オタクたちの憂鬱
一
「…でさー、宮本がねー」
「えー?やだ、ホント?」
「…ちょ、おま、ここで黒板消しパンパンするなよ」
「男子ガキすぎー」
放課後、和気あいあいと楽しそうな、掃除の風景。
俺、白鷺健治は一人だけ、その中に混じらずせっせとほうきで床を掃いている。気づいたら、ほとんど一人で掃除をしてしまっていた。
あー、腹が立つ。
あいつらを見てると、俺は無性に腹が立つんだよ!
…くだらない。今を普通に生きて普通に死ぬだけの凡人どもめ。べちゃくちゃべちゃくちゃ…。迷惑なんだよ。さっさと掃除しろよ愚人が。
……。
俺は、やはりクラスには溶け込めない。
ごくごく一般的なことが、わからないし、できない。
するつもりもない。
今を楽しく生きるクラスメイトさんたちを見て、心から思う。
あれは、堕落だ。
堕落した大衆よりも、高貴なオタクに。
…でも。
少し冷静になって、自分の心を分析してみれば、それだけじゃない。
彼らを俺は軽蔑している。でも、それだけじゃない。
認めたくはない。
しかし、俺の心の奥底には、…あいつらをうらやましい、と思う部分がある。
もちろん、そればかりになることなんてありえない。あんな風に今を楽しむだけで生きていて、何になるのだろう?
それに、俺の世界はあそこじゃない。
アニメの世界であり、オタク仲間の世界であり、そこが俺の居場所なのであり、オタクを理解しないクラスメイトとは、決して俺は交われない。
…でも、もし。
もし俺が、スポーツ万能のモテ男くんだったら?
小中学校で、男子の中では中心にいて、女子にはちやほやされるようなそんな人間だったらどうなっただろう。今と同じことが言えただろうか。
きっと、そうは言えてない。
その快楽に身をゆだね、奴らと同じように、俺は生きていただろう。
……。
じゃあ、これは何か?
俺がそうなれなかったから言っているだけで、間違っていることなのか?
…違う。
奴らは、間違いなく凡な大衆。
もし俺が奴らと同じ道に進んでいたら、そうしたら俺は、こんなに精神が研ぎ澄まされるようなことにはならなかった。
だから、良い面悪い面いろいろあって、どっちが正しいとかは、きっと言えない。
でも…。
ゆるぎない事実は、向こうが多数派で、俺たちは少数派。
それも一〇〇対一とかいうレベルでの差。
だから、俺の方が優れているか劣っているかなんて関係ない。
人間なんて自分が正しいと思いたいから、やつらは俺たちを否定する。
そうすれば、必ず人数の多い向こう側が勝利する。
俺たちは負ける。
そうなれば、世間的には向こうが優れていることになって、俺たちは、劣っていると思われる。
でもホントは、どっちが正しいかなんてわからないんだ。
たぶん、ただの考え方や趣味の違い。
だから、本当はどっちが優れているのか、なんてそんなことはどうでもいいんだ。
でも。
どうであれ、変わらないのは一〇〇対一という事実。
俺は一人で、向こうは一〇〇人。
良い悪いに関係なく、
俺は、孤独だ。
僕は、一般常識がどうしても理解できないらしい。
「テストの点数いくつだった?」
とある女子に、そんなことを聞かれたことがあります。
点数を答えたら、彼女は「えー!?すごーい!」と言ってくれました。
結構、かわいい子でした。
だから僕は、仲よくなりたくて。
普通、「いやいや、そんなことないですよ」とか答えますよね。それが普通です。それは僕にもわかっていたんです。
でも、そんな普通の回答をしたら、「つまらない奴」って思われてしまうような気がして。
嫌われてしまうような気がして。
「そうでしょう?」
…僕は、そう答えました。
嫌われました。
嫌われたくないからそう言ったのに、彼女からは傲慢な嫌な男だと思われてしまったようです。
だれでも、他人に嫌われたくないと思うのは同じでしょう。
それは僕も同じ。
でも、そのためにどういう行動をすればいいのか。その感覚が、世間一般とは僕はあまりにずれているようなんです。
常識が、わからないんです。
小学生でも普通わかるようなことが、僕はわからないんです。
この木下藤一郎という人間には、わからないんです!
「なんでそんなことするの?そんなこと言うの?」
他人は、僕に対して思うかもしれません。
「なぜ?」と非難の目を向けられ、しかも向こうは多数、こっちは一人。そんな状況に陥ればなんとなく自分が悪いような気になって、よくわからないまま「ごめんなさい」と謝ったりふさぎ込んだりしてしまいますが、それでも、けっきょくわからないものはわからない。
周りのみんなが僕のことを理解できないと言うように、僕もみんなを理解できないんです。
「自分勝手」
他人はそう言います。でも本当にそうでしょうか。わかりません。
僕は勉強はできてしまいます。だから、できない人から見たら、受験期とかは僕が憎かったようです。
僕にだってできないことがあります。でもそのとき、彼らは助けてくれなかった。彼らは自分の利益のために生きていて、僕に見向きもしなかった。
それが途端、受験期になったら、僕に助けを求めるんです。
いや、心の中で。彼らはプライドが高いから、決して口には出しません。
彼らは僕を見下していたんです。受験期になるまでまったく取り柄がなく、目立たなかった僕でしたから。
彼らは僕を見下していた。そして、見下し続けていたかった。それが彼らの世界だったんです。
僕をバカにし、僕をのけ者にし、彼らにとって、一段も二段も低い存在として、彼らは見下していたかったんです。
自分より下の存在がいるというのは気持ちいいですし、自分自身を肯定する理由にできますから。だから彼らは、僕を見下していたかった。
それが受験期になったら僕の方が上に行ってしまったもんだから、彼らは僕が、余計に憎いんです。
その憎しみでもって、
彼らは僕が彼らに学力を分け与えなかったからと言って、
「自分勝手」
と、
そう罵るんです。
僕が苦しいときには、いじめられていた時もバカにされていた時も、何一つ助けてくれなかった彼らが。
じゃあ、聞きますよ!
「教えてあげるよ」
と、わざわざ僕が彼らに勉強を教えに行ったら、どう思われましたか!?
彼らは僕に感謝しましたか!?
ありえない。
だって僕に教わるなんて、彼らのプライドはズタズタだ。
教えられた勉強を理解できたことを喜びながらも、それと同時に僕をさらに憎むんだ。
自分のプライドを傷つけた相手として。
「なんで俺より格下の、あいつに教わらなきゃならねーんだ」
彼らはそう思って憎むんだ。
教えないなら教えないで憎むくせに。
…。
そこで嫌われないようなうまい立ち回りを、僕はできなかったんです。今でもきっとできません。
それが、そういうことのやり方が、
一般常識からかけ離れている僕には、わからないんです!
僕は日陰者。
どこに行っても憎まれ者。
嫌われ者。
孤立者。
でもここには、僕の居場所があります。
アニメの世界には、居場所があります。
僕を嫌う常識人たちは、僕を「キモい」と叫びますが、どうでもいい。
言わせておけばいいんです。
むしろ、もっと言わせてやれ。
どんどんキモいと思わせてやれ。
オタクで天下をとってやれ!
世界一のオタク、「オタク神」に!
そうなることが、それを目指すかことが、
常識のない、一般と交われない人間として生まれてきたのであれば、その世界において天下を取ろう!極めてやろう!
それこそが僕のアイデンティティー。
世間一般から評価されないなら、オタクの中で評価される。
それが僕に残された唯一の道。
だから、
どんどん「キモい」と言えばいい。言ってくれ。
僕は「萌えー」と叫ぶから、君は「キモい」と叫んでくれ!
そうすれば僕は救われる。
「またひとつ、オタクになった」
そう思って、僕は救われるんです。
…でも。
最近少しだけ、「本当にそれだけでいいのか?」なんて、思うことがあります。
やはりオタクは、世間から理解されない。
だから、目指すはオタク検定合格!
さらなるオタクへ!
オタクの高みへ!
白鷺は、木下は、
寝る間を惜しんで勉強に励む。
でも木下は、少しだけ疑問に思うんだ。それでいいのか?って。
オタク倫理学とか、オタク社会学とかを勉強していると、
その理論が理解できてくるにつれて、
本当に自分のこの考え方が正しいのか。
なんだかほんの少し、
不安になることがある。
一年前は、信じて疑わなかったオタクを貫くこの道。
でもそのオタクを貫くという言葉の意味が、本当に自分が思っていたことで正解なのだろうか。
世間を否定して、自分の世界に入り込んで、そこでオタクを極めること。
オタクの中で、トップをとること。
それが、「オタクを貫く」ということなのだろうか。
オタク倫理学やオタク社会学の言っていることは、それとは少し違う気がする。
二
今日も、…欠席ですか。
新堂さん、どうしたんでしょう。
学校側からの発表もないから、転校とか……最悪の事態が起きていることはないと思いますが。
「親友」と誓い合ったあの時が最後。
あれからもう五日。
新堂さんは学校には来ていないし、
メールを送っても返ってこない。
……。
小坂のこと、
嫌だったんでしょうか。
小坂と「親友」なんてことになってしまったのが、嫌だったんでしょうか?
家に帰って、一人で考えてみて、
嫌になってしまったんでしょうか?
…そうじゃないと、信じたいですが、……不安です。
『大丈夫ですかぁ?何かありましたかぁ?』
メールを送信してみます。
拒否されてはいなくて、すこしほっとします。
…でも、返事は来ません。
……心配です。