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『君の無事を嬉しく思う。
望まぬ道の最中にある君を哀れに思う。
されど自らの同胞の為、成すべき事を成せる君を誇りに思う』
これはアドバイスを求めてシグレアのマルマロス伯爵、マイオス先生に出した手紙の返事の、その始まりの部分だ。
続きはびっしりと具体的にどうすべきかと、その意味や意義が書き綴られていて、真面目なマイオス先生らしいけれども……。
あぁ、何とも実に懐かしい。
彫刻の技を習った時も、あの人の教え方は上手くて厳しかった。
もうきっと、息子に爵位を譲って引退し、今では好きな芸術に存分に時間を使っている事だろう。
嬉しく思い、哀れに思い、誇りに思う。
あの人らしい言葉が、とても嬉しい。
だけど、ふと気付く。
全てが解決したら、また何時か会いましょうって言い残したくせに、僕がもう、マイオス先生に会えないかもしれない事に。
もちろん全ての人は、ある日突然に何かがあって死んだりするからそんなの当たり前だけれども、しかしそうでなくとも、シヨウの国で十年を使い、更に西部に向かう僕が東中央部に戻る頃には、マイオス先生はもう居ないかもしれない。
既に開拓村で五年が過ぎてて、シヨウの国でも十年を滞在し、西部でも……、五年は使うと考えると、四十を過ぎてたマイオス先生は、六十を越える。
この世界の人間は、そのくらいの年になると、もう何時寿命を迎えてもおかしくはなかった。
マイオス先生は貴族だから、栄養状態が良いから少しは長く生きてくれないだろうか。
いやでもあの人は、自分を削って芸術に打ち込んでしまう人だから、……長生きしてくれる気がしない。
僕は本当に、何時もこんなだと、溜息が出そうになる。
まぁ暗くなっても仕方ないが、あまりに簡単に人間の生きる時間は過ぎていく。
アイハとの約束通りに手紙は送っているけれど、ソウハやトウキとも、もう会う事はないだろう。
もちろん僕は、その全てを理解した上で、十年をこの国で使うと宣言したのだけれども。
だが先程も言ったような気がするが、暗くなっても仕方ない。
マイオス先生のアドバイスは、人間の統治者側からの、幼少の頃から統治を学び、更に実践を経た人物からの物だ。
エルフばかりの、統治の素人ばかりのシヨウの国にとって、これ程に得難い物はなかった。
さて今日届いた手紙は、実はマイオス先生の他にもある。
というのもエルフが、このシヨウの国に友好的な隣国であるワイフォレンから陸路でジルチアス、ジルチアスから海を渡って東中央部に至るまでのルートを使って手紙のやり取りをできるようになったのが、実はつい最近だからだ。
それも新しく生まれた川を使った船の行き来に、エルフが関わるようになった成果だろう。
水の精霊の力を借りる事で水流を生み出せるエルフが関わって、北東のコーフルと東のワイフォレンの間の、川を用いた水運が徐々に発展し始めている。
その反面、南のカザリアや西のキルギア、北西のデュリグルは川を用いた水運を行えないばかりか、川を渡ってシヨウの国に攻め入ろうとしては幾度となく失敗し、友好国に利を、敵対国に不利を齎すエルフの存在は、今、周辺国の間で徐々に重みを増しつつあった。
もう然程遠くなく、友好的なコーフルやワイフォレンとは、対等の国として正式な国交を結ぶ事になる筈だ。
まぁ国と国との取り決めが交わされる前に、個々のエルフを水運に派遣するのは少しばかり心配だったが、残念ながらシヨウの国はまだまだ体制が弱かった。
エルフの纏め役である長老達や、集めてきた優秀なエルフが、いや、それどころかシヨウの国に住むエルフの全てが僕に協力してくれているからこそ、何とか回っているに過ぎない。
当然ながらこれまでに、国と国の外交を経験したエルフも居ないし、国交を結べば、不利な条約を結ばされる可能性が怖かったから。
まずはエルフの存在感を増す事で、少しでもシヨウの国の価値、立場を高めておいてから、国交を結ぶ段取りを運びたかった。
あぁ、話を元に戻すけれど、今日届いたもう一通の手紙は、その外交に関してのアドバイスを求めた物の返事である。
送り主は、そう、僕の知り合いのエルフで、いや、或いはこの世界で唯一かもしれない、国との外交を対等以上にこなしてるエルフである、アイレナだった。
そしてそんな彼女からの手紙を一通り読んだ僕は、思わず笑ってしまう。
だって彼女からのアドバイスを要約すれば、『人間の常識を知り、しかし最初はそれを知らぬふりをする事』だったから。
けれども、成る程、それはそうなのかもしれない。
人間の立場、常識を知り、それに寄り添おうとすれば、エルフは人間と同じ舞台で交渉を行う事になる。
そうなると向こうはプロで、こちらは素人。
相手になろう筈がない。
無論、コーフルやワイフォレンもエルフとは友好的に付き合う心算だろうけれど、それでも国と国の関係になると、自国の益を考えない訳にはどうしたっていかないだろうから。
故にアイレナは、敢えて必要以上に人間に寄り添う姿勢を見せるなと言う。
会ったばかりの人間には、人間が思い描くエルフの姿を見せ、全く違う立場で交渉を開始するのが良いのだと。
人間は人間の立場に、エルフはエルフの立場に、全く違う遠い地点に立つからこそ、対等の関係は始まる。
だから同じ舞台に立ってはいけないと。
もちろん何時までも無理解では困るけれど、徐々に理解する姿勢があればそれで十分だ。
あまりに素早く距離を詰めては、互いの関係を見誤ってしまう。
何というか僕には、これもあんまり向いてない気がするけれど……。
かといってレアスやテューレに全てを押し付けて知らんふりという訳にもいかないし、コーフルやワイフォレンからの使節の出迎えには、僕も参加する必要があるだろう。
アイレナからの手紙には、すぐに西中央部へと駆け付けられない事への謝罪と、西の同胞をお願いしますと書かれて、締め括られていた。
……うん、難しいだろうけれど、頑張ってみようか。
僕だってたまには、直接ではないにしても、アイレナに良いところを見せたいと、そう思うから。
本日、書籍五巻の発売日です
五冊目ですね
ちょっと思ったんですけど、五冊もあればそろそろ合体して鎧として使えるんじゃないでしょうか
右肩、左肩、右胸、左胸、腹部で五冊
厚さ的には矢くらいなら防げる気がします
今回は、0歳からの年表や新章やイラスト入りの特典SSや、色々とマシマシしてるのでお気が向かれましたら是非どうぞ~