親友
一
「ねえ、先生?」
「どうした?新堂」
「それはこっちのセリフ。急にこんなところ呼び出してどうしたの?」
「…紅葉、きれいだな」
「……ええ」
風が、びゅーって流れて、
「きゃっ」
私は慌ててスカートを抑えて、
彼はそっと目をそむける。
「…今日は、新堂に話があるんだ」
「あら、何かしら?」
「…俺、…俺、ずっと前から、君のことが……」
「悪いなぁー、手伝わせちまって」
「いえ、暇でしたから…」
『先生』から、急な呼び出しがあったときは、何かと思ったが、…まあ、妄想通りのことなんて起こるはずもなく、…中庭のお掃除。
まあ、いいんだけどね。『先生』と二人で掃除とか、むしろラッキー。
「いつもは、用務員のおばちゃんがここは掃除してくれてんだが、おばちゃん腰痛めて入院しちまってさー。あの人にはかわいがってもらってっからさ。代わりにやっておこうと思ったんだが、一人じゃ広すぎるっつーの。…あのおばちゃん、これをいつも一人でやってんのかー」
敵わねえなあ、と感心して言う『先生』。
「先生、優しいんですね」
「は?」
「いえ、…代わりにやっておいてあげようとか、そういうの優しいと思います」
私がそう言うと、『先生』は照れくさそうにそっぽを向いて、頬をポリポリとかいた。
そのまま後ろを向いて、黙って掃除を始める。
なんか、かわいい。
その背中に、私はさらに話しかけた。
「でも、どうして私に声かけたんです?他にも手伝ってくれそうな生徒ぐらいたくさんいるのに」
聞きながら、私もほうきを動かし始める。
「迷惑だったか?」
「あ、いえ。全然そんな意味じゃないんですけど」
「…そーだな。ま、ここからだと一年生の教室が一番近いし、それに、なんてーか。手伝ってくれそうな生徒、って考えて一番最初に浮かんだのは新堂だったしな」
…なんか、うれしい。
そのあと二人で三十分くらい掃除して、やっときれいになった。
「ありがとな、助かったよ」
『先生』はそう言って、温かい缶コーヒーを買ってきてくれた。
「いえ。…もう、ホットが売ってるんですね」
「だな、今日は寒いし、ちょうどいいだろ」
カチャ、とカンをあけると、いいにおいがした。
『先生』も自分の分のコーヒーを開けながら、私の横に座る。
バクバクバク…。
…さっきまでは、掃除っていうやるべき作業があったからそこまででもなかったけど、こうして改めて二人並んで座ってると、ホント緊張する。
あ~あ。いっそ告白できれば、その後は楽になるんだろうな。
少なくともこんな苦しみからは解放される。
…でもしていいのかわからないし。よかったとしても、そんな勇気ない。
だって、この恋は本物すぎるから。もしダメだったら、って考えると、…怖い。
でも、告白しないならさ、ずっとこの苦しみを抱えて私は生きて行かなきゃいけないんだよね…。
そんなことしてうじうじしているうちに、『先生』に彼女ができちゃったりして、そして私はもっと苦しむんだ。
……。
わかってる、相手は大人だもん。きっとフラれても気まずくならないように向こうが気を遣ってくれる。だからあとは、私の勇気の問題なんだ。それができれば、私はこの苦しみから解放される。救われる。
…でも、『先生』は?私の気持ちを知って、『先生』は?
…きっと、悩んでくれちゃう。それ以外にも、いろいろ問題あるもん。無理だよ。
はあ。だれか助けて。
「そういや新堂は、小坂と仲いいんだよな。白鷺とか木下とかともしゃべるのか?」
「ええ、まあ」
「…そっか、よかったよ。あいつらクラスで浮いてるだろ?ちょい心配してたんだわ」
「よく、見てるんですね。みんなのこと」
「ん?」
「いえ、担任の先生ですら放置してるのに、…先生は気にかけてるんだな、そういうこと、って思って」
「…気にかけてるったって、何ができるわけでもねーけどさ」
そう言って『先生』は、缶コーヒーを一気に飲み干す。
別にこの間の流れだし、悪いことじゃない。私は聞いてみることにした。
「先生は、彼女作らないんですか?」
「…その話題かんべんしてくれよ」
「すみません。……でもモテそうなので、もったいないな、って思っただけです」
「…モテそう?…俺が?あはは、ないない。そんなこと言ってくれるのは新堂だけだよ」
「そうですか?…でも、先生みたいな人を好きな女の子、絶対いると思いますよ」
『先生』はみるみる赤くなっていく。やがてそれを隠すように大きく笑って、
「大人をからかうな」
って、頭をポンッと軽くたたかれた。
私はコーヒーに口をつけたが、最後の一滴がのどに当たっただけ。
「…じゃ、あらためて、ありがとな」
そうか、私が飲み終わるのを待っててくれたんだ。
『先生』は空になったカンを、私から取り上げると立ち上がり、スタスタと行ってしまう。
今日の発見:思った以上に照れ屋さん。
また好きなところが、一つ増えました。まる。
今日は『先生』と仲良く喋れた。そんないい気分で一日を終えて帰り道。
ふと携帯をひらくとメール一件。
開けてみて、後悔した。
差出人は、あの男。
私をあんな理由でフッた、あのクソ男。
今更、私に何の用よ。…せっかくのいい気分が、台無し。
写メがついていたから、一応開いてみたら、まあまあイケメンの男の写真。
『友達の陽介。カッコいいだろう?』
だって。
…。あっぶなー。
携帯地面にたたきつけそうになった。超危ない。
な・め・と・ん・の・か!?
何?
え?他の男紹介してあげようとか、そういうおつもりでございますか?
は?
……。この怒りを表現する上手な言葉を、私は知りません。
ホントクソ男!
ああムカつく。ああムカつく。ああ、ムカツク!!!!
ホント、この怒りをどうしてくれよう。
どう解消すりゃあいいのよ。ふざけんな!
そうやって、怒り爆発で画面を眺めていたら、さらにメール一件受信。
クソヤロウからの追伸かと思ったが違った。
『新堂さぁ~ん、予備校への入学はぁ~、結局どぉ~しますかぁ~?もうお決まりでしたらぁ、今日一緒に行きましょうぅ~』
…小坂さんか。
小坂さん。
なんだかんだ気遣ってくれる優しい人。
オタクで変でなんかとってもやばいけど、根はとっても優しい人。
彼女の言葉を思い出す。
『解決はぁ、難しいかもしれないですけどぉ、話を聞くぐらいならぁいつでも小坂にお任せくださいぃ~』
あのときとは別の話題だけど、きっと彼女は快く聞いてくれるんだろう。
……話してみようか。
いや、話したいような。話したくないような。
たとえ見透かすことはできても、きっとあの子は私を理解できない。
根は優しくてもそれだけ。
あの子は、楽しい世界で楽しく生きているだけのお気楽な人間なんだから。
だから、このことは話したくない。
でも、なんか別のこと。何気ない雑談とかだれかとしたい気分だし。
『予備校はまだ考え中だけど、もしよかったら終わった後でこの間みたいにお茶しない?』
そう送ってみた。
『もち、OKですぅ~。この間の本屋さんで待ち合わせましょうぅ~』
そんな返信がすぐに来た。
二
「小坂、帰ろうぜ」
「すみません~。小坂はこの後、新堂さんと待ち合わせなんですぅ~」
「新堂さん?じゃあ、俺も行くよ」
「だめですよぉ~。今日は、女の子だけのトークですからぁ~」
「…そっかー。じゃ、また明日なー」
「はいぃ~、すみません~」
白鷺さんを置いて、小坂は予備校の教室を出ました。
待ち合わせは、この間の本屋。新堂さんは、きっと予備校には入らないと思います。
だって、オタクじゃないから当たり前です。
でも小坂としては、あの子とはなんか仲よくしていたくて、わかっていながらもメールしてみたら、意外な収穫でした。
まさか向こうから、一緒にご飯なんて言ってくれるとは思っていなかったから、
小坂は少し、はしゃぎぎみです。
「…小坂さん」
この間とは別の、少し歩いたところにある喫茶店で、窓際の席に座れました。
「はいぃ?」
「前のとき聞きそびれたけど、…結局『かぼちゃ』って何?」
「え?かぼちゃは、緑色でまるっこくて、…えっとぉ、中を切るとオレンジ色な野菜ですよぉ?」
「そうじゃなくて……まあ、いいわ」
小坂にはよくわかりませんが、新堂さんはあきれたようにそっぽを向いてしまいました。
「で、どうしたんですかぁ?今日はぁ」
呼び出されたということは、何か用事があるんでしょうか。
「どうした、とかってわけじゃないわよ。ただ話したかっただけ」
……。
予想外の回答。
「迷惑だった、かしら?」
「いえいえいえいえぇ、めっそうもないっ!」
「なんでそんなに慌てるのよ」
「えへへぇ、なんででしょぉーねぇー」
これは素直に、よろこびです!
うれしいです!
こういう用事があったから、とかよりも、なんかずっとずっとうれしい回答です。
でも新堂さんは、次にあんまり小坂にはうれしくない話題を振ってきました。
「小坂さんは、誰かを本気で好きになったことってある?」
だけどそれは小坂の個人的なこと。新堂さんはあくまで悪気なく聞いていることなのです。
「…どうですかねぇー」
とりあえず、はぐらかしてみます。
でもはぐらかしたところで、頭の中に嫌な記憶がわいてくるのはどうにもできないことで。
うぅ、どうしましょうかしら。
そうやって、悩んでいると、新堂さんは一言、とってもひどいことを言いました。
「…いいなー。小坂さんは、…悩みとかなさそう」
とってもひどいことを言いました。
……でもそうですよね。きっと、小坂はそういう風に見られているんですよね。
でも、悩みがない人なんて、いるでしょうか?
…ひどい言葉です。少し前の小坂だったら、ここで新堂さんを嫌いになっちゃったかもしれません。
でも。
…いい、機会かもしれません。
そろそろ小坂も、
思い出にケリをつけて、次のステップに進まなくちゃいけないです。
小坂は息を吸い込みました。
新堂さんにだったら、いいかもしれません。
新堂さんは、きっと笑わずに、最後まで聞いてくれます。
新堂さんの心のうちを小坂だけが知ってしまって、ちょっぴりずるい状況でしたし。
「…悩み、ありますよぉ?……新堂さん、少しだけ、お話聞いてもらってもいいですか?」
「…悩み、ありますよぉ?……新堂さん、少しだけ、お話聞いてもらってもいいですか?」
いつにない暗い表情で、小坂さんはそう言った。
…笑って返されると思ってた。
そんな真剣な返事が来るとは思ってなかった。
……。
私は、「もちろん」とうなずく。
「小坂はぁ、…昔から、こんなドオタクだったわけじゃないんですぅ。中学生まではごくごく普通なぁ、女の子でしたぁ。…でも」
小坂さんは、そこで目を伏せた。
何かを自分に言い聞かせるようにうなずくと、再び私の目を見てしゃべり出す。
「好きなぁ、男の子がいたんですぅ。…すごく、好きだったんですぅ。カッコよくて、優しくてぇ、…小坂の、憧れでしたぁ。……小坂にも、その子はすごく優しくしてくれて、結構仲もよかったんですぅ」
それから小坂さんは、その男の子とのエピソードを聞かせてくれた。
委員会が一緒になったこと。
学校帰りに、たまたま一緒に帰ったこと。
学園祭のこと。
一緒にゲームセンターに行ったこと。
いろいろ、いろいろな思い出。
聞いていて、恥ずかしくなるほど純粋に、小坂さんはその子のことが好きだったんだ、ってそう思った。
「それで、そんなに仲が良かったしぃ、…ある日思い切って小坂は、告白したんですぅ」
そこで小坂さんは、また目を伏せる。
「フラれた、だけなら、まだよかった。…でも彼はぁ、…こう言いましたぁ。……
キモい。 ありえない。 消えろ。 死ね。
……小坂は、小坂は、……小坂はぁ!」
泣き崩れる小坂さん。
隣のお客さんが心配そうに見ている。
……。
知らなかった。
思いも、しなかった。
小坂さんに、そんな過去があったなんて。
思いもしなかった。
私は、なんて無神経なことを言ってしまったんだろう。
悩んでるか、悩んでないかなんて、どうして他人にわかるんだろう。
わかるはずがない。
それなのに私は、オタクだってだけで、見かけの雰囲気だけでそんなふうに思い込んで、勝手に自分より恵まれたおめでたいやつみたいに思って。
……これじゃ、クラスの陰口言ってるやつらを、軽蔑なんてできない。
クラスメイトにあんなに偉そうなこと吐いておきながら、
小坂さんにあんなに優しくされておきながら、私は!
「…キモいって、ふざけるなって、ちょっと優しくしてやったら調子に乗るなって……言われ、…て。それで、小坂は!……」
「もういい!…小坂さん、もう、いいから!」
私は小坂さんの肩を掴んで叫んだ。
周りの客が何事かとこっちを向くが、どうでもいい。
「…ごめん、小坂さん。…私、無神経だった」
「いいえ。…そう思われてても仕方のないことですし。どのみち、…これは、もう乗り越えなくちゃいけないことだったんです」
そう言って、彼女は微笑んだ。
……。
オタクだから、何が悪い。
オタクだから何が悪い!!
この子を、
小坂さんを、
だれに否定する権利があるのよ!!
何様だよ!?
この子も、私たちと同じ、傷つき生きる人間じゃないか!
それでも、
自分が傷ついても、それでも微笑んで他人に優しくできる。
そんなこと、誰にでもできるようなことじゃない。少なくとも、私には絶対できない。
誰がこの子を否定できる!?
……。
私は、そっと小坂さんを抱きしめた。
人前だとか、関係ない。
小坂さんは、幸せそうに目をつぶってくれた。
「…それで、小坂は…オタクに、なったんですぅ。恥ずかしい限りですが、現実逃避、ですねぇ。……でも、もうアニメは、小坂にとってはかけがえのないもので。…それに、白鷺さんや木下さん、…そして新堂さんという大切な友達も、できましたしぃ。…小坂はたとえどれだけみんなからバカにされてもぉ、オタクを貫くつもりですぅ」
大切な、友達。
そうだ。大切な友達。
「…じゃあ、私たち、親友だね」
我ながら恥ずかしくなる言葉を吐いた。
でも小坂さんは、
「はい!」とうれしそうに笑ってくれた。
帰り道。
私は「親友」に元彼のことを話した。
彼とのサイテーな恋愛も、何もかもを話した。
小坂さんは、とくに軽蔑することもなく私の話を聞いていてくれた。
「…なんか、こうやって深い話をし合えるのって、ホント親友って感じで、…いいね」
「はいぃ~、新堂さんの喋り方もいつの間にかため口になってますしぃ~、小坂はうれしいですぅ~」
…そういえば。
「じゃあ、小坂さんも敬語やめなきゃ」
「小坂のこれは、癖ですのでぇ~、誰に対してもこうなんですよぉ~」
そうだろうな、とは思ってたけどさ(笑)でもかわいらしいしゃべり方よね。
「そういえばぁ~、新堂さんはぁ、告白、しないんですかぁ~?」
「…え!?何、いきなり!」
「いえ~、いきなりではなく、ずっと思っていたんですがぁ~。…告白しないなら、一人でずっと悩み続けることになってしまいますよぉ~?」
「…そうだけど。でも、うまくいかなかったら怖い、とかそれだけじゃないじゃん?いけない恋だもん。伝えても、…悩ませるだけよ」
「…じゃあ、どうするんですかぁ~?」
…ホント、相変わらず見透かしてくれる。そうなのよ、どうするか、なのよ。
このまま我慢し続けるの?…それも一つの形だけど、でもさ。そんな世間的な正しさとか、それだけで単純に決められる話じゃないじゃん。
それと自分の感情といろんなものでぐちゃぐちゃになって。最終的にどうしたいのか。付き合いたいのか。そりゃもちろん感情だけで言えば付き合いたいけど、でもそれ以外のいろいろを考えてどうしたいのか。
それでも付き合いたいのか。
そうじゃなくて、今のままでいいのか。
一歩だけ近づきたいのか。
二歩ぐらい近づきたいのか、許されるのか。
もう何もかも、よくわかんないって。…ホントさ。
「むずかしいですよねぇ~、…だからこそ、小坂なんかは、告白して向こうに答えを丸投げしちゃうのもいいんじゃないかな?なんて思うわけですよぉ~。直接言うのが難しいならお手紙とかでもいいと思いますし。…まぁ、小坂にはあんな過去がありますからぁー、他人事だから言えることなんですけどぉ」
…確かに一理あるかもしれない。
自分だけでこうして悩んでいても始まらないなら、一度気持ちをぶつけて向こうに答えを決めさせるのも手か…。
なんかずるい気もするけど、でも相手は大人だし。
……。
なんにせよ、こういう風に相談に乗ってくれる相手がいるのって、すごい助かる。
そのまましばらくたわいもない話題で会話して、
「じゃあ、私こっちだから。また明日」「はいぃ~、また明日、ですぅ~」と言い合って私たちは別れた。
親友、なんて存在、今までいなかった。なんかいいな、こういうの。
そう。私はとっても幸せな気分で家に帰りました。
帰った瞬間、あんなことになるとは思いもしなかったから。
三
先生は、今日もカッコよかった。
優しくしてくれた。
大好き。
いたるところに、そんな言葉がちりばめられている。
偶然なのか、わざとなのか、そんなことは知らない。いや、ただの偶然だけで娘の部屋に入ったりするだろうか。
娘の日記をこっそりのぞいている、超サイテーな父親がいた。
読みながら、彼の形相は変わっていく。
唇の端がぶるぶる震えだし、眉間にしわが寄って、
「…あの!バカ娘っ!」
彼は思いっきり叫んだ。
(あれほど貞節でいろと言い続けてきたのに、まさか教師と恋愛などと、…もし世間に知られたらどうなるか。…わが社の終わりだ)
言語道断にもあまりある!と彼は日記帳を叩きつける。
……。
しばらくして、玄関から「ただいま帰りました」という声が聞こえた。
娘の声である。
その瞬間、彼の脳内に、一つのアイデアが浮かんだ。