第16話「扉を開けた先に広がるのは、宝石のようなきらめき」
どれくらい歩いただろう。
エドが立ち止まり、扉に手をかける。
ぎぃ……と大きな扉を押し開けた瞬間、思わず息を呑んだ。
天井までそびえる書棚、赤い絨毯を真っ二つに分ける階段。
窓から差し込む光がステンドグラスを透かし、床に色とりどりの模様を落とす。
その光の粒子が宙を漂い、空気そのものが物語の香りを帯びているようだった。
「……わぁぁ!!」
思わず声が漏れる。
足を踏み入れた瞬間、視界いっぱいに広がるのは辺り一面の本。本。本。
夢の中に迷い込んだみたい。いや、夢以上かも。
指先が勝手に伸び、革装丁の背表紙をなぞる。
ぱらりと開けば、インクの匂いがふわりと鼻先をくすぐり、胸が震えた。
気づけば次から次へと手が伸びる。魔導書、歴史書、古語の詩集……
でも、どこか心に引っかかる。うーん、なんか違うんだよなぁ。
そう思いながら棚を移動して、ふと目に入った一角に目が釘付けになった。
そこはどう見ても『真面目な文学棚』とは違う。
恋愛小説とドタバタ冒険譚が、まるで押し込まれた玩具箱みたいにごちゃ混ぜに並んでいた。
『影の権力者になりたくて』
『聖女の魔力は完璧です』
表紙はやたらキラキラしていて、タイトルからして恋やら冒険の匂いしかしない。
「なにこれ……ずるい……!」
胸の奥がぎゅんっと鳴り、顔が一瞬で真っ赤になる。
ページを閉じても頭の中で反芻してしまい、思わず頬を押さえた。
けれどその隣には……
『この素晴らしい世界に乾杯を!』
『僕は親友ができない』
『私の弟がこんなに可愛いわけがない』
思わず二度見。いや三度見。
文学ってどこ行った!?ってツッコミを入れたくなるカオス棚だった。
「ぷっ。なにこれ!?タイトルの出オチ感だけでお腹いっぱいなんですけど!!」
本を抱え込みながら、思わず吹き出しそうになる。
『悪役令嬢は帝国の皇太子に溺愛される』のページをめくれば、お約束の断罪婚約破棄!
「……最高!全部最高!!」
それなのに、妙に胸をドキドキさせるリアリティがあり、ページをめくる手が止まらない。
「うわぁぁ。こういうの大好き……!」
目がキラキラ輝き、気づけば立ち読み状態。
夢中になっている間に、時間の感覚がすっかり消えていた。
「え~~どれ買おうか迷う~~」
振り返った瞬間、両腕いっぱいに抱えた本を悠々と持つエドが目に入った。
しかも涼しい顔で、まるで当然のように。
「え……それ、ひょっとして私が手に取ったやつ、全部?」
「全部、君が嬉しそうに読んでいたからね」
「え!?全部!!?」
「構わないよ」
にっこり微笑むその顔。……おい、本棚の中の恋する黒騎士とか霞むんだけど!?
これじゃ、ずるい。ずるすぎる。
「そろそろ、どこかで昼食にしようか」
……昼?言われて初めて気づく。
ステンドグラスの光はすでに角度を変え、床の模様を染め直していた。
「……っ……」
夢中で気づかなかったけど、ちょっと……いや、ものすごく楽しいかもしれない。
胸の奥がほんの少し苦しくなる。
会計を済ませたエドが、軽く指を動かすと……店の隅から、音もなく従者が現れた。
恭しく本の山を受け取り、そのまま気配を消すように姿を消す。
「……え?だ、誰??」
驚く私の反応を他所に、エドはさも当然の顔で答える。
「護衛だよ」
「護衛!?いたの!?いつから!?いやいやいや、気配ゼロだったんですけど!?」
「君が気づかないくらいでちょうどいい。優秀だからね」
屋敷の護衛もこれくらい優秀なら、何度も襲撃されることなかっただろうに!!
内心で全力ツッコミしながら、伸ばされた手に導かれるまま本屋を後にした。
屋台の並ぶ通りに足を踏み入れると、香ばしい匂いと煙でむせ返る。
炭火の煙、油のはぜる音、香草の刺激臭、果物の甘い香り……五感が一気に押し寄せてきた。
「え、なにそれ!その茶色いの!絶対お酒が進むやつ!」
「辛いから気をつけて」
串を受け取り、がぶりと齧りつく。
「んっ!やわらか……!これ酒無しで食べるの、逆に拷問では?」
「拷問は物騒だな」
エドが笑みを浮かべ、指先で口元を指す。
「……ここ」
「あ、え、ついてる?」
すっと差し出されたハンカチが頬に触れ、思わず肩が跳ねる。
「火傷はしていない?」
「だ、大丈夫……」
背徳感しかない濃すぎる味付け。
スパイスの刺激に舌が痺れるけど、止まらない。
内臓の煮込みは見た目で一瞬ひるむけれど、一口で「うまっ……」と沈黙。
「だろう?」
くすっと笑うエドの横顔は、普段の王子ではなく、ただの男の子みたいだった。
……さてはこいつ、屋台慣れてるな?
市政調査って名目は絶対口実だろ。
周囲の視線に気づき、ふと我に返る。
この世界では男女が人前で腕を組むなんてほとんど無い。
今の私たち、どう見えてるんだろう。
「良かったら、市場も行ってみようか?」
「市場!!??行ってみたい!!」
市場は屋台以上に、人と声と色と匂いの洪水だった。
魚が並ぶ氷からは生臭さと冷気が漂い、香辛料の山からは鼻がむずむずするような刺激臭が押し寄せる。
果物屋台の横を通ると、一瞬で空気が甘酸っぱく変わる。
「見て、これ!小さな青い実、食べられるの?」
「甘酸っぱい。皮ごと齧るといい」
促されるまま一粒を口に入れた瞬間、頬がきゅっとすぼむ。
「……っ!ブルーベリみたい!?これ好き!」
「たくさん買うといい」
「そんなに?いや、でも持てない……」
気づけば袋は、自然に護衛の手に収まっていた。
護衛さん、仕事が速い。さすがシゴデキ過ぎる……
軽率に侵入者を許しちゃう屋敷のポンコツ護衛たち、マジで見習ってくれ。
歩くたびに、目に入るもの全部が欲しくなる。
色とりどりの布が棚から溢れていて、光を受けてきらめく。
「エド!見て!この布、すっごい柔らかい!!」
両手で頬にすり寄せると、するりと肌に吸いつくような心地よさ。
ちょっとシルクっぽい?いや、もっと素朴なのに軽い。
「似合うな」
「え!?ちょっと当てただけだよ!?」
横からさらっと言われ、心臓がひとつ跳ねる。
頬の赤みを誤魔化すように、慌てて別の布に顔を突っ込んだ。
雑貨屋の前では、木彫りの小物がずらりと並んでいた。
小さな鳥、花、動物の置物。
ひとつ手に取ってみると、木の香りがふわりと鼻をくすぐる。
「かわいい!これとかワンワンそっくり!」
一つ二つと夢中で並べていると……
「全部包んでくれ」
エドの声がさらりと重なった。
「ちょっと待った!?なんで全部!?」
「君が気に入っていたから」
この王子、財布の紐緩過ぎじゃないか……。
これ全部並べたら机どころか部屋が木彫り動物園になるわ!!
「ちょ、ちょっとは選んでよ!!」
「選べないだろう?」
「いやまぁ、全部可愛いけど!!」
結局、護衛の腕に新しい包みが追加された。
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