うちのクラスのオタクども
オタクは、世間一般から理解されない。
じゃあ、どうすればいい?
世間を憎めばいいのだろうか?
答えが知りたい。
一
全国オタク検定。
それは一〇級から始まり、九級、八級と上がっていく。
一〇級は、たいてい誰でも受かるオタクの入門。
少しずつ難しくなってくる八級。
そして五級以上はなかなか受からない厳しい世界。
それゆえ五級以上を持つオタクは、それを誇りに、認定バッジを胸に着けて街を歩く者が多い。彼らは、グランドオタク(略してグラオ)としてあがめられている。現在全国に一万五千人。
さらに三級以上になるとオタク賢者と呼ばれるようになり、全国で四〇〇人もいない。
一級になるとオタクマスター。そして一級所持者の中から選ばれた者が、偉大なる最強のオタク、『オタク神』として君臨することになる。
現在、マスターと神はまだいない。
「とうとう一か月後だな、小坂」
机の中から分厚い参考書を取り出して、白鷺健治が言った。
茶色い髪と、イヤリングが目立つ大男。授業中はいつも爆睡しており、素行だけを見れば不良のように見えてしまう。
しかし実際は、茶髪もイヤリングも、アニメキャラの真似をしようとして失敗してしまっただけ。授業中に寝てしまうのも、徹夜でゲームをしているせい。
一五歳の若さですでに検定五級を持っている、ドオタクである。
「はいぃ~、白鷺さんはぁ、守備はどうですかぁ~?」
恐ろしいほどにのほほんとしたしゃべり方をするのは小坂みはる。おしゃれなメガネがチャームポイントの、小柄な少女だ。同じくオタク五級。
「守備ではなく首尾ですよ、小坂さん」
と、木下藤一郎が訂正する。
木下は、哲学や物理学などの深い知識を持つ学問好き。
自分の名前が豊臣秀吉の幼名に似ていることから歴史オタクになり、そのままアニオタになった男である。
彼はなんと白鷺や小坂よりもさらに一級上の『オタク四級』の一人。
全国で一〇〇〇人ほどいるらしい四級所持者の中で、最年少という強者である。
彼らは、私立御剣学園一年五組でひときわ輝くオタク三人衆。
「いぃえぇ、守備ですよぉ~。一か月後には新作のゲームが一気に五作もでるじゃないですかぁ~。白鷺さんはどれを買うんですかぁ~?」
守備ではなく首尾では?という木下の言葉に、小坂が反論した。
それを聞いて、白鷺はうろたえる。
わなわなと体を震わせ、顔を伏せた。
「…くっ、情けないが、俺の経済力では、…二作が限界でな。メモリアル戦争は間違いなく買うんだが、あと一つで決めかねている」
「そうですかぁ~。被らないようにしないと、ですねぇ~」
プレイ後、お互いに貸し合うためである。
白鷺も「そうだなー」と言ってもう一作何を買おうかを考え始めた。
二人は腕を組んで、真剣に悩みだす。
「白鷺くん、それも大事ですが、話がずれてますよ。…ちなみに僕は『萌えあるところに信者あり』を買いますけどね」
まじめそうな木下くんが、針路修正。今日も見事な七三分けである。
「っと、そうだった。小坂、俺が言いたいのは一か月後の四級認定試験についてだ」
今日は一〇月一日。
次回のオタク検定は、一一月一日・二日である。
「ああ、そっちですかぁ~。とりあえず参考書は五回やりましたけど、それ以外は何をすればいいのかさっぱりぃ~」
「そうなんだよな、俺も似たような状態だ」
自然と二人の視線が既に四級取得済みの木下に向く。
「…ご期待に応えられなくて申し訳ないですけど、僕が四級に受かったのはたまたま知っていることがたくさん出たってだけなので」
だからアドバイスは難しい、と木下が言う。
そっか、と白鷺はため息をついた。オタク道は奥が深いのである。
そのとき、
ぱらり。
白鷺の参考書のページが開いて、一枚のチラシが舞い落ちる。
「なんですかぁ~?」と、小坂がそれを拾い上げると、そこには
「「オタク・アカデミー?」」
三人が声を合わせて読み上げた。
都内某所にあるオタク検定専門の予備校らしい。
『真のオタクの集う場所!』そんなキャッチフレーズがでかでかと輝いている。
キーーンコーーンカーーンコーーン
本日の学校は終了。
青い空。白い雲。飛び交う鳥。
グラウンドから響いてくる青春の声。
それはそれはすがすがしい、放課後です。
青春真っ盛りな人たちは部活に行ったりクラスで友達とだべったり。
将来のために勉強に励む人たちは塾や予備校へ。
やる気のない人たちはそのまま帰宅。
それぞれがそれぞれに、放課後を過ごしている。
しかし、何にでも例外があるもので…。
「じゃ、俺たちも」
「はいぃ~、予備校へぇ~」
「行きましょう!」
恰幅のいい、茶髪で少し不良っぽい少年と、メガネがおしゃれな少女、まじめそうな少年の三人は立ち上がった。白鷺・小坂・木下の三人である。
彼らは右記三つのどれにも入らない例外。
将来とはまったく関係がなく、かといって一応何かにやる気は出している。青春と言えばそう言えなくはないのかもしれないが、一般的に「青春」と言われて思い浮かべる過ごし方とは異なっているだろう。
あのあと三人はさっそくオタク・アカデミーに電話。無料体験講座を申し込んだのである。白鷺と小坂は四級対策。木下は三級対策講座である。
「とうとう授業ですねぇ~」
小坂がわくわくしながら言う。
「ああ!今日、俺はさらに強くなるんだ!」
白鷺も満面のスマイルである。
「どんな授業をしてくれるんでしょうかぁ~?」
「うむ、一人で勉強しにくいところをやってくれると助かるんだが」
そう言って、白鷺は四級試験の時間割表を広げた。
試験日(一次):一一月一日・二日
第一日目(専門科目)
一科目目:萌え学
二科目目:萌え神学
三科目目:アニメ歴史学
四科目目:オタク倫理学
第二日目(教養科目)
一科目目:一般教養(数学・哲学・英語)
二科目目:小論文
一次合格者は、一一月八日午前一〇時に、日本オタク検定協会ホームページ上にて発表。
「白鷺さんが不得意なのはどれですかぁ~?」
「そうだなぁ~。…専門の方だと、歴史。教養は数学はいいとして、英語がなー。小坂は?」
「小坂は、オタク倫理ですかねぇ~。数学と哲学も自信ないですぅ~」
「そもそも、なんで一般教養に哲学が入るんだ?一般とか言うにはマイナーな気がするが」
白鷺の質問に木下が答える。
「哲学は、たとえばフランスなどでは高校での必修科目なんですよ。物事を考える上での基盤ですから。そういうことを考えてのことだと思います」
白鷺は「ふーん」と感心するようなそうでないような反応を返す。
「そういえば、三級はどんな試験なんですかぁ?」
小坂が木下に尋ねる。
「基本は四級の内容を少し難しくした感じですかね。ただ、アニメ歴史学がなくなって、その代わりにオタク社会学が範囲になります」
答えながら木下は、カバンを手に取った。「歩きながら話しましょう」と二人を促す。
そして三人は意気揚々(いきようよう)と教室を出た。
いざ、オタクの修行道へ!
二
「おお、みなさんイカしてますねぇ~。ほら、白鷺さん。あの人なんか、いまどき稀にみるファッションセンスの良さですよ!」
四級対策の教室に着いた小坂と白鷺。
小坂が指差すのは、前から二番目の席に座っている顔のやつれた男。エメラルドグリーンのトレーナーを着て、机の上にフィギュアを飾っている彼。頭に巻いたピンクの鉢巻には、「いつか美少女と呼ばれたい」と大きく書かれている。
「…確かに悪くはねえが、エメラルドのトレーナーぐらい珍しくねえだろ?」
白鷺は眉をひそめた。
「いいえ~?」
そうじゃなくて、もっとよく見ろ、と小坂は言う。
白鷺が双眼鏡をカバンから取り出してそのトレーナーを見て見ると、
「…こ、これは!」
「でしょう~?…遠くから見ればぁ~一見ただの文字に見えますがぁ、あのトレーナーの胸部分に刻まれている『アイラブオレ』の文字はぁ、美少女の顔をいくつも並べてできているのですぅ!なんという美意識ぃ」
「…くっ、さすがにレベル高いぜ!…小坂、俺たちも気合入れていくぞ!」
「はいぃ!」
二人は全身に力を込め、ズンズンズンと乗り込んでいく。
そして空いていた真ん中らへんの席に着席した。
『それではテキストを開いてくださ~い』
マイク越しにオカマの先生がしゃべる。授業開始である。
『では本日はこの詩からですわ』
白鷺と小坂も体験用の貸し出しテキストをめくっていく。
そこにはこんな詩が載っていた。
ありがとう 二宮 里菜
私を変態だというのか
ならばあなたは何なのだ
あなたは言うのか?空に向かって
お前は空だと叫ぶのか?
私を変態だと罵るのか
それはあなたも同じはず
変態でない人がどこにいる?
だれでもみんな、そうなのだ
それが人間
それは、私が人間であるという証拠
だから私が、
あえて言葉を返すなら、
ありがとう、そう言うしかない
『さて~、この詩を読んで思ったことを自由に書いてくださいという問題が出されたらどう答えますか?……では、本日体験生の、白鷺くん?』
当てられ、白鷺は「はいっ!」と言って立ち上がった。
決して学校の授業では見られないまじめさである。
「人間を深く描写したすばらしい詩だと思います!俺も変態です。大変態です!でも、あいつもこいつも、スポーツ万能のカッコいいあいつだって、超変態です。そういう大切なことを、二宮さんは詩にして世に訴えているのだと思います」
『ありがとう。白鷺くん、すばらしい回答ですわ。でもね?それは、五級テストでは満点ですが、四級では五〇点しかあげられないのですわ』
そう言って、オカマ先生はウインクする。
白鷺は「なぁにぃぃぃぃぃ!」という顔で、着席した。
『では、隣の小坂さん。おわかりになりますか?』
「そーですねぇー。小坂にはぁ~、この詩は少し、気に入らない部分がありますぅ~」
『おおおっ!そ、それは?』
「えーっとですねぇ~、もしぃ~、みんなが変態だったらぁ~、それが普通になってしまうわけでぇ~、そしたらそもそも変態というものがなくなってしまうような…」
小坂のその答えを聞いてオカマは随喜の涙を流した。
『すばらしいわ。それよそれ!そうなのよ。だからもしテストで、
すべての人間は変態である
って答えちゃったら、それは、バツ?三角?なのですわ。そうではなく、
すべての人間にそれぞれの個性がある。オタクも一つの個性である
って答えるべきなんですね~。わかりましたか?白鷺くん』
「は、はい。…じ、自分が情けないっす!」
『そんなことないですわ。最初からすべてわかる必要はないのです。わかるようになるためにここで、勉強するのです』
「はいっ。…ありがとうございます」
そんなこんなで、オカマの授業はそのまま九〇分間つづく。
しかし白鷺も小坂も、ひとつひとつの言葉を大切にかみしめながら、感動して授業を受けていた。
授業後、小坂たちは木下と合流。
木下も「も、萌えに、あんな深い意味があったなんて…」と泣いており、三人は迷わず正規授業の申し込みへ。
その後三人はしばらく語り合い、そしてそれぞれの家に向かって解散した。
…しかし、
「…あぁっ!そういえばぁ~今日は『六畳間の侵略者!?』の発売日でしたぁ~」
あぶないあぶない。こんな大切な日を忘れてはいけない。小坂は今来た道を少しだけ戻って本屋へ向かう。
ウィーン
自動ドアが開いて、ダッシュしようとしたが、とてもできないぐらいの人の量である。
「えぇ~っと、ラノベーはー…、あっちか!」
すみませぇ~ん、通りまぁ~す、と人混みをかき分けてゆく小坂。そのとき、かき分けた人物の中に、一人見知った相手がいた。
クラスメイトの新堂優奈である。
「あれ?…あれれぇ?新堂さんではぁー?ありませんかぁ~?」
「え?…あ、小坂さん…。こんにちは」
「こんばんわぁ~。お買いものですかぁ~?」
「…ええ、まあ」
なんとなく小坂が覗き込むと、優奈の読んでいるのは料理雑誌。
「はぁ~、新堂さんは料理できるんですかぁ~。すごいですねぇ~」
「…ありがとう」
「いえいえぇ~、何の料理がお得意ですかぁ~?」
優奈はパタンと雑誌を閉じる。
そして振り向いて言った。
「得意、というほどのものはないです。むしろうまくなりたくて、雑誌を買おうかと悩んでいるところです。小坂さんもお買い物ですか?」
「はいぃ~。小坂は小説を買いますぅ~」
「小説、ですか…。アニメの、ですか?」
「おおっ、よくわかりましたねぇ~、もちラノベですぅ~。…ところで新堂さん、この後のご予定はぇ~?」
「…え?特にないですけど」
「それはそれは…では、小坂とお茶をしましょうぅ~」
そう言って、小坂は答えを聞きもせず、ラノベコーナーへ突入していく。
小坂が見えなくなったのを確認して、優奈はため息をついた。
三
(今日の授業は、ホントにためになった)
帰り道、白鷺は一人歩いている。
(最近、楽しい。俺の人生で、こんなに楽しい時間ってあっただろうか)
今までの人生を振り返ってみる。
白鷺はスポーツができない。もう、恐ろしいほどにできない。
小学校の時の五〇メートル走は一〇秒台。
ハンドボール投げは一〇メートル飛ばず、腕立て伏せは八回でダウン。
球技はどれも全然動けず、パスをもらってもすぐ敵に取られ、シュートは入らずそれどころかトラベリングの嵐。
ボウリングをやってもガーターばかり。卓球でバウンドさせることすらコントロールできず、当然、小学生の投げたボールでもキャッチできない。
他の何ができたとしても、それだけで小中学校ではバカにされる。
男子からはバカにされ、女子からは相手にされない。
(……思い出せば思い出すほど、悲しくなるな)
スポーツができないと、コミュニケーションにも支障が出る。運動神経の良さと、それはつながっている気がする。
人間の性格とか思考回路のベースは小学校までで構築されると思う。
その、性格が形成される小学生期に、周りから評価される人間はスポーツのできる人間だ。
スポーツのできるやつはみんなに受け入れられ、賞賛され、その結果世界をいいものと思えるようになる。
チームプレーで団結力を学べる。
体を使って動くことから、勇気や踏み出す力を得ることができる。
(でもスポーツができないと、それができない)
バカにされ、相手にされず、いじめられ、モテず。
そうしたら、世界が嫌になって、自分の世界に入り込んで。
そしたらさらにバカにされるようになって、キモいとかさえ言われるようになって。
そしてさらに嫌になって、もっと自分の世界に入ってしまって。
どんどんどんどん、…コミュニケーションから遠ざかっていく。
スポーツのできない人が全てそうであるのかはわからない。
(でも、…少なくとも俺はそうだった)
それは今でも変わらない。
ある意味、オタクになって、昔よりももっとキモがられるようになった。
…でも、
(小坂や木下。大切な友達ができた。…そして何よりアニメの世界。…俺は、少なくとも昔より、ずっと幸せだ)
白鷺は、救いを求めてアニメを観る。
アニメの何に救われているのか、自分でもよくわからない。
アニメの世界が、主人公に都合のいい世界だからじゃない。
最近はもっと、主人公にとってよくない設定だってある。
そうじゃない。
よくわからないけれど、
でもそれに浸っている瞬間。
彼は救われている。
他人なんてどうでもいい。
いや、小坂や木下は別だ。オタクは大切な仲間。
でもそれ以外はどうでもいい。
一応話すべきときは話すが、本心を言えばどうでもいい。
白鷺にとって、オタクでない奴など知ったことじゃない。
(奴らは俺の敵だから。俺を軽蔑してきた人間どもだから。痛みのわからない人間どもだから。…前に進むために、奴らと決別したんだ)
だから、あいつらにどれだけキモいと言われようと関係ない。
(俺は、俺の世界に生きる)
オタク・アカデミーはそんな自分の世界を磨いてくれる場所に感じる。だから、白鷺はうれしい。
ここで一生懸命勉強して、なんとしてでもオタク四級に合格する。彼は改めて、そう誓った。
『キルケゴールという哲学者は、人間の実存を、三つの段階に分けました』
夜、木下は、今日の三級対策授業を思い出していた。
講義科目は、萌え神学。
『一つ目は、美的実存』
実存とは、この世界で有意義に生きること、とでも言えばいいのだろうか。
『それは、思うがままに、美や欲の感覚に任せて日々を楽しんでいく状態』
動物的な欲求をそのまま追求する状態、ということだ。
三つのうちの、一番レベルの低い段階とされる。
『二つ目は、倫理的実存。美や欲ではなく、倫理的、道徳的に生きることに有意義さを求めていく段階』
欲求通りに動くのではなく、どう行動すべきかという「正しさ」を追求していく状態、ということ。
木下は先生の言葉を頭の中で噛みしめていく。
『そして最後、三つ目は、宗教的実存』
(宗教的…実存)
『神を信仰したり、そういう宗教的なことに実存を求めていく段階。アニメの世界に浸ることは、世間一般には美的実存に思われがちですが、私はそうではなくあれは宗教的実存であると思うのです』
それ以上は、先生は語らなかった。すぐに次の話題に行ってしまった。
木下は自分なりに、その宗教的実存の意味を考えてみる。
どういうことなのだろうか。答えはわからない。
萌えとは何なのか。
(僕や、白鷺くん、小坂さん、それぞれの萌えは、同じなのだろうか)
萌えとは、世間巷で言われているような、性的なものなのだろうか。
それだけなのだろうか。
本当の萌えとは、そうなのだろうか。
(自分が感じている萌えとは、たったそれだけのものなのだろうか)
…そうは思えない。
まだわからない。でも何か、この宗教的実存という言葉の奥に、それに対する答えがあるような気がする。
(もしそれがわかれば…、僕はもっと、自分が好きになれるかもしれない。…たとえ、どんなにバカにされても、今よりもっと胸を張っていられる気がする)