第十四話 魔笑のこと。
「ご覧下さい! たった今、我々は現在世間を騒がせている、あの大女優、撫子が身を隠しているという場所までやって来ております!」
特ダネ故の興奮というよりも、どこか投げやりな、捨て鉢の必死さで口上を述べるリポーター。
彼の内心とは裏腹に、滑舌の良い声と汗を浮かべたその表情は、テレビカメラの向こう側に存在する数多の視聴者に、ことの重大さを伝えている。
「彼女のスキャンダラスな記事が世に出てから数日、殆ど全ての解答や会見をシャットアウトしている撫子が某所に潜んでいるとの情報提供が……」
男がふと視線を転じれば、やるせなさそうに言葉を連ねるリポーターがそこかしこに目に入る。決して少なくない数の報道陣が、カメラとマイクを手に集まっている。
「本日、特別生番組としてお伝えするのはこの……」
三々五々、適当に固まってそれぞれの『報道』を行う者達の中、カメラのマイクが音を拾わない位置で、一人の男が白の廃工場を振り仰いだ。
「……やくざな商売だよな、マスコミなんて」
そう言って、力なく首を振る。園田と名乗る男の顔を思い浮かべて、男は苦虫を噛み潰した様な表情を得た。咥えていた煙草を地面へ落とす。
身の内の、憐憫とも恐怖とも怒りともつかぬ名状しがたい感情を詰る様に、まだ火の付いている煙草を靴の裏で踏みにじった。
魔笑のこと
「……さて、下準備は整ったようですのね?」
「ええ」
ひっそりとした廃工場。忙しなく鳴き叫ぶ蝉の声が、ミンミンジワジワと響く部屋の中。ふわふわと漂う様な柔の意識に、玲瓏たる美声が染み渡る。
「ん……」
何だかとても気持ちが良い。頭の下にあるふかふか柔らかな枕に頬摺りする様に、柔は体を動かした。夢と現の狭間に揺らめきながら、その柔らかな枕を引き寄せようと手を伸ばす。
「むー……」
「あらあら……甘えんぼさんですの?」
しかし、枕は動かない。滑らかな感触はしっかりと頬から伝わって来ているので、とりあえず出来るだけ手を回して枕を撫でる。
すべすべした肌触りを得て、柔は頬を緩ませた。良い香りがするし、暖かい。何故か、頭を撫でられている様な感覚もある。
そう、まるで、優しく頭を愛撫されている様な――と思った所で、はたと気がついた。
深遠なる眠りの海に沈み込みそうになる意識を遊ばせながら、首を捻る。
おかしい。我が家の枕はもみ殻の物で、こんなに良い匂いもしないし柔らかくもない筈だ。
「良い子良い子ですのー」
「良く眠っていますね……私も」
謡う様な声。頭を撫でさすられる、何とも言えない感覚と同時に、頬の肉を突かれ、ふにふにと弄ばれる様な感触も得る。
まるで二人の女性に可愛がられている様だなぁ、夢かなぁ、と淫蕩う柔の唇を、そっと何かが優しく撫でた。反射的に口を開き、くすぐったさを与えてくるソレを口に含む。
「あむ」
「な……!」
何となく甘いソレを、飴かなぁと思い、舐る様に口の中でもごもごとやっていると、柔の意識は唐突に鋭い痛みを得た。
「むご?」
「大人な甘え方ですのねぇ」
「な、舐め……なにゅっ……!」
狭間にあった意識が、急速に浮上していく。薄目でぼんやり外を見て、柔は眩しくて瞳を閉ざした。頭が働いていない。
まだ、眠い。
だがしかし、鋭い痛みは依然続いている。
頬をつねられているのだ、と理解するのに、柔は数瞬の間を必要とした。眉間にむぎゅぎゅと皺を寄せ、痛みを誤魔化す様に口の中の甘い飴に舌を這わせ、ちゅうと吸う。
「……ちょーっと、面白くないですの」
抓った頬を、更に捻る痛みが加わって、寝ぼけていた柔の意識はやっと覚醒した。閉じていた瞼を開き、見慣れない光景に疑問を得る。
「む……?」
ぱちぱちと目を瞬かせ、首を動かした。頬に当たる、ふかふか柔らかな感触と、口の中にある細長い物――飴の甘さと感触がまだあるのを感じて、おっとりと首を捻る。
「ゆうぇのなはの、れきおとじゃあ……」
夢の中の、出来事じゃあ……?
「指を、す、吸わないで下さい前田 柔!」
恥ずかしがる様な、焦った声が柔を叩き、その段に至ってようやく柔は、口の中の物が飴ではないことに気がついた。
指、吸う、とカタコトで単語を反芻し、はっと目を見開く。途端、ぬるりと唇からソレが引き抜かれる感覚に驚愕。
遠のく感覚を追う様に、目線を動かそうとして、今度こそ自分の体勢に気がついた。
柔は今、体の左側を下に、何か柔らかで良い匂いでふわふわな物に、抱きつく様にしっかと手を回している。
目の前にある、白色の生地と暖かさ。それが何であるかに気がついて、咄嗟に柔は手を離し、転がり落ちた。
ごろごろとそのまま二,三回転して、満面に汗を浮かべながら目を見開き、あわあわと視線を揺らす。
「ひ、膝……」
果たしてそれは膝枕だった。柔は、寝ている間に撫子の膝に乗せられ、そして畏れ多くも抱きついていたのである。柔は今更ながらに、撫子の太ももや、お尻のラインにまで無造作に手で触れていたことに気がついて、狼狽した。
「あわ、あわわわ……!」
柔らかかった! 気持ちよかった! ……などと素直に叫ぶ訳にもいかず、柔の思考は余りにもハプニングな状態に思考を奪われる。
そんな柔を見かねて、撫子はそっと声を掛けた。
「柔?」
まさか無視する訳にもいかない。体を起こして正座をし、恐る恐る視線を上げると、にっこり笑顔の撫子と目が合った。
「おはよう御座いますですの」
「お、おは……ようございますです」
不自然なアクセントを付けて、裏返りかかった声で挨拶を返す。何をどうすれば良いのか分からない、そんな状況にだらだらと脂汗を流しながら、柔は助けを求めて桔梗を探した。
足を崩して座っている撫子の隣、すぐ近くに居る桔梗の姿に目を留める。
「ふ……ん……」
しかし、柔は必死で目線を下に落とした。何かの液体で濡れ光る人差し指に、どこか困った様な顔で唇を寄せる麗人の姿を見てしまったからだ。
目元をほんのりと赤らめ、撫子に半ば背を向けるようにして、抱え持つようにした人差し指にほんの少し、唇を這わせる美女の姿は、目に猛毒である。
そういえば、目覚める時に桔梗の声で、『指を吸わないで下さい』なる言葉が……口の中にあったちょっとだけ甘いあれは……と考えた所で、ぶんぶんと柔は頭を振る。
考えてはいけないことだ、と頬を赤らめたまま何とか思考を切り替える。
それを見計らっていたかの様なタイミングで、撫子の柔らかな声が柔の耳を震わせた。
「さて……膝枕をして差し上げたら、子供みたいに抱きついて、頬摺りまでしていた、甘えんぼさんのじゅーう?」
思ったより近くから響くその声に、柔はぱっと顔を上げた。ニヤニヤと悪戯っぽく笑う撫子は、いつの間にやら柔のすぐ目の前に膝をついている。
柔は、撫子の言葉とその仕草に、恥ずかしさで頬に朱を昇らせた。
「あ、あの……ごめんなさい!」
そして、勢い良く頭を下げる。謝ってよいやら何やらで、まともな思考もままならない柔の思考をかき混ぜるかの様に、そっと伸ばされたその繊手が、柔の頭に柔らかく触れる。
「……あの?」
そのまま黙ってしまった撫子を窺う為に、柔は視線だけをちょっと上げた。
「……怪我は?」
どこか躊躇いがちな撫子の声。慎重に慎重に、何度も柔の肌に触れるその指先に疑問を感じながら、柔は思った言葉をそのまま口にする。
「あのぅ……?」
「どこか、酷く痛む場所は、ありませんの?」
「特には、その。無いです」
「そうですの」
言って、撫子はようやく手を離した。視界の中、徐々に遠のいて行く繊手に安堵と、微量の寂寥感を覚えることに柔は狼狽する。何と、畏れ多いことだろうか。
「柔、貴方がどうして気絶していたのか……覚えていますの?」
撫子の言葉には、しかし不安の様な物が揺れている。僅かながらそれを感じ取った柔は、うむとお腹に手を当て、首を傾げた。視線を斜め上に上げ、ぽよぽよとした贅肉の感触を持て余しながら、そこにある見慣れない光景に思いを巡らす。
鈍く、動きの遅い柔の思考は、扉の無い入り口と、薄汚れてやや頬を腫らした撫子の顔を見て、本来の目的を取り戻す。
思わず腰を浮かせ、撫子の肩に手を置いた。
「な、撫子さんは、怪我っ!」
「?」
突然、日本語になっていない日本語を口走った柔に対して、撫子は視線だけで疑問を振る。
それを見て、うっと詰まった柔はずれたままの眼鏡も気にせずに、懸命に胸の中を泳いでいる言葉を探す。
口を開き、言葉を出せぬまま閉じ、を繰り返していると、落ち着き払った桔梗の声が飛んできた。
二人の会話の間に、すっかりいつもの冷静さを取り戻した桔梗は、ゆっくりと立ち上がる。
「クイーン」
「桔梗?」
「彼は、貴方に怪我は無いのか、と」
「ああ……ふふ、大丈夫ですの。柔、貴方が助けてくれたから」
そう言って柔を見る撫子の顔には、笑み。ほのぼのとしたムードに、柔は大きく息を吐いた。
柔が見る限りでは、撫子が痛みを堪えたりしている様子は無い。
「良かっ……うわぁ! ご、ごご、ごめんなさい」
安堵も束の間、柔は勢いよく仰け反った。撫子の肩に置いていた両手を万歳する様にどけ、米噛みに汗を一筋垂らす。
そんな柔を見て、撫子はクスクスと笑みを零した。頬に手を当て、反対側の手でちょん、と柔の鼻先を突っつく。
「ありがとう」
満面の笑みと共に言われた台詞に、柔はますます顔を赤らめた。上げていた手をゆっくりと下ろし、視線をうろうろと彷徨わせ、最後に撫子の顔を見る。
「うふ」
「クイーン、そろそろでは」
「ああ、はい。では、下に行きますわよ、柔。おいでなさい?」
「はぁ……」
優雅な挙措で立ち上がった撫子のマイクロミニ、その大胆なスリットから覗く淡雪の様な太ももの白さに目を奪われながらも、柔はよっこらと立ち上がる。
「……?」
しかし、足を一歩踏み出したところで不意に痛みを感じ、左足を見下ろした。そろりと左足を動かすと、それだけで痛みが背筋を走るのだ。
特に太ももと、脹ら脛の筋肉が突っ張っている様で、力が入らない。思わず、顔を情けなくしかめた。
我慢出来ない訳ではないが、それでも痛い。一度痛みを意識すると、連鎖的に他の部分の痛みも思い出してしまうようで、後頭部からくる疼痛や、肩口の痛みが頭を擡げる。
一斉に不満を訴える正直な体に辟易しながらも、柔は息を詰め、目を閉じた。
吐き出す息は熱をもった荒い物。痛みを堪える為に出る、特有の呼気に他ならない。
冷や汗とも違う、じっとりと肌に貼り付く脂汗を流しながら、柔は何度も深く息を吸い、大きく痛みを吐き出す。
先頭に立って、部屋から出ようとしていた桔梗が目敏くそれに目を留めた。撫子を廊下へ促してから振り返り、小さく柔に声を掛ける。
「……どこが、痛むのですか?」
柔の変調を、確信している声だった。落ち着いた声は、遠い蝉の鳴き声の中、それでもしっかりと柔に届く。
ふるふる、と柔は首を振った。
続けて、「何でもないです」と口にしようとした途端、ぱこりと額を叩かれる。
ズキリと頭が痛み、じんわりと目の端に涙を浮かべながら、遙か高い場所にある桔梗の顔を見上げた。
「どこが、痛むのですか?」
「うう……」
無表情でじっと見詰めてくる視線に対抗しきれず、柔はついっと視線を逸らした。重心をさり気なく右足へと移す。
その動きを見て、桔梗は僅かに目を眇めた。柔の左足、微かな震えを起こしているその部分を見やり、屈み込む。
「……左足ですか」
ひっそりと呟いた桔梗は小さな溜息を零し、柔が足を退こうとする前にさっと手を当てた。
「いっ……!」
「ふむ……これは、後でちゃんと病院に行くべきですね」
柔のズボンの裾をまくり上げ、ひたひたと脹ら脛を撫でる桔梗は、こともなげに呟くと、すっくと立ち上がって柔の肩に手を回す。
「筋肉が大分痛んでいる様です。詳しいことまでは分かりませんが、階下までは肩を貸します……ほら、さっさと歩きますよ」
柔自身、知るべくもないことであるが、実際柔の筋繊維は、この時酷い損傷を受けていた。言うまでもなく、限界を超えた踏み込みによる物だ。
そもそも人間の筋肉は、百%の力を発揮することが出来ない様になっている。自らの生み出す筋力に耐えきれずに、骨、関節、筋や腱が傷ついてしまうからに他ならない。
一般的に人間が出せる力と言うのは、生理的な限界の三十%程だと言われている。トレーニングを積み、心理的な限界を緩め、筋肉を日常的に鍛えているアスリートでも、瞬間的に九十%発揮するのががせいぜいと言った所だろうか。
一方柔は、所謂火事場の馬鹿力として――ほぼ百%に近い値の筋収縮力を発揮したのである。
碌にストレッチもされていない、鍛えてすらいない柔の脆弱な筋肉群――太ももの前部、大体直筋並びに脹ら脛の腓腹筋と、ハムストリングス――は、たった数度の踏み込みだけで、筋断裂を起こしていた。
桔梗が目にしたのは、内出血で真っ赤に染まった柔の脹ら脛である。完治までに時間のかかる筋断裂は、場合によっては後遺症を残す可能性もある。
後遺症が残らないにしても、かなりの期間強度な運動を控えて安静にする必要があるし、一度筋断裂を起こしてしまうと、以後同じ部分を痛めやすくなる。
そんなことは露とも知らぬ柔であるが、素直に肩を貸して貰いながらも、保険証はどこに直しているのか、と呑気に頭の隅で考えていた。
「クイーンにも……困ったものです」
ぽつり、と桔梗の呟きが静かな空間に落ちる。溜息と共に吐き出されたソレを耳にして、柔は空いている手でぽりぽりと頭を掻いた。
ひょこひょこと不器用に右足を動かしながら、口を開く。
「あの……どうかしたんですか?」
「そうですね……あ、そこの段差、気を付けて下さい。まぁ、ちょっとした意趣返し、でしょうか」
「いしゅ……?」
「自分を拉致した彼らに、仕返しをしてやろう、というつもりの様です。……全く、あれほどマスコミに露出しない様に気を付けていたのに」
「そうなんですか……」
言葉の割に、鳶色の瞳には悪戯っぽい光が煌めいている。不思議そうな顔で口を半開きにし、目を見開いている柔を見かねて、桔梗はくすりと笑みを零した。
柔の動きに呼吸を合わせて、彼の足が痛まない様に程よい速度で階段を降りながら、ゆったりと唇を震わせる。
「前田・柔、貴方にも出番があるのですよ?」
「え!?」
「まぁ、難しいことは言いません。出来るだけ胸を張って、堂々としていれば良いでしょう」
「胸を張って、堂々、ですか……」
柔にとって、それが何より難しい気もする。ううんと首を振った拍子に体が揺れて、思わず壁に手をついた。掌に触れるコンクリートは、ひんやり冷たくて心地がよい。
痛みと疲労、二つの要因で軽く息を乱しながら、柔は小さく息を吐いた。
「後少しだけ辛抱して下さい。救急車も呼んでありますから」
気遣わしげな桔梗の声を頼りにしつつ、よたよたと階下へと辿り着く。やはり一階は薄暗い。
柔は、迷いの無い桔梗の歩みに引き摺られる様に無心で足を動かすことに集中した。ごみごみとした工場の中は歩きにくいが、そうでもしないと、ともすればへたり込みそうになってしまうからだ。
よたよたと歩き続け、数分もすると、柔達が入って来た扉が見えてくる。その前、少しだけ開けたスペースに、撫子が一人で立っている。
扉から差し込む光、彼女の足下には、縛られた男達が転がされていた。
撫子は足音に気がついたのか、踵を視点に勢いよく振り返る。一拍遅れて黒の長髪がふわりと舞い上がり、彼女の輪郭を彩った。
傷ついた様子を微塵も感じさせず、ゆったりと微笑んでさえ居る。胸の下で腕を組み、ちょこんと小首を傾げてみせた。
艶やかな紅の唇がゆっくりと開き、切れ長の瞳が柔を認める。
「大丈夫ですの?」
「怪我を、しています。手早く済ませるのが良いかと」
「……ふむ。なら」
「いえ! ……大丈夫です」
考える素振りを見せた撫子に、柔は出来るだけ大きな声を挟んだ。未だ肩を貸されたままだし、これから何をするつもりなのかも分からない。
しかし、例え何であっても、柔は撫子の迷惑にはなりたくなかったのである。力ない仕草ではあるが首を振り、上目遣いながらもしっかりと黒曜石の輝きを見詰める。
満点の星空の如く濡れ光る漆黒の瞳は、不思議と暗がりの中にあっても良く映える。吸い込まれてしまいそうだ、と柔は生唾を飲み込んだ。
「柔……」
「……」
撫子は困った様に眉根に皺を寄せ、ちょっと唇を突き出してみせる。
ぐ、と肩を担ぎ直されて、柔は痛みでむうと顔をしかめる。左足の激痛は一向に治まらず、ともすれば歩くこともままならないのではと思える程だ。
汗が顎先を伝う感覚を覚えながら、柔は息を詰める。
果たして、睨み合いとも言えぬ僅かな拮抗を崩したのは撫子だった。ふいっと視線を逸らし、溜息を吐く。
「頑固者」
「うう……」
呆れをそのままに表す言葉に、柔はがっくりと項垂れた。そろりと桔梗から肩を外して、ふらふらしながらも一人で立つ。
「ま、確固たる意思があるのでしたら、泣き言は聞きませんの」
撫子は素っ気なくそう言って、さっと身を翻した。背後、柔からは見えない角度で不敵な笑みを漏らし、カツカツカツ、と扉に歩み寄る。
そこで一度、柔達の方に振り向いた。
「桔梗、恨まないでね?」
「ご自由に」
大仰に肩を竦めてみせる桔梗に、にっこりと笑い掛けた後、柔の顔に目を向ける。
「柔」
「ふぁ……い」
「撫子の隣に立ちたいと、そう、少しでも思いますの?」
要領を得ない投げ掛けであった。揶揄う様でいて、どこか懇願する様な色を真剣な瞳に浮かべていることは、逆光になっていて柔からは窺えない。
それでも、ふらふらの体、痛みでノイズの走る意識の中で、柔は思考よりも早く頷いた。
そうしてから、胸に浮かんだ言葉をゆっくりと押し出す。
「ぼくは」
声が、息が震えている。
取り繕うのはもう無理だった。家族と施設……柔の全てと比肩してしまう程に、柔はいつの間にか、撫子を求めてしまっている。
例え、自らの身を対価にしても良いと感じることが出来る程に。
燃え尽きた様な体の中、胸の奥で、いっそ狂おしいと言える程の気持ちが渦巻くのを止める術を、柔は知らないのだ。
だから、なけなしの勇気をかき集めて小さく、続けた。
「……望めるのなら、そう、祈りたいです」
「うふ」
絞り出すかの様な音量の声は、しかし確かに撫子の鼓膜を震わせる。柄でも無く胸の鼓動が一つ狂うのを感じながら、それをすら心地良いと思う撫子は、嫣然と笑って見せた。
目は口程に物を言う、という諺がある。
誰よりも頼りなく、揶揄いがいがあって、でもとても、強くて優しい心を持つ柔の瞳から感じる津波の様な感情を受けて、撫子は思わず、小さいながら熱い吐息を漏らした。
あてられたのか、いつ柔が倒れても受け止めることが出来る様、彼の隣に立っている桔梗の頬もやや赤い。
周囲に伝播する程の思いが籠められたその声に、撫子は胸を切り裂かれ、掻き混ぜられる様な、それでいて優しく包まれる様な感覚を得た。
それは苦しく、酷く甘い。心の奥底に覚えている、義兄に抱いた想いよりも、なお切ない。
だが撫子は、その想いにただ身を任せるだけの女では、居られないのである。
彼女は一人の女性であると同時に、著名な役者でもある。
好いた惚れたの感情だけで、自由な恋愛が許される立場には無い。一役者を越えた、知識人としての思慮や行動が求められる立場にあるのである。
全世界にファンを持つ、絶大な人気を誇る女優の恋愛騒動の相手など、生半な男では務まるべくも無い。
マスコミや、撫子の熱狂的なファン等からのバッシング、謂われのない誹謗中傷、プライヴェートを常に誰かに追われる危険性も無いとは言い切れない。
そう言った物を天秤にかけて、それでも尚、撫子の隣に歩いて来れる者。
それらは、撫子の隣に立ちたいと思う者に求められる、最低限必須の条件なのである。
社会的地位も、財産も、学歴も、容姿も、何一つ取って、世間に対して『分かり易い』価値を持たない男が相手だと言って、納得しない者がどれだけ居るのか。それが壁になる。
逆に言えば何か一つでも、生半な男でなければ――その欠片を、持っていれば、何とでも出来るのである。
なればこそ、目の前に居る男を――自分勝手な都合で――試さねばならない。
ともすれば震えそうになる呼吸を整えて、撫子は言葉を紡いだ。
「撫子は、祈る神など持ちません」
「……?」
だから、祈りなどという曖昧な物は信じません。と一息置いてから、撫子はぎゅっと組んだ腕に力を込めた。
真剣な瞳、それを以て自身を見詰める柔の頭からつま先までを、じっくりと眺め、言う。
「貴方が少しでも、撫子の傍に……一番近くに来たいと、そう望むのならば。行動と、意思でそれを示して下さいませ。その身の全てを撫子に捧げ、その想いの全てを撫子にぶつけて下さいまし」
「……」
「撫子は女で――けれど、役者ですの。ファンの方々に応援して頂いている以上、それに見合うだけの自負があります。だから……撫子は、立ち止まりません。一分一秒一刹那、その間にも撫子は役者としての実力を磨き、知識を深め、今よりもっと良い女になる。諦めず、曲げず、折れず、ゆっくりでも、小さな歩幅でも構わないですの。撫子が欲しいのであれば、隣に立てる位置まで――自分の足で、歩いておいでなさい」
「……それは」
そうして柔が何か反応するだけの間も挟まずに手を掛け、勢いよく扉を開け放った。
反応するのは、日中でもありえない眩さ。大量のフラッシュとシャッター音が一拍の静寂の後、一斉に廃工場へと飛び込んでくる。
「……!? 今! たった今建物の扉が開きました! そこから見えているのは……撫子です! スキャンダルの渦中に居る彼女は何故こんな場所に居たのか!? さ、早速、インタビューしようと思います!」
ぐらぐらと頭を揺さぶる様な大音声。どこか気怠い、予想外の事態に直面した様な複数の声に、柔は霞み始めていた意識をはっと取り戻し、顔を上げた。
そっと背中に手を当てられる手に後押しされて、拙いながら一歩を踏み出す。一歩一歩が酷く重く、鈍い。それでも、柔は足を動かすことを止めようとは思わなかった。
ぐつぐつと体が煮えたぎってしまいそうだ、と胸の内にぼんやり言葉を浮かべた。
撫子は、欲しいのなら歩いて来い、と言った。
欲しい、という想いを持つのは、失礼なことなのかもしれない。今まで、恋愛という華やかな舞台に立った事のない柔は、そこを目指す道を前にして、今まで足踏みをしていた。ずっと、ずっとだ。
想いを向けられたことが無いからこその戸惑い、そして、想いを向けたことが無いからこその恐怖。
渦巻くそれは酷く獰猛で、拙い。しかし、己が心の叫びに、柔は今応えたいと思っている。
ならば、と柔は思う。
足を止める道理は無いとも。
扉まではまだ十数歩分ある。外からは、何やら煩い声が聞こえて来る。だが、柔にとってそれは些末事だった。
無事な右足を一歩踏み出して、出来るだけ背筋を伸ばす。
痛む左足を引き摺って、ゆっくりと顔を上げる。
じっとりと滲む汗と涙を、重ねる一歩と共に拭い、荒げる息を継ぐ為に、半開きにしていた口元を引き締める。
引き摺るだけの足を叱咤して、精一杯胸を張った。
そこまでやっても、自分の姿が凛々しいという言葉からほど遠いのは分かっている。
それでも、そうせずにはいられない何かが、柔の胸の奥、真ん中の部分で滾っている。
痛みと疲労、胸の熱、大幅に低下した柔の思考能力は、純粋な感情にだけ反応して体を動かしている。
相応しいとかどうだとか言う後ろ向きな理性の声は、今の柔には届かない。扉の向こう側には、報道陣に詰め寄られる撫子の姿。そこを目指して、ただ歩く。
燃えさかる様に熱く、氷の様に静かな激情が身を焼く心地よさが、柔を支えてくれている。
柔の目には、もう撫子の姿しか見えない。
「撫子さん! 今回のスキャンダルについて、な、何かコメントを……!」
詰め寄る割に、リポーター達の言葉にはやや勢いがなかった。
それもその筈、彼らの中には、園田に脅され、『ここで何が起こっているか知っていながら』集まってきた記者達がいる。
監禁されている筈の撫子が、何故堂々と出てくるのか。園田はどうしたのか。何より――嫣然と微笑む撫子は、記者達がここに居る経緯を知っているのか。
少なくない数の人数が、脅されてここに居る。匿名のタレコミがあった、とまで嘘を吐いてカメラマンを引っ張り、強引に放送枠を取り、生放送としてカメラを回している以上、滅多なことは口に出来ない。
自然、恐る恐る、探りを入れる様な視線と、当たり障りの無い質問を重ねることしか出来ないのである。
しくじれば、首が飛ぶ所では済まない。
撫子は、ざっと視線だけでそんな記者達を睥睨し、僅かでもおびえを感じている者達を見定め、静かに右腕で空気を払った。
「――お黙りなさい」
効果は、絶大だった。腕を振る、その一動作だけで姦しい報道陣を黙らせ、無遠慮に詰め寄っている男達を一歩退けさせる。
出来たスペースに一歩踏み出し、それに押されてもう一歩足を退いた記者達を意にも介さない様子で、ゆっくり腕を下ろした。
何気なく伸ばされた指先の動きまで、計算し尽くされた魅惑の美しさに包まれている。
撫子はひた、と正面でマイクを握っている男に視線を当てた。生唾を飲む音すら聞こえそうな静寂の中、撫子の声だけが凛と響く。
「生放送、なのですのわね?」
「は、はい」
米噛みから汗を滴らせ、小刻みに頷く男から視線を外し、その周囲の者達にも視線を向ける。同様の頷きを得たことを確認して、撫子は口を開く。
「ここで、撫子から、一つの凶悪事件をお伝えしますですの」
「じけん……?」
声を潜めた、最前列の報道者の後ろから、そんな声が上がる。撫子はそちらに視線を向け、腫れて赤くなっている頬を指差した。
「ここ……殴られたんですの。それと、ほら、スカートも」
惜しげもなく晒された脚線に、思わず生唾を飲み込む報道陣。おそらく、カメラの向こう、日本中のお茶の間で、同様の出来事が起こっているのであろうことは想像に難くない。
撫子はそれに頓着せずに、服についた埃や、後ろ手に縛られて、擦れて赤くなった痕もカメラの前へと突き出した。自然には付かない汚れなのは明白である。
「殴られた痕、縛られた痕、服の汚れ……とてもでは無いですが、一人で付けるには仰々しすぎる傷だと思いませんこと?」
そうして、びくん、と肩を震わせる男達をじっくりと見詰めていると、パトカーのサイレンが飛び込んでくる。
あっという間に報道陣をかき分け、現れた十数名の警察官達は、カメラに意識を払うこともなく撫子に敬礼してみせた。
一番年かさに見える、しかめつらしい顔をした年配の男が進み出て、敬礼をする。
「通報感謝します。誘拐犯はどこに?」
「こちらですの」
誘拐犯。その言葉に、呼吸するのも躊躇っていた記者達が息を吹き返す。
園田に呼び出された以外の記者達がやんやと騒ぎだし、それでも慎重に撫子へと質問を飛ばした。
「撫子さん、誘拐とは一体どういうことなのでしょうか!?」
「ええ……実は私、今日の午後からつい先程までこの中……そこに居る、彼ですね。園田という男性に誘拐されて、監禁されていたんですの」
「ど、どういうことなのでしょうか!?」
問われ、撫子は事件の概要を立て板に水を流すが如く、説明していく。どうやって誘拐されたか、という事柄だ。
警察官が、四人の男達を引っ立てて廃工場から出てくると、カメラは一斉に男達の方に向いた。
それを横目に、撫子は組んでいた腕を解き、顎に手を当てる。
「そう言えば……貴方がた、報道陣の中にも、共犯と呼べる方が居たんでしたわね」
それは小さな呟きだったが、意味深で、良く響くものだった。
彼女はカメラとマイクが再び、撫子の方へ向くのに合わせてゆったりと笑む。
「そ、それはどういうことなのでしょうか!?」
「論より証拠、と言いますでしょう。……桔梗」
「は」
スクープの興奮に目をぎらつかせる報道陣を目線で窘め、片手を上げて桔梗を呼ぶ。
廃工場の扉をくぐって撫子の斜め前へと歩み出た桔梗は、掌にのせた小さな機械を操作した。
カチリ、僅かな作動音の後、せき立てられる様な男の声が流れ出す。
「……そうですよぅ! 私が呼んだ無能な記者連中はこれから、大量に押し寄せて来ますからねぇ。こんな、こんなこんなこんな事態にならなければ、あの小僧が邪魔をしなければッ、今頃貴女を私の手で犯し穢し抜いて差し上げていると言うのに……! それを事故として生放送でお茶の間に流して差し上げられたら、どんなにか、嗚呼! ア……」
「ICレコーダー……」
「貴方がた報道陣がここに居る理由……それが何であったか、ちゃんと下調べはついていますの?」
「そう言えば……特に裏が取れた情報でも無いのに、何でかアイツが騒ぐから」
「そういう、ことなのでしょう。……ちなみに、彼が声を掛けたと言う人達の名前も、ちゃんと答えて下さっておりますの」
「そっ、それは一体誰なのでしょうか!?」
撫子はその質問には答えずに、右から左に視線を振った。彼らは見えない圧力に気圧され、ほんの一瞬だけ押し黙る。淡々と映像を送り続けるカメラに良く映る様に、撫子は一歩、さりげなく足を動かして立ち位置を直した。
無機質なレンズの彼方、そこに数多居る筈の人々の目を覗き込む様に、きらりと黒曜石の瞳が輝く。
「ごめんなさい? 私、これでも被害者ですの。事件の真相は、追々白日の下に晒されるでしょう。――それより皆様。何故監禁されていた私がここに居るのか、それが気になりはしませんの?」
「あ……」
間抜けな話ではあるが、こうやってわざわざ問い掛けられるまで、報道陣の頭にその疑問は浮かんで居なかった。悄然と項垂れ、いつの間にか最前列から退いている共謀犯達をちらと見やり、撫子は大きな動作で、しかし優雅に背後を示した。
身を乗り出してそちらに注意を向ける報道陣の視線の先には、薄暗い倉庫の中から一歩一歩、遅々としたペースで歩み寄る一人の男の姿がある。
「写真の……?」
ぽつり、と報道陣の一人が呟いた。贔屓目にも美男子とは言えない肥満体は、薄汚れてみすぼらしくすら見える。
履き古したジーンズと安物のTシャツに、ぎゅうぎゅうと体を詰め込んでいて。言ってしまえばどこにでも居る、気弱な青年の姿そのものである。
乱れた髪、ふっくりとした頬、下がった眉、罅の入った眼鏡のレンズ。その向こう側にある瞳はしかし、不思議な色に揺らめいている。
柔の吐く息は依然、荒いままだ。額に浮いた汗、頼りなく左右に揺れる体。
誰がどう見ても完全な満身創痍、軽く引き摺る左足は、細かく痙攣を起こしているのが見て取れる。
「彼は」
撫子の静かな声が、しんと広がり、カメラの向こう側にまで染み渡った。
「彼が……私を、助けに来てくれたヒトですの。私が窮地にある時、ただ、自分の身を賭して」
――こんな怪我をすることも、厭わずに。
小さくそう続けて、やっと撫子は柔の方へと振り向いた。遅々としたペースで、それでも撫子の隣まで辿り着いた柔の頭はふらふらと頼りなげに揺らいでいる。
「ここまで、辿り着いたんですのね」
「……はい」
「うふ、撫子に気に入られた以上……もう、逃げられませんわよ?」
呟き、そっと体を寄せた撫子が、やや上目遣いで柔の瞳を覗き込んだ。
「ねえ柔、これから起こること、一生覚えていて下さいまし」
そして悪戯っぽく笑うと、柔の頬に手を当てる。ぺちぺちとその頬を軽く叩き、更に一歩、身を寄せた。カメラにばっちりと映るアングルで目を閉じ、首を傾ける。
同じ程度の身長の二人だからか、撫子は背伸びをするまでもなく、それはごく自然な挙措で。
「ん……」
「む……?」
「おおお……!」
一拍の空白を挟み、低い、地鳴りの様などよめきが満ちた後、連続してカメラのフラッシュが焚かれた。事態に付いていけず、目を白黒させる柔の唇には、何か柔らかい感触がある。
とろけてしまいそうに柔らかく、甘い。暖かく、しかしどこかひんやりとしていて、何より優しい、そんな感触だ。
柔は、目の前に拡大された撫子の美麗な顔、伏せられた睫毛の長さを見るともなしに見詰めながら、微動だに出来なかった。
口付け、されている。その事実を認識するまで、優に数秒はそのままであった。
はっと我に返ると同時に、撫子が身を離す。上気した頬、開かれた黒曜石の瞳は濡れ光っていて、酷く妖しい。
ふるりと震える、形良い唇が動くのを、柔は呆然と眺めていた。
身の内の感情を吐き出すかの様に、ほうっと甘やかに息づいた撫子が、顎を引き、上目遣いに柔を睨みながら、そっと呟く。
「……言っておきますけれど……初めて、ですのよ」
言い、ふいっと視線を逸らす撫子の仕草に、柔の心臓ががんがんと早鐘を打ち鳴らした。
一六ビートの鼓動が胸の内側から柔の体をがくがくと揺さぶり、気付けばいつの間にか、頬と言わず首と言わず、余すところ無く色を赤に染めていく。
再生の終わったICレコーダーを仕舞い、親しい者でないと気づけない程小さく、面白くなさげに眉を顰めた桔梗がぼそりと呟いた。
「……気は済みましたか?」
「え、ええ!」
「あう……」
慌てて身を離す、そんな二人の姿を中継する報道陣の一人が、勇敢にもマイクを向ける。柔へと向けられたマイクを巧みに遮って、撫子は一歩前に出た。
こほん、と咳払いを一つ落として、表情を引き締める。稀代の名女優の名に恥じぬ早変わりであるが、それでも頬がやや赤らんでいるのは、演技なのか、そうでないのか。
「雑誌の記事など、あったのですけれど……私が好きになったのは、私を助けてくれる、そんな人ですの。今回のこのことで、悪し様に叩かれたりするかもしれません。テレビカメラの前で、決して褒められる様なことをしたとは思いません。けれど、私は――」
そこで一度言葉を切り、胸にそっと空いている方の手を当てて、
「撫子は、選ぶだけの理由を以て、彼を選んだんですの。ただ、皆様に、それを知って貰いたい」
ということで、怪我人ですし、失礼しますの。と爆弾発言を落として、撫子は未だにだらしなく呆然としている柔の手を取った。反対側に桔梗が付いた所で、救急車のサイレンが辺りを包む。
怪しげなスキャンダルを追っていたら、誘拐事件のスクープになり、そして話題性抜群で強力無比な恋人騒動が巻き起こる。どの事柄について聞けば良いやら、報道陣はそれぞれに頭を巡らせた。
生放送だが、この一件で後何件分の特集番組が組まれるのか。考えただけで忙しさに体が震える。
そんな中、先程先陣を切って柔と撫子にマイクを向けた記者が、けたたましく響くサイレンに負けぬ様、またしてもインタビューの為の質問を投げかけた。
「今の、お気分は如何ですか!?」
柔を引き摺りながら報道陣をかき分け、救急車の方へと向かう撫子は足を止め、ほんの一瞬振り返る。カメラがズームでその顔を映し出すのと、撫子が笑みを浮かべるのは同時だった。
「……」
言葉にならないどよめきが起こる。艶めかしく嫋やかで、しかし清らかにも見える撫子の微笑の威力であった。
深い色の瞳を揺らし、眉を下げ、紅唇を緩やかに引き上げた幸せそうな笑みは太陽の如く燦然と輝いていながら、月の如くしっとりと優艶にすら映る。男を魅了し、女を魅了し、人を魅了する悪魔的なまでの吸引力が、そこにはあった。
報道陣は、撫子の返答を心待ちにして、固唾を呑んで事態を見守っている。
「――ノーコメント。ですの」
完璧な仕草でパチリとウインクを飛ばした撫子は、濡れ羽色の髪を風に靡かせ、颯爽と救急車へ乗り込んだ。
呆然とした記者の呟きは、遠退いていくサイレンに掻き消されて消える。
「こりゃあ……大スクープだ……」