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3.骸

 

「なぜ。」俺はいった。「なぜ俺たちは戦うのだろうか。」

 イーセルトは眠たげに目を何度かしばたいたのち答えた。

「お国の勝利のため、だろう。それ以外にあるのか?」

 俺はふんと鼻を鳴らし、どっかりとソファに座り込んだ。今日、いるのはアルデだけだった。

「他の奴らは出払ってるのか?」

「ああ。」

 アルデはぼんやりと、取り留めのない視線をガレージの天井に左右させていた。

薬漬けのヤク中にありがちなことだが、彼らはオープン・クエスチョンに対応できない。はいかいいえで応えられるような単純な質問に上の空で受け答える_それが彼らの思考における限界なのだ。

 俺は煙草を吸った。

葉巻から流れる灰褐色の煙が上へ上へと立ち昇り、部屋中に充満していく。

「リュトー。」

「ん?」

「お前、人を撃ったことはあるか。」

「あるけど。」

「そうか。」イーセルトは考え込むような表情を見せながらいった。「どんな感じ、だ?」

「別に、大それたことじゃあないよ。俺はただスロットルレバーのボタンを押すだけだ。それに俺が殺すわけじゃない。機械が人を殺すんだ。」

「お前の撃った飛行機が煙をはらんで落ちていくのを見た時どう思った?」

「何とも。」

「何か、思うことくらいはあるだろう。」

「イーセルト、お前夜になって青かった空が真っ黒になった時どう思うんだ。」

「……ああそうか、お前にとっては戦場での生き死になど普遍的な日常の出来事に過ぎないってことか。」


 イーセルトはもじゃもじゃの髪の毛をひと房つかみ、くりくりと弄り始めた。

俺はなぜイーセルトがそんなことを訊いたのかわからなかった。彼が相手にすべきは地上の敵であって、空の敵ではないのだ。

「ほんとうに俺たちは、国のために戦っているのだろうか。国のために生まれて、マニューバを習って、死んで、それが俺たちの宿命だってんだろうか。」

「お前、志願して戦闘機乗りになったんじゃないのかよ。」

「そうだがしかし、たまにふっとそういう気持ちが湧き上がってくるんだ。止めようとしてもどうにもならない。何とか無理矢理抑え込んで、井戸の底に沈めても、またいつか浮き上がってくるんだ。」

「ならその、気分転換でもどうだ、リュトー。」

 イーセルトは立ち上がった。

「どこに行くってんだ。」

「おれが決める。ついて来い。」

 俺は渋々従った。












 イーセルトは掛扉をくぐって店内に足を踏み入れた。

途端に騒がしい鳴き声が俺の耳にこだまする。イーセルトはずかずかとガラスのショーケースのそばに歩み寄った。壁面にはショーケースが縦横無尽に並んでおり、それぞれの内部には赤い毛布と共に動物が屯していた。死んだようにうずくまって動かないものもいれば、元気にケース内を駆け回っているものもいた。

 イーセルトはその内のひとつに近寄ると、ショーケースにくっつかんばかりに顔を近付けた。

「こいつらだってな、いつかは死ぬんだぜ。リュトー。」

 ケースの中では、ちぢれた毛色の子犬が腹を投げ出して眠っていた。呼吸と共に腹が盛り上がり、やがてしぼむ。その、繰り返しだった。

「だから俺は思う。こいつら、既に死んでるんだってな。もはや生き物じゃないんだ。ここにいるのは皆、ペットという名の商品、物を喋らぬ陳列品、それに過ぎない。」

 イーセルトは壁のショーケースから離れると、今度はテーブルの上にじかに置かれたケージの方に近付いた。レジで退屈気にくつろいでいた店員は、この一風変わった奇妙な訪問者に並々ならぬ興味を抱いたらしく、面白そうにこちらを眺めていた。

 ケージはきめが細かく、上は厳重にふたがされていた。

中には犬、猫の類が詰まっている。


「リュトー俺はな、死ぬのが怖いんだ。ガキの頃からずっとそれを恐れてきた。」

 何となくぞっとした。イーセルトの目は眼下の動物に向けられていたが、何か別の、それこそもっと大きく、俺たちには思いもよらないようなものを見ているように感じられたのだ。

「何でそんな奴が暴力団まがいの首領なんてやってるんだ。」

 俺はいった。自分でも、声がざらざらに掠れているのがわかった。

「死ぬまでにな、おれのままでいたくなかったんだ。」

 ふいに、イーセルトの声が幼くなったように感じられた。落ち窪んだ眼窩、鷲の嘴のように高く、尖った鼻。彼は第一印象としてサーカスのピエロじみたものを人々に与える。

「別の人間になりたかったんだよ。だから、たくさん映画を見たし、小説だって読んだ。おれは教養のない人間だが、物語を追うのは心の底から楽しいと思えた。登場人物に生まれ変わったような気分で、別の人生を何度も何度も歩んだよ。」

 コートの裾を翻して、イーセルトは移動した。今度は鳥のケージの前に佇んだ。

「でも結局俺の心の空白が埋まることはなかった。だからな、おれはおれを捨てて道化になったんだよ。おれはイーセルト。イーセルトになる前のおれのことは、もう忘れたし考えたくもない。おれは望んでいた自分になれたのか、そんなことはわからないがなぜ人は生きるのかという問いに対する答え、それには大分近付けた気がする。おれなりの答えはきっとすぐそこにあるんだよ。」

 イーセルトの瞳には鮮やかな虹彩が浮かんでいた。

俺は何もいわなかった。何の言葉も、思いつかなかった。









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