーー、ポリシー?」


 先生と健太はポカンとして、

「ハア?」

「はあ?」

「いやー、逃げたら負けじゃん」

「…いや… 逃げなきゃ負けじゃん」

「…ああ…逃げなきゃ死ぬな」

「でも… アタシのせいでコイツが… 」

「そうだな光子。お前もそろそろ、『負けるが勝ち』ってことも人生にはある事、知ってもいいかもな」

「そうだよ。コイツ、軍司だって昔は勝ち組だったけどよ、今は立派な負けがちな人生だしな」

「健太ー、『負けがち』じゃなくてなー、『負けるが勝ち』なー」

「お、おう、それなそれな。まあだから…」

「よーし、健太。そろそろ二人っきりにしてやろうじゃないか」

「そっすね。おうクイーン。俺たち先に東京帰るから。後は任せたぞ。軍司のこと好きにしちゃいな」

「あ、ああ… でも…」


     *     *     *     *     *     *


 騒がしい二人が出てゆくと急に病室が静かになる。椅子を引き寄せそれに座り、クイーンがベッドに頬杖をつく。二人きりで向かい合いこんなに顔が近い距離は初めてかもしれない。

 首を固定されているので俺は彼女を見つめることができない。だがその時折りつく溜め息から、彼女の不安を感じ取ることができる。


「で。俺の足、何だって?」

「ん、複雑骨折。靭帯も切れてるかもって。東京戻ったらでっかい病院で再手術」

「そか。もう走れないかもな」

「ん。医者、その可能性もあるって言ってた」

「一生、びっこかもな」

「ん。それも言ってた」

「ははは… 情けない。それより、お前は怪我とか無かったか?」

「大丈夫。ここ擦りむいただけ」

そう言って絆創膏が貼られた左の肘を俺に見せる。

「そか。なら良かった」

「ん」

「……」


 それからしばらくの間俺は天井を見続ける。目の前で轢き殺されそうだった彼女を擦り傷程度で救えた。その代わり左足の自由を失った。以前の俺なら左足の不自由を悲しみ恨んだことだろう。なんなら怒鳴り散らしモノを放り投げたりしていたかも知れない。

 だが今は違う。愛する女が生きていること。側にいてくれること。この喜びを凌駕する自身の不幸は考えられない。

 ただ少し不安なのが、光子が己の責任を感じ過ぎること。そしてそれを全力で背負ってしまうこと。放っておくと『アタシの左足を移植してくれ』とか平気で言い出しそうだ。


「あの、さ…」

「何?」

「許せねえよな、アタシのこと」

 ほら来た。


「ああ。絶対許さない」

「ごめん… ごめんなさい… アタシ、どうやって償えば?」

 大粒の涙をポロポロこぼしながら、俺の左腕を両手で握りしめての全力謝罪だ。痛えっつうの。

「おい。俺がお前の何を許さねえか、わかってるか?」

「…もう、走れねえこと?」

「違う。」

「じゃあ、一生びっこ引いて歩くこと?」

「違ーう」

「ヒック。ええと、心臓マッサージの時に途中で回数わからんくなったこと?」

「そ、そうなのか… でも違――う」

「そ、そんじゃあ、職員室の壁に貼ってあった修学旅行の写真、アンタの写ってるやつギッたこと?」

「何十年前の話だよ… 全くもって違―――う」

「わかんねえよ、ヒック、アタシ馬鹿だからわかんねえよ…」

「知ってる。だから、今から答えを言う」

「お、おう…」

「お前が俺の目の前から、消えそうになったこと」

「え……?」


 彼女が俺の顔を覗き込む。泣き腫らした赤い目力は非常に弱々しい…

「だから。お前が自分勝手に俺より先に死にそうになったこと。絶対、許さない」

 下唇を噛みながら、

「ご、ごめんなさい…」

「もし逆の立場だったらどう思うよ? 俺がお前の目の前で死にかけたら?」

「即、アタシも死ぬ」

「おい。死ぬな」

「お、おう」


 俺はゆっくりと大きく息を吐き出しながら、

「もう二度と… あんなことすんな。お陰で天国行きかけたじゃねーか」

「ヒック。ヒック…」

「死んだ女房に… 里子に会ってきたわ…」

「ヒック…」

「里子が、こっち来んなって。お袋とさ、葵とさ、」

「…… ん?」

「オマエのために、こっち来んなって。帰れって。ここに」

 彼女は怯えたような顔で、

「…… アンタ…」

「ん?」

「頭、おかしくなったのか? 頭打ってバカになったんか、やっぱ…」

「へ? な、なんてこと言うんだよ怪我人に…」

「だってよ、そんなこと言うわけねーだろ… アンタの… 奥さんが… アタシなんかのために… なんて…」


 鼻水を垂らしながら吐き捨てるように言うクイーンに、

「だから、戻ってきたんだって」

「…… え?」

「オマエのために、戻ってきたんだって」

「……」

 頭に思いっきりはてなマークが浮かんでいやがる。俺の話を全く理解していないな。


「クイー… いや、光子」

「は、はい…?」

「中学生の時は、ゴメンな。オマエの気持ちに気づけなくて」

 彼女は苦笑いし、大きく手を振り

「それ… そんな昔のこと… いいって… 全然…」

「そんでさ、スッゲー、今更何だけどさ…」

「ん?」


「側に居てくんね? この先… ずっと」


 光子は真顔で何度も何度も頷きながら、

「そのつもりだけど」


 … あれ…

 今俺、告ったよな? ちゃんと告ったつもりなのだが、伝わってないのか?

 どうやら全く伝わらなかったらしい、彼女は俺の頭を優しく撫でながら、

「東京帰ってすぐ手術だろ? 任せろよ、連れてってやるからよ。あと、リハビリ? それも付き合ってやるし。家も近えからな、そばにいるぜずっとな」

 なんて漢気を見せてしまっている…

「ああ、あと飯とかも作りに行ってやるし。おばちゃんの分もアタシがビシッと作るからよ。なんなら掃除洗濯もしてやるぞ、おお、身体も洗ってやるかな… って、それじゃ夫婦か彼女みてえってか、まあ気にすんな、ははは」

 ハハハ… ダメだこりゃ。コイツには直球しか通じないわ。それなら、


「島田光子。俺はオマエが好きだ」


 光子は軽―く何度も頷きながら、

「おう。アタシも好きだぞ。オマエも健太も、青山とかも」

 は? 何なんだコイツ… 

 あれ… これって俺フラれる奴…? 葵風に言えば、フラグ立っちゃった? キングはいい奴だし昔は好きだったけど、今は… ごめんなさい… って奴なのか…

 今は彼氏とか考えられないから、友達でいいよね? って奴なのか…

 だとしたら四月からの俺は一体…


「てかさ。そーゆー言い方よくねーぞ、キング」

「ヘ? なにが?」

「『オマエが好きだ』なんて言われたらよ、アタシバカなんだから本気にしちまうだろーが、ったく、このスケコマシが」

 いやいやいや。本気だし。是非本気にして欲しいし。スケコマシじゃねーし。

 どーすりゃいいんだ… 婉曲法も直球勝負も通用しない。一体どうすれば…


「ったく… そんな言い方… でも、ありがとう。とっても嬉しいよ」


 …… あれ… まさかコイツ… あのモードに入った? そう、あのモードとは、コイツがかつて付き合った男のことを語る時の、人格変換モード。キャラ変と言うヤツだ。

 このモードに入ると、言葉遣い、表情、行動がガラッと変わる。一体どっちのモードが本来彼女に備わっているモードなのだろう、その度に考えてしまう。

 このモードの彼女は、まさに天女のような優雅な振る舞いとなり、普段の般若のような言動とのギャップも俺のツボなのだ。

「ぐんじが、そう言ってくれて嬉しいよ。あは、もし本気の好きだったら… なんてね…」

 ある予感がする。

 このモードの時に、キチンと告白すれば想いが届けられるのでは?


「光子」

「え、何?」


「愛してる」


 真っ直ぐに俺の目を見る。

 まさか、と言う表情がしばらく続く。

 俺は目で嘘じゃない、本当に愛していると伝える。

 彼女の目の大きさが変わり、光り輝き出す。

 そして小さな口が譫言のように、嘘でしょ、と繰り返す。

 俺は微笑みながら、口角を上げる。

 小さく首を振り、やがて俯いてしまう。

 やっと… ようやく通じたようだ。このクシャクシャの泣き笑いの顔。泣き過ぎて腫れ上がった真っ赤な目。鼻水の跡が残る鼻の下。ヤニ臭い吐息。

 その全てが愛おしい。


「これからは… わたしが… 貴方を守るわ」

 その真っ直ぐでどこまでも澄んだ美しい瞳から、一筋の涙が流れ落ちる。そして、


「私も愛しているわ」


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