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僕がマイオス先生から鎧の発注を受けて一年後、つまり彫刻を学び始めてから二年と少し、クレトスはマルマロス伯爵の代理人として軍役で前線に旅立った。
マルマロス伯爵領の兵士を率い、真新しい鎧を身に着けて。
彼の為、父であるマイオス先生から依頼を受けて僕が製作した鎧は、スケイルアーマー。
但し皮の下地に鱗状の金属片を貼り合わせた物ではなく、本物の魔物、それもかなり強い種の鱗を使ってる。
魔物の鱗の一枚一枚の縁と裏を金属で覆う加工を施す事で、鱗状の金属片と同じように皮の下地に貼り合わせる事を可能にした。
更に下地に使った皮も、同じ魔物の皮を鞣して加工した物だ。
その結果、重量はそこそこあるけれど、見栄えが良く、動き易く、何よりも非常に頑丈な鎧が出来上がる。
一枚一枚の鱗の加工は物凄く手間だったが、そうしなければ魔物の鱗は、触れた者の手を傷付けてしまう。
また強い魔物の鱗と皮の一揃いは、恐ろしく値が張ったけれど、完成した鎧は、間違いなく着用者の命を助けてくれる逸品だった。
もちろんその鎧を着たからと言って、確実にクレトスが生き残れるとは限らないが、そこはもう言い出したらキリがない話である。
僕が付いて行って守ってやれば、そりゃあ一番確実だけれど、そこまで踏み込む気はないし、そもそも誰も望んでいない。
一度きりならともかく、軍役は数年に一度、この先にも何度もあるのだから、クレトスは自らの武人として名を上げるという夢を叶えるならば、自分の力で生き残り、力を身に着けなければならないだろう。
尤もベテランの副官は付くだろうから、最初は逸らぬ事こそが肝要ではあるのだろうけれども。
まぁその辺りは、二年も木剣で手合わせをし、彼の鼻柱を折ってきたから、今の身の丈はきちんと自覚している筈だった。
そう、だからもう、僕にできる事は何もなく、マイオス先生から鎧の代金を受け取って、後はクレトスが一回り大きくなって帰ってくるのを、ただ信じて待つばかりだ。
しかしクレトスは、もしかするといい時期に軍役に就いて旅だったのかもしれない。
何故なら彼の旅立ちから数ヵ月が経った頃、マルマロス伯爵領には不穏な気配が流れ始めたからだ。
その始まりは、町の広場で一人の男の死体が見つかった事だった。
危険地帯である人喰いの大沼に面しているから、魔物の脅威が近いこのシグレアであっても、町中で死体が見つかるとなれば騒ぎとなるし、色々な噂話や憶測も飛び交う。
ましてや豊かで、比較的治安の良いマルマロス伯爵領であれば猶更だ。
更に一週間後、今度は女が一人、同じように町の広場で死体で見つかる。
死んだ男と女に共通点はなく、猟奇的な殺人者が町に潜んでいるのではないかとされ、町中の警備が強化されたが……、僕は知ってる。
その二人は、表向きの身元に共通点はないが、実は共にマルマロス伯爵家に仕える諜報員であった事を。
マルマロスの町では表向きは別の職に就き、だけど裏では情報を集めたり操作したりして、商人の不正を調べたり、他国からの間諜を防いだり、大きなトラブルを未然に防ぐ役割を担う者達だったと。
どうして僕がそんな事を知っているのかといえば、実は以前に彼らからの監視を受けていたからだ。
そう、丁度チンクエディアを献上してから半年くらいの間は、常に彼らの視線を感じてたから。
無論、諜報員達もこちらに気取られないように慎重に気配を隠していたけれど、僕は向けられた視線には敏感だし、何よりも精霊の目を誤魔化す事は、普通の人間には不可能である。
故に僕は風の精霊に頼んで逆に彼らの会話を盗み聞き、その所属を知っていた。
尤もマイオス先生は比較的早期に、或いはチンクエディアを見た時から僕を信じてくれていたのだろうだけれど、その家臣団は、特にマルマロス伯爵の補佐である、バレストラ・カイアント子爵は、僕を強く疑っていたらしい。
まぁ、流れ者がいきなり伯爵に彫刻を教えて欲しいと頼み込むなんて、常識外れにも程があるから、怪しまれるのは当然だ。
なのでまぁ、僕が疑われていた事自体は別にもう良いのだけれど、問題は町を影から守っていた諜報員が、全く同じ殺され方をした事だろう。
鋭利な刃物で身体を切り裂かれ、しかも首を折られて、町の広場に晒された。
まるで広く見せ付けるように。
なら一体、その死は誰に見せ付けられているのだろうか。
マルマロスの市民達に、と言う訳ではない。
確かにマルマロスの市民達はその死を見て動揺してるけれど、だからといって彼らに何かができる訳じゃないのだ。
あぁ、いや、市民を怯えさせるのも、揺さぶりの一つではあるのだろう。
忠実だった影の死を見せられ、更に市民達が不安を覚えた姿に、マルマロス伯爵であるマイオス先生は、間違いなく心を痛めるから。
それは脅しだった。
マルマロス伯爵に自分の要求を飲ませようとする、ある存在からの強烈な脅し。
ただその脅しは、僕にとって非常に不本意な結果を招く。