剣才(けんさい)なしの僕に宮本武蔵(みやもとむさし)が宿(やど)った
王立アルセリア騎士学院では、年に一度、新星騎士杯が開かれる。
騎士候補生たちが、学年も身分も関係なく剣を交える大会だ。
優勝者は、王都の騎士団から名前を覚えられる。
上位も、教官たちの評価が上がる。
一回戦を勝ち上がるだけでも、周囲から少しは見る目を変えてもらえる。
だから僕、リアン・フォルクは、今年こそ勝ちたかった。
優勝なんて言わない。
せめて、一勝。
たった一勝でいい。
僕は毎朝、誰よりも早く起きて走った。
授業が終われば素振りをした。
手の皮がむけても、腕が上がらなくなっても、剣を握った。
僕には妹がいる。
家は貧しく、妹にはろくな服も着せてやれていない。
でも、妹は不満ひとつ言わない。
「お兄ちゃん、騎士になってね」
僕が騎士になることを、父も母も妹も願っていた。
お前だけは、しっかり食べろと言われて育った。
僕は、泣きながら食事をしていた。
頭の悪い僕には、鍛えて剣士になるしか道はなかった。
けれど、もう三回。
三年連続で一回戦に負け続けている。
それでも、両親も妹も、お前ならなれると信じてくれていた。
「剣の才能がない」
みなから言われる言葉だ。
胸に刺さる。
あきらめたくなる。
でも、僕にはこれしかできない。
「フォルク、今年も一回戦で終わりだろ」
控え場で、誰かが笑った。
言い返せなかった。
去年も、その前も、僕は完敗で負けている。
僕は盾の持ち手を握りしめた。
手のひらが汗で濡れている。
今度こそ。
今度こそ、勝ちたい。
でも、今までの敗戦が頭をよぎってしまう。
『我は剣豪、宮本武蔵』
頭の中で、低い声が響いた。
「……え?」
『されど、この景色、摩訶不思議なり』
「誰!?」
思わず声を出したせいで、近くにいた生徒がこちらを見た。
「フォルク、緊張しすぎだろ」
「な、なんでもない!」
僕は慌てて首を振った。
けれど、声は消えなかった。
『小僧。ここはどこだ』
「こ、小僧?」
『答えよ』
剣豪。
たぶん、剣が強い人なのかなと思った。
神様が僕のために力をくれるのかと思った。
仕方なく、僕は小声で説明した。
「ここは王立アルセリア騎士学院。今日は新星騎士杯で、僕はこれから試合で、でも僕は剣が弱くて、毎年負けていて、だから今年こそ一勝したくて……」
『なるほど』
声は短く言った。
神様ではなさそうだ。
でも、僕の頭の中に誰かいることは分かった。
『剣が一つでは戦えぬ。二つ持て』
え。
この人、何を言っているの。
そんな剣士、見たことも聞いたこともない。
変な夢を見ているのだ。
僕は頭を振って、出て行けと願った。
『勝ちたくないのか』
そんなの、勝ちたいに決まっている。
僕は、あなたは誰ですかと問い返した。
『我は宮本武蔵。幾度も命のやり取りをし、敗れた覚えはない』
敗れた覚えがない。
負けたことがないの?
『負ければ、それは死を意味する』
背筋が冷たくなった。
『我にも剣への未練があったのか。おもしろい。これはおもしろい』
僕は、まったく面白くない。
悩みすぎて、頭が変になったと思ってしまった。
『ここは日本ではないな。小盾と両刃の剣か』
にほん?
どこの国だろう。
『おもしろい。我の極めし剣術が、どこまで使えるか試そう』
あの、ムサシさん。
怖いので、いなくなってください。
『勝ちたくないのか』
う。
勝ちたい。
勝てるなら、死んでもいい。
『見事だ。死を覚悟して挑まなければ勝てぬ。だが、考えなしの覚悟は逆に弱くする』
どうすればいいの。
『まずは、己に合う剣を見つけることだ』
出番までは少し時間がある。
僕は試合用の刃引き剣を置いている倉庫に行った。
そこで、何本か剣を振らされた。
結局、僕は剣を二つ持つことになった。
右手に長剣。
左手に中剣。
僕は会場の隅で、二本の剣を構えた。
そして、何度も振らされた。
『土台はかなりよい』
頭の中の声――宮本武蔵は、偉そうに言った。
土台ってなに?
『体の強さだ。両手の剣を自由に振れる者は少ない』
『この体は鍛えた者にしか得られぬ。しかも、柔らかい筋肉を持っておる』
『だが、力を体の芯に置くことが未熟だ』
僕は、両手の剣を振らされる。
剣を強く握るな、芯がずれた、力が逃げているとダメ出しされる。
でも、体に一本の柱を作ると、剣速が上がった気がした。
『水のごとく動け』
水って何!?
『水とは形がない。つねに、戦いにおいて、相手に対して型を変えられることを考えろ』
また、何度もダメ出しされる。
足の使い方が悪い。体の芯を動かすな。体の芯ごと動け。
でも、盾を持っていなかったので、素早く動けた。
体の芯を合わせられれば、素早いのに、力を失わない動きができた。
『半眼で全体を見よ』
また、よくわからないことを言われる。
『半眼とは、点で見ずに、全体を見るのだ』
『まばたきが多い。動きを追っている。そして、最後に目をつぶっておる』
ぐさりと刺さった。
何度もダメ出しされる。でも武蔵の指摘は的を射ていた。
僕は、相手の動きにつられていた。
半眼で見ると、なんだか心が落ちつき、相手の動きを冷静に見られる気がした。
その時、係の生徒が僕の名前を呼んだ。
「リアン・フォルク! 第一試合、準備!」
心臓が跳ねた。
『呼ばれたぐらいで心を乱すな』
これで本当に勝てるの。
『迷いは捨てよ。勝つ。それだけを考えろ』
僕は長剣と中剣を握り直し、試合場へ向かった。
ざわめきが広がる。
「おい、盾は?」
「二本持ってるぞ」
「あいつ、とうとう変なことを始めたのか?」
笑い声が聞こえた。
足が止まりそうになる。
けれど、武蔵が言った。
『笑いは油断を誘う』
試合場の中央で、教官のガルド先生が眉をひそめた。
「フォルク、盾はどうした」
「置いてきました」
「……正気か」
僕は答えられなかった。
正気かどうかは、僕にも分からない。
対戦相手は、同級生のバルトだった。
片手剣と盾の扱いがうまい、堅実な相手だ。
僕よりずっと強い。
僕は、二つの剣を体の前で下に向けていた。
無構えという形だ。
バルトは僕の姿を見て、笑った。
「剣二本で戦う気か。その構えで戦えるのか?」
僕は何も言えない。
代わりに、武蔵が頭の中で言った。
『まず距離を取れ』
「攻めないの?」
『まず見よ』
合図の笛が鳴った。
バルトが盾を構えて近づいてくる。
僕は一歩下がった。
さらに半歩、斜めに下がる。
会場から声が飛んだ。
「逃げてるぞ!」
「やっぱりフォルクだ!」
顔が熱くなる。
『耳を貸すな。相手を見よ』
僕はバルトを見る。
剣先ではなく、目。
肩。
腰。
足。
『悪くはないが未熟だ。型通りの動きだ』
「そんなの、分かるの?」
『小僧、今のお前なら分かるだろ』
バルトがニヤケながら踏み込んできた。
丸盾を斜めに上げて、僕の攻撃を跳ね返し、剣を斜めに振る動きだ。
相手の動きを探る基本動作だった。
今までの僕は、力任せに腕だけで剣を振っていた。
『飛び込め』
武蔵の声が鋭く落ちた。
僕は体の重心を下げて飛び込んだ。
バルトが驚いた。
弱気な僕が飛び込んでくるとは思っていなかったのだろう。
怖い。目をつぶりそうになるが、こらえた。
僕は踏み込みの力を利用して、さらに体を起こす。
鉄と鉄がぶつかる音が鳴った。
そのまま、体の芯と同時に剣を振り上げ、盾の下を上に弾いた。
バルトの目が見開いた。
バルトの盾は上に弾かれ、僕はもうバルトの目の前で立っていた。
左手の中剣がバルトの胴に当たっていた。
笛が鳴る。
「決定打! 勝者、リアン・フォルク!」
会場が静まり返った。
僕も固まった。
「……勝った?」
『勝った』
「僕が?」
膝が震えた。
手も震えた。
それでも、立っていた。
僕は初めて、新星騎士杯で一勝した。
『よい戦いだった。心が乱れてなかった』
「え?」
そういえば、僕は、いつものように体が震えることも、負けることを考えてなかった。
最初に逃げさせたのは、冷静になる時間と相手に勝てると思える時間をつくってくれたのだ。
剣豪とは本当なの?
『人はそう呼ぶが、負けない戦いをしただけだ』
負けない戦いができるだけで、すごいと思った。
この人に教えてもらえれば強くなれる気がした。
やっと勝てた。僕はその嬉しさで涙が出ていた。
『よい自信だ。だが、常に謙虚であれ』
そうだ、バルトは僕を笑って見ていた。
相手を見下してはいけない。
どんな相手でも油断してはダメなんだ。
二回戦では僕の剣と共に飛び込む戦いが警戒された。
セドリック・ノイスは、笑ってもおらず油断していなかった。
一気に距離を詰めて、僕に攻撃させないような戦い方をしてきた。
相手の剣筋、盾の動きを目で追わずに全体を見つつ、相手の足の動きと目の動きに意識を集中した。
僕は水のように動いた。
僕は相手の攻撃を受け流す戦い方をした。
盾に頼らないから、相手の動きに反応できる。体は軽い。
セドリックはすぐに息が上がった。動きが止まった。
こんどは、体の芯ごと、長剣に全ての力を乗せ、上から剣を押すように当てた。
セドリックは慌てて盾で受けた。
僕の攻撃は自分の体重の何倍もの重さになっていた。
セドリックは目を見開いて尻もちをついていた。
僕は、首筋の所で左手の中剣を止めた。
「決定打! 勝者、リアン・フォルク!」
また、勝てた。
僕は涙が出そうになった。
『次の戦い以外のことは無用だ。己の心を乱すな』
そうだ、僕はすぐに、次の相手の戦いに集中した。
オーウェン・バルクはすぐに攻めてこなかった。
『相手は迷っている。だが、目は死んでない』
だれも、僕の二刀流の戦い方を笑わなくなっていた。
教官の先生たちまで僕の試合を見に来ていた。
『両手に持つ剣を有効に使え』
僕は、踏み込むと同時に、長剣で足元を狙い、中剣を真上から振り下ろす。
オーウェン・バルクは長剣を剣で受け、中剣を盾で受けようとする。
しかし、剣を軽く握ることで、剣の軌道を修正する。
力任せに修正するのではなく、柳のように、そして蛇のように相手をかく乱する。
オーウェンは二つ同時に、予想外の動きをし、向かってくる剣に防戦一方となった。
だが、彼の体の軸は崩れてない。
『足だ』
その声と同時に、上から振り下ろしていた中剣の軌道を流れるように変えると、体と手を伸ばし、足元を横に払った。
オーウェンは剣が届くと予想できていなかった。
「決定打! 勝者、リアン・フォルク!」
「リアン、卑怯だぞ!」
周りの生徒も驚きと同時に、これが騎士の戦い方かと呟いていた。
『卑怯と思うな。負ければ死ぬ。弱者は負けると綺麗ごとを言う。己が戦う者であるとの覚悟が足りぬ未熟者の言葉だ』
『強き者は負けを認める。その心を忘れるな』
その通りだ、僕には何と罵られようが、騎士にならないといけない。
妹のために家族のために。
「僕は勝った。君は負けた。それだけだ」
そう言うと、オーウェンは何も言い返せなかった。
そして、僕は、決勝まで進んでしまった。
心臓が高鳴る。頭がぼうっとする。集中できない。
『喝!』
武蔵が怒鳴った。
意味がわからない言葉だが、なぜか心に届いた。
決勝の相手はカイル・ヴァレン。
学院最強と呼ばれる生徒だった。
カイルは試合場の向こうで、流れるように剣を抜いた。
笑っていない。
油断もしていない。
「驚いたよ、リアン」
カイルは言った。
「君がここまで来るとは思わなかった」
「僕も思ってなかった」
「でも、その変わった剣だけで僕には勝てない」
その時、武蔵が低く言った。
『こやつは強い』
『目が動かぬ。腰が逃げぬ。動きに迷いがない』
カイルが一歩進む。
それだけで、空気が重くなった。
『しかも、嘘を混ぜてくる』
「嘘?」
『だましだ。弱者は、動く方を見る。強者は、異なる所を見る』
開始の笛が鳴った。
『距離を取れ』
僕は下がった。
カイルは無理に追ってこない。
盾を構え、静かに間合いを詰めてくる。
『動かせろ。嘘が見える』
カイルの目と体が右に動いた。
僕はとっさに右を意識した。
けれど、剣は左から来た。
「っ!」
かろうじて避けたが、肩の防具をかすめた。
なるほど、嘘とはこういうことなのかとわかった。
でも、まだ僕の技量では嘘は作れない。
カイルが再び踏み込む。
丸盾で僕の剣を弾きにくる。
でも、剣が見えない。
手で伸ばした盾の後ろに剣を水平にすることで隠していた。
やられた。
防ぎようがない。
『飛び込め』
カイルの体勢が崩れるか、カイルの剣が僕のどこかに当たるか時間の勝負だ。
しかし、カイルはその動きまで予想していた。
盾が引かれる。
そして、剣がまっすぐ僕の胸を突きにくる。
『弾け』
僕は、中剣を力任せにカイルの剣を上に弾いた。
鈍い金属の音がした。
カイルの剣は僕の耳の横をかすめた。
二人は再び距離を取った。
「リアン、動きが別人だね。これをかわすんだね」
カイルの目が光る。
僕は恐怖で飲まれそうになる。
でも、なぜか心は落ち着いていた。
僕は、それから防戦一方になった。
観客席から声が飛ぶ。
「逃げるな!」
「それでも騎士候補か!」
悔しい。
顔が熱い。
でも、武蔵は平然と言った。
『勝つために逃げよ』
何とか紙一重でかわせる。
盾に頼らない戦い方は、一撃受け間違えば終わる。
僕の神経は、研ぎ澄まされていた。
しかし、実力差は、埋められない。
ダメだ。
『剣を投げろ』
僕は、中剣を素早く投げた。
そして、地面を蹴った。
飛ぶように。
もう僕にできることは、体の芯を使い、力で相手を倒すしかなかった。
中剣は真っすぐ、カイルの胸に飛ぶ。
カイルの目が初めて揺れた。
カイルは反射的に盾で中剣を受けた。
中剣は地面に落ちた。
カイルが「しまった」と呟いた。
僕は長剣を両手で持ち、カイルの盾に体ごと当てた。
それでも、カイルは崩れない。
僕はすばやく落ちた中剣を拾い、下から力任せに盾を弾いた。
しかし、カイルの剣が斜め上から落ちてくる。
身を捻ってかわし、そのまま体を一回転する。
中剣がカイルの背中の防具に当たった。
笛が鳴った。
音が、やけに遠く聞こえた。
「決定打」
ガルド教官の声が響く。
「勝者、リアン・フォルク!」
会場は、しばらく静かだった。
次の瞬間、大きなどよめきが起こった。
僕は息を切らしながら、その場に立っていた。
勝った。
カイルに。
新星騎士杯の決勝で。
僕が勝った。
カイルは悔しそうな顔をしていた。
「……剣を投げるなんて、考えもしなかった」
それでも、カイルは少し笑った。
「負けた。君の勝ちだ、リアン」
本当だ。強者は、卑怯とは言わない。負けた事実を認める。
その言葉を聞いた瞬間、膝から力が抜けそうになった。
でも、倒れなかった。
僕は立っていた。
『未熟』
頭の中で、武蔵が言った。
「そこは褒めてよ」
『二本持って、最後は一本を投げた。まだ剣に振り回されておる』
「勝ったのに厳しいな」
『だが』
武蔵は少しだけ間を置いた。
『悪くない。リアン』
僕は目を見開いた。
「今、名前で呼んだ?」
『気のせいだ』
「絶対呼んだ」
『次の稽古を始めるぞ』
「今!?」
『勝って浮かれる者は、次に負ける』
僕は思わず笑った。
僕の中には、わけの分からない剣豪がいる。
人の話はあまり聞かない。
説明も足りない。
無茶ばかり言う。
剣を二つ持てと言い、逃げろと言い、剣を投げろと言う。
でも、僕の努力を、初めて勝ち方に変えてくれた。
才能がないと言われ続けた僕の足を、力を、目を、全部使って戦わせてくれた。
だから僕は、もう少しだけ信じてみようと思う。
この厄介な剣豪と。
そして、今まで負け続けても諦めなかった自分自身を。




