001,「心優莉と好翔」
「ねぇ、好翔。神様っていると思う?」
「何だよ唐突に」
「質問の答え!」
——◆◆◇001
俺の隣にいる彼女は、唐突に、突然にそんな突拍子もないことを口にした。
「俺は神とか、そういう類は信じねぇタチだからな」
俺の返答に彼女は、つまらないなぁと、息をするように言った。
彼女、なんて言ってはいるが、この場合の彼女とは、三人称視点での彼女なわけで、単なる幼馴染だ。
「心優莉は信じてんのかよ?」
深鈴 心優莉、それが彼女の名前だ。
一見すれば、清楚な名前だが、清楚とは無縁である。
かと言って、不潔というわけでもなく、(一応女子なわけだし)やたら前向きで、明るいような能天気な奴、というわけだ。
「私はいて欲しいな〜って感じかな。いないって決めつけちゃう方が面白くないじゃない」
「ただの願望じゃんかよ」
「結論はね」
こんな、悩みとか苦悩とか、全く皆無であろう心優莉に、神様にも縋りたいような、そんなことでもあるのだろうかと。
俺は問う。
「別に、神様に助けて欲しいってわけじゃないのだけれど、いないよりは、いて欲しいでしょ」
「本当に願望でしかないのな」
まぁね、と心優莉は無邪気な笑みを浮かべていた。
すると俺のほんの少し先を歩くように、川側にある土手と歩道を仕切るための、片足で登れるくらいの段差の上に両手を広げ、彼女はバランスよく歩き始めた。
「臆病の神降ろしって言葉があるでしょう?人々は、誰だって神様に縋りたいようなこともあるってことだよ!」
「お前からそんな言葉を聞くとは思わなかっな」
それと、と心優莉はデザートのトッピングでも付け加えるように言うと、その足を止め、面積の狭いその段差の上で、つま先を器用に揃え、後ろで手を組み、背を向けながら俺が追いつくのを待っていた。
「馬鹿馬鹿しい。そんなもん考えてるヒマがあったら、次は赤点取らないように、勉強しとけよな」
俺は呆れ口調で心優莉を追い越しながら言うと、今度は俺の背後にいる心優莉が口を開いた。
「——それじゃあさ、天使って信じる?」
俺は、一瞬、立ち止まり、腰から上だけを振り向かせた。心優莉はどうやら話題を変えるつもりはないらしい。
「神も信じてねぇような俺だぜ?
答えはさっきと変わらねぇよ。神がいない以上、天使の在否なんか雀の涙くらいの可能性だろ。」
川辺に咲く、菖蒲の花を揺らすように、風が優しく吹きつけると、彼女の長い髪をそっと靡かせた。
——どことなく
今日、この時ばかりの心優莉は、少しばかり雰囲気が違うような、そんな気がした。
何というか、落ち着いている。儚げな、そんな感じがしている。
「ふふ、そっか」
それもそうだね、と、段差から飛び降り、両足で体操選手のように着地すると、再び心優莉は俺の横に並んだ。
楽しそうな笑顔を浮かべていた。
「普通は、男の人が道路側に立つものだよ?」
「お前が、自分から回り込んだんだろ。」
「それもそうだ!」
本当、彼女はいつも楽しそうにしている。
こんな、いつもといつまでも変わらないはずの日常の中を、毎日が初めて見る光景かのように、彼女はとても楽しそうにしている。
やはり、雰囲気が違うように思えたのも気のせいだったようだ。いつもの無邪気な心優莉だ。
五月下旬、帰り道はやや肌寒かった。
段々と長くなりつつある日も、この時間になると、殆ど沈みかけている。雲に隠れ、この世界の裏側へと、沈んでいく、昇っていく。
俺と心優莉は、今日も変わらずにその道を歩いているのだ。
学校に行く時、家に帰る時、飽きるほどに慣れ親しんだこんな道を、
俺は当然のように何にも思わない。
心優莉は、何を思っているのだろうか。
少なくとも、何か楽しいことを考えているのだろうな。
「神様、か。」
不意にボソっと口から出た言葉だった。
——けれど、俺にとってみたら、神様とかそんな存在が本当に居たのならば、どれだけ怨んでしまうものか、と。
——もしも、神が本当にいたのならば、俺は絶対に許さない。
こんな俺の、優木好翔に、どうしようもなく、どうしようもない、そんな運命を与えた存在を。
俺は、こんな風にしか、思えないのかもしれない。
——憶うことがありすぎてしまうから。
ただ、心優莉のその優しい声が、その笑い声が、その笑顔が、俺にとっては散々だった人生の中で、たった一人の、唯一無二の居場所であり、そんな存在だった。
だから、俺は今日を生きていられる。
「——ねぇ、好翔」