6話 夢を見ない少女
「大将、明日仕事をするんで、つけといてくれないか?」
「しょうがねぇな~。次は払ってくれよ、姉さん」
手を合わせて片目を瞑るルシルさんに、大将さんは豪快に笑いました。
のれんをくぐり外に出た私達は、自宅へ歩き始めます。
空を見上げるを満月が輝いていました。ここから見える月は、街灯の光に邪魔をされてるのか、少し控えめな光です。
昔はとても大きかったのに。私はずいぶん遠くまで来てしまいました。
「さて、明日の仕事についてだけど……いちごちゃんは葛城誠をどう思う?」
少し前を歩くルシルさんは艶やかな唇で言葉を発します。
「先生ですか? そうですねぇ……私は恋をした事が無いから想像する事しか出来ませんが、きっと凄く幸せだったのでしょうね」
「そうだね、人間が一番輝く年代。それも大人になっても片想いを続ける、想い人と一緒だ。不幸せな訳がない。じゃあ……今は違うのかな?」
ルシルさんは遠くを見つめながら続けます。
「幸せな時間が終わってしまった人間はどうしたらいいのだろうね?」
「幸せな時間が終わってしまったら……?」
私は考えてみます。けれども想像出来ません。私には幸せが終わった時がまだ無いからです。
「その為に、私達は夢を見せるのですよね?」
「……そうだね。彼には夢を見てもらおう。とても幸せな夢をね」
その時、ルシルさんは、何故か少し悲しそうに笑ったのです。
マンションに戻り、シャワーを浴び、パジャマに着替えます。
「おいで、髪を乾かしてあげる」
ソファーに座るルシルさんは微笑み、手招きをしました。
「……ん、お願いします 」
私はお辞儀をします。
恥ずかしながら、私はこの長い髪をまだ上手く乾かせないのです。
以前はスタッフと呼ばれていた方が担当していた事です。ルシルさんはまるでスタイリストの様に髪を指で透きました。
「改めて触ってみるとずいぶん長いね。切らないの?」
「うーん。この長い髪も、私の様な気がして……」
「君らしい答えだ」
ドライヤーの風の音が心地良い。ルシルさんの細い手が優しく触れるのが伝わります。それになんだか胸の奥が暖かくて……私はルシルさんに髪を乾かして貰うの、好きなのかもしれません。
「ルシルさんは切らないのですか?」
「僕は女の子に見えたいからね」
「……ルシルさんは、ニューハーフさんなのですか?」 私がそう言うと、
「――あははっ」
彼はにこやかな表情のまま――ドライヤーの風を全開にし、私の顔に向けました。
「ル、ルシルさん!? 風が顔にっ……! 目を開けられないです!」
「あはは。僕は普通の男だって言ってるだろ? 僕は男色ではないよ」
にこやかな彼の目は笑っていません。……怖い。
「わ、分かりましたから……」
私が悲鳴を上げるとやっとルシルさんは髪に戻ります。髪が口に……やっぱりこの人は悪魔です。一刻も早く、髪も早く自分で上手く出来る様にしなければ。
「はいおしまい。しばらくは僕がやるけどいちごちゃん、自分でも出来るようになりな」
ルシルさんは笑い、寝室に向かいました。
私は部屋の隅にあった羊のぬいぐるみ、スリーピィを連れて、彼の寝間着の裾を掴みます。
ドアノブに手を掛けたルシルさんは振り返り、真夜中の様な静けさで微笑みました。
「いちごちゃん。今日も眠るのが怖いのかい?」
「はい……私は夢を見れませんから」
声が震えているのが自分でも分かりました。
私は眠ることが怖いのです。
人、動物、夢魔でさえもそれぞれ夢を見て夜を凌ぎます。ルシルさんの言う、優しくて幸せな夢を。
だけど私は、それを見る事が出来ず、誰もが夢を見ている時間に夜という怪物の恐ろしさを直視してしまう。
私だけが夢を見れずに、世界から取り残されてしまう。
私だけが真夜中に目を瞑るとき、世界で唯一の独りぼっちとなるのです。
「夜は……怖いのです」
「――いいよ。一緒に眠ってあげる。今日は少し冷えるから、丁度良い」
ルシルさんはささやいて、私を抱き上げます。
「では王の寝室へどうぞ、お姫様」
ちょっとわざとらしく王さまが言いうので、なんだか可笑しいです。
「ありがとう、ルシルさん」
確かに少し寒い。私は彼に身を寄せます。……なんだか急に眠気が。
「君に良き夜を」
これなら、少しも怖くありません。安心からか、口元が緩みます。瞼を閉じたまま、私は言います。
「貴方は少し意地悪な悪魔ですけど、私の王様はやっぱり優しいのですね」
「……夢魔としては複雑だなぁ」口ではそう言っても、どこか嬉しそうな笑い声が、眠りに付こうとする耳に鳴り響きました。




