立花晴(たちばなはる)
小学4年の時の引っ越しは辛かった。
「スナオー、泣かないでよー」
私ももらい泣きしちゃったじゃないか、バカー。
新ももらい泣きてるし。せっかく明るくバイバイ言いたかったのに。
一緒に小学校卒業して、一緒の中学行って、直が後輩で入ってきて、毎日変わらず楽しく過ごせるなんて思ってた。
当然だよね、家族のように過ごしてても、やっぱり私たちは家族じゃない。
新と直は兄弟でも、私と新は兄妹じゃない、私と直は姉弟じゃない。
同じ県内なのに、私にとっては地球の反対側みたいな距離だ。
昨日まで暮らしてた家の場所なんて、今いる場所からどこをどう行ったらいいのか分からない。
瞬時に最適ルートを示すカーナビがあったとしても、自転車では1時間くらいはかかるんだろうな。
引っ越して1ヶ月間はため息ばかりだった。せっかくの自分の部屋も、ため息で埋め尽くされて、私の居場所なんてないくらい、狭くて暗い無機質の空間だった。
小学5年生になる頃には何とか学校にも馴染んでいた。
人の適応能力ってすごいなって思う。
今まで男の子とばかり遊んでたから、女の子と遊ぶことが新鮮だった。やっぱりこの独特の空気感は苦手だけれど。
苦手でもうまく過ごせる能力を身につけた。それが良い事なのか悪い事なのか、未だによくわからないけれど。
少しだけふくよかな男の子を見ると直を思い出した。
走るのが遅くて、ちょっとドジで、でも必死で付いてくる直が可愛くて仕方なかった。
私の中の弟。うん、いつまでたっても私の中で弟と呼べるのは直だけ。
一人っ子の私にとって、直は紛れもなく姉弟だった。
生まれた日から知ってるんだもん。
直が生まれた日、私も見に行きたいと駄々をこねて病院へ付いて行ったらしい。
その時のことはあんまり覚えてないけど、事あるごとにどちらの両親も話のネタにするので、そのエピソードだけが私の中に残っている。
夏休みも冬休みも、春休みだってずっと3人一緒にいた。
喧嘩もしたけど、それでもすぐ仲直りしてまた一緒に過ごした。
卒業して、中学生になっても、思い出は色褪せない。
なぜかあの時だけが私の中でキラキラと輝いていた。
そうしてようやく答えにたどり着いたのが中学2年の時。
あの街に戻る事を考えて、新と直に会いたいと思って、あの街にある高校、桜台南高校を目標にした。
今、私の学区からは電車通学になることもあってか、私の友達周りで桜南を受験する子はいなかった。
受験の日も一人だったし、転校初日のことを少し思い出したりもした。
無事高校に合格したのはいいけれど、こんなにクラスがあるなんてね。
7クラス、隣のクラスの顔を覚えるだけでも大変。友達できるのかな、なんて不安になったり。
結局高校では友達リセットだし。でも私にはこの方が良かったかなって、ちょっとだけ思ったり。
私のことを知らない人ばかり、だからどんな私だって、ここではすべて正解。
部活も心機一転テニス部に入部した。中学からの陸上も捨て難かったけれど、中学の私は中学に置いてきたかった。
ここでは新しい自分を見つけたかったんだと思う。
高校2年になった初日、新しい教室で、隣の席に座ったのが新で本当にびっくりした。
多分、驚いて、感情が溢れて声も出さず泣いたんだと思う。私は泣いたつもりなかったんだけど。
新が女子を泣かせたぞ、なんて聞こえてきたから、多分泣いたんだろうな。今思うとすごく恥ずかしい。
思い出しただけで熱くなってきた。
新は背が高くなってた。あの頃は同じくらいの背丈だったのに、もう、本当に男の子って感じで。
軽音部入ってたんだね、知らなかった。
隣の席になって、あの時みたいにいっぱい喋って、なんかもう新しい自分なんてどうでもいいや、って思えた。
だってこの場所にはあの時のキラキラ輝いてた自分がいるんだもん。
これが私の全てだよ、桜南に来て本当に良かった。
そしてもう一つ素敵な出会いがあった。それがひな。
高校2年のゴールデンウィーク、部活帰りに駅まで伸びる大通りでカメラを手にしている女子が一人。
桜南の制服なのでうちの生徒なのは間違いないのだけど、先輩なのか、後輩なのか、夕暮れでよくわからなかった。
夕日を撮っているのか、車を撮っているのか、行き交う人を撮っているのか、それすらもよくわからなかったけれど、なぜかその姿が気になって、声をかけてしまった。
何か古そうなカメラで顔が隠れてたけど、振り向いた彼女の顔は整っていて、声をかけた私の方が照れてしまうほどだった。
「あれ、同じクラスの立花さん、だよね?」
私に声をかけてくるこの美人はクラスメイト?
私のクラスにこんな可愛い女子いたっけ?なんて思ってたけれど、よく見ると窓側一番前の佐内さんだった。
普段教室ではメガネをかけてるから彼女の全貌を知らなかっただけ。
佐内さんってこんなに美人だったのか、って改めてまじまじと見てしまった。
その目線が相当痛かったのだろうか、彼女は目を伏せてしまったけれど。
その仕草がもう可愛すぎて、どうしたらいいのこの気持ち。
佐内陽ファンクラブ第1号は私だ、誰にも譲らないよ。
次の日から、教室でも少しずつ会話するようになった。
私がメガネとったほうがいいかも、って言った次の日にコンタクトにしてきたんだけど。
この瞬間から男子たちがひなの魅力に気づいたんだよね。遅いっちゅうの。
メガネのひなも可愛いんだけどね。やっぱりメガネ取ると破壊力が違う。さすがひな。
今もまた髪を耳に掛けてカメラを私に向けている。
私とは違って、少しショートの髪は内巻きで、上品な感じが彼女を惹き立たせている。
私も髪の毛切ろうかな、なんて背中まで伸びる髪の毛を触っていると、ひなが頻りにシャッターを切った。
それフィルムカメラだよね?そんなにバシャバシャ撮って大丈夫なの?
ひなに撮られるのはもう慣れたから何とも思わないけど。
私が食事をしてる時も、あくびをしてる時も、軽く眠ってしまった時も写真を撮っている。
ひなに撮られるのは別に恥ずかしくないんだけどさ、あれはやめよ?ほら、文化祭で写真部の展示に私のあくび写真を展示するの。さすがにあれは恥ずかしいよ?
春休み、ひなと久しぶりのデート。
普段私が行かないお店に行ったり、喫茶店でお茶したり、名前を知らない写真家の写真展に連れて行ってくれたり。
私はこんなにアクティブに行き先を決めることができないから、ひなのことをどこか尊敬してたりする。
てか、もうファンサービス過剰で死ねる。感謝です。
「喫茶店のホットケーキって美味しいよね」
そう言って一口食べた後、ひなは唇をペロッと舐めた。
メープルシロップの光沢が唇を少し覆っていて、艶っぽいじゃないかー。ちくしょー。
向かいの席に座らせてくれてありがとう、ひなファンとして最高の特等席だよ、ここは。
「ねえ、ハルって新くんと付き合ってるの?」
「ブフッ、なんなん急にー」
いきなりすぎてクリームソーダが鼻から出そうになったわ。
「めちゃ仲良いじゃん、美男美女だし付き合ってるのかなって」
「んなわけないでしょ、新と付き合うとかそんなこと考えたこともない」
「え、なんで?めっちゃイケメンじゃん、他の女子からすごく狙われてるよ?」
え、ひな、心配そうな顔してるけど、本当に私付き合うとかないから。
「イケメンとかどうでもいいの、新とは親友、それ以上でもそれ以下でもないのー」
親友っていう言葉が正しいのかはわからない。
友達というより家族なんだよな、私たちの関係って。
「親友か、いいね、憧れる」
ひな、親友って言葉に憧れてるの?私たちも親友じゃん?
「ひなも親友だよ、私友達少ないから、友達イコール親友ってなっちゃうけど、ははっ」
笑ってごまかしたけど、ごめんね。
私って人付き合いは苦手じゃないけど、浅くて広い感じなんだよね。
浅い人間関係があんまり好きじゃない。でも新とひなは本当に友達って呼べる限られた存在。
「あれ?ひな、どうしたん?」
顔真っ赤じゃん、何?その照れ仕草、またファンの心を鷲掴みだ、ずるいよもう。
モノクロの写真展、柔らかい光に包まれた優しい写真が広がっている。
ひなの写真にも似たようなものを感じる、距離感、というか構図、なのかな。
私は写真のことあんまりわからないけど、いい写真って心が透き通る感じがする。
今見ている写真もそう、人にかかる木洩れ日だったり、手に持ったグラスが乱反射する淡い光だったり。
多分、写真を撮る人が見た光景、彼らには世界がこんな風に見えているんだな、って思う。
「ひなはさ、こういう写真展でどんなところに注目したりするの?」
写真を撮ってる人って、何を思って人の写真を見るんだろう、素人の素朴な疑問。
「ぇえ、何、かな?んー…」
んー、と言いながら固まってしまった。もしかして何も考えてなかった?
「んーっとね、…その写真家さんの想い、かな」
オォ、何かわからないけど、奥深いコメントいただきました。
「…例えばね、この写真、私だったら背景をもっとぼかすと思うんだ、…この人を際立たせるために」
「でも、この写真家さんは背景までしっかり写してる…」
「…きっとね、何カットか撮ってると思うんだよ、この瞬間も、…それでもこの写真を展示した、これって写真家さんの何かしらのメッセージかな、…なんて思うの」
いつになくひなが熱心に言葉を紡いでいる。
そして、ひなのその一つ一つの言葉が私にも伝わって来る。
「うん、ひなが思ってること、ちょっとわかる気がする」
ひなもいっぱいシャッターを切る、その中で人に伝えたい想いをその一枚に現そうとする。
文化祭の私のあくび写真みたいに。
夕方、まだ少し冷たい風が吹く中、明日から始まる高校3年生を待ちわびるように、私たちは「またね」と軽く手を振って別れた。