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昔話2

 さわさわと風に揺れる木々のざわめきを感じて、僕はむずむずと目を開けた。

「お兄さん?」

 伺うようにこちらを見てくる誰かの気配、幼い声だ。小学生にも満たないだろうその声に導かれるように声の主を探して瞳を動かせば想像の通りの齢辺りの少女が此方を覗き込んでいる。

「きみは……」

 頭が酷く痛い、軽く頭を押さえながら起き上がると少女がそっと背中を支えてくれた。

「ありがとう」

「いいの」

 にこりと微笑んだ少女は、喉は乾く?目は見えてる?と僕を覗き込んでくる。

「大丈夫だよ、目? ふふ、君はすごく優しいんだね、大丈夫しっかり見てるよ。喉、は確かに乾いてるかも」

 僕が少女にそう答えると、少女はほっとした表情でコップに入った水を差しだしてきた。

「あの、水……」

「ありがとう」

 コップに入った水はきれいに透き通っている。自分の手の中で僅かに波打った水が木立の隙間から入った光を反射してとても美しい。まるで初めて水を飲むような錯覚を覚えて僕は僅かに首を傾げたが、そんな馬鹿な話があるかと、ぐいと煽る。

 乾いた喉を水が通っていく感覚が新鮮だ。乾いた砂漠に染み渡る雨のように、それはすぐに体内に取り込まれていった。不思議なことに水が胃に収まったことすら分かった。

「こんなに美味しい水ははじめてだよ」

 そう告げると、少女はくすくすと歳相応の笑みを見せてくれた。

「ここの泉の水なんだよ、私も大好きなの」

「そうなんだ。こんなに美味しいもんね」

 そう同意すると、少女はこくりと頷いてくれた。少女の背後に静かに波打つ水面が見えた。泉を囲うように生える木々がさわさわと揺れている。ここは森の奥なのだろうか、村の喧騒が全く聞こえない。泉の周りを囲うように背の低い草が同じくらいの高さに刈り揃えられているのか自分の足元から泉の向こう岸まで同じような長さで生えそろっているらしい。


 向こう岸から吹いてきた風が優しく吹きぬけてくる。

 ふわりと舞う白いスカートを軽く押さえて、少女は一度目を閉じた。閉じる瞬間に僅かに揺れた瞳が見えた気がしたが気のせいかもしれない。

 そっと瞳を開けた少女はゆっくりと口を開いた。

「お兄さん、あの、お兄さんはどうしてここに?」

「どうして?」

 そういえばどうしてここにいるのだろう。そもそも僕は…ここはどこだ?

「僕は……誰だ??」

「……。おにいさん、少し疲れてるのかもしれない。少し休んでいけばいいよ」

 そっと差し出された手を取って立ち上がった。

「私は……。南鳥りんっていうの。家がこの近くにあるから、案内する」

「りんちゃん、可愛い名前だね」

「ありがとう」

 私の唯一の宝物なんだよ、と笑った少女はこっち、とそっと案内してくれた。


 りんちゃんの家は泉から五分ほど歩いた場所にあった。歩いているうちに思い出したことを、ぽつぽつとこぼすように彼女へ話すと適度に相槌を打ってくれた。

「僕は、村人Aっていうんだ。それで、えっと…魔王に支配された村に住んでて、」

「うん、その村ならこの森を抜けたところにあるよ」

「そうなんだ」

「村…のことは他に何か覚えてる?」

「いや、えっと……。」

「…じゃあ、お兄さんのことは?例えば、名前とか」

 ふるふると首を横に振ると、少女の瞳が僅かに揺れた。涙を耐えているかのような表情だ。口元をむにむにと動かして、小さくごめんなさいと呟いた少女は、それ以上何も聞いてくることはなかった。


 少女の家には、生活に最低限必要なものしかなかった。このぐらいの年の子が好みそうな人形やお花の類はない。二脚しかない椅子のひとつを勧められてすぐにごはんにするねとキッチンへとたとたと走っていく背中をぼんやりと見て、キッチンの傍にあるものを見つけた。唯一生活必需品ではないもの。小さい額縁だ。中に飾られているものはなんだろう。

「見てもいい?」

「え?うん、いいよ」キッチンの中から此方をみやった少女は額縁を指差す僕にすぐににこりと肯定してくれた。

 小さな額縁の中に紙きれが飾られている、比較的新しい紙切れだ。何か大きな紙の端を千切ったようなもの。小さすぎてその紙には何も書かれていない。大きさとしては小指の先ほどの大きさしかない。吹けば飛ぶようなものだ。なぜこんなものを大切にいているのだろう。

 キッチンから出てきた少女の手の中には湯気をあげるスープが二人分。

「ごめんなさい、ずっとお客様なんていなかったからこんなものしかないの」

「十分だよ、ありがとう」

 その言葉に僅かに口の端をあげたりんちゃんは、向かい合った椅子の前にそれぞれスープを置いて温かいうちに、よかったらと勧めてくれた。

「美味しそうだね。助かるよ」

「私も誰かと食べるのは久しぶりです」

 スープはとてもやさしい味で、野菜と少しけお肉も入っているものでとてもおいしい。ふーふーと息を吹きかけて食べる姿は可愛らしくて思わず笑みがこぼれた。

「そういえば、あの額縁に飾っているものはなんなの?」

「ああ、あれは…おにいちゃんのもの…です」

「お兄さん?」りんちゃんはちらりと額縁の中の紙きれへと視線を移して苦しげに笑った。

「少し前までおにいちゃんと暮らしてたんです。おにいちゃん、地図を描くのがすきで。本当にすごいんですよ!歩いて全部調べて縮尺まで考えて緻密につくるんです! おにいちゃんは絵も上手で、この場所に家を建てようと言ったのもお兄ちゃんで……」

 きらきらとした顔でお兄さんのことを話すりんちゃんは、待っててくださいと椅子から飛び降りて奥の部屋へと駆けて行った。

 しばらくすると、両手で抱えるようにして一冊の本を渡してくれた。黄色い表紙の本にはタイトルが書かれていない。ところどころ薄汚れているのは鉛筆のカスだろうか。中の紙は経年劣化しているのか茶色く変色しているが、埃を被っていた様子は伺えない。よほど大切にしているのが伺えた。

「お兄ちゃんの絵だよ」

 えへへとまるで自分の物のように照れ臭く微笑む彼女は、黄色い表紙をめくってひとつひとつ絵を紹介してくれた。

「これは春の泉、この日は特別に温かったの! この絵は小鳥だよ、近くの木に止まってるのを書いてたんだけど、書いてる途中で飛んでっちゃって、お兄ちゃんがっかりしてた」

「素敵な絵だね、優しい人だったのがよく分かるよ」

「うん! 優しいお兄ちゃんだった!」

「だった?」

 過去形で話す彼女に、そう問いかければきらきらとした表情が途端に曇ってしまった。

「うん、お兄ちゃんは……。村人役だったから、絵を書いたり地図を書いたりするのはいけないことだったみたいで……。とにかく、どうにかならないか相談したらね、お兄ちゃんは村に戻って暮らすことになったの。ここに暮らしていた形跡は残してはいけないとも言われたわ。だけど、私寂しくて、最期までお兄ちゃんに抱き付いてた。最後まで諦められなくて、手を伸ばしたけど掴めたのはお兄ちゃんが手で持ってた地図の端っこだった。でもそれも千切れちゃって…。」

 それがこれなのと、少女は額に飾られた切れ端を見た。

「お兄ちゃんの家には、たぶん少し千切れた地図があるわ。だから、この切れ端はお兄ちゃんとの絆なの。本はね、お兄ちゃんがゴミ捨て場にずっと前に捨ててたものを拾ってきたの」

 とても悲しそうに話す彼女に、俺は何もしてやれないことがもどかしくてそっと机に置かれたカップを手に取った。寂しそうに額縁を見る彼女は、歳相応のただの幼い少女のようにし見えない。

 本来なら大人が面倒を見るべきだろう、生活の事だけじゃない、精神的にも彼女にはまだ支えが必要だ。

「そう……。りんちゃん、お兄さんのこと思い出させてごめんよ、お詫びと言ってはなんだけど、よければ僕とこの森から抜けるかい?」

 真っすぐ彼女を見れば、かすかに瞳を見開き喉の奥だけで泣くのを我慢しているかのようだった。

 彼女は胸の前でぎゅっと手を握り締めて、無理やり口角をあげた。痛ましい笑顔だ。とてもこんな歳の子がする笑顔じゃない。

「ありがとう、おにいさん。でも、私はここにいなきゃいけない。私にも大切な役割がある……」

「そっか……」

 この世界で生きているなら、自分の役割は絶対だ。抗えるものではない。それが分かるからこそ、こんな少女にこんな場所で家族と別れさせてまでさせなきゃならない役割とは一体なんなんだ。


 ふつふつと身体の奥から湧き出す、この気持ちは一体なんだ。

 痛いほど拳を握り締めて、僕はこう提案した。

 1、僕の記憶が戻るまでこの場所に通うこと

 2、その間はりんちゃんと一緒によければ過ごしたい

 こういうものだ。彼女は、少し考えてこくりと首を振った。

「村の人の健康を守るのも…役割だもん」

 がたがた揺れる窓に向かって、彼女はそう言っていた。今日は風が強いらしい。


 そうだ、今日から日記をつけよう。僕の記憶が戻っても、彼女との日々を忘れないように


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