異世界転生の裏方さん
人は死んだらどうなる?
自分という”もの”はどこかへ行くのか? 今も昔も、洋の東西も問わず、人の興味が向かう先はそこであった。わからない事をわからないままでいて平気でいられる人は多くは無い。なんでもいいので、とにかく納得できる説明がいる。でないと落ち着かない。人々は人類に備わった想像力という翼をおおいに広げ、神や魂、天国や地獄という物語を創作していった。多くの人が共感する物語であれば、それは一つの宗教へと成長する。
時代が変われば人の死生観もまた変わる。死後の魂の行きつく先もまた変わるのだ。
とある星の、とある時代の、とある島国の若者たちのトレンドは異世界転生、これ。
自分は死ぬと異世界に行く――
異世界転生物とは変わりゆく時代の先に生まれた、新しい宗教、そう言えるのだ。
◇
「ああもう終わらねぇ」
いきなり愚痴からで申し訳ないが言わせて欲しい。
小市民を自認する俺は、我ながら平凡に、そしてまっとうに、長くもない人生を生きて、死んだ。死んだらどうなったかというと、神様がいた。いや正確には神様の演技をしていた今の上司だったわけだが、それはまぁいいとして、異世界転生というワードに飛びついた俺は異世界で生き、そして満足して死んだ。死んでどうなったかというと、また同じ神様がいた。「満足したのでもう終わりでいいです」と言う俺、しかし輪廻転生からの脱出は簡単なことじゃないと返され、これは永遠に終わらないのかと絶望しかけている俺に上司は気楽に「じゃあ、ちょっと仕事をしてみない?」とスカウトをしてきた。
異世界転生に関わる仕事だという。
もとより異世界への憧れがあった俺は、実際に剣と魔法、そして魔物はびこる世界を存分に堪能したのだ。つまり神様や世界に感謝をしていた。だからこそ、いわゆるひとつの恩返しとして異世界転生に関わる仕事に就くことを了承した。神様の補佐として世界の運営に関われる仕事なんだ。ぶっちゃけると心が躍った。それが今、俺がやっている仕事。生涯どころか自己の全存在をかけて行う仕事。仕事にしようと思ったのだが……
「なんで俺は今、女性物下着を延々とデザインしているんだ?」
なんで俺は今、女性物下着を延々とデザインしているんだ?、いや、二度言うほど重要じゃないな。とにかく今現在の俺がやっている仕事は、モニターを見ながら女性一人一人に似合う下着をデザインしている。
「これは俺がやりたかった事じゃない……なんで俺は今……」
つい口から零れてしまう俺の愚痴を受けて横のデスクにいる幼女が答える。
「新人くん、それはハーレムくんが3000人分の奥さんの下着をオーダーしたからだよ」
淡い金髪を短いツインテールにした幼女が、椅子に座ったままノビをひとつして、こちらを見る。見た目は幼女だがこれでも同僚、仕事仲間。ゴシックロリータの服装に身を包んだロリータだ。
俺をはじめとして、ここで働いている人は皆、精神生命体とでも言うべき存在なので、見た目の年齢や性別などで個人の性質を特定することはできない。同僚もこう見えて、元男で転生後に女として生まれ変わったという経歴を持つらしい。俺と同じスカウト組。積み重ねた年齢的には俺よりもいくらか年上だとか。
それにしても、ゴスロリ幼女が仕事をしているのを見ると違和感が半端ないのは、俺がまだ物質生命体だった時の感覚を引きずっているからか。どうにもやりにくい。なんで幼女の姿なんだ?
ゴスロリ幼女の同僚は俺のことを新人扱いするが、ここで働き始めた時期はさほど違わないはずだ。
「マナさんだって新人でしょう。俺とさほど変わらないと聞きましたよ」
「呼び捨てでも良いよ。新人くん。それでも少しだけは先輩なのだ。だから敬意を持ってマナちゃん先輩と呼んでもいいのだよ」
「マナちゃん先輩はどうしてその見た目なんですか?」
疑問に思ったことをストレートに聞いてみた。
「見た目? そんなの自分がこの姿でいたいからに決まっているじゃないか。君だって好きでモブ顔にしているんだろう? 外見なんて自由に変えられるのだし」
「生まれてこの方、ずっとこの顔でやらせてもらってますが!」
俺は転生というよりは転移という感じで異世界に行ったので外見にさほど変化は無いんだよな。見た目の年齢は増えたり若返ったりはしたけれど。てかモブ言うな、これでも愛着を持っている顔なんだよ。たしかに、どこにでもいそうな顔ではあるけどな。
腕を上げて肩をほぐしながら壁に掛けられている巨大モニターを見上げる。そこには、幼女先輩がハーレムくんと呼んでいる案件の転生者のどや顔が映っている。むかつく。泥団子を口に突っ込んで、あごを下からかちあげてやりたい。
自分たちが今、掛かり切りになっている転生者は相当に難物な相手で、やりたい放題の好き放題という生き方をしていて、同僚たちからの評判はすこぶる悪い。
妻たちへのプレゼントとして魔法で地球産の下着をふるまう男の顔は幸せそう……というにはちと欲望にまみれている気がする。ハーレム願望を叶えて幸せになるのはいいけどさ、そのおかげで割を食っている現地の人とかに申し訳ない気持ちとか無いのかね。あと、俺にも。
「それにしても3000人は多いよねぇ。ま、多かれ少なかれ男の転生者ならハーレム展開は普通のうち。新人くんもやっぱりハーレム作ってたのでしょ?」
「いいえ。妻はいたけれど一人だけですよ」
「おや、珍しい。一途なんだ」
「妻が大勢いたって手に余るだけですよ。小者なんです、俺は」
妻だった女性の事を思い出す。案件の転生者がいる世界とはまた別の世界。俺が2度目の人生を生きた世界。実は世界というのは最高にエラい神様が数えるのをあきらめるほどには多く存在する。
妻には先立たれていたので、自分の死後に魂になって会えるかと思ったが、なかなかそうはいかないらしい。子供たちの行く末も気になるので時間があれば調べてみたいが、あまり特定の個人や世界に固執しないようにと言われている。どこかの世界へ転生したのかどうかもわからないけれど、まぁ元気にやっているだろう。
「しかし終わらない。もっと効率よくできないものか。あいつめ、人の気も知らないで気楽に魔法を使いやがって」
「アーカイブに無いものは作るしか無いからね。新人くんの作ったデータも保存されて、下着生成魔法としていずれ自動処理の対象にされていくよ。これでも昔を思えば比較にならないほど楽になっているとか」
「昔はどんな感じだったんです?」
「それこそ魔法なんてものは一から手作業だったらしい。とにかく転生者につきっきりで演出までやっていたってさ。自己を分裂させて不眠不休で突貫してたりとか。事故なんかの話も聞くね。火の玉の加減を間違えて転生者ごと大爆発とか、この前、上司が飲み会で笑いながら言ってた」
「笑い話ですか」
「いろいろと手探り状態だったっていうからね。そんな古参の人たちが少しづつ便利なシステムを作ってくれて今がある。感謝感謝だね」
幼女先輩は首をグリグリと回しながら話を続ける。見た目は幼女なのに動きやしゃべり方がおっさんくさい。
「もっと昔は世界を創造しては壊し、創造しては壊してたりしてメチャクチャやってたって聞くね。うちらのトップは近隣世界ではちょっとした邪神扱いとかされているらしいよ?」
「知らない間に邪神の手先をやっていた件……」
とにもかくにも作業を進めないと終わらないので手を動かす。西暦2000年代の地球のデータから参考になりそうなものをピックアップしていく。こちらの時間と異世界の時間の流れはどうなっているのか、イレギュラーが発生する都度、向こうの時間は止まって作業に追われることになる。こんな作業は他の誰かにやらせろよって話だが、まぁそうやって流れ、流れて俺の前へと来たのだな、うん、わかります。
「これとこれを……うお、こんなに際どいものもあるのか? けしからん、可愛いらしいものだけじゃバランス悪いよな、うん、これをこうして……」
「結構楽しんでらっしゃる?」
ああ終わらない……
◇
最初にこの場所に連れてこられた時も思ったが、改めて見回してみると、ここは会社そのものだ。そこそこ広い部屋に10台ほどの作業台。壁には大きいモニターが添え付けられていて、ドリンクサーバーも完備している。デスクの上にあるのはノートパソコンそのものだし、スマホも生前に地球で慣れ親しんだものだ。
しかしドラえもんの不思議道具よろしく、さっぱり原理のわからないものも多くある。いくつもあるドアはまさしく”どこでもドア”の機能を持っているし、よくよく見るとパソコンだっておかしい。電源がどこから来るのかもわからないし、ケーブルにも繋がってないからな。
「本当に普通の会社みたいだ……」
「もっと、こう、神殿みたいな所で働くイメージしてた?」
ひと段落ついた俺のつぶやきを律儀に拾ってくれる幼女先輩ことマナ先輩。
「あー、上司が神様の役をやってたときは神聖な場所っぽい感じ出してました」
「あの人、適当だろ。神様の演技も適当じゃなかった?」
「急にフランクになるんだよな。俺の時もそうでした」
幼女先輩は立ち上がってコーヒーを取りに行く。
「昭和から平成にかけての日本の会社のイメージ、まぁ理解不能な職場に放り込まれるよりはいい。新人くん知っているか? よその部署はどうなっているか、興味本位でちょっと覗いたことがあるんだけどね、うにょうにょの数字らしきものが宙を飛びかっていたよ」
「なにそれ怖い」
「言葉にできないような風景だったから言葉にできないけどね。文化、風習、道具、機器、あたしたちが理解ができる範囲内、ってことなんだろう。そういう人たちで固まって動いている」
「会社という形態をしているのも理解の範疇ってことですかね。会社というならここは何会社だろう?」
横のデスクに戻ってきた幼女先輩は俺の分のコーヒーも持ってきてくれた。うん、この幼女はやさしい幼女だ。
「人は死ぬと魂となって天国か地獄かに行く、その際、恨みや憎しみ、後悔などといった強い想いを抱いて死んだ者は近隣世界にまで影響を及ぼすほどの汚れ、シミを世界に残す、という話は聞いた?」
「ああはい、聞いたかな。イマイチぴんとは来てませんが。とにかく抑圧されて生きた人たちがそうなりやすいとか」
「以前はノータイムで地獄に放り込まれていたそいつらを、試しに記憶を持たせたまま別の世界で人生をやり直させてみると、これがどうも世界にとって結構いい結果になって返ってくるぞって話らしい。だからそのサポートをうちらはしているわけで」
「新しい世界が生まれやすく、しかもよく成長するって聞きました。最初聞いた時、植林の話かなって思いましたね」
「だから、会社というなら庭園の庭師の会社とか清掃会社じゃないか?」
「なるほど」
植物を扱うように世界を育て管理するなら庭師の仕事だろうし、世界のシミ抜きをするなら清掃会社か。しかし俺はむしろアニメやゲームの制作会社を勝手にイメージした。前世でもそこで働いたことなんてないけれど。
異世界といっても様々で、地球の若者が慣れ親しんだゲームの設定を盛り込んだ世界なんてのも中には存在する。若い未成熟な世界はなにかと融通がきくものらしい。
「たいへん。たいへん!」
話をすれば影とばかりに、扉を開けてもう一人の先輩が飛び込んできた。人の好さそうな風体、体格はいいのにいつも猫背、目の下には隈。今まさに思っていたゲーム的な世界を創るのを主な仕事にしているクマ先輩だった。
「なにを慌ててるんさ? クマさんや」
幼女なマナ先輩が巨漢なクマ先輩を見上げて聞く。いつも目の下に隈を作っているからクマ呼ばわりされているんじゃなかろうな? ありえそうで聞くのが怖い。
「それがね、ちょっと小耳にはさんだんだけど、来季から転生者の受け入れを倍にするらしいよ!」
「は?」
「倍ぃ!?」
慌てるクマ先輩の仲間入りをして慌てる俺たち。
「いや、もう無理でしょ、いまでもいっぱいいっぱいよ?」
「まだ手を付けていない作業が山ほど残っているんですが、それは?」
「最悪、人格を分裂コピーして……」
「やめてー! あれキツイのー! 人格のコピーペーストは自分の存在が揺らぐのー!」
幼女先輩が幼児退行してらっしゃる……。
物質生命体だった頃には想像することも難しかったが、自己の複製は可能だ、しかも結構簡単に。ただし、それをやりすぎると自分というものがわからなくなる。言葉にもしづらいが、ひとつ自分が増えるごとに自分の価値が下がるというかなんというか。その後の統合でも記憶が混濁したりと大変なんだよなあ、うん、あれはキツイ。
「あ、こういうのはどうでしょう? 転生者本人をコピペして、やれることは本人のコピーに裏でやらせる、というのは?」
「新人くん! ナイスアイデア!」
「新人君はエグいなあ。できるかどうかもわからないけど上に掛け合ってみようかな」
善は急げと、上司に向けてのプレゼンの文面を考えていると扉が開き、課長さんが入ってくる。やはり慌てた様子だ。
見た目は髭の似合うダンディーな紳士であり、普段はとても落ち着いている。彼が慌てるのを見るのは初めてだ。転生者受けいれ倍増の話だろうか?
「皆さん、今すぐモニターチェックしてみてください!」
ただならぬ様子の課長さん……課長というのは愛称みたいなものであって決まった役職じゃない。仕事の同僚であることに違いはないんだが、落ち着いていて何かと面倒見が良くて頼れる感じがするということで課長と呼ばれている。実際にここにいるなかで一番の先輩でもあるし、課長呼ばわりが板についてくると何かと面倒ごと、もといリーダーっぽい挙動をとるようになってきた徳のある人――マナ先輩談。本人がいいのならいいんだろう。
ダンディー課長に言われるままモニターのチェックに入る。いま自分らが抱えている転生者案件はハーレム君の一つだけなので、当然ハーレム君の世界の映像が浮かび上がる。
浮かびだされたのは戦場となった世界とハーレム君、そして彼と言い争う女性の姿だった。
◇
おびただしい数の死体と焼けた建物、泣き、戸惑う多くの女たち……
何がどうなってこうなった?
「魔法の自動化の弊害……手順さえ踏めばそこに良し悪し関係なく結果が出力される……人が付いていれば……いや、しかし……」
誰に聞かそうという風でもなく課長さんがつぶやく。
眉間にしわを寄せてモニターを見るクマ先輩が転生者と言い争う女性を見て叫ぶ。
「カリン氏!?」
「カリンさんなの? あの女性が?」
「うん、姿はちょっと違うけど、現場で働く人だよ! マナ氏も新人氏も一度だけ会ったことあるでしょ!」
よく見ると、確かに顔を見たことがある同僚らしい。艶やかな薄緑色の髪と透き通った青い瞳を持つ、おっとりとした顔立ちの大人の女性だ。クマ先輩の同期だと紹介されたことを覚えている。おっとりとした外見にふさわしい性格だったような気がする。だが、そんな彼女は今は怒りに震えている。
「ええと、今回の転生者のケース、あたしたちは直接的な干渉はしないって決まりじゃなかった?」
「その通りです。自動化処理の完成度を見るために、ごくごく最低限にするはずでした。直接会話することも禁則事項です」
笑いながら再び攻撃を再開する転生者と、それをやめさせようとする女性。
転生者が暴言を放つ。
どれだけ死んでも別にどうってことないじゃないか。ゲームだろ? どうせ作り物の世界と命じゃないか? 止められるものなら止めて見せろよ。そんな言葉を吐きながら呪文を唱えて破壊を繰り返す。女性は言い返すだけで何もできずにいる。
風向きが変わるのは転生者が不用意に放った一言がきっかけだった。
その一言は”このゲーム世界、バグだらけでつまんねぇ。どこの下手くそが作ったんだよ? もっと作りこめよバーカ”というものだった。
一瞬、世界から音が消える。女性の顔からは表情が消え、両手が力なく下ろされる。
転生者がさらに煽ろうとした時、女性はつぶやく『……コマンド、権利の剥奪……』
転生者の顔から笑みが消えて、今度は焦り始める。デスなんちゃらやらクエイクほにゃららやら、ご大層に身振り手振りをそえて呪文を唱えても何も起きない。何をしたのかと後ずさりながら女性に問いかけるも、女性は無言で近づいてボティーに一撃を加える。強烈な腹パンを受けて崩れ落ちる転生者。
『……考えた事はありますか?』
モニターの中、転生者を見下ろした女性は続ける。
『あなたがこの世界で当たり前のような顔をして振るっていた力がどこから来るものか、考えたことはありますか? この世界をこの世界たらしめるために、裏で努力している人たちの事を考えたことはありますか? あなたが望んだゲームのような世界……それを創り上げるために心血を注いでいる人たちの事を……笑うんじゃねえよっ!!!』
「カリン氏……」
「いっ……いけません! 禁則事項を連発しています! 我々も直接乗り込みます!」
課長が扉を開けると、その先はモニターに映っていた世界に繋がっている。
手遅れでは? とは思うものの、確かに放って置ける状況ではないし、余計な事など何も言わずに先輩たちに続いて扉に入る。
原理はわからないが、扉を潜るだけで即座に肉体が物質化していく。
最初に気になったのは匂いだ。木材の焼けた匂いが充満している。それと人の焼けた匂い。うえっぷと胸から込み上げてくるものがある。ひどいことをする……。
現場では転生者をボコボコ殴り続けている女性の姿。
女性は目に涙をため、頬を膨らませている。実に痛ましい彼女の姿だが、彼女が片手に持つ転生者のハーレム君はすでにボロ雑巾のようになっている。哀れ、かっこ笑い。いや、笑っている場合じゃない。課長とクマ先輩が彼女に近づき転生者を引きはがす。投げ捨てられ、もとい、救出されて地面に転がるハーレム君。
「カリン氏、もうやめて」
「クマ……ごめん……なさい……私……」
「どうしてこんな事態になったのですか?」
カリンさんは二人になだめられて落ち着きを取り戻していく。
「この子が……飽きたから世界を壊すって……けど関わっちゃいけないって……でも、なんとかやめさせたくて……けど伝わらなくて……もう我慢ができなくて……わた……わたくし……」
おぼつかない様子で事情説明をするカリンさん。転生者がヨロヨロと起き上がり3人に向かって指を指して叫ぶ。
「お前らなんなんだよっ! 俺の何が悪いってんだよ、なんでだよ?……ここは俺だけの……俺のための世界じゃねぇのかよう……」
「そうなんだけど……けど、違うよ」
「これも我々が関わってこなかった結果というものなんでしょうか?」
自己正当化の言い訳、言いがかり、罵倒に泣き言……。口を閉じる様子を見せない転生者の姿に、さて、どうしたものかと顔を見合わせるだけの俺たち。そんな中、カリンさんが表情を引き締めて言葉を放つ。
「この事態の責任を取ります。ええ、すべてわたくしの責任です」
「カリン氏に全部の責任があるわけじゃないでしょう! この世界のシステムを担当した僕にも責任だってある!」
一度、クマ先輩を見て優しく微笑んでからカリンさんは転生者に向き直る。
指をさして。
宣言をする。
「わたくしカリンが現場担当の責任者として、あなたを地獄へ送ります」
宣言とともに空は分厚い黒い雲に覆われる。
突如、鳴り響く雷鳴。
世界が軋んだかのような音を立てて地面がひび割れていく。
怯える転生者の足元から黒いモノが立ち昇る。
それは巨大な黒い鬼の姿になって転生者をわしづかみにする。
鬼は天を衝くほどの咆哮をひとつ上げ、再び地面へと戻っていく。
泣きわめく転生者もろとも……
ポカーンとしていたのは俺だけじゃない。マナ先輩もクマ先輩も課長さんも、そして宣言をしたカリンさんもまた、指をさしたままのポーズでポカーンとしていた。静寂を取り戻した世界の中、ぽつんとクマ先輩がつぶやく。
「黒鬼氏ぃ……登場シーン、いつのまに実装してたんだろう……報告あがってないよ……」
◇
とにかく全員で現場から社内に戻って、異世界の時間の流れを止めることになった。この後、どうすればいいのか、誰も答えを持っていなかったので、とりあえずの対処だ。最初にすべきは上司への報告だろうが、その先どうなるのかはわからない。転生者を失った世界のことも、禁則事項を破ったカリンさんのことも……。
異世界を映し出す巨大モニターの映像は、廃墟になってしまった場所でたくさんの人が祈りをささげた状態で固定されて動かない。突然現れて、突然去っていった俺たちのことを神様の使いとでも思っているのだろうか。これの後始末を考えると頭が痛い。
カリンさんからさらに詳しく話を聞くと、どうやら無理やり妻にされた女たちを取り戻すため現地の男たちが反乱を起こしたらしい。王のように、というか暴虐の王そのものの生き方をしていたからな、あのボケハーレム男は。そして魔法を使って大量虐殺、さらには妻にした女たちからも攻撃されキレて殺し始めたというから、もう何を言っていいのかわからん。何度生まれ変わってもこいつの思考は理解できないだろう。そしてそんなチート男を生み出し好きにさせていたのはこっちなわけで……社内にいる面々は一様に暗く沈み、空気は重い。
そんな空気を壊すように、扉が勢いよく開き、見知らぬ男性が入ってくる。
「どうもー。黒鬼です。きっちり地獄に送り届けてきましたー」
黒鬼を名乗る中肉中背の男の額にはちょこんと申し訳程度の黒い角が一本生えていた。
「あ、黒鬼氏……」
「えーと、どうしたんですか? クマ氏、空気、重いですよ? なんかありました?」
「この度は……その……大変なことになりまして……」
きょとんとした黒鬼氏は、やがて何かに気が付いたようにポンと手を打ってから話す。
「あ、今回の事ですね。転生者の途中離脱からの地獄送り! 初めてのケースになりましたね。ひょっとして、何か失敗したと思ってます? 上司さんに報告はしましたか? 今回のケース、絶対に大したことになりませんよ。織り込み済みってやつです。それにしてもあの転生者の末路! いやぁ笑えましたね!」
テンションの高低差が酷い。
「こういうと語弊があるかもしれませんが、記憶持越しの異世界転生を経験する魂はまだずっと少ないんです。いまだに天国や地獄行きの方がずっと主流なんですよ。だから全体で見て影響が少ないというか、えと、皆さんの仕事が重要な仕事じゃないと言いたいわけじゃ無くて、その、気を悪くしないでください……」
尻すぼみになっていった黒鬼氏は「……じゃあこれで」と言って去っていった。
いい人っぽいけど、以外に繊細なのかな?
部屋の空気は微妙なものになったが、暗くて重いよりはマシだろう。
「じゃあ課長さん、上司に連絡をお願いしまーす」
「私か……私だよなぁ……」
抜け目のない幼女が課長さんに仕事を振る。緩慢な動作でスマホを手に取る課長さん(特に責任なし)だが、連絡をしようとする前にベルが鳴る。あわてて電話に出ると、それは上司だった。
『ついさっき黒鬼さんから連絡あって、あらまし聞いたよ~。結論から言うね~、問題ナシ! 以上! カリンちゃんもお疲れ様! 問~題ないさ~』
どうやら先に黒鬼氏が連絡を済ませてくれたようだ。先ほどのやり取りのせい? これは気が利くと言っていいんだろうか? いや気にしすぎだろう黒鬼氏。とにかく、今は上司の話の内容だ。黒鬼氏が言うように本当に大したことじゃなかったみたいだ。いいのか? まぁいいのだろうな。禁則事項とは一体……。
カリンさんよりクマ先輩の方が明らかにホッとしている。当のカリンさんは当惑している。いいのかなぁ~とか思っているんだろう。いいんだよ、そうしておこう。というか上司の人は会話するたびに適当になっていく気がする。
『それよりも聞いてよ~。僕の部署が変わるんだ。営業部を作るんだってさ~。あと、君らのいるそこも、これからは企画運営部って呼ばれるようになるから~』
組織形態が変わるらしい。こういう変化はどこの世界でもいつも上から突然言われるよな、もうちょっと余裕を持って話をしてほしい、下っ端に何かできるわけでもないけど。
課長さんが上司に質問をする。
「問題ないのはわかりました。しかし、これからの事というか、今の担当している異世界の後始末とかどうしましょう?」
『それな~。うん、僕の上司を紹介しよう! 彼女に任せておけば万事おっけー。偉い人なので粗相のないようにね~。じゃあそれで、バイ』
電話が切れた。
「……とっ……とにかくよかった。うん、安心したよ。カリン君も、よかった、うん」
課長さんがまとめる。うん適当上司、うん。
「それにしても、上司の人の上司か~。どんな人だろう? 怖くない人だと良いけど」
マナ先輩の言葉をきっかけにして会話が盛り上がる。理想の上司像とは何かという話にいたった時、ゆっくりと扉が開く。注目する一同。
現れたのは女性。
輝く金髪をまとめ上げ、上品なスーツに身をくるんだ毅然とした立ち姿。鮮やかな碧眼を隠すようにした銀縁の眼鏡からは金色の鎖が垂れ下がり、耳の方へと伸びている。見るからにデキると思わせる人物の登場に俺たちは固唾を飲む。
カツカツとヒールの音が静かな社内に響く。
「レラといいます。しばらくこちらで皆さんと一緒に働くことになりました。どうかよろしくお願いします」
丁寧な挨拶と綺麗なお辞儀をする人物、だがその額に青筋が浮かんでいたのを俺たちは見逃さなかった。怒ってらっしゃる? レラさん、いや、さっそくレラ女史と頭の中で変換した俺たちに女史は続ける。
「言いたいことは多々あるでしょうが、そうですね、自己紹介を兼ねて急ぎの仕事を済ませましょう」
パチンと指を鳴らす女史。すると部屋の中のパソコンのすべてが起動して動きだす。女史の指揮棒をふるうかのような動きに合わせてノートパソコン本体やらマウスやらが踊るように揺れてるのは目の錯覚では無いよな。画面内のデータや画像が本体から飛び出して行きかいするのも理解外。レラ女史は指揮を続けながら言葉を紡ぐ。「世界は存続させます」「ここまで育った世界は貴重ですからね」「過去世界のデータをサルベージ」「疑似的な死者の復活を」「強引ですが」「いくつか安全装置を組み込みます」「とりあえずの応急処置ですよ?」「ここは別の世界のデータを流用して」……
「さて、これでいいでしょう」
ターンッ!と最後のキーを打ち終わった音がして、女史は壁の巨大モニターを振り返って見上げる。口を開けて見まもるだけだった俺たちもまた釣られてモニターを見る。
モニターの中、雲の切れ目から光の柱が立ち、女神が降臨している。大衆を前にした女神は奇跡を行使する。女神は女史によく似ていた。眼鏡を外して髪をほどいて純白の神々しい衣装に着替え、光り輝かせたらこうなるだろうという姿。
女神の奇跡により死人は生き返り、焼けた地面には木々や花が咲き誇り、世界のすべてを祝福するかのように光と音楽が大衆に降り注ぐ。悪は倒された、なすべきことをなせ、あなたたちを祝福します――なんかよさげなことを言う女神様。やがて女神は天へと帰っていく。大衆は跪き、涙ぐみ、祈りをささげる……。
「一段落、といったところですか。問題は山積みですが、この世界はこれで良しとしましょう」
「おおお」
「すごい……すごすぎて、なにがすごいのかもわからないけど、すごい……」
「パッ……パソコンとか躍っていたのは何故なんです?」
「それはただの演出ですね。データを改変する際の、もののついでというやつです。大したことでもない片手間でできる作業です。……いえ、考える前に実行してしまう、体に染みついてしまった行動というだけの話ですが」
「もののついでのえんしゅつ……」
職業病というやつですかね、それ。
「あなたたちもいずれこれくらいは可能になることです」
「私たちが?」
「あなたがたは次代の神様候補ですからね。当然でしょう。…………最初に説明はされましたか? あなたがたが、それぞれ自分だけの世界を持つため、神へと至るため、そのための修行、仕事、そして報酬だと」
「説明……されてない……ですかね」
恐る恐る返すマナ先輩。うん、俺もされてない。皆も同じような反応。あんの適当上司めっ!
レラ女史の額に再び青筋が浮かぶ。えらい美人が静かに怒ると迫力あるんだな。怖い。
「まぁいいでしょう。……アレにはしかるべき対処をしておきます……」
怖い。
レラ女史は青筋を振り払うかのように二、三度首を振ってから表情を変える。
「さて、親睦会も兼ねて、飲みにいきましょう。料理をメインにした転生者のいる世界に行きつけのいいお店があるんですよ」
いい笑顔だった。
◇
レラ女史に連れてこられた場所はなんというか居酒屋だった。中世ヨーロッパを思わせる世界なのになんでわざわざ日本風の居酒屋? 普通に日本で日本風の居酒屋では駄目なのか。生まれるささやかな疑問は当然、口にしない。事なかれ主義の国の人だもの。異世界転生に携わる仕事をし始めてからどうも日本での人生の方を強く意識している気がする。ファンタジー世界でも結構長く生きたはずなんだが。
こちらの転生者には俺たちの素性は気づかれていないとのことらしい。そんな転生者が経営するという店の個室に普通の客として通された。おお、懐かしの畳だよ。日本風居酒屋、何年ぶりだろうか。うーん、なんだかとても落ち着くぞ。
「レラさんはすごいです。それに比べてわたくしは……うう……」
「カリンさん、あなたも相当にすごいのよ? まだこの仕事は長くないのでしょう? それにしてはよくやっている、そう思うわ。それに最初からすごい人間なんていないのよ。私も昔は同僚にさんざんポンコツだと言われていたのよ」
カリンさんはまだ気にしているようだな。落ち込むカリンさんに優しく微笑むレラ女史、絵になるなぁ。それにしても、このデキる女史をポンコツ扱いとか、それどんな奴よ。
「多くの命が失われ……いえ復活しましたけど、危険にさらしてしまいました。……本当におとがめ無しでいいんでしょうか?」
「あなたのその優しい心はこれからもずっと大切にしていて欲しい。それがあなたが世界を創る時の大きな力になるでしょう。……その上で、そのことについては、気にする必要は本当に無いです。気に入らない、上手くいかないという理由だけで、都市を壊滅させたり、大陸ごと海に沈めたりする神を知ってますので……感覚がマヒしている自覚はありますが」
レラ女史は続ける。
「それでも小言が必要だというのなら、そうですね、私たちの仕事は言うなら裏方ですから、やはり表に出るのはいけないことでしょう。どのようなことがあっても、です。裏方の仕事をやるのならば、覚悟していてください、私たちは表からは見えない歯車の一つなのだと。…………そして忘れないで下さい、そんな歯車の一つ一つが世界にとって重要で、私たち仕事仲間にとってあなたこそが、ずっと大切な存在なのだということを」
「っ……先生っ!」
「先生ではないですが」
頬を赤らめてレラ女史を見つめるカリンさん。うん、なんかレラ女史って教師っぽいよな。
そうこうしているうちに長テーブルに注文した料理が並んでいく。枝豆、冷ややっこ、鶏のから揚げ、串焼き、ポテトサラダ、漬物の盛り合わせ、お刺身まであるのか。そして生ビール、おお、グラスが凍っているタイプだぞ、なんて手が込んでいるんだ、そんなのキンキンじゃないか、もうキンキンじゃないか。
「泡がお亡くなりにならないうちにかんぱーい!」
「「乾杯ー!」」
待ちきれないという様子で乾杯の音頭を取るレラ女史。そしてグイグイといく。
「ぷはあーーーっ! この一杯のために仕事してるっぅ! もうね、あんだってってもうえね!」
何語っ!? 一撃で酔っ払ってる。何この可愛い生き物。
「うまっ! 何これ、尋常じゃない美味しさ!」
「どれもこれもおいしい」
ほうほうどれどれ? うまっ! 思い出補正とか抜きでガチうまい。アツアツの唐揚げから出た肉汁が口の中で暴れるぅ。そしてビール。くはぁあ。
「そういえば私も、ちょっと前まで転生者に付いてまわる妖精の中の人をやってたことがありましてね。ええ、かなりいけると定評がありましたよ」
誰に話しかけてるの課長さん。
「ときに新人くん、あれどう思うね? カリンさんはクマさんに気があると思わんかね? クマさんの方はちと遠慮がちだが、さて」
カリンさんとクマ先輩をちらちら見ながら小声で下世話な話題を振ってくる幼女。いや幼女が生ビールをグイグイやっているのは犯罪臭がするからアウトだろ。誰も何も言わないから俺も言わないけど!
「いたいけな幼女のする表情じゃないですね」
「いたいけじゃないからな。内面は隠しきれない」
「自分で言うか?」
神へと至る……
レラ女史の言葉が蘇る。
最初はただ流れのままに始めた異世界転生に関わる仕事の手伝いだったはず。右も左もわからない状態で、ただ自分に振られる仕事をこなすだけだった。しかし俺は心に何かを抱えてはいなかったか? 抱えていたものの答えが形になっていく。自分だけの世界。それは未だに漠然としたままだ。
異世界転生企画運営部。
異世界を生きる転生者を裏から支える仕事。
偉そうなことは何も言えない。まだまだ大した仕事をしているわけじゃない。しかし、この仲間たちと仕事をしていけば、その先に何かがあるのだろうか? とにかく、今は、仕事上がりのビール最高!
◇
かつて人類は、宗教という物語を共有することで団結し、強大な敵にも立ち向かえる力を得た。
時代が変わり、敵を屠る必要のなくなったそれは、形を変える。
数多ある世界。
絶えず変化を続ける世界たち。
新たな宗教とは常に抑圧された者たちから始まる。それは生まれて消えて、生まれて消える。
異世界転生――
集団から個へ。
個人が個々の神へと至るための物語。
それは今、産声を上げたばかりの宗教。
消えていくものなのか、それとも誰もが認める立派なものに成長していくのか。
答えは人々の心の中に――
お・わ・り