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僕がラドレニアの聖都で騒ぎを起こしてから、更に五年が経つ。
その間、僕がどこで何をしていたのかといえば、復興が進むズィーデンの南部、元はカーコイム公国だった地の、新しくできた村の一つで鍛冶屋をしていた。
ズィーデンがカーコイム公国に攻め込み、その後はヴィレストリカ共和国との戦争の舞台となったこの地では、多くの村が戦火に焼かれて姿を消したそうだ。
争いで村が消えるのは一瞬である。
秩序ある占拠ならまだしも、軍糧を得る為に根こそぎ奪われてしまえば、村人が生きる為には村を捨てて離散するしかない。
或いは軍が村を拠点として使う為に村人を追い出す事もあっただろうし、傭兵や逃亡兵による略奪、最悪の場合は虐殺だってあっただろう。
しかし逆に新しく村が生まれてその地に根付くには数年か、或いはそれ以上の、人間の世代が変わってしまうくらいの時間が必要だった。
でも村に鍛冶屋があったなら、その復興はほんの少しだけ早く進む。
何故なら建物を建てるには釘が必要であり、建材となる木を切るには斧が必要であり、田畑を切り開くにも農具が必要で、煮炊きには鍋窯が必要だから。
仮に全てを町から買って賄えば、その負担は非常に大きい。
だけど村に鍛冶屋があってそれを用意できたなら、余力を他に回す事ができるのだ。
また自分の村に鍛冶屋がなくとも近くの村にあるならば、そこで必要な物を賄おうと行き来するから、村と村の交流も自然と活性化する。
交流と村の復興、発展は無関係に思えるかもしれないが、これは非常に重要だった。
例えば水利を巡って村と村に利害関係が発生した時、互いに見知った関係ならば、譲り合う事もできるだろう。
だが互いの関係が薄ければ、時に村と村の争いにもなりかねない。
他にも互いに相手を良く知るならば、村の産物が重ならぬようにと住み分け、或いは互いに必要な物を作り合う、一種の分業のような体制だって築けるから。
村の復興、発展の速度には、互いの村の交流は大きな意味を持っている。
尤もこれは理想の話で、鍛冶屋が一つあったからって、村の全てが上手くいくって話ではない。
ただ、それでも鍛冶屋には、村を少し良くする力が確かにあった。
だから僕はこの五年、ふらりと訪れたこの村に住み着き、釘に鍋釜、農具を作って、村の復興をほんの少しだけ手伝って来たのだ。
武器や防具を作るばかりが鍛冶じゃないって、久しぶりに思い出して。
もちろん、新しい村に住み着いたのには、他にもちゃんと理由がある。
それはシグレアのマルマロスの町で、マイオス先生から教わった彫刻、石工の技を、自分なりにもう少しばかり磨きたかったからだ。
技術を磨いて己の物とするには、やはり旅をしながらよりも、一ヵ所に腰を落ち着けた方が都合がいい。
故に僕は、朝は剣を振って、昼は鉄に鎚を振るって、夜は石をノミで削りながら五年を過ごす。
剣を教えて欲しいと言った若者には剣を教え、鍛冶を学びたいと言った若者には鍛冶を教え、……彫刻、石工の技を学びたいと言った者はいなかったけれど、完成した彫像を子供の遊び場にされながら。
時には村の近くに出た魔物を狩ったり、村をエルフのキャラバンやアイハが訪れたりもしたけれど、それでも大きな出来事はなく穏やかに時は流れて、僕は自身の研鑽にある程度の満足を得る。
当然ながら、完璧なんて言葉にはまだまだ程遠いけれど、それでも一区切りは付いた。
それにそろそろ、多少はほとぼりも冷めたと思うし。
「そうですか、やはり行かれてしまいますか」
荷を纏めて旅立ちを告げると、村長は惜しむようにそう言った。
まぁ以前から永住する訳ではないと伝えてたし、ここ最近は鍛冶を教えた村人達に仕事を引き継ぐ手配をしていたから、予想はされていたのだろう。
「そろそろ西にね、行こうと思ってるんだ」
行き先は、西に行こうと思ってる。
でもこの西というのは、ここから西、ヴィレストリカ共和国やその属国であるギアティカの事じゃなくて、プルハ大樹海を越えた西側、……の更に向こうにある大陸の西部だ。
そう、ウィンが今どうしているのかを、この目で見に行きたい。
尤も船を使って西部に行くなら、やっぱりヴィレストリカ共和国には立ち寄る事になるだろう。
但し西部の国は人間以外の種族を捕まえては奴隷にしている。
そんな場所に堂々と乗客として行ける筈がないから、……船を選ぶなら密航するより他にない。
しかし密航は船乗りに強く忌避される行為であり、以前の船旅でそれを教わった僕にとっても、あまり気は進まなかった。
密航が忌避されるのは、タダ乗りを目論んだこと以上に、密航者が計算外に水や食料を消費するからだ。
船は目的地までの日数を計算し、積み荷と、水と食料を考えて船に積む。
仮に密航者が何週間も、余分に水と食料を消費すれば、発見が遅れれば海の上で水や食料が枯渇しかねない。
そうすると予定を変更して近くの港に立ち寄る必要が出てくるし、最悪の場合は船乗り達の命にも関わる。
だから船乗り達は密航を強く忌避するし、密航者を発見すれば決して許しはしないだろう。
もちろん僕の場合は、水は精霊に頼み、食料も自前でアプアの実を齧れば、船に負担をかける事はない。
だけどそれでも、密航自体に抵抗感はあった。
他のルートは、ウィンと同じようにプルハ大街道を通ったり、僕ならプルハ大樹海を抜けたり、或いはドワーフの国を通り過ぎて北のフォードル帝国から西へと向かう事ができる。
地域の境となる危険地帯、プルハ大樹海を抜けれる時点で、僕にとって大陸中央部の東側と西側の行き来には障害がない。
だが行き来ができたからといって中央部の西側、西中央部や、それから西部へと至る旅路が楽しめるものになるかどうかは、全く別の話だ。
見たくない物を見て不快になるだけの可能性が、ウィンの手紙の内容や、伝え聞く話から判断するに、非常に高いだろう。
それなら船で西部に直接乗り込んだ方が、幾分マシな気もするのだが、……悩ましい。
旅のルートで悩む事はこれまでにもあったけれど、見たくないものを避ける為に悩むなんてのは、多分初めての経験だった。
まぁいずれにしても西に向かってこの村を立つのは変わらないけれど。
「貴方のお陰で、この村は最も厳しい時期を安定して乗り切る事ができました。私だけでなく、村人の誰もが、あなたには感謝してます」
村長の大袈裟な物言いに、僕は笑って首を振る。
確かに少しばかり、この村の力になれた自負はあった。
でもそれは本当に、少しばかりだ。
鍛冶、魔物の討伐、後を任せる若者の育成が役に立った事は間違いなくとも、それでもこの村が厳しい時期を乗り越えて根付けたのは、村人の誰もが懸命に頑張ったからだろう。
「いずれまた、遊びにくるよ」
その時にはこの村はもっと大きくなっていて、……見知った顔が少なくなってるかもしれないけれども。
しかし今は、それを思ってしんみりする時でもない。
ルートはまだ決まらないけれど、僕は西に向かって歩き出す。
そう、今は久しぶりの、大きな旅への出立の時だ。
24章スタートです
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