第20話「陽だまりの約束、氷の微笑」
「クローバー公爵閣下におかれましてはご機嫌麗しゅう。僭越ながら、我がヴェルナー家は財政に困窮しており……」
は?何言い出すのよ、こいつ……!?
「もしお力添えいただけるのであれば、末代に至るまでの恩義と致します」
そんな……話が違う。
あたしは『お見舞い』の体裁で訪ねただけ。
なのに、よりによって援助なんて言葉を持ち出すなんて。
あたしですら元婚約者の家に援助なんて、通るわけないってわかる。
公爵の目が冷たく細められる。
「……ヴェルナー君。我が家は王家の忠実なる臣。あなた方のように義を欠いた者と縁を結ぶつもりはない」
凍りつく。
背中を突き刺すような冷気に、指先まで血の気が引いていく。
「援助など、言語道断。立ち去りなさい」
それだけを残し、公爵は一度も振り返らずに去って行った。
……待って。待ってよ。
アリエルにも会えない。
援助どころか、侯爵家の未来も見えない。
全身から血が抜けていく感覚に、膝が笑う。
呆然と屋敷を出た瞬間、豪奢な馬車が目の前に止まった。
車体を飾るのは、庶民の子供ですら最初に覚える王家の紋章。
誰の馬車か、考えるまでもない。
降り立った男性を見て、息を呑む。
ルシアンがぎこちなく片膝をついたのを横目に、慌ててスカートをつまんで頭を下げる。
視線が一瞬、あたしたちを掠めただけなのに、全身が硬直する。
……ただならぬ存在。偶然に通りかかったなんてありえない。
馬車に消える背中を見届けた瞬間、あたしは地面にへたり込んでいた。
これだ。
これが……あたしに邪魔をさせた本当の目的。
アリエルを揺さぶり、動向を探る。
手をかけられれば上々、無理でも情報を引き出せれば良い。
そういう筋書きだったのか。
「……馬車に、乗ろう」
ルシアンから差し出された手。
必死で掴み取ったはずのその手が、今はひどく頼りなく見える。
あたしが泥にまみれて蹴落とし、ようやく掴み取った手。
でも、アリエルは……もっと遥かに、比べ物にならないくらいの手を掴んでいる。
もしあたしが庶民になんて生まれなければ。
もし最初から公爵家に育っていたら。
あの子の立場にいたのは、あたしだったかもしれないのに。
「……まだよ」
心の奥で呟く。
まだ終わりじゃない。
だって、あたしに邪魔をさせて唯一得をする奴がいる。
そいつに辿り着きさえすれば、まだ……
失意と焦燥を抱えたまま、私は馬車に乗り込んだ。
王宮のとある一室……
「后妃様。モンテ伯爵令嬢がお目通りを求めております」
「……」
沈黙が落ちる。
このままだと、捨て駒にされる。最悪、身の安全すら奪われる……!
焦りで心臓が早鐘を打つ。
なんとか取り入らなければ。
まだ利用価値があると証明できれば、見捨てられずに済むはず。
いっそ、ルシアンなんて捨ててもいい。王宮に仕えられるなら、まだ……!
必死に希望を探すが、無情な声が返ってきた。
「后妃様は、存じ上げない者とはお会いにならないそうです」
「……っ!」
頭から血の気が引く。
このままでは、訪ねてきたこと自体が裏目に出る。
焦燥が口を突いて出た。
「そんなわけないわ!!……そっちがその気なら、あたしに依頼したこと、全部、ぶちまけてやってもいいのよ!!!」
もう、なりふり構っていられない。
せめて、接触してきたあの人間でもいい。
あたしの存在を無視できないはずだ。
だが……
「こっちだ!取り押さえろ!!」
突然の怒号。
気づけば背後からがっしりと腕を捕まれ、そのまま床にねじ伏せられていた。
「な、なにするのよ!?離しなさいよ!!!」
「牢に連れて行け!」
「やめて!話を聞きなさいよ!!あたしは……」
必死の抵抗もむなしく、リリアナの声は宮殿の廊下に吸い込まれる。
引きずられるように姿を消し、その場は瞬く間に静寂を取り戻した。
一瞬の騒動など、王宮の日常にとっては取るに足らぬ塵に過ぎない。
廊下にはすぐに笑い声と衣擦れの音が戻り、先ほどの惨めな姿など最初から無かったかのように。
「后妃様、先ほどの件ですが……衛兵が取り押さえたとのことです」
「そう……困ったものね」
窓辺に立つ后妃は、手元の花瓶に挿した花を見つめていた。
鋏が鳴る。ぱつん、と音を立てて花の首が落ちる。
「使えない子は、処分しておきなさい」
氷のように冷たい声音。
命を受けた従者が頭を垂れ、足早に退室していく。
入れ替わるように、扉の向こうから小さな足音。
黒色の髪、澄んだ氷青色の瞳。
10歳そこそこの少年が、母を求めて駆け込んできた。
「お母様!」
「あら、どうしたの?」
先ほどまで氷のようだった表情が、柔らかな微笑みに変わる。
無邪気に抱きついてくる息子を迎えるその姿は、慈愛に満ちた母親そのものだった。
「さっきまで、兄上が歴史を教えてくれてたんです!」
「そう……兄上は、お元気かしら?」
「はい!今日もお優しかったです!」
「それは良かったわ」
朗らかに答える母の目。
だが、その瞳の奥に時折宿る冷たい影を、少年は知っていた。
遠くを見るような、氷のような眼差し。
視線を逸らすこともできず、胸の奥で無力さを噛みしめる。
せめて……兄の優しさを伝えることで、母が思い直してくれることを願うばかりだった。
「お嬢様、準備が整いましたので、ご移動を…」
促されるまま付いて行くけれど……もう、何の準備だよ。
ルシアンとリリアナが来たって報告を受けただけでもうぐったりなのに。
どうせ父がしっかり追い返してくれただろうから安心はしてるけど。
はぁ……もう、ドレスに着替える度に憂鬱だわ。
よくラノベの令嬢は『まぁ、今日はこのドレスで♡』なんてノリノリで着てるけど、私的にはHPゼロどころかマイナスまで削られてるんだからね!?
どうせ午前中だけだろ、さっさと終わらせて着替え直そう。
案内されたのは、今まで一度も足を踏み入れたことのない重厚な扉の前。
いや、入ったことない部屋の方が多いんだけどさ……それにしても見慣れない赤い絨毯がやけに鮮やかで、嫌な予感しかしない。
通された応接室は広く、静まり返っていた。
父と母、そして見慣れない三人の男性が座っていて、全員が正装。
その視線が一斉にこちらに向いた瞬間、息が詰まりそうになる。
「こちらへ」
父に促され椅子に腰を下ろす。けれど、それっきり誰も口を開かない。
……え、なにこの空気。重い。酸素薄い。絶対なんかあるでしょこれ。
母が振り向き、静かに口を開いた。
「今朝、兄たちが揃って到着したのよ」
……は?兄!?え、ちょ、顔と名前が一致しないんですけど!?
しかも『一族勢揃い』感出してくるって、なんの集会!?葬式か!?
そこにさらに声が響いた。
「エドガー・ルクス・アストリア殿下、並びに国王陛下の使者、ご到着にございます!」
「えっ!?」
はぁぁっぁあ!?エドぉぉぉ??
昨日の朝に帰ったばっかじゃん!?
どうせ家庭教師でしょ!?なんでこんなに着替えて、一家総出で出迎えるんだよ……
重厚な扉が開き、まずは見知らぬ男が入ってきた。
その男は背筋を伸ばし、深々と礼をする。
「陛下の勅命を預かりし、王国宰相にございます」
宰相!?ちょ、待って。国で一番偉い官僚じゃない!?
なんでそんな人がここに来てんの!?宰相がわざわざ出向くって、嫌な予感しかしないんだけど……
「エドガー・ルクス・アストリア殿下をお迎え申し上げます」
続いて、エドが入ってくる。
昨日の家庭教師姿とも違う。あれは……宮殿で初めて会った時と同じ、威厳ある正装。
金糸の刺繍が眩しく、凛とした立ち姿に部屋の空気が張り詰める。
……やば。完全に王子様モードだ。
いつも見ていたちょっとズレた家庭教師とは別人。
改めて、彼が王太子なんだと実感させられる。
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