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King & Queen 2  作者: 悠鬼由宇
2/8

鬼怒川温泉

 定時をちょっと過ぎた頃、俺は席を立ち山本くんの席へ行き、

「さ、そろそろ行こうか」

 と声がけをすると、周りの女子社員達が、俺を愛する妹を刺し殺した凶悪犯のように睨み付ける。それ以外の男子社員達は「珍しい組み合わせっすね」と思っているようだ。

「へへ。部長、これから専務に行きつけの人気の飲み屋に連れて行ってもらうんっす。えへへ」

 企画部長の迫田はへえと頷き、

「専務、次の企画の作戦会議ですか? また頼みますよ、凄いやつ」

 と容赦無くプレッシャーをかけてくるので、

「違う違う、彼に失礼な物言いをしてしまったお詫びの酒だよ。あ、迫田くんも一緒にどうだい?」

 ギョッとした迫田の顔が面白い、葵風に言えば、ウケるー、である。

「あ… いや… ぜひ、また今度…」

 正直、ぜひ一緒にと言われても困るので、

「ああ。また誘うな、それじゃお先に」

 と言って山本くんと社を出た。


 地下鉄有楽町駅までの道すがら。

「全く専務、誘う相手間違ってますって。村上さんとか田所さん? 女子社員を誘わなくっちゃ。専務は彼女達と上手くいってないんですから、もっと積極的にコミュニケーションを取らなきゃダメですよ」

 と説教されてしまう。こいつ分かってんだか分かってないんだか、微妙な奴だな。

 俺は前職のあらぬ噂(まあ、半分は当たっているのだが)を信じ切って、俺を徹底的に無視しているこの会社の女子社員達と、無理矢理仲良くなろうなどと微塵も思っていないし、その気持ちも全くない。

 こっちが指示した仕事はそこそこやってくれるし、出されるお茶にゴキブリや蜘蛛の死骸が入っていたこともない。前職での俺のやらかしを弁明する気もないし、理解して欲しいとも思わない。そう、今の状態のままでも仕事は走るし業務に差し支えることは何もない。


 それを彼に伝える気もないのだが、あまりにしつこく女子社員と仲良くしろしろとうるさいので、

「実はさ、今付き合っている彼女が、会社の若い女子に嫉妬しててな。だからあまりこっちから積極的に仲良くできないんだよ」

「はあ? 専務らしくない。元天下のメガバンクの支店長を張ってらした方のお言葉とは思えない。何ですかその彼女? 仕事に口出すな、位言ってやりなさいな。あ、何なら僕が言いましょうか?」

 俺は腹筋が崩壊するほど痛くなり、

「そっか。実は今から行く店さ、俺の彼女の店なんだよ。じゃあ一つ、ビシッと言ってやってくれるかい? なんか済まないね、プライベートまで世話になっちゃってさ」

 山本くんはふんぞり帰って、

「任せてくださいよ、ビシッと言ってやりますよ、ビシッと!」


 家族以外の人を初めて『居酒屋 しまだ』に連れて行くが、今から彼がどうなってしまうのか、楽しみで仕方のない俺は、早歩きで門前仲町の駅の階段を駆け上がるのだった。


「へーーー 思っていたのと感じ違いますね」

『居酒屋 しまだ』の外見を眺めながら、彼はボソッと呟いた。

「ははは。どう思ってたのさ?」

「金光さんってもっとオシャレで高級な割烹とか料亭を行き着けにしているかと。こんなザ・居酒屋みたいな店とは思ってませんでしたよ」

『居酒屋 しまだ』の暖簾の前で実に大胆な発言だ。若さって恐ろしい… と思っていると後ろから殺気を感じたのでスッと横にズレる。


 山本クンの後ろ髪が鷲掴みにされ鋭利なナイフ… ではなく、家の鍵が彼の喉元にあてがわれる。

「悪かったな、オシャレじゃなくてただの居酒屋で。コロすぞ」

「ヒーーーーーーーー」

 彼は今まで聞いたことのない悲痛な叫び声を上げる。

「って、キング誰だコイツ?」

 鍵を喉にグリグリするのだから、山本くんは激しく咳き込む。

「会社の部下の山本くん。ほら、『あおば』とか持って来てくれた優秀な部下だよ」

「おーーーーー、よく来たなテメエ。そーかそーか、キングの部下、な。よしよし。入れ入れ、おーい忍ー、生三つ! 一つはアタシの奢りなー」

 首根っこを掴まれながら山本くんはクイーンに店内に拉致連行される。バックパッカーだった彼も、この様な恐怖体験は流石にあるまい。その姿はさながらアマミノクロウサギに咥えられたヤンバルクイナの様である。知らんけど。


「何何何ですかあの人… 僕、殺されそうになりましたよね、一体…」

 予約席、と言うかいつものカウンター席で彼は喉を押さえつつ慄いている。

「この店の主人、通称クイーンこと、島田光子。詳しくは『深川 クイーン』でググってみ」

「クイーンって… えーと。深川、クイーン。………」

 真剣にググりだす彼を放置し、

「忍ちゃーん。ビールお代わり二つねー」

「ほーい。いーなー修学旅行」

「一緒に来ればいいじゃん」

「いやあ、流石に中学も学年もチゲーから」

 え? そうなの? てっきり深川西中学校の二つか三つ下だと思っていた。

「そっか、忍ちゃん何中だったっけ?」

「東中っす。それにニコ下っすから。」

 なんだ。全然違う学校じゃん。東中は住宅地にあるから、我が西中よりも遥かにお行儀も良いし進学率も良かったものだ。


「そっか。そーいえば、忍ちゃんとクイーンって、どうやって知り合ったの?」

「へ? 話してなかったっけ? レディース一緒だったんすよ」

 女子限定暴走族、な。

「ああ、あの、何つったっけ、」

「深川メデューサ」

 突如ググっている山本くんが口を挟む。

「知れば知るほど… 恐ろしい女ですよ。何ですかこの事件、『お台場の乱』って…」

「何じゃそれ?」

 忍は懐かしげな表情で

「それそれ。その事件以来っすかねえ、アタシと姐さんの付き合いは……」


     *     *     *     *     *     *


 山本くんは読み進むに従い、額から大粒の汗を垂らし始める。ありえない、信じられないを連発しつつ、俺にその事件の内容を説明してくれている。

 何でも対立するグループが当時中二の最年少グループ員を拉致、更に暴行を加えしかも男友達に… 事件は俺らが高一の時に起きたらしい。ん? 中二のグループ員? というと2コ下 … え、まさか…


「そっす。それアタシっす。拉致られて輪姦されたの」

 忍はニッコリ笑いながらカミングアウトした。


 俺は頭が真っ白になる。

 なんだと? この子はまだ13、4の頃に、この世の地獄を経験しただと?


 まん丸の顔に厚い安化粧。見た目は俺やクイーンよりも老けており、髪も染色が抜けかかっていて白髪も目立つ。だがその笑顔は誰よりも明るく何よりもパワーをくれる。

 全く知らなかった。いつ来ても圧倒されるほどの陽気で仕事に人生に疲れた俺、客達を元気づけてくれている忍が、まさか過去にそんな辛く悲しい出来事があったとは…


「そ、そんな…」

 山本くんはそれ以上言葉が出せず、ただ視線がスマホ画面と忍を行き来している。俺も絞り出すように、

「忍ちゃん… すまん…」

「何十年前の話っすか。もう全然っすよ」

「いや、それでも… ホント知らなくって…」

 

 忍は更なる笑顔で話しだす。

「でね。一番下っ端っすよアタシそん時。向こうもまさかこんな下っ端のために全面戦争になるとは思ってなくてアレだったんじゃないっすか。アタシも仕方ねーと思ってましたし」

「で、でもクイーンが?」

「そ。名前も知らねえ一番下っ端のアタシの為に、あんな大事件起こして」


 忍が遥か遠くを見る目で静かに呟く。

「アタシ死のうとしてたんっすよ。拉致られてボコられて輪姦されて。心と身体をグッシャグシャにされて。生きてく気失くして、病院のベッドでいつどうやって死のうかってコトばっか考えてたんですよ」

「うん。うん…」

 横を見ると山本くんが目に涙を浮かべて聞いている。その山本くんの姿が突如滲んでくる。

「ちょ、二人とも何すか、湿っぽい。そんな時ね、姐さんが突然見舞いに来てくれたんっす」

「……」

「もうビックリっす。あの大江戸連合のクイーンが、メデューサの大幹部が、名前も知らねえ一番下っ端のアタシの見舞いに来てくれたんっすよ。そんでこう言ってくれたんです、

『必ずヤツらぶっ潰す。んで、オメエの面倒ずっと見てやる。だから、早く元気になれ』

萎れてたアタシの心と身体、ガツンと生き返りましたわ、ガツンと。キャハハ〜」


 山本くんは涙をおしぼりで拭い、スマホを読み進める。

「で… 本当でしょうか、この文章は…

『そしてお台場の駐車場にて大乱闘、相手のヘッドに大怪我を負わせて… 片目を潰した』

…まさか…ね…」

 山本くんがゴクリと唾を飲み込む。

「あーーー 当たりどこ悪かったんだよー、なキル子の奴。頬狙ったのに頭伏せやがるからよお」


 クイーンが一息入れに俺たちのカウンターにやって来てiQOSを咥える。山本くんがヒッと呻き、身を縮ませる。

「これは、まさか、

『通報により駆けつけた警察車両に損害を与え…』

ないですよね?」

 クイーンは仏頂面で、

「しゃーねーだろ。仲間逃す時間稼ぎによ、金属バットでフロントガラスを叩き割っただけだよ」

「マジか… で、でも、この、

『更に、複数の警察職員に暴行を加えた…』

こ、これはさすがに創作?」

 不貞腐れながら、

「しゃーねーだろ、寄って来てワキガ臭くてキモかったからよ」

「お、恐ろしい… 恐ろしすぎる…」


 心の底から怯えている山本くん。ネットで都市伝説化されている人物が目の前におり、当時の事件を赤裸々に語っている。更にネット上には書かれていない事件の裏まで掘り下げられ、それが想定外に無残で残酷で…

 彼は今茫然自失状態と言えよう。

 よし、今だ…


「そうだよ。山本クン。このオンナはね、昔から怖い人なんだよ」

「はい… ゴクリ」

「そのコイツがさ。行きたいんだって、修学旅行」

「はい…」

「来月のお盆前、日光に」

「はいー?」

「な、クイーン?」

「まーな」

「ヒッ」

「俺さ、コイツに約束しちゃったんだよ。なるたけ高級で、送迎付き、二食付きで、」

「きゅ、9800円、ですか……」

「そ。コイツにも、コイツの怖いダチにも約束しちゃたんだ…」

「だ、だけど、それは金光さんが…」


 クイーンが山本クンの顔にiQOSの煙を吹きかけながら、

「わりーな、コイツ使えねーだろ。だから、頼むわ若い衆! ヨッ!」

「ひいいーー わかりましたーー 何とかしますぅーー」

「それでこそ、キミだ。山本くん。もうキミが俺をバカって連呼したコト忘れるよ」

 クイーンの綺麗な眉毛がありえない曲がり方をし、

「は? オメ、調子こいて人のオトコ、バカにしたんかコラ?」


 山本くんはスツールから飛び降り、その場に土下座をしながら

「すいませんすいません知りませんでした申し訳ありません二度としません許してください命だけはお願いします助けてくだ」

 そんな彼を無視し、忍が目をキラキラ光らせながら、

「あれーーーーーーいまーーーーー」

「ちょ、忍オメ、ちょ」

「キンちゃんのことぉー 『人のオトコ』って言ったあーー」

「ば、バーカ、例えだろが例え、あれ? あ、やべ、で、電話しなきゃ翔にヤバヤバ」

「姐さん逃げたーー キャハハ、逃げた逃げたーーー」

 忍が大喜びし俺が真っ赤になっているその足元で、

「すいません助けてくださいもうしません絶対しません調子乗ってました許してください死にたくないですお願いしm……」


     *     *     *     *     *     *


「かっ か かね かねみ かねみてゅ かねみてゅ専務―」

 

 目は虚で、とても正常な人間とは思えぬ表情だ。

「…… どうした、山本くん?」

「ひっ 御免なさい御免なさいー うわーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 

 全社員がこちらをガン見している。女子社員が俺を睨みながらコソコソ話している。社長室から若き社長が顔を覗かせている。まさか、ここまでクイーン効果が彼の心を蝕むとは…


 あの夜の翌日、彼は無断欠勤した。

 土日を挟み今日は月曜日、彼は出社した。げっそりと痩せ細り、目の下に黒い隈を作り、服はシワくちゃ。髪はボサボサ。しかもちょっと臭う。このまま心療内科に連れて行くべきだろうか悩んでいると、

「こ、こ、こ、コレで勘弁してくださいっ お願いしゃすっ こ、こ、こ、これ以上無理っす 頼みますっ ひいーーーーーー」


 数枚の企画書を俺に放り投げ、彼は出て行った。俺はそれを拾い上げ、サッと目を通す。いつもとは比較にならない乱雑さである。だが、要点はまとまっており、俺は何度もなるほどと頷いてしまう。

 後で彼をとっ捕まえて、鰻でも食わせてやらねばなるまい。


「成る程。日光、ではなく、鬼怒川、ですか」

 社長の鳥羽が大きく頷く。

「鬼怒川って日光に近いんですかね? でもまた何で鬼怒川なんでしょう?」

 その位置関係も分からず、俺は首を傾げていると、

「あれ専務、ご存知ないですか? 最近ネットでも廃墟ホテル、とかで割と有名なんですよ、鬼怒川の荒廃ぶりが」


 俺は社長室で若き社長と語り合っている。この会社のメインバンクである東京三葉銀行から押し付けられた俺を彼は未だに敬ってくれる。確かに歳が15近く離れてはいるし、メインバンクの元支店長級の人材なので仕方ない。

 一年ほど前に転籍して以来、彼は変わらぬ接し方である。殆どこれといった仕事をしなかったこの春までも、それ以降も。


 俺たちは互いにざっくりとした経歴は認識し合っているが、それ以上のこと、例えば趣味、好きな食べ物といった事を知らない。まあどちらかと言えば、俺が知ろうとしてこなかったのだが。

「そう言えば社長も旅行、温泉、好きなんでしたっけ?」

「旅行は大好きです。私は登山が大好きなのです。温泉は、まあ有れば入ってみようかなって感じですかね」

 ああ、そう言えば風の噂で何となくそんな話を聞いたな、なんて思いながら、

「じゃあ、好きな事を仕事にしたんですね?」

「はい。登山仲間やバックパッカー仲間で立ち上げたんですよ、この会社を」

 全く。この会社がサークル、部活の延長線上なのは今も変わりがない。

「そう言えば山本くんも?」

「はい。と言うか、社員の殆どがそうじゃないかな。専務と営業の三ツ矢部長くらいですよ、とくに旅行好きでない社員は」

 それってほぼ全員が、と言うことだよな、と思いつつ、

「…… 何故、僕を? 銀行に無理やり押し付けられたから?」

 鳥羽はとんでもございません、とばかりに首を大きく振りながら、

「何人か候補を頂くんですよ。その中から、その方の経歴と趣味を見て、決めました」


 それは知らなかった。軽い面接はした記憶があるが…

「旅行が趣味、って方多いんですよ、特に五十代以上の方は。なので敢えてそうでない方を。それが金光さんでした」

「意外でした。それはどういう意向で?」

「僕らは所謂『旅行キチガイ』なんです。旅に出るために働き、旅の終わりには次の旅を渇望するんです。なので、しっかりと会社に根を張れる、どんなトラブルにも動じない、流行り廃りにも動じない。フラフラしがちな社員社風を厳かに見守れる。そんな人材がどうしても欲しかった。ふふ、ご自分でもピッタリ当てはまると思いません?」

「過大評価ありがとうございます」


 やはりこんな小さな会社でもトップに立つ人間の人を見る目は流石だ。彼に言われるでもなく、俺のこの会社での立ち位置はそんなところだ。

 この数ヶ月、日に日に居心地が良くなって来ている。


 社長にヒントをもらい、今回のミッションの突破口を了知した。人気の落ちたかつての有名温泉街ならば盆前でもチャンスはある。然し乍ら俺には土地鑑が全くない。ホテルや旅館にツテもない。山本くんをこれ以上働かせたら、屋上から飛び降りるか会社を去ってしまうかもしれない。

 これは、あの方のお力を借りるしかあるまい。

I

 SSAという世界的な温泉評価団体がある。そのシニアインスペクターの泉氏とは、ある出来事以来仲良くさせて貰っている。病気で入院していたのだが、先日無事に退院したとの連絡をもらっていたので早速連絡を取る。

 彼は立場上、旅行代理店『鳥の羽』社員としての俺と会うことは出来ない。だが、ただの温泉仲間の金光となら自由に付き合えるのだ。

 前に入手した彼の個人連絡先へ、自分のスマホから自分のアドレスで連絡する。退院したばかりで暇なのだろう、すぐに連絡がつく。

 そして今夜『居酒屋 しまだ』にて、快気祝いのご接待の約束を取り付けた。


     *     *     *     *     *     *


 カウンター席は老人には辛かろうと、テーブル席に俺たちは座る。既に帰宅していた翔を誘うと喜んで降りてきて、久しぶりの対面となる。


「いやー これはこれは、再会できるとはー それも駅で倒れた時の、命の恩人のお坊ちゃんにもお会いできるとはー いやー素晴らしいー」

 翔も満面の笑みで、

「ご無沙汰してます。病院でお話しして以来ですね。島田翔です」

「いやー ホントに… ホントにあの時は有難うー それにしても、何という…」

「ですよね、その時の子供の祖母の全裸をー」

「いやいやいやー ですから金光さん、あたしゃあの時そんな余裕は…」


 ちょっと揶揄うといい反応をしてくれる。さすが中々の人物である。

「まあまあ、泉さん。乾杯しましょ。もうお酒少しなら大丈夫ですよね?」

「いやー 参った参ったー 今夜もお手柔らかに頼みますよー」

 つい先日千駄ヶ谷の病院を退院し、体調も良好との事。だが温泉はこの夏は控えるように言われていること。なので秋頃からまたISSAの仕事を再開しようと思っているとの事。

 

 泉さんの全快を祈りつつ、俺は『友人』として、鬼怒川温泉について尋ねる。

「鬼怒川温泉って僕もネットで見ましたよ。すごい荒れっぷりですよね… まあ、元々がどうだったかよく知らないのですが…」

「いやー とっても良いところなんだけどねえ」

 クイーンが小皿を持ってきてポンと置く。

「ホイ。塩分控えめな。体大事にすんだぞ、じーさん」

「いやーーー これはこれはー どれどれ。うんっ 美味しい!」

「お婆ちゃん、料理褒められるの珍しいね」

「バーカ。本気だしゃ、こんなもんよ」

 いやいやいや、ここ居酒屋。料理店。常に本気出せよ……


「金光さん。ここだけの話です。よく聞いておいてください」

 一通りの皿を味わい、久しぶりの外食を満足した泉さんは、杯をチビリチビリと舐めながら小さい声で呟きだす。

「承知しております。お願いします」

「台湾のリゾート会社が買収し、改修中のホテルが鬼怒川にあります。そこが秋にオープン予定なのです」

「成る程」

「社長の李さんとは旧知の間柄でして。どうでしょう、そのホテルのオープン前の予行練習、つまりプレオープンに訪れてみては?」

「本当ですか! それは素晴らしい! ただー 今回の客層なんですが… 年収500万円以下の低所得者層がメインなんですよ」

「でも金光さんの様な方もいらっしゃる。ホテルとしては良いケーススタディーとなるでしょう。その辺りは私が李さんに言い含めておきますよ」


「スゲー じーさん、カッコいいわ、見直したわ」

 仕事を忍に任せ、テーブル席に座っているクイーンが、うっとりとした目で泉さんのお猪口に酒を継ぎ足す。

「いやー 貴女には眼福の思いをさせて貰いましたしねー あっ…」

 俺はニヤリと笑いながら、

「… やっぱり、見てましたよねえ、あの時」

「ま、そこは私と金光さんの、ね」

 ウインクされ、ドキッとしてしまう。色気のあるじーさんだ…

「では、後日詳細を連絡します。いやー、光子さん、〆にご飯物ありますかね?」

「ハイよっ『深川めし』なんてどーよ? ちょっと人気なんだぜ」

「いやー、いいですねえ、深川めし。ぜひお願いしますよ、楽しみだなあー」


 〆の深川めしを絶賛した後、泉さんは一人で帰宅する。退院したばかりで久しぶりのお酒が入ったせいか、椅子を立つ時に少しよろめいたので、クイーンが腕を肩に回し店の外まで送って行く。その瞬間、ニヤリと笑ったのを俺は見逃さなかったがな… エロじーさん…

 席をカウンターに移し、俺はスマホでその鬼怒川のホテルを探るも、

「うーん。流石にそのホテルの情報、ネットにも全然出てないわ。泉さんの連絡待ち、かな」

「でも良かったですね。『アンバサダーグループ』と言えば欧米でも評価高いみたいですし」

 翔が李氏の会社を調べてくれている。俺にはよくわからないので、明日にでも山本くんに聞いてみよう。昼にメシ誘ったが激しく拒否されたから、まともに口聞いてくれるか微妙だが。


「そう言えば。最近、葵とは上手くいってるの?」

「彼女は来年受験ですからね。最近は専ら図書館で一緒に勉強しています」

 戻ってきたクイーンが首を傾げながら、

「図書館? しょっちゅうアオジルん家でメシ食ってくんじゃんよお。部屋で何してんだか〜」

「ちょ、ちょっと…」

 翔がサッと青褪める。俺は頭にカッと血が昇っていく。

「……聞いて… ねえぞ…」

 俺は無意識のうちに立ち上がり、翔の目の前で仁王立ちする。

「ま、待って、お父さん…」

「は? 誰がお父さんだって? オマエ、表に出…」

「ぶははー。おい翔、ちゃんと着けてやってっかあ? え? 来年アタシひい婆ちゃんってかあ、ギャハハー」


 その時、ガラガラと店の扉が開き、

「誰がひいお婆ちゃんなんですかー 先輩!」

 翔が救いの女神を仰ぎ見るように、

「あっ 間宮先生! こんばんは!」

 俺の怒りと切なさは一瞬で吹き飛び、

「ゆうこちゃん、久しぶり。忙しそうだね」

 久しぶりの眩いばかりの笑顔が、

「せんぱいー 会えなくて寂しかったですー」

 苦笑いしているクイーンは、

「ゆーこ、テメ… 生でいいか?」


 間宮由子が久しぶりにやって来た。天然美人俳人としてマスコミにもよく出ており、西中の出世頭だ。かつてクイーンの舎弟? 舎妹? であり、西中の『赤蠍』と言えばクイーンの次くらいに名の知られた不良娘であった事は、世間様はあまりご存知ない。

「修学旅行! いいなー 私も参加いいですかねー?」

 俺は一瞬、由子と一緒に入る温泉を思い浮かべ、軽く前屈する。

「バーカ。オマエいっこ下じゃんか。ダメダメ」

「えーケチ。金八っつあんかー。懐かしい… お元気でした?」

「元気だったよ、変わらず。あれ、ゆうこちゃん達も教わったんだっけ?」

「いいえ。生活指導の方で、ね」

「ははは。君らの代も荒れてたんだっけか?」

「まあボチボチでしたー。でも私が高校進学しようと思ったのは金子先生のご指導なんですよ」


 なんと。俺たちの下の学年の生徒にも、変わらぬ愛情と熱情を与えていたんだな。

「そうなんだ?」

「はい。『お前は自頭が良い。勉強の仕方を学べば大学いけるぞ』って。最初はウザかったんですが、中三の一学期に私たちの代の先生連中を巻き込んで私の勉強会を始めたんです」

 それはかなり大掛かりな… 今度先生にお会いしたら、由子のこと聞いてみよう。

「へーーー。そうだったの?」

「そう。そうしたら、それまで何も勉強しなくって学年の半分くらいだったのがー」

 翔が驚きの表情で

「えー、半分取れてたんですか… 凄い… そ、それで?」

「中間テストで15位くらい。期末テストで3位だったかなー」

 俺と翔は顎が外れんばかりに口を開き、目の前の美魔女に平伏す。


「おい翔、ウチの娘、どうよ…? ちゃんと高校、行けそうか?」

 翔は真顔で何事か考えながら、

「…… 僕が、何とか、します…」

「頼むぞ!」

「承知」

「キャー 俺が彼女の勉強を見てやるぅー アオハルですね、ア・オ・ハ・ル!」

 由子は嬉しそうに翔の頭を撫でる。無意識のうちに俺も頭を差し出していたらしく、そこにはクイーンの鉄拳が落ちたのは言うまでもなし。


     *     *     *     *     *     *


 アオハルとは青春と同義語と知ったのは翌朝の朝食時。娘の葵に受験生として勉強に励めだの彼氏といちゃついている場合かだの小煩い説教をかまし、葵にガン無視され、お袋に逆にお前は小煩い、もっと器をどうのこうのと小言を言われ、逃げる様に出社する。

 俺を見た瞬間180度ターンした山本くんの肩を掴み、台湾の『アンバサダーグループ』について教えて欲しいと言った瞬間、クイーンショック前の彼に戻ってくれた。良かった。


「さすが、泉さんですね。アンバサダーグループが鬼怒川温泉に目を付けていたとは… これ、ウチの業界でもノーマークだったと思いますよ」

「そうなのか。俺は鬼怒川温泉自体、よく知らないんだよな…」

「ちょうど金光さん世代までの東京近郊の定番温泉街ですね。団体客メインでした。『東京の奥座敷』なんて言われて、熱海、箱根に匹敵する人気だったんですよ」


 鬼怒川温泉。正直名前は知っているが、行ったことある人間も知らない。

「そうなのか。でも何で今、ネットで荒廃だとか廃墟だとか…」

「バブル崩壊後の融資ストップとか? その辺りは金光さんの方が詳しいかと…」

 ああーー。思い出した思い出した! なるほど、そう言うこと。知ってるも何も、俺の同期が深く足を踏み入れて、泣く泣くどっかに飛ばされた案件だったわ。

「成る程な。バブル前の過剰融資。足利銀行の経営破綻。それによる不良債権化。それに加えて福島原発の風評被害。惨憺たる有り様だな…」

「『温泉の 泡が弾けて 夢の跡』って感じですかねー」

「…… 間宮先生に添削してもらうか?」

「え! お会いできるんですか! うわあ、光栄です」

 俺はニヤリと笑い、

「…… あの店で…」

「ひーーーーーーーーーーー」


 山本くんに深呼吸を10回程させて落ち着かせた後、

「でも、何でそんな落ち目の温泉街に、世界的観光グループが目をつけたんだよ?」

「ハアハアハアー 個人客や富裕層のニーズに地元が気付き始めて、行政も巻き込んで変わり始めたんじゃないですか。地産地消的な町おこしも育って来たのでは?」

「そうか。復活の鬼怒川温泉か…」

「わかってますよね、専務?」

 山本くんが上目遣いで俺を睨みつける。

「は?」

「鬼怒川温泉に話題の外資系ホテルオープン。その全容を何処よりも早く、我が社が知るのです!」

 お。調子戻ってきたのでは。善き善き。ちょっと煽ってみるか。

「って… コレ修学旅行なんだけど… 自腹なんだけど」

「は?何言ってんですかナメてんですかこんなチャンス有りませんよ我が社独占プレオープン情報ですよどんだけ価値があるか分かってますか馬鹿ですか」

 よしよし。完全復活じゃないか、山本くん。

「あ。今バカって言った。アイツに言いつけるかな…」

「ひーーーーーーーーーーーーーー」


「すみませんね、専務。プライベートでお楽しみの予定なのに…」

 若社長がやや申し訳なさそうに頭を下げてくれる。

「彼の『当社独占』に惹かれました。初めてじゃないですか、ウチが発信源って?」

「この路線では初めてです。専務、期待しちゃっていいですか?」

 鳥羽が目をキラキラさせて俺を覗き込む。

「ま、何とかやってみますよ。少しはこの会社、儲けさせなきゃ」

「それは是非!」

 深々と頭を下げられてしまう。


 この会社はやり方次第で必ず大きくなる。俺の銀行時代の経験から診て、淡い期待感を否めない。三年前の支店長の俺なら、そこそこ融資していただろう。

 社長室を出て自分のデスクに戻り、スマホメールをチェックすると、泉さんから連絡が来ていた。早速アンバサダーグループにアクセスしてくれたようだ。仕事の早い男である。

 メールによると、一週間前までには大まかな人数を決めて欲しい、料金は二食付いて一人5000円でどうだろうか、とのこと。また、宿泊後にレポートを提出して欲しいらしい。

 俺は全て了承した、よろしく頼むと認め、返信ボタンをタップする。


 俺たちの五十代の修学旅行が動き出した。


     *     *     *     *     *     *


「という事で、参加者を取りまとめたいんだけど。どんな感じかな?」


『居酒屋 しまだ』に修学旅行の幹事役の面々を集め、話を進めていく。厨房の奥からクイーンが目をキラキラさせながらこちらを伺っているのが、何故か愛おしい。

「ウチらは今んとこ七、八人くらいかなあ、多分」

「俺らは六、七人かあ、結構ヒマしてるみてーでよ」

「そっか。バスケ部と生徒会合わせて、十人くらいか。そうすると二十五人前後くらいかな」

「おおお、結構な人数じゃん。スゲースゲー」

「バス一台で行けそうだな。そっちは手配しておく(俺の部下が)」

「おおおおお、な、なんか本物の旅行業者っぽいな、オマエ!」


 俺は健太を軽く睨みつけ

「いや、ホンモノですから…」

「懐かしいなあ、軍司はこんな感じだったわ、あの頃。部活でも生徒会でもグイグイみんなを引っ張ってってさあ」

「そーか?」

「あの頃はマジウザくて目障りだったけど」

「おいっ…」

「社会で成功する奴って、こうでなきゃダメなんだろーな」

「そーだな。無駄に熱いヤツ」

「そんな事ないよな、忍ちゃん…」

「いや、クソ熱くって面倒っす」

「…… 酷いな」

 俺はジョッキのビールを一気に飲み干す。


 八月に入ると仕事は掻き入れ時、誰も彼も忙しくて、とても何か頼める雰囲気ではない。仕方ないので俺は一人、山本くんと泉さんからの資料を元に、修学旅行のしおりを会社の片隅で作成している。


 日時 平成三十年 八月一三日〜一四日

 宿泊先 アンバサダー鬼怒川 ザ プレミアム

 集合時間・場所 九時 江東区立深川西中学校 正門前

 参加費用 九千八百円


 一番大変なのは参加者リストだ。特に女子で既婚者は旧姓の方が良いのかどうか。いろいろ考えた末、女子はこんな感じにしてみるー

 秋本(深瀬)明子 生徒会副会長 3B アコちゃん

 上田(片瀬)律子 3F リツ

 島田光子 3G クイーン


 現在の名字を括弧に入れただけだが。男子もこれに従う。当時の渾名、通り名は俺と健太の記憶に従ったものだ。多少違っていてもそれはお愛嬌という事で。

 初めは面倒であり丸投げするつもりで山本くんを探していたものだったが、進めていくうちに当時の思い出がどんどん蘇ってきて、気がつくと退社時間をとっくに過ぎていた事もしばしばだった。


 過去の記憶は決して消え去ることは無く、脳内のファイルにちゃんと保存されていると聞いた事があるが、今回の作業を通じてそれが本当である事を実感する。当時の渾名なぞ絶対思い出せないと思っていたのだが、

「あん時オマエが『制服キチンと着ないと金八っつあんに殴られるぞ、ガチャピンみたいに』って言ったよな」

「あー 言った言った! ガチャピン、松本な!」

 という具合だ。


 我ながらソコソコな出来の『修学旅行のしおり』が完成する、会社で。それを三十部ほどコピーする、会社で。何人かの若手男性社員が手伝おうとしてくれたのだが、一応プライベート旅行の事なので謹んでお断りする。当然女子社員は無視を決め込んでいる。


 なんていい奴らなんだろう、と心の中で喜びながらコピー機をいじっていると、

「専務。私がやります。でないと他の業務の妨げになりますので」

 と新入社員の女子にハッキリと言われてしまう。新人とは言え、女性社員と初めてコンタクトした瞬間であった。 俺はビックリして彼女をガン見してしまう。

「ちょ… 庄司! オマエ専務になんて失礼なことを…」

 山本くんが慌てて俺たちの間に入るも、

「は? 本当のことを申しただけですが何か? それに本当に私達困っているのですが、コピー機使えなくて。私間違っていますか? 山本さん」


 俺と山本くんは項垂れてしまう。彼女に『修学旅行のしおり』を渡す。彼女はサッとそれに目を通すと、

「専務。数箇所ほど訂正すべき点がございますが、このままでコピーされますか?」

「え? どこどこ?」

「日時に曜日を入れるべきかと。あと費用ではなく代金かと。漢数字でなく9800円とすべきかと、それからー」

「あの、庄司さん、もし良かったら全て訂正してくれない? 俺のパソコン使って…」

 庄司さんは仕方ないですね、と呟きながら俺の机に座るとものの五分ほどで

「専務。ご確認ください。それと全部で30部で宜しかったでしょうか?」

 モニターを眺め、訂正箇所に納得し、カクカク頷くと、

「今後。こういった事務的なことは全て私にいいつけてください。わかりましたか?」

「よ、よろしく頼むよ」

 そう言うと彼女は満足げにデータをコピー機に出力する。あ、なるほど、こうすればわざわざコピー機弄らなくても…


「はい専務。全てちゃんと綴じてありますので、このままお渡しください」

 出来上がった旅のしおりは、いつの間にか立派な表紙も添えられており、とても素人の出来とは思えなかった。いや素人じゃねえな、旅行会社なんだから。

「どうもありがとう。これからもよろしく頼むね」

「お言い付けくださればいつでもいたしますが何か?」

 俺は山本くんに視線を送ると、彼は両手ですみませぬ、と俺に謝る。

 その後しばらくして彼を連れ出し、

「あの子、すごく優秀だな。ちょっと話し方は変わっているけど」

 山本くんは俺の奢ったアイスコーヒーを飲みながら、

「今年の新卒入社の中では、飛び抜けて優秀なんですよ。下手したら僕なんかよりもずっと気の利いた企画書作っちゃうし。まあこれから色々と目をかけてやってくださいね」

 いやいやいや。これ程出来る子は銀行時代も中々いなかったぞ。一体この会社。どうなってんだよ…


「秋の間宮由子先生の句会の企画。彼女にも手伝ってもらおう。どうかな?」

「それはいいですね。僕一人では一杯一杯だったんですよ、それはすごく助かります」

「よし。機会を見つけて一度ブリーフィングしよう。ところで、彼女も旅が好きだとか?」

 山本くんは首を振りながら、

「どうなんでしょう。詳しくは知りませんけど、なんでも鳥羽社長の大学の後輩で、社長自らがリクルートしたって噂ですよ、だとしたらあっち系なのかなー」

 あらあら。そう言うことか、どうりで優秀なはずだ。社長自らが引っ張ってくるなんて、相当学業優秀だったのだろう。これは期待しかないぞ、なんて思っていると、

「ただ、会社の飲み会には一度も顔出したことないし、一緒に飯食った奴もいないんじゃないかな。まあ、今時のマイペースな子ですよ」

 だから平気で俺に話しかけてきたのか。ま、それはどうでもいいけれど。

 俺は飲み干したコーヒー缶をゴミ箱に放り投げ、即戦力新人の今後を楽しみに感じていた。


     *     *     *     *     *     *


 庄司という不思議系猛烈新人社員にコピーして貰った旅のしおりを『居酒屋 しまだ』に持っていく。何故か今夜も貸し切りらしい。

 集まったメンツは旅行の参加者がメインだ。急な話だったので、旅行の参加者は今でも連んでいる感じの、仲間内の集まりになってしまったのは仕方ない。それでも何人かには何とか連絡がつき、数十年ぶりに顔を見せたものもおり、前回よりも更に賑やかさを増している。


 中でもサッカー部のエースだった永野とは数年前に丸の内でばったり会って以来、久しぶりの対面だ。何でも去年くらいから健太の誘いでちょくちょくこの店に顔を出すらしい。そう言えば永野も健太。あの頃はよく、出来の良い健太、不良の健太、と二人を揶揄っていたことが思い起こされる。

「確か、玉川エレクトロニクスの営業部長だったよな?」

 出来の良い健太は、

「あの後、パワハラで左遷されてさ。離婚して。そんな頃に健太に誘われてここに来る様になって」

 … 人生、色々だ。確か前身の玉川電機のサッカー部をJリーグに昇格させたとか?

「昇格決めた直後に、引退。それからは営業一筋。パワハラ左遷までな」

 … 人生、色々か。

「で? 今は?」

「その後子会社に行ったんだけど、ストレスで酒呑みすぎて警察沙汰の乱闘起こして。休職処分喰らって」

 … 人生、色々過ぎるぞ、出来の良い筈の健太…

「んで。今は縁あって、川崎フロンティアってJクラブのユースチームのコーチやってる」

 … 人生、色付きすぎだろ…

「コイツのカミさん。めちゃくちゃかわいーんだぜ。元ヤンだけど。なあ?」

「カミさんじゃねえよ、まだ…」

 クイーンが健太… 紛らわしいので、ケンタ、にしよう。の肩を組むとケンタは顔を赤らめて否定する。スマホの写真を見せて貰う。……。確かに若くてメチャ綺麗で、大した巨乳だ。まるでモデルみたい。

 … 人生、舐めんなよ。クソっ

「で、旅行には来てくれんだよな?」

「ああ。楽しみにしてるよ。キング」

 … コイツとは、温泉にでも浸かりながら、じっくりと話し合いたい。人生について、色々と…


 かと思うと、当日残念ながら不参加の者たちが半ベソをかきながら、

「キング、忘年会な。忘年旅行! 何なら新年旅行でもいい。頼む、又企画してくれい」

「キングー、毎年やろうよ。もっとみんな集めてさー。うわードキドキしてきたー」

 

 いやまだ、今回も上手くいくか分からんし。何しろあの頃の我が中学は、生徒の半分が所謂『ツッパリ』、遠足や修学旅行などの校外行事で問題を起こさなかった事はない。

 特にクイーン、健太のグループの暴れっぷりは当時各所で相当有名だったらしい。本人たちが言っているので話半分に流していたのだが。先生は思い出したくない過去を無理やりほじくられた辛い表情で、

「特にお前ら三年の時の修学旅行は大変だったんだぞ。前の年に卒業式大乱闘で新聞載ったろ、ウチの学校はいわゆる全国区だったんだ」

 悪徳不動産業の青山が首を傾げながら、

「いや… それって先生が大暴れのせいでは…?」

 先生は急にキョどりだし、

「ば、馬鹿野郎! ヤツらはその前に窓ガラス割ったり消火器を警官に吹きかけたり…」


 皆はプッと吹き出す。その事件は、先生が卒業生を十名近く叩きのめしたのが、教育委員会の槍玉に上がってかなり問題になったのだ。

「ハイハイ。先生、それで? 何が大変だったんすか?」

「それで、まず宿が見つからんのよ。何処に連絡してもよ、江東区の深川西中学ですって言うと満室だって。あと神社仏閣とかの訪問先も。正に門前払い。だから俺が現地にわざわざ行って土下座して頼み込んで何とか許可してもらったのに、コイツら…」


 思い出した! コイツら……

「ハハハー 確か他県の他校と集団乱闘…」

 止めた止めた! 俺と先生で、必死に止めたわ。うわ、懐かしい……

「二日目から栃木県警が見張りに来て… あー思い出したくねえ」

 そうそう、翌日から俺らのバスは栃木県警のパトカーが前後に張り付いていたわ。まあお陰でその後は何事もなく終わった、筈。


 そんな与太話をしているとクイーンが割とマジ顔で、

「アタシも暴れたかったあ」

 なんて呟くものだから、頭をポカリと殴りつけてから

「おい。で、今回は大丈夫だよな? もういい大人なんだからな」

「おお。流石に人間丸くなったからな。って、するかよ喧嘩なんて」

 クイーンがないない、と手を降るのを先生は笑顔で頷きながら、

「そうだぞ光子ー いい大人のオンナが喧嘩なんて、な。楽しく行くぞお」

 クイーンと先生が肩を組み合って大笑いしている。

 ははは、流石に50過ぎて出先で大暴れなんて。


 なんて甘く考えていた己を後々激しく後悔するとは、俺も先生も全く思っていなかった…。


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