4.出撃
エスモは無言で佇んでいた。
光を受け、銀色に光るボディ。俺のとそっくり同じ僚機が横一列に並んでいる。14期生の面々はどこか呆けたようなつかみどころのない表情で、これから駆る機と対面していた。俺は緊張を癒すために、口元を拭い上げた。妙に冷え込んだ朝だった。
「リュトー、お前にゃ高額の配当が掛かってるらしいからな。生きて帰れたら御の字だぜ」
同僚のミハイルがにやにやしながらいった。俺はミハイルの脇を小突き、呪詛を呟いた。糞くらえだ、あんな奴ら。
「作戦内容は、前に指示した通りだ。エスモの大編隊でグランの前線基地を叩き、壊滅させる。それが目標だ。分かったら、さっさと乗り込め。ぐずぐずするな」
俺たち新人兵は長官の命令に一様に恭しく頷くと、フラップを登って旧エスモのコクピットについた。狭い操縦席、窮屈な対Gスーツに身を包みながら座り込んだ。既に1番の機は滑走路へ向けてのろのろと動き出していた。彼らが離陸するのを待つ間考えることといえば、マニューバの再確認くらいだ。訓練で耳にたこができる程聞かされた内容だが、何覚えておくに越したことはない。
4番目の機がアフターバーナの光を裂いて飛び去り、俺の番になった。
ベルトをつけ、APU作動。右エンジンからジェットフューエルスタータ起動、ライトが3秒点灯した。スロットルのフィンガーリフトを上げる。エンジンに接続されるまでの間、各種計器類のメータをチェック。しばしのちにJFSが回転を始め、機は軽い、心地良い振動にその身を包まれた。
動翼チェック。
スタビレーター、ラダー、フラップの順に点検。整備員がエスモにすり寄り、兵装の安全ピンを抜いた。エンジンチェック、ブレーキを離す。スロットルを進める。エンジンの安定を確認したのち、アフターバーナ着火。ノズルが軋み、徐々に口を開いていく。
滑走路。
エスモは急速に加速し、きりきりと音を立てて前脚が滑走路から離れた。クリーン、アフターバーナの薄い炎が尾を曳く。さらに主脚が離陸。エスモはピッチ角50度で加速しながら上昇を始めた。
高度が上がる。
滑走路は長い一本の黒線だった。俺の後に続く銀のエスモの姿がちらりと垣間見えた。あれは6番機、ミハイルの乗った機だろう。俺は角を下げて水平飛行に戻すと、ふっと安堵のため息をついた。離陸前の煩わしい手続き_学科試験の時にさんざん頭に叩き込んでおいたものだから、流石に身に沁みていた。
俺は前方に向き直った。
今日は快晴だった。大空の、海のような蒼さが目に滲んだ。エスモの腹下を、白い雲がすっと通り抜けていく。
「Five, wheels up,(5番機、離陸完了)」
無線応答通信で報告した。
下を見下ろせば、雲海の層を突き破って何機ものエスモが上昇してきていた。俺は訓練通り、1番からの機と班の陣形を組んだ。後方のミハイルから通信が入った。鬱陶しく感じつつも、相互に報告を返してやる。
「リュトー見てろよ、俺はグランの腰抜け野郎どもをミンチにしてやるからな」
「ああ、そうか」
俺はアイドリングをふかした。
ほぼ無意識に、カレキナの姿を探す。確かあいつは31番だったはずだ。どうやらまだ上昇しきっていないようだった。
ふいに、1か月前の初出撃ののちカレキナと話した時のことを思い出した。
カレキナはいった。「わたし、たまに変な気持になるの」
「変な?」
「うん。今はね、戦争が日常じゃない。だから、戦闘機に乗ることだって、この身ひとつで空に放り出されることだって、怖くは感じない。きっと麻痺しちゃうもんなんだよ」
「へぇ、そんなことも考えるのか、お前」
「だからね、わたしたちからしてみれば、日常こそ戦争なんだよ。いつかその時まで生き残れたら、そこに召集されて、そして戦うんだ」
「カレキナ、そりゃ変だぜ。普通に暮らしてるだけじゃ殺し合いなんて起きないじゃねえか」
「ううん、それでも戦争なんだよ。平和な世には、わたしたちのような血生臭い存在は必要ないもの。こうやって、敵と殺し合っていないと自分を保てないようなわたしたちは、ね。」
「よくわからねえけど、俺には、カレキナ。お前が生き残れるとは思えないな。」
「そうかもね。……ううん、それでも、いいかもしれない」
彼女は悲しそうな顔をしていた。
わからない。俺はあいつを守ってやりたくて、側にいてあげたいんだろうか。そんなことをしたって、無意味なのに。俺もあいつも、いつ死ぬかわからない。早い話今日の戦闘で撃ち落とされれば全て終わりなのだ。全てが清算され、後には何も残らない。
それもそのはずだ、俺たちはこの世界に何も残してきていないのだから。
ただぼんやりと自分の行く先、居場所を探し求めて点々とし、ここに辿り着いた。ここで習ったマニューバが俺にとっての全てだ。
そしてそれを選んだのも俺自身なのだ。
「Ten, Contact bearing zero eight zero for two zero.(10番機、レーダー反応あり、方位:080、距離:20)」
しばらく考え事をしながら飛んでいたところ、通信が入った。
敵機をレーダーにて探知。平和な空は殺戮ショーのステージへと早変わりした。リュトー・ハロウズは死んだ。今は死の中にいるのだ。
寒気がした。
体中を駆け抜ける今すぐにでも逃げ出したいという欲求を抑え込み、しかと前を向いた。
空の向こうに、死がある。
大馬鹿者のおれたちは、躊躇なくそれに突っ込んで行った。