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King & Queen 2  作者: 悠鬼由宇
3/8

思わぬ過去話

 三つ子の魂百まで。

 修学旅行の当日、朝九時。母校の正門前で咄嗟に心に浮かんだ言葉だ。


 八月十三日。雲一つない真っ青な空の下。既に気温は29度、今日も猛暑日が予想される東京都江東区。汗を拭いながら母校、深川西中学校の正門前に辿り着いた俺の目に入ってきた光景―

 タバコを咥え、うんこ座りをしている不良中学生… もとい、不良中年男女の群れ。と、楽しげに語らっている彼らとは真逆の真っ当なミドル世代諸氏。

 

 葵世代の言語に『ギャップ萌え』と言うのがあるそうだが、今俺は『ギャップギレ』と言う新言語を創造してしまう。公共施設の前で堂々と群れている集団に近づき、

「おいクイーン。それは何の真似だ?」

 相当古そうだが、真っ白な服をまとったクイーンを睨め付ける。

「いやー オマエが白が似合うっつうからよお、どうよ?」

 俺は脳内の血管がぶちぶち切れていく音を聞きながら、

「確かに、白のサマーセーター、ワンピースなどは似合っている。大好きだ」

 クイーンは顔を真っ赤にし、

「ちょ、オマ、照れんだろがー」

「ヒューヒュー」

「熱いぞー、ふーふー」

 

 皆に煽られ更に耳まで真っ赤にするクイーン。だがな。

「だがな。その服は何だ? お前らもだ、誰か説明してくれ!」

 不良集団は腹を抱えて笑い出す。それを見守るナイスミドル諸氏達からも笑いが溢れる。

「出たーー生徒会長! これは、うわー懐かしいわー」

「まだその服持ってたんだ、みっちゃん似合ってるぜ今でも」

「これなー 滅茶苦茶レアものじゃん? メルカリに出せば…」


 大声で怒鳴り散らしたくなるのを、ギリギリの線で堪えながら、

「オマエら。すぐに、着替えてこい」

「えーー」

「いーじゃん」

「ブーブー」

「カッケーじゃん」

 

 俺は彼らを睥睨し、一呼吸おいてから、

「何なら、修学旅行は中止にするぞ、お前ら。いいのか?」

「んだよ、固えなあキング」

「ったくー 全然変わってねーわ」

「いーじゃんよー何着たって」


 脳の血管が半分ほどブチ切れる音がする。もう我慢の限界だぁ!

「その格好でぇ、普通なら一人5万以上はするホテルにぃ、入れると思ってんのかぁーーー!」


 通りの反対側を歩く犬の散歩をしている老人が凍りついている。自分でもビックリするほどの大声でコイツらを怒鳴っている俺。何してんだ、俺もコイツらも…


 先生はニコニコしながら俺らに近づき、

「『三つ子の魂百まで』だな、金光。変わらねえな、お前も。うんうん」

「先生ー 何涙ぐんでるんですかっ おい島田光子っ すぐに着替えてこいっ」

「ったくウッセーなー。この特攻服の何が…」

「オマエらも… 何だその格好は… 先生、『しまむら』にでも寄って行きましょう」

「ハハハ… ま、まあいいんじゃないか… もういい大人なんだし…」

 先生は俺の耳元で囁く。

「軍司。しおりに服装も指定しておくべきだったな…」

「…でした。しくじりました…」


 背中に『天上天下唯我独尊』と刺繍されたクイーンの白の特攻服にダメ出しし、着替えのため帰宅させる。正直、別の意味でものすごく似合ってはいた。その姿を見ればどんなワルも一瞬で詫びを入れてしまうであろう。だがこんな姿でホテルに入ったら、従業員は間違いなくホテルへの襲撃と勘違いし栃木県警に通報するだろう、なんなら機動隊に出動要請するかも知れない。


 そんな訳で出発は三十分ほど遅れそうだ。スタートからコレだ。この先が思いやられる。会社への報告書は一体どんなものになってしまうのか… まあこの件は一切書かないけどね。それよりも、泉さんにホテル側からとんでもない苦情が押し寄せそうで、胃が痛くなる。

 クイーン以外のあまりに場違いな服装の三名には、後ほど栃木のご当地Tシャツでも買わせることにする。してやったりの表情のコイツら、わざとやっているのだろうか。示し合わせて来たとしか思えない。

 クソ、甘かった。舐めていた。いい大人が中学生の頃のヤンチャな服着てくるなんて…


 ナイスミドル諸氏、すなわちバスケ部や生徒会その他の皆に、不手際を詫びる。

「いや全然。俺もあいつら見た時、タイムスリップしたかと思ったよ」

「だよねー、あの人たち全然変わってない、むしろ羨ましい…」

「すごく楽しみになってきたよ、この旅行。普通じゃ絶対味わえない旅になりそうじゃん?」

 流石、大人な反応だ、俺は頭に昇った血が一気に下降したのを感じる。彼ら彼女らのためにも、奴らの手綱はきっちりと締めねばならぬ、そう決意した頃に着替えを終えたクイーンがだるそうに歩いてやってくる。


 バスが出発した時から酒宴が始まりそうだったが、コイツらのこのノリだと途中のサービスエリアや訪問先で何をしでかすか分からないので、当然のように禁酒令を発する。

 大ブーイングがバス内にこだまするが、生徒会長、もといツアー責任者のマジックワード、

「中止するぞ」

 で制圧する。するとこれ見よがしに

「うめー、麦酒!」

 なんて言ってる川村を本気でバスから降ろそうと後ろに向かうと、

「コレ、ノンアルだからセーフ!」

 周りは爆笑だ。どうやら俺をからかって遊んでいるらしい。


 俺は川村の胸ぐらを掴み、

「オマエら。幾つになったと思ってんだ! オマエらが頼むからこうして企画してやったのに、なんだこれは! やってる事が中坊のままじゃないかっ 恥ずかしくないのか!」

 人を怒鳴りつけるのは銀行の支店長時代以来だろう。この銀行時代に培った、そしてその辺の地上げ屋、タカリ屋さえ一撃で撃退してきた俺の半ギレ説教により、バスの中は束の間の静寂と平穏を得る。


 首都高速から東北自動車道に入ると、お盆の帰省渋滞に掴まる。渋滞を見越してスケジューリングしたのだが、クイーンの衣服問題により予定よりも遅延しており、それをどこかで解消しなければ、と考えていると、

「よーし、80年縛りだぞコラ!」

 突如バスの後方から大音量の音楽が流れ始め、あっという間にカラオケ大会が始まる。俺は後ろを睨め付けるも、あるデジャブを感じる… ああそう言えばあの時もバスの中で皆で色々歌ったな… あの頃もバスの中で歌ってはならない、とはしおりになかったな。


 しばらく放置していると、次々に懐かしいあの頃のメロディーが車内を満たしていく。気がつくと俺も口ずさんでいるし。それにしても、アイツら歌下手くそ…

 すると、どうやらクイーンの順番となったらしく、盛り上がりは最高潮に達する。歌は当時のトップアイドルの、私の涙は飾りじゃないんだぞコラ、的な曲だ。アップテンポなイントロから皆は手拍子と声援を送る。送っていたの

だがー


 歌が始まりしばらくすると、皆は呆然として黙り込んでしまい、車内はカラオケ音楽に乗せたプロレベルの歌声に満たされていくー 上手い、上手すぎる…

 俺も思わず後ろを振り返り、踊り付きで歌っているクイーンを凝視してしまう。

「今の方、プロの歌手、ですよね?」

 運転手さんがハンドルを握りながら俺に囁く。

「いや… ただの居酒屋のママですよ…」

「あの… リクエストしてもいいですか?」

「…… 一応、伺いましょう」

 そのリクエスト曲の『新東京国際空港第一ターミナル』を伝言ゲームで後ろに送ると、即座にリクエストにお応えしてくれる。

 俺たちは渋滞でピクリとも動かない車内で、クイーンの美声を存分に満喫し旅愁に耽っていたのだった。


 スマホの充電がヤバい、とかでカラオケ大会、いやクイーン歌謡ショーが終わった頃、渋滞は少し緩和し低速だが流れ始めている。

 車内はクイーンの歌声の余韻による静寂から復活し、益々喧しさを増している。頻繁に席替えが行われており、前方に固めておいた真面目軍団と後方の不良軍団が、それぞれ席を変えてワイワイ騒いでいるようだ。

 もう俺は諦めて一人目蓋を閉じる。それにしても、意外に仲良くやってくれているのがちょっと想定外だ。結構キッチリと不良組、真面目組で分かれるかと思っていたのだが、そんなことはなく、互いに胸襟を開き合って話し込んで笑い合っている姿は、あの頃には全く見られないものだった。

 これはどっちがどっちなのだろう。不良組が真面目組を受け入れているのか、真面目組が不良組を怖がらずに寄り添っているのか。ちょっと先生に聞いてみようと思ったその刹那。


 突然怒鳴り声がバスの中に響き渡る。

 慌てて振り返り、近くのヤツに聞いてみると、どうやら青山と川村が制限速度で走行しているこのバスを煽っている車がある、と言って窓から空き缶をぶつけようとしているらしい…

 丁度中間の席に着座している秋本副会長にこの件を任せることにする。本当にコイツらとても五十代の集団とは思えない…

 だが収まりがつかない様子に俺は業腹し、

「副会長の言うこと聞けないヤツは、次のサービスエリアで降ろすぞ!」

 ようやく騒ぎは収まり、同時に運転手にペコペコ頭を下げる。

 蓮田SAに休憩で止まる頃には、俺はクタクタになっていた。


     *     *     *     *     *     *


「幾つになっても、生徒会長だね。金光くんは」

 副会長だった秋本さんが、可笑しそうに言う。俺は呆れ顔で、

「五十過ぎであの幼さ… こんな旅行、企画しなきゃよかった…」

「金光くんだから出来たんだよ。なんだかんだ言って、あの人達すごく嬉しそうだし」

「何だかな… そっちは楽しんでいるか?」

 秋本さんは吹き出しながら、

「もう笑って笑って〜 お笑い番組より遥かに面白くて、あの人達」

「そっか。なら良かった」


 彼女が楽しんでいるなら、それでよし。俺は何度も頷くと、

「うん。あの頃はただ『怖い人達』と思って、避けてたんだけどね、」

「そりゃ誰でも避けるわ」

「でも、あの頃ももっと彼らにちゃんと向き合っていたら、」

「え?」

 遠い遠い過去を惜しむ表情で、

「もっと楽しかったのかもね」

 俺は首を傾げながら、

「…そうか?」

 後ろからドシドシと足音が近寄ってくる。

「その通りだ、秋本、軍司!」


 先生が俺らの肩を抱きながら大声で言う。あれ? ちょっと酒臭い?

「あんな真っ直ぐな奴らはいない。あんな仲間思いの奴らはいない。根はホントにいい奴らなんだよ。軍司も健太とは仲良かったろうが?」

「まあ、そうですかね…」

「秋本も、あの頃アイツらに嫌なことされた事、なかったろ? 見た目で人を計っちゃいけねえ。な」

「そうですね。なんだかんだ言っても生徒会の決めた事は少しは守っていましたよね」


 確かに。アイツらは最近の中高生に蔓延る『虐め』とか『シカト』『仲間外し』などは絶対にしなかった。ちょっと気に食わないからと集団で無視したり、教科書やノートに落書きしたりしなかった。今の社会に比べ、人と違うことに対して許容範囲が広かった気がする。出る杭が打たれずらい社会だった気がする。

 子供の本質は変わらなくても、社会が変容してしまえばその行動原理は大きく変わっていく。今の社会は人と違うことに対して昔より過敏になっており、少しでも集団にとって異質なものを全力で排除する傾向がある気がする。


 昔は違った。人と違うことをするのが格好良かった。だから奴らは決められた制服でなく、長ラン、短ラン、ドカンにボンタンだったのだ。バイクを改造しナンバーを外し、ルールを無視して街を走り回っていたのだ。

 それが倫理的に良い悪いは別にして、昔の彼らは真の意味で他者を認め他者に寛容だったのかも知れない、そして本物の自己主張をしていたのかも知れない。


「そう。だから、アイツらは幾つになってもアイツらなのさ。大目に見てやれや」

 俺は遠くを指差しながら、

「…… 先生、あれも大目に見ます?」

「ん…? あれは… マズイ…」


 クイーンと健太達が、駐車場に停まっている黒のワゴン車を取り囲んでいる!

 先生と俺は慌てて駆け寄り、

「何してんだ! オマエら! やめないか!」

 クイーンが振り返り、

「おおキング。このクソガキがさっきアタシらのバスを煽ったんだわ」

 中村、猿田らが物凄い迫力で

「オラ出て来いや、クソガキがっ」

「ブッ殺すぞ、コルアー」


 四十年ほど前は都内有数の不良軍団。その迫力はいまだに健在だ。先生、仰る通りです、幾つになってもアイツらですよお…

 お盆期間中で大混雑しているサービスエリアの空気が凍りついている。スマホで動画撮影している人もいる。マズい、非常にマズい。

「止めろ。周り見てみろ! 通報されるぞ。警察来たら旅行どころじゃねーぞ!」

 俺は冷静になってコイツらに囁く。

「チッ 命拾いしたなクソガキ」

「次見かけたら、コロス」

「わかってんのかコラ!」

 捨て台詞とともにワゴンを蹴飛ばす健太とクイーンを先生が強引に引きずり離す。アホかコイツら、車に傷ついたら器物損壊になるだろうが… 身も心もすっかり昔に戻っているようだ。溜め息しか出ない…


「戻れ、発車時間だぞ! 乗り遅れるぞ」

「これ以上関わるな、S NSにアップされるだろうが!」

「はーい、早く戻りましょう、みんな待ってますよぉー」


 怒り収まらぬ不良軍団をバスへ戻らせるのは旧生徒会&バスケ部軍団だ。金八先生もグダグダ言っているヤツの尻に見事なローキックを決めている。誰もが、俺さえも、あの頃と何ら変わらぬ言動を振りまいている。

 この歳になって十代半ばのあの頃に戻っているという事実にふと気づき、何とも言えない気持ちになる。それは決して不愉快なものではなく、何か失くしたものを見つけた気分である。

 同窓会などの数時間の交わりではこんな気持ちになる事は無いであろう。旅行というものの新たな一面、即ち心のタイムワープ効果を発見した事に不思議な興奮を覚える。これは泉さんへの報告書にも落とし込んでみるか。


『旅行でなければ戻れない、あの頃に』

『あの頃を思い出したい? 旅行でしょ!』


 おお、良いではないか、良いではないか!


『旅路にて 三つ子の魂 思いだし』


 おおお、会心の出来じゃないか! 今度、由子に……

「キングー、早くしろよー、お前最後だぞー」

 そう言えば昔も、一人所構わず考え込んでいては、友人に注意されていた自分も思い出した。


     *     *     *     *     *     *


 車内のテンションは右肩上がりである。後部に陣取ったクイーン、健太らは、佐野を過ぎれば厄除けがどうのこうの、宇都宮を過ぎれば如何に自分が餃子通かを自慢し合い、側から聞いていても中々面白い。

 車内前方の真面目軍団はそれを聞いて腹を抱えて笑っている。そう言えば蓮田SAまでは後ろに座っていた先生は前方に席を移し、真面目軍団と楽しそうに笑っている。

 遠足、修学旅行でのバス移動の際、教師は最前方に座する。先生の横や後ろの席は罰ゲーム的な位置付けだ。先生も現役の頃はそうであった。でも今は生徒と交じって本当に楽しそうにされている。


 本当は、昔もこんな風にしたかったのではないだろうか。先生と生徒という関係は日本においては上下関係の根底となるものであり、絶対的なものである。先生と生徒、先輩と後輩。世界的に見ても日本ほどこの線引きが太く強い国は少ない。

 この日本独特の上下関係が日本人の礼節、勤勉の根幹であり、俺はそれを否定するつもりはない。然し乍らこの関係の最大の欠陥は同学年内でしか相互理解が深まらないという点だ。

 今の会社では全く感じないが、銀行時代などは『同期』という括りが会社人生の根幹をなしていた。同期以外との意思疎通が上手くいかないと会社人生での栄達はあり得ない。その意思疎通の手段は上司、先輩へは『胡麻擂り』、後輩へは『見栄はり』だ。

 どちらも本当の自分ではない、自分を『粉飾』して見せている姿だ。勿体無い話である。もし本当の自分を上司、先輩、後輩に見せることができ、そして相手のそれを知ることが出来る社会が日本でも成立していたなら、この国はどう変わっていただろう。


 今、生徒達と談笑している先生を見て、もしこれがあの頃もこうだったのなら、と思わざるを得ない。他校との抗争に明け暮れていた健太はどうなっていたか。仲間を守るために、社会への不満を晴らすために荒れていたクイーンはどうなっていたのか。

 その辺のことを今サッカーJクラブのユースチームのコーチをやっている永野健太に意見を聞こうと思って見回すと、如何にもコーチっぽいジャージ姿で、爆睡中だ。


「まーた一人で入っちゃってー もっと楽しもうよっ」

 生徒会グループの瀬戸さんがクスクス笑いながら俺に話しかけてくれる。

 俺は出発から変わらずバスの最前方の席でどっしりと構えているのだ。そんな俺の横の席に瀬戸さんがヨイショといかにも下町のおばさんっぽく座りながら、

「ホント、変わらないね金光君。周りに流されずにしっかり自分の道を歩いているって感じ」

 これ食べなよ、と差し出された煎餅を受け取りながら、

「そうかな?」

「うん。結局、三つ子の魂百まで、って本当なんだね。みんなも私も先生も」

 その通りだと頷きながら、

「その変わらないみんなと自分自身を確かめてホッとする、それが同窓会の意義なのかもな」

 彼女はプッと吹き出しながら、おい、煎餅のカスが俺の顔面に飛来しているぞ…

「まーた深く考えちゃって。禿げるよ」

 俺は亡き親父の遺影を思い出し、

「大丈夫。遺伝的に」


 そんな話をしていると、車内の雰囲気が気だるいものとなっているのに気がつく。後ろを振り返ると騒ぎ疲れたのか、半分は居眠りだ。起きている連中も騒ぐことなく各々何かに浸っている様子だ。

 スマホのマップを見ると、最初の目的地である『日光江戸村』まであと少しである。今回の宿以外の訪問先は、全て先生の意向によるものだ。歴史の教師だったので、今日明日は先生による江戸時代の話が聞けるのが俺は楽しみだ。が、後部座席の連中はどうなのだろう…


「起きろーー 起床ーー 日光江戸村に着いたぞー」

 予定到着時刻より四十五分ほど遅れてバスは駐車場に停車する。

「ふあーい」

「かったりー 宿行って呑もうぜ」

「アタシ、パスー」


 昔なら本気で面倒くさがっていたであろう。だが今は口では文句を垂れつつ、顔にはウキウキ感を隠せないヤンチャ軍団が可愛い。

 真面目軍団は、ああここ子供を連れて一昨年きたわ、とか懐かしいなここ子供の頃以来だよ、とかやはりウキウキした表情筋を見せている。

 昼食も含め十六時まで各自自由行動。俺は会社への報告書のネタ探しに一人行こうとすると、

「おいキング。一緒に回ろうぜ」

 クイーンが腕を取る。爽やかな香水の匂いに耳まで赤くなるのを感じる。


「ミッちゃんがキング襲わないように、アタシも一緒に行こっと」

「キングがクイーン押し倒さねえように、見張るか」

「でもー ホントに意外だよねこのカップル」

「ホントホント… 優等生とスケ番っ 今時のラノベにもないわ」

「二人の子供ってどっちに転がんのかなあ?」

「上の子がが不良、下の子が優等生に千点」

「俺は篠沢教授に三千点っ」

 …… コイツら… 言いたい放題言いやがって


 自由行動と明記した筈なのに、気付くと先生を含め全員で移動している。これは昔ではあり得ない現象だ。ましてや不良グループと真面目軍団が共に談笑しながら行動をしている。絶対に有り得なかったことだ。

 先生も不良グループに交じってワイワイ言いながら楽しそうだ。これも嘗てなら決して見られない光景だ。確か中三の修学旅行時には現地調達した木刀を肩に担ぎ、不良グループを後ろから睥睨しながら歩いていたものだ。

 皆で園内のレストランに入る。事前に予約していたので、団体客用のスペースに案内され、そこで各々好きなものを注文する。


「もちろんこの食事代込みなんでしょ?」

 ケチくさい下町根性丸出しの渡辺さんに

「もちろん自腹だけど何か?」

「もー、そこも頑張らなきゃ金光くん!」

 と叱られてしまう。

「あれー、ビール無料じゃないの? じゃキングの奢り? ラッキー」

 クイーン軍団の野村さんが勝手にビールを注文すると、我も我もと注文しだし… そんな訳ねーだろ、自腹だ自腹だと怒鳴ると、寂しそうに先生が水の入ったグラスを口にしているのが目に入り、

「あーー、くそっ 一杯だけだぞ、一杯だけなっ」

 今日イチの大歓声をゲットする。

 接待費で落とせるだろうか? 会社に戻ったら山本くんに土下座しよう、そう思いながら領収書を受け取るのを忘れないよう決意した。


 あっという間に食事を終え。その慌ただしい食べっぷりに笑ってしまう、レストランを出ると誰が言い出したのか、コスプレのサービスを皆でやろうという事になり。本当にお前ら大人なのか、と大きな溜め息を出しつつ、そのサービス処に皆で入って行く。

 俺も渋々新撰組の浅葱色の袴に袖を通す。男子は概ね俺と同じチョイスで、先生は幕末の何とか先生、を嬉しそうに決め込んでいる。

 女子は町娘、おてんば姫(婆)、くノ一などに。クイーンはどうしても花魁がいいと駄々をこねるが、これは数日前からの予約制であると言われ、事前準備の大切さをこの歳になって身に染みている様子だ。


 皆で写真や動画を撮りあっていると、突然奇声が上がる!

「出会え、出会え! 新撰組の御用改めである!」

「一番隊隊長、沖田総司です」

「二番隊隊長、永倉新八だっ」

 へー。意外にみんな詳しいな。歴史の授業は皆いびきかいて寝ていたくせに。

「七番隊隊長、井上源三郎であるっ」

 …… 誰それ? ドラマや映画で新撰組は知っていたが、そんな隊士がいるとは知らなんだ。ところが先生が昔ながらの激怒顔で、

「違ーう! 和田ぁ、井上源三郎は六番隊の隊長だっ 間違えるなっ」


 先生… そうなのですか、知りませんでした。ですが… どうでもいいです。

「副長 土方歳三、これより寺田屋の尊王攘夷派に斬り込むっ 続けっ 総司、永倉君っ」

 猿田が真剣な面持ちで言い放つ。おお、凄えなお前、よく知ってr―

「それも違う! 猿田ぁ、土方は寺田屋には切り込んでいないっ」

 先生… みんなドン引きして… あれ? そうでも無い? すると中村さん扮するくノ一が先生に斬りかかり、

「佐久間象山先生! お命頂戴!」

 先生も演技がかった様子で

「な、何者ー ギャーーー ばたり」

 多分、長谷川平蔵、通称鬼平に扮した井口が、

「そのくノ一を逃すなっ これ、そこの町娘、邪魔をするでないっ」

 宮内さん扮する町娘が目を光らせ空手の構えから、

「わらわの正義の一撃、受けてみよっ 『日光正拳突きっ』」

「グフッ む、無念… ドサリ」

 チーン。井口は昇天したのである。知るか!


 鼻で笑いながらその寸劇を眺めていると、周りの結構な数の一般客が遠巻きにして熱心に眺めている… 中には動画を撮っている外国人も… 溜め息と共に時計を見ると、そろそろいい時間である、思いの外コイツらの馬鹿芝居にのめり込んでいた己を恥じつつ、

「皆の者! 引き上げじゃー 屯所に戻ろうぞ!」

 思いがけず、つい大声で叫んでしまった…

「おおおおお 近藤先生、よし、引き上げだ!」

 俺は… 近藤勇だったのか… 思わず拳を口の中に入れようとしたが、普通に入らんかった。

「近藤先生、御意っ」

「勇の旦那、合点承知の助だいっ」

「皆の者、引けっ、引けい!」

 中学時代もこれくらい聞き分けが良ければ… サッと引き上げていく皆を眺めていると。

 その瞬間。グッ… 腹部に鈍い痛みが走る…

「隙ありっ お命頂戴っ」

 遊女の拳が俺の腹部に…

 …コイツ… 覚えてろ… あとで… 必ず…――


「……いじょうぶかな、金光くん」

「光子、やり過ぎー」

「クイーンの一撃! 懐かしいわー」

「キレがあの頃たぁ違う。磨き抜かれた年季の入った一撃だな」

 薄っすらと目を開けるとバスの中だ。俺はどうやら刺客の一撃で気を失っていたようだ。誰かがバスまで担いで来てくれたのだろうか。

 数ヶ月前暴行を受け意識を失くしたが、又してもこの女に…


「コラー 光子。先生、暴力は嫌いだ、こんなんじゃお嫁に行けないぞぉ」

 いやいや、暴力は先生の専売特許だろー、棒でほざくなー、そーだそーだ、ギャハハハ、なんて周囲から聞こえてくる。うるせえ、マジで。

「サーセンッ イヤー、久しぶりに燃えたわーーマジ楽しかったわ」

 今まで見たことのない晴れがましい顔で、クイーンが満面の笑みを浮かべている。

「…… キサマ 何の恨みで…」

「バーカ。シャレだよ、シャレ」

 シャレで男性の腹部を殴打し人事不省に陥れる。なんて恐ろしい女だ。やはりあの頃の俺の価値観では、到底コイツを受け入れられなかったろう。だが、今の俺ならば…

「よし。詫びな、詫び」


 不意に唇を奪われる。


「ちょ… きゃー光子、やり過ぎーー」

「うおーーーーーーー ク、クイーンの熱い一撃っ くーーー」

「キ、キレが違いすぎるっ 野獣のような一撃っ」

 バスの中は今日イチの盛り上がりだ。

「よーし、光子ー。先生は嬉しいぞー そのまま離すんじゃないぞー」

 先生は適切な注意勧告もせず、両手を叩いて大喜びだ。

「プハッ ヨッシャー、キングのファーストキス、ゲットオーーー」

 あ、アホかコイツ… 真っ赤な顔しながら必死にイキってやがる。そんな俺も顔が充血しているのを感じると共に、心の炭火の温度が高くなっていく…


     *     *     *     *     *     *


 ほぼほぼ予定表通り、バスは今夜の宿である『アンバサダーホテル鬼怒川 ザ プレミアム』に辿り着く。一般公開をしていないので事前に調べようが無かった為、リフォームされた外観を見て俺は呆然とする。皆は一様におおお、と歓声を上げ、俺を取り囲む。


「す、すげーよキング。お、俺たちココに泊まれるんだなっ」

「金光君、昔からやる時は半端無かったよね…」

「ちょ、みんな、写真、集合写真、早くっ」


 歓迎してくれるスタッフは両手に幾つものスマホ、カメラを渡されても、にこやかに対応してくれている。先生は俺の手を握り、

「軍司ー、有難うな。先生、嬉しいわ。オマエらとこんな立派なホテルに…」

 クイーンもホテルの威容に驚き喜びながら、

「ったく泣くなよ金八っつあん。まーでも良かったな」

「うんうん。光子ー、オマエもみんなとこんな所泊まれて、良かったな」

「えへへ。うん」


 殊勝にも素直に頷くクイーン。本当に嬉しそうな顔である。数ヶ月前に知り合ってから初めて見るあどけなさを浮かべた笑顔だ。不思議なことに、その顔に懐かしさを感じる。はてな? 中学時代に俺は彼女と関わりを持ったことは無かった。口をきいた記憶もほぼ、ない。

 きっと、このあいだ二人でみた卒アルのせいだろう… 俺は頭を数回振りながら、

「さ。みんな、行くぞ。荷物忘れるなよ。スマホ置き忘れてないかー」


「金光様ですね。アンバサダージャパンの代表の栗木と申します。この度はプレオープンにご協力頂けまして、誠に有難うございます」

 ザ・ホテルマンと言いたくなるようなキチンとした身なりの立派な男性が頭を下げてくれる。

「栗木さん、泉さんから紹介頂きました、旅行代理店『鳥の羽』専務取締役の金光です。よろしくお願いいたします」

「至らぬ点が多々あると思いますので、どうぞその場でご指摘くだされば幸いです」

「…… こちらこそ、相当ご迷惑お掛けしてすると思います…」

「では皆様、どうぞこちらへ」


 俺は早速ずっと疑問だったことを彼にぶつけてみる。

「ところで、どうして御社はこの鬼怒川に?」

 栗木さんは笑顔で頷きながら、

「やはり一番の理由はコストパフォーマンスでしょうか。この建物を含めた施設の取得費は我々から見れば格安でしたから。それとこの地域は自治体の協力体制がこの数年格段に良くなって来ているのです。東京からこの距離でこの値段、この環境。あとは御社をはじめとする業界の皆様のお力が有れば必ず…」

「成る程。良くわかりました。よろしくお願いします」

「こちらこそ」


 俺は頭を掻きながら、

「ところで… 今回お邪魔させてもらっている面子… その、団体客なんですが…」

 栗木さんは首を傾げ、

「御社のお客様ではなく?」

「はあ… 実は私の中学時代の同級生達でして… このホテルの想定されている客層とは少し… いや大分異なるかと…」


 俺が正直に申し上げると、にっこりと笑いながら、

「泉さんから伺っていますよ。実に素晴らしいと思います。この『同窓会旅行』という発想は世界でも非常に珍しいものです。是非こちらも勉強させて頂き、本社に新カテゴリーの提案をしていきたいと思っております」

「はあ… そう言って頂けると助かります… ですが、何しろ東京の下町の学校ですので、ご覧の通り…」

 俺が指差した先にはクイーン、健太達が年甲斐も無くヤンキー座りでポーズを決め写真撮影会。バスケ部チームは若い外国人の仲居さん達にデレデレ。生徒会チームに囲まれた先生は大声で鬼怒川と日光の歴史の講義。

 とてもこの高級温泉ホテルに相応しくない客達の挙動を眺め、栗木代表は目を細めながら言う。

「ははは。台湾をはじめとする東南アジアのお客様は、皆様こんな感じかと。逆にこれ位楽しんで頂けたらこちらは幸いです」

 確かに日本人の知識層はどこへ行っても非常に大人しい。サービスを提供する側から見て、彼らが本当に心から楽しんでいるのかわからない程に。旅の恥はかき捨て、とまでは言わないが、もっと楽しい気持ちを表現してもいいのかも知れない。俺には無理だが。


     *     *     *     *     *     *


 しおりの部屋割りに従って各人は部屋に入り、夕食の時間である七時までは温泉を楽しんだり近くを散策したりの自由時間である。

 俺は仕事を兼ねて大浴場へと向かう。山本くんからこのホテルの温泉のリサーチを厳命されているのだ。するとロビーで健太達に絡まれる。

「おいキング。卓球がねえぞ?」

「今時あるかよ。って、知らねえよ」

「いや、卓球はマストだわ、やっぱわかってねーなー 日本人の心がよお」

「ゲーセンもねえわ。んだよつまんねえ」

 これから仕事だと言うのに… くだらねえ事で邪魔しやがって…

「…じゃあ、撤収するか? 東京帰るか?」

「いや… その…」

「…なんか昔よりコエーぞ、キング…」


 俺は彼らを睨みながら、

「間違ってもホテルのスタッフに文句言うんじゃねえぞ。俺の顔潰すようなことしてみろ、」

 皆はゴクリと唾を飲み込んで俺を見つめる。

「お前ら、『居酒屋 しまだ』出入り禁にしてやるからな」

「ちょ、ちょっと待てや」

「そ、それは鬼過ぎだろ…」

「ひでえよキング、何もそこまで…」


 俺は睨み直しながら、

「じゃあ、絶対。文句垂れんじゃねーぞ、コラ」

 健太らはカクカクと頷く。何だかコイツらの口調が移ってしまった。我ながら、キモい。

 だが、こいつらの言っていた『卓球』に『ゲーセン』か。一応レポートに付け加えておこう、確か台湾や中国、シンガポールでは卓球は人気だからな。


 俺はバカどもをスルーして大浴場へ向かう。健太達が後ろから慌ててついてくる。そう言えばこのような温泉ホテルは本当に久しぶりである。少なくとも今の旅行代理店に入ってからは初めてだ。

 ここのところ、箱根、修善寺の高級旅館を梯子しているので、この外資系の温泉ホテルの浴場はどんな感じなのか大いに興味をそそられる。外資系だけに、これまで俺が楽しんだような風情はないのかもしれない。いや、日本人客に合わせて、侘び寂びを巧く取り入れているかもしれない。

 丁度ここに、俺よりも遥かに温泉を楽しんできている男がいる。コイツの意見は俺にとって大変貴重だ。

 脱衣所で一緒に服を脱ぎ、浴場に入る。そして俺らは呆然とする…


「な、なんじゃこれ!」

 健太は全裸のまま棒立ちとなっている。手に持っていた手拭いが床に落ちてしまう。それをよっこらせと拾ってやり、

「なあ健太… こんなゴージャスなものなのか、普通は?」

 健太は驚愕と喜びの混じった笑顔で首を振りながら、

「いや… こんなゴテゴテした風呂、見た事ねえー スッゲー!」


 大風呂に滝があるー しかも黄金に輝く滝である。

 その真ん中には黄金の亀の彫像が配置されている。

 風呂を覗くとライトが風呂の中で点滅している。

 俺は慌てて脱衣所に戻り、スマホを持ってきて写真を撮りまくる。スマホを戻して、


「健太。入ってみるぞ」

「お、おう。わ、スゲー これはインスタ映えするわーー」

「…なんか、うん、スゲーな」


 昔映画で見たテルマエロマエに登場する様な、豪華な浴場を彷彿とさせる造りに圧倒される。パッと見は違和感を否め無かったのだが、湯けむり越しに何となくゴテゴテを眺めていると、これはこれでアリだなと思ってしまう強引さが面白い。

 確かに俺が今まで入ってきた様な純日本的な温泉は、日本の心を象徴するようなものなので、自然美が大きなポイントであろう。


 だがその様な温泉では決して皆でワイワイと楽しめるものではない。エンターテイメント性を重視し入浴を楽しむならば、こちらの方がインパクトは遥かに大きい。

 特に俺らのような友人同士で大勢で入るなら、これ位が良いのかも知れない。ほら、もう彼方此方で騒ぎが始まっている。俺も彼らに混ざり、お湯の滝に打たれながら念仏を唱えたり、サウナでコーヒー牛乳をかけて我慢大会をしたりと、大いにレジャー温泉を満喫したのである。


 食事会場でもその興奮は収まらず、各々があの大浴場を語ることをやめない。散策に出ていた連中はその話を聞き、すぐにでも行こうと喚き出す。その騒々しさは料理が運ばれてくるとピタリと止み、今度はこの地産地消の会席料理に心身共に魅了されていく。

 どの料理も純和風ではなく、中華をはじめとする多国籍な調理法で、その素材の味を大事に活かしている素晴らしいものだ。一皿食べる毎に大騒ぎだ。


「なんかこの風景、給食でカレーが出た時を思い出すわ」

「それなっ てか、マジうめえ」

「先生、どうですか。口に合いますか?」

 先生は感極まり、といった表情で、

「軍司ー。美味しいよ。先生、幸せだぞ」

「おい金八っつあん、泣くな、泣くなよ」

「お前らと一緒だからさらに美味いんだよ。おーい、光子。どうだ、修学旅行の味は?」

「であの後体育館の裏でよお… あ? んだよ邪魔すんなよ。で、先輩がガン飛ばして、」


 先生の問いかけを無視して、昔の思い出語りに夢中だ。

「ハアー ま、楽しそうじゃないですか?」

「うんうん。お前も楽しんでるか、軍司?」

 先生のお猪口に地元のキリッとした日本酒を注ぎ込む。

「こうしてみんなが楽しんでいるのが、楽しいし嬉しいです」

 と正直に答える。


「相変わらずだな。でもよお、も少し自分が楽しんでもいいんじゃないか?」

「はあ、まあ」

「周りの奴がさ、お前が楽しそうにしてるのが嬉しい、って事考えたことあるか?」

「いえ…」

「お前が江戸村で浅葱色の羽織着たの見て、みんな嬉しそうだったぞ」

「はあ…」

「お前が、あの地元一の優等生のオマエが、自分達の所まで降りてきてくれたってな」

「……」

「あの頃の高いプライドが、オマエの視野を遮っていたんだよ。今なら理解できるな?」

「はい…」

「銀行で色々あって良かったな。そのプライドが霧散して、オマエは変わったよ。大事な物、大切なものが見えるようになっただろう?」

「…はい」

「二度と手放すなよ」

「ハイ」

「ったく。あの頃のオマエ全然わかって無かったもんなあ」

「へ? 何がですか?」

「光子のこと」

「はい?」


     *     *     *     *     *     *


 一番広い八人部屋に皆が集まり、地元の清酒の空き瓶が何本も転がった頃、俺は先生の言ったことを一人思い返している。中学生の頃、俺がクイーンの事を何も知らなかった? それはそうだ、生徒会長と不良。水と油だ。当時俺は彼女をまともに見ようともしなかった。向こうもその筈だった。


「それにしても光子、ホント良かったよね。何十年越しの願いが叶って」

 久米さんがしみじみと呟く。

「何だよそれ、教えて教えて」

 中村がしつこく絡む。

「バーカ。テメエら如きに語るかボケ」

「ちょ… いーじゃん教えてよ」

「だからー 光子は誰より行きたかったんだよ、あん時の修学旅行に」


 クイーンを見るとはしゃぎ疲れたのか、完落ちして鼾をかいている。そう言えば彼女が修学旅行に来なかった理由は何だったのだろう。

 クイーンの取り巻きにそれとなく問いかけてみる。


「って… アンタがそれ聞く? 参ったな…」

 佐藤さんが呆れたというか困ったような表情で言うので、

「俺が? 何で聞いちゃいけないんだよ?」

「そーだそーだ。何で軍司が聞いちゃいけねえんだよっ」

「てか、あれだろ、バイクで怪我したんじゃなかったっけ?」

「あれ、一人で舟橋連合をシメに行ったんじゃ…」

「はあ? 深川署のブタ箱に入ってたんじゃあねえの?」


 クイーン軍団の副番格であった上田律子さんがチッチと指を振る。ん? 旧姓上田、今は立川さんだったか。ま、旧姓でいっか。

「チゲーよ。光子がどうして修学旅行に来なかったのかはアタシらも知らない。聞いても絶対教えてくんなかったんだよ。ただね…」

「うん。はぐらかして理由は教えてくんなかった。でもな…」

 久米さん、佐藤さんらがポツリポツリと呟く。

「あんだけ行きたがってた日光にさ、来なかった理由。それ、多分…」

 上田さんが俺に向き直る。


「アンタのせいだったんだよ」


 男たちが一斉に唸り声を上げる。俺の頭上にはてなマークが回転している。

「アンタさあ、あの修学旅行の直前の生徒総会でさ、髪の毛を染めたり脱色してる生徒の参加を認めないって言ったの覚えてる?」

「おーーーーー言ってた言ってたっ」

「完全シカトしたな」

「ムシムシ」


 …… 記憶にない。が彼らの会話を聞いているうちにふいに思い出す。

「そう言えば… 毎年旅行先での他校との喧嘩沙汰を防止するために、提案した、な…」

「でさ、次の日に光子が髪黒くしてアンタに会いに行ったの覚えてる?」

 これこそ本当に記憶がない。男たちも全く知らなかったようだ。

「クイーンが黒髪? ないない」

「入学式から金色だったべ」

「ホントかよ、無いだろソレ」

 久米さんがボソリと呟く

「それマジだったんだよ… ミッちゃんが黒く染めたの」

 一同が、俺もだが、シーンとなる。当時の情景を思い出そうとするが、どうしても記憶のファイルが見つからない。


「でも… どうして? 黒く染めたのなら、参加できたんだろ?」

 佐藤さんが俺をキッと睨みつけて言う

「アンタが… 何か光子に言ったからだよ!」

 男たちと生徒会女子全員の頭上にも、はてなマークが降臨する。

 上田が深い溜息と共に吐き出すように呟く。

「アンタが何て言ったのかは絶対アイツ教えてくれない。でもね、アイツさ、多分アンタのために行くのやめたんだよっ」

「俺のため? どうして?」

 上田は哀れみと言うか蔑みの眼差しで俺を睨み、そしてゆっくりと呟いた。


「光子… アンタのこと、マジで好きだったから…」


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