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翌日、僕はアイナとビレックに案内されて、彼女達が通うという訓練場へと向かう。
何でも昨日の話では、アイナとビレックの出会いはその訓練場だったらしい。
アイナがその訓練所に通い出したのは、前に僕がこの町を訪れた二年後、十歳の頃だったそうだ。
それまでの二年間は、僕が木を削って作って与えた、子供用の木剣での素振りをしてたんだとか。
最初は彼女の両親も、子供が指導者もなしに素振りだけをしていても何時かは飽きると考えていたらしいのだけれど、それでもアイナは宿の屋上で素振りを続けた。
一人で、毎日少しずつ、時には何らかの理由で木剣を握らぬ日はあっても、それでもずっと継続的に。
何がアイナをそこまで剣に執着させたのかはわからないが、彼女の両親はひたむきな、ある意味で頑固な我が子の姿に、剣を習わせる事を決めたという。
宿を訪れた冒険者から、『一人で剣を振ってると、他人と自分を比べられないから、間違った自信を持ってしまう』という忠告を受けた事もあって。
僕は幾人も女剣士を知っているけれど、それでもこの世界で剣を学ぼうとする女性は少数派だ。
故にジャンぺモンの訓練場でもアイナの姿はよく目立ち、しかし剣に対して熱心な彼女の姿勢と相俟って、特に年長者からは可愛がられたらしい。
またある程度の年齢になれば、同じく訓練場に通う若者達が彼女を見る目には恋心という熱がこもる事になる。
その中で、アイナの気持ちを勝ち取ったのが、他の若者よりも剣に熱心で腕が立ち、だけど力に驕って傲慢な振る舞いなどはしない、真面目で優しいビレックだったんだとか。
何というか、そう、聞いてて思わずにやけてしまうような、甘酸っぱい話だった。
でもアイナは剣を振る理由として、幾度となく、あるエルフが剣を振る姿が目に焼き付いて離れないからと口にしていたそうだ。
そしてそのエルフが実際に目の前に現れれば、どれ程の腕なのかを確かめたく思うのは、剣士としての性か、それとも微笑ましい若者の嫉妬心か。
いずれにしても僕はビレックに手合わせを乞われて、ならば折角だからと訓練場に向かってる。
本当にもう、実に楽しい。
僕の日課の訓練を見たアイナが、それをずっと覚えて剣を握っててくれた事も嬉しいし、ましてや本格的に剣を学んでるなんて考えてもなかった。
ビレックから向けられる感情も、それが正直で真っ直ぐな物であるから、僕はそれを好ましく思う。
もちろん当たり前の話だけれど、アイナが学ぶ剣はヨソギ流ではない。
でもそこにアイナが不満を抱いてる様子はないから、きっと彼女は自分にあった剣の流派を、或いは自分の生き方に合った剣との向き合い方を、この町で見付けたのだろう。
それはとても素晴らしい事だった。
辿り着いた訓練場は、広い土のグラウンドと、それを整備する用具や、訓練に使う武器を保管する倉庫を兼ねた建物があるばかりで、僕が知る道場とは趣が大きく異なる。
また剣を訓練する場だとは聞いていたけれど、この場にいる半数程が手に握るのは、槍に見立てた長い棒。
どうやらここは、単に剣だけを学ぶ場ではなく、もっと広く戦い方を訓練できる場所らしい。
恐らくこの場所の維持費は、ジャンぺモンの町から、トラヴォイア公国の公費で賄われているのだろう。
アイナとビレックが教官に話を通しに行く間、僕はのんびりと訓練場を見回す。
実はここに来るまでは、僕は少しだけ気を張ってた。
道場ではないけれど、他流の剣士が技を学ぶ場と聞いて、敵地となる可能性も決して皆無じゃないとは思っていたから。
だけどそれは、僕の杞憂に過ぎなかったらしい。
ここの空気はいわゆる剣術の道場のそれではなく、……例えるならば市民が利用する運動場に近かった。
尤もそれは、熱心に訓練に励む彼らを馬鹿にしてる訳では決してなく、排他的な匂いがしないという意味で。
槍はさておき、木剣を握って振るう者に目をやれば、彼らが訓練してる剣技は主に二種類。
剣術を、ヨソギ流を学んだ僕は、ルードリア王国の四大流派以外に関しても、周辺国で流行る主要な流派の知識はある。
用いる木剣のタイプや構え方、動きから見るに、この訓練場で教えられている剣技は、アズェッダ帝国式正剣術だった。
この地に小国が乱立し、小国家群と呼ばれるよりも以前、アズェッダ帝国が存在している頃から広く知られた流派で、その名の通りに帝国の正式剣術に採用されていたという。
ここで言う正式剣術とは、騎士や兵士が必ず習得すべき剣技として位置付けられていたという意味だ。
では何故、この訓練場で教えられている剣技はアズェッダ帝国式正剣術なのに、訓練する剣技が二種類あるのかといえば、アズェッダ帝国式正剣術はその時々に応じて軽重を切り替える事を要とする剣技だから。
アズェッダ帝国式正剣術の軽は、身のこなしを軽く相手を攪乱し、手数と鋭さで仕留める剣。
アズェッダ帝国式正剣術の重は、腰を落として根を張るように構え、相手の攻撃を防ぎながら、力強い反撃の一撃で叩き潰す剣。
軽と重のどちらにも比較的対応し易い片手半剣を用い、二つの剣技を状況によって切り替え、広い状況に対応、或いは敵を困惑させるのが、アズェッダ帝国式正剣術の理想とされる。
そう、理想の話だ。
当たり前の事なのだけれど、大きく動きの異なる軽と重は、それぞれに必要とする要素が全く違う。
剣士の体格、体重、筋力、性格、その他にも色々な要素で、軽重のどちらかに適性が傾くのが普通だった。
寧ろ得意とする方のみを熱心に学ぶ剣士が殆どで、アズェッダ帝国式正剣術の使い手にも、実際に戦いの中で軽重を切り替えられる者は殆ど居ないらしい。
そんな剣術の知識を掘り返しながら待つ事暫し、アイナとビレックに連れられて、教官と思わしき男性が僕の所にやってくる。
柔和な笑みを浮かべてるけれど、どことなく雰囲気のある、僕が知る剣士らしさを匂わせる教官が。