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作者: アカイロトウマス

「お母さん、あのね」

少女は台所へ立つ、母親の元へ向かう。

「今日、学校でね」

この僅かな触れ合いの時間が、少女には至福の時であった。共に暮らしながらもすれ違う時間ばかりだ。

それは、未だ、母親が恋しい年頃の少女には寂しさを感じる暮らしでもある。

母親は答えた。

「へー。そう。よかったわね」

「うん」

この、短い会話で少女は満足する。母が忙しく、また疲労していることは子供ながらに理解をしているからだ。


親として子供に出来る事は沢山ある。子供の為にできる事は数えればきりが無い。だが、実際にしてあげられる事はわずかでしかない。だが、それでよい。その、わずかな事をしてあげれば、子供たちは十分なのだ。


彼、彼女が親に対して抱く感情は、無垢な愛情だ。感謝と愛だけが存在している事に間違いは無い。


子供の為にできる事は少ない。社会的に恵まれていない家庭であればなおさらである。だが、それを恥じるな。子供にこんな事しか出来ない親だといじけた姿を見せてはならない。むしろ、苦難の中、耐えて生きている姿を見せるべきだ。


社会に出れば不条理な事は沢山ある。それから逃げ回る姿を子供が見たら、その子供自身も不条理に立ち向かうことが出来なくなるであろう。親は子供の見本である。子供は親の姿を見ている。親が気が付かぬところで、その姿をちゃんと見ているのだ。


多くの大人は弱い人間だ。現実の、わずかな苦難にも耐えることが出来ない程に。だが親は、子供たちの名前を呟く事で、理不尽に耐えうるパワーが湧く事を知っている。子供の名前を呟く事で、どれ程のパワーを得るのか、実感した親は少なくはないであろう。


弱者が苦難に耐える事が出来、苦難を超える事が出来るのも親だからだ。


むしろ、親は子供に救われているのかもしれない。


社会の不条理は多い。それらは逃げきれるものではないのだ。必要なのは逃げる事でなく、立ち向かい、戦う事。壁をぶち壊すパワーや山を乗り越える脚力、最適な道を見つける術だ。


母親は少女の背を見ながらつぶやく。

「お母さんはあなたが大好きよ」


言葉にする必要は無い、気持ちで、思うだけでよい。その思いは間違いなく少女に伝わる。それだけで少女には家庭の不満など無い。他の家庭との比較など、する筈も無い。ただ、母親に愛されているという実感、自分が母親を愛し、その愛に母親が答えてくれる感謝の念しか、彼女の中には存在していない。


親子、家族、血、は絆である。

絆は身近すぎて実感の湧かない、不思議な、断ち切れない運命だ。望んだわけでも、選んだ訳でも無く家族になる。親となり、子供となる。この関係は運命的な出会いとしか考えられない。


絆は感謝すべきものだ。親となれたことに感謝しよう。子供たちがそばにいてくれることに感謝しよう。生きるための力を分けてくれる家族に感謝しよう。とてもとても、ありがとう。


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