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大理石の産出で有名な町、マルマロスはシグレアの南西部よりの位置にある。
つまり危険地帯である人喰いの大沼とは面しておらず、シグレアの中ではの話だけれど、比較的だが危険から遠い場所に在る町だ。
尤も魔物の脅威が間近な場所では、のんびりと採石なんてしてられないだろうから、それも当たり前の話ではあるのだけれども。
シグレアまでの道中、僕は旅の商人等から話を聞いて、この国で有名な彫刻師の情報はそれなりに集めて来た。
但し道すがら名前を知れた彫刻師は、殆どが代々教会と縁の深い彫刻師の家系に生まれた、つまりは神や教会に認定された聖人の像を専門に彫る者ばかりだったのだ。
もちろんそれを悪い事だという心算なんてないけれど、教会が定めた様式の中での表現に優れた技術というのは、僕が求める物とは少しばかりのズレがある。
それに余所者の、しかも信心深くないどころか、神の存在に対して何の敬意も抱かぬ僕に、教会と関わりの深い彫刻師が技術を教えてくれるとは思えない。
でも、だからこそ僕は、この大理石の産出で有名なマルマロスの町にやって来たのだ。
何故なら、旅の最中に名前を聞いた有名な彫刻師の中で最も異質だったのが、このマルマロスの町の領主である、マイオス・マルマロス伯爵だったから。
……今回、僕は彫刻の技術を学びに、いわば芸術を目的としてこのシグレアにやって来たけれど、ここの本質は武の国だ。
危険地帯である人喰いの大沼に面し、そちらから流れて来る魔物を食い止め打ち倒す。
その為に軍事力の維持に力を注ぎ、他国からの支援も受けている。
この国で一般的に敬意を集める職業といえば、前線で魔物と戦う兵士や騎士といった軍人で、また有名な冒険者の人気もかなり高い。
もちろんその他の職業が軽んじられてる訳ではないけれど、前線で戦う人を支えるのが後方の役割なのだとの考えは、かなり根強く広がっていた。
更にそれは国内に対してのみの話ではなく、シグレアは矢面に立って戦って危険地帯の魔物を食い止めているのだから、後方であるドルボガルデはそれを手厚く支援して当然だ。
なんて風にシグレアの民は考えているらしい。
まぁ確かに、実際に魔物と相対して食い止めてる、そして少なからぬ犠牲を払っているのであろうシグレアの立場からすればそうなるのもわからなくはないが、僕のような余所者から見ると、考え方に偏りを感じてしまう。
そして一般の民ですらそうなのだから、彼らに対して強い姿を見せなければならない貴族は、より一層その傾向が強かった。
けれどもそんなシグレアの貴族でありながら、マルマロス伯爵は彫刻師として有名なのだ。
文弱と蔑まれる事を意にも介さず、芸術を愛し、自らも作品を手掛ける彼は、間違いなく自由人で変わり者だった。
領内の統治こそは自らの手で行っているが、軍役には代理人を派遣するばかりで直接は赴かず、それどころか武骨だとの理由から、剣を帯びすらしないという。
その代わりに貴重な芸術品を蒐集し、自らの手でも生み出す。
特に彫刻に関しては、他の分野の芸術を参考にした斬新な技法、教会の定めた様式を無視する大胆な発想で、広く名を知られてる。
実際に弟子入りを申し込むかどうかはさておいて、そんな話を聞けば当然ながら興味は沸く。
また教会が大理石を豊穣神が与えた宝と称し、特別視して買い集める中、その意向を気にせずに自由な作品を生み出せるのは、間違いなくその産地の統治者であるからだ。
つまり僕も大理石を扱いたければ、マルマロス伯爵との伝手を得るに越した事はない。
あぁ……、地の精霊に頼めばまだ人間が見付けていない大理石の眠る場所を見付け、切り出すくらいは容易いけれど、持ち運びまで考えると些か以上に面倒臭いから。
僕は輝ける石、大理石の産地として有名な、マルマロスの町へと足を踏み入れた。
マルマロスの町は、採石場から運ばれて来た大理石の加工、取引で成り立つ町だ。
簡単に言えば非常に豊かな町である。
大理石で有名な町と言えば、採石場で働く労働者が多く住むイメージをするかも知れないが、彼らはもっと、採石場の近くに村を作って住んでるらしい。
この町の特徴と言えば、キチンと区画の整理された町並みと、よく整備された道である。
それは採石場から大理石を積んだ馬車がスムーズに町に入れるようにする為であり、また取引の終わった大理石やその加工品が、やはり馬車に乗ってスムーズに運び出される為だった。
また馬車と人の分離交通、歩道の整備がされているのは、荷を運ぶ馬車に人が轢かれる事故を減らす為だろう。
町に出入りする為の門は広く、大きい。
出入りの審査も然程に厳しいものではなく、エルフが訪れた事に奇異の目は向けられたものの、トラブルも生じなかった。
馬車の通りが多いからか少しばかり砂埃は気にはなるものの、道もきちんと清掃されており、開放感のある良い町だとの印象を受ける。
恐らく統治者が町に対し、繊細に気を配っているのだ。
それから何より、町の随所に、という程ではないけれど、目に付く所には大理石の像が設置されてる。
例えばふらりと立ち寄った公園には、精緻な大理石の巨狼が、周囲を囲む草木と見事に調和して、行き交う人々を見守っていた。
大理石の硬質さ、冷たさが、その巨狼の孤高を表現し……、なのに石の毛並み、眼差しには不思議な温かさを感じる。
公園のベンチで休む老人に問えば、あぁ、それはやはり、この町の統治者である、マルマロス伯爵の作品だという。
そしてそれを教えてくれた老人は実に誇らしげで親しみに満ちていて、シグレアでは文弱と侮られる己の町の統治者を、けれども住民はとても慕っているのだと、たったそれだけで理解ができた。
23章スタートです