010,「優勝劣敗」
「好翔、あなたはなんのために闘うの?」
君のためだよ。
「好翔、あなたが守りたいものって何なの?」
それは、君だよ。
「好翔、あなたが、取り戻したいものって」
君が隣で笑ってくれる日常だよ。
「好翔、私は、あなたの何なの?」
君は、俺にとっての——
*
——◆◆◆010
「さてさて、意気込みのほどは如 何かな?」
ヘラヘラと薄ら笑いを浮かべる死神は静かに俺の方へと歩み寄る。
「……俺は、絶対にテメェをぶっ殺す」
絶望しきった俺には、もうこれ以上に絶望することなんてきっとなかった。だからこんな強気な台詞を吐けたのかもしれない。
「おぉー怖い怖い、凄い殺気だな。さっきまでとは、まるで別人だぞ」
「無理、しないでね好翔」
後ろの方で、後ろ扉にもたれ掛かったままの彼女が、俺を心配そうに見つめていた。
「心配すんな心優莉、全部、終わらせてやるからな」
俺の言葉に、彼女は黙って微笑む。
「ふふ、無駄な足掻きとも知らずに」
死神は鎌を構える。
死神の構えは、とても攻撃するようなものではなく、堂々たる仁王立ちに、その体よりも大きな鎌を右手を添えるだけのものだ。
対して俺は、野球選手がバットを持つ時のように、両手で鎌を胸の前で構え、その刃を死神に向けていた。
「これ以上、お前の良いようにはさせねぇ」
俺は静かに腰を下ろす。
「君が、一番死神らしいんじゃない?
その持ち方、その殺気」
死神は、勢いよく俺の方へと自慢の脚力で飛び掛かる。
俺と死神の闘いは再び始まった。
これで多分、全てが終わる。
二人同時に、斬り掛かり、お互いに全力。
死神ももう、手加減しているようには見えなかった。
「手の内は、見せたからね。光栄に思うとい
いよ。全快の僕に君は殺されるんだ」
上から、横から、後ろから、死神は嵐のようにその鎌の動きを止めることをしない。
「その台詞、そっくりそのまま返すぜ」
だから俺は、その度に、自身の鎌の刃先や柄で、その嵐を止める。
「おうむ返しとは芸がないねぇ」
死神は右手だけで鎌を振るう。対して俺の構えは常に両手で鎌を捉えている。正直なところ、優劣はあからさまだった。
「へへ、おうむ返しの意味知ってんのかよ?」
こんな会話も、闘いの中の戯論にすぎない。
「あぁ、知っているさっ‼︎」
声量が大きくなると同時に、死神の攻撃の勢いは遥かに増した。
そしてその攻撃が、何もかもを裏切った。
「……、う、嘘?」
まだ言葉の出る心優莉に対して、俺は言葉が出なかった。今日は本当に、生きた心地がしない。
「うーん。当てたつもりが、ただ脅しただけになってしまったか。僕も衰えたなぁ」
「学校が、真っ二つになってやがる……」
真っ二つ。五階建て建造物のこの学校。勿論、それはコンクリートで固められている。
しかし、死神はそれを真っ二つに切り裂いた。
俺たちのいる三階より上は、無くなっていた。
「明日から学校、ないかもだね」
「……呑気なこと言ってる場合かよ」
片目を腫らした彼女でも、心優莉は心優莉だった。
 
「怖気付かせてしまったかな。ふふ、来いよ、優木好翔」
俺は傷付くだけ傷ついた。心も体も。
先程まで、血がダラダラと流れ出ていたお腹の傷口は、心優莉のおかげなのか徐々に塞がって来ていた。しかし、それでも深いものだったが為に、後一発でも斬り込まれたら終いだろう。
それほど、腹を貫かれた一撃は大きかったから。
けど、もう今更怖気付くものも、何もない。
あるのは、死神の眼ですら見据えることの出来ない、先の見えない未来。それだけだ。
死んだらそれまで、俺が無力だったってだけのこと。
「心優莉……」
死神と刃を交えながら、俺は彼女の名前を呼ぶ。
「うん?」
心の中で、彼女が語りかけていた。
——私はあなたの何なの?
と。何故、彼女はそんな風に語りかけてきたのかは俺には分からない。心優莉だって心の中で俺に語りかけたことなんて知らないのだろう。
お互いに無意識なはずだ。
けれど、どうしても俺は伝えたかった。
心の中で交わした心優莉への想いを。
——君は俺にとって。
「心優莉は、俺にとって、自分の命よりも大切なものだと思ってる」
こんな、ありきたりで格好つけたようなものじゃダメだろうか。俺は、彼女が本当に大切で、死んでも守りたい存在であって。
「自分の命より大切なもの、か。嬉しいな」
あの心優莉も、少し照れているような素振りだった。
「けど、それは私も同じだよ。好翔」
やっぱり、心優莉はそう言うよな。
さっきだって、心優莉と一緒にいたい、その言葉に、彼女は「私もだよ」と言っていた。
「だから。——だから好翔、絶対に、生きて」
彼女の言葉が、笑顔が、俺の背中を押す。
「あぁ、背中にお前がいる限り、俺は死なねぇよ」
心優莉という翼、俺には彼女がいる。いつだって、側にいてくれた。
力をくれた。
「茶番だよ。カッコつけタイムは終わったかい?もう死んで貰ってもいいかな」
睨みつけるような目、機嫌の悪そうな顔をした死神は、流石にもう待ちくたびれたと言わんばかりだ。
すると死神はその脚力で空高く飛び上がると、真正面から俺に向かってその大きな鎌を構えた。
「終わりだよ。優木好翔」
感じるのは、本気の殺気。
「……学校を斬るくらいの力。怖気付くどころか、帰って殺る気を押されちまったよ。クソ親父」
俺のその言葉に死神の顔は更に喜怒哀楽のどれすらも感じ取れないくらいに、ただの殺意へと変わった。
「それに俺は——」
右手に鎌を強く握る。
そのまま肩の後ろへとまわし、腕にありったけの力を込める。
「——それに俺は、優木好翔だ!それ以外の何者でもねぇ!」
俺は、全力で自らの鎌を振りかぶった。
死神にあんな威力を見せられた所で、今更、戦意を失うほど、怖気付くほど、俺はもう弱くはない。脆くない。
傷口が開こうが、血が溢れ出ようがもう、そんなこと知ったこっちゃない。
今ある全てを、全力を、その鎌に込めて、死神のそれよりも大きく、速く、そして強く。
振るった鎌の刃先は、死神を捉える。
そして見事に死神の体を半分に切り裂いていた。
その一瞬、何もかもが、静まり返った。
雲に隠れていた月が徐々に顔をだすと、天井のなくなった教室に刃、月明かりが直接、俺達を照らし始めている。
「あーあ。僕としたことが、油断したかなぁ」
再び死神は笑っていた。しかし、その体は、真っ二つだった。
「負け惜しみ、かよ……」
俺の息切れする呼吸が静まり返った校舎に響く。
「いいや。負けだよ。まさか、ここで決められるとは思わなかった。学校を真っ二つにして、完全に勝ち目ないよって所を見せつけたつもりだったんだけれど、今度は僕が真っ二つってわけだ」
冗談もまだ言えるくらい、死神は余裕を見せるが、その体じゃ、もう闘えやしないだろう。
「それが、返って俺の向上心になった。裏目に出たな……」
本当は、そんなことは全くなくて、全部、心優莉のおかげなんだけれどな。
死神の半身、切断された下半身は、黒い霧のようなものを放ち、溶けるように消えゆく。そして、上半身も徐々に消えていこうとしていた。
「ふふふ。上から行った僕も僕だけど。空中じゃ足場もないから避けられなかった」
「言い訳だろ、そんなの」
「かもね。もう一度訊くけど、死神側に来るつもりはないのかい?」
「あるわけねぇだろ。俺は人間だ」
半分だけ、それでも俺が人間だと思い込んでさえいれば、俺はそれだけで、きっと、人間でいられる。
「ふふ、最後まで親不孝な奴だよ、全く」
「お前にだけは、そんなこと言う権利、ねぇだろ」
死神は、かもね。と一言だけ言って目を瞑る。
「あーあ、仕方ない。殺されてやるとするよ」
結局、コイツは最後まで不気味な笑いをやめなかった。
死神は消えた。
死神だからなのだろうか。肉片一つも残さずに、跡形も無く、この場からその存在は消えた。まるで煙のように、雲散霧消と散って行った。
「やったんだね、好翔」
先程まで、後ろ扉にもたれ掛かっていた心優莉も、力を振り絞り、俺の元へと歩み寄る。
「あ、あぁ。やったよ、お……れ……」
全身の力が抜けた。それと同時に鎌も形を失い、視界も段々と真っ白に染まる。
どうやら俺は、意識を失ったらしい。
この後、どうやって俺が家に着き、次の日、無事に目を覚ましたのか、全く覚えちゃいなかった。
多分、心優莉がどうにか俺を送ってくれたのだろうか。
ただ、その夜は、夢の一つも見なかった。
 




