姿見鏡万華鏡
どうしてこんなことになったのか、僕にもさっぱりわからない。まあ僕はいわゆる馬鹿だから、他の誰かならわかったのかもしれないけど。
「あるところに病気で死にそうな男の子がいました」
今はなんとかなっているけど、いつまでも寝そべって独り言ばかり言うのも面白くない。僕は飽き性なんだ。
「男の子にはひとりの友達がいました。ある日、その女の子は言いました。あなたは死なないよ、と」
小さいころ、近所のお兄さんに聞かせてもらったっけ。いやに暗いお話だったなぁ。それを今になってなんとなく思い出して暇つぶしにしてるんだから、世の中無駄なくできてるのかもしれない。
それにしてもお腹が減った。家のオーブンにはきっと焼きたてのクッキーがあるだろうに。そうそう、クッキーを焼いてる途中に居眠りをして。目が覚めたらここにいたんだっけ。もしかしたら夢だったりして。だったらいいのに。
「なんていうんだっけなー。んー、そう八角形。鏡張りなんて趣味悪いなぁ」
八角形の部屋。見た感じ扉はなくて、天井は半分にしたミラーボール、みたいな。全部鏡張り、気持ち悪い。僕がいるのは鳥籠で、隙間は広くて出られるけどどうせ下にも出口なんてない。
「飽きた」
あーあ、お腹減った。このままじゃ餓死するんじゃないかなぁ。むかしばなしの続きも思い出せないし。人間お腹が減るとなんにもできなくなるよ。
『――コロン――』
「……ん?」
お菓子。でも、どこから? 飴玉。よく見れば、鳥籠のあちらこちらに、落ちていたりぶら下がっていたり、結ばれていたり。チョコレート、饅頭、おはぎ、ウエハース。籠の一番高いところに小さな袋があるけど、手が届かない。そんなにしっかりついてるわけじゃないから、揺れれば取れそうなんだけど、さすがにそんな勇気はない。
「……食べられるみたいだ。ま、そりゃそうだよね。いただきます」
うん、普通に美味しい。でもなんだか不思議なチョイスだけどね。やっぱり当分は素晴らしい。これでひとまずお腹は満たされたわけだ。
「……ふぅ。――そしてその晩、男の子は不思議な夢を見ました。自分の病気を誰かが治してくれる夢です。目を覚ました男の子は夢のことなどすっかり忘れていましたが、病気は本当に治っていたのです」
むかしばなしがすらすら出てくる。変な気分だ。
「それから毎日のようにみんなと遊んだ男の子。しかしある日、大好きな友達の女の子が事故で死んでしまいました。そのとき、男の子の心は砕けてしまいました」
そうだ、ここからが暗くなる。記憶が正しければ。
『――ピキッ――』
「……今度は何だろ」
いやに不吉な音がして、立ち上がろうとした。けど、足に力を込めたところで手元に穴が開いた。
――心砕かれた男の子は、何もわからなくなってしまいました。自分の中に閉じこもるようになり、自暴自棄になり、ついには死ぬことを考えるようになりました。そして、自分があまりにも丈夫な身体になってしまったことに気づきました。
「うぇやぁっ!?」
あまりに急だったのと落ちかけたことで、変な声を出してしまった。誰も見てなくてよかった。いや、カメラとかついてたら向こうで笑ってるかも。
「や、やだな……。人を閉じ込めるなら、もうちょっと丈夫なのにしてほしいよ……。おっ」
さっきの揺れで、小さな袋が落ちてきたみたいだ。可愛いラッピングの仕方だ。見習おう。
「クッキー?」
また懐かしいお菓子だなぁ。いや、よく作るんだけど。人から貰うっていうのはけっこう久しぶりだよね。人から貰ったっていうのは微妙だけど。この場合。
「懐かしい味がする。あの子のクッキーの味だ」
次第に思い出していく、お兄さんのむかしばなし。
死ぬこともままならなくなった男の子は、毎日女の子のお墓にいきました。女の子のためにお菓子をつくって、女の子のために生きようとしました。男の子は気づいていました。自分はもう、人間とは違うことに。それでも男の子は人間のように生きようとしました。
「昔は僕と似てる男の子だったから聞かせてもらっていた話だと思ってたけど、これって僕だったんだなぁ」
男の子はまた夢を見ました。長い、長い、不思議な夢。そこで男の子はまた気がつきました。もう取り返しのつかないほど、人間から遠くなってしまっていることに。本当の化け物になるまでもう時間がないことに。
「……悪くないむかしばなしだよね」
どこからか、パキパキと音がする。立ち上がると鳥籠は砕けて、もう僕が立ってたとこしか残ってない。まわりの壁もだんだん崩れていくみたい。
「無事に孵化した化け物は……。あれ、どうなったんだっけ。まあいいや。男の子は夢から覚めました」
殻が割れる。強い光が差し込んで、目を開けてられないや……。
「……んん……?」
目を覚ましたら、ソファーで寝てた。椅子で居眠りしてたはずなのに、毛布までかけてある。
「起きたか明哉。クッキーが焼けてたぞ」
「あ、ああ。ありがとう」
起きて、クッキーに手を伸ばす。冷めてるけど美味しい。さすが僕。
「……夢を見てたのか?」
「え? まあ、うん。それがどうかした?」
「いや、なんとなくそうかなと思っただけだが。珍しいな、料理中に寝るなんて」
優月もクッキーを口に運ぶ。僕が起きるのを待っててくれたんだな。なんだかんだで優しいやつ。あれ、昔はどうだったっけ。
「なんか急に眠くなっちゃってね。残しといてよ? 柚乃の分がなくなる」
「キッチンに分けてある。お前が俺や自分のために菓子を作らないことくらい百も承知だ」
さっすが僕の双子のお兄さん。僕のことはなんでもお見通し、かな。どうだろ。
「ならいいけど」
「あ、そうだ。お前さ、和菓子作れるのか?」
「まあまあかなー。何、優月料理するの? ホワイトデー?」
和菓子を選ぶあたりなんか謎だけど、悪くないんじゃないかな。和風な女の子とか、リクエストとか。優月らしいかもしれない。
「ホワイトデーは関係ないけど、世話になってる人にな」
なるほどね。先輩か、昔から言ってた女の子かってとこかな。先輩だったらほんとにただの感謝の気持ちか。まーどうでもいいことにして。
「へー。聞きそびれてたけど、バレンタインのは?」
「……ぎ、義理をいくつかしか貰ってないぞ。明哉は」
「さ、どうだろ。察して」
確かにモテ男だからなぁ。なんにも知らない人間たちに。僕は気づいちゃった。僕は人の残り時間を見ることができるんだ。
「ま、お前が受け取りもしないとこ見たからな」
「わー、盗み見なんて悪趣味だなぁ」
僕も悪趣味なわけだけどさ。君の時計は壊れてるみたいだ。どうにかしたほうがいい。そんなこと言えるわけもなく。
「悪趣味同士、材料でも買いに行こうか」
「今日の晩御飯は?」
優月が投げてよこした財布の中身、店に着いたら確認しよう。
「気分次第」
「焼き魚なんていかかでしょう」
これから僕は、人間にまぎれてる化け物を見ては安心する生活なんだろうな。僕だけじゃない。でもとりあえず、しばらくは不安にならなくて済むみたい。
「その案採用ねー。僕の気が変わったらわかんないけど」
殻を破った化け物は、時間を気にして生きていく。彼が言うには時計は心、時計を見れば君がわかるさ。彼が言うには時計は命、時計は誰もが気に掛ける。壊れて止まった時計を見ると安心するのさ、何故かって、そんな時計を抱えているのは、死人か化け物、さびだらけ。