物語の魂は蛇足のエピソードに宿る?
「神(=作品の魂)は細部に宿る」
誰の言葉だったっけ、これ?
ずっと低空飛行を重ねてきた連載作品が、冒頭からの大幅改稿 ―― スマホとPC、両方対応型のレイアウトへの変更 ―― を経て、ようやく少し上昇の気配でぬか喜び中の筆者。モチベーションも上がってきたので、出来るだけ毎週投稿くらいは守ろうと苦心もしているわけだが、これがなかなか……。
この後の展開の「その先にある落とし所」を考えつつ、どういったエピソードを次は書こうか。毎週取って出しで「思いつくままに」書きおろしてきたわけだが、ここでいつもの問題。「今週は何を書いたらええねん」と。
何の計画性もなく書いているので、こういったことは前にも何度かあったわけだが、今回は何も思いつかなかったので、筆者的には完全に蛇足の回。このあと敵対勢力として登場する男の人物像についてを書いてみることに。
いつも「結論重視」で、過程はあまり大事にしてこなかった筆者からすれば、敵役の過剰な説明なんてものは蛇足でしかなかったわけだが、これが書いてみてビックリ。敵役の人物像が固まることにより、この後、起こり得る展開の予測が立ち、道筋が啓けるというハッピーな誤算。
これまで、なんちゃって群像劇を標榜しながら、サブキャラクタのサイドストーリーを書いた回はまだ少なく、また根源的な深堀りまではしてこなかった筆者であるが、今回のこれは大きな発見となった。「物語の基本」といえば 基本なのかもしれないが、筆者的には「読者が登場人物たちをどう捉えようが読者の自由」と考えており、小説をほとんど読まない筆者からすれば、こんな部分いらねーだろ、と故意に省いてきた部分でもあった。
しかし、今回のことで蒙が啓けた。
「群像劇スタイル」なら、登場人物毎の物語性は必須要件でもあり、話数も稼げ、さらに新たな物語のタネも生まれる。こんな一石三鳥な書き方があったのかよ!とガクブル。
筆者は小説を読まず、読むのは新書や漫画ばかり。
……いや、これも大見栄でほとんどは漫画だ。
筆者が人生で読了した小説は、おそらく50作品ちょっとで、うち半数が故・氷室冴子さんの(作者はこの名称を非常に嫌がったらしいが)ラノベ。後は短編集が多く、長編はおそらく10作品にも満たないだろう。
そんな小説を読まない筆者がたどり着いた筆者なりのストーリー量産方法。それが各登場人物たちのビハインドストーリーのオムニバス形式。これは使える。
この後の作中のビッグイベントが終わったら、第一部完のような状態にし、いろんな人々から見た「主人公たちが造り上げた世界と主人公像」を描く単発形式を何話か挿み、時間を飛ばして本編に帰って来る、といった形式にでもしようかしら。そんなことを今回の蛇足エピソード回の執筆で思いつき、けっこうハッピーな状態の筆者であった。
―― いや、まあ、実際に筆者が想像するような展開になるのかどうかは、この後のエピソード次第で分かったものではない。如何せん、オールドスクールで時代遅れな「毎話思いつき書き」の筆者の作品である。登場人物たちも勝手気ままに行動しやがるし、さてさて。
そんなこんなで今日の深夜(明日)1:40頃に最新話を投稿予定。「お前いったいどんな書き方してんだよ」と思われた方は、チラ見していただけると幸いです。
作品名は『【ナーロッパではない中世へ】この転生には、いったいどのような<意味>があるというのか?』(n0859js)。「44 ステファノ」とする予定なので、乞うご期待。
行き過ぎた正義感に溢れる大司教ステファノの<二面性>についてが語られる回。ロール・モデルの一部はマルティン・ルター。魔法無しのパラレル中世への転生の物語。その「蛇足回」です。ではまた。
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