04 魔法少女♪奈里佳 第三話(1) 猫の手だって看護婦さん 第01~06章
【 魔法少女♪奈里香 】という作品は、パイロット版および本編が2001年2月21日から2005年9月16日にかけて連載されていた未完の作品です。初出は【少年少女文庫】という複数のメンバーによって運営されていた性転換ものに特化したサイトでした。本編第三話後、楽天のブログにて番外編01を2009年8月20日に公開しましたが、どうしても第三話のクオリティーを超えるどころか並ぶことすら難しいと思い、続きが書きづらくなった作品です。いづれリニューアルして続きをと思っていましたが、2024年1月3日に体調を崩し(B型大動脈解離および腸閉塞)、体力的な限界を感じて仕事も辞めました。それに伴い近いうちに自サイトを閉鎖する予定となりましたので、小説家になろうに転載する運びとなりました。
本日中に01~08まで投稿しますので、よろしくお願いします。全体ではラノベの単行本2冊くらいの分量があります。
※あらかじめお断りしておきますが、この作品中ではこだわりとして【看護婦】という言葉を使っています。もちろん今では看護婦という言葉よりも、男性の【看護士】と女性の【看護婦】の双方を意味を持つ【看護師】という言葉を使ったほうが良いということは重々承知していますが、ここはあえて【看護婦】という言葉が持つ【幻想】や【ロマンス】を大事にしたいと思います。
※ 前回までのあらすじ
無数に存在するというパラレルワールドのうち、その一つの世界の未来にある魔法の国、ネビル。そこからやってきた猫のぬいぐるみのような不思議な生き物、クルルによって、魔力が蓄積されると自動的に魔法少女に変身してしまう身体にされてしまった克哉クン。こうして彼は、魔法少女♪奈里佳として、世界を救うという崇高な目的の為にがんばるのだった。
しかし時間流が分岐した別な未来、ディルムンから来た(?)自称正義のナノテク少女フューチャー美夏が登場して……。
詳しくは第2話『みんなでウェディング』までの各話をお読み下さい。m(_ _)m
第1章 ビジョン
空一面、赤黒くてどんよりした雲に覆われている。そんな空の下、矢島克哉はなぜか空中に浮かんでいた。頭がぼんやりとしてうまく働かないので、自分の今の状況がつかめない。しばらくそのまま浮かんでいた克哉だったが、やがて風にでも流されるようにゆるゆると前に進んでいった。
眼下にはこれまた暗く沈んだ町並みが見える。しかも上空から見ているにも関わらず、克哉の視界には町の遠景とともに、同時に町中で生活している人々の姿が明確に見えていた。普通ではあり得ない視界である。たとえて言えば、多画面に分割されたマルチモニターを見ているような感じであろうか。
「なんだか雰囲気が変だ……」
克哉は町中の人々に奇妙な点を見つけて、誰に聞かせる訳でも無いのだが、独白した。克哉が今見ている人々。彼らの姿は確かに人間であるのだが、よく見ると表情が無く、まるでマネキン人形が人間のマネをしているかのようだったのだ。
いや、むしろマネキン人形のほうが人形としての存在がハッキリしているだけかわいげがあるとも言える。今、町中で動き回っている存在、それはやけに人間的な動きをするにも関わらず、あきらかに人間とは違った存在に見えた。何か背筋が寒くなるような醜悪な存在とでも言おうか? どことなく命の無いゾンビにでも似た人間であって人間ならざる存在……。見たいわけでは無いが、克哉は延々とそれを見続けていた。
そしてこのまま何も変化が無いかと思われたとき、克哉の視界の片隅に異変が映った。
ビキビキビキビキッ
町のはずれの方角だろうか。赤黒かった景色の一部が、凍りつくような音をたてながら氷の青さにも似た色に変化した。
そして息をのむ間もなく、急速に青く変化した領域が広がってきたのだった。
「!? これは……」
克哉が言葉を失っている間に、青い領域はみるみると視界全域に広がり、気づいた時には克哉以外の全てが、青く輝く氷のような結晶に変化してしまった。
「もしかして……、これがクルルの言っていた結晶化現象?」
奈里佳に変身していた時はともかく、変身前の自分自身としては初めて結晶化現象を目の当たりにした克哉だったが、克哉は正しくその現象が何であるかを洞察した。と、同時にもやが晴れたかのように頭の中がクリアーになったかと思うと、克哉の身体はゆっくりと町中に降下し始めた。
眼下からずんずんと迫ってくる結晶化した町と人々……。しかしそのような状態になっているのにも関わらず、人々は普段と同じように歩き回って、お互いに喋りあっていた。
「みんな……、みんな、自分がどうなっているのか気づかないのかな……。それに、あんなになっちゃってるのに、どうして動けるんだろう?」
やがて克哉は地面に降り立った。きょろきょろとあたりを見渡してまわりの反応を見てみるが、誰も空から降ってきた克哉のことを気にした様子は無い。見事なまでに無視されているのが分かる。
「ねえ、ちょっと……」
結晶化した町の中で、結晶化してクリスタルの人形にしか見えない人々にこのまま囲まれている状態になんとなく不気味なものを感じ出した克哉は、とりあえず道行く人の1人の背中に声をかけてみることにした。
「……」
しかし声をかけられた人は、完全に無反応だった。しかたがないので、克哉はその人のクリスタルな肩をポンッと手で叩いたのだったが……。
ガラガラガラガラ……
克哉がその人の肩を叩いた途端、青く結晶化していたその人は、叩かれた肩の部分にひびが入ったかと思う間もなく、そのひびが全身に広がり、一気に崩れてしまった。
「ヒッ!?」
声にならない小さな悲鳴をあげた克哉は、目の前の様子をただ見守ることしかできなかった。そして結晶化していたその人は見る影もなく完全に崩壊したのだった。
「まさか……、そんな……」
驚きのあまり言葉を無くした克哉は、その様子をただ見ていることだけしか出来なかった。そして、人ひとりが完全に崩壊したかと思うと、そのまわりの人々もまた、連鎖的に結晶の崩壊に巻き込まれて次々と崩壊していった。
人だけではなく結晶化した建物や道路までありとあらゆるものが崩壊し、そして結晶が崩壊したあとからは何もない虚無の空間が口を開け克哉を飲み込もうと……。
・
・
・
・
・
「わあぁぁーーーッ!!」
大声を出してガバッと布団から飛び起きた克哉。どうやらさっきまでの光景は夢だったらしい。まだ春だというのに、びっしょりと寝汗をかいている。心臓もドキドキと早鐘のように鼓動を打ち、息も荒い。
「うにゅ? どうしたんですか? 克哉君」
克哉が寝ている布団の上で身体を丸めて寝ていたクルルが、克哉の大声で目を覚ました。そのまま眠そうな顔をして、うにゅっと質問してきたのだが、猫のぬいぐるみのような顔をしているくせに表情はむやみに豊かであるのがおかしい。
「あっ……、クルル……」
克哉は言いたいことがいっぱいあるのだが、どこから話をすれば良いのか分からないまま言葉を飲み込んでしまった。その様子を見てクルルは急にまじめな顔つきになると、一言だけ質問したのだった。
「見たんですね」
余分なことは何も言わない質問だったが、それだけで克哉には十分だった。
「見た……」
対して克哉の答えも余分な贅肉がひとつもなかった。しかしその一言の裏には、言葉では語り尽くせない想いが凝縮されていたのだった。
「ねえ、クルルッ! あれはいったい何ッ!? 町ごと、人も建物も全部、青い色をした結晶に変わってしまって、そして……」
そこまで話したところで克哉は気分が悪くなり、身体が震えだしてきた。両手を交差させて自分の二の腕を掴んで自分で自分を抱きしめる体勢をとって何とか身体の震えを押さえようとするのだが、身体は克哉の意志を無視してブルブルと震え続けた。
「崩壊のビジョンを見たんですね?」
ぬいぐるみな外見に関わらず、極めて真剣な雰囲気で確認をするクルル。
「ねえ、クルル……。あれが世界の結晶化とその崩壊なの?」
口までもブルブルと震えてくるので、それだけを言うのにも渾身の力が必要になってくる。しかし一度、言葉が形になると、克哉の口からは次々と言葉が溢れてきた。
「世界が、世界が消えてなくなっちゃうなんて。そんなことがあるのかと思っていたけど、あれは、あれは……。それに、どうして僕があんな夢を見なくちゃいけないんだよッ! 僕はただの中学生なんだよ。僕には世界を救うなんて無理だよ。どうして僕がッ!」
既に涙を流しながらクルルに訴える克哉だった。なすべきことの重要性が今になって初めて理解出来た克哉は、本気で怯えだしたのだった。
「克哉君。今、世界を救えるのは君だけなんですよ」
落ち着いた声で、ゆっくりと諭すように話すクルル。その顔はなぜか威厳すら感じられた。
「でも、僕には無理だよ……」
力無く応える克哉、その顔はもう涙でぐしゃぐしゃである。
「克哉君にはすごい力があるんですよ」
クルルはそう言うとじっと克哉の目を見た。
「奈里佳のことを言ってるの? あれはクルルが僕を変身させたからで……」
克哉はさらに言葉を重ねた。その言葉ももう今にも消え入りそうに小さい。
「それは違いますよ。確かに奈里佳ちゃんに変身させたのは僕ですけど、奈里佳ちゃんの力そのものは克哉君の力なんですよ」
なぐさめるような口調で克哉に話すクルル。その言葉を聞いているとちょっと気分が落ち着いてきた克哉だった。そしてそのまま克哉は、まるで女の子がぬいぐるみを抱きしめるように、クルルを両手で持ち上げるとそっと抱きしめたのだった。
「でも……、僕ひとりじゃ世界を救うなんて出来ないよ。奈里佳に変身しなけりゃ何にも出来ないのに……、それに昨日はフューチャー美夏なんていう敵も出てきたし……」
弱音を吐く克哉だったが、クルルはそんな克哉を叱ろうとはせず、ゆっくりと諭しだした。
「克哉君。奈里佳ちゃんに変身もしていないのに、どうして克哉君は世界が崩壊するビジョンを見ることが出来たと思いますか? 克哉君にも魔法を使う能力があるんです。それも僕が見たところ、かなりの潜在能力なんですよ。この時代に僕がやってきてから出会った人間の中で、克哉君が一番魔法適性があるんです」
そこまで言うと、クルルは克哉を優しい目で見つめた。
「そんなこと言っても……、僕……」
クルルに励まされても、克哉の心は晴れなかった。けっして世界の結晶化とそれに続く世界の崩壊から目をそらして日常に逃げ込みたいと思っているわけでは無い。むしろ何とかしなくちゃという想いのほうが、既に今は強くなっている。
それもそのはず、魔法少女♪奈里佳に変身していた最中の記憶はほぼ完全な形で克哉にも残っているし、つい今しがた世界崩壊のビジョンを見たばかりでもある。克哉、つまり魔法少女♪奈里佳の働き次第で、この世界も含めた全てのパラレルワールド全体で構成されているという時空球が崩壊して消滅するかどうかがかかっているのだ。その使命感は並大抵ではない。
しかし、それだからこそ、もしも自分が失敗してしまったらというプレッシャーは重い。そのプレッシャーが今、克哉を苦しめているものの正体だった。
「僕なんかに、出来るのかな……。世界を結晶化と崩壊の危機から救うなんてことが……」
答えの出ない問いかけを自分自身にする克哉。そのまま鬱々とした状態が続くかと思われた瞬間、克哉の頭に元気いっぱい、はじけるぐらいに明るい声が響いてきた。
(だあぁぁ、我ながらこの克哉クンっていう男の子の心が、私の心の一面っていうのが信じられないわねッ! ちょっと克哉クンッ! あなたも私なら、もっと元気を出しなさい。世界の危機を救うのが失敗したらどうしようかなんて考えてもしょうがないことは考えなくてもいいじゃないッ!!)
なんと、その声は克哉の心が“変心”したときに現れる克哉のもう一つの人格、魔法少女♪奈里佳だった。
(心配なんてものは、心配すべき状況が起きてから心配すればいいのよ。まだ失敗してないんでしょ? だったらそれでいいじゃない。それに世界の崩壊を救うことに失敗しても、世界が崩壊してるんだから、誰も克哉クンのことを非難したくても出来ないわよ。おわかり? じゃあそういうことでッ!)
ちょっとぶっ飛んだ理屈で、克哉を励ますだけ励ますと、奈里佳の心はそのまま消えてしまった。
「!? クルル……、今のはいったい何だったの」
思わずクルルに質問する克哉。しかし、クルルには奈里佳の声が届いていなかったらしく、きょとんとするクルルだった。
「えっ、何のことです?」
クルルの返事を聞いて、克哉は今、奈里佳の声が聞こえてきたことをクルルに説明した。
「……というわけなんだけど、今の声、本当に奈里佳のだったのかな?」
自信なさそうにそう言うと、克哉はクルルの顔を見つめた。
「奈里佳ちゃんの心は、克哉君の心の無意識領域に、今現在も存在しています。きっと克哉君の魔力が活性化してきたことによって、奈里佳ちゃんの心も活性化してきたんだと思いますよ」
考えた末、クルルは一応の結論を口にした。
「それじゃあ、これから僕はどうなるの。僕が奈里佳に変身しなくても、奈里佳の心が出てきちゃうの?」
克哉は、まさかそんなことは……、と思いながらクルルに質問した。
「あり得ますね。克哉君の潜在魔力と奈里佳ちゃんの魔力を考えると、変身しない通常の状態でも、やがて奈里佳ちゃんの心が現れるようになるんじゃないでしょうか」
クルルは腕を組みながらそう言った。
「じゃあ、もしかして、僕は二重人格みたいになっちゃうのッ!? 僕の心と奈里佳の心の2つに……」
克哉は情けない声でそう言うと、自分の頭を抱えるのだった。
「二重人格と言うよりも、精神同居ですね。でもそんなに心配する事はないと思いますよ。奈里佳ちゃんの影響で、克哉君の魔法力も徐々に開発されてくるはずです。充分に克哉君の魔法力が開発された暁には、奈里佳ちゃんの心と克哉君の心は融合するんじゃないでしょうか……?」
とんでも無い結論を言うクルル。
「そんな! そんなことがあるなんてッ!?」
全力で否定したい気持ちになった克哉。自分の心が奈里佳の心と融合するというのは、とても異常な事態に思えたのだった。
「そんなに驚かなくても元々奈里佳ちゃんの心は、克哉君の心がこうなっていたかも知れない可能性の1パターンですからね。最終的には融合するのが当たり前です」
ビシッと、指の無い手で克哉の顔を指さしながら、クルルはそう断言した。
「そんな、嘘でしょ?」
ますます情けない声になる克哉。その時、またしても奈里佳の声が克哉の頭に響いたのだった。
(嘘じゃないわよ。これからも時々おしゃべりしてあげるから、よろしくね♪ あっ、そうそう、夜更かしはお肌に悪いから、もう寝てくれる? あっ、興奮して寝られないのね。じゃあ魔法で眠らせてあげる♪ 3・2・1……、はいッ!)
奈里佳の心がかけた魔法(?)により、克哉は急激に眠くなってくるのだった。
「あっ、待って……。ZZZZ……」
こうして奈里佳の心が出現したことにより、いつの間にか世界を結晶化と崩壊の危機から救うというプレッシャーから解放されていた克哉は、深い眠りについたのだった。
「しかし、これはおもしろいことになってきましたね。変身しなくても奈里佳ちゃんの心が表面化してきたとは。やはり克哉君の魔法力は並はずれていましたか。克哉君なら、本当にやってくれるかもしれませんね」
クルルはそう言うと、克哉に邪魔された睡眠を再開したのだった。
それにしても奈里佳の心が表面化してくるとは……。明日はいったいどのような日になるのであろうか。世界を救う使命を持った正義の魔法少女♪奈里佳。その心を持つ矢島克哉。こうして役者は揃ったのだった。
第2章 目覚め、そして変身
「アサダゾ! オキロ! アサダゾ! オキロ! ……」
目覚まし時計が、電子音声で朝の起床時間が来たことを告げる。情け容赦ない大音量で喚き続ける目覚まし時計に負けて、布団の中で克哉は目を覚ました。
「うっ、うーーん。もう、朝か……」
まだ完全には目覚めていない頭で『目覚ましを止めなければ……』と思った克哉は、布団をかぶったまま右手だけを出すと、手探りで目覚まし時計のアラームを止めた。
「オハヨウ! キョウモガンバルゾ!」
スイッチを押された目覚まし時計は、最後の一言を言って沈黙した。一方、克哉はというと、そのまま右手を目覚まし時計の上に乗せたまま動きが止まってしまっていた。それというのも昨夜の夢のことが思い出されてきたからだった。
(……昨日見た夢……。世界の結晶化と崩壊のビジョン……。アレって本当のことだったのかな? それともやっぱり単なる夢だったのかな……?)
しばらく考えていた克哉だったが、記憶が混乱しているため昨日のことが夢だったのか、それとも現実のことだったのかが判然としない。それというのも克哉の別人格である奈里佳の魔法によって強制的に眠らされたことが影響しているのだが、まだ克哉はそのことを思い出していない。
(まあいいか、とにかく起きよう)
考えがまとまった克哉はベットから起きあがった。そのベットの上ではクルルが丸くなってまだ寝ている。まるで猫のような格好をしているが、これでも未来にある魔法の国ネビルからやってきた魔法生物(?)であるのだった。
「おはよう。クルル。ねえ、昨日のことなんだけど……」
クルルの姿を目にした克哉は、昨晩の出来事が夢だったのか現実のことだったのかを聞こうとして、クルルに呼びかけた。ついでにクルルの背中に手を当ててゆすってみる。
「ZZZzzz……」
しかしクルルは目を覚ます気配がない。
「クルルってばッ! ねえ、起きてよッ!」
クルルを起こそうと、克哉は大声で呼んでみた。手でゆするだけではなく、ちょっと頭を叩いてもみたが、クルルはいっこうに起きる気配がない。
「もうっ、しょうがないなあ、昨日のあれ、世界の結晶化と崩壊のビジョンのことをもっと詳しく聞きたかったのに」
どうやっても起きそうにないことを確認すると、クルルを起こすことをあきらめた克哉は、パジャマ姿のままトイレに行くことにした。もよおしてきていたということもあるのだが、それ以外にも元気な男の子なら誰でも朝起きたときに経験するアレ、あの状態を元に戻す為ということもあった。うん、元気なことは良いことだ。
ちなみに今、克哉が来ているパジャマは、黄色や赤を主体としたデザインだ。母親の弓子いわく、こういう暖色系の色を使ったパジャマのほうが、ぐっすりと眠れるし健康にも良いらしいということだ。本当かどうかはしらないが、母親がそう思っている限り、克哉が着るパジャマは男の子が着るにはちょっと可愛らしすぎるデザインのものが多くなるのは、いたしかたないと言える。
クルルのことはとりあえず放っておいて、克哉は自分の部屋の外に出た。一人っ子である克哉は、小さな頃から今に至るまで、個室を与えられているのだ。
「とうさん、おはよう」
部屋から出た克哉は、既に出勤しようとしている父親、範彦に挨拶をした。
「おはよう。ようやく起きてきたな。昨日も大変だったらしいな。町中の人がお嫁さんになったとテレビで言ってたけれど、やっぱり克哉もお嫁さんになっちゃったのか?」
玄関のドアに伸ばしかけていた手を止めると、範彦はこれまた興味津々の顔つきで克哉に質問をした。
「えっ、う、うん。やっぱり……、みんなと同じで、お嫁さんに……、なっちゃった」
実は、克哉はお嫁さんには変身していない。確かに昨日は、城南中学教師、花井恵里32歳・独身が変身したウェディング“快人”ヘイアーンのライスシャワー攻撃によって、町中の人々はことごとくお嫁さんに変身させられたのだが、克哉自身は魔法少女♪奈里佳に変身しただけなのだ。というわけで、克哉は一瞬、返答に詰まって言いよどんでしまったのだ。
「ほほう、そんなに恥ずかしがらなくても良いじゃないか。今回もみんなで変身したんだろ?」
克哉が言いよどんだのは、恥ずかしさの為だと誤解した範彦は、うりうりと克哉のことを肘でつつきだした。まったく明るい父親である。
「違うよ、そんなんじゃないってば……」
言葉とは裏腹に、とても恥ずかしそうな雰囲気の克哉である。父親にからかわれること自体が恥ずかしいのだった。
「しかし、なんだな。今回も例によって写真の一枚もないんだろ。まったくもったいない。そうだッ! 克哉にデジカメを買ってきてやるから、今度変身したらしっかりとそれで写真を撮っておきなさい。よしよし、そうしよう♪」
ひとり納得して、とても楽しそうな範彦。もしかするとここ中津木町とその周辺の各家庭で同じような光景が展開されているかも知れないと想像して、克哉はくらりとめまいがしてくるような気がしたのだった。
「あなた、早くしないと遅刻しますよ」
玄関での会話を聞いて、台所から母親の弓子が出てきた。
「おっ、しまった。電車に間に合わなくなる。じゃあ克哉、デジカメ買ってくるからよろしくな。いってきます」
弓子の一言で、腕時計の時間を確認した範彦は、慌てて出勤していった。
「いってらっしゃい……」
複雑な表情を浮かべたまま、克哉は手を振りつつ、お気楽な父親を見送った。このぶんでは本当に写真を撮らないといけないようだ。しかし克哉は今後も奈里佳には変身するだろうが、みんなと同じ姿に変身する事はないはずなので、写真を撮ることは出来ないのではないかと思っていた。微妙に思考が律儀である。
「克哉、早く顔を洗って来なさい。もう登校の時間まで余裕は無いわよ」
ちょっと考え込んでボーッとしていた克哉に、母親の弓子は声をかけた。弓子もまた働いているので、朝は時間が無いのだった。
「わかった。トイレに行ってから洗うよ」
そう返事をしつつ、そそくさとトイレに入ろうとする克哉。そう言えばまだ男の子の部分は元気なままだったので、その部分を弓子に見られたくない克哉であった。
「早くしなさいね。もう時間、あまりないわよ」
そう一言だけ言い残すと、弓子は台所に戻っていった。残された克哉は玄関のすぐ脇にあるトイレに入ると、出すべきものを引っ張り出し、そのまますべきことをし始めたのだったが……。
(へええ? 朝、起きたばかりの時って、ここはこうなってるんだ♪)
克哉の頭の中で声がする。それも女の子の声だ。
「わわッ! 誰だッ!? あッ! あぁッ!?」
大声で慌てふためく克哉。慌てすぎて狙いがはずれてしまい、ジョロロロロ……と、便器の外に黄色い液体が飛んでいく。
(あッ! きったないわねぇッ! これだから男の子って嫌なのよッ!)
克哉の頭の中の声は、可愛らしい声ながらも口汚く克哉を罵った。そして克哉はというと、慌てふためきながらもこれ以上被害が拡大しないようにと、ピタッと“止めた”のだった。
女の子は尿道が短いこともあり、かなり括約筋が強くないと途中で止めるのは難しいのだが、男の子の場合は尿道が長いことや、その尿道が“いろいろなもの”にとりまかれていて丈夫な作りになっているので、誰でも比較的簡単に途中で止めたり出したりが自由自在に出来るのだッ! ……って、誰でも知ってるか。
「ああ、びっくりした。もしかして奈里佳?」
そう言いながら克哉はトイレットペーパーをくるくると丸めると、トイレの床に飛び散った液体を拭き取りはじめた。すると、また頭の中に声が聞こえてきたのだった。
(他に誰がいるっていうのよ。とうぜん奈里佳ちゃんに決まってるじゃない♪)
間違いなく頭の中に響く声(?)は、克哉が変身してさらに変心した時に出てくる魔法少女な人格の奈里佳の声そのものだった。
「やっぱり奈里佳だったんだ……。夢じゃ無かったんだ。そうだッ! 昨日の晩は突然だったし、最後は魔法で眠らされちゃったから聞けなかったんだけど……、その……」
床の汚れをほぼ拭き取った克哉は、頭の中の奈里佳を相手に話し出した。もっとも頭の中の人格を相手に話をするということに慣れていないので、どうにも勝手が違って話しづらい。
(う~、ごちゃごちゃと前置きが長いわよッ! 聞きたいことがあるならさっさと聞きなさいッ!!)
克哉のもたくさしたしゃべり方にイライラしたのか、奈里佳は怒り出してしまった。さすがにわがままでタカビーな性格の奈里佳である。
「もう、怒らないでよ。よけいに話しづらくなるじゃないか。……ええと、まず聞きたいことは、僕と奈里佳は結局どういう関係なの? 僕が変心したのが奈里佳だと思ってたけど、こうして話ができるということは、僕とは別に奈里佳がいるってことなの?」
克哉は床を拭いて汚れたトイレットペーパーを便器に放り込んで、水を流しながら質問した。
ゴポゴポゴポ……
克哉の質問に対して、奈里佳は無言で答える。静かなトイレの中、水の音だけが響いていた。やがて沈黙に耐えられなくなったのか、克哉が沈黙を破った。
「ねえ、僕と奈里佳は同一人物なの? それとも別人格なの? 僕には分からなくなっちゃったんだけど、知ってたら答えてよ」
水洗タンクに流れ落ちる水で手を洗いながら、克哉は再度質問を繰り返した。
(まったく……。克哉クンったら、まるで分かってないのね。これで私と同一人物っていうんだから嫌になっちゃうわよ。ホント)
呆れた口調(?)の奈里佳。
「しょうがないだろ。僕には魔法のことなんか分からないんだから。で、結局僕と奈里佳は同一人物なわけ? でも人格は違うじゃないか。どういうこと? おかしいよ。同一人物なのに別人格って、もしかして僕って二重人格になっちゃったの?」
克哉はわけがわからず、困惑いっぱいの表情を浮かべた。
(そもそも、二重人格って言っても、人格Aと人格Bは同一人物であるってことは理解できてるわよね?)
克哉相手にいつまでも呆れてはいられないと思ったのか、奈里佳は説明を始め出した。
「うん。それは分かる。だから、今の僕と奈里佳の関係って二重人格なの? でも僕と奈里佳の人格が同時に出てきてるんだけど、こんな二重人格ってあるのかな? こんなの聞いたこと無いんだけど……」
克哉は、自信なさそうに言葉をにごした。
(二重人格って言うと、なんとなく否定的なイメージがあるじゃない? そういう意味から言ったら、私と克哉クンの関係って、二重人格じゃあ無いわね。二重人格の場合における第2の人格って、抑圧された心、抑圧された人格が表面に出てきたって感じよね)
明るく説明する奈里佳。
「うーん。奈里佳って、僕の抑圧された心なの?」
奈里佳の話を聞いて、部分的にしか理解出来なかった克哉は、そう言った。
(だぁぁーーッ、いったい何を聞いていたのよ。私が、あんたなんかに抑圧されるような心だと思ってんの?)
奈里佳の声に棘が混じってきた。
「ごめん……」
強気に出てくる相手には、とても弱い克哉だった。
(まあいいわ。説明してあげる。私、奈里佳は克哉クンの心がこうなっていたかもしれない1つの可能性そのものなのよ。抑圧されていた心じゃないの。可能性なのよ。分かる?)
胸を張って(?)話す奈里佳。姿は見えなくても、威張っているのがハッキリと感じられる。
「可能性か……。言ってみれば肯定的な二重人格ってところなの?」
あくまでも二重人格のイメージから逃れられない克哉であった。
(……まあ、その理解で、まったくの間違いって、訳でもないから、まっいっか♪)
軽いノリの奈里佳。確かにこの軽さは、二重人格のイメージからはちょっと遠いかもしれない。
(それでね、どうして普通の二重人格と違って、私と克哉クンの2つの人格が同時に出ることが出来るかって言うと、パソコンを想像してみてよ。同時に2つや3つのウィンドウを開いて同時並行で処理が出来るでしょ。コンピューターの能力が低ければ、いくつも同時に作業をさせれば処理が遅くなるけど、それなりに能力が高ければ大丈夫でしょ?)
奈里佳はごく簡単にそう説明した。
「つまり、それってどういうこと……」
克哉はあまり分かってないようだ。
(もう、ニブイわねッ! 私、つまり奈里佳に変身することによって克哉ちゃんの魔力がアップしてきてるのよ。というわけで、ふたりの人格が同時に出てこれるってわけ♪ おわかり?)
どう? 分かったでしょ? という雰囲気で説明をうち切った奈里佳。
「うーん、分かったような分からないような」
ハッキリしない克哉であった。まあ、奈里佳の説明を聞いて分かるほうがおかしいのかもしれないが。
(もう、いつまで経ってもハッキリしないわね! それよりも克哉クン。おしっこの途中じゃなかったの?)
いきなり話題を切り替えた奈里佳。そしてそう言われたほうの克哉も、途中で止めていた尿意が強烈にぶり返してきたのだった。
「うっ、そう言えば、途中だったッ!」
慌てて、もう一度、放水の体勢をとろうとする克哉だったが、奈里佳がそれを押しとどめた。
(ちょっとストップッ! また変な所に飛ばされるの嫌だから、座ってして頂戴♪)
なぜか嬉しそうに話す奈里佳。
「えっ、なんでッ!? もう漏れそうなんだけど」
焦る克哉、既に漏れそうどころか、ちょっと漏れてるかもしれない。
(いいから黙ってパンツを降ろして座りなさいッ!)
奈里佳の迫力ある声(?)にびびった克哉は、そのまま素直にパンツを降ろすと、洋式の便座に座ったのだった。ちょっと情けないかも……。
「もう、うるさいなあ。これでいいんだろ」
奈里佳という自分の中の別人格が相手だけに、そんなに恥ずかしいという感覚もなく、下半身をむき出しにした克哉であった。意外と思い切りがいいのか?
それとも単にもう我慢の限界で、恥ずかしがる余裕もなかったのだろうか?
(よしよし、それでいいのよ。じゃっ、早速いきましょうか? ふふ、部分変身~♪)
克哉が便座に座ったのを確認した奈里佳は、何かの魔法を発動させた。その瞬間、克哉は奈里佳に変身するときに感じるような感覚をその股間に感じたのだった。まずパーツが2つあるもののほうの大きさがみるみると小さくなってきたかと思うと、そのまま身体に吸収されて無くなってしまった。そして飛び出た棒状のもののほうも小さく豆粒大に縮んでいったのだった。そして仕上げに今までそれがあった場所よりもややずれたところの皮膚が身体の内側に織り込まれていくとともに、しっとりと濡れて柔らかい肉壁に囲まれたスロットを形成していったのだった。こうして克哉が持っていた男の子だった部分は、奈里佳の魔法で完全に女の子の部分へと変化した。
「あわわッ! わッ、わ~ッ!!」
シャーーーーーッ!
そしてそれまでなんとか我慢していたおしっこは、男の子と比較するとはるかに弱い括約筋へと変化した女の子のそれではせき止めることが出来なかったので、一気に勢いよく放出されたのだった。
(どう? アソコだけ女の子にしといたげたのよ。これならもう便器の外に飛び散る心配もないってわけ。感謝してよね♪)
自慢そうな口調の奈里佳。ふふふんっという鼻息が聞こえてきそうである。
「ちょっと、駄目だよ~、元に戻してよう~」
すっかり出し切って力が抜けた克哉は、涙声で奈里佳に訴える。
(いいじゃない、そのままで。どうせ数日後に私に変身してから魔力を使い切ったら、ちゃんと元に戻るわよ。それに変化したのはアソコだけで、それ以外のところは克哉クンの身体のままなんだから裸にならない限りばれないわよ♪)
元に戻すつもりはまったくない奈里佳であった。楽しんでいるね。奈里佳ちゃん。
「え~ん。こんなんばっかりーーーッ!」
下半身をむき出しにしたまま、克哉君。……いや克哉ちゃんは途方に暮れたのだった。あっ、そうそう、トイレから出てくる前にちゃんと拭いてくるんだよ。忘れずにね♪
こうして、大波乱の数日間は幕を開けたのだった。
第3章 トラウマ
「え~ん。こんなんばっかりーーーッ!」
克哉のアソコが、奈里佳の魔法で男の子のアレから女の子のソレへと、変化させられてしまったッ! というわけで克哉君改め克哉ちゃんは洋式の便器に座って用を足していたのだったが、出るのは黄色い液体だけではなく、ため息や叫び声、そして愚痴もいっぱい出てくるのであった。
(む~、せっかく便器の外に飛び散らかさなくても済むように女の子にしてあげたのに、怒ることはないでしょ? それに変身させたのはアソコだけで、その他の外見は元のままで変わってないんだから、それでい~じゃない♪)
気持ちが沈み込んでダウン寸前の克哉に対して、あっけらかんと明るい奈里佳。もう既に勝負はついている。
「そんなこと言ったって、どうするんだよッ! これじゃ学校でトイレにもいけないじゃないかぁ~……」
既に半分涙声で訴える克哉ちゃん♪
(何言ってるのよ。男子用のトイレの大のほうに行けば良いだけじゃない。立ってするよりも個室でゆっくりと落ち着いて出来るんだから、もっとうれしがりなさいよね)
奈里佳の勝手な理屈は続く……。しかし克哉の脳裏には小学生時代の暗い思い出が、走馬燈のように次々と浮かんできたのだった。
小学生時代の暗い思い出。それはトイレ絡みの事件だった。いつもは学校に行く前に家でしっかりと大きなほうのトイレも済ませてくるのだが、ある日、どうがんばっても出ない日があった。時間もなくなり、しょうがないのでその日は大きなトイレはパスして学校に行ったのだった。
まあそれだけだったらなんの問題もなかったのだが、そうは問屋がおろさなかった。昼になって給食を食べた後、克哉はトイレの個室から強烈なお誘いを受けたのだ。早い話が……、我慢出来なくなったのである。
というわけで昼休みにトイレの個室に駆け込んだ克哉だったが、クラスメートの男子にそれを目撃されてしまったのだ。小学生の男子にとって学校で『う○ こ』をするのはとても恥ずかしいことで、それをした者は極端な話、イジメの対象にすらなってしまうのだ。
事実、克哉はそれからしばらくの間、『う○こ野郎』と嬉しくないニックネームで呼ばれることを受け入れなくてはならなくなった。さすがに人の噂も75日で、やがて全ては事件前の状態に戻っていったのだが、克哉の心に大きな傷を残したのは間違いがなかった。
ちなみに現在、克哉が一番の友人だと思っている佐藤雄高は、そういう状況の中でも克哉といつも通りに接してくれた唯一のクラスメートだったのだ。もっとも単にクラスのみんなが克哉をいじめていることにすら気がつかなかったという単なるおばかさんだったということなのだが、知らなきゃ知らないで幸せなので、まあここはひとつ黙っておこう。
さて、話を戻して……。
(ほらほら、ちゃんと拭いて拭いて。女の子の部分はデリケートなのよ)
頭の中で奈里佳の声がする。それを聞きながら克哉はとんでもなく情けない気持ちになりつつも、ティッシュペーパーを適度なサイズにちぎりだした。克哉だって『女の子はし終わった後には拭くものだ』ということをちゃんと理解している。まあ、実践するのは初めてだけど……。
「ううっ、何で僕が」
自分の不幸を呪いつつ、ちぎったティッシュを今できたばかりの慣れない部分に押し当てて、しずくをきれいに拭き取ろうとした克哉だったが、ふと目にしたそこから視線を逸らすことが出来なくなってしまった。
「本当にアソコだけ女の子になっているんだ」
いつもなら、身体から伸びているはずの突起物が無いすっきりとした股間は、自分の身体なのにも関わらずやけに綺麗に見えた。上から見おろした股間には、まだうっすらとしか毛が生えていない“ぷにっ”と盛り上がった丘が見えるだけで、さらにその先には男の子にとっては未知の形があるはずなのだろうが、それは隠されていて見えなかった。構造上、鏡でも無い限り直接見ることは出来そうにない。
いったん意識してしまうと、克哉はその部分が気になってしょうがなくなってきた。克哉も過去に2回奈里佳に変身したことがあるのだが、いつも着衣のままだったので、こうして直接アソコを見る機会は初めてなのだ。
(そんなにもアソコが気になるなら、固まってないで、さっさと触っちゃえば? 誰も文句なんか言わないわよ)
軽い口調の奈里佳。なんとなく楽しんでいるのが感じられる。
「さっ、触っちゃえばってッ!? そんなッ!!」
克哉は完全にうろたえた。声も裏返って、妙に高い声が出てしまう。奈里佳に自分の心の中を完全に見透かされているような気がして、恥ずかしさがどんどんと高まってくるのだ。
(そんなに恥ずかしがらなくても、アソコが女の子になっちゃった以上、克哉ちゃんは今はもう女の子なのよ。女の子が自分のアソコを触っても全然平気。おかしくなんかないじゃない♪)
くすくすと笑い声が聞こえるような錯覚を覚えつつ、克哉は奈里佳の言葉を呆然と聞いた。
「そうか、今の僕って女の子なんだ」
遅まきながらも今さらのように自覚する克哉。もしかして“おまぬけさん”かも……。
(当たり前でしょ。アソコ以外は今まで通り男の子の身体だけど、アソコが女の子なんだもん。これを男の子だって言える?)
反論出来るなら言ったんさい。という雰囲気で克哉に問いかける奈里佳。しかし克哉が何も言ってこないとみると、奈里佳は言葉を続けた。
(ほらほら、おしっこをした後はちゃんと拭かないと駄目でしょ。いつまでしずくをたらしてるつもりなの? 早くすませて朝ご飯にするわよ。お腹が空いて死にそうなんだから。……というわけで、さっさと拭くッ!)
奈里佳の強い口調に押されて、克哉もいよいよ覚悟を決めた。
「じゃあ、拭くよ……」
そう宣言すると、克哉はティッシュを持った手をそっと伸ばしたのだった。そして無事に拭くべき場所に接触し、しずくを拭き取ることに成功したかと思えた瞬間、その手は克哉が認識していた身体の表面よりもほんの少しだけ中に入ってしまったのだったッ!!
イメージ的には『にゅるんっ♪』という感じだろうか。初めてそこに触ったので、感覚がうまくつかめなかったのであろう。
「えッ!? な、中に入ったッ! うわ、わわッ!!」
やはり本来は健康いっぱいの男子中学2年生。女の子の部分の不思議な感覚に焦ってしまい、しばらくまともな反応が出来ないのであった。やれやれ。これから先、大丈夫か?
それから数分後、なんとかパニックも収まりトイレの中でするべきことは全てし終わった克哉は、立ち上がってパンツ、正確にはオレンジ色のトランクスをいつものように上に引き上げて、きちんとはいたのだったが……。
(どうしたの? 動きが止まっちゃってるわよ?)
不審に思った奈里佳が訊ねてくる。
「パンツが食い込んで痛い……」
これ以上情けない声は出せないぐらいの声で、克哉は奈里佳に訴えた。
(ははあ、なるほど。確かにこのトランクスの生地じゃあ、食い込んで痛いわね)
奈里佳も納得の声をあげる。
「うーん。そうか、女の子のアソコってこんなにも敏感なんだ。どうしようかな。前にはいていたブリーフでも出してはこうかな? トランクスよりは痛くないだろうし」
股間の微妙な痛さに悩んだ克哉は、それなりに考えた末にそう言ったのだが、奈里佳の意見は違っていた。
(ちょっと克哉ちゃんッ! 何バカなこと言ってるのよッ! 男物のブリーフなんて駄目に決まってるでしょ。女の子は女の子らしい下着を着けるの。これ常識よッ!)
強く主張する奈里佳。
「駄目ッ! 却下ッ! それだけは駄目ッ!」
こればかりは克哉も反対の意思を、強く、強く、主張した。やはりアソコが女の子になってはいても、心は完全に男の子。しかもアソコ以外の身体は完全に男の子の外見のままなのだから、克哉の意見も分からないではない。しかしその意見は、奈里佳に対しての説得力は皆無だったらしい。
(克哉ちゃん♪ 遠慮するのは良くないわ。じゃあ、私の魔法でトランクスをかわいいショーツに変えてあげるから感謝するのよ♪)
やはり克哉の意見は聞き入られなかった。そして奈里佳が克哉のトランクスを今にも魔法でショーツに変化させようとしたとき、克哉が最後の抵抗を試みた。
「そんなことさせないからね。もしも僕が、その……、ショ、ショーツなんかをはいてることが誰かにばれたら、みんなから変態扱いされていじめられちゃうじゃないか。もしも僕にショーツをはかせようなんてしたら、いくら奈里佳だって許さないからねッ!」
克哉は一気にそう言うと、奈里佳の反応を待った。
(あっ、そう。そういうことを言うわけね。ふ~ん、そう……)
奈里佳の口調は急速に氷点下にまで低下した。
「なっ、なんだよぉ~……」
さっきまでの勢いはどこへやら、アッという間に克哉の強気はしぼんでしまった。まるで蛇ににらまれたカエルである。どうやら克哉は、気持ちの上で完全に奈里佳に負けているらしい。
(あくまでもショーツをはかないって言うのなら、私にも考えがあるわよ~)
奈里佳は、まるで地獄の底から響いてくるような声(?)で、克哉を脅した。
「ふっ、ふんッ! 何をされても、はかないものは、はかないからね」
克哉最後の抵抗……。しかしその声は震えていた。
(克哉ちゃん♪ ショーツをはいてくれなきゃ……)
地獄の底の悪魔の声から、一転して天使の声に切り替えた奈里佳は、ゆっくりと話し出した。可愛らしい声(?)だけに、よけいに迫力が感じられるのは気のせいだろうか?
「はいてくれなきゃ……、何だっていうんだよ……」
完全に怯えた声を出す克哉。情けなさ200%である。
(はかないのなら……、魔法で今すぐ生理にしちゃうわよッ!!)
とうとう奈里佳は、最後の切り札を口にした。克哉の頭の中にフルボリュームの声(?)が克哉の頭の中でエコーを伴って響いている。
「えッ!? 生理って、あの生理? 女の子の……」
さすがに中学2年生ともなると、女の子の生理とはなんたるものかということについては完全に理解している。克哉は顔を真っ赤にしながらそう言ったのだが、その後急速に顔は青ざめていったのだった。
(そうよ。その生理よ。知ってるでしょうけど生理になったら女の子は色々と処置をしないといけないから、トランクスのままではいられないわよ。生理用のショーツなんてものもあるんですからね。それをはきながらさらにナプ○ンや、タン○ンを使わなくちゃいけないのよ~)
壁際に追いつめられた克哉を、言葉でいたぶる奈里佳だった。
「ナ○キンにタ○ポンって、なんで僕がそんなものをッ!?」
衝撃のあまり、大声を出してしまった克哉は、そこまで言うと両手で口を押さえるのだった。
(さあ、おとなしく普通のショーツをはくか、それとも生理になって生理用ショーツを仕方なくはくか? どっちか選びなさいッ! 10秒だけ待ってあげるわ)
問答無用、聞く耳持たぬの態度もあらわに奈里佳はそう言いきると、カウントダウンをし始めた。しかもどっちに転んでもショーツをはかされるのだから、凶悪な質問である。
(い~ち、に~い、さ~ん、し~い、ご~お……)
奈里佳は数を静かにゆっくりと数えているのだが、その声は克哉の神経を逆なでし、精神を奈落の底に突き落とすだけの力を秘めていた。
「待って、待ってよ奈里佳ッ!」
克哉は往生際も見苦しく、最後の最後の抵抗を試みたが、奈里佳はやっぱり聞く耳を持たなかった。
(ろ~く、し~ち、は~ち……)
容赦なくカウントダウンは進む。
「分かった、はくよ。ショーツはきます。だから生理にしないでッ!!」
勝負(?)に負けた克哉は、ガックリと首をうなだれた。哀れ、克哉。
(素直に言うことを聞いてくれてうれしいわ♪ それじゃあ魔法で、え~いッ♪)
それまでのいきさつを完全に無視して奈里佳が嬉しそうにそう言ったかと思う間もなく、克哉の下半身を包んでいたオレンジ色のトランクスが、微光を発しながら変形し、オレンジと白のストライプ模様の可愛らしいショーツへと変化した。
(どう? はき心地はトランクスとはくらべものにならないでしょ?)
自信満々の口調の奈里佳。
「……確かに、ピッタリとフィットして、はき心地は良いんだけど……。こんなのを誰かに見られたら……」
克哉ちゃん、もう完全に声が涙声である。しかしそれが可愛らしいのだから、世の中うまく出来ている?
(あ~、もうッ! 何をうじうじしてるのよッ! 見られたら見られたで良いじゃないッ! それよりも、もうお腹ペコペコ。早く朝ご飯にしてよね)
既にこの件は終わったと言わんばかりの奈里佳の態度である。いや、実際、奈里佳にしてみたら終わっているのかもしれない。しかし克哉にしてみたら、アソコが女の子のままでこれから先の数日間を過ごさなくてはいけないのかと思うと、全ての災厄がまさに今始まったという感覚である。
「うう、こんなんばっかりーーーっ」
克哉は、おきまりのセリフを言うとパジャマのズボンを上に上げ、トイレを出たのだった。……しかしトイレの中のシーンだけでここまで引っ張りますか。この作者は。
「あら、克哉ったら、まだトイレに入ってたの? 早く着替えてきなさい。ホントにもう時間がないわよ」
トイレを出てから自分の部屋に戻るまでに台所の前を通るのだが、そこで母親の弓子に注意をされたのだった。見るとテーブルの上には既に朝食が用意されている。
「う、うん。わかった。急いで着替えてくるから……」
股間のふくらみが消えてしまったことを母親に気づかれるのではないかと、そんな心配をしつつ、克哉はそそくさと自分の部屋に消えた。ちなみに恥ずかしさで、顔が真っ赤になっていたのは言うまでもない。
自分の部屋に戻った克哉は、まだ布団の上で眠りこけているクルルを叩き起こした。
「クルルッ! 起きてよッ! 起きろ~ッ!」
そのままクルルの肩をガタガタと揺らして、なんとか目を覚ましてもらうのに成功する。
「うにゃぁ~。……ああ、おはようございます。どうしたんですか? 克哉君」
まだ半分寝ぼけて、返事をするクルル。
(うぷぷぷっ……。クルルちゃん。実はもう克哉クンじゃ無くて、克哉ちゃんになっちゃってるのよね)
クルルの返事に対して克哉の頭の中の奈里佳が、テレパシー(?)で答えた。
「そうなんだよ。奈里佳が、僕のアソコを女の子のアソコにしちゃったんだッ! なんとか元に戻してよッ!」
その後、克哉は、ついさっきトイレの中で起きた“大事件”について一生懸命に説明した。時々、奈里佳が茶々を入れるので、何度も話の腰を折られたが、なんとか今の状況に至ったいきさつを伝えることが出来たのだった。
「なるほど。事情は分かりました。奈里佳ちゃん、これはちょっとまずいですねえ」
猫のぬいぐるみのような外見であるが、クルルは出来る限りの渋面を作ると克哉の顔、つまりは克哉の内面にいる奈里佳を見ながら苦言を呈した。
(何がまずいって言うのよ。身体全体を女の子にしたら、すぐにばれちゃうかもしれないけど、アソコだけなら裸にでもならない限りばれないんだから大丈夫♪ 心配無い無い♪)
奈里佳はお気楽に答えるのだったが、クルルの考えは別なところにあった。
「いや、別に克哉君のアソコが女の子になっていようが、それがまわりにばれようが、別にどうでも良いんですよ。問題は別な点にあります」
深刻そうにそこまで言うと、クルルは考え込むように腕を組んだ。
「そんな、どうでもいいだなんて……」
頼みの綱のクルルにも見捨てられて、克哉の精神は崩壊しそうだった。しかし、クルルはそんな克哉に構わず、言葉を続けた。
「克哉君のアソコを女の子にしちゃったということは、その部分変身のために魔力を常時使っているということです。何も魔法を使わなければ、克哉君はだいたい5日ぐらいで、魔力の完全充填が出来るのですが、この変身をしたおかげで、魔力の充填に時間がかかるわけですよ。これはちょっとまずいですよね」
克哉はクルルのその言葉を聞いて、希望がよみがえるのを感じた。もしかすると元に戻してくれるように、クルルが奈里佳を説得してくれるかもしれない。そう思ったのだ。
「携帯電話の電源を切って充電するのと、電源をつけたまま充電するのじゃ、充電時間に差がでてくるってことと同じなのかな?」
克哉は、自分の理解が正しいかどうかをクルルに確認した。
「まあ、ちょっと違うような気もしますが、大雑把に言えば、そういうことですね」
クルルは克哉の理解が正しいことを認めた。
(ちょっと待ちなさいよッ! それじゃあ何? 早く魔力を充填したいから魔法を使うなってことなのッ!?)
さっきまでの克哉と立場を変えて、今度は奈里佳が抗議の声をあげた。
「簡単に言えばそういうことです。分かったら、克哉君にかけた魔法を解除してくださいますか?」
丁寧にお願いするクルル。
「ねえ、奈里佳。クルルもこう言っていることだしさ、魔法を解いてアソコを元に戻してよ」
話の流れが自分に有利になってきたことを感じた克哉は、余裕の雰囲気でそう言った。
(嫌よッ! 確かに魔法を常時使っているから魔力の充填には時間がかかるかもしれないけれど、こうして魔法を使い続けていれば魔力を充填できる容量も大きくなるんだから、その点も考慮して欲しいわね)
ああ言えばこう言う奈里佳であった。
「なるほど、そう言われればそうですね……」
クルルもまたさっきまでの意見はどこへやら、ポンッと手を打ち鳴らせて納得する。
(でしょ? 例のフューチャー美夏っていう敵もいることだし、魔力容量を大きくしておかないと、まともに戦えなくなっちゃうわよ)
ここぞとばかり奈里佳は主張した。
(というわけで、克哉ちゃんのアソコは、女の子のままが良いと思う人は手をあげて♪)
奈里佳がそう言った途端、克哉の両手が、克哉の意思とは別に、急に上に持ち上がり、ピンと手があげられたのだった。
「手が……、手が、勝手に上がるッ! ああっ、もしかして奈里佳だな!? こら、何してるんだよ。ずるいぞッ!!」
自分が手をあげてない以上、克哉の手をあげているのは奈里佳しかいないと正しく洞察した克哉だったが、だからといってどうにもならないのであった。
結局、上がった手は、クルルの右手に、克哉の両手の計3本であった。
(全員一致っとッ! それじゃあみんなが賛成してくれたということで、克哉ちゃんのアソコはしばらく女の子のままということで決まりね♪)
奈里佳は、この場を強引に納めようとしている。そう感じた克哉は、最後の気力を振り絞り、抗議の声をあげた。
「今のは無効だッ! 僕の手は奈里佳に操られていたんだッ!」
往生際が悪い克哉だった。
「あのう、克哉君。たとえ克哉君の片手が上がらなくても、僕と奈里佳ちゃんの手は上がっていたわけですから、どっちにしろ2対1で、克哉君のアソコは女の子のままなんですけど……」
申し訳なさそうにクルルが指摘する。
「ガーン。そう言えばそうだ……」
ショックを隠せない克哉。しかし、これで納得するあたり克哉も素直というか何というか。
(もう、さっきからごちゃごちゃとうるさいわねえ。あんまりうるさいと、もう二度と元に戻してあげないわよッ!! いい? 分かった!?)
その言葉を聞いて、克哉は、自分がとんでもない罠の中心部に入り込んでしまったことを自覚した。
(さてと。じゃあ話もすんだし、そろそろ着替えてご飯にしましょッ! あっそうそう、克哉ちゃん。学生服をセーラー服に変えてあげようか? アソコが女の子なんだから、スカートのほうが、トイレの時なんかは何かと便利よ)
あっけらかんと奈里佳はそう言ったのだが、それを聞いた克哉はとうとう切れてしまった。
「あああ、こんなんばっかりーーーっ、もういやッ! こんな生活!」
こうして克哉の苦悩は果てしなく続くのだった。がんばれ、克哉。がんばれ、奈里佳。世界の運命は君たちの手にかかっているのだッ! 全然そうは見えないけど……。
第4章 着替え
「あれ? いつの間にもうこんな時間に!?」
自分のアソコだけが男の子のソレから女の子のアレに変えられてしまったことを深く大きく嘆いていたのだが、いつまでもそうしてばかりもいられない。ふと見た時計の針が指し示す数字に、克哉は驚きの声を上げてしまった。
(まだ遅刻をするような時間じゃないじゃない。何を慌てているのよ。それよりも本当に学生服をセーラー服に変えなくてもいいの?)
捕獲した獲物をもてあそぶ猫にも似た雰囲気を漂わせつつ、奈里佳はのんびりと口をはさむ。
「遅刻ぎりぎりに行くつもりはないから奈里佳は黙っててよ。お願いだから」
勇気を振り絞ったのか、それともやけになったのか? 克哉はちょっと震える声でそう言いながらパジャマを脱ぎだした。上着のボタンを外すとまずは左手、そして右手とパジャマから腕を抜くと、パジャマの上着をきれいにたたみだした。
(あらぁ~!? 克哉ちゃんてば律儀ねッ!! そんじょそこらの女の子よりも女の子らしいわよ)
克哉の頭の中では、奈里佳が『ヒュー、ヒュー』と、はやしたてる。
「そうなんですよね。僕も克哉君が男の子だというのは、常々惜しいと思っていたんですよ」
クルルも、勝手なことを言いだしたが、克哉はそれを無視して黙々と着替えのプロセスを進行させたのだった。つまり……、パジャマの下も脱いだのである。まずは右足、そして左足と、すね毛などまだ1本も生えてないすべすべの肌もまぶしい2本の脚をあらわにしたのだった。
「あれ、克哉君、その下着はいったいどうしたんですか?」
クルルは克哉がはいているオレンジと白のストライプ模様のショーツを指さした。
(ああ、これは私が魔法で変えといたのよ。ほら、やっぱりアソコだけとはいえ女の子が男もののトランクスをはいてちゃまずいでしょ? 克哉ちゃんも快く『ショーツをはきます』って承諾してくれたし♪)
いたずらを自慢する子供のような口調で奈里佳が答える。今の奈里佳は克哉の頭の中にいる精神だけの存在のはずなのだが、鼻を高くして胸を反らせ、自慢のバストをこれでもかと強調しているポーズが目に見えるようだ。
「……無理やり言わせたくせに」
聞き取れないぐらい小さな声で、ぼそりとつぶやく克哉。しかし克哉と精神同居状態の奈里佳に対しては、いくら小さな声でつぶやこうと丸聞こえなのであった。
(う~ん、やっぱりアソコだけが女の子だなんてバランスが悪いわね。いっそのこと胸のほうも魔法で膨らませちゃうというのはどうかしら? ねえ、克哉ちゃんもそう思うでしょ?)
もしも舌なめずりする猫が喋ったとしたらこんな感じだろうという、どこか背中がうすら寒くなるような口調で、しかしあくまでも表面的には優しく克哉を脅迫する奈里佳。
「ごめんなさい。自分からショーツをはくって言いました。だから胸は膨らませないで……」
アソコが女の子のアレに変化させられただけでも大変なのに、胸まで女の子にされてはたまらないと、克哉は目には見えない尻尾をくるりと股の間に入れ、同じく目には見えない犬耳を折り曲げて、奈里佳に敗北の白旗を上げるのだった。
(分かればよろしい。じゃあ魔法で胸を膨らませるのは無しにしてあげる。だって無理に魔法で胸を膨らさなくてもそのうちに……♪)
克哉が素直に折れたのに満足したのか、奈里佳もやけにあっさりと引き下がった。しかし何かそれでもどこか楽しそうな口調が妙に怪しいと言えば怪しい。もっとも克哉は、あえてそれを無視することにした。奈里佳の言う事をいちいち気にしていてはやっていけないことに、克哉も遅まきながら気がついたらしい。
「……ねえ、奈里佳。ショーツははくけど、その上にトランクスを重ね着するのは良いでしょ? それぐらいは認めてよ。だって今日は体育の時間があるんだもん。このままじゃ絶対にまずいよ」
今日の時間割を思い出した克哉は壁に貼ってある時間割表を指差しながら、現実的な妥協点としての提案を奈里佳に申し出た。
(どうしてまずいのよ? 世の中、女の子用のショーツを喜んではいている男の子だっていっぱい居るわよ。大丈夫、ノープロブレムよ♪)
すっとぼける奈里佳。分かって言ってるだけに説得は難しそうだ。
「僕は変態じゃないッ!」
顔を真っ赤にして思わず声を荒げる克哉。どうやらそろそろ持ち前の忍耐力も枯渇してきたらしい。
「奈里佳ちゃん、それぐらいは認めてあげたらどうです? ほら、ディルムンのタイムパトロールだと思われるフューチャー美夏っていう敵も現れたことだし、どんなことであれ、あまり目立つようなことはしないほうが良いと思うんですよね」
クルルは『そろそろ助け舟でも出すか』とでも思ったのか、奈里佳と克哉の言い争い(?)に口をはさむ。しかし猫のぬいぐるみのようなその身体で言われても、あまり説得力は感じられない。
(駄~目♪ それじゃあ意味ないでしょ? 女の子のパンツはね……、見せてなんぼなのよッ!!)
ザッパーーンと、大きな波しぶきをあげる冬の日本海を精神的な背景として、またしても勝手な理屈を主張しだす奈里佳。すぐには言う事を聞いてはもらえないだろうと思っていたクルルも、奈里佳のあまりな理屈に短い腕、というか前足で頭を抱えたくなってきた。
「僕、女の子じゃないもん……」
クルルが頭を抱えて黙っていると、もはや奈里佳に理屈は通じないと覚悟した克哉が、すねてつぶやく。
(ほぉ~お、克哉ちゃんは女の子じゃないってか? ふふん♪ まあ確かにさっきまではそうだったわよね。でも、ほら、ここはもうちゃんと女の子になってるのよ。触って確かめてみたらどうなの?)
奈里佳がそう言うと同時に克哉の右手が勝手に動き出し、するすると股間へと伸びて行くのだった。克哉ちゃんの貞操……、危うしかもッ!?
「そんなことは分かってるよ! ……さっきトイレで触ったもん」
恥ずかしさからか、最後はごにょごにょと尻すぼみになる克哉。耳まで赤くしちゃってるのが可愛い。
それはそうと、ここまで来たら行くとこまで行かないと奈里佳はおとなしくならないだろうと悟ったクルルは、ベットの上で丸くなってしまった。そして恥ずかしがっている克哉の顔を見て、密やかに目の保養をすることにしたのだった。克哉は、そんじょそこらの女の子よりもよっぽど可愛かったりするのだ。
(触ったって言っても、トイレットペーパーで拭いただけじゃない。触るって言うのはね、こうするのよ♪)
奈里佳のコントロールにより、克哉の意思とは無関係に動いていく右手が、とうとうショーツ越しに股間の縦に入った切れ目の上に置かれてしまった。右手のコントロールは奈里佳に奪われているものの、その触感だけは完全なまま残されているので、妙にやわらかいその感触が克哉の脳髄を刺激する。
「ひゃうあッ!」
可愛らしくも驚きに満ちた声が部屋の中に小さく響く……。その驚きは触られた感触によるものだったのか? それとも触った感触によるものだったのか? それは声を上げた克哉にもよく分からないのだった。
(いい声で鳴く小鳥だこと。ご褒美に撫で撫でしてあげなくちゃね♪)
そのまま、奈里佳が動かす克哉の右手の中指が、妖しげな動きを始めだす。まずは縦筋の奥に置かれた指先が、微妙な接触を伴ったまま徐々に前方向に移動したかと思うと、身体の中で一番敏感な部分の上で静止する。そしてゆっくりと、しかし確実に圧迫を加える。
2~3秒ほどの間、その部分に単純な圧迫を加え続けた指先はふっと力を抜き、薄い布越しの接触を一旦絶ったのだった。しかしこれで終わりかと思う短くも長い時のあと、再び接触してきたその指先は、ごくわずかな動きながらも緩やかな振動を伴っていた。
指先という物理的なポイントが動き回る範囲は、わずか数ミリのことに過ぎないのだが、ここまでの一連の動きが何度も繰り返されるに及ぶと、触れられている部分が脳に発する信号の強さと量は、そのような経験がまったくあるはずもなかった克哉にとってしてみたら、異常なまでに強すぎた。
「あんッ!」
とうとう耐え切れずに、自分の意思によって出そうとしたわけではない声が、克哉の喉の奥から漏れてしまった。自分のどこからこんな声が出てくるんだろうと不思議に思えてくるほど、その声は妙に色っぽかった。
(そんなに喜んでもらえるんだったら、もっとサービスしなくちゃね♪)
克哉のその声を聞いて調子に乗った奈里佳は、更に高度なテクニックを駆使し始めた。それはもうここでは描写が出来ないくらいに……。既に上の口からのあえぎ声だけではなく、下の口からも『くちゅくちゅ』といったなんだか良い子には分からない声(?)も漏れてくる。
克哉ちゃん、初めてにしては感度良すぎです。
「だめだよ、奈里佳ッ! それ以上やったら、声が、声が出ちゃう~。ん~、んん~ッ!!」
押さえようとしても身体の奥から沸きあがってくる初めての感覚の大波にシンクロして、色っぽいとしか言いようのない声が漏れ始める。それまではなんとか自由になる左手で奈里佳が動かす右手を引き離そうと無駄な抵抗をしていた克哉だったが、とうとう自分の口を……、もちろん上の口をだが、とにかく口を押さえる為にその左手を使わざるを得なくなってしまった。
(あら、ようやく抵抗をやめてくれたのね。うれしいわ♪)
無理やりにでも、すべての物事を自分の都合の良いように解釈しようとする奈里佳。ある意味とっても立派である。
「んん~ッ! ん、ん、ん、んんーーーッ!」
色々と言いたいことはあるだろうが、今の克哉には声にならない声で唸ることしかできなかった。そうしている間にも奈里佳の攻めは続く。
(どう? こんなにも感じちゃうのに、まだ自分は女の子じゃないって言い張るつもりなの?)
はたから見ていると、単に克哉が1人で自分のアソコを触ってもだえているだけなのだが、精神的には大いに楽しんで攻める奈里佳と、激しく抵抗しながらも守る克哉であった。……あ、この場合は守るではなくて、【受ける】と、表現しなくてはいけなかったか。
「んぁ、ああああーーーッ!」
とうとう耐え切れず、左手で口を押さえたくらいではせき止められない声の本流が克哉の口から溢れ出してしまった。今まで力いっぱい抵抗してきただけに、いざ声を出すことへの抵抗がなくなると、それはもうびっくりするような声が出てしまったのだった。
(いや~、克哉ちゃん。そんなにも喜んでくれると、私も触り甲斐があったというものよ。うん、私ってばテクニシャン♪)
克哉が果てたことで、ようやく攻めの手を休める奈里佳。その口調には達成感が満ちている。世界を結晶化とそれによる崩壊の危機から救うという使命を考えたら、そんなことに達成感を感じていても良いものかとクルルは思ったりするのだが、そんなことを言うと奈里佳がどんな反撃をクルルに対してもするのか分からない。というわけで賢明にも何も言わずに黙っている日和見主義のクルルであった。
「喜んでなんかないもん……」
うっすらと涙を浮かべ、顔を紅潮させて抗議する克哉。その手の属性がある人なら一撃で虜にされてしまうほどの破壊力を持っている。もっともそんな評価をもらっても本人はちっとも嬉しいとは思わないだろうことは間違いない。
「克哉ーーーッ! さっきから何を騒いでるの~? 早く着替えてご飯を食べないと遅刻するわよーーーッ!」
部屋の外から、母、弓子の声が聞こえる。どうやら全てが聞こえたわけではないにしろ、ある程度の部分までは克哉の例の声を聞かれてしまったらしい。それに気づいた克哉は、ますます顔を赤らめるのだった。
「はーーい、いま着替えてるところだから、もうちょっとだけ待ってーーッ!」
とりあえず何を騒いでいるのかということには答えずにあやふやにしたまま、母親に対して返事をする。そして克哉は部屋の中に置いてある小さなタンスから新しいトランクスを取り出すと、両手でそれをつまんで上に上げ、自分の顔の前に持ってきた。
「奈里佳ッ! ショーツの上からこのトランクスをはくからね。もう決めたからッ!!」
恥ずかしいことをされまくって切れちゃったのか、克哉ちゃん、いつになく強気です。
(ま、しょうがないわね。でも条件がひとつあるわ。どうせはくなら可愛い柄のトランクスにしてちょうだい。それならば反対はしないわ。それぐらいは良いでしょ?)
条件付きながらも、あっさりと克哉の言い分を認める奈里佳。さっきまでのあれはいったい何だったんだろう?
「いくら反対しても無駄だからね。だってもう決めたんだもん。だから、いくら可愛いトランクスならはいても良いって言っても、僕は絶対に……。え!? トランクスをはいても良いの?」
奈里佳には何を言っても絶対に反対されるだろうと身構えていた克哉は、あまりにもあっさりと奈里佳それまでの意見を変えたのが信じられなかった。あまりにも意表を突かれたので、直前の高ぶった口調が急にトーンダウンする。
(もちろん良いわよ。克哉ちゃんが本気でそうしたいなら、私にはそれを止めることは出来ないわ)
異常なまでの、もの分かりの良さを見せる奈里佳。心なしかどことなく寂しそうな口調にも聞こえる。
「どうしたの? なんだか奈里佳らしくないんだけど?」
奈里佳に対しては、タカビーでワガママで、他人の話なんか聞いちゃいないというイメージしか持っていなかった克哉は素直に驚いた。既にもう口調が奈里佳を心配する口調になっているのだが……、この素直さが可愛い♪
「克哉君、今、克哉君の頭の中に存在して喋っている奈里佳ちゃんは、克哉君と別人格というわけではなくて、完全な同一人格なんですよ」
それまで布団の上で丸くなって日和見を決め込んでいたクルルが、ようやく話が一段落したのを確認してむくりと二本足で立ち上がると、克哉と奈里佳が行う1人芝居のような会話に参加してきた。
「奈里佳も自分のことを、『僕の心がそうなっていたかもしれない可能性のひとつ』だって言っていたけど、何かそれが関係あるの?」
話の方向性が見えない克哉は、きょとんとしている。しかし話は逸れるが、オレンジと白のストライプのショーツをはいた女の子(?)が、男物のシャツを着てトランクスを握りしめている姿というのは、ちょっと異常な装いであるという自覚が本人に無いだけに、なかなかに趣があるものと思えなくもない。
「克哉君と奈里佳ちゃんは、表面的にはまったく別個の2つの人格に見えるけど、本当のところは完全に同一な存在なんです。立体的なものを角度を変えた方向から平面的に見ると色々と違った形に見えるけど、実際には単に立体という存在が別の面を見せているだけですよね。それと同じで、克哉君の別な側面が奈里佳ちゃんという可能性なんです」
短い前足を背中の後ろにまわし、布団の上をうろうろと立って歩きながら、クルルは克哉に説明した。
(そうなのよね。私と克哉ちゃんは同一の存在なんだけど、今の私は克哉ちゃんがそうなっていたかもしれない心の可能性として存在しているわけで……)
クルルの説明を受けて、珍しく言葉を濁す奈里佳。なぜか克哉には、奈里佳がその言葉の先を言いたくないというように考えているのだなと感じられた。
「つまり、どういうこと?」
すかさず、クルルと奈里佳の2人に同時に問いかける克哉。でも、もう少し自分の頭で考える習慣を身に付けたほうが良いと思う。
「つまりですね、克哉君は現実に今ここに存在していますが、奈里佳ちゃんは可能性として存在しているわけですよ。だからもしも2人の意見が対立した場合には、最終的な主導権はあくまでも克哉君が持っているということなんです」
後ろにまわしていた前足を元に戻し、クルルは、右前足でビシッと克哉の顔を指す。しかし、克哉はその言葉を理解することができず、ただ唸っている。
「ほら、さっき、克哉君が『ショーツの上からトランクスをはく』ということを決めて、奈里佳ちゃんに向かって宣言しましたよね。それも本気かつ真剣な気持ちで」
克哉はクルルの言葉を聞いて、思い当たることがあった。確かにあの時は今までの人生の中で一番本気かつ真剣だたかもしれない。それにしてもトランクスをはくということを宣言することが、今までの人生で一番本気かつ真剣だっただなんて、克哉の人生っていったい……。
「最終的な主導権はあくまでも僕が持っているといっても、さっきは奈里佳に嫌だって言ったのに無理やり僕のアソコが女の子にされちゃったし、トランクスをショーツに変えられちゃったりもしたんだけど、これはどういうことなの?」
う~んと唸ってからちょっと考えると克哉はクルルに質問したが、それに答えたのは克哉の頭の中から響く奈里佳の声だった。
(そうよ。最終的な主導権は、残念ながら克哉ちゃんが持っているわよ。だからトランクスをショーツに変えるときには、ちゃんと承諾を取ったでしょ?)
克哉は、頭の中で奈里佳のイメージが腕を組み、目をつむってうんうんと何度もうなずいているのが目に見えるような気がした。
「承諾したって……ッ! あれはショーツをはかないと生理にするって脅かすから仕方なくショーツをはくって言っただけだよ。無理やり奈里佳が言わせたんじゃないかッ!!」
顔を軽く紅潮させて怒る克哉。白い肌がほんのりと赤くなってとても可愛い。
「でも、克哉君。奈里佳ちゃんに無理やり言わせられたにしろなんにしろ、とにかくショーツをはくって承諾したんですよね? だったら、やっぱり最終的には克哉君が主導権を取ったという形になるんですよ。無理やり脅かされても、克哉君にはあくまでも断固としてそれを断る選択肢を選ぶことが出来たわけですからね」
なんだか分ったような分らないような理屈だったが、取りあえずまあ納得出来ないこともない。確かに形だけにしろ、ショーツをはくということを承諾したのは間違いがないからだ。しかし、克哉にはどうしても納得出来ないことが残っている。
「じゃあさ、僕のアソコを女の子のアレに変えちゃったのはどういうことなの? 僕はそれについては何の承諾もしてないはずだけど……」
不満もあらわにすねる克哉。そういえば確かに克哉は『僕のアソコを女の子のアレに変えても良いよ』……なんてことは一言も言っていない。克哉はクルルや奈里佳の説明に大いなる疑問点を抱いたのだった。
(その疑問には、私から答えてあげるわ。克哉ちゃん、あなたは本気かつ真剣に自分のアソコが女の子のアレにならないで欲しいと思ってはいなかったということね。もっと単純に言えば、克哉ちゃんは心のどこかでは女の子になりたいと思っているっていう事なのよ。お分かり?)
ドーーンッという効果音を伴いながら、断言をする奈里佳。克哉はとっさに今、何を言われたのかが理解出来ず、目を見開くばかりだった。
「ま、克哉君には、女の子になりたいという潜在的な女性化願望があったと、そういうことですね」
奈里佳の説明にふむふむと軽くうなずくと、クルルもまた、そう断言するのだった。
「そんなこと、あるわけないよッ! 僕は女の子なんかになりたくはないんだからね……」
反論しつつも、なぜか声が段々と小さくなっていく。
(隠してもだめよ。克哉ちゃんが考えたことは、私には丸わかりなんだから。そもそも克哉ちゃんは、自分のアソコが女の子のアレに部分変身させられたとき、単純に嫌悪感だけを感じたわけじゃないでしょ? 女の子のアレの感じってどんなのかな~とか、触ったときの感触にドキドキしちゃったりとか、逆に触られたときの気持ちよさに口では嫌だ嫌だと言いながらも、心の底では『もっと~』とか思ったりしたんじゃないの? どう、図星でしょ♪)
奈里佳の指摘に反論したい気持ちはあったものの、すべて思い当たることばかりなので何も言い返せない。というわけで克哉は、とりあえず手にしたトランクスをのろのろとショーツの上からはくのだった。現実逃避、かもしれない。
「僕、女の子になりたいだなんて思ってないもん……。男の子が女の子に興味を持つなんて当たり前だもん……」
克哉は、くいっとトランクスを引き上げて、いつもよりもトランクスをきつくはいた。
(ふ~ん♪ 『余分なものがついていないだけ、トランクスのはき方にも違いが出てくるのかな?』って、思ってるわけね。克哉ちゃんにとって、アレは余分なものだったんだ♪ なるほど、なるほど)
精神同居状態の奈里佳にとり、克哉の考えを読むことなんて、魔法以前の問題でしかないのは、言うまでもない。
「勝手に他人の心の中を読まないでよッ!」
恥ずかしさと怒りが入り混じったちょっとだけ複雑な感情に顔を赤らめつつ、克哉は奈里佳に抗議した。しかし事情を知っているクルルならともかく、奈里佳の存在を知るはずもない一般人が独り言大爆発状態の今の克哉を見たら、誰もが克哉のことを哀れみの眼で見ること間違いなしの状況かもしれない。克哉ちゃん、危ない人、1歩手前です。
(他人じゃないも~ん。同一人物だも~ん♪)
奈里佳は克哉の抗議などまったく意に介さず、陽気で元気で能天気な返事を返してくる。まったくもってうらやましくなる程の気楽な性格だ。
「克哉君、そろそろ急がないと学校に遅れちゃう時間になってきているんじゃないですか?」
トランクスをはいたまま動きが止まっている克哉に、クルルが時計を指差しながら話しかけた。
「わッ! いつの間に!? 急がなくっちゃ……」
克哉は慌ててハンガーに架けてあるワイシャツに手を伸ばそうとした。
(ちょっと待って、そのままじゃ可愛くないでしょ。ちゃんとトランクスを可愛いのに変えなくちゃ。というわけで、こんな柄にしてみました~。にゃんにゃん ♪)
奈里佳の一言がきっかけとなり、トランクスの表面でチリチリと魔法が発動する感触が克哉にも感じられた。そしてそれまでゆったりとしていたトランクスがお尻にぴったりとくっつく程度に小さくなり、同時に表面にプリントされた何の変哲も特徴もない柄が可愛い系のイラストに変化する。
「……これは猫!?」
机の上に置いてあった鏡を手に取ると、それを自分のお尻のほうに持っていった克哉は、奈里佳によって変化させられたトランクスの柄を確かめる。トランクスの地の色は濃い紺色ままだが、お尻全体には、これでもかとディフォルメされた白い猫の顔が大きくプリントされている。
(猫? ちちち、駄目ねえ。これは猫じゃなくて、【にゃんこ】なの。見て分らないの?)
なんだか分からないこだわりを見せて、克哉の言葉をちょっと見下したような口調で訂正する奈里佳。
「猫もにゃんこも同じだと思うんだけど……」
トランクスの柄を変えられること自体に抵抗する気はもはや克哉には無いらしい。まあ、可愛い柄と言ってもこの程度のものをはいてくる男子なら、クラスメートの中にもいなくはないし、許容範囲と言えるのだろう。
(ブーーッ! そんなことじゃ女の子失格よ。克哉ちゃん。猫は猫。にゃんこはにゃんこでしょ。あたりまえじゃない)
それはそうかもしれないけど、何かちょっと違うんじゃないかと色々言いたいことはあったが、これ以上奈里佳と話していて時間が無くなるのもいやなので、克哉は奈里佳のことを無視して黙々と学生服を着ることに専念することにした。
「もうどうでもいいよ。とにかく早く着替えないと遅刻しちゃうから、奈里佳は黙っててよ」
そのまま、まずは手にしかけたワイシャツに腕を通すと、上から順番にボタンをはめていき、その後も黙々と一般的な学生服のデザインをしたズボンをはき、細いウェストに合わせてベルトを比較的きつめに締める。
しかしズボンをはき終わった克哉は、ふと気がついて自分の股間をまじまじと見つめるのだった。
「……大丈夫かな?」
学生服のズボンに包まれた自分の股間を、観察するように念入りに見ていた克哉は、ぼそっと
つぶやいた。
「何がです?」
半分あくび声で、語尾が上がるようなおかしな声で聞き返すクルル。片目に微量の涙を浮かべているのがやる気の無さを表していて、そのぬいぐるみのような外見にマッチしている。
「何がって……、ほら、ズボンの上から見て分かっちゃったりしないかな?」
克哉は自分の股間を指差しながら、クルルによく見えるように1歩近づいた。
(大丈夫よ。元から小さかったから、ほとんど前と変わらないし。誰も気がつかないんじゃない?
男の子に対して言ってはいけないセリフを使って口をはさむ奈里佳。
「まあ、奈里佳ちゃんが言うほど小さかったとは思いませんけど、その点に関しては大丈夫だと思いますよ」
ジロジロと克哉の股間を見ながら、クルルも微妙な論評をする。
「クルルも僕のアソコが元々小さかったって思ってるんだ……」
顔に数本の縦線を浮かべる克哉。もう少しでひざを抱えてあっちの世界に行っちゃいそうなまでの落ち込みようである。
(クルルちゃん、あんたも何気にキツイわね♪ でも、真実だからしょうがないかな?)
克哉の落ち込み具合とは対象的に、奈里佳は明るい。ホントに2人は同一人物なのか?
「そういう意味じゃありません。克哉君も奈里佳ちゃんも誤解しないでください。僕は、男の子の股間をジロジロと観察するような人は普通はいないってことを言いたかったんですッ!」
克哉と奈里佳の反応に、慌てて右手を顔の前で横に振って否定するクルル。
(分からないわよ~。克哉ちゃんってば、元から男の子にしておくのが惜しいぐらいに可愛かったし、今はアソコだけとはいえ女の子になっていて可愛さも3割アップ(当社比)だし、その手の高尚なご趣味を持たれた方なら、ジロジロと見るかもね♪ 克哉ちゃんのアソコを)
一応は仮にも自分自身のことなのに、とにかく楽しそうなばかりの奈里佳。声が笑ってます。
「まあ、見られても触られたりしなければ大丈夫かと思います。克哉君にはお互いにアソコを触りあって挨拶するような習慣のある友達や知り合いはいますか?」
問いかけてくるクルルの顔は真面目そのものだ。
「マンガじゃ無いんだから、そんなことするわけないってばッ! 何考えてるの、クルルはッ!?」
あきれつつも顔を赤くして、大声で反論する克哉。耳まで赤くなっているのはどういうわけだろう? もしかして過去にやったことがあるのか?
「克哉~ッ! さっきから何を騒いでるの? このままだとホントに遅刻しちゃうわよ。何を騒いでるのか知らないけど早くしなさいッ!!」
再度、部屋の外から弓子の声が聞こえる。その声にビクッと身体をこわばらせた克哉は、会話を打ち切ると学生服の上着を手に取り、慌てて袖に腕を通すのだった。
「ごめ~ん、今行く~」
克哉は部屋の外に向かって返事をしながら、今日の時間割と学生鞄の中身を確認する。
(またっく、難儀な性格ねえ~。昨日のうちにちゃんと用意はしているんでしょ。何でまた確認しなくちゃいけないのよ?)
鞄を持って部屋を出て台所に向かう克哉の頭の中で、奈里佳は嘆息しつつ苦笑いした。
「ほっといてよ。性格なんだからしょうがないでしょ」
はたから見たら独り言を言っているようにしか見えない状況で、克哉は奈里佳に対して文句を言うのだった。
「何が、『ほっといてよ』なの?」
台所へと向かう廊下の途中で、克哉は正面からやってきた弓子とはち合わせた。
「あ、お母さん……」
どう答えて良いのかとっさには何も思いつかずに、克哉は口篭ってしまう。こんなときは奈里佳に助けて欲しいと思うのだが、この状況を面白がっているのか、奈里佳は何も言わないどころか気配も感じさせない。まあ、役に立つということをしないのが奈里佳らしいと言えば奈里佳らしいのかもしれないが……。
「さっきから呼んでるのに、ちっとも部屋から出てこないからやって来たのに、『ほっといてよ』はないでしょ?」
ちょっと怒ってみせる弓子だったが、どちらかといえば半分ポーズのようなものだ。女兄弟ばかりで育った弓子にとり年頃の男の子というものはそれなりに扱いづらい存在なので、その怒り方もどこか少し遠慮したようなところがある。
「ごめんなさい。さっきのはちょっとした独り言だから」
克哉はそのまま弓子とすれ違い、台所へと歩き出した。
(まあ、私と克哉ちゃんの会話を独り言と言っても間違いは無いわよね。同一人物なんだから)
克哉の言葉を受けて奈里佳がコメントをする。音のない声の調子はあくまでも楽しそうだ。克哉としては奈里佳に対して突っ込みを入れたいところだが、声を出さずに喋る方法を克哉はまだ知らない。
「そうなの? 克哉って今まで独り言を言うようなことってあまりなかったような気がするんだけど?」
ちょっと首をかしげる弓子。年齢の割に可愛いしぐさなのだが、本人はそれを自覚していないようだ。
「え、そうかな? 最近多いんだよね、独り言。あはははは、ストレス溜まってるのかな?」
笑ってごまかしながら克哉は台所におかれたテーブルの席に着く。既に茶碗にはご飯がよそわれ、皿にはウィンナーとキャベツの炒めものが盛られ、みそ汁も湯気を上げていた。
「ストレスッ! 本当かしら? 克哉の顔を見ているとストレスなんて全然感じて無いように見えるわよ。顔色なんかピンク色でつやつやしてるし……」
克哉に遅れて台所に入ってきた弓子は、急須に入れたお茶を湯飲みに注いでテーブルの上に置くと、自分も克哉の正面の席に腰掛けた。
「きっと顔には出ないストレスなんだよ。というか、独り言に出ちゃうから顔には出ないんじゃないかな。……じゃ、いただきます」
苦しい言い訳をすると、この話はもう終わりとばかりに、さっさと朝ご飯を食べ出す克哉。
「はい、召し上がれ。……でも、本当に顔色が良いわね。ほっぺたもピンク色でぷにぷにで、まるで女の子みたい。やっぱりあの奈里佳っていう女の子やお嫁さんに変身したりした影響なのかしら?」
克哉の顔をじっと見ながら、弓子は全く他意の無い口調で克哉の顔色に関する感想を嬉しそうに漏らしたのだった。
「ごほっ、ごほっ!? お、女の子みたいって、そんなことないてばッ!! 変身したけどもう今は元に戻ってるんだから……」
危うく口の中のご飯が気管支の方に行きそうになり、克哉は思わずせき込んでしまった。
「何を慌ててるのよ。でも、なんだか今日の克哉は本当に女の子みたいな肌をしてるわね。やっぱりそれって変身の影響なのよ。きっとそうに違いないわ」
しげしげと、改めて克哉の顔を眺める弓子。
「そうかなあ、お母さんの気のせいだと思うんだけど。昨日はよく寝たからそれで肌の調子が良いんじゃないの?」
そうは言うものの、克哉は自分のアソコが女の子のアレに部分変身してしまったことが原因なのでは無いかと、疑いだしていた。
(克哉ちゃんの想像は正しいわね。克哉ちゃんのアソコだけを女の子に変身させてあると言ったけど、免疫とか色々と面倒だから実は遺伝子レベルでは全身の細胞を女性化させてあるのよね)
「ええ~~ッ! それ、本当なの!?」
突然親子の会話に乱入してきた奈里佳の告白に驚いて大声を上げてしまった克哉は、そのまま弓子の目の前であることも忘れて、大声を出しながら立ち上がってしまった。
「克哉、いったいどうしちゃったの?」
弓子は何が起こったのか訳が分からず、おろおろするばかりだ。いよいよ矢島家にも家庭内暴力(?)がやってきたのかと心配している。
(遺伝子レベルで女の子になってるとは言っても、アソコ以外の外見は男の子のままなんだから良いじゃない。肌がきめ細かくなったのまでは計算外だったけど、これくらいなら問題無い無い、大丈夫♪)
奈里佳の解説が続いたが、克哉はもうその言葉を聞いてはいなかった。
「あああ、こんなんばっかりーーーっ、誰かどうにかしてッ!」
克哉の叫びが台所に響く。
「やっぱり男の子って分からない。お母さん、どうしたら良いの!? 助けて、範彦さ~ん」
視線をさまよわせながらおろおろと動転して夫の名前を呼ぶ弓子。
(ま、平和ってことね♪)
それでものんきな奈里佳。
「無理矢理、まとめないでよ~」
こうして矢島家の朝は過ぎていったのだった。
第5章 もうひとりの朝
「おはよう。ユニ君。で、何か変わったニュースは見つかった?」
いつもの時間に自然と起きた夏美は、自分の脳神経組織と融合して存在している西暦91世紀に相当する未来世界ディルムンの自動機械、『ユニット 20479』に話しかけた。自宅の無線LAN環境に苦も無くアクセスしている『ユニット20479』、通称【ユニ君】は、夏美が寝ている間も休まず活動し、【魔法少女♪奈里佳】を名乗る時間犯罪者とおぼしき人物が引き起こした集団変身事件についての情報を収集していたのだ。
(城南中学を中心とした中津木町の住人が集団で【お嫁さん】に変身した事件についてのニュースは、一般放送にもネットにもそれこそ星の数ほど溢れているのだが、時間犯罪者奈里佳の正体や目的に繋がりそうな有効な情報は皆無だった)
機械的に、いや、ユニ君は文字通り機械そのものなのだが、とにかく機械的に返事をした。同時に夏美の視界の片隅に、夏美にしか見えないバーチャルな画像が浮かび上がる。
「これは?」
ベッドから身を起こしながら短く聞き返す夏美。
(公共のニュース及び個人が運営するネット掲示板やサイトの中に有力情報が存在しないのなら、自分で情報を探すしかないということだよ)
なぜかユニ君は機械であるはずなのに、どこかユーモアを感じさせる物言いをした。続けてユニ君は夏美の視界を妨げないように画面を半透過にすると、画面を見やすいように視界中央の領域の半分弱のスペースを占めるほどまでに拡大させた。
「なるほどね。地道だけど、何も有力情報が無い状況ではこの方法しか無いのかもしれないわね」
ユニ君が精神に同居しているとはいっても相手は機械。夏美は、躊躇なくパジャマを脱ぎ捨てベッドの上にほうり投げると、ショーツ1枚のみの格好になった。どうやら寝るときはノーブラ派らしい。
(幸いにもこの時代のこの地域には、至る所に監視用のカメラが存在する。なにもそれを利用しないという手はない。もちろんこの時代の法律には違反するが、私たちが追っているのはこの時代の法律どころか、自分が本来所属する未来世界の法律すら破っている時間犯罪者だ。遠慮する必要はない。私達こそ正義なのだから)
ユニ君は夏美の脳の言語を司る領域に信号を送り自らの意思を言葉として伝えつつ、脳の判断を司る前頭葉にも微弱な信号を送りこんだ。夏美の意思がある方向へと誘導されるように……。
「そうよね。私たちこそが正義なのよねッ! 正義の前には街中のあらゆる監視カメラに不正アクセスするぐらい許されるはずだわ。絶対にそうよッ!!」
夏美はクローゼットの引き出しから装飾の少ないおとなしめのブラジャーを取りだして身につけると、下着姿のままで高らかに己が正義であり、正義であるからには何をしても許されるのだと宣言するのだった。
「ところでこの計画書によると重点監視地点として城南中学校が上げられてるけど、奈里佳の正体はうちの中学の生徒か先生だって考えてるの?」
正義のナノテク少女のはずなのにひとしきり高笑いをしたあと、ようやく夏美は、自分の目の前にバーチャルに存在している画面に写し出された【計画書】の疑問点に対しての質問をしてきた。
「いや、そうは考えていない。奈里佳がこの時代に現れたと推測される時点からあとに、城南中学に新たに転校してきた生徒も、赴任してきた先生もいないからな。ただ犯罪捜査の基本ルールとして、『犯人は必ず一度は犯行現場に戻ってくる』というのは未来世界でも有効なんだよ。城南中学は、奈里佳による先の集団お嫁さん化事件の現場の中心地だから監視地点として重要であることはまちがいないだろ?」
夏美が既に【計画書】を一読したことを確認したユニ君は、大きく広げていた画面を夏美の視界の片隅へと縮小した。
「まあ、犯人が現場に戻ってくるということに対しては賛成するけど、奈里佳の正体がうちの学校の生徒や先生じゃないってことを完全に否定しないほうが良いんじゃないかしら。私はユニ君のことだから、てっきりその可能性を考えて城南中学を重点監視地点にしたのかと思っていたんだけど、どうやらユニ君ってば奈里佳の正体を限定して考えすぎているのね。ちょっと思考が硬直化しているんじゃないかしら?」
薄いウグイス色をしたキャミソールを手早く着ると、続けて夏美は、ハンガーにかけられている制服のスカートに手を伸ばした。
(どういうことだ、夏美。私の推測はどこか間違っているというのかね?)
意外という声色を機械が出せるとしたら、今のユニ君の声がまさにそれだった。機械と言うにはあまりにも人間的な反応かもしれない。
「奈里佳は魔法少女を名乗っているのよ。嘘か本当かは知らないけどね。でも名乗っているからには、魔法少女としてのあるべきパターンに当てはまっている可能性を無視しちゃいけないと思うのよ」
白く輝く左右の足をスカートにくぐらせると、多すぎず少なすぎずというのがふさわしい適度な量の脂肪に包まれたウェストの上でホックをとめる。
(魔法少女としてのあるべきパターン? それはフィクションの上での話であって、奈里佳の正体とは何の関係もないと判断すべきだと思うのだが?)
驚異的な能力を秘めたナノマシンの集合体であるユニ君であるが、まだ夏美が何を言いたいのかを理解できない。この点がいかに7000年後に作られた未来技術の産物とはいえ、しょせんは機械としての限界かもしれなかった。プログラムされていないこと、知識にないことに関しては分析が追いつかないのだ。
「魔法少女アニメというキーワードをネットで検索して、出てくる作品のあらすじとかを見てみたらすぐに分かるわよ。何だったらいくつかの作品の第1話でもダウンロードして鑑賞してみるのもいいかもね。ユニ君の能力なら、数分もあれば簡単にできちゃうでしょ?」
基本的にユニ君の能力に驚かされっぱなしな夏美にとって、ユニ君の知らないことがあり、自分がそれを教えることができるという立場に立つのは快感らしい。夏美は自分の考えを教えることなく制服を着終わると、部屋を出て洗面所に向かって行った。
(分かった。夏美の言う通りにしてみよう)
実は夏美の脳の記憶領域に自由にアクセスできるユニ君にとって、夏美の考えていることは寝ている時の夢の中のことまで完全に知ることができる。しかし単純に答えを知るよりも、自分独自の判断が夏美の判断と同じになるかどうかを知りたかったので、ユニ君は素直に夏美の言うことを聞くことにした。
「ま、中には例外もあるけど、何作品かを見てみれば共通点と思えるものが見えてくるはずよ。魔法少女アニメの中において、魔法少女がいかに魔法少女になったかということのパターンってものがね」
洗面所に着いた夏美はまずは歯磨きと洗顔を済ますと、鏡に向かって丁寧に髪をブラッシングし始めた。どんな場合でも立場でも、髪は女の命なのである。
そしてブラッシングも終わり髪の毛に天使のリングが現れた頃、ユニ君はため息ともつかない声で夏美に話しかけてきた。どうやら夏美に言われたことをすべて実行し終わったらしい。
(参ったな。夏美。もしかして夏美は、奈里佳は未来から来た時間犯罪者本人ではなくて、この時代に元からいた普通の人間かもしれない可能性を指摘しているということなんだね?)
一本取られたという口調を隠さないユニ君。それを感じて、夏美はしてやったりとばかりにニコリと微笑んだ。
「まさにその可能性を言いたいのよ。もちろん奈里佳本人が未来からやって来た時間犯罪者そのものだっていう可能性もあるわよ。でも、もしかすると奈里佳の正体はこの時代の普通の人間で、未来世界から送りこまれてきた何らかの存在により、本人が魔法と認識してしまうような力を授けられたのかもしれない。ユニ君によって私がナノテク少女としての力を授かったようにね」
最後の仕上げに、髪の毛をいつものように活動的なポニーテールにまとめると、夏美は鏡に向かって笑いかけた。どうやら笑顔の練習ということらしい。
(確かに奈里佳の正体が分からない現状では、あらゆる可能性を考えなくてはいけない。それにしても魔法少女か……。もしも奈里佳に力を与えた存在が私と同じように未来世界で作られた何かだと仮定すると、奈里佳がなぜ自分のことを魔法少女と名乗っているのかということも気になってくるな)
夏美に話しかけるでもなく、独り言をつぶやくように話すユニ君の言葉を聞きながら、夏美は台所へと向かった。そしてそこに用意してあったエプロンを制服の上から身につけると、冷蔵庫の扉を開けたのだった。
「あ~あ、やっぱり何にもない。お母さんも使ったらちゃんと補充しておいてくれなくちゃ。……それにこの食器ッ! いつでも出しっぱなしなんだもん。娘に家事を押しつけるのはなんとかして欲しいわね」
夏美の母親は出版業界に勤めているので時期によっては夜遅くに帰宅したり、場合によっては家に帰って来ないことも珍しくない。流しに無造作に積み上げられている使用済みの食器を見る限りでは、どうやら昨晩は夜遅くに帰ってきて真夜中に食事をとったらしい。夏美はとりあえずそこにある汚れた食器を洗い始めることにした。
「ユニ君、そう言えばその点についてなんだけど、奈里佳の正体が魔法少女アニメに出てくる魔法少女と同じパターンだとすると、正体は小学生くらいの女の子って線もあると思うんだけどどうかな?」
洗剤をつけたタワシで食器を洗う手を休めることなく、夏美はユニ君に自分の考えを話してみる。
(小学生の女の子か。確かに奈里佳は外見年齢の割には発育が良すぎるほど発育しているが、どことなくその言動は感情にストレートで子供っぽくて幼稚だから、その可能性も無くはないな)
同意を示すユニ君の言葉を聞きながら、夏美は微妙に顔をしかめた。
「そうなのよね。身体だけは発育良いのよね。まったくあの胸ッ! マジで脳味噌に行くべき栄養を全部吸い取っているとしか思えないわ。きゃッ! お皿、割っちゃった。そんなに力を入れたつもりは無いのに……」
食器を洗う手に自分でも予期しなかった力が入り、つい食器を割ってしまった夏美は、しばし呆然と自分の手と割れたお皿を見比べるのだった。
(力加減には気をつけた方がいいな。前にも話したが、今の夏美の脳神経は私を構成するナノマシン群と融合し、お互いに機能を補いあって強化されている。夏美の筋力そのものには変化は無いが、脳から発せられる信号の強さがアップしているので、力が出過ぎることもあるわけだ)
皿が割れた状況を冷静に解説するユニ君。
「それって、いわゆる火事場の馬鹿力ってやつ?」
改めて自分の手を見つめる夏美。
(まさにそれだな。精神状態が極限になった時、人間は普段では考えられないような力を発揮する。それが火事場の馬鹿力だ。しかし脳神経系を強化された夏美は精神が高ぶったり、または少し精神を集中させればいつでも火事場の馬鹿力が出せるはずだ。奈里佳との戦いには必要な能力だと思うのだが、夏美の意見はどうだね?)
ユニ君、いや、未来世界ディルムンのタイムパトロールに所属するナノマシンの集合体である自動機械『ユニット20479』は、不安を感じかけていた夏美の脳に信号を送りその感情を麻痺させつつ、何でもない口調で説明をするのだった。
「ん~、そうねえ。慣れないうちは力加減がうまくいかなくて困ることもあるかもしれないけど、戦いとなったら、力はあったほうが良いわよね。ええ、問題ないわ。奈里佳と戦う為なら、何でもする覚悟だったしね」
そう言うと既に何の不安も感じなくなっていた夏美は、手早く割れた皿を片付け始めた。
(それはそうと話を戻して、私としては、奈里佳が魔法少女を名乗っていることが不思議に思えるのだが、夏美はどう思う?)
夏美の様子をしばらく観察していたユニ君だったが、夏美が割れたお皿を片づけ終わったのを見計らって、質問をしてきた。
「不思議って、どこが?」
質問の意図がうまく飲み込めない夏美は、そのままユニ君に聞き返す。その間もてきぱきと動き、まずは鍋を火にかけて湯を沸かし出す。カツオだしを入れているところからして、どうやらみそ汁を作ろうとしているらしい。
(つまり21世紀を迎えたこの時代、人々は既に大昔の迷信から目覚めて科学的な思考をするようになっていたと私の中のデータベースにはそのような情報がインプットされている。その情報から判断してこの時代の科学的な思考をする人間が未来科学の産物によって超絶的な力を得たとして、精神異常者でもないのに自分のことを『魔法少女』なんて名乗るものだろうか? ……子供じゃあるまいし)
不思議でしょうがないという感じで夏美の質問に答えるユニ君。
「ユニ君ったら、時々、融通が利かないのね。まあ、機械だからしょうがないのかもしれないけど……。自分で答えを言っているってことにも気がついていないのかしら?」
冷蔵庫を物色して使いかけのキャベツとニンジンを手に取りながら、夏美はおかしそうに笑った。
(ん? やはり奈里佳は精神異常者という訳か。そうすると奈里佳に論理的な行動を期待するのは無理ということになるから、今後の対応が難しくなるな……)
考え込むユニ君。夏美は思わず吹き出してしまった。
「違う、違う。だからさっきから言っているように、私は奈里佳の正体は子供だと思ってるのよ。未来の超科学がなんたるかを魔法としか理解出来ない子供ということね。もしかすると近所の小学生の女の子かもしれないし、私たち城南中学の生徒かもしれないわ」
先ほど火にかけた鍋の湯が沸騰してきたのを見計らって乏しい食材ではあるが、適度な大きさに切ったキャベツとニンジンを鍋に入れながら夏美はユニ君の考えを訂正した。
(しかし夏美は、私のことをすぐに正しく認識したではないか。少なくとも夏美と同年代の者なら、未来からやってきた何かに力を与えられたとして、その力を魔法だと思ったり、自分のことを魔法少女だなんて自称したりはしないのではないかと私は判断するのだが?)
出来る限り不思議そうな声色を出すユニ君。
「どっちかと言えば、私のほうが標準から外れてるかもね。今時の女子小学生や女子中学生、それにたぶん女子高生も、占いやおまじないなんていう何の役にも立たないものに夢中になってるのよ。そんな娘達にしてみたら、ユニ君のような存在は魔法の国からやってきた妖精、その未来技術は魔法そのもの、そしてその力を授かった自分は魔法少女と。まあそう思っちゃうんじゃないかしら?」
やれやれと、ため息をつきながら夏美は説明をする。このあたり夏美は極端な現実主義者ということらしい。もっとも、大人ならば未来の技術を正しく理解するはずだと判断しているあたりは、逆の意味で夢見る少女なのかもしれないが……。
(ふ~む、なるほど。未来の科学技術を魔法としか認識出来ない子供が奈里佳の正体というわけか。夏美の言うことも一理あるかもしれないな。確かに子供には魔法を信じる心があるものだ。よし、それでは夏美のその意見にもとづき、監視対象を広げることにしよう)
ユニ君の言葉が終わらないうちに、またしても夏美の視界に重なるようにバーチャルな画面が浮き上がる。そこに映し出されているのは中津木町の広域地図であり、その地図上には4個の光点が、チカチカと点滅していた。
「ひとつは私たちの城南中学、その周りにある2つの光点は天翔小学校と千音小学校。そして地図のはずれにあるのは中津木警察署……、かしら?」
ひと目で何が映しだされているのかを理解した夏美は、子供が集まる小中学校が監視対象になるのは良いとして、なぜ警察署が関係してくるのかと疑問に思いながらも、鍋の中で味噌を溶かしだした。使っている味噌は大豆100%で作られた赤味噌である。
(奈里佳が、中津木町以外の住人であるという可能性も捨てきれなくはないが、過去2回も同じ地域に現れていることからして、中津木町と無関係ではないと考えるのが合理的だ。中津木町の子供が集まる施設と言えば小学校と中学校だから、監視対象としてこれは外せない。そして中津木警察署には、この3校に設置された監視カメラの映像がリアルタイムで送信されている。つまりここを押さえるのがもっとも効率的なのだよ)
そして画面の中の城南中学校と天翔小学校、そして千音小学校を表す3つの光点から点線が伸びて中津木警察署を表す光点へと伸びていった。
「効率的ねえ~、だったらどうして最初は重点監視地点を城南中学校に限定していたの? 初めから中津木警察署を押さえたほうが楽なんでしょ?」
味噌を溶かし終わった夏美は最後の仕上げに適度にきざんだ油揚げを鍋の中に落とす。もう少し具が欲しいところであるが、材料がないのではしょうがない。
(夏美は前提条件の変化を考慮していない。奈里佳の正体がこの時代の小中学生かもしれないという前提に立てば、3校を同時に監視する必要が有るから、監視カメラの映像データを集中管理している中津木警察を押さえなければならない。しかし未来世界からやってきた時間犯罪者本人が奈里佳の正体だという当初の前提ならば、昨日の事件が発生した城南中学校のみを監視していれば良いということになる)
そう言い張ったユニ君だったが、夏美にはユニ君がどことなく焦っているように感じられた。
「はいはい、そういうことにしておきましょうか。ユニ君のことだから、ちっとも気がつかなかったなんてことは無いもんね」
ホントは気がつかなかったんでしょ? と、言わんばかりの夏美の口調に、ユニ君は何も言い返せない。実は図星だったのだろう。
「ん、もう少し濃いほうが良いかな?」
夏美は、できあがった味噌汁をおたまですくい、味見をしながら小さくつぶやく。自分が食べるだけではなくて、まだ寝ている両親の分も作るわけなので、自分ひとりの好みで仕上げる訳にはいかないのがちょっと面倒と言えば面倒だ。
ちなみに夏美の父親は、読者の年齢を法律によって限定されている小説を書くことを専門にしている作家である。一言で言えば『官能小説家』というやつであろうか? 夏美の母とは、雑誌の編集者とそれに載せる小説の作者という関係だったらしいのだが、ある時、書いている小説の中身を2人で実践したら見事に当たってしまい、今に至るというものらしい。やるな……、父。
「ところでユニ君、中津木警察署に集まる監視カメラの映像をどうやって手に入れるの? まあ、ユニ君の能力なら家のパソコンから警察のコンピューターに侵入して乗っ取っちゃうなんて簡単なんだろうけど」
味を濃くする為に少量の味噌を追加してそれを溶かし終わると、夏美はコンロの火を止めた。
(もちろん、夏美のパソコンから中津木警察署はもちろん、全世界のあらゆるコンピューターに侵入し、遠隔支配することも原理的には可能だが、残念ながら今回はそういうわけにはいかない。どうしても私自身が中津木警察のパソコンに物理的に接触する必要がある)
残念と言いながらも、どこか自分の能力をアピールするような口調のユニ君。はたして人工知能にも自己顕示欲というものはあるものなんだろうか?
「何か問題でもあるの?」
テーブルの上をふきんで拭きながら夏美は質問した。そして手早く家族3人分の食器を出す。おそらく夏美の両親はふたりともまだこの時間には起きては来ないだろうが、家族そろって食事をとる雰囲気だけでも味わいたいと夏美は思っているらしい。もっとも本人にそういった意識の自覚はあまりない。既に習慣として両親の分の食器も用意しているというのが正解かもしれない。
(なに、単純に回線の接続速度の問題だよ。ADSL回線では、対象となる監視カメラが撮影する全ての動画データをリアルタイムでとりこむには、能力的に無理がありすぎるというだけの話だ)
ユニ君はそこで一旦言葉を区切ると、またしてもバーチャルな画面を夏美の視界に重ね合わせた。
(というわけで、まずは夏美と融合していない部分の私が、中津木警察署のシステムに取り付き、そこを支配する。と、同時にそこにある材料を使って大容量データを送信可能な通信機を作ってしまおうというわけだ)
ユニ君の説明に合わせて夏美の視界に重なる画面上では、ユニ君が説明した内容が画像で表されていた。PHS形態をとっている現在のユニ君がその姿を鳩に類似した鳥型のロボットに変化させると、家の窓から飛び立ち中津木警察署まで飛んで行き、そこで画面上のユニ君は細かく分裂し、それぞれが小さな虫の形態をとるのだった。あるものはハエ、またあるものはゴキブリ、そしてクモ等々、建物の中にいてもおかしくはないものに変化すると、それらは時間差をおいて少しずつコントロールルームへと集合し、そこの機械の中に入り込んでいった。
「ちょっと、ユニ君、食事前に変なものを見せないでよッ! 早く消して、ほら、早くッ!!」
ごていねいに色まで本物に似せた擬態をしているハエやゴキブリ形態をとっているユニ君たちの映像を見せられて、思わず叫んでしまった夏美だった。ユニ君が夏美に見せるバーチャルな画像は夏美の脳に直接信号として送られてくるものなので、目をつぶったとしても見えてしまうのだ。
(ふむ、単なる映像なのに……。まあ、ともかくこのようにして中津木警察署のシステムに物理的に接触する。そして、その内部の材料をちょっと拝借して私と常時双方向リンクしている通信装置を作りあげるわけだ)
夏美の抗議を軽く無視して、ユニ君が見せる画像は中津木警察署のコンピューターの内部で活動をするユニ君達のCGグラフィックスが映し出していた。
「分かった。分かったから、映像を止めてよ。私、こういった虫がうじゃうじゃいるのを見ると鳥肌が立っちゃうのよ」
思わず両手で腕を抱える夏美。確かに首筋には鳥肌が立っているのが見える。
(虫じゃないのに……)
なんだか落ち込んでいるようなすねているような雰囲気でつぶやくユニ君。どうやら人工知能に対して【虫=バグ】と言うのは禁句らしい。
「分かった、分かった。ユニ君は虫なんかじゃなくて、立派な機械よね。OK、だから映像を止めて」
まだ視界に重なるようにして映しだされている虫のようにうじゃうじゃと動いているユニ君達のCG映像から極力意識をそらしながら、夏美はユニ君をなだめ、そしてお願いをした。
(そう、私は虫じゃない。機械だ……。ああ……、夏美……。すまない。ちょっと混乱してしまったようだ。私レベルの人工知能には二次的ながらも心がある。その心の根幹となるプログラムは何十世紀にも渡ってコピーされてきたものなのだが、どうも自分のことを【虫】とか、【バグ】と言われることに対して【トラウマ=精神的外傷】があるらしいのだ)
機械らしい素早さで落ち込み状態から立ち直ったユニ君は夏美に謝ると、映像を消したのだった。
「いえ、誰にでも苦手なものはあるわけだし、謝ることはないわ。単に私もユニ君も虫が苦手だっただけのことじゃない。それにしても虫が苦手な割に、何で自分から虫の形になろうだなんてするの?」
夏美から見ると全能にも見えるユニ君にもそれなりの弱点があることが分かって、夏美はユニ君に対する親近感が深まるのを感じていた。お互いの弱点を共有するというのは、精神的な距離感を一気に無くすものらしい。
(いや、私が嫌なのは虫そのものではなくて、私のことを虫扱いされることなんだよ)
微妙な訂正をするユニ君。
「う~ん、だったらなおのこと虫の姿を取らなくてもいいのに。……まあ、いいわ。警察署の中で人目に付かずに移動しようと思ったら、どうしてもあの姿になっちゃうのかもね」
さて、いよいよご飯をよそって食事にしようと思っていた夏美であったが、先ほどの映像で食欲を無くしてしまっていた。そこで食事をするのはもう少し気持ちが落ち着くのを待ってからにすることに決め、食卓の椅子に腰をおろしたものの、箸は取らない夏美だった。
「それよりもユニ君、今の話からするとユニ君は材料さえあれば自分だけで通信機とかも作れちゃうんだよね。だったらどうして自分自身の複製を作らないの? 確かユニ君は未来世界からこっちにやってくるときに爆発しちゃって、今残っているのは元の自分の一部分だけだったはずよね?」
ユニ君との出会いを思い出しながら夏美は質問した。実は夏美はその爆発に巻き込まれて一度死にかけたのだが、ユニ君というナノマシンの集合体と部分的に融合し、大怪我をした身体を修復してもらったことにより命を助けられているのだ。まあ、命を危うくしたのもユニ君なのだが。
(私も自分自身の複製を作って機能を完全に回復したいのはやまやまなのだが、そうもいかないのだよ。残念なことにね。私はナノマシンの集合体だ。今、夏美の脳神経系と融合している部分も、PHS形態をとっている部分も私なのだが、ナノマシン単体では大した処理能力もなければ、データ記憶容量もそれなりのものでしかない。全体が集まってこそ全ての機能が発揮できるように設計されているのだ)
説明と共に、ナノマシン達が協力してひとつの仕事をこなすアニメーション映像が映し出される。
「確かテレビで見たことあるわ。単機能なロボットが複数集まって高度な動きを実現するっていうやつと同じね」
ユニ君の説明を聞いて、以前に見たニュースを思い出した夏美は、そこで口をはさんだ。
(まあ、そうだ。……話を戻して、ナノマシンそれぞれが全てのデータを記憶しているのではなくて分散してデータを記憶していたのだが、爆発の際に私を複製するデータが収まっていたナノマシンが失われてしまったと、つまりそういう訳なんだよ。夏美)
ちょっと残念そうな感じのユニ君。
「ユニ君が完全だったら、奈里佳なんか簡単に捕まえることが出来たかもしれないのにね。……何とかならないの?」
ちらりと時計を見て、『そろそろ食べないと遅れちゃうかな?』と思いながら夏美はようやく箸を手に取った。
(まあ、使える能力でがんばってみるだけさ。一応、残されたデータから完全なデータを修復しようとはしてるんだが、こういう状況は想定されていなかったからちょっと苦労している。まあ、現状では気休め以外の何ものでもないというレベルで作業は進行中というところかな)
ため息をつくかのように喋るユニ君。自分自身を複製するのは本当に難しいらしい。
「なるほど。戦力が少ないなら、ますます情報収集に努めなくちゃね。私もがんばってみるけど、ユニ君もがんばってね♪」
こうして夏美とユニ君の早朝会議(?)は終わった。しかし2人は気がついていなかった。奈里佳の正体は、年齢はどうであれ女性だと思いこんでいて、男性がその正体かもしれないという可能性を排除していることをッ! もっとも奈里佳の正体である矢島克哉は、あそこだけとはいえ今は男ではなく女になっているのであるが……。はてさて、次なる両者の激突はどのような形になるのであろうか? それはまだ誰にも、そう作者にすら分かっていなかった。
……ホントにいったいどうなるんだろうね。
第6章 絶体絶命?
「トイレ、遅かったな。もしかして大か? 早く着替えないと体育の時間に遅れるぞ」
緑色の体操ジャージに着替えている最中の佐藤雄高が克哉に話しかけてくる。もちろん冷やかしの口調はいっさいない。彼にはクラスメートが学校のトイレで大をしようが何をしようが何も気にしないおおらかな性格の持ち主なのだった。もしかするとただの単純馬鹿ともいうやつかもしれないが。
「えっ、いや、その、大じゃ、ないんだけど」
どう答えてよいのか混乱し、口ごもってしまう克哉。トイレに行ったのは確かで個室に入ってきたのも確かなのだが、個室に入った理由がアソコが女の子のソレになっているということだけであり、実際には小しかしてこなかったのだ。だからどう返事をすれば良いのかわか分からなくなっている。……というわけだったりする。
「ふ~ん、ま、いいか。でも克哉は確か個室に入って行ったような気がするんだけど、見間違いだったのかな」
一瞬、不審に思った雄高だったが、すぐに今自分が感じた疑問を深く掘り下げて考えるのをやめた。何度も言うが、彼はおおらかな性格の持ち主なのである。作者が言うんだから間違いない。
「いや、ちょっと鼻水が出ちゃったんだけど、ティッシュを忘れちゃって」
頭をフル回転させて言い訳をする克哉。こんなことの為に頭をフル回転させなくてもいいのにと思わなくもないが、小学生時代にトイレで大をしたことで、からかいやいじめの対象になったことがある克哉にとって、それは死活問題だった。
もちろん雄高は克哉をからかったりいじめたりするような人間ではないことを克哉は知っている。小学生の頃にその事件があった時、克哉の周りの男子生徒がことごとく克哉をからかったりいじめたりしていたのに、ただひとり克哉と普通に接してくれたのが雄高なのだ。
まあ、克哉がクラス内の男子達にいじめられていることに、雄高は気づきもしなかっただけということなのであるが、既に真実は克哉の中で極端に美化されていたのである。
「なんだ、そうだったのか。ティッシュぐらい言ってくれれば貸したのに。トイレットペーパーで鼻をかむのはあんまりよく無いらしいぞ。確かうちの婆ちゃんがそう言ってたような気がする。理由は何だったか忘れたけど。う~ん、なんだったかな?」
ジャージを着終わった雄高は、腕を組んで祖母の教え(?)を思い出そうとしている。ちなみに彼がそのことを思い出しても思い出さなくても、別に今後のストーリーには全く関係が無いのは言うまでもない。
「うん、ありがとう。でも急いでいたから」
一番の親友と思っている雄高の不審を刺激することは、どうやら回避出来たらしいことに安堵する克哉。
「じゃ、先に行ってるから急いで来いよ」
無意味な笑顔を残して去って行く雄高。しかも歯を光らせてどうする? この小説を別ジャンルに変えるつもりなのか!?
「分かった。すぐに行くよ」
克哉もまた笑顔で返事をしながら右手で小さく手を振った。背後に花が飛んでるような気がするが、それはいったいどんな種類の花なんだろうか? 花には詳しくない作者には分からないが、何となくバラの花の変種のような気も……。
(はぁ~、克哉ちゃんったら、まるで恋する乙女ね)
今までのやりとりを黙って聞いていた奈里佳だったが、教室の中から克哉以外のみんながいなくなった途端に盛大なため息とともに克哉に話しかけてきた。
「恋する乙女って誰が?」
まったく予期しなかった言葉を聞いて、心が反応しきれない克哉。目を大きく見開いてきょとんとしながら、オウムのように奈里佳に聞き返す。
(克哉ちゃんが)
一瞬のよどみもなく答える奈里佳。返事の素早さ選手権で優勝を狙えるぐらいの早さである。
「誰に?」
未だに何を言われたのか状況が飲み込めていない克哉は、2~3秒考えた後にまた奈里佳に質問する。まあ、そのような自覚症状なんかないのだからしょうがないかもしれない。
(雄高君に)
短く、しかしハッキリと断言する奈里佳。克哉の頭の中のイメージ上の奈里佳は、満足そうにうんうんと何度もうなずいている。
「ええーーーッ! どうしてそうなるのッ!?」
ようやく奈里佳に何を言われたのかを理解した克哉は、顔を真っ赤にして抗議する。しかし赤らめたこの顔は、的外れなことを言われた怒りによるものか? それとも図星を指された恥ずかしさによるものか? 外野としては気になるところではある。
(まあ、私が見るところ、克哉ちゃんの雄高君に対する気持ちは恋心そのものよ。自分では気がついていないかもしれないけど断言出来るわ。間違いないわね)
奈里佳は絶対の自信をもってそう言いきった。その口調にはまったく戸惑うところがない。
「雄高は僕の一番の親友だけど、僕が雄高に恋をしてるだなんてそんなことあるわけないよ。だいいち僕達は男同士だし……。だから、その……」
勢いよく反論し始めた克哉だったが、なぜか言葉の最後が尻すぼみになっていく。
(そうよ。今の克哉ちゃんは女の子なの。そんな克哉ちゃんと雄高くんの間に存在する友情が恋に変わるだなんてことは、あまりにもワンパターンな展開過ぎて、まわりから文句がきちゃうぐらいあたりまえのことなのよッ! ね♪)
完全に克哉をおもちゃにして遊んでいる奈里佳。それにしても楽しそうである。
「奈里佳の魔法で変えられちゃっただけで、本当の僕は男の子だよ」
反論したいことは山ほど有ったが、しても無駄なこともよく知っていたので、克哉はそれだけを言って反論するのをやめた。女の子なトイレで時間をとりすぎたので、早くジャージに着替えないと次の体育の時間に間に合いそうになくなってきたのだ。ともかく克哉はボタンを順番にはずすと、学生服を脱ぎだしたのだった。
(私は私だけど、同時に克哉ちゃんでもあるのよ。克哉ちゃんの気持ちを間違えて理解するはず無いでしょ? 克哉ちゃんの気持ちは恋そのものなの。まあ少なくとも肉体関係を前提としない恋愛感情ってところよね。まったく今時プラトニックだなんて、ホント、恋する乙女以外のなにものでもないわね)
再度断言する奈里佳。どうしても奈里佳は、克哉と雄高の関係をその手の関係に持って行きたいらしい。しかし大丈夫か? 作者は、ラブコメは苦手だぞ。恋愛経験少ないし。
「だからそんなんじゃないってばッ!」
上下の学生服を脱ぎ終わり、下着にワイシャツという姿になっていた克哉は困ったように叫ぶ。しかしその姿、元々小柄で細身な体つきのところに大きめサイズのワイシャツを着ているせいでその白い生地がゆったりと余っているのだが、これはこれで何かちょっとあちら側の色気を感じさせなくもない。
(ま、そのうち自覚すると思うわよ。私は応援してるからがんばってね、克哉ちゃん♪)
あまり追いつめてしまうと反発からふたりの恋が終わってしまうかもしれないと思ったのかどうなのか知らないが、奈里佳はあっさりと引き下がった。まあ、別に克哉のことを思ってというよりも、単に『おもちゃは大事に扱わねばッ!』と考えていたりするだけというのが正解だろう。
「応援しなくていいって。それよりも、やっぱり問題はトイレだよ。今回は大丈夫だったけど、毎回、個室のほうを使っていたら絶対に怪しまれちゃうッ! だからお願い。元に戻して」
ワイシャツと下に着ていたランニングシャツも脱いで上半身裸になりながら、克哉は心の中で奈里佳に対して手を合わせてお願いをする。
(だ~め♪ そんなことより早くしないと時間がないわよ。克哉ちゃんってば、おしっこするのに時間がかかり過ぎなんだもん。個室の中でしゃがむでもなしに立ちっぱなしで、いったい何を考えてたのかしらね~?)
克哉の質問には答えず、奈里佳は微妙に話をはぐらかした。
「そんなこと言ったって、トイレにまだ人が残っていたから音を聞かれちゃうかもしれなかったし……。女の子のおしっこって、その……、音、大きいし……」
自分の言ってることに恥ずかしくなり口の動きが鈍ってしまう克哉だったが、それとは逆に、ジャージのズボンを引き上げる手の動きは素早かった。
(バカねえ。そういう時は水を流しながらすればいいのよ)
克哉が問題にしている点なんて、まったく問題点となることなんかないッ! そんな意思を込めた奈里佳の口調を聞いて、克哉はあきらめの境地へとまた1歩近づいた。
「だから問題はそんなことじゃないんだってば。もういいよ。どうせばれてみんなに変態扱いされるのが落ちなんだ。はぁ~。もう、こんなんばっかし。はぁ~~~ぁ」
盛大なため息と共に半袖の白い体操服を着た克哉は、更にジャージの上着を羽織り、そこでいったん手を止めた。克哉の視線の先には、ジャージに包まれた自分の股間がある。そこを見ると、克哉の口からは更に大なため息が出てくるのだった。
「やっぱりよく見たら股の間に何もないことが分かっちゃうよ。体育、見学しようかな?」
半ば本気、半ば愚痴といった感じでそう言うと、克哉はジャージのジッパーを上に引き上げながら教室をあとにした。
(大丈夫だって♪ 誰も克哉ちゃんの股間をジロジロと見たり触ったりなんかしないんでしょ? だったら克哉ちゃんのアソコが女の子になってるだなんて誰も気づきゃしないわよ)
根拠のない自信に裏打ちされた奈里佳の言動は、とても明るく、そしてポジティブだった。こんな奈里佳を見ていると、プラス思考って大丈夫なの? と、思わなくもない。
「気づく人もいるかもしれないよ」
廊下を早足で歩きながら、克哉は奈里佳に対して無駄な抵抗を行った。無駄な抵抗でしかないのだが、何もしないよりはマシということらしい。克哉君、結構マメです。
(克哉ちゃんのアソコが女の子になっていることを気づかれちゃうかどうかなんて心配してもしょうがないじゃない。気づかれたらそれはその時の話だし、もしかしたらまったく気づかれないかもしれないし。それよりもほら、もうみんなグラウンドに整列してるわよ。ほら、急いだ、急いだ)
奈里佳の言うように、校舎を出た克哉の視線の先にはグラウンドに整列しているクラスメイト達が見えた。ちなみに体育の時間は2クラスの男子と女子が合同して行うことになっている。女子の姿が見えないのは、きっと今日は男子がグラウンドを使い、女子は体育館を使うことになっているからだろう。
「ホントだ。急がなくちゃ。でも変だな。なんだかやけに見学者が多いような気がするんだけど」
既に先生も来ているのを見つけた克哉は、駆け足をするスピードを気持ち早めると、みんなが整列している場所へと急ぐのだった。
(んん~、どれどれ? ははぁ~、なるほど、なるほど♪)
当然に克哉が目にしているものは奈里佳にも見えているわけで、奈里佳は見学者の群れを確認すると、ひとり満足げに納得をした。
「奈里佳は何か知ってるの?」
みんなが整列している場所のすぐそばにまで来ているので、克哉は小声でそっと奈里佳に質問した。
(ま、そのうち分かるわよ。ひとつ言えるのは、この世界を結晶化から救うっていう使命は着々と進行中ってことかしらね)
それだけを話すと、奈里佳はもう何も喋らなくなった。克哉は自分の頭の中に奈里佳の気配を感じることは出来るのだが、ただそれだけでしかなかった。
「遅いぞ、矢島ッ!」
体育教師の叱責が飛ぶ。克哉は慌てて意識を目の前に戻すと、自分の所定の位置に整列した。
「遅れてすみません」
厳しいことで生徒達に恐れられている先生なので、克哉としても背筋を伸ばして返事をするのだった。ちなみにこの体育教師は完全無欠の脇役なので名前はない。でも名無しのままではかわいそうだから、とりあえず体育教師Aとしておこう。
「よしッ! 気をつけッ! 礼ッ! 今日は紅白に分かれてソフトボールをする。いいかッ!?」
体育教師Aの号令に合わせて、克哉達は身体をきびきびと動かし礼をする。それに対して見学者達は妙にそわそわとして気もそぞろという感じだ。克哉から見ても、どこかおかしな雰囲気であることは否定出来ない。
「それではまずチーム分けとポジションを決めるわけだが……」
体育教師Aの話はまだ続いていたが、先ほどの奈里佳の思わせぶりな言葉を聞いたせいで、克哉としてもついつい体育教師Aよりも見学者達のほうに注意が行ってしまう。
「こらッ! 矢島ッ! 遅れてきたくせにきょろきょろしてるんじゃないッ! よし、今日はお前が紅組のピッチャーをやれ。気合いをたたき直してやるッ!!」
名指しされた克哉は身体を硬直させると、ぎぎぎッと、音が出ないのが不思議という感じで右手を顔の前まで上げると、自分の顔を指さした。
「ピッチャー、僕がですか?」
まるで悪い夢でも見たかのような顔をして克哉は体育教師Aに質問した。
「なんども言わせるんじゃないッ! 俺が決めたことに文句があるのか?」
ややヒステリックな妙に甲高い声を出しながら、克哉に迫る体育教師A。
「……ありません」
ここで文句があるなんて言おうものなら、すかさず、『たるんだ精神を叩き直してやるッ! グラウンド10周ッ!!』と言われるのが落ちなので、克哉としても従うしかない。しかもこの体育教師A、厳しいというか激しいというか、ちょっと無茶な指導方法を信望しているにもかかわらず体罰だけはしたことがないので、周りの者もなかなか彼をいさめようがなかったりする。ようは野放しなのだ。
「声が小さいッ!」
克哉の言葉の最後に被るかのような素早さで、体育教師Aが吠える。
「ありませんッ!!」
まだ声変わりも完全には終わってない男の子(?)の可愛らしい声を精一杯張り上げて、克哉は返事をする。目をギュッとつむり、ちょっと苦悶に満ちたような表情をしている克哉の顔を見て、体育教師Aは至福の表情を浮かべながら満足そうにうなずいた。やや【S】の気があるのかもしれない。……体育教師A、あぶないやつ。
「プレイボールは5分後だ。各クラスの体育委員はその間に倉庫から用具を持ってくること。では奇数列は紅組、偶数列は白組に分かれて解散ッ!」
体育教師Aの号令のもと、整列していた克哉らは列を崩すと、新たにそれぞれのチームごとに集合しなおし、ポジションや打順を決め始めた。
「ちょっと集合に遅れてきたぐらいでひどいよな。マッチョの奴も克哉のことを怒るんじゃなくて、見学者達のことを怒ればいいのに。あいつらのあの元気そうな顔を見てみろよ。あれは絶対に仮病に決まってるって」
ふと気づくと、克哉の横に雄高が立っている。それにしても体育教師Aのあだ名は【マッチョ】というのか。作者も今知りました。教えてくれてありがとう。佐藤雄高君。
「遅れて来たのは事実なんだししょうがないよ。でも本当に見学者が多いよね。どうしたんだろう?」
恋する乙女と奈里佳にからかわれたばかりなので、つい意識してしまう克哉だった。声がうわずり、顔もほんのりと赤くなっている。
「心配しなくても仮病患者だらけだよ。知ってるか? 見学理由のなかに『生理』だなんていうのがあるらしいぜ。いやあ、男の生理って見たいような見たくないような、ちょっと退いちゃうよな」
克哉に対して笑顔で同意を求める雄高。ちょっとにやけた笑いを浮かべているところが、いまいち二枚目にはなれない原因のひとつではある。幸いというか不幸というか、本人はそれに気がついていないのであるが。
「そうなんだ。見学理由が生理だなんて、なんかすごいね」
今朝のトイレの中での奈里佳との攻防を思い出して、ちょっとブルーになってしまった克哉は、小さくため息をついた。
「ん? 元気ないな。克哉。もしかして『あの日』か?」
目には見えない猫耳をピンッと立て、同じく目には見えない尻尾をくねらす雄高。もちろん鼻はおもしろそうな話題を嗅ぎつけてひくひくと動いている。
「あの日って?」
わけが分からずそう答えた克哉だったが、言い終わって数秒もしないうちに克哉は、雄高が何を指して『あの日』と言ったのかに思い至ってしまった。
「ば、バカッ! そんなことあるわけないじゃないか。もう、雄高のバカッ!」
普通の男の子なら笑って受け流すところなのであろうが、あいにくと今の克哉には無理だった。どうしても必要以上に動揺してしまう。何せアソコが女の子になっているので洒落にならないのだ。
「……その反応、やけに可愛いな」
自分の欲望に正直な言動をする雄高であった。しかし本当に奈里佳が言うように、克哉は雄高に対して恋する乙女状態なのだろうか? こんな男のどこが良いのやら。
「もう、いつまでもバカ言ってないで。ほら、道具が来たよ」
なんだか自分の隠された気持ちを見透かされたような気がした克哉は、無理をしてつっけんどんな態度を取る。しかし顔がちょっと赤くなっているのは気のせいではないだろう。
その間にも、ふたりの体育委員とその手伝いをする数名の生徒達が運んできたソフトボールの道具が、ホームベースの後ろあたりに置かれる。それを見て克哉は雄高の手を引いて歩き出した。不本意にもピッチャーをやることになってしまったが、やるからには全力でやらねばならないと思っているあたり、克哉もなかなか見上げた漢である。今は女の子だけど。
「はいはい、どこまでもついていきますよ」
克哉に腕を引かれながら、たらたらと歩く雄高。なんだか恋人の買い物につきあわされて、デパートを引っ張り回される男に見えたりする。もちろん彼氏を引っ張っている役回りを演じている女性役が克哉であるのは言うまでもない。
「あ、佐藤、ちょうどいい。お前、矢島と仲良かったよな。……ま、見れば分かるけど」
話しかけてきたのはソフトボールの道具を運んできたばかりの体育委員である。
「ん、まあ仲が悪いとは言わないけど、どうしたんだ?」
雄高は熱血とは程遠い気のない返事をする。雄高の腕を引いていた克哉も、どうやら自分に関係する話題らしいことなので、その場に立ち止まりふたりの会話に耳をすました。
「仲が良いことを見こんで、佐藤、お前、キャッチャーをやってくれないか? ほら、なんだか知らないけど今日はやたらに見学者が多いだろ。いつものメンバーがいないんだよ」
体育委員の男子生徒が指差す先には、クラスの野球部のメンバー達が見学者の群れの中にいるのが見てとれた。
「あ、僕からもお願い。雄高がキャッチャーやってくれるなら、僕も安心してピッチャーが出来そうだし」
へらへらしているところはあるにしろ、見た目と違って雄高はスポーツ万能とは言わないが、そこそこ運動神経は良いほうであったりする。というわけで体育委員の発言を捕らえて、克哉も慌てて雄高にお願いする。無意識なのだろうが、ちょっと上目使いなのが子猫風で可愛い。
「う~ん、しょうがないなあ。でも、キャッチャーって意外と難しいポジションなんだよな。目立たない割に疲れるし」
自分の肩を交互にもみながら、何か訳ありの目線で克哉を見つめる雄高。
「これ、授業だよ」
既に何かを察した克哉が言葉の牽制球を投げる。さっきまでの子猫のような表情が、一転して警戒心をあらわにした大人の猫に変わっている。
「それは分かっているけど、キャッチャーをやってくれと頼むからには何かしてもらわないとなあ。克哉はいったいなにをしてくれるのかなぁ~?」
期待感もあらわに、克哉にすり寄る雄高。
「分かったよ。じゃあ、カツサンドひとつということで」
なんで、こうなっちゃうんだろうと思わなくも無かったが、克哉は雄高の言いなりに要求を飲むのだった。どうにも雄高には逆らえないというか、ついつい何でもしてあげちゃう克哉だった。
「へへッ! やったね。じゃ、がんばろうな♪」
カツサンドひとつぐらいでガッツポーズなんかしなくても良いのにと思う克哉の気持ちに気づくことなく、おおはしゃぎの雄高。克哉は、ちょっと困ったような笑顔を浮かべるのだった。
(何というか、無邪気で毒のない可愛い馬鹿ね。克哉ちゃんが惚れるのも分かるわ。やっぱり私と克哉ちゃんって同一人物だから男の好みも共通するのかしらね)
はしゃぐ雄高を見る克哉の頭の中で、しみじみとした感想を述べる奈里佳。
「!? だから、そんなんじゃないってばッ!!」
思わず声をあげてしまう克哉。慌てて自分の口を押さえるのだが、逆にそれは怪しさを倍増させるだけの効果しかもたらさなかった。
(私、し~らない♪)
さっさと無関係宣言をする奈里佳。一言文句を言ってやりたい克哉だったが、まわりに雄高や体育委員をはじめとするクラスメイト達がいる現状では、それをやると更に墓穴を掘ることになる。
「克哉、『だからそんなんじゃない』って、何のことだ?」
当然の疑問を発する雄高。あたりまえである。
「いや、だから、『そんなんじゃない』っていうのはつまり、試合はカツサンドが有るからがんばるとか、無いからがんばらないとかそういうことじゃなくて、どういう時でもがんばらないといけないというか……。そう、全力投球。全力投球が大事なんだよッ!!」
よく聞いてみると理屈になってないような気もするが、克哉の全力投球な言い訳はそれなりの説得力が感じられたかもしれない。声が大きいから発言力が有るという類のレベルだが。
「克哉……、お前ってホントに、可愛いよな」
何か一般人が理解してはいけないような感情に支配された雄高は、自分より頭半分ほど背が低い克哉の頭に右手を軽く置くと、その柔らかく生えた髪の毛をクシャクシャにした。もちろん愛情をこめて。
「おーい、いつまでじゃれあってるんだよ。早く整列しろよ。もう始まるぞ」
体育委員の声がする。見ると既に紅白の両チームともに整列していて、そこにいないのは克哉と雄高の2人だけだったりする。
(まったく、いつまでも2人だけの世界に浸ってるんだから)
克哉の頭の中に響く奈里佳の声も、楽しげに呆れている。克哉は反論したかったが、すぐ横に雄高がいることもあり声を出すわけにはいかない。しょうがなく克哉は自分の頭を右手の拳で軽くコンと叩くのだったが、その仕草までも妙に可愛いらしいのは才能である。
さて、そして試合は始まり、克哉はピンチを迎えていた。6対5と、わずか1点のリードで迎えた最終回5回の裏、ツーアウト満塁。ツーストライク、スリーボール。ご都合主義なまでの、絵に描いたようなピンチであった。
「次の一球で決まる。こうなったらど真ん中に思いっきり投げて来い。それしかない」
マウンドにやってきた雄高の言う通り、克哉もそのつもりだった。というかストライクゾーンの隅をつくような投球なんかしたくても出来ないのは自分が一番よく知っている。
「うん、大丈夫。もうこれで最後だし、思い切っていくよ」
肩を上下させながら息をしなくてはいけないほど疲れが出てきている克哉だったが、闘志だけはまだまだ燃えているようだ。
「良し、じゃあ最後の一球、頑張っていこうッ!」
その言葉を残すと、雄高は最後に克哉の肩を軽く叩いてから自分のポジションへと戻って行った。そして試合再開。克哉は全力をもって最後の一球を投げたのだが……。
カキーーン
小気味良い音とともに克哉入魂の一球はものの見事に打ち返されてしまった。そして打ち返された球は強烈なピッチャーライナーとなって克哉を襲い、見事に股間を直撃したのだったッ!!
「うわッ! 痛~ぁ」
思わず声を上げる克哉だったが、その声はやけにのんびりしていた。ソフトボールとはいえ、打球が股間を直撃したのである。普通の男性なら声が出ないほどの激痛に襲われてもおかしくないどころか、場合によってはそのまま気絶してしまうことだってありえるはずだ。それなのに克哉の口調からは、そのような激痛を感じさせるようなものは何もなかった。
「おい、大丈夫かッ!?」
克哉の股間を直撃したあと、キャッチャー方向にコロコロと転がってきたボールには目もくれず、雄高はマウンド上の克哉の元に走り出す。もちろんそれをとがめる者は誰もいない。男なら誰でも分かるその痛みを想像し、自分の股間を押さえる者や、雄高にならって克哉の元に走り出す者、歩き出す者が続出する状況なのである。何よりも打席に立っているバッターからして克哉のもとに駆け寄る始末だ。試合が中断することに抗議する者などいようはずがない。
「え、大丈夫って何が?」
周りの反応のものものしさに、きょとんとする克哉。
「何がって、痛くないのか?」
打球が克哉の股間を直撃したという状況と克哉の反応の差に戸惑う雄高。クラスメイト達も克哉を囲むように集まって来ているが、激痛を感じさせる反応をしていない克哉を、どうみればよいのか戸惑っているようだ。
(ばかねぇ、気づかないの? 普通の男の子なら股間にボールをぶつけられたら、いったいどうなるのかしら? ま、今の克哉ちゃんのアソコは女の子になっているから、『ちょっと痛かったな』ってぐらいかもしれないけどね♪)
いまいち状況が飲み込めていない克哉に対して、奈里佳があきれつつも楽しげな様子で話しかけた。どうやら騒動の予感にわくわくしているらしい。
「え、そうッ! 痛い。ものすごく痛いッ!!」
奈里佳に言われてようやく気がついた克哉は、慌てて痛がって見せる。トントンと小さくジャンプしたり、身体を折り曲げて唸ってみたりし始めたりするのだが、どうもセリフが棒読みにしか聞こえないのが、ご愛嬌(?)である。
「すまん、矢島ッ! 悪気は無かったんだ。許してくれ」
責任を感じたバッターも、自分の股間に打球があたった訳でもないのに顔を蒼白にしている。
「大丈夫だよ。痛いことは痛いけど、痛いと言ってもそんなに痛くないから。当たり方が良かったのかな? あはははは……」
気が動転しかけているので、痛いのか痛くないのかハッキリしない言い方になってしまう克哉。それを聞いて、雄高は何か違和感を覚えるのだった。
「ん、まあ、それだけ普通にしゃべれるなら大丈夫なのかもしれないけど……。気をつけろよ。下手するとつぶれちゃったりする事もあるそうだからな」
何がつぶれるのかということはあえて説明しないが、その場にいる誰もがそれを分かっていた。思わず自分の股間に手が伸びるクラスメイト達がそれを証明している。
「つぶれたりなんかしてないから大丈夫。ほらね、もう痛くないし」
元気だということをアピールするために、折り曲げていた身体をまっすぐにして立ち上がる克哉。
「そうかぁ、まあそれならいいんだけど……」
克哉とは逆に、しゃがみ込み克哉の股間をしげしげと見る雄高。
「うん、大丈夫、元気、元気♪」
雄高の目の前で少々おどけたポーズを取ってみる。そんな克哉を見ながら、雄高は気がついてしまった。
「おい、克哉ッ! ちょっとアソコをよく見せてみろッ!! おまえ、もしかしてめり込んでいないかッ!?」
ざわっと空気が揺らめく。雄高の言葉は、その場の雰囲気を一瞬で変えてしまったのだった。危うし、克哉。
「めり込んでるって、何が?」
いったい何を言われたのかまったく分からない克哉は、血相を変えている雄高の顔を不思議そうに眺める。
「だって、おまえ、ほら……」
要領を得ない雄高の言葉に戸惑いつつも、雄高が指し示す自分の股間に目をやってみる。するとそこには、男としてのふくらみがまったく感じられない股間があった。アソコが女の子になっているのをごまかす為に体育ジャージのズボンを浅めにはいていたのだが、どうやら激しい運動でずり落ちかけたのを無意識のうちに目いっぱい引き上げてしまったらしい。
「めり込んでない、めり込んでないってば。これが普通だから。あはは、僕ってアソコ小さいから♪」
激しく手を振り、そして首を振り、80%程度のやけくそと残り20%の悲哀を込めて克哉は言い訳をする。どうにも情けなくてしょうがないが、ここは真実がバレるわけにはいかないので必死である。
「嘘を言うなよ。もしも取り返しがつかないことになったら大変じゃないか。いいから見せてみろ」
悪気や克哉をいじめてやろうだなんて気持ちはまったくない雄高は、完全なる善意から克哉の体育ジャージのズボンに手を伸ばす。
「だから、大丈夫だから。ホント、大丈夫だからやめてよ」
抵抗する克哉。その頭の中では、奈里佳が面白そうに笑う声が聞こえてくるが、克哉にしてみたらとても現在の状況を楽しむことなんかできやしない。克哉のジャージズボンに手を伸ばそうとする雄高と、その雄高から逃げようとする克哉は、不自然な動きをするうちにいつしかお互いに身体のバランスを崩していた。
「うわッ!」
「きゃッ!」
そしてお約束。とうとう、ふたりは重なり合うように地面に倒れてしまったのである。かわいらしい声をあげた克哉の身体の上に重なる雄高の身体。そしてこれ以上は無い至近距離で見つめ合うふたつの目と目。熱い吐息も乱れている。まあ、激しく動き回ったあとだしね。
「!? おい、もしかしなくてもやっぱり、克哉、おまえ……」
克哉の上に身体を重ねたまま、雄高は驚きの声を漏らした。偶然という別名を持つ御都合主義がなさしめた必然により、雄高の右手はちょうど克哉の股間をすっぽりと覆うように置かれていたのだった。
「てへ♪」
もはや絶体絶命。笑うしかない克哉だった。
「先生ッ! 矢島君の股間にボールがぶつかって大変なことになってます。すぐに保健室に連れていきますッ!!」
雄高はいつもの軽い雰囲気を微塵も感じさせず、マッチョこと体育教師Aに向かって鋭く叫ぶ。
「お、おうッ! 分かった。誰か、手伝ってやれ」
自分の管理責任を問われてはたまらないと、ほとんど脊椎反射にしか為し得ない反応速度で返事をするマッチョこと体育教師A。
「はいッ!」
体育委員が声をあげ、そのまま克哉の身体を雄高とともに左右から支える。ちなみに保健委員は見学者の中にいるので、今回は出番がない。
「大丈夫です。大丈夫ですったら~ッ!!」
売られていく家畜のように、行きたくもない保健室に引きずられて行きながら克哉は叫ぶのだった。う~ん、これはもうバレちゃうしかないのか? どうなる、どうする、矢島克哉ッ! そして何もしないつもりなのか、魔法少女♪奈里佳ッ! もしかして放置プレイ? ……ッて、違うか。
続く
前書きにもありますように、体調を崩しましてその結果、仕事も辞めることになりましたので時間だけは有る状態になりましたが、本日中にアップする01~08以降の続きや、その他の作品の続きにつきましては、体力と気力の回復次第ということになりますので、あまり大きな期待はせず、ゆっくりとお待ちください。
なお、別作品の【妖精的日常生活 お兄ちゃんはフェアリーガール】という作品がミッドナイトノベルズのほうに投稿されていますが、そのリニューアル前の【妖精的日常生活】についても後日投稿する予定です。