1:誘引
俺にとっちゃ世界なんてものはちっぽけで物足りなくて、それだからいつだって抜け出していきたかったんだ。俺のいるべき場所はこんな狭いところなんかじゃない、とずっと自分に言い聞かせてきた。そんな俺がこの道を選んだのは至極当然といえるのかもしれない。
俺は煙草の煙をぷわーっと吐き出した。白く濁った煙が上へ上へと登っていき、やがてその輪郭も薄く剥がれて消えていった。俺は自分の靴が石道に当たるこつん、という音を耳の裏で感じ取りながら先を急いだ。古ぼけた煉瓦造りの建物、その隙間から裏路地に入り込んだ。冷たい空気が俺の腹を通り抜けていった。俺はご丁寧にも整備されている道に足音を響かせながら記憶の片隅に眠るイーセルト達のアジトへの道順を思い出していた。二度右へ曲がり、緑色の看板、その裏手が見える場所。イーセルトは空き家のガレージを城と呼んでいる。
「随分遅かったな。」第一声はそれだった。俺は埃に塗れた床に座り込み何やら機械の部品のようなものをいじっているイーセルトに軽く会釈した。
「持って、きたんだろ。」
俺と同じくらいの年ごろの青年が掠れた聞き取りづらい声でいった。俺は無言で頷き、手にさげていた紙袋からプラスティックの箱を取り出して青年に見せた。青年は俺からひったくるようにして箱を受け取ると、ラックの上にでん、と置いた。青年はそののちしばらく探るような手つきで箱の表面を撫で回していたが、やがて確認を終えたのかイーセルトに声をかけた。
「間違いないよ、本物だ。」
「そりゃ、よかった。」イーセルトは気のない返事をして、「どうする?この後、お前も来るか。」
「ああ。」
「仕事の方は大丈夫なのか?」
「問題ない。」
イーセルトはそれだけ聞くと近くに鎮座するタイヤを指差し俺に座るように勧めた。俺はいわれた通りぶかぶかの黒タイヤに座り込み、壁に背をもたれかけた。俺の尻が深くめりこんだ。
「お前、軍人なんだってな。」さっきの青年とはまた別の目の細い青年がそういった。俺はこくりと首を動かした。「サンウェルト基地に所属してるんだろ?」
「そうだが、それがどうかしたか。大方の事情はイーセルトから聞いてるはずだが。」
「銃を売ってくれないか?」
目の細い青年はまるで遊びに行く時のような声の調子でいった。流石の俺も度肝を抜かれたが、平静を装っておくことにした。
「それはイーセルトの意思か?」
「そうだ。」
「なぜお前がその話を持ちかけてきた。」
「本人の指示だ。」
当の彼は苦虫を噛み潰したような顔で目の細い青年を睨んでいる。苛立ちを隠せない様子のようだ。どうやら、と俺は思った。しくじったのはイーセルトの方らしい。ニュアンスの違いという奴だろうか、青年は言葉の裏を読み取ることができなかったようだ。今この場にいる5人_イーセルト、俺、箱を渡した青年、目の細い青年、漫画本を読み耽っているおつむの悪そうなガキ_全員が話を聞いてしまった。
「……は、はは。リュトー。今のは冗談だ。クソほども面白くねえ冗談だ、違うか?」
「ああ、違わないよ。」
俺はイーセルトにそう返した。
目の細い青年は不満気な表情でイーセルトと俺とを見比べている。俺は左右に素早く目を走らせた。件の青年とガキは素知らぬといった体で雑誌に手を伸ばしていた。
「リュトー、もうしばらくしたら出るぞ。その服じゃ目立ちすぎる、着替えとけ。」イーセルトは煙草をひとつまみしながらいった。
俺たちは8時きっかりに城をでた。
待っている間俺は3人の名前を知った。最初に俺に話しかけてきたやつがアルデ、目の細い例の青年がペイズリー、しんがりを行くガキがフランクといった。アルデはマリファナで脳が溶けていた。歩いている間も通りすがりの女にねちっこく視線を絡ませては声をかけようとしていた。俺は半ば呆れながら夜の街に光る電灯を眺めていた。
「リュトー、見ろよ。お前のお仲間さんだぜ。」
イーセルトの指差す先、1機のグリフィンが滑るようにして夜空を飛んでいた。グリフィンは地を揺らす轟音と共に上昇していき、やがてその姿は見えなくなった。
「こんな時間に出撃するのは珍しいな。何かあったんだろうか。」俺がいうと、フランクが馬鹿にしたような口ぶりで返してきた。
「いよいよこの国も潮時って訳か。」
ペイズリーとアルデが馬鹿笑いをあげた。近くを歩いていた老婦人は露骨に眉を潜めて俺たちからそさくさと離れていった。俺は否定も肯定もしなかった。上のことは上の奴らが考えていればいいことだ。俺には関係ないし、従ってこの国が戦争に勝とうと負けようとそんなことは俺にとっては取るに足らないことなのだ。哀れな馬鹿共は俺たちを勇敢な戦士と称えて戦地に送り出す訳だが、結局自分たちも戦争という大きすぎる因果を構成するうちのたった一つに過ぎないことに気付きさえしない。その言葉の裏には早死にする俺たちに対しての侮蔑、申し訳程度の憐みしか含まれていない_
ここらじゃ指折りの風俗に、馬鹿じみた戯言をほざきながら意気揚々と入っていくアルデ達。イーセルトと俺は部屋に向かったふりをして外に出た。建物の周りを囲む黒い森から吹く冷たい夜風が俺の首筋を通り抜けていった。
「内密にしておくつもりだったんだけどな。」
「奴らを消すつもりか?」
「まさか。」イーセルトは苦笑してかぶりを振った。「そんな物騒なこというなよ。」
俺が思う限りイーセルトは頭の切れる奴だ。ここら一帯を取り仕切っている首領としてはいささか気の抜けたような風貌ではあるが、その化粧でもしているかのような顔の裏には血に塗れた残忍性が蠢いている。
「……ただ、まあ、ここでおじゃんにする訳にもいかない。リュトーは知らないだろうが近々大きな取引があるんだ。莫大な金が動く。」
「俺を引き入れたのはそのためか。」
「いや、それは違う。おれはお前に商品価値を見出した。だから引っ張ってきた、それだけだ。今までの件とは何ら関係性がない。」
イーセルトはいい終わると物欲しげにジャケットを探り煙草の箱を取り出した。イーセルトの瞳は黒く落ち込んでおり何を考えているのか俺には想像もできなかった。
「元々ペイズリーの野郎は捨て駒にするつもりだったが、あそこまで気が回らないとは想定外だった……。」イーセルトは一旦口を置いたのち、いった。「リュトー、これからは奴らに悟られないように行動してくれ。下手に金を渡して口止めでもしようものなら余計怪しまれる可能性が大だ。」
「ああ。」
俺は頷いた。イーセルトの取引には多少危険を感じていたものの、俺に躊躇いはなかった。彼にはそれだけの資質と魅力があった。自然と人を引き寄せ、意のままに操る_俺にはイーセルトがまだ20歳そこらの若半だとはどうしても思えなかった。
「決まりだな。代価はお前が望みよりもずっと高くつくだろう。頼んだぞリュトー。」
イーセルトはそういうと服の裾を翻して去っていってしまった。後ろ姿が玄関に吸い込まれていく。扉が開き、隙間から光がばっと溢れ出した。俺も芝を踏み分け、あとを追った。