友情
一
「ただいま帰りました」
優奈は、いつもより少し高めの声で、そう言って家に入っていった。
なんてったって、初めて「親友」なんて呼べる相手ができたのだから。
今日の日記は、久しぶりに明るくなりそう。
「おかえりなさいませ。お食事の用意ができております。お父様がお待ちでございます」
丁寧に迎えてくれるメイドのミラ。
いつもなら、これも相当憂鬱なんだけど、なんか今日は許せるような。
「…お嬢様、今日はなんだかご機嫌ですね」
態度にも出ているらしい。
「わかる?…私、今日『親友』ができたの」
「まあ、それはそれは。おめでとうございます」
「ありがとう。また今度ミラにも紹介するわ」
「……」
「どうしたの?」
「あ、いえ、……お嬢様が、わたくしとこのように話してくださるのは、今までありませんでしたので」
彼女はうれしそうに微笑んだ。
そういえば、そうだったか。
確かに、なんか父に雇われたメイド、ってだけで毛嫌いしていた気がする。
父があんな風になってしまった、その象徴がこの広い家とメイド、って気がしてなんか嫌だった。
…でも、考えてみたらそうだ。このメイドに、ミラに悪いところは何もない。
この人は雇われているだけで、
ミラにだって心はあって。…冷たくあしらわれていたら、傷つきだってする。
「…そうだね。じゃあ、話そうか。いろいろ、これからは」
「はい。喜んで」
きれいな人だ。
優しく答えるミラを見て、私は思った。
「今夜のメニューは何かしら」
「シチューです」
「やった。ミラのシチューおいしいもんね」
「あら。ありがとうございます」
ミラは今から父を呼びに行くらしい。私は一足先に、食卓に向かった。
いや、向かおうとしたら「その前に手を洗ってくださいね」と階段の上からミラの声。
あはは。できたメイドさんだ。
とりあえずカバンを置いて、洗面所にいきますか。
「…転校?」
父が何を言っているのかわからず、私はそのまま聞き返した。
食卓に着いた瞬間、父は「お前には、転校してもらうことにした」と一言。
私の頭の中は真っ白。
え?どういうこと?
は?転校?
転校って、あの学校を変わるっていう、転校?
「ご、…ご主人様、何をいきなり。…あ、あの、お嬢様のお話を聞いてあげていただけませんか?お嬢様は今日、ご親友…」
「ミラ」
私の代わりに、そう言ってくれたミラの言葉を、父は冷たい声で遮る。
「席を外せ」
父は、ミラをにらみつけて言った。
「…あ、あの、ですが、…ご主……」
「次はない。親子の会話だ。部外者は外に出ていろ」
「…は、はい」
ミラは悔しそうに、悲しそうに振り向いて、外へ出ていく。
私の中で、
何かがプツンと音を立てて切れた。
「…別に、ミラがいてもいいじゃない!」
「…なに?」
「ミラ、ここにいて。親子の会話じゃない。家族の会話でしょ?…ミラも家族よ」
「優奈」
父が私をにらんで呼ぶ。でも関係ない。
「ミラは私たちの家族よ。ここにいればいい」
「優奈!」
叫ぶ父を、私は睨み返した。
「ミラがいたら、何か都合が悪いの?ミラが私の味方をしたから追い出すの?正当な理由があるんだったら、別に追い出す必要ないじゃない。それを言って、ミラも納得させればいいでしょう?」
「父親に向かって口答えするな!…ミラ、お前の雇い主はこいつじゃない。私だ。さっさと言うことを聞いて出ていけ」
「ミラ、ここにいてちょうだい」
「優奈!」
「何が父親よ!私のことなんか何も考えていないくせに!自分の会社の利益とか、社会で評価されるとか、そんなことばっか考えて、そんなことしか考えてないくせに!何が父親よ!偉そうに言ってんじゃないわよ!あんたなんか!あんたなんかを父親だなんて、私は思ったことない!」
パァンッ!
思いっきり、頬を叩かれた。
痛い。すごく痛い。
でも、それよりもなんかもう、なんだろう?
腹が立って、…涙が出る。
「生意気言うな!決定事項だ。明日から手続きを始める。一週間後から、お前はこの高校に通うことになる。準備をしておけ」
父が出してきたのは、私立の名門女子校のホームページをプリントアウトした紙。
学力も高いが、それよりも金がかかることで有名な学校。
生徒だけでなく、教師も、それどころか用務員や売店の店員まですべて女性という、完全女社会の学校。
…しかし問題はそこじゃない。
わざわざ、転校する意味がどこにあるのよ。
今通っている御剣学園と、家からの距離は大して変わらない。むしろ近くなるくらい。
転校って、親の転勤とかで通えなくなってするもんじゃないの?
意味ないじゃない。
「ご主人様!」
ミラが何かを言いかけたが、父に睨まれて口をつぐんだ。
「ミラ、次はないと言ったはずだ。何を発言するつもりだ。内容によっては、解雇するぞ」
もう嫌だ。
なんで、なんでいきなり。
…もう、何を言っても無駄だ。
意味がわからない。
「……せめて、お嬢様に、ご転校をさせるご理由を、教えて差し上げてはいかがでしょう」
解雇にする、と脅されて。それでもミラは、勇気を振り絞ってそれを言ってくれた。
しかし父は、
「必要ない。決定事項だ」
そう言って立ち上がり、せっかくのご飯も食べずに自室に行ってしまう。
シチューは、すっかり冷めてしまった。
二
本日は、一〇月三一日。
「いよいよ、明日だな」
白鷺は、ごくりとつばを飲み込んだ。
「ええ、僕らの努力の成果が試されるんです」
木下も、緊張して顔をこわばらせながら言う。
明日は一一月一日。オタク検定一次試験の、第一日目である。
今、日本中のオタクたちが、明日という瞬間に備えて精神を統一させている。
しかし、
「……」
小坂は一人、黙っている。
小坂には、今それよりも気がかりなことがあった。
(…新堂さん)
「あ、…あんなに勉強したんだし……大丈夫だよな、きっと」
テキストを取り出し、自分の努力を振り返る白鷺。木下は、力強くうなずき、
「はい……あとはお互い、明日全力を出せるように、今日は早めに寝ましょう」
「ああ、そうだな。…なあ、小坂」
白鷺が呼びかけるが、しかし小坂はただ黙ってうつむいている。
「…小坂さん?」
木下が覗き込むと、小坂はビクッとして我に返った。
「…小坂、緊張しすぎだって。…大丈夫、俺たちはあんなに勉強したんだから」
白鷺は、小坂が明日の試験のことで悩んでいるのだと思ったらしい。
「…はいぃ、そうですねぇ」
小坂は笑顔を作って、答えた。
『新堂さん、どうしましたかぁー?…心配してますぅ』
また、小坂さんがメールをくれた。
ホントに、優しい子。
私にはもったいないぐらいで、
私、それなのにそんな子を、ついこの間までバカにして、嫌って……。
だから、…ばちが当たったんだ。
あの子は、…もう私なんかと関わるべきじゃない。
私はどうせ、いなくなる。二度と会うことはない。
明日、書類が提出されるらしい。
メール送ってくれたけど、…うん。私なんかにあの子は関わっちゃいけないんだ。
もう、私のことは忘れればいい。
……。
本当に、そうか?
本当に、それがあの子のためか?
…せっかくできた、親友。その途端、いきなり連絡が途絶えて、メールも返ってこない。
それであの子は、どう思う?
……わかってる。
私は、逃げたいだけなんだ。
一人ふさぎ込んで、悲劇のヒロイン気取りたいだけなんだ。
そっちのほうが、まだ気が楽だから。
……でも。
たとえば、もし逆の立場だったら、あの子はどうするだろう?
…きっと私のことを考えて、
事情を説明して、
笑顔で、
どんなに悲しくても笑顔で、
私と向き合ってくれる。
ピロピロリ~ン♪と、小坂の携帯が鳴りました。
午後一一時二〇分。明日は検定の日ですから、もう寝ないといけない。そう思って、ベッドに入ったところでした。
「…!」
新堂さんからです。
待ちに待った、彼女からの返信が、やっときました。
そして、
…最初の一文を読んで、唖然としました。
「…転校?」
なんででしょう?どうしてなんですか?
…新堂さん自身にも、よくわからないみたいです。
ただ、お父様からそう言われたと。
どうしようもない、と。
そう書いてありました。
……新堂さん自身は、転校したくないんだと思います。
そんな気持ちが、ひしひしと、小坂には伝わってくるんです。
何て返信しようか一五分ぐらい迷いましたが、わかりません。
伝えるべき言葉が、浮かびません。
もう時間が時間ですが、きっとそんなこと言っていられる場合じゃないです。
えーっと、新堂さん、新堂さん。
ありました。新堂さんの電話番号。
ピッ、と発信ボタンを押しました。
メールを送って、少しだけ気が楽になった。
そういえば、あの日から日記もつけていなかったな。
今日は久しぶりに、書こうか。
胸の中、書きたい気持ちは、いっぱいある。
このぐちゃぐちゃな感情、全部書き綴ってみようか。
…そう思って、優奈は本棚を探したが、
…あれ?
日記帳がない。
いや、すぐにみつかった。
…でも、なんでここに?私こんなところに入れたっけ?
いや、同じ本棚の中にはあったのだが、優奈は入れる場所をいつも決めている。
出したらきちんと、そこに戻すから、…こんな変な場所に入れた記憶はないんだけど。
…ま、いいか。
そして私は、日記帳を開く。
開いて、違和感。
『先生』への愛の言葉で埋め尽くした、何日か前の日記。
その部分が、思い切り手で握りつぶしたみたいにぐちゃぐちゃになっている。
そしてその間に挟まっている、短い髪の毛。
私のじゃない。
…この家で、こんな短い髪の毛をしているのは、…一人しかいない。
……。
そういうことか!
…そういうことだったのか!
あの、クソヤロウ!!!!!!!!
私の日記を読んで、
勝手に、
勝手に私がいない時に娘の部屋に入って、
勝手に部屋をあさって、
日記読んで!!
それで!
私が、先生に恋心を持ってるってわかって!
…だから、女子校なのか!
だから、別に遠くなくてもよかったのか!
ただ自分の利益のために、
私のことなんか何も考えないで!
…………。
「!!!がああっあああああ!!」
今日は家に父はいない。
急に叫んだ私を心配して、ミラがやって来てくれる。
あの日以来、ずっと私の部屋の近くにいて、ときどき様子を見に来て励ましたり、話を聞いたりしてくれている優しい人。
「お嬢様、だいじょうぶですか!?」
その顔を見た瞬間、
「…あ、が、…あああ…」
どうしようもなく、涙があふれた。
ミラが駆け寄り、私を抱きしめようとしてくれたとき、携帯が鳴る。
…小坂さん。
私は迷わず、通話ボタンを押した。
この、二人の優しい私の味方に。
話を、聞いてもらいたい。
三
明日はオタク検定本番。
受験するにも、結構なお金がかかります。
それに今まで長い間、この日を目指して一生懸命勉強してきました。
検定日は、一年に一度しかありません。
…でも、
小坂は、迷いませんでした。
そんなことより、大事なことが、あると思うから。
電話で、新堂さんのご事情を聞いて、
それはあまりに理不尽で、かわいそうで、
…明日の午後、新堂さんのお父様は書類を出しに行かれるそうです。
明日の朝なら、まだ間に合います。
別に来てくれと言われたわけじゃない。
行くと約束したわけでもない。
でも、…大切な友達だから。
小坂は、
小坂が行っても、何もできないかもしれませんが、
小坂はオタク検定よりも、そっちをとります。
小坂から、メールが来た。
それを見て白鷺は、眉をひそめる。
明日小坂は、オタク検定に行かず、新堂さんの家に行くらしい。
聞けば、理由はわからなくもないが。
正直、「は?」って、俺は思った。
小坂の、オタク道にかける情熱は、そんなもんだったのかよ?。
それに新堂さんの件だって、小坂が出る幕じゃないし、
正直、部外者の余計なおせっかいだし。
行ってどうなるわけでもないし。
だから小坂からのメールには「白鷺さんもぉ、どうか一緒に来てくださいませんかぁ?」なんて書いてあったけど、迷わず断ることにした。
だって、それこそおかしい。
俺なんか、新堂さんとは一、二回会話した程度だし。それで、そこまででしゃばるとか、変だろう。
新堂さん自身から相談されたとかならともかく、
又聞きで、そんなおせっかい。正直、逆の立場だったら、「なんで?」って思うと思う。
それに俺は、オタク検定にすべてを賭けてるし。
オタクであることだけが、俺の全てだし。
オタク世界で、認められて。友を作って、生きがいを得て。
それがもう、俺のこれからの人生だから。
そう決まっているのだから。
だから、こんなところで一年間立ち止まるなんて、あっちゃいけない。
「ごめん、俺はオタク検定に行くわ。せっかく勉強してきたんだし。俺が行っても、新堂さんの役には立たないだろうし。そもそも俺には関係ないし」
そう、返信した。
一〇分ぐらい経って、小坂から返信があった。
『見損ないました』
その一言だけだった。
なんだよ?別に俺は変なこと言ってないだろう?
そりゃ、かわいそうだとは思うけど。
でも、自分の夢は、ゆずれない。
オタクとして、正しい行動は…なんでしょう?
木下は、携帯を見ながら悩んでいる。
明日に向けて最後の確認をしていたら、小坂さんからメールがありました。
新堂さんのことです。
小坂さんは、新堂さんのために、オタク検定を受けず、新堂さんの家に行くらしいです。
でも僕は、…どうしたらいいでしょう?
新堂さんとは、小坂さんほどには親しくありませんし、
別に、僕が行ったところで何ができるわけでもありません。
…事情を聞いて、かわいそうだとは、思いますが。
でも、わざわざそれだけのために検定を受けずにそっちに行くというのは、ばかげている気がします。普通の日ならともかく、明日は年に一度の大切な日。
僕は、真のオタクになりたい!
オタクの中のオタクとして、輝きたいんです。
高校一年生で、もしオタク三級を取れたら、それは全国初の栄誉です。
これが、もし今年を逃して来年になってしまったら、…それでもまだ珍しくはありますが、でも初ではありません。
僕にはもう、これしかないんです。
オタクの中で、輝くしかないんです。
だから、迷わずオタク検定に行くべきです!
…少し前までの僕なら、きっとそう思ったことでしょう。でも。
それで、本当にいいんでしょうか。
何もできないかもしれない。
でも、たとえ、何もできなくても、
結果が変わらなかったとしても、
目の前で苦しんでいる友達がいて、
そのために何もしないで、自分の理想を追求する。
それは、正しいのでしょうか。
オタク倫理学で、僕らが習ってきたことは、そんなことだったのでしょうか。
今ここで、新堂さんを見捨てたら…。
僕が新堂さん自身に頼られたわけじゃないからなんて理由になりません。
事情を知ってしまったんだから、同じことです。何もしないなら、それは僕が彼女を選ばなかったということ。彼女の危機よりも、自分を優先したということ。
そうです、ここでオタク検定を選ぶことは、新堂さんを見捨てることです。
僕が、彼女を見捨てることです。
それは、…そんなことをして僕は、
…立派なオタクと、胸を張れるんでしょうか?
僕にそんな資格は、あるんでしょうか?
だから僕は、迷ってなかなか返信できずにいます。
見損ないました。
ありえないです。
まさか、白鷺さんがあんな人だったなんて。
「俺には関係ない」ですって?
関係ってなんですか?自分の利害に関わるかどうか、ですか?
友達、のことですよ?
友達が、大変な状況なんですよ?
もう何日も学校を休んでいるんです。どれぐらい大変かなんて、わかるでしょう。
友達の危機が、自分とは関係ないことですか?
そりゃあ、今まで一生懸命勉強してきましたから。小坂だって、その気持ちはわかります。小坂だって、受験できるなら受験したいです。
正直、あと一年待つのなんて嫌です。五級以上は飛び級もできませんから。また来年四級を受けなくてはいけません。高い受験料を払って。
正直、ものすごく嫌です。
なんでよりによって明日なの?って思いました。
でも。
それでも、それよりも。
大切だから、
そんな自分の利害なんかと比べることができないから、
それが、友達なんじゃないんですか?
白鷺さん。
見損ないました。自分のことばっかり考えて。
小坂は、がっかりです。
木下さんは、どう思うのでしょうか?
彼からは、まだ返信が来ていません。
小坂から来た、『見損ないました』のメール。
なんだか、妙に腹が立って、白鷺は眠りたくても眠れない。
誰かに聞いてもらいたくて。
きっと木下ならわかってくれるだろうから。
やつに電話をかけてみた。
五コールぐらいで、出る。
「よお、木下も、小坂からメール来たか?」
そう聞いたら、「はい」という答えが来た。
しかし、「こんな大事な日に、あいつは何言ってんだろーなー?」と俺が言う前に、
『僕は…どうしていいのかわからなくて困っています』
なんて、木下は言いだした。
おいおい。どういうことだよ?
なんだよ、それ。
迷うことないじゃんか。
おかしいだろう?
「迷う理由なんてどこにもない。だって、俺らが行って何になるよ?それと、一年に一度の検定試験と、どっちが大事だよ?」
そう言ったら、木下は黙り込んだ。
だから俺は、そのまま勢いで、小坂とのメールのやり取りについて木下に話した。
小坂の奴、ひどいだろう?
何が見損ないました、だよ。
見損なったのはこっちだ!
小坂の情熱が、その程度だとは思わなかった。
小坂にとって、萌えがその程度だとは思わなかった。
正直、がっかりしたよ。
そうだろう?
木下にそう聞いたが、何の返事もない。
電話の調子が悪いんじゃないか、と思うぐらい間が空いた後で、木下がやっとしゃべりだした。
『白鷺くんの、言っていることも、わかります。…僕も、本音を言えば、オタク検定を受けに行きたいです。でも、…』
そのあと、木下はオタク倫理学の話をし出した。
……。
確かに、木下の言うこともわからないわけじゃない。
でもさ。
それでもさ。
一年に一回だぜ?
それに、小坂はまだわかるけど、俺らは完全に部外者じゃないか。
そこででしゃばってまで行くことは、別に義務じゃないだろう?
倫理は、そこまで要求しないだろう?
そう言ったら木下は、
『一度、小坂さんにも電話をして、もっと詳しい情報を聞いてみます。…その後で、もう一度白鷺くんに連絡します』
と言って、電話を切った。
……。
なんだかやりきれない、後味の悪さだけが残ってしまった。
小坂さんに電話して、詳しい事情を教えてもらいました。
どう考えても、新堂さんは、かわいそうです。
『木下さん、お気持ちはわかりますぅ~。…でも、小坂はぁ、ここで大切な友達を~、見捨てることなんてできません』
見捨てる。
その言葉がグサリと僕の心を刺します。
……。
僕は、他人から受け入れられずに来ました。生きてきました。
今、オタクになって、中学三年でもう四級をとってしまって。
オタクたちから、一目置かれるようになって。
僕は、初めて自分の居場所を見つけました。
ここが、僕の居場所です。
これを極めることだけが、僕の救いなんです。
…でも。
本当に、それだけだったんでしょうか。
僕が今まで、周りから受け入れられずに生きてきたのは、全部が全部、周りのせいだったんでしょうか。
…僕は、きっとここで他人に手を差し伸べられるような、
自分の夢よりも新堂さんを選べるような人間じゃなかった。
だから。
たとえ、僕がもともといじめられっ子でも、
どんなに冴えない奴でも、
もし、ここで友達を優先できるような人間だったら、
きっと僕を認めてくれた人は、いたんじゃないでしょうか?
……。
今、ここで自分のことを優先したら。
僕は、また同じだ。
いつまでたっても、このままだ。
居場所ってなんです?居場所ってのは、小坂さんがいて、白鷺くんがいて、友達が、仲間がいて初めてできるものです。
もし、だれもいない自分だけの空間が居場所だと思うなら、
それは居場所なんかじゃなくて、逃げ場所にすぎません。
だから居場所が欲しいなら、他人と関わらなくちゃいけない。
他人と関わりたいのなら、
…自分のことだけを、考えていちゃだめなんです。
「僕も…、新堂さんの家に行きます」
小坂さんに、そう伝えました。
小坂さんはうれしそうに、「ありがとうございますぅ」と言ってくれました。
これから白鷺くんに電話するつもりだと言ったら、
「…さきほどぉ、ちょっとひどい言葉をメールで送ってしまいましたのでぇ~、…白鷺さんへの電話はぁ小坂にさせていただけないでしょうかぁ?」
そう言われたので、任せることにしました。
木下からの連絡を待っていたら、小坂から電話がかかってきた。
なんかさっきのメールのやり取り上、会話するのが気まずかったが、しかしそれで逃げるわけにもいかない。
白鷺は、ピッ、と通話ボタンを押す。
「よお」
『あ、…白鷺さん~』
「……」
『……』
何を話していいのかわからず、沈黙が続く。
とりあえず、今考えていたことを俺はしゃべることにした。
「小坂、たとえば、もし俺が新堂さんから直接頼まれたとする。…そしたら行かないのは友達として最低だろう。…でも、今回の件では俺は部外者だ。部外者が、いきなりでしゃばることは、どうなんだろう?正しいことか?少なくとも、しなければならない義務では、ないんじゃないか?」
再び沈黙。
『確かに、その通りですぅ。義務ではありません~。ここで白鷺さんがぁ、行かなかったとしてもぉ、誰にも責める権利はないでしょう~』
でも、と小坂は続ける。
『白鷺さん。…白鷺さんは~、義務でなければぁ、しないんですかぁ?』
「…そうじゃない。俺も、明日でなければ行くよ。…でも、明日は、よりによって、明日じゃないか!一年で一番大切な日じゃないか!」
『はいぃ……そうですね~。…じゃあ、小坂はぁ~、それでも白鷺さんにもぉ、一緒に来てほしいと思いますがぁ。…どうしても来いとは、言いません。…でもぉ、……確かに、小坂たちが行っても、何もできないかもしれません~。でもぉ、何かできるかもしれません。それは~、一人よりも、きっと三人の方ができることは多いですぅ。新堂さんは今、本当にぃ、ピンチなんですよぉ~』
……。
そう訴えられてしまうと、やはり心に迷いが出る。
危機。困っている。
それで何とも思わないほど、そこまで俺も冷めてはいない。
でも新堂さんはオタクじゃないし。俺にとって、そこまでしないといけない相手か?
オタクじゃない奴らは俺にとって敵だろ?
この間はそういう流れになっちゃったから会話しただけだし。向こうだってきっと俺にそんなこと求めていない。
オタクじゃない奴らは、俺をバカにしてきた敵どもだ。
だから俺は、あいつらとは、敵対するって決めたんだ。
……待てよ?
それ、おかしくないか?
だって。……新堂さんが、いつ俺をバカにした?
「……」
…そうだ。
変だろ?それ。
確かに俺は、ずっとバカにされて生きてきたけど、…新堂さんは、そんなことしたか?
いや、そりゃあ内面では思ってるかもしれない。わからない。
でも、一緒にご飯を食べに行ったり、
小坂とこうまで仲良くなった新堂さんは、少なくとも俺たちを「オタクだから」なんて理由で軽蔑したりはしていない。
歩み寄ろうとしてくれている。
……。
『白鷺さん、オタクアカデミーの校歌、頭に入っていますかぁ~?』
「…当たり前だろ?」
俺が答えると、小坂は、きれいな声で歌詞を読み始めた。
『世界中のオタクたちが一度に笑ったらぁ~、空も泣くだろう。ラララ海も泣くだろう~。だけど野で泣く一輪の花をぉ~、笑顔に変えるため俺にも、できることあるはずさ~。……今がその、一輪の花に笑顔を咲かせるときじゃ、ないんでしょうか。そうすることこそが、小坂たちが、オタク・アカデミーで、学んだことじゃぁ、ないんでしょうか?』
………。
…………。
…。
確かに、そうだ。
その通りだ。
もし、
もしここで、それを実践しないなら、いったい何のために学んだのか。
それじゃあ、ただ理論を覚えてテストで穴埋めできるだけの、
中身のない奴じゃあないか。
…それじゃ、
オタクとして、…俺は正しくない!
俺の心の中で、何かが光った。
オタクだから、オタクじゃないから。それで区別して、オタクじゃないなら誰でも敵。
ホントにそんな考え方でいいのか?
小坂の、言うとおりだ。
…、俺は。
「…小坂。わかった。…俺も明日、新堂さんの家に行くよ」
『し、し、し、白鷺さぁ~ん!!』
そうだよ。
俺は、大切なことを忘れていた。
気づいて、いなかった。
新堂さんは、オタクではないかもしれない。
でも、そんなことは関係ない。
友達だから、大事にするんじゃないんだ。そうじゃないんだ。逆なんだよ。
大事にするから、友達なんだ。大事にしたいと思えるから友達なんだ!
俺は、
俺たちのことをオタクだと知りながらも、変わらずに接してくれる新堂さんを、
大事にしたい。
そうだ、だったら、
友達じゃないか。
……。
小坂にも、木下にもできないこと。
だけど俺にはできる新堂さんのためになることがあるだろうか?
…きっとある!
俺はそれをしよう。しに行こう。してやろう!
四
父が、書類をまとめて封筒に入れる。
私はその姿を、黙って見ていることしかできない。
……。
…せっかく、友達ができたんだけどな。
大切な、友達ができたんだけどな。
居場所ができそうだったんだけどな。
……。
それも、終わっちゃった。
「…ご主人様。…どうか、考え直してはいただけませんか?お嬢様は今の学校で、とても大切なご友人ができたと」
「ミラ」
「…はい」
「荷物をまとめろ」
「はい?」
「次はない、と言ったはずだ。今日かぎりで出て行ってもらう」
「……」
ミラの顔が蒼くなる。
「…ミラはちょっと意見しただけじゃない!私のことを思って言ってくれたのよ!」
半泣きでそう言う私に、父は冷たい視線をぶつけてくる。
「ミラ、うまく優奈に取り入っているようだが、お前のご主人はあくまで私だ。…それも今日までだけどな」
「そんな言い方!」
思わず掴みかかろうとした私を、ミラが押さえた。
「わかりました。…そのかわり、お嬢様のご転校はお取消しください」
「ミラ!」
そんなこと言わないで、と私は叫ぶ。
わかりました、って何?いなくなるの?
嫌だ、ミラまでいなくなるなんて!
私のせいで!
しかしミラは、振り返って、軽く微笑んだだけだった。
「寝ぼけたことを言うな。お前に交換条件を持ち出す権利などない。無条件でクビだ」
「……こ…の…」
ふざけんじゃねええぇ!
バンッ、とミラの手を払いのけ、私はこのクソ野郎に掴みかかる。
それでも、この男は顔色一つ動かさないの。
ねえ、もうどうして?
どうしてここまで冷たい人間になっちゃったの?
「優奈、これはお前のためにしていることだ」
挙句の果てに、…何言ってんのよ!
…もう、悲しいやら何やら、…手から力が抜けていく。
私は、掴んでいた父の服を放し、その場に座り込んだ。
「私はお前の父親だ。…黙って私に従っていればいい」
そのとき、
ピーーンポーーン
玄関のチャイムが、鳴り響いた。
「…ったく、誰だ?この忙しいときに…ミラ、最後の仕事だ。行って来い」
そう言われてミラは玄関に向かって歩いていく。
「はい」
インターホンをとると、
『うははー、豪宅じゃねえか!新堂さんはお嬢様か!』
『いやはやぁ、これほどとは、驚きましたぁ~』
『これは、まさしく萌え要素。お嬢様+ツンデレは古典王道とはいえ、輝き色あせることのない完璧な萌えの一つです!』
『『『萌えー』』』
ガチャリ
ミラは黙ってインターホンを戻した。
「あ、あれれぇ~?切れてしまいましたよぉ~?」
「…ふむ、表札は確かに『新堂』ってなってるから、間違っちゃいないな」
「どうしたんでしょう?…とりあえず、もう一回押してみますか?」
「そうだな、きっと萌えっぷりが足らなかったんだ」
ピーーンポーーン
ちょっと間が空いてから、再びさっきの『はい』という声。
「…いっせーのーで!」
「「「もももも萌―――え――――!!」」」
三人は、一生懸命叫びました。
だーいぶ間が空いて、
『…あのー、いたずらでしたら…』
「え?いたずらぁ~?」
「今のでなんでそう思われるんでしょう?」
「ふむ。意味の分からんことを言う人だ」
『……いたずらでは、ないんですか?』
「俺たちは、新堂優奈さんの友達だ」
……。またしばしの沈黙。
『…少々お待ちください』
「…お嬢様」
玄関から戻ってきたミラが私を呼んだ。
「…何?」
「何やら、お嬢様のお友達とおっしゃる方がいらっしゃっていますが」
「…私の?」
誰だろう?
家まで訪ねてくる友達なんて。
そもそも私には友達が少ない。
友達、と言われて一番最初に浮かんだ顔は、もちろん小坂みはる。
でも、あの子は今日は大事な日。
検定日のはずだ。
…そうだ。それなのに昨日、あんなに長く電話しちゃった。悪いことしたな。
でも、さすがに家まで来るなんてありえないでしょ?
この検定がオタクにとってどれだけ大事かは私も知ってる。
もう一つ目の試験が始まっているころだろう。
…がんばって、私の親友。
だから、
「たぶん、違うわ」
そう言うとミラは、
「ですよねー、…さすがに」
何やら安堵したようだった。
「おいおい、どういうことだ?入れてもらえないなんて」
「なんでですかねぇ~、小坂たちは、ちゃんと愛をこめて萌えたんですけどぉ~」
「はい、…難問です」
玄関の前で首をかしげるオタク三人。
「…どうする?せっかく来て何もせずに帰るのはさすがに……潜入するか?」
「…いえ、それはまずいと思います。犯罪ですし」
「でもぉ~、どうすればいいんですかぁ~?」
「そうだぞ木下、だったらお前が何か方法考えろ」
「えっ!?ぼ、僕ですか?……そうですねー。……うーん、…やっぱりここは言い出しっぺの小坂さんが…」
「小坂も想定外ですよぉ~。…やっぱり、愛が足らなかったんでしょうかぁ~」
「じゃあもう一回、萌えてみるか?」
「どうやるんです?きっともうチャイムを押しても出てくれませんよ?」
「何言ってるんだ?叫ぶに決まってるだろう」
「おおぉ~、ぐっど・あいでぃあぁですぅ~」
そして彼らは大きく息を吸い込んだ。
いっせいのーで☆
「「「もももももももっももおおおおおおおおおおおおええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!」」」
ここは、新堂家の門の前。
住宅街である。
その叫びは、当然優奈の耳にも入った。
「…ミラ、…もしかしたら、本当に私の友達かもしれない」
私は父に聞こえないように気を付けながら、ミラに言う。
「い、今の異様な叫びが、ですか!?」
目を白黒させるミラ。
そうだよねー。
普通はそういう反応だよねー。
…でも、あの叫びだからこそ、あいつらなわけで…。
でもなんで?
あんな叫び声をあげるなんてあの三人しか考えられないけど、
でもあいつらは今日、大事な試験日のはず。
それなのに。
「…人の家の前で、何を叫んでいやがる」
父がいらいらしながらそう言った。
「いったいどこのどいつだ」
「わかりません」
ミラがそう言うと、
「追い払ってやる」
父は玄関に向かって歩き始める。
「…あ、待って!」
私は急いでその後を追った。
ガチャリと新堂家のドアが開いて、初老の男が出てくる。
「おぉ~、白鷺さん、さすがですぅ~。小坂たちの愛が通じましたぁ~」
「だっろー?もっと褒めていいぜ?」
父を追いかけるようにして外に出ると、白鷺くんが照れている。
なんだか、涙が出そう。
言ってることややってることは超滅茶苦茶だけど、
でも、
白鷺くん、木下くん、……小坂さん。
みんな、私のために来てくれたんだ…。
なんで?
どうしてそこまで?
だって、今日は、大切な日のはずでしょ?
みんな今日のために、すっごい一生懸命勉強してたじゃない。
なのにどうして?
「あぁ!」
小坂さんが、私に気付いて叫んだ。
「新堂さん!」
三人が私に笑顔を向けてくれる。
「知り合いか?優奈」
「はい」
父は、「そうか」とだけ言って、私を置いて、オタクたちのもとへと歩いていく。
「きみたち、娘の知り合いとのことだから今回は大目に見るが、他人の家の前で叫んでなどいたら、警察を呼ばれても文句言えないんだぞ」
父は冷たい目で三人をにらみつける。
知り合いっていうか、どう見ても娘の同年代だもん。友達だってわかるでしょ?
娘の友達に、そんな態度とらないでよ。
「やめて。私の友達よ」
「…はっ。この程度の常識もわからんやからを、お前の友達だとは認めん!」
は?
「認めん、って何よ!?私の友達よ!なんでそんなこと父親に決める権利があるのよ、決めるのは私よ!」
「優奈。人前だ」
「うるさい!」
「わからん子だ。…もういい。君たちももう帰ってくれ。今日は私たちは忙しいんだ」
小坂さんたちにそう言い残し、父は私の手を引っ張って家の中に入ろうとする。
いや、ひっぱらないで!
ふざけないで!
私は抗おうとしたけど、父はなんだかんだ力は強い。
「ねえ、ちょっと!別にいいじゃない、私の友達よ!」
聞こえているはずなのに、なんで反応すらしないの?
しかしそのまま連れて行かれそうになった時、小坂さんが叫んでくれた。
「待ってくださぁ~い!」
…それでもこの男は、振り返ることなく私を引っ張っていこうとする。
…放して、放してってば!
ぐっ、ん!んぐっ!
…ダメだ。全然、ダメ。
……せっかく、小坂さんたちが来てくれたのに。
最後に話すことすらさせてくれないの?
…しかし。
父がいきなり止まった。
…ミラ。
「ミラ。そこをどきなさい」
入口。
ドアの前でミラが、通せんぼをしてくれている。
「お嬢様のご友人とのことです。少しお話だけでもさせて差し上げてはいかがでしょうか」
「お前に、私に意見する権利はない。お前は私のメイドだ、私に従え」
「さきほど新堂様は、『インターホンに出ることが私の最後の仕事』とおっしゃいました。よって、私にはもうあなたの命令を聞く義務はありません」
「…減らず口を。ならばさっさと、この敷地から出ていけ」
「その前に、新堂様がお嬢様のお手をお話しください」
「これ以上の議論は無駄だ。出て行かんなら、閉め出す」
そうして父がむりやりミラをどかそうとしたとき、
「新堂さぁ~ん、新堂さんはぁ~、転校、したいんですかぁ~?」
小坂さんの、叫び声。
…私は。
私は、
「したいわけない!!」
叫んだ。
思いっきり叫んだ。
「なあ、新堂のおじさん。俺たちはあんたと話しに来たんだ。…新堂さんは転校したくないって言ってるじゃないか。それなのにどうして転校しなくちゃならないんだ?」
白鷺くんの言葉を無視して家に入ろうとする父を、ミラが邪魔してくれる。
「答える必要ない。ミラ、どきなさい」
「どきません。そのままお話を」
それでも突破しようとする父に、私は叫んだ。
「会社の利益のためでしょう!自分の利益のためでしょう!私が、…私が学校の先生に恋心を持ってることを知って、それで!もし問題でも起きたら会社の名前に傷がつくから!」
父は今日初めて目を丸くした。
しかし一瞬で元に戻る。
「…わかっているなら、話は早い。さあ、行くぞ」
「放して!いや、転校したくない!そんな理由なんてもっと嫌っ!…やることが汚いんだよっ!勝手に娘の部屋に入って!私の日記読んで!それで事情知って、有無を言わさず転校!?は?ふざけないでよ!?いいかげんにしてよ!私をなんだと思ってるのよ!私はあんたの所有物じゃ…」
バシンッ
頬を叩かれる。
でも、ひるんでなんかやるもんか!
「私はあんたの所有物じゃない!一人の人間よ!何時代錯誤してんのよ!私の人生よ、友達も、学校も、恋も!私が決めるのよ!」
「その恋は、いけないものだ。お前の自由じゃない」
「だから何!?恋心を持つこと自体がいけないの!?憧れること自体がいけないの!?」
「万が一があっては一大事だ」
私の部屋に勝手に入ったことを大声でばらされて、さっきより少しだけ、父の言葉に勢いがなくなったみたい。
「恋心を持つだけなら、誰にも責める権利はないんじゃないでしょうか?それだけで転校なんて、やりすぎです」
木下くんが言う。
「もっと他に方法があるはずです。どうして、もっと娘さんを信じてあげないんですか?どうして、もっと娘さんの気持ちを、考えてあげないんですか!?」
「…ガキが、知ったようなことを!」
父は叫んだ。
すごい形相で、私の友達をにらみつける。
木下くん、きっと内心ではすごく怖いだろうに、それでも私のために、目をそらさず父を睨み返してくれている。
そのとき、ミラが低い声でしゃべりだした。
「新堂さん、あなたは高校時代に、好きな人がいたそうですね」
……。
父が目を丸くして、ミラに向き直る。さっきまでの強気さがどこへ行ったのやら、半ば青くさえ見える表情。
……。え?何?
…こんなに目に見えてうろたえる父なんて、初めて見た気がする。
なんで?って思ったけど、それもすぐにわかった。
「あなたの学校の、音楽の先生。赴任してきたばかりの新人先生で、結構な美人。当時、男子生徒たちのあこがれだったそうです」
……。本当に?
「…覚えていないな」
「いいえ?そんなはずはありません。あなたにとって、それはちょっとした恋心では終わらなかった。あなたは、二学期が終わった終業式の日、告白しましたね」
「……」
「結果、惨敗。…でも、結果の話じゃないんです。わかりますよね?」
何よ、それ。
…自分だってそんなことしたくせに、…私に怒る権利なんてないじゃない!!
「……」
それでも黙っている父。
それを見て、
白鷺くんが、
しゃがみこみ、
地面に頭と手を付けて、
土下座!?
「どうか!」
彼は叫んだ。
叫んでくれた。
「どうか、お願いします!大事な友達なんだ!俺たちの大事な友達なんだよ!…俺たちから新堂さんを、新堂優奈を、取り上げないでくれぇ!」
……。
…白鷺、くん。
木下くんと小坂さんも同じように地面に頭をつける。
「お願いします!」
「お願いしますぅ。小坂の親友なんです。大切な人なんですぅ~」
……。
何分ぐらいそうしていただろうか。
一〇分も一五分もそうしていた気がするけど、たぶん実際には一分もない。
父は黙って私の手を放し、そのまま家の中に入っていった。