第二話 お風呂へ行こう
「あー、おしまいだぁー、ワシのキャリアも全部パァじゃぁ」
床にペタンと座り込んで、そのまま俺のベッドに向けて項垂れて気の抜ける声を出す天使長。
彼女の容姿は、肩先まであるこの世のものとは思えない美しさの銀髪に謎の赤いアホ毛を装備して、一言で言えばロリ体型だが普通性癖の人間をも『邪の道』に落としかねない肉体美。
そしてまるで絵画の中から飛び出てきたような……とか表現されそうな均整の取れた顔。長い睫毛の下にある大きな金眼は今ちょっと潤んでいてどこか蠱惑的でもある。
まぁ長々説明したが、つまりはかなり美しく可愛いロリ女なのだ。最初見た時は光の塊だった天使長のあまりに美しい生身に、俺はとりあえず床に顔を擦り付けてパンツを覗こうとしていた。
ちなみに天使長は清楚な白い膝丈ワンピースなので、だらしなく座り込んでいると素敵な世界がなんとか見えそうなのだ。
そんな怪しい動きをしていた俺の顔に天使長の足が突き刺さった。鼻っ面を抑えて俺は不満を露わにした。
「何するんですか」
「こっちの台詞じゃ、この変態が……」
軽蔑した目を向けてくる天使長に俺はため息を吐く。どうやら分かっていないようなので、仕方がなく教えてやるよと俺は眉を寄せた。
「年頃の男の部屋に上がり込み、あまつさえそんなだらしない無防備な姿を見せる方が悪いんじゃないですかね!」
「お主は今の自分の姿をもう一度よく鏡で見てみろ」
あっ、今の俺は女の子だった……。
という事で俺は準備を始めた。
「……なにしているんじゃ?」
まずは桶、風呂桶ってやつだな。それにシャンプーとコンディショナーをポイっ。そこに俺は石鹸を追加した。そして着替えを詰め込んだトートバッグを肩に掛けて俺は大きく頷いた。
「よし」
「何がよし?」
うるさい人だな。俺はやれやれと肩をすくめて天使長を見る。分からないのか? 視線でそう聞くと、天使長は眉を顰めながら予想を伝えてくる。
「お風呂か? 何故靴を履く、この部屋にもあるじゃろ、なんで外に向かう」
俺は大きくため息を吐いた。何故分からないのか理解に苦しんだからだ。当たり前のことをいちいち説明するのは、骨が折れるが仕方ない。教えてやる。
「それはもちろん、銭湯に行って堂々と女湯に入る為だ」
*
「キューピッドモードを悪用すると天罰が降るぞ?」
「使わなければいいんでしょ? この身体はどう見ても女……つまり普通に女湯に入って何が悪い。てか男湯入ったらマジでやばい事になる」
そう、既に男湯に入るという選択肢はないのだ。それはもうR18待ったなしである。小説家になろう、だと削除されちゃうやつね。警告無しレベルよ。
「いやそもそも、お主んトコの風呂壊れてないじゃろ」
それはそれです。俺はニコリと誤魔化した。
なんやかんやで、天使長も大きな風呂に入りたいとついて来ていた。着替えは、何故か天界(仮称)から俺の部屋に転送されており、広くもない部屋にそこそこ大きなタンスが置かれてしまった。神様の粋な計らいというやつだろうか、俺はタンスに触れることを禁止された。
「というわけでつきました。近所のスーパー銭湯というやつですね。この辺はウチの大学が近いのでそこの学生が多く利用しています」
「なんの説明じゃぁ……?」
俺からの丁寧な説明通り、俗にスーパー銭湯と呼ばれる温浴施設に来た。ここには多種類の風呂と漫画が多く置かれた休憩場所、更には岩盤浴まで同時に存在する……おじさんだけでなく女性人気も高いもはやレジャーランドだ。
なんだかウキウキしている天使長を連れて、受付まで歩いていくと何も疑われることもなく女湯を案内される。
俺は自然と口角が上がるのを自覚した。それを横からジト目で天使長が見ている。しかし天使長に俺を止めることなどできない。
赤い、女湯と書かれた暖簾を潜り俺はいざ天国へ誘われる。
しかしそこは規制された天国であった。
ドキドキしながら服を脱ぎいざ浴場へと、向かった時点で違和感は感じていた。
端的に言うと、俺の視界に映る全てには謎の光が介入していた。つまりは、やらしい部分が謎の光に包まれて見えないのだ。俺は愕然と膝をつき、真っ裸で吠えた。
「Blu-rayで解禁されるのかっ!?」
「うるさいわっ!」
スパぁんっ! と天使長のビンタが俺のほおを打つ。打たれたところを押さえて涙目で天使長を睨みつける、もちろん彼女も真っ裸で……なんか謎の光は小さい。
「……なんだかんだ俺、ロリは好みじゃないな」
「パンツ覗こうとしてた癖になんだその言い草!?」
当然そんな会話を大声でしている俺達は注目の的だった。そして二人とも見た目は、特に天使長は少々人外染みている為に注目度がすごい。なんだか恥ずかしくなってきたので俺達は大人しく身体を洗う事にした。
浴槽にまず向かおうとした天使長の首根っこを掴み、引きずっていく。
「!? !? なんで? 早く入ろう!」
「いや、もうそんな世間知らずムーブにいちいち反応するのめんどいんで……」
そんなわけで俺は髪を洗いながら自身の視界に対する考察を始める。
謎の光は、よくアニメとかで秘部を隠す際に用いられるあの光と酷似している。てかそうなんだろう。何故、俺は女の裸を見れないのか。天使長に聞いてみた。
「そりゃ、お前……モラルに反するからだろ」
そんな真っ当な意見聞きたくなかった。もっとメルヘンな理由でいいのではないだろうか。だが俺は考え方を変える事にした。いま俺の視界をジャックする謎の光は、水着で隠せる様な範囲を俺の目から遮っている。
つまり、夏の水場くらいでしか基本見ることの叶わない部分は見えているわけだ。よって生足やヘソ、肩周りなどエロい部分は見えているわけだ。
ふん……何がキューピッド……モラルとかいう曖昧な言葉では俺を止めることなどできない。俺にかかれば女体のどの部分にでもエロスを……。
俺は顔を上げて振り返った、ちょうど後ろを女性が通りかかったので俺は彼女の全身を包む輝かんばかりのって言うかスタングレネードと見紛う謎の光に眼を灼かれた!
「ぐああああぁッ!」
目を抑えて悶絶する俺に、横の天使長が頭を泡でアフロみたいにしながらドン引きした。風呂椅子から転げ落ち俺は派手に浴場の床を滑っていく。
その後天使長に介護されながら俺は風呂を済ませた。館内着として渡された浴衣みたいなのを着込み、休憩所でふわふわの椅子にもたれ掛かりながら俺は眼にタオルをかけて冷やしている。
横にいると思われる天使長のすべすべのお手手をニギニギしながら、俺は弱りきった声を出す。
「天使長……そこにいる? ああ……何故俺がこんな目に……」
「やましいことばかり考えてるからじゃないかの」
呆れた天使長の声に、俺は返す元気もなかった。
その時、ふと俺のアホ毛に何やら反応があった。
「ん?」
俺の出した素っ頓狂な声に、天使長が小首を傾げてそうな気配を出す。俺はアホ毛に感覚を集中した。これは、もしや……。
恋の……。
「キューピッドモードじゃなくても分かるのか」
「なんの話じゃ?」
タオルをポイっと投げ捨てて俺は立ち上がった。アホ毛がピクピクと反応している方を伺う。天使長に手で合図をした。
「行くぞ天使長、恋の気配だっ!」
*
アホ毛が指し示す先、コソコソと物陰に隠れながら俺と天使長が見つめる視線の先には二人の男女がいた。
自販機の前で何やら話をしている。
「偶然だねー、誰かと来たの? 私は岩盤浴に来てんだよね」
「あ、うん……その、一人なんだ。結構、大きなお風呂って好きでさ」
二人とも高校生くらいだろうか、レンタルできる岩盤浴用の館内着に身を包む女の方が、少しオドオドとした私服の男に親しげに話しかけていた。
男の方は、ちょうど今来たのか荷物を小脇に抱えている。様子的に岩盤浴を利用するつもりはないのか、荷物は自分の物らしき小さな鞄だけだ。
ふぅん……と、女の方が自販機で飲み物を買い、直ぐに開けて飲み始める。館内着についた汗染みと、上気した肌から岩盤浴をつい先ほどまで使用していたことが推測できる。
休憩と水分補給、近くにお手洗いがあるのでトイレも兼ねていたのだろうか。そこで偶然男の方と出会った、というところかな。
ごくごくと喉を上下させた女の無防備な首あたりを見つめて、男の方は頬を染めて唾を飲んでいた。
ふぅん、高校生とはいえ、確かに色気がある所作だ。
と言う分析を俺は天使長に話す。
「無駄に高い洞察力がキモいな」
酷いことを言う天使長を俺は無視した。
「ミサキさんは、その、誰かと来たの?」
女が飲み終わると同時に男は目を逸らし、誤魔化しもあるのかそんなことを聞く。それに対してニコッと人の良い笑顔でミサキと呼ばれた女が手を顔の前に持ってきて三本指を立てた。
「いつものメンツだよー、カナにエミ! あっ! また女子会かよって思ったでしょーっ! たっちんの一人よりはマシかっ!? あははっ!」
女は少し明るい髪に染めていて、なんとなくノリと雰囲気からギャル系統の派閥であることが予想できる。それに対して男の方は、少し野暮ったい見た目からオタク系……つまりこの構図はオタクに優しいギャル。といったところか。
たっちんと呼ばれた男はミサキの圧に後ずさる。ヘタレ感が半端ではない。「そ、そうなんだ」と曖昧な返事をして、そこで何やら会話が終わった。かーっ、情けねぇ。
「それで? 恋の気配はどっちからしたんじゃ?」
痺れを切らせた天使長がそう聞いてくるので、俺はミサキというギャルっぽい方を指差した。
「えっ!? あの男に困ってなさそうな方!? 意外だっ!」
ちっ、羨ましいこった。死ねば良いとすら思うが、しかし《念願成就》の為ならば仕方がない。そして、この感じ……俺のアホ毛が頭頂部で輪を作る。
「いけるぜ。楽勝だ」
「おおっ!」
俺の自信満々な言葉に天使長が目を輝かせる。俺の背中から羽が生え、いざキューピッドモードへ……よく見たら、横の天使長も赤いアホ毛が輪を作り羽を生やしていた。
「え……天使長もモード切り替わってんじゃん」
「うむ、どうやらお主の補佐モード? らしい……《お上》の考えることはよくわからん」
そうこうしていると、男の方が軽く手をあげて風呂へ向かおうとしている。それを少し寂しげに見送るミサキ。いかんいかん、時間が惜しい。俺はキューピッドアンテナの出力を上げ、センサー感度を全開にした!
秘技っ! 恋愛攻略チャート!
俺の脳裏にあらゆる可能性が示唆される。
そしてすぐに俺は重大な事実に気付いた。
「まずい! 天使長! キューピッドモードだとどれくらい干渉できる!? 話すことはできるのか!?」
「な、なんだいきなり……言葉は、多分届くんじゃないかの……聞かせたい相手には……」
!? それは都合がいい。触れることは知っているが、もしそれ以外に干渉出来ないのならば難易度が上がっていた。
急がねばと、ミサキの耳元に駆け寄り俺は囁いた。
「ミサキよ……お前はあの男を引き留め岩盤浴に誘うのだ……」
「え!? だれ!?」
俺の厳かな可愛い声に、ミサキが大きく身体を震わせて耳を押さえた。突然大声を出したミサキに驚いたたっちんとかいう男が、何事かと振り返って呆然としている。
「急げ……! 間に合わなくなるぞ……! 我は、恋のキューピッド!」
「は? キュー? ええっ!?」
「ど、どうしたのミサキさん」
どこからか聞こえてくる謎の声に、ミサキが本気で狼狽えて辺りをキョロキョロしていると、心配になったのか男が近寄ってくる。
「た、たたたっちん! ど、どこかから声が!」
「早く引き留めるのだ、共に岩盤浴へ行こうと」
「ほら、岩盤浴がなんとか!」
「な、何も聞こえないけど……?」
天使長の言った通り、俺の声はミサキにしか聞こえてないらしい。これはやはり都合が良いと俺は畳み掛ける。
「ミサキ! 早く引き留めろ! その男と懇意の仲になりたくばな!」
「え、え、ええ? た、たっちん! 一緒に、岩盤浴行かない?」
混乱するミサキは目をキョドキョドさせながら男を誘う。正直、正気ではなさそうなミサキに戸惑いつつも、逆にその勢いに押されたのか男は頭をかきながら頷いた。
「あ、ああ、た、たまにはそうしようかな……え、でも本当に大丈夫?」
「だ、大丈夫、大丈夫だから! じゃあ私待ってるね!」
そして、ピューッとその場を去ろうとするミサキを羽交い締めにして止め、そのまま首を傾げながらも受付で岩盤浴用の館内着を借りて着替えに行く男を見送った。
「な、なに? え、てかたっちん誘っちゃった……え、てか誰?」
「俺は、いや、私は恋のキューピッド」
俺はそう言いながら、一度キューピッドモードを解いてミサキの前に姿を表す、ついでにだが共に現れた天使長。
突然虚空から現れた俺達二人、しかも日本人離れした容姿の俺達にミサキは目を丸くさせ、一度目を擦った。
「ど、どこから? えっ! 消えた?」
そしてすぐに姿を消す。また耳元で囁く。
「ミサキよ、お前があの男を好いているのは分かっている。そして、奴を落とすなら、今日! 今! この瞬間しかない! とりあえずお前は共に来た友達を家に帰し、二人で岩盤浴を利用するのだ!」
「い、いきなりなに? わけわかんない……」
「まぁ落ち着け……私はキューピッド、恋を実らせる恋のキューピッド……お前にとって損はないはず、好きなんだろう? あの男が」
俺の問いに、顔を赤くさせてミサキは頷いた。
「うん」
「よし、ならば良い。私はその後押しをしてやろうと、それだけの話だ。まぁ、今俺達が消えたり出てきたりした非現実を体験した所なんだから、騙されたと思って言う通りにしてみろよ」
しかしミサキは動かなかった。舌打ちをしそうになるのを押さえ、何か喋りたそうにしているので少し待つ。
「ほんとに、たっちんを……落とせる?」
不安そうな声。俺はまたミサキの前に姿を表し、強い決意と自信を瞳に宿らせ言い切った。
「無論、造作もなきこと」
というわけで、ミサキは友達二人を家に帰す為一度岩盤浴コーナーに戻っていった。そこで一息ついた俺に、後ろから天使長が少し呆気に取られた様子で話しかけてきた。
「お、お主すごいな……しかし、何故こうも焦っているのじゃ?」
俺は先程見た恋愛攻略チャート(俺命名)を思い出す。それを簡単に天使長に説明することにした。
「実は、あの男のことを他に好いている奴がいるっぽい……そして、ミサキがそいつを出し抜けるチャンスは今、この岩盤浴でしかないと俺は踏んだ。まぁ、さっさと終わらせたいし」
「な、なるほどの……後の方が本音の気もするが、しかし堂に入った演技じゃったの、まだ二回目だというのに」
天使長からの褒め言葉に、俺はヘヘッと鼻の下を擦る。
「まぁ、時間がなかったあの瞬間は勢いで押し切る必要があったしな。ゆっくり考える暇をあげてたら男がどっかいっちまう」
「……中々恐ろしいやつじゃ」
さて、ここでもう一度恋愛攻略チャートを確認しておくか。そう思い、俺は今まで感覚でやっていたセンサー感度を全開にする。しかし、何度やっても攻略チャートは脳裏に浮かばない。
「何故だ! 流石にもう一度確認しないと自信がないぞ!」
「なんじゃ? どうした?」
俺は天使長に、脳裏に浮かぶあの不思議な恋愛攻略チャートについて、それが今は使えない事を説明した。すると天使長は合点が言ったと様子で手を叩いた。
「言い忘れておったが、キューピッドにはそれぞれ不思議な固有能力があってのぅ」
ぴん、と天使長は一本指を立てる。
「まぁ詳しい説明はまた今度するとして、おそらくお主の恋愛攻略チャートは一対象につき一度しか使えないんじゃないかの」
な、なんだって!?
よく考えれば、一度目のデブ男の時にはわざわざ恋愛攻略チャートを見返そうとはしなかった。あの時も今も、確認できたのは進めているチャートの成立確率のみ……。
約40%……以前と比べると格段に高いが、なんとも不安を煽られる数字が俺の脳裏に浮かんでいた。
TIPS
天使長の、のじゃ口調は本人によるキャラ付けの為よくボロが出る