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シヨウの国に来て八年目のある日、僕はエルフ達には少し無理を言って、北東のコーフルへとやって来ていた。
……というのも、僕が故郷の深い森を出てから、丁度百年くらいが経ったから。
いや、別に百年前の今日に深い森を出たという訳じゃないのだけれど、このくらいの時期にプルハ大樹海を抜け、ルードリア王国のヴィストコートに辿り着いたのだ。
だから僕は、今日はどうしても人間の町を色々と見て回り、酒場に寄って酒を飲みたかったのである。
それも小さな田舎町じゃなくて、色々な物が見て楽しめるだろう大きな都市で。
そう、こんなの完全に、単なる僕の我儘なのだけれども。
「エイサー様、あれ、あの屋台で売ってるあれ、なんでしょうね? 行きましょう」
「おいテューレ、待て。エイサー様がお優しいからといって、流石に好き勝手にはしゃぎ過ぎだろう」
その僕の我儘に、テューレとレアスも付き合ってくれていた。
うん、いやまぁ、レアスは僕の護衛役でもあるらしいから、付いてくるのはある意味当然なのかもしれないけれど、テューレはほぼほぼ、自分が都会に興味があっただけかも。
今はシヨウの国となったイネェルダは、国土の多くが森に覆われていて、あまり発展した国じゃなかったから、人間に混じって暮らしていたテューレも大きな都市を見るのは初めてらしい。
しかしレアスはともかく、テューレは決して戦い慣れてるエルフじゃないから、はしゃいで一人で行動するのは少しばかり危険だ。
ふらふらとあちらこちらに吸い寄せられてしまいそうな様子の彼女を、レアスが襟首を掴んで引き留めていて、僕はそんな二人の様子に思わず笑ってしまう。
実際にテューレがどこかに行ってしまったら、笑ってられなくなるけれど、レアスが彼女から目を離す事はないだろうし。
また目立つ僕達に向けられた視線に混じる、邪な感情の持ち主が、妙な動きを見せれば教えてくれるように、精霊にも頼んであるから。
僕は油断はしないけれど、笑って二人の様子を見てられるのだ。
レアスは今、僕が集めた優秀なエルフ達の纏め役にもなっていて、テューレはその補佐をしている。
どうしてもまだ少し固い慎重なレアスを、テューレが引っ張り回していて、僕は二人がとても良いコンビに思えた。
今はまだ、シヨウの国の代表は元々からイネェルダの地に暮らしていたエルフの長老になっているけれど、やがてはレアスがその役割も担う。
エルフが長老に従って生きる価値観を捨てる訳ではないけれど、人間の国との交渉をしたり、自分の森の集落だけでなく、シヨウの国の全体の事を考えるなら、僕が集めたレアスを始めとする優秀なエルフに任せた方が良いと、皆が納得してくれたのだ。
簡単に言えば、集落単位では今まで通りに長老に従い、その集まりである国はレアス達が動かす。
もちろんそれに全てのエルフが納得してる訳ではないだろうけれど、僕がシヨウの国に来てから常に傍に居たレアスには、それが大きな実績となってるらしい。
僕に信頼され、用いられ続けたという実績に。
全く以て僕には理解できない話だが、エルフにとってハイエルフとは、それだけ重要な存在なのだろう。
もちろんレアスが優秀である事は間違いないので、その実績で彼が周囲に認められるのなら、敢えて口を挟む必要はどこにもなかった。
テューレの好奇心に付き合って屋台を覗き、見た事もない食べ物に戸惑うレアスの姿に笑っていると、酷く懐かしさを覚える。
百年前の僕も、もしかするとこんなだったのだろうか?
前世の知識を持っていたとはいえ、それとも全く違う人間の世界に、驚いたり見惚れたりしてしまった事を思い出す。
町に入る為の入場料が用意できずにロドナーに心配され、アイレナに助けられて、……あぁ、その礼にアプアの実を渡そうとして、驚かれてしかられて。
西中央部の鍛冶屋は、東中央部とは置いてる武器や防具も、少しばかり様式が違ってたりするけれど、濃い鉄の匂いが懐かしい。
最近はエルフ達に囲まれてるから、鍛冶なんて全然できてないし。
アズヴァルドに弟子入りして、クソエルフ、クソドワーフと呼び合って……、あれからもう、百年が経つのだ。
いや、まだ百年しか経ってないのか。
数え間違えてるんじゃないかと思うくらいに色々と、本当に色々とあった気がするのだけれど……。
時間は本当にわからない。
すぐに過ぎ去り、色々と取りこぼしてしまっているのに、振り返ればまだ百年しか経ってないなんて。
森を出て、鍛冶を習って、剣を習って、地震を起こして、東中央部を旅してまわって、養子を育てて、ドワーフの王位争いに関わって、吸血鬼を殺して、大切な人と死に別れ、東部を旅して、仙人に会って、竜に会って、高い高い木に登り、墓参りをして、不死なる鳥の卵を孵して、彫刻を習って、エルフの国を造ってる。
最初の十年が過ぎた時、それまで生きた人生よりも、濃い十年だったと思った。
その十年が、特別に濃くてかけがえのない十年だったのだと、そんな風に。
あぁ、それはきっと間違いない。
今でもあの十年の事は、僕の記憶の中で輝いている。
けれどもそれからの九十年も、やはり僕の中では光り輝いていた。
嬉しい事、喜ばしい事ばかりでなく、悲しかったり、やり切れなさも多かったけれど、だからって決して色褪せたり、輝きが衰えたりはせずに。
とても酒が飲みたい気分だった。
泥酔する程には、飲めないとしても、少し酒精と仲良くしたい。
そうしないと胸から気持ちが、言葉や涙になって溢れてしまいそうだから。