16話 アンズとポトフ
次に瞼を開けると私たちのマンションに戻っていました。目の前のベッドには青白い表情をした先生の姿があります。
「先生……」
「彼は起きないよ。意識――いや、魂は向こう側だもの。ここにいる誠さんは空のビンさ」
ルシルさんは"夢"が入ったラムネ瓶を眺めながら答えました。
私は彼の寝顔を見ながら思います。先生。私はあれから考えたのです。そして答えが見つかりました。
貴方は何も無いはずなんてありません。
だって、あの時悪魔の私を天使と言ってくれた事が、とても嬉しかったから。何も無い人がそんな事を、言えるはず無いのだから。
私が、証明してみせますから。今日はおやすみなさい。
突然、インターフォンが鳴り響きます。こんな夜中なのに、一体どなたでしょうか?
「借金取りじゃなきゃいいけど」ルシルさんは背伸びをしながら言います。
「借金取り?」
「怖い人達さ。今僕はお金が無いから、いちごちゃんを渡す事になるかも」
「私はルシルさんの物なので、売られるのは構いませんが、怖いのは嫌です」
ルシルさんはため息をつきました。つまらない、と言いたげに。
「君にはこの手のジョークは通じないねぇ。大丈夫。俺はお金を持っていないんじゃなくて、お金を持ちすぎない様にしてるだけだからさ。お客はきっとあの子だな」
ドアが開き、現れたのはーー
「る、ルシル様はいますか……?」
私達と同じ夢魔の先輩、淫魔のアンズ姉様でした。両手には赤い大きな鍋を抱えています。
「お仕事、お疲れ様でした。あ、あたしポトフを作ったので良かったら食べてください。その……お口に合えば、ですけど……」
私は衝撃を受けています。以前会ったアンズ姉様とは性格が全然違います。自信に溢れていた前とは違い、まるで全てに恥じらっているかの様でした。
「やぁアンズ。君の料理は絶品だからね、是非食べたいな。ただ、ちょっと今から出掛ける用事があるんだ。そのポトフはいちごちゃんと食べててくれ」
「そんなっ! あたしはルシル様だけに食べて貰いたくて……」
アンズ姉様は泣き出すみたいに声をあげます。ルシルさんはなだめる様に笑います。
「いちごちゃんは俺の眷属だから、大体俺みたいなもんだよ。後で俺も食べるから、残しておいてくれ」
そう言ってルシルさんは向こう側を向きながら手を上げ、部屋を出て行ってしまいました。アンズさんが持ってきたポトフは、凄く美味しそう。……お腹空いたなぁ。
そう思うと同時に、私のお腹が音を立てました。
「……アンズ姉様。先に私達で食べちゃいましょう」
聞かれたアンズ姉様は凄く嫌そうな顔をします。
「なんであんたにあげなきゃいけないのよ。それに、あたしはあんたの姉になった覚えはないんだけど」
私は笑います。いつものアンズ姉様に戻りましたね。
「私、この前のアンズ姉様の言葉に凄く感動しました! 私もアンズ姉様に格好良く、美しい女性になりたいのです。だから、私は貴方を姉様と呼ばせてもらいます」
アンズ姉様は顔を赤らめ、それを隠す様に、そっぽを向きます。
「……ふーん。ま、まぁ悪い気はしないわね。それにルシル様は、見たところあんたを妹みたいに思ってるみたいだし……。――いいわ。一時休戦としましょう」
アンズ姉様は苦笑を浮かべて、鍋をキッチンコンロに運びます。
「ほらいちご、暖めるからちゃっちゃとお皿の準備して」
「――はい!」
私は最初から姉様と争っている訳ではないのですが。でも、姉様に認められ、一緒に食事が出来るという事は、とても嬉しいなと、私は思いました。




