第10話「本を閉じれば、始まるのは私の物語」
私がストールを置いたのを確認すると、すぐに侍女総出でドレスを脱がせ始められる。
一枚一枚外されるごとに体が軽くなり、呼吸も楽になる。
……そして、コルセットが外れた瞬間の解放感ときたら!!
「あぁぁぁぁ!!やっと脱げたぁぁぁ!!!」
「お、お嬢様……!入浴のご準備が整いました」
思わず裸でバンザイしていると、慌てた侍女にタオルで身体を隠される。
そのまま浴室に連れて行かれ、温かな湯に身を沈める。
緊張で強張っていた体が、じわじわとほぐれていく。
背後では、侍女が丁寧に髪を解き、香油を馴染ませてくれる。
あ”あ”あ”あ”あ”あ”……極楽ぅぅぅ……
お風呂のお世話なんて慣れない!と思っていたけど、ドレス解放からのこの風呂天国。
これ知っちゃったら、もう自分でやる気なくすわ……
やっと楽なネグリジェに着替え、部屋に戻る。
ふわりと漂う食事の匂いに、思わずお腹が鳴りそうになる。
そういえば、今日食べたのって朝のサンドイッチ一切れだけ。
コルセットのせいで全然気付かなかったけど、いざ食事を前にすると一気に空腹が押し寄せてきた。
机の上には、信じられないほどの料理が並んでいる。
野菜スープ、コンソメスープ、濃厚なポタージュ。
白いパンに甘いパン、香ばしいバゲットまで。
肉料理も魚料理もずらりと並び、果物もスイーツも色とりどり。
まるでビュッフェかよ!!って量が、毎食当然のように用意されるのが貴族流。
最初は『全部食べなきゃ失礼!?』と必死で詰め込んで、お腹がはち切れそうになったけど……
実は『全部平らげる方が下品』らしく、むしろ残すのがマナーだと聞いてカルチャーショック。
でも……確かに、こんだけ栄養あるもん食べてなきゃ、この胸には育たんよなぁ……
思わず視線を落とし、自分の胸をちらりと確認してしまった。
食後、ベッドのサイドテーブルには紅茶の湯気と小さなお菓子の甘い香り。
私はその横でだらしなく転がり、分厚い一冊を両手で抱えるように広げていた。
ページをめくる指先が止まらない。物語に夢中になっているうちに、気づけば最後のページ。
「……はぁぁぁ♡やっぱいいわ♡」
思わず声が漏れる。
婚約破棄、陰謀、ヒロインを陥れる悪役令嬢。
けれど彼女は次々とフラグをへし折り、なぜか周囲から愛されてしまう。
……ああいう理不尽な救済って、本当に最高。
前世で腐るほど見てきた悪女断罪ルートを、まるっと笑い飛ばすような爽快感。
まさかこの世界でも、こんなジャンルに巡り会えるとは思ってもいなかった。
本を胸に伏せ、頬が勝手ににやけるのをどうにも止められない。
「悪役なのにみんなから愛されちゃうとか。いい!!!!」
声に出した瞬間、昼間の疲労と心地よい読後感が重なり、一気に睡魔が襲ってきた。
瞼がゆっくりと落ち、甘い余韻に包まれたまま、ふわりと夢の底へ沈んでいった。
数日後。
テーブルいっぱいに豪華な料理が並ぶ中、父が重々しい声で口を開いた。
「アリエル。お前の学園退学の手続きが済んだ」
あ、やっぱり退学になるんだ……
ルシアンもリリアナもいる学園で、アリエルがまともに過ごせるはずもない。
針の筵みたいな生活、そりゃ続けられないよね。
「手続き、ありがとうございます……」
「代わりに屋敷に家庭教師を呼ぶことにした」
「えっ!?」
えーーーー、家庭教師ーーーー!?
でもまぁ……あの地獄みたいな学校に戻るくらいなら、屋敷で勉強する方が何倍もマシか。
「明日からいらっしゃる。くれぐれも粗相のないように」
いやいや、私29歳なんですけど!?
こう見えて、日本最難関の大学を突破して、国家試験だって合格した女だぞ!?
この世界の勉強がどんなもんかは知らないけど、今さら小手先の勉強ごときで負ける気はしない。
もう学生的な勉強からはだいぶ離れてたとはいえ……
『あれ?私、なんかやっちゃいました?』的に、速攻で終わらせてダラダラ生活に戻らせてもらいますけど!?
朝から屋敷が妙にざわついていた。
侍女たちは慌ただしく廊下を行き来し、私の部屋にも次々と出入りする。
「お嬢様、本日は特別なお方がお見えになりますから」
「髪はきっちり結い上げて、ドレスも正装で」
「……え、家庭教師が来るだけでしょ?」
なんで宮殿に行くときみたいなフルセットアップなんですか??
家庭教師ってもっとこう、地味なおじさまが本抱えて来るもんじゃないの?
コルセットでみしっと締め上げられ、息をするたびに肩が凝る。
必死に笑顔を貼り付けながら、心の中では絶叫していた。
「いやいや、勉強の日にこれ、修行すぎない?」
疑問を胸に抱えたまま、やがて執事が恭しく告げた。
「お嬢様、殿下がお越しでございます」
「……は?」
……殿下?
どの殿下?まさか……いや、いやいやいや。
心臓がバクバクと嫌な予感を打ち鳴らす中、扉がゆっくり開く。
そこに立っていたのは、先日ストールを差し出してきた、黒色の髪と氷青色の瞳の王子様。
「今日から君の家庭教師を務める」
……え。
えぇぇぇぇぇぇぇ!?!?!?
ちょ、ちょっと待って!?
王子様が家庭教師なんてやる!?
どういうこと!?そういう慣習でもあるの!?
も、全然わからないんですけど!?
そもそもあなたの本職、王子様でしょ!?こんなとこでいいの!?
もっと大事な仕事があるんじゃないの!?
でも、周囲の家族も侍女も、みんな当たり前のようににこやかに微笑んでいる。
誰一人として驚いてない。……え、私だけ?
本気で私だけが聞かされてなかったパターン!?
「……よろしく……お願い致します」
とりあえず口から出た言葉に、王子は楽しそうに目を細めた。
大広間の扉が開いた瞬間、思わず固まった。
視界いっぱいに広がるのは、磨き上げられた大理石の床。
頭上には巨大なシャンデリアが宝石のようにきらめき、窓から差し込む昼の光が装飾の一つ一つを反射している。
そして、その中央には弦と管を備えた小さな楽団。
楽器をゆったりと構える姿は、完全に夜会で演奏するあの雰囲気そのもの。
嘘でしょ!?これ練習じゃなくて本番の空気じゃん!!
私、ただステップ確認するだけの予定だったんですけど!?
侍女たちは微笑を浮かべながら、「お嬢様、こちらへ」とドレスの裾を整える。
彼女たちにとっては、これが当然らしい。
……いやいや、絶対おかしいって。
「アリエル」
背後から、低く落ち着いた声が響く。振り返れば、正装姿の王子が堂々と正面に立っていた。
軍服を思わせる白を基調とした衣装に、王家の紋章が金糸で織り込まれている。胸元や袖口にまで細やかな装飾が施され、光を受けるたびにきらめく。
くっ、眩しい。
黒の髪までもが陽光を反射して、キラキラと輝いている。まるで舞台の上の主役みたいな存在感……これが王子のオーラってやつか。
「殿下……え、これ本当にやるんですか?」
「当然だ。舞踏は夜会で披露するものだ。ならば本番同様に練習するべきだろう」
さらりと言われたけど、いつの間にここまで準備してたの!?
私の抗議は風に流れる砂のようにあっさりと無視され、気づけば王子の手が静かに差し伸べられていた。
……仕方ない、受けるしかないか。
「力を抜いて、私に身を預ければいい」
簡単に言わないでくれる!?
こちとらドレスを着るのも二度目で、ダンスなんて中学の創作ダンスが最後なんですけど!?
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