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デスゲームの進行に不慣れなもので

作者: 週休七日
掲載日:2026/09/25

 目を覚ましたとき、俺は椅子に座らされていた。


 窓のない白い部屋。四脚の椅子。鉄の扉。

 左手首には、何かできつく縛られていたような赤い跡がある。ポケットのスマートフォンは消えていた。最後に覚えているのは、駅前で道を尋ねられたことだ。


 ほかの椅子にも、それぞれ人が座っていた。

 花柄のブラウスを着た中年の女性。熊と相談せずに熊を名乗っても許されそうな大男。制服姿の女子高校生。


 俺たちの前で、壁一面のモニターが点灯した。


 映し出されたのは、黒いローブをまとった仮面の男だった。

 背後には赤いカーテン。卓上には髑髏。いかにもろくでもないことを発表しそうな場所で、男はゆっくり両手を広げた。


「ようこそ、愚かな子羊たちよ」


 俺の隣で、大男の椅子が小さく鳴った。


「諸君にはこれより、命を懸けた――」


 そこで男が止まった。


 顔を横に向ける。

 何かをクリックする。

 もう一度クリックする。


 陽気なウクレレが流れた。


 青空の下で洗濯物がよく乾きそうな音楽だった。


「あっ」


 音楽が切れた。


 男は咳払いをし、あらためて両手を広げた。


「ようこそ、愚かな――」

「そこからやり直すんですか」


 思わず口を挟んでいた。


 仮面の男はこちらを見た。

 正確には、こちらを映しているらしい画面の、少し下を見た。


「申し訳ありません。今のところだけ、なかったことにしていただけますでしょうか」

「拉致されたところから、なかったことにしてほしいんですけど」


 中年の女性が、低い声で言った。


 男は何かを確認するように手元を見た。


「その件につきましては、後ほど説明の時間を設けておりますので」

「今、設けなさいよ」


 男の肩が縮んだ。


 それでも気を取り直したのか、次の瞬間には声を低く作り直していた。


「最後に残った一人だけに、賞金と、生きて帰る資格を与える。制限時間が過ぎれば、床に仕込まれた電撃処刑装置が作動する。諸君に残された道は、ただ一つ――」


 モニターの端に、小さな窓が現れた。


 そこには、こう書いてあった。


〈ここで威圧的に笑う。五秒程度〉


「フハハハハ」


 俺たちは黙っていた。


「ハハ」


 五秒を調整するな。


「……あの」

「なんだ、子羊よ」

「台本、見えてます」


 男が固まった。


 すぐに画面が切り替わった。

 黒い背景に、白い文字が並ぶ。


〈はじめての現場運営 杉浦さん用〉


 さらに切り替わった。

 仮面の男が戻ってきた。


 今度は両手を膝の上にそろえていた。


「本日、初めて進行を担当いたします、杉浦と申します」


 大変なところで本名を出した。


「不慣れな点もあるかと存じますが」

「ないと困るわよ」


 女性は腕を組んだ。


「人殺しなんだから」


 杉浦は、どう返せばよいのかわからない様子で黙った。


 その沈黙の間に、モニターの下で赤い数字が動き始めた。


 残り、三十分。


 ウクレレが間違っていただけで、俺たちが閉じ込められていることには、何の変わりもなかった。



     *



 最初のゲームの説明が始まるまでに、俺たちは互いの名前を知った。


 中年の女性は山根さん。駅前で小さな弁当屋を営んでいるという。

 大男は野村。怖い顔をしているが、怖いものはだいたい苦手らしい。

 女子高校生は片桐。演劇部に所属しているそうだ。


 杉浦の映像が一度消えている間に、俺たちは部屋を調べた。


 鉄の扉は押しても引いても開かない。壁に窓はない。天井の監視カメラには手が届かなかった。床は細かい溝のある金属板で覆われていて、靴底を通して冷たさが伝わってくる。


 脇にある細い扉も、鍵がかかっていた。


 野村が鉄の扉を揺すったが、びくともしなかった。


「俺、こういうの、だめなんです」


 戻ってきた彼は、両手を握り合わせた。

 握力だけで祈りが圧縮されていそうだった。


「閉じ込められるのも、人と争うのも」

「得意なやつのほうが嫌だよ」


 俺が言うと、野村は少しだけ笑った。


 モニターに杉浦が戻った。

 今度は髑髏がなくなっている。


「では、ゲームを開始します。まず、お手元の武器を用いて――」


 杉浦がこちらを見た。


 俺たちは手元を見た。


 何もなかった。


「……少々お待ちください」


 操作音がした。


 壁の小さな備品口が開き、中から四つの赤い箱が現れた。


 危うく素手で始まるところだった。


「一人一箱、好きなものを選んでください。そこに入っているものが、あなたの運命を左右します」


 誰も動かなかった。


「なお、箱によって武器の性能は異なります」

「ほかに出口は?」

「ございません」

「ゲームを断ったら?」

「制限時間は、そのまま進みます」


 赤い数字が、一秒ずつ減っていた。


 俺たちは互いの顔を見た。

 少なくとも、箱を開けなければ何もわからない。


 俺は左から二番目を選んだ。


 中には、泡立て器が入っていた。


 振ってみた。

 しゃかしゃか鳴った。


 野村の箱からはトングが出てきた。

 山根さんは木べらを持ち上げた。

 片桐は、お玉をこちらに向けた。


 四人でしばらく見つめ合った。


「……鍋は?」


 山根さんが尋ねた。


「いえ、その」


 杉浦は言いにくそうに仮面を押さえた。


「もともとは刃物が入っていたんですが、確認したら本当に切れそうだったので」

「そりゃ刃物だからな」

「危ないと思って、僕の判断で、安全そうなものに交換しました」

「判断だけは正しいんだよな」


 俺は泡立て器を握り直した。


 これで人に勝てる気はしない。

 生クリームなら、どうにかなる。


「では、その武器で争っていただいて」

「何を?」


 山根さんが木べらを構えた。


「厨房の主導権?」


 杉浦は紙をめくった。

 めくった先にも解決策はなかったらしく、元のページに戻った。


 野村はトングを開いたり閉じたりしていたが、やがて隣の片桐の服を、先端でほんの少しつまんだ。


「ごめん」

「何がですか」

「こうしないと、進まないかなって」

「戻してください」


 野村は服を離した。


「ごめん」


 この人は、裏切る前にも謝るだろう。


 そのとき、モニターの向こうで何かが鳴った。


 杉浦が机の端に置いていたタブレットを取る。

 赤いところに触る。

 音が止まった。


 すぐにまた鳴った。


 今度は杉浦が慎重に別の場所を押した。


『切るなよ』


 男の声が聞こえた。


「すみません、大江さん。応答するつもりで」

『赤い受話器は切るほうだろ。お前、電話も取れねえのか』

「申し訳ありません」


 俺たちは顔を見合わせた。


 この男には、先輩がいるらしい。


『進んでるか』

「小道具について、少し調整が」

『台本どおりやれ。こっちはまだ用がある。終わったら報告しろ』


 通話が切れた。


 杉浦は、しばらくタブレットを見ていた。


 それから仮面を押さえ、こちらへ向き直った。


「申し訳ありません。小道具の使い方について、いったん確認させてください」


 モニターの脇にある細い扉が開いた。


 そこから、さっきまで画面に映っていた杉浦が出てきた。


 ローブの裾を、自分で踏んだ。


「うわっ」


 倒れそうになった彼を、野村がとっさに支えた。


「大丈夫ですか」

「ありがとうございます」


 命を奪う側と奪われる側のはずだった二人は、腰の低さで競い合うように頭を下げた。


 近くで見ると、杉浦は若かった。

 仮面の下から汗が流れている。開いたローブの内側には、折り目のついた白いシャツが見えた。


 シャツの胸元に、名札があった。


〈研修中〉


 俺はその三文字を見て、少しだけ嫌な予感がした。


 世の中には、その札をつけていても許されない仕事がある。



     *



「お芝居じゃ、ないんですか」


 仮面を外した杉浦が、青い顔で言った。


 山根さんが、手首の跡を見せていた。

 片桐は、帰り道で知らない車に乗せられたことを話した。

 野村は途中で吐いたという。ここに運ぶ人間に、汚すなと怒鳴られたそうだ。


 杉浦は、何度も俺たちの顔を見比べた。


「全員、事情を知っている出演者だって。怖がる演技をしても、進行を止めちゃいけないって」

「求人には、何て書いてあったの」

「没入型イベントの運営補助です。未経験歓迎で、人を楽しませる仕事だって」


 山根さんは口を閉じた。


「面接も、普通の事務所でした。過去の脱出イベントの写真を見せてもらって。今日は、その新しい企画だと」


 杉浦は手元の台本を見下ろした。


「本番中は、出演者のほうから『これは演技じゃない』と言うこともあるから、それに引っ張られないようにって」


 片桐が、唇を噛んだまま顔をそむけた。

 その肩が震え始めた。


 杉浦は、もう台本を見なかった。


「確認します」


 タブレットを持つ手が震えていた。


「何か、行き違いかもしれません」


 大江への通話を選ぶ。

 今度は赤い受話器には触らなかった。


『何だよ、また』


「あの、参加者の方々が、参加に同意していないとおっしゃっていて」

『だから?』


 部屋が静かになった。


「これ、撮影ですよね」

『撮影はしてるよ』

「演技ですよね」

『そっちは違う』


 杉浦が、タブレットを持つ手を下げかけた。


 大江の声が続いた。


『あの床は本物だ。お前は時間になったら制御室へ戻れ。死ぬところを近くで見る必要はない』

「でも、人が」

『そういう仕事なんだよ』


 杉浦の喉が動いた。


 何かを言いかけたが、声にならなかった。


『いいか。変な気を起こすな。お前の顔を映して、お前が開始ボタンを押したんだ。今さら知らなかったじゃ済まねえからな』


 タブレットから、小さな物音が聞こえた。


『終わるころには戻る。生き残りが出ても勝手に出すなよ。俺が引き取る。死亡確認も搬出申請も、マニュアルどおりやれ』


 通話が切れた。


 誰もすぐには口を開かなかった。


 頭上の換気口から、低い風の音がしていた。

 赤い数字は、まだ減り続けていた。


 杉浦は、しばらく画面を見つめていた。


 それから、顔を上げた。


「……こちらへ」


 細い扉を開ける。


「制御室には、床の装置がありません。皆さん、いったんこちらへ」


 俺たちは顔を見合わせ、彼のあとに続いた。



     *



 制御室は狭かった。


 赤いカーテンの裏は、むき出しのコンクリートだった。机にはパソコンと録画機が並んでいる。隅の段ボール箱に、先ほどまで卓上にあった髑髏が放り込まれていた。


 入ってきた扉のほかに、出入口はない。


 五人が立つと、誰かが動くたびに誰かがよけなければならなかった。


「とりあえず、ここにいれば死なないんだな」


 俺が尋ねると、杉浦はうなずいた。


「床の装置では」

「嫌な限定をつけるな」

「……大江さん、迎えに来たとき、銃を持っていました」

「そっちも小道具だと思ってたのか」

「はい」


 杉浦は、もう俺たちの顔を見られなくなっていた。


 ここに隠れていれば、床からは逃れられる。

 だが、武器を持った男が戻ってきたら、その次がない。


 俺はタブレットを借りた。


 報告用のカメラと、決められた相手への通話しか使えない専用端末だった。外へ電話をかける機能はない。パソコンも、運営用の画面以外には移れなかった。


「自分のスマホは?」

「入館するときに預けました。ほかの荷物と一緒に、外側の保管室へ」

「来たときの出入口は?」

「あの鉄の扉の向こうが、搬送用のエレベーターです。こちら側から使うには、管理者の承認が必要で」

「お前の鍵は?」

「この制御室しか開きません」


 俺は、小さな鍵を見た。


 管理する範囲が狭い。

 責任だけが、ものすごく重い。


「僕が、始めてしまったんです」


 杉浦が、かすれた声で言った。


「すみません。もっとちゃんと、確かめていれば」

「謝るのはあと」


 山根さんが言った。


「今、やることを考えなさい」


 杉浦はうなずいた。

 何度もうなずいてから、机の端に置いてあった分厚い冊子を開いた。


 ゲームの止め方を探しているらしかった。


 俺ものぞき込んだが、停止や退館に関わる項目には、どれも管理者の承認が必要だと書いてあった。


 時間より前に処刑装置を動かすボタンはある。

 止めるボタンは、現場にはない。


「新人に触らせるところが逆だろ」


 俺が言っても、杉浦は笑わなかった。


 指先でページを押さえながら、必死に文字を追っていた。


 もう、この男が敵だとは思えなかった。


 俺は、冊子の見出しを指さした。


「ここを見せてくれ」

「搬出の項目ですか」

「帰り方を調べたい」

「生存者の引き渡しは、大江さんが来てからで」

「そっちじゃない」


 俺は言った。


「死んだ人間は、どうやって外へ出す?」



     *



 あった。


 人を生きて帰す方法は数行しかないのに、死体の搬出については、やけに丁寧に書いてあった。


 死亡人数を現場担当者が入力する。

 管理者が、担当者の送る映像で確認する。

 承認番号を入力すると、処刑装置が停止し、屋外搬出口までの経路が開く。


 さらに、その下に注意書きがあった。


 搬出中の閉じ込め事故を防ぐため、遠隔操作による取消しはできない。

 通常の状態に戻すには、管理者が現地で復旧操作を行う必要がある。


「死体を運ぶ担当者の、安全確保だそうです」


 杉浦が読み上げた。


「配慮の場所がおかしい」


 俺は言った。


「つまり、承認さえ取れれば、大江には途中で閉められないんだな」

「はい」

「死亡人数は、機械で判定してない?」

「現場担当者の報告を、管理者が目で確かめる決まりです」

「こんなところで人間を信じるなよ」


 杉浦は、マニュアルと俺たちを交互に見た。


「……死んだふりをするんですか」

「全員死んだことにすれば、引き取りを待たずに外へ運べるんだろ」

「でも、僕たちが今こうして相談しているのも、カメラに」


 片桐が天井を見上げた。


 杉浦は机の録画機を指した。


「天井のカメラは、ここに保存しているだけです。大江さんに映像を送れるのは、通話中のタブレットだけで」


 では、あとからなら見られるわけだ。


 好きなだけ見ればいい。

 警察と一緒に。


「問題は、死んだ理由だな」


 俺はマニュアルの処刑装置の項目を見た。


「泡立て器で四人、というのは無理がある」

「かなり頑張らないと」

「頑張るな、野村」


 杉浦が、ためらいながら口を開いた。


「僕が、間違って床の装置を作動させたことにしたら、どうでしょう」


 全員が、彼を見た。


「停止しようとして、手動作動のボタンを押してしまったと。大江さん、僕のこと、操作を全然覚えないと思っていますから」


 これまでの失敗が、急に頼もしく見えてきた。


「それだ」

「信じるでしょうか」

「俺だったら信じる」

「私も」

「私もです」

「俺も」


 杉浦は、励まされたのかどうか判断しかねる顔をした。


 残り時間は、十二分を切っていた。


 まず一度、実際の床で映り方を確かめることにした。


 承認が間に合わないとわかったら、芝居は中止。

 そのときは全員、制御室へ戻る。


 大江が帰ってきたあとのことは、考えたくなかった。

 だから今は、目の前の一回を成功させるしかない。


「死ぬ演技は、できるか」


 俺が尋ねると、片桐がお玉を机に置いた。


「やったことあります」


 初めて頼もしい言葉が出た。


「去年の文化祭で、お姫様を」

「頼んだ」

「じゃあ、こういう感じで」


 白い部屋へ戻った片桐は、胸を押さえた。


 震える足で一歩進む。

 何かを求めるように手を伸ばす。

 膝から崩れ落ちる。


「……お母様」


 床に、白い指が滑った。


「どうか、あの海だけは……」


 俺は最後まで見た。


「海はいらない」

「人物の背景が」

「今ほしいのは遺体なんだよ」


 片桐は不満そうに口をとがらせた。


「じゃあ、最後の台詞を短くします」

「なくしてくれ」

「……一言も?」

「死んだあとのところから頼む」


 隣では山根さんが、床を見下ろしていた。


「ここに寝るの?」

「そうです」

「いったん拭きたい」

「時間が」

「死体だって、顔つける床は選びたいでしょう」


 杉浦がすぐ制御室へ走り、布を持ってきた。


 山根さんはそれを受け取ると、自分が寝る場所だけでなく、隣の片桐の分まで拭いた。

 俺は何も言えなかった。


 野村は、先に寝ていた。


 仰向けになり、両手を胸の上で組んでいる。

 顔には妙に穏やかな表情が浮かんでいた。


「いいな。自然だ」


 俺が褒めると、野村の鼻から、ぐご、と音がした。


「寝るな」

「すみません!」


 彼は跳ね起きた。


「横になったら、ちょっと安心して」

「まだ何も解決してない」

「はい」

「出られたら、全員分、飯でも何でも俺が奢るから。今だけ起きてろ」

「全員分ですか」

「そうだよ。杉浦、お前もだ」

「本当ですか」


 野村の目が、しっかり開いた。


 人間は、思ったより単純な燃料で動く。


 杉浦が、タブレットを持って俺たちの前に立った。


「一度、報告用の映像がどう映るか確認します。皆さん、位置についていただいて」


 俺たちは床に倒れた。


 冷たい。

 思っていたよりずっと冷たい。


 隣の野村が息を止めている気配がしたので、俺は口をほとんど動かさずに言った。


「息はしていい」

「はい」

「返事はしなくていい」


 杉浦がタブレットを構えた。


「では、撮ります」


 少し間があった。


「はい、チーズ」


 片桐の指が、反射的に二本立った。

 山根さんが薄く笑った。

 野村は目を閉じたまま、なぜか親指を立てた。


「声のかけ方!」


 俺は起き上がった。


「死体に記念撮影の空気を出すな!」

「すみません! 人を撮るときは、いつも」

「いつもと違うんだよ!」


 杉浦はタブレットを下げた。


 画面には、床に横たわりながらそれぞれ愛想よく応じる四人が写っていた。

 最悪の旅行写真だった。


 片桐が小さく吹き出した。


 それが野村にうつった。

 野村が笑うと、胸と肩が大きく揺れた。


 山根さんも口元を押さえた。


 俺も、こらえきれなかった。


 笑っている場合ではない。

 赤い数字は、もう四分を切ろうとしていた。

 俺たちを殺すための床に寝転がって、何をやっているんだと思った。


 それでも、さっきまで自分の指先がひどく冷たかったことを、笑いながら思い出した。


 杉浦だけが、困ったように立っていた。


「こんなに下手で、大丈夫でしょうか」


 俺は笑いをおさめ、床に座り直した。


「下手でいい」

「でも」

「お前が人殺しに向いてなくて、俺たちは助かってるんだ」


 杉浦の顔が、少しだけ歪んだ。


 泣きそうになったらしい。

 だが、今泣かれると、それはそれで困る。


 俺は急いで立ち上がった。


「泣くのもあと。次は本番だ」

「はい」


 杉浦は背筋を伸ばした。


 その声だけは、最初より少し大きかった。



     *



 残り、二分四十秒。


 俺たちは、床に倒れていた。


 杉浦が制御室の出入口に立ち、タブレットを操作している。

 俺からは見えないが、震える指で死亡人数を四人と入力しているはずだった。


 接続音が鳴った。


『終わったのか』


 大江の声だった。


「……はい」

『何人だ』

「四人です」

『全員?』

「はい」


 杉浦が息を吸った。


「操作を、間違えまして。時間を止めようとして、処刑装置の手動作動を」


 大江は黙った。


 俺は目を閉じたまま、床の冷たさを頬に感じていた。


 頼む。

 今日いちばん説得力のある報告のはずだ。


『お前なあ』


 大江がため息をついた。


『まあ、賞金は出さなくて済むか。見せろ』


 杉浦の靴音がした。


 タブレットのカメラが、俺たちを順番に映していく。

 野村。

 山根さん。

 片桐。


 片桐は、一言も発しなかった。

 海についても、お母様についても、何も語らなかった。


 俺の前で、靴音が止まった。


 鼻の下が、かゆかった。


 唐突だった。

 命の危険とはまったく関係のないところで、鼻の下が猛烈に存在を主張し始めた。


 俺は死体だった。

 死体はかかない。

 少なくとも、大江が知っている死体は、かかないはずだ。


『最後のやつ、もう少し近く』


 杉浦がしゃがんだ気配がした。


 近づくな。

 鼻の下の戦いを接写するな。


 長い数秒が過ぎた。


『……いい。搬出しろ』


 杉浦が立ち上がった。


 俺は心の中だけで、床を転げ回った。


『番号を言うぞ』


 大江が数字を読み上げる。

 杉浦が何かを押す。


 低い警告音が鳴った。


「申し訳ありません。もう一度、お願いします」

『よく聞けよ』


 大江がもう一度数字を言った。


 杉浦が押す。


 また警告音。


 床の上で、俺たち四人の忍耐が、少しずつ削れていった。


『復唱しろ』

「四人とも死亡しました」

『番号をだよ!』


 山根さんの肩が、一度だけ震えた。


 やめろ。

 俺も危ない。


 そのあと、杉浦は数字を一つずつ読み返した。

 大江が、うんざりした声で肯定する。


 操作音。


 今度は、違う音が鳴った。


 穏やかな女性の声が流れた。


『搬出モードへ移行します。安全に配慮して作業してください』


 それを最初から言え。


 部屋の奥で、重い扉が横に開いた。

 空気が動く。

 わずかに開けた目の先に、貨物エレベーターが見えた。


 頭上の赤い数字は消えていた。


 杉浦が、ほっと息を吐いた。


「承認、ありがとうございます」

『運び出したら連絡しろ。あと、床をちゃんと拭いとけよ』


 山根さんが、ごく小さく唇を動かした。


「もう拭いたわよ」


 俺は右手で、彼女の腕を押した。


 杉浦はタブレットを持ったまま、なかなか通話を終わらせなかった。


 何をやっている。

 早く切れ。


 俺は片目をもう少し開けた。


 杉浦がこちらを見たので、床に伏せたまま、必死に手で切る仕草をする。


 すると彼は、小声で言った。


「先輩が切られてからと思って」


 ここで急に礼儀を持ち出すな。


『何か言ったか』

「いえ!」

『カメラ、変なほう向いてるぞ。持ち直せ』


 杉浦がタブレットを動かした。


 その瞬間だった。


 装置が止まったことで安心したらしい野村が、むくりと起き上がった。

 俺たちを助け起こそうとして、両手を伸ばした。


 カメラの、真正面で。


『……おい』


 杉浦が止まった。

 野村も止まった。


『今、起きたぞ』


 短い沈黙。


 杉浦は、タブレットを見つめたまま答えた。


「はい」

『はい、じゃねえよ。生きてんじゃねえか』


 俺は立ち上がった。

 隠していても、もう意味がない。


 山根さんも片桐も起きた。


 画面の向こうで、何かが大きな音を立てた。


『何だそれ! 全員生きてるじゃねえか!』


 杉浦は俺たちを見た。


 それから、ひどく嬉しそうな顔をしてしまった。


「そうなんです」


 報告するな。


『お前、何やってるかわかってんのか!』

「はい」


 杉浦は、さっきよりはっきり答えた。


「皆さんを、帰します」


 大江の声が跳ね上がった。


『ふざけんな! その場から動くな!』


 怒鳴り声は続いた。

 けれど、開いた扉は閉まらなかった。


 マニュアルにあった注意書きを、俺は思い出していた。


 搬出中の閉じ込め事故を防ぐため、遠隔操作による取消しはできない。


 ありがとう。

 死体を運ぶ人のことだけは、真面目に考えた誰か。


 俺たちは杉浦を囲むようにして、エレベーターへ移動した。

 野村が扉を押さえ、山根さんが片桐の背中を送った。


 杉浦だけが、怒鳴り声のするタブレットをまだ握っていた。


『言われたこともできねえのか! 俺が戻るまで、そこで――』


「杉浦、切れ!」


 俺が言うと、彼はびくりと肩を揺らした。


「どこを」

「赤いやつ!」

「赤い――」

「さっき、間違えて切ったやつだよ!」


 杉浦の指が動いた。


 ぷつりと、声が消えた。


 狭いエレベーターに、俺たち五人の息遣いだけが残った。


 杉浦は、真っ暗になった画面を見下ろした。


「……切れました」


「上手かったぞ」


 俺は言った。


 杉浦は、今日初めて、謝らなかった。



     *



 エレベーターは、建物の裏手にある屋外搬出口へ通じていた。


 外は、夜だった。


 コンクリートの坂道の向こうに、街灯が見えた。

 遠くで車の走る音がする。

 冷たい風に、どこかの家の夕飯らしい匂いが混じっていた。


 俺たちはしばらく、誰も何も言わずに立っていた。


 外に出た。

 五人とも。


 野村が、地面にしゃがみ込んだ。


 今度こそ泣くのかと思ったら、靴ひもを結び直していた。


「走るなら、先に」


 その言葉で、俺たちはいっせいに動き出した。


 杉浦のローブは長く、走るたびに足に絡まった。

 一度転びかけたので、野村が片側を、俺がもう片側をつかんだ。


「これ、脱いでいいんでしょうか」

「脱げ!」

「備品なので」

「返しに行くなよ!」


 ローブを脱ぎ捨てると、杉浦は白いシャツ姿になった。


 胸元には、まだ名札がついていた。


〈研修中〉


 誰かがそれを取ってやる余裕はなかった。

 俺たちはそのまま、街灯のある道へ走った。


 通りかかった配達員に助けを求め、電話を借りた。

 説明する間、山根さんがずっと片桐の肩を抱いていた。


 野村は何度も人数を数えていた。


「五人。……五人、います」


 杉浦が何か言いかけたので、俺は先に釘を刺した。


「今は、挨拶とか締めの言葉とか、いらないからな」

「はい」

「ご参加ありがとうございました、とかも禁止」

「……はい」


 言うつもりだったらしい。


 遠くから、サイレンが近づいてきた。



     *



 大江が捕まったと聞いたのは、それからしばらくしてからだった。


 杉浦も何度も事情を聞かれた。

 求人のメールも、業務の指示も残っていた。彼が持ち出したタブレットも、会場にあった録画機も、警察が調べているという。


 俺たちもそれぞれ、自分が見たことを話した。


 杉浦は人殺しが下手だったこと。

 本物だと知ってからは、俺たちを助けようとしたこと。

 そして、俺たちが外へ出るために、初めて上手に嘘をついたこと。


 確認のためだと言って、警察の人が一枚の画像を見せてきたことがある。


 床に横たわり、笑顔とピースで撮影に応じる俺たちだった。


 あれも残っていた。


 警察の人は真面目な顔をしていた。

 ああいう仕事は、相当難しいと思う。


 ひと月ほど経ったころ、俺たち五人は、小さな食堂に集まった。


 杉浦の再就職が決まった祝いだった。

 今度は文具店だという。見学も面接も、昼間に自分の足で行ったらしい。


「先輩が、とても親切で」


 杉浦は少し照れながら言った。


「わからないことは、いつでも聞いていいと言ってくださるんです」

「普通はそうだよ」


 山根さんが、お茶を飲んだ。


「人を殺せとも言いません」

「比較の下限を上げなさい」


 片桐が笑った。

 野村は、運ばれてきた唐揚げを見て、しみじみと両手を合わせた。


 取り分け用に、トングが添えられていた。


 彼はそれを手に取り、一度だけ俺を見た。


「これは、使っていいんですよね」

「存分に戦え」


 皿が空くのは早かった。


 俺たちはあのときの話をして、それ以外の話もした。

 片桐の次の舞台のこと。山根さんの店の唐揚げのこと。野村が実は花屋で働いていること。


 杉浦は何度も笑った。

 威圧的でも、五秒程度でもない、普通の笑い方だった。


 食事が終わると、店員が伝票を持ってきた。


「お会計は、ご一緒でよろしいですか」


 野村が、まっすぐ俺を見た。


 片桐も見た。

 山根さんも見た。


 俺は思い出した。


 床の上で、眠りかけた大男に、確かに言った。


 全員分、飯でも何でも奢る、と。


「……あの約束、生還の喜びで忘れたりしない?」

「忘れてません」


 野村が、今日いちばん明瞭な声で答えた。


 杉浦は財布を出しかけたので、俺が止めた。


「お前はしまっとけ。今日は祝いだから」

「でも」

「次の仕事、続けろよ」


 杉浦は、少し困ったように笑った。


 それから財布をしまい、頭を下げた。


「ありがとうございます」


 ほかの三人も、いい笑顔をしていた。


 俺が伝票を持って立ち上がると、片桐が扉を開けた。

 山根さんが野村を先に通す。

 杉浦まで丁寧に一礼して、外へ出た。


 今度の脱出は、ずいぶん手際がよかった。


 最後に残った一人が、すべてを支払う。


 今度のルールには、抜け穴がなかった。

お読みいただき、ありがとうございました。


デスゲームでは普通、主催者が参加者の弱みを握っています。

今回は、参加者のほうが主催者の操作ミスを見過ごせなくなってしまいました。


困っている新人がいると、つい教えたくなる。

ただし、教えすぎると自分が死ぬ。


なかなか難しい職場です。そもそも就職先としておすすめしません。


杉浦くんには、今後も人殺しだけは上達しないでいてほしいと思います。

電話の取り方については、もう少し練習してもよさそうです。


なお、作中の泡立て器、木べら、お玉、トングは、適切に使用すればどれも優秀な道具です。

問題があるのは備品ではなく、企画のほうでした。


それでは、また次のお話で。

こちらへのご参加は、もちろん自由です。

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