7.一緒に
たまに、生きるのが面倒になるときがある
白痴のレルムが異例の階級特進を成し遂げアヴェルラを貰い受けたという噂はすぐに基地中に広まった。
俺はそんなことなどどうでもよかった。彼は基地の裏手の庭で一人、空を見つめて何事か呟いていた。
ここ最近、出撃の回数が増えたようだ。
華々しく飛び立つグリフィンに乗っているのは、まだ歳もいかぬ青年たち。町の人々は笑顔でそれを見送る。戦争が、日常に同化しているのだ。戦争はその地続きに合って誰もがそれを認識している。
俺は町外れの博物館にいた。
展示室へと続く廊下に置かれた革のソファに腰かけて、微睡みながら煙草を吸った。ここの空気はいい。埃を含んだ臭気は鼻孔をくすぐり、煙は肺を出入りする。
ドアの開くがしゃんという音とともに入って来たのはカレキナだった。
ロビーで俺の姿を目に留めると、嬉しいような意外なような変な顔をしてみせた。俺の組んだ足と吹き出す灰色の煙が気に入らなかったのだろうか。
カレキナはつかつかと歩み寄ってくると、俺の隣に座った。
しばらく無言。
時間が過ぎた。
俺は上体を持ち上げた。
「リュトーはもうすぐ大人になるんだよね」
「ああ」
「私もなれるのかな」
「いや、お前はガキだ、子供のままだよ」
「ひどい」
カレキナは俯いた。
俺はソファの側に置かれた灰皿に吸殻を押し付けた。煙が僅かにふきだし、最後の熱が散った。
「悪趣味な見世物だと思わないか、人を殺すための道具の歴史だ」
いい、ホールに出た。
展示されているのは主に戦闘機や戦車の模型だが、比較的新しいものが多いように感じられる。中央に吊り下げられた旧式のエスモの原寸レプリカは埃を纏ってきらきらと輝いていた。
「あれに乗って飛んだんだな」
俺はいった。
「あんな頭でっかちの機で、馬鹿みたい」
エスモを吊るワイヤーは天井から計4本伸びており取り付けられた台座には天使のモザイクが施されていた。この博物館は元々教会を改装したものなのだから当たり前なのかもしれない。
「生まれて生きて、人を殺して死ぬのが私たちの人生なの」
「定めだ」
「ほんとうにそれしか、道がないの」
「何がいいたい」
「一緒に逃げない」
カレキナの目は澄んでいた。
「たまに」カレキナはいった。「生きるのが面倒になるときがある」
「そうか」
「リュトーが変わったって私は思ってた。でもそうじゃなかった」
パネルにはエスモの概要が表示されている。
俺は慣れた手つきで指を押し当て、腹を横に滑らせた。
「リュトーは現状に満足してるんだけの皆とは違う。与えられた環境に甘んじてそこに偽りの幸福を見出すなんて馬鹿げてる」
「俺を神格化するなよ」
「そんな意味じゃない」
「じゃあどうして生きる意味がわからないなんていうの」
カレキナは芝居がかった調子の声でいった。
俺はタイルの床の幾何学的な模様に目を凝らした。
「白痴のレルムがいるだろう。あいつは何のために空で戦うんだ」
「知らない、その人のこと」
「おれはガキの頃からあいつを知ってるが、ありゃ人形だ」
「人形」
「何も考えていないんじゃなく何も考えられないんだ。だから子供だってんだよ。考えることは大人に任せて、大好きな飛行機とランデブーしたい、そういう奴なんだ。死ぬまで空で踊ってるだろうしそれに抵抗もない。ある意味この基地で一番狂ってるのはレルムだと思ってるよ、おれは」
古めかしい時計が音を立てた。
天井にから反射するライトの光が、床に張り付いているように感じられた。
「その人とリュトーと何の関係があるの」
「同じなんだよ俺も」俺はいった。「結局周りと何も変わらないんだ。たまには生について考えたり、悩んだり、自分を見失いそうになったり、それが俺にとっては個性だとしても、集団からしてみれば普遍的な人材でしかない」
「行こうよリュトー」
カレキナが俺の腕を掴んだ。
「もう何も知らない。私は疲れた」
「勝手だな」
「人間はみんな勝手に生まれて勝手に生きる理由を見つけて死んでいくものなのよ」
「お前の事情なんて知らない」
カレキナはその場に座り込んでしまった。
「どうして」
「俺には友達がいて、そいつとの約束がある」
「誰」
「道化」
「そう、いってたの」
「自称していた」
ショーケースにはサンウェルト基地の模型が設置されていた。
縮小された世界。縮小された、地獄。
「逃げ出そう。ここはこんなにも狭いんだよ」
「知らない方が幸せってこともある」
「せっかく産まれたのに、何も知らないで誰かの勝手な都合のために」
「死んでいくのはいやってのか」
俺たちはガラスを突き破ろうとしている。
たった、2人きり。
「私の生きる糧はあなたしかいないの」
「いつからそんなにおセンチになったんだ、カレキナ」
俺は続けた。
「来い」
ホール、ロビーを出た。
辺りは暗闇に閉ざされていた。ダイブだ、急降下。暗い闇の底に俺たち2人は真っ逆さまに沈んでいく。
自分でもわかっている。
でもどうしようも、なかった。
俺とカレキナとはベッドの白いシーツの上で向かい合った。
安っぽいピンク色の照明がカレキナを照らしだし、そして俺たちは混じり合った。
刹那、俺は欲望に身を任せた自分を恥じ、そしてされるがままのカレキナを蔑み、そして2人は手をとって抜け出した。
辺りに立ち込める暗闇。
落ちる。
そう思った。