第15話「王子にそっくりな大きな犬」
少し離れた場所からは、衛兵たちの怒声が響いてくる。
「殿下!アリエル様!!お怪我はありませんか!」
慌てて駆け寄る衛兵も、その犬がすっかり懐き、甘えるように巨体を寄せている様子を見て目を丸くする。
エドは険しい顔を崩さぬまま、一言。
「……危険だ。処分する」
「なんでですか!?こんなに良い子なのに!」
思わず前に出て庇う。
「だって、こんなに綺麗で、大きくて堂々として……」
お腹を出したまま、気持ちよさそうに撫でられ続ける犬。
「エドにそっくりじゃないですか♡」
場が凍りつく。
護衛も侍女も顔色を失い、息を呑む。
やば。王子を犬に例えるって、不敬だったかな……
けれどエドは一拍の沈黙の後、じっと見つめ……ふっと微笑んだ。
「……許可しよう」
「やったーーー!!!」
思わず飛び跳ねる私の声が、広い庭に弾けて響いた。
屋敷に戻った後、侍女が恐る恐る尋ねてくる。
「お嬢様……犬のお名前は、どうなさいますか?」
名前……犬の名前。ねぇ。
「ワンワン♡」
「……は?」
侍女も護衛も、まるで雷に打たれたみたいに硬直する。みんな耳を疑うようにぽかんと口を開けている。
「だって犬だし!めっちゃ可愛いじゃん!」
当の犬は「わふっ!」とご機嫌に吠え、嬉しそうに尻尾を振りながら顔を舐めてくる。
転生前は猫を飼いたかったけど、犬もアリだな!!
ワンワンを撫で繰り回す私の様子を見て、エドはこめかみに指を当て眉間に皺を寄せている。
「可愛い~♡」
「……もっと立派な名前の方が」
「いいんです!私が呼びたい名前で呼ぶんです!」
びしっと指を突きつけて断言。
エドの横顔を盗み見ると、小さくため息をついたはずなのに、目元はほんのわずかに緩んでいた。
やっぱりこの人、おねだりに弱いんだよなぁ。ひょっとして、ちょろいんじゃ?
何度目かの家庭教師の後……
授業を終えて深呼吸し、思い切ってエドの前に立った。
「エド、私に何か隠してること……ありませんか?」
長い沈黙。
蝋燭の火が揺れ、緊張だけが部屋を満たす。
「……特に無いが……?」
こいつ……!そんな曇りなき眼でしらばっくれやがって!!
「お前のせいで、私の命が狙われてんだろ!?いい加減気づけよ!!!」
溜まりに溜まった鬱憤が一気に爆発した。
大きいのから小さいのまで、嫌でも数えきれないほどの事件が頭をよぎる。
ワンワンが戯れてきて足を止めた瞬間、頭上から花瓶が落ちてきたり。
転んでしゃがんだら、侍女の偽物が熱湯をぶちまけて自爆したり。
読もうとした本を手に取った瞬間、刃物が飛んできて本に刺さったこともある。
「部屋なんて破壊されたの、今日で五部屋目だぞ!!???」
最初の頃は、エドの詠唱やら珍しい魔法にちょっとテンション上がったりもした。
けど、このペースで壊され続けたら、屋敷の部屋が足りなくなるわ!
毒だって何度仕込まれたことか。
毒味役の子がやたら色っぽく『これ、毒です』なんて言い残して退出するたび、胃洗浄とか必要ないのか、あの子のことが心配になるんだってば!!
「全部、お前といる時に起きてんだよ!!!」
そもそも!私なんかより、こいつの命の方が大事だろ!?
周りもなんで止めないんだよ!!
「今まで何冊本がダメになったと思ってんだ!!もう来るな!!そして、とっとと帰れ!!!」
……言った瞬間、背筋が凍る。
すっかり『エド』と呼ぶのに慣れていたせいで忘れていたけれど、この人はれっきとした王子様。
青ざめたけれど、もう遅い。口に出してしまったものは戻らない。
「ふむ……一理あるな」
いやいや、一理どころじゃない。百理くらいあるわ!!
「では、明日は以前言っていた市政調査を兼ねて、城下町の本屋に行こう」
「え♡行く♡♡」
……即答。反射。条件反射。
本屋の二文字に目がくらんだ。
「決まりだな。また明日くる。君はその格好だから見送りはいらないよ」
その格好とは、もちろんネグリジェにエドからもらったストールを巻いただけの姿。
免除された見送りの代わりに、エドが手を振りながら部屋を出ていくのを見送る。
……ってあ”ぁぁぁあああ!!??
なんで明日の約束してんだ!?
家庭教師を終わらせたいって言ったのに!!
何を本屋に釣られてんだ、私は!!!!
頭を抱えながら、ベッドにドサリと飛び込む。
ワンワンがデーンと横たわって場所を取っていたけれど、遠慮なくもそもそと潜り込む。
本を開きながら、心はもうぐるぐる。
明日、本当に本屋に行くのかな。
屋敷内でさえ毎日命がけなのに、外なんか出て大丈夫なのか?
でも、もし本当に行けたら……
読みかけのままダメになった本はもちろん、新しいジャンルも開拓したいし……
ああでも、きっと未知の本がたくさんあるんだろうな……
そんなことを考えるうちに、まぶたが重くなり、夢の中へと落ちていった。
「準備はどうかな?」
……出た。やっぱり行くのか。
侍女に白いシャツに、くすみカラーの青いワンピースを着せられる。
軽やかに揺れる生地、素肌に心地よい布の感触。胸元はレースもなくすっきりしていて、背中を締め付けるコルセットの存在もない。
いつもは息苦しさとの戦いなのに、今日は肩から腰まで空気が通うみたいに軽い。
すっきりまとめられた髪の毛には、地味だけれど上品な布製のボンネが。
鏡に映った自分は、普段の煌びやかな令嬢ではなく、どこにでもいそうな娘。
そういえば、馬車から見下ろした街の女の子たちも、こんな風に素朴な格好をしていたっけ。
「似合うね。用意して良かったよ」
何気なく言われた一言に、思わず振り向く。
「え?エドが用意したの?」
「市政調査だからね。市民に紛れないと」
昨日の今日で、ここまで段取りしてたってこと!?
……ほんとこの人、準備力どうなってんの。
エドの服も普段とはまるで違った。アースカラーのジャケットに、簡素なズボン。
布も粗く、装飾の一つもない。
けれど……隠しきれない背の高さと立ち居振る舞いから漂う気品が、駄々漏れもいいところ。
庶民に紛れるつもりらしいけど、無理じゃない?完全に王子オーラ消せてないんですけど!?
一抹の不安を抱えたまま、馬車に乗り込む。
今日の馬車は、公爵家の馬車とは比べ物にならないほど質素。布張りもなく、座面の硬さが直に伝わってくる。
でも、不思議とそれすら心地よい。
この前、王宮に行くために街を抜けた時は、ドレスと緊張のせいで吐きそうだった。
でも今は違う。ごとごとと軋む車輪の音すら、心を弾ませるリズムに聞こえる。
「この辺で止めてくれ」
街の外れでエドが御者に声をかける。
「少し歩くが、構わないだろうか?」
「全然!むしろ歩いてみたいかも」
差し出された手を取って馬車から降りると、石畳の感触が靴底を通して伝わってくる。
空気に混じるパンの香ばしい匂い、果実の甘酸っぱい香り、遠くから響く鍛冶屋の金属音。
どれも新鮮で、胸がふくらむ。
海外旅行で歩いた旧市街を思い出す。
目に映る建物も人々の服も、どれも異国情緒に満ちていて、いちいち目移りしてしまう。
中心部に近づくほど、道は賑わいを増す。
通りには屋台が並び、串焼きや焼き菓子の香りがふんわり漂ってくる。
「後で寄ろうか」
エドの声に、ハッとする。
よっぽど食い意地張った顔してたんだろうな……
「いいの?」
「あぁ。行きたいお店、どこでも立ち寄ればいい」
……なにこれ。まるでデートじゃんか。
胸の奥がむずむずして、思わず顔を背ける。頬が熱いのを気づかれてないといいけど。
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