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被写界深度の奥の君  作者: 日比野ひび
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日比野直(ひびのすなお)

 入学式は退屈だった。

 

 ようやくもどってきた教室では、すでに何組かのグループができていた。

 陽キャ達はすぐに集いたがるな。そしてうるさい。

 そんな近くで大声を出さなくても十分聞こえるだろうよ。

 何のアピールなのか、俺ここにいますよ的なアピールなのか。

 僕には全く理解できない。まぁ理解したいとも思わないが。

 そんな教室の雰囲気を遮るかのように、僕はまた文庫本に目を落とした。

 外の雑音がいつの間にか消えていく、いつしかその世界に入っていく。

 この瞬間がたまらなく好きだ。

 自分だけの空間、誰の邪魔もしないし、誰の邪魔にもならないこの空間。

 この空間だけで過ごすことができたらどれほど楽だろう。


 そんな至福の空間も、4限目開始のチャイムと同時に消滅した。

 担任の斎藤絵里の丸みを帯びた開始の言葉。

 ようやく高校生活初日が始まった、そんな気がした。

 「みんな初めまして、なので、自己紹介いってみよっか」

 なのに、この言葉。崖から突き落とすような残酷な言葉。

 まじか、やるのか自己紹介を。

 担任は入学式前に自己紹介を済ませている。次は僕たちの番ということか。

 もう高校生だし、自己紹介の時間なんて必要ないでしょう?先生。

 「いいね、じゃ窓側の一番前から行こうぜ」

 誰だよノリノリのやつは。あれ、よく見ると浮き足立ったやつが何人かいるね。

 そんなに他人のこと知ってどうするんだよ。

 馴れ合いなんてもういいじゃないですか。

 窓の向こうには薄緑色の葉をつけはじめた桜が春風に揺らいでいる。

 自己紹介が続いていく中、その奥、窓の外をずっと眺めていた。

 6列ある中の窓側から4列目。空気が澱む教室ど真ん中の座席。

 どうせなら窓側が良かった。

 中学の時は何故か窓側の席ばかりだった。

 中学の頃に未練はないけれど、何だか今ここに座っているのがまだ現実のような気がしなかった。

 

 僕が桜台南高校、通称桜南を受験しようと思った理由は単純。

 女子の制服が可愛い、憧れのブレザー制服、それも確かにある。

 兄貴が桜南に通っていて少し憧れもある、が何よりも家から近いということ、これに尽きる。

 徒歩10分、走れば5分もかからない。

 家を大通りまで出て、大通りを東側に少し登ると桜南がある。

 大通りの西に数分歩けば桜台南駅。

 小学校の時は駅前も栄えてなかったのに、ここ数年で大きく様変わりしたこの駅が嫌いというわけではない。

 駅が近いのはまだ許せるのだ。だが電車通学がもう考えられない。

 朝から満員電車に乗って、何十分もかけて通学するだと?想像しただけで病んでしまうわ。

 それが桜南を選んだ理由。

 兄貴からも桜南の話は聞いていて、それほど悪い感じしなかったから、ここしかないと決めた。

 そりゃ偏差値高めだったから、中学3年の時はかなり頑張りましたとも。

 幸いにも遊ぶ友人もそれほどいなかったしね。いやゼロではないよ、僕にも友達と呼べる存在はいる。

 多分、友達と呼んでも良いくらいには親しい、はず。

 高校はバラバラになってしまったけれど、こればかりは仕方ない。

 それほどまでに僕にとって桜南はマストだったのだ。


 窓の外を見ている間にも自己紹介は進んでいた。

 遠藤、谷口、伊藤、依田、ダメだ全く覚えられない、顔と名前が全く一致しない。

 途中でチャイムが鳴らないだろうか。

 神様、ちょうど前の席のやつの自己紹介が終わったところでチャイムを鳴らしてください、なんて無駄な祈りを捧げてしまった。

 まだ4限の終わりまで18分もあるのに、鳴るわけがないではないか。

 「西岡健吾っす、みんなヨロシクっ!」

 おぅ、びっくりした。ビクッてなったわ。なんだそのでかい声。

 こんな小さい教室で、しかも前の席のやつが大声出すもんだから、びっくりして机ガタッて鳴ったわ。

 応援団みたいな声出すなや。

 「中学まで野球一筋でしたっ。高校ではテニス部に入ろうと思ってますっ!」

 何故?何故にテニス?野球部でいいじゃん。割と強いようちの野球部。

 あれか、女子と一緒にワイワイやりたいんか?

 大学のテニスサークルちゃうぞ、ワイワイなんてないぞ、多分。知らんけど。

 西岡、お前のことはよくわかった。自己紹介は満点だ。

 だからもうこれ以上場を沸かすんじゃない。後方メンバーがやりにくいだろうが。

 ようやく西岡の自己紹介が終わった。

 しっかり場の空気を温めてくれやがったな。余計なマネしやがって。

 人差し指で鼻の下なんか擦って、漫画みたいなドヤ顔決めるな。ちくしょう。

 ガタッと椅子を鳴らしながら、起立。

 一呼吸おいて、一言を発する。

 「…ヒビノスナオ、デス」

 やべ、早く終わらせたいばかりに、片言の外国人みたいになってしまった。

 「…スナオです」

 やべ、名前を言い直したはずなのに、素直な子なんです、みたいな紹介になってしまったかもしれない。

 どうやって立て直すか、時間はかけていられない。

 とりあえず好きな物事とか、無難に言っとくべきか。

 「…本とか、あと古着とか好きです。最近はエイティーズあたりが気になってます」

 うん?とりあえず乗り切ったか?

 反応全くないけど、まぁいい。自己紹介なんて、得てしてこんなものだ。

 

 4限の時間びたりで自己紹介タイムは終わった。

 斎藤絵里の時間配分は完璧だった。

 まだ二十代前半のような見た目なのに、かなりのベテランなのかも知れない。

 担任の年齢には興味はないし、聞こうとも思わない。いや女性に年齢を聞くのは野暮ってものか。

 休み時間を告げるチャイムと同時に、例の頭痛がやってきた。

 大丈夫、今日は覚悟していた。

 ただでさえ高校生活初日、幾らかの緊張も覚悟していた。

 予定通りといえば予定通り。

 顳顬(こめかみ)を片手で抑えながら席を立つ。

 いつもより激しい痛み。とりあえず保健室へ行って薬をもらうか。

 保健室って確か2階だったよな。3階のこのクラスからは少し離れているが、行くしかない。

 教室の後ろ側の扉まで行くにも苦労する。

 初対面のクラスのやつらに弱点は晒せないと、厨二病にも似た妙な感覚で、平静を装いつつ、ようやく扉まで来た。

 今日は早退でもいいですか。まじで辛いわコレ。

 夢の中で走っているのに全然進めない、あの感覚に似ているかもしれない。

 保健室までは長旅になりそうだ。頑張れスナオ。

 「ねぇ、ここ1年C組だよね?」

 ん?後ろから声をかけられた?僕ではないかもしれない。そして今はそれどころではない。

 一刻も早く保健室に向かわなければならないのだ。

 「ちょいちょい、無視はダメだよ〜」

 何?何故いきなり僕のブレザーの袖口を掴んできた?

 無視をするつもりなんてない、今日は許してほしいってだけ。

 ほら、他にも人いるよ、他の人に声かけなよ。

 よりによって一番弱ってる時の僕を狙うとか、マジ勘弁してほしい。

 「そうっす」

 とりあえず、ここが1年C組ということだけは回答しておこう。

 これで文句はあるまい?

 では、さらば。

 「ちょ、ちょちょっ、待って待って、待ってって〜」

 え?何ですか?まだ何か用ですか?

 もう勘弁してください。今日だけは勘弁してください。

 明日なら大丈夫ですから、また明日お声掛けください、お願いします。

 「こんな綺麗なお姉さんが声をかけてんだからさ、会話楽しもうよ?」

 うわっ、何、自分で自分を綺麗とかいう危険なやつに絡まれてる?

 しまった、回答したこと自体マズったかも。

 どうやって逃げる?いや逃げ切れるのか、これ?

 「スンマセン、頭痛ひどくて保健室行きたくて、…ごめんなさい」

 とりあえずこういう場合は正直が一番だ。

 まっすぐ諭せばわかってくれるはずなんだ。多分。

 「本当だ、顔色相当悪いね」

 わかってくれたみたい。

 って、行く手に回り込んで、さらに顔を覗き込んできやがった。

 ぅお、何、めっちゃ美人じゃん。芸能人か何かですか?

 しかもいい匂いするし。

 「お姉さんが保健室まで案内してあげよっか?」

 優しいお姉さんは好きですか?はい、大好きです。

 「いや、大丈夫っす」

 あ、咄嗟に弱点見せたくない病が出てしまった。

 今はそれどころではない。余裕なんてない。

 足を進めようとしたら、また美人先輩が声をかけてきた。

 「保健室、逆方向だよ?一緒に行ってあげるよ」

 「スンマセン、じゃあお願いしていいすか」

 今度は素直に返事してしまった。

 自分自身の限界を悟ったのだと思う。もう支えがないと立ってられないくらいに辛い。

 いや本当、初対面の人にこんなに弱点晒け出すとか、ゴールデンレトリバー並みに利口な犬だわ。

 うん、前世はゴールデンレトリバーだなきっと。前世で良い行いをして人間に生まれ変わったんだ。

 そして日比野直という人間になれたのだ。

 でかした、君はゴールデンレトリバーの鏡だよ。

 ぜひこの人間界でも前世のごとく徳を積んで、来世もきっと人間に生まれ変わってくれたまえ。

 ダメだ、頭痛が酷すぎて、訳わからんこと考え出している。

 現実へ戻れスナオ。

 現実、現実と。

 そうか、今は美人先輩と一緒に歩いて保健室へ向かっているのか。

 ああ、夢みたいだ。


 …あれ、夢だった?

 知らない天井がそこにあった。

 いやいや、多分ここは保健室だ。

 保健室に来たあたりから記憶が曖昧だ。美人先輩と歩いていたのは、多分現実、だよね。

 保健室の先生に頭痛薬くださいって言ったような気もする。

 水と頭痛薬を受け取ったような気もする。

 けど、そこからがよく分からない。

 冷たいパイプベッド敷かれた薄っぺらい敷布団の上、これまた薄っぺらい白いシーツを掛けられた僕。

 薬を飲んで横になったのだろうか。

 少しの間仰向けで過ごした頃、何限目かのチャイムが鳴った。

 どれくらい寝てたのか、よく分からない。

 部屋を見渡そうにも、白いパーテーションに囲まれていて、全体像が全く分からない。

 時間を知るのはやめておこう。

 それからしばらく天井を見て過ごし、ようやく体を起せるくらいまでに回復できた。

 隣に並んだ机を見るとポカリスエットとメモが置いてあった。

 お大事に。

 達筆なのに、少し可愛げのある字で書かれたメモ。

 先生、じゃないよな。多分、美人先輩?と思いながら、置いてあったポカリスエットを一気に飲み干した。

 

 体を起こして、ベッドの下に並んでいるまだゴムの匂いの残る新しい上靴を引き寄せた。

 パーテーションの向こう側はがらんとした保健室、窓の外は鴇色を帯びた空、時刻は4時ちょうどだった。

 中学の時もたまに保健室へ行くことはあった。

 保健室が落ち着くとかそんな感じはない。何ならこの独特な匂いはあまり好きではない。

 いつも仕方なく保健室に行くって感じ。

 窓を開けて外の空気を吸った。

 少し冷たい春の匂いを含んだ空気で一度深呼吸をしてから窓を閉めた。

 閉めたと同時に保健室の扉が開かれ、今日2度目のビクッを発した。

 保健室の先生だろう。白衣には横田という名札が付けられていた。

 「お、ようやくお目覚め?もう大丈夫そうだね」

 「はい、もう大丈夫です、後ポカリスエットもありがとうございました」

 「いいよ、ポカリスエットは佐内ちゃんが置いてったものだから、また会ったらお礼しときなよ」

 佐内ちゃん、あの美人先輩のことだろうか。

 「はい、そうします」

 でも会うことあるかな、2年か3年かもわからない上に、確か2、3年生ってA棟だったはずだよな。

 1年いるのB棟からA棟に行くことなんてほとんど無さそうだし。行くとしたら移動教室の授業の時くらいか。

 まぁその時に会ったらお礼を言おう。

 「荷物はそこに置いとたから」

 そう言って横田先生は教卓を指差した。

 「ありがとうございます」

 僕は荷物を持って、軽く会釈してから保健室を出た。

 保健室の外、夕方の廊下は少しひんやりとしていて、まだ少し冬の空気を残してるようだった。



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