OK。"SF" カテゴリは明け渡そう
「SFってなんなんだろう?」シリーズを見てもらうと話が早いかもしれません[*1]。
SFであるために必要なのは次の3つ:
* 科学的な考え方
* 科学についての知識
* スペキュラティブな内容を議論する知性
そしてSFを読むために必要なのは次の3つ:
* 科学的な考え方
* 科学についての知識
* スペキュラティブな内容を議論する知性
SFとは作者にも読者にも同等に知識と思索を要求するジャンルだ。
だが、少なくとも、日本では、多くの読者はこれらを放棄している。あるいは、それらが必要なのだという考えにも目をやらないようにしている。少なくともそのように見える。あるいは、必要な知識と思索を嫌悪すらしていないのかもしれない。
SFの作品は作者と読者が対話し、議論するジャンルだ。双方が相応の知識と、思索を行なう能力を持っていなければ、そもそもとして作品として成立すらしていない。
嫌悪すらしていないというのは、どういうことだろうか。ただただ、それらを見ようともしない。そういうことである。
それらを見ずに、SFに何を見ているだろうか。小説家になろうにて読んだかぎり、作品でも、あらすじでも、書いてあることは「友情」であったり、「愛」であったりだ。
SF読みは、少なくともサイバーパンク以降、「友情」や「愛」を嫌悪する(いや、そもそもの始まりから、それらを嫌悪している)。それらは動物的で、あまりに動物的で、あまりに動物的すぎるため実際には動物にすら劣るものであり、人間を動物にすら劣るものとしてしまうからだ。
そこで、小説家になろうにおいてもサイエンス・フィクションは、"SF" ジャンルとは異なるジャンルとして、用意してほしい。
すこしふしぎ、スペース・ファンタジー、サイエンス・ファンタジー、それらではない、言うなら哲学における思索と同等な、あるいは同等であることを目指したを作品のためのジャンルを用意してほしい。
それは、慣習として "SciFi" という名称のジャンルとするのが適当だろう。
お気楽なSFは、明け渡そう。だが、SF読みは替わりに "SciFi" ジャンルを求める。
*1: http://ncode.syosetu.com/s3421c/