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黒髪の女王様  作者: 三角
7/16

第七話 赦免のこと。









「あー、これ、レティのお母様の所の新作ですの。相変わらず、良いデザインですわ」



「ああ……確かに。クイーンならお似合いになるでしょう。試着しますか?」



「そうですわね。……あ、桔梗。貴女こっちのワンピース試着しない? 絶対に似合うですの。間違いなく」



「い、いえ、そんな背中や胸元の開いた服はちょっと……」



「まぁまぁ、着てみてから判断すれば良いのですわ」



 どうしてこんなことになったのだろう。柔はせいぜいしかめつらしい顔を作って首を捻った。


 面前では、撫子と桔梗が和やかに会話を交わしている。



 両手いっぱいにぶら下げた紙袋の紐を掴み直して、柔はつい出そうになった溜息を飲み込んだ。


 周囲を見回す。


 柔の目には良く違いの分からない服飾が大量に飾ってある店内には、カップルを除けば見事なまでに女性しか居ない。店員も女性である。


 居心地の悪さに閉口して、柔はより一層むっつりと唇を引き結んだ。



 それも当然のこと、柔達一行は今、女性服の専門店の只中に居るのだった。




















 赦免のこと




















 柔が再開したメールでそぅっと謝ってみたところ、日時と場所指定の短いメールが返って来た。


 びくびくしながら来てみると、優雅な仕草でティーカップを傾ける撫子と、無表情なスーツ姿の桔梗が座っていたのである。


 どうしていいか分からずに立ち尽くす柔に手で座るように示した撫子は、ゆっくりと紅茶をテーブルに戻し、ひたすら低姿勢に謝る柔の話を聞くこと十分弱。


 言葉も使わず目線だけで柔の言葉を一度止めると、ティーカップの縁をなぞりながらこう言った。



「ふぅーん、そうですのー」



 気だるげな撫子の声が、小洒落たカフェテリアのテーブルにぶつかって霧散する。


 深いブラックのパンプスを翻して濃い藍色のスキニージーンズに包んだ足を優雅に組み直し、撫子は頬杖をついた。


 ピンク色のキャミソールをシンプルに合わせて、ポニーテールにした黒髪は目深に被ったキャップの後ろからちょこんと突き出している。


 シンプルながら精密なカーブを描く脚線美は極めて色っぽく、そして服装自体はキュートに纏められている。


 体全体のバランスが極めて整っているおかげで、簡素ながらごてごてと着飾っている周囲の女性客とは隔絶した見栄えである。


 柔は、きっと姿が良い、とはこういう女性のことを言うのだろうな、とぼんやり思った。



「す、すみません……」



 柔は人生の内で一二を争う程小さくなって、ちらちらと上目遣いにそんな撫子の姿を伺っている。


 円形のテーブルに据え付けられた椅子の内、撫子と柔の間に座って悠然とアイスコーヒーを啜っている桔梗の顔には、何の感情も乗っていない。


 ちら、と柔がそちらを見た瞬間、桔梗は一瞬だけ恐ろしくにっこりと笑ってみせた。



 もし、言ったら、分かっていますね? 


 と無言で念を押された柔は状況に窮してますます体を丸め、目の前に置いてあるキャラメルラテに手を付けることも忘れてじっと動きを止めた。


 じと、っと半眼の撫子に見つめられて、柔は首を竦める。



「……女性の扱いがまるでなってないですのね、本当に」



「ご、めんなさい」



「それは、分かっていたので良いですの。ただ、何のお咎めもなく許すというのは、ね?」



「は、はい」



「そうですわねー、あ、そうだ。柔、撫子は新しくパソコン買い直そうと思っているのですけど、柔はそういうの詳しいですの?」



「ひ……人並みには、多分」



「もう。男だったら、任せろ! 位は言いなさいな。では、今からお買い物に行きますので、エスコートして下さらない?」



「ぉあ……」



「……っくく」



「桔梗?」



「い、いいえ、何でもありません、クイーン」



 はてはて、何でこんなことになっているのか。


 話の流れに着いていけず、柔は呆然と真丸に目を見開いた。



「そうと決まれば、呆けている時間はないですの、柔? 早くラテを飲んでおしまいなさい。ああ、慌てて零してしまってはダメですのよ?」



 言われた途端、慌ててラテの容器を呷りそうになった柔は、真赤になって手を止めた。


 これではまるで子供である。零さない様に気をつけながら、急いでラテを飲み干す。


 マナーは余りよろしくないであろうが、この際目を瞑ってもらうしかない。


 そんな柔を放って立ち上がった撫子と桔梗は、顔を見合せて颯爽と体を翻した。


 今度こそ慌てて席を立つ柔の様子を肩越しに捉えながら会計を済ませ、そのまま店の敷地の外に出る。


 陽射しは強く、風はからっと乾いている。


 暑い一日になりそうですの、とかざした指越しに目を細めて太陽に笑いかけた撫子は、くるりと踵を返してその長い足を踏み出した。













「……随分、一杯ありますのね……」



 呆然とした感じで呟く。


 大手電気店の品ぞろえに圧倒されているのか、撫子は首を振って珍しそうに店内を眺めた。



 右を見てもパソコン、左を見てもパソコン。


 流石に下や上にはないが、お店の入口から見える場所は色々なパソコンで埋め尽くされている。


 取り敢えずパソコンは使えるだけで良い、という主義の撫子は、実際に自分の足でパソコンを買いに来るのが初めてなのである。


 壊れてしまった今のパソコンは、義兄のお古を譲り受けたものだし、どんなパソコンがあるのかというのは撫子の興味の及ぶ所ではない。



「あの……」



「はい?」



 くる、と踵を支点に綺麗なターンを決めて見せた撫子の視線の先には、額に汗を浮かべた柔の姿。



「どんなのが良いとか、そういうの、ありますか……?」



 口調から、自分に対する恐れを感じ取った撫子は、宥める意思を込めてにっこりとほほ笑んだ。


 途端に真赤になって一歩退く柔の姿に、意識せず笑みを深めつつ、流麗なラインを描く唇のラインを少しだけ崩し、口を開く。



「特には、ないですの。取り敢えずインターネットが出来れば、それで」



 その答えに分かりやすく狼狽した柔を助ける様に、撫子の隣に居る桔梗から補足が入る。



「予算には特に上限はありません。デスクトップよりもノートパソコンです。ゲームなどはしませんので、操作性と処理速度を重視して下さい。後、ワイヤレスのマウスで何か良い物を」



「あ、はい。じゃあ、こっちかなぁ」



 CPUがOSがキーボードが、と呟きながらすたすたと先に行く柔に苦笑しつつ、珍しい物を見る目を桔梗に向ける。



「どうかしましたか?」



「うーん、何だか桔梗、貴女ちょっと雰囲気が柔らかくなりました?」



「そんなことは、ないと思いますが」



「いえ、いえ。間違いありませんの。……あぁ! 柔に対してちょーっと刺々しかったのが、無くなっているのですわ」



「なっ……! いえ、クイーンの気のせいです」



 僅かに身じろぎ、こちらもまたすたすたと歩いて行ってしまう桔梗に、撫子は違う意味で笑みを深めた。


 何があったかは分からないが、感情を押し殺している様な彼女の雰囲気が少しでも柔らかくなっているのなら、それは良いことだ。


 周囲に好奇心を籠めた視線を振りながら、撫子はゆっくりと電気店のフロアに足を踏み出した。


 良く見れば、置いてあるのはパソコンばかりでは無い。


 デジタルカメラや周辺機器、テレビやDVDプレーヤーなど、種種様々な商品が並べられている。


 柔と桔梗の背中を見失わない様にほんの少し注意を払いながら、通路を歩む。


 真剣な様子で、かと思えば気楽な笑顔で電子機器と睨めっこをしている客達にも失礼にならない程度に視線を送りつつ、どんどん奥へ。


 特設コーナーと銘打たれた場所で、柔は立ち止まっていた。いつの間に移動したのか、桔梗は撫子の背後に佇んでいる。



「何か、良いものはありますの?」



 普段の柔ならびっくりして飛び上がってしまう距離まで近づき、声を掛ける。


 だが、そのリアクションを期待してかけた声に返って来るのは、存外真剣な声であった。


 何かに熱中すると他が気にならなくなるタイプらしい。そう言えばお兄さまもそうでした、と撫子はふむと頷いた。



「あの、多分これかこっちが良いと思います」



「どれですの?」



 柔の丸っこい指が指す方向を覗き込む。両方共にA4サイズで、一方は画面の奇麗さが売りらしい。もう一方は色々便利な機能が付いていると。


 肩を竦めて、桔梗の方を振り返った。



「どっちが良いか分からないですの」



「そうですね……」



 と言って、桔梗は二つのパソコンを見比べ始める。


 それを見て、柔は「マウスを見て来ます」とまた歩いて行った。珍しく歩みに迷いが無い。何度もここに足を運んでいるのだろうか。


 手持無沙汰な撫子は、桔梗の隣に並んで商品説明の載っているボードを眺めることにした。













「ご自宅まで配達致しましょうか?」



「ええ、お願いします」



 結局、便利な機能が沢山付いているという方を買うことになった。マウスもだ。


 手早く会計を済ませ、商品は配達して貰う様に手配する。


 撫子達一行は、連れ立って意気揚揚とお店から地獄の釜の底の様な暑さが澱んでいる街に出る。


 じわっと薄く汗が浮いた。



「柔、選んで頂いてありがとうございます」



 撫子はぺこ、と頭を下げる。



「い、いえ、そんなことは」



 ぶんぶんと手と首を振って挙動不審に呟く柔の姿に小首を傾げ、撫子はぴ、と人差し指を立てて見せた。


 その動きだけで、柔の困惑を留め視線と意識をそこに集中させる。



「で・も。まだお買いものは終わっていませんわよ?」



「え」



 全く考えていなかった、という顔である。撫子は「お買い物」とは言ったが、「パソコンを買うだけ」と言っていない。


 カメラ越しでも画面越しでも、例え数十メートル離れた場所に居る観客でも魅了してのける蠱惑的な微笑を湛えて、ひょいひょいと人差し指を左右に振る。


 くりくりとその指を追って柔の目が動くのを秘かに楽しみながら、すっと一つの方向を指差す。



「駅の方……?」



「大当たり。あちらに、行こうと思っているのですけど……勿論着いて来て下さいますわよね?」



 微笑みを笑みに。むぎゅ、と情けなく顔のパーツを真ん中に寄せた柔は、無言で頷いた。



「んふ、素直でよろしいですの」



 揶揄いを含めた言葉で褒めてあげると、これまた分かりやすく嬉しそうな顔になる。


 こんなに分かりやすくて大丈夫なのかしら、と撫子はほんのり眉を寄せた。


 騙されたりしないか心配だ。



「では、行きましょうか」



 桔梗の言葉に頷き、三人揃って駅の方に――正確には、駅ビルに入っている女性服売り場に――足を向ける。


 いざ女性ばかりの売り場に連れてこられた時にどんな顔をするのかと想像して、やっぱり余りにも簡単に場面が浮かぶことに笑みを漏らす。


 どうせだから、桔梗も着せ替えましょう。うんうんと頷いて、撫子は桔梗の手を取った。










 そういう訳で、冒頭の様に女性服売り場に――それも、多分高級ブランドの店に、柔は居る訳である。


 周りが女性ばかりな為きょろきょろする訳にもいかず、さりとて撫子達を置いてここから離れる訳にもいかず。


 柔は今進退窮まっていた。


 ひそひそと柔の方を見て何事か囁いている女性方を視界の端に捉える度に楽しくない気分になってしまうため、視線はやや斜め前の床に固定だ。



「じゅーう」



 呼び声にのろのろと声を上げる。


 そこには。



「うぁ……!」



「……余りじろじろと見ないで下さい」



 着せかえられた桔梗が立っていた。そう言えば、と思い至る。柔が立っているのは試着室の前である。


 ぱちぱちと目を瞬かせる柔の挙動とは裏腹に、柔の無意識は桔梗の姿を記憶に刻み込むようにじっくりと見ている。


 体にぴったりと沿うセクシーな黒のドレスだ。肩や背中は剥き出しで、ドレス自体は首で留めるタイプらしい。


 驚く位ハリがある肌は照明の下で如何にも眩い。特に大胆にも胸元にある菱形の隙間から、桔梗の豊か過ぎる双丘の谷間が覗いているのは目に毒だった。


 きゅっとくびれた腰から量感豊かな尻、そこから膝まで体の線を惜しげもなく晒し、だが膝から下はふわっと広がるドレスの裾が覆い隠している。


 恥ずかしいのか、ゆらゆらと桔梗が動くたびに左足の太ももの際どい所からざっくりと入ったスリットが揺れ、引き締まったカモシカの様な足が覗く。


 柔の背後で、彼女の服を身立てていた男性が思わず目を取られ、彼女の不興を買っていた。



「どうですの、似合っているでしょう!?」



 ぐいぐいと手を引かれ、柔は我に返った。それでも「は、はい」とナマ返事を返しながらその視線は桔梗に釘付けだ。


 いつもスーツを着ているのでカタブツ、といった柔の中での桔梗象がガラガラと音を立てて崩れて行く。



「……見るなら見るで、何か言うことは無いんですか」



 ふいっと顔を背けた桔梗が、つっけんどんに呟く。その頬や耳がほの赤く染まっている所から見ると、照れているのだろうか。


 しかし残念なことに、思わぬ魅力を発揮した美女の姿に思考のほぼ全てを奪われたせいで、柔はそんな微妙な機微には気付けない。


 あお、あう、と意味不明の平仮名を呟くだけである。ただし、猛烈に首を縦に振っている。似合っている、というのを伝えたいのだった。



「クイーン、もういいでしょう? き、着替えます」



「あ、ちょっと桔梗!」



 撫子の制止も聞かず、ほんの一瞬で桔梗がさっと試着室に潜りこむ。


 目に毒に過ぎる桔梗の姿が視界から外れて、喜んで良いのか落ち込むべきなのか、一瞬柔は本気で考えた。


 ぺち、と頭をはたかれて我に返る。


 ふと見れば、撫子がニヤニヤとこちらを眺めていた。



「な、何でしょう」



「いいえ? うふ、桔梗、凄いでしょう?」



 何が、と言わないのが彼女の意地悪な所である。


 咄嗟に浮かんだ桔梗の胸元や尻の辺りの映像を頭を振って追い払い、柔はうろうろと視線を彷徨わせた。


 無論、撫子に何か突っ込まれると困るからである。



「じゃあ、撫子もお着替えしますの。もうちょっと付き合ってね?」



「ふぁい」



 頷く。一度一人になって冷静さを取り戻したかった。顔が熱いのである。



「今日、来て良かったでしょう?」



「はい……あ」



「うふふ、スケベ」



 反射的に頷いてしまい、時既に遅くとも柔は慌てて口を噤んだ。悪戯っぽい光を瞳に灯した撫子は、くすりと笑って試着室に消えて行く。


 がっくりと大きく、柔は肩を落とした。






「……?」



 撫子が入って行った試着室のカーテンの向こうから、驚く程白く、繊細で美しい腕がにょっきりと突き出ている。


 ちょいちょい、と人差し指を折り曲げるジェスチャーに釣られて、柔をふらふらとそちらに近づいた。


 しかし、途中でこれはいけないと思い留まり、足を止める。



「……」



 ちょいちょいちょい。しかし、撫子のものと思われるジェスチャーは終わらない。諦めの溜息を吐いた柔は、慎重に慎重に足を進めた。


 店内は寒いくらい冷房が効いているのにも関わらず、緊張で額に汗が浮く。



「あの……ぅわ!?」



 動きに合わせて揺らめくカーテンの前まで近づき、声を掛けた瞬間、柔はがっしと腕を掴まれていた。


 そのまま抗う暇もなく、ぐいと腕を引かれてカーテンの内側に倒れ込む。



「うふ」



 見てはいけない! と柔は咄嗟に悲鳴を飲み込んで固く目を瞑った。何だか怖い予感がしたのである。


 しかし、女王様はあんまり優しくはないのである。あくまで、今の柔に対しては。



「柔、何を芋虫のように丸まっているんですの? 目を開けないと何も見えないでしょう?」



 軽やかで楽しげな声だ。それでいて酷く優しく、耳に柔らかく響く。


 思わず目を開けそうになったが、柔は頑なに目を瞑っていやいやをする様に首を振った。


 緊張やら驚きやらで声が出せないのである。


 何せ、柔が今居るのは女性服売り場のフィッティングルーム、それも希代の大女優撫子が試着に入っている場所だ。


 打ち首、獄門、市中引き回し……時代錯誤な刑罰が、何故か柔の脳裏を過ぎる。



「いいから、ほら、目をお開けなさい」



 響く声は、やはり優しい。しかし、今度は抗いがたい強制力を持っていた。


 半ば操られる様に目を開けた柔の視線の先には、爪の形も奇麗な女性の足。


 そのまま脚線を辿ろうとするのを何とか止め、視線をちょっと逸らす。



 引き倒されて転がる柔を覗き込む様に、撫子はしゃがみ込んでひざの上に肘をつき、その両手で小さな顔を支えている。


 花開く様に顎に当てられた手の形は恐ろしく美しい。だが、その表情はこれ以上無い位ニヤニヤしていた。


 ばたばたと体を起し、散らばってしまった紙袋を抱え直しながらそぅっと撫子の顔を見る。


 目が合うと、にっこりと微笑まれた。


 引き攣り気味の愛想笑いを柔は返す。



「さて、撫子も着替えて見たのですけれど……」



 言って、撫子は音もなく立ち上がった。


 そうして初めて分かったのだが、彼女が着ているのは大胆な深紅のミニドレスだ。


 丁度腰骨の辺りから、三段のフリルがついていて、そこだけ見ると可愛らしい。


 しかし、ホルダーネックのミニドレスは、先程の桔梗の黒ドレスと同じ位に滑らかな形良い肩が露出している。


 形よく胸元の生地を押し上げる部分は柔らかそうに膨らんでいて、僅かながら綺麗な谷間が出来。


 柳の様に細い腰は見事に括れていて、短いフリルの裾から伸びる脚は艶めかしく完璧な脚線を描いている。


 むっちりと程良く充実した太股からシミ一つない肌が続き、滑らかな膝小僧、足首だけきゅっと引き締まった見事な脹脛まで、その全てが流麗だった。


 柔が今まで見た中で断トツに白い淡雪の様な肌はまるで透き通っているかのようで、鮮やかな黒曜石の瞳と、新月の夜闇を閉じ込めたかのような黒髪が良く映える。


 下手な美女ですら服に着られてしまいそうな位ビビッドで深い紅のドレスを、撫子は自身の魅力でもって完璧に従えていた。


 顔立ち自体は上品で楚々としていて、髪や瞳の色も落ち着いているのにも関わらず、男性の背筋を貫くような壮絶な妖艶さを醸し出している。


 神秘的で近寄りがたくすらあるのに、酷く男の獣性を刺激する魅力だ。


 そんな荒々しい獣性とは無縁な柔も、ぽかんと口を開けて目も精一杯見開き、食い入るように撫子の蠱惑的なドレス姿を見詰めている。


 ただ何のポーズも取らず立っているだけなのに、まるで撫子の居る場所にスポットライトが当たっているようだ。



「似合っています? 流石に、このドレスで帽子を被る訳には行きませんし、それにこのまま外に顔を出したら色々と大変なことになるでしょうから、柔を引っ張りこんだんですの」



「……!」



 柔は先程桔梗の姿に見惚れていたが、間違いなく美という観点のみで論じるならば、撫子の美しさは抜きんでていた。


 雑誌や映画、テレビ番組の中で目にする美貌とはまた趣の違う引力。特に、そう、瞳だ。


 冷やかで、熱く、奥深く、澄んでいて、潤んでいる様な不思議な風合いをその漆黒の中に閉じ込めている。


 ありとあらゆる宝石を片っ端から詰め込むと、丁度混ざり合ってこんな黒色に落ち着くのかもしれない。


 そんな色だ。



 撫子の問いに対して、柔は無言のまま。首を縦に振ることすら出来ない。


 ただ、撫子に見入るその瞳は、そのまま彼女のたおやかな魔性とも言える美貌を全力で肯定していた。


 舌の根っこがぴりぴりと痺れているようで、声帯そのものが強張ってしまったかのように声が出せない。


 意識や無意識を超越する段階の魅力という名の支配力が、柔の精神をがんじがらめに縛りつけていた。


 頭が真白に染まり、目の前の撫子の姿しか目に入らない。世界に、彼女しか居ないかのように。



「そう、ありがとうですの、柔」



 ふんわりと微笑みかけられただけで、柔は天国にでも昇って行けそうな気持ちを得た。



「い゛っ……!」



 そのままおだてられた豚よろしく、木ではなく天に昇らんとする柔の意識を繋ぎとめたのは、純粋な痛みである。


 強烈に脳天から脊髄を貫いて尾てい骨の先まで伝播した痛みに、柔は飛び上がった。


 生理的な反応でじわりと浮かぶ涙を拭うこともせずに、ただ痛みの飛来した頭の上を見る。



「何を呆けているんですか前田・柔。女性を凝視するのは非礼と言うものです。全く見向きもしないのも無礼ですが」



 瞳に映るのは逆さまになった、鉄仮面な美女の顔である。


 どことなく冷徹な鳶色の炎に炙られて、柔は慌てて二人に頭を下げ、試着室から転がり出る。



「余り揶揄うのも可哀そうですよ」



「あらあら、撫子は似合っているかどうか聞いただけですわよ?」



「……ご自身の見てくれは良くご存じでしょう」



「それはこんな仕事してるんですし、そうですけど。それにしたってあんなに熱烈に見詰める殿方は早々居ないですの」



「……まぁ、そうですね。馬鹿なのでしょう」



 店内であるのことも忘れ、ついでに背後の会話も聞こえない聞こえないと念じながら、柔はへたへたと床に座り込んだ。


 気力を振り絞って視線を振り、すぐ近くに籐で出来た座り心地の良さそうな椅子を発見する。


 だが如何せん体が動かない。



 痛みやら恥ずかしさやら驚愕やら、満面にごたごたと脂汗と共に貼り付けた自分に突き刺さる冷たい視線にも対応出来ない。


 取り敢えず深呼吸だ、と目を瞑った瞬間、突然体が浮き上がった。


 腕をばたつかせようとして、子供の様に脇を抱えられていることに気が付く。



「うわぁ!」



「何をしているのですか? 非常に見苦しくかつ見っともないので、そこの椅子に座っていて下さい」



 柔は、桔梗によって軽々と持ち上げられていた。


 正確には柔の足はちゃんと床に着いているので浮いてはいないが、ずるずると引きずられて乱雑に籐の椅子に乗せられる。


 大の男を――それも体重多めの小太りな柔を抱えて移動させたにも関わらず、桔梗は汗一つ掻いていない。


 か細い声で礼を言おうと顔を上げた柔は、そのまま派手な音を立ててひっくり返った。


 インテリアの一環として置かれている観葉植物の鉢に強かに頭をぶつける。


 柔は控え目な範囲で、じたじたと痛みに転げまわった。



「何をしているんですか」



「え……、そ、それ」



 ふるふると震える指で桔梗を指差す。


 人を指差してはいけないというのは無論柔も幼い頃に涼子から躾けられたことだが、それでもそうせざるを得なかったのだ。



「私がどうかし、……っ!?」



「いだ!!」



「み、見ないで下さいこの変態!」



 一瞬で茹でダコになった桔梗は、目にも止まらぬ高速の蹴りを倒れた柔に叩き込んで試着室へと駆け戻る。


 エプロンドレスを腰の後ろで留めている、可愛らしい大きなリボンが翻ったのを見て、やけに冷静に柔は頷いて目を閉じた。


 今の光景は、脳内に保存しておこう。


 jpgで。




 一言で言えば、先程の桔梗はメイドであった。


 膝上丈のふんわりとしたフリルスカートを基調としたゴシックロリータなメイド服を着用していたのだ。


 それも職業メイドの着る様な簡素なものではなく、飛び切り可憐さを強調した奴を。こんもりレースに黒のフリフリ。


 ちょんと頭に乗ったホワイトプリムにおそらく絹の白手袋、大きな胸の上に窮屈そうに臙脂の大きなリボンが留まっていた。


 曝け出された肉感的な足には黒のオーヴァーニーソックス。ドレスの時とはまた違った可憐さを纏った無表情メイドである。


 一応鼻を触って確かめる。良かった、鼻血は出ていない。


 ドレスの撫子にメイドの桔梗。ぐるぐると柔の脳内世界で画像が回る。



 合わせて、急速に思考が暗転していく。




 嗚呼、かしこまりましたご主人さま、とか言ってくれないかな。


 後、黒のレースで紐は凄い。


 本人的には幸せな笑顔で、周りから見れば変質者一歩手前の緩んだ表情で、柔はゆっくり眠りに入る様に気絶した。



 撫子・桔梗の魅力と後頭部の痛打、そしてトドメの蹴り。軟弱な柔の意識を刈り取るには豪華過ぎるタッグであった。


 直後、失神。




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