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小国家群の一国、トラヴォイア公国の町、ジャンぺモン。
ここを訪れるのは、もう何度目になるだろう?
一度一度の滞在時間は、……確か最長でも一年半くらいと然程に長くはないけれど、時折ふらりと足を向けたくなる、印象深い町だった。
麦の収穫時期にはまだ遠いから、今回も黄金の海に浮かぶ石船は見られなかったけれど、青い麦畑もそれはそれで趣がある。
前回訪れた時と同じく砦が遠目に見えるけれども、争乱が収まった事を知ってるからだろうか、前のようには気にならない。
寧ろもっと時間が経ち、あの要塞も風化が進めば、それはそれで馴染んで見応えのある光景となるような気もした。
ジャンぺモンの町に入れば、僕は真っ直ぐに宿へと向かう。
鍛冶師組合には、どうしようか。
もう随分と鍛冶場の熱に触れてないから、鍛冶をしたいって欲求は高まってる。
だけど目的地であるシグレアについてからでも、鍛冶場を借りる事はできるだろう。
何せシグレアは、人喰いの大沼という危険地帯に接した、軍事力の高い国であるから。
当然ながら鍛冶の需要は高い筈。
鍛冶をする気がないのであれば、このジャンぺモンにも長居する事はないだろう。
アイナがどれくらい大きくなったのかを見て、ノンナの墓にも花を供えて、宿の食事を堪能するだけなら、三日か四日も泊れば十分だ。
ジャンぺモンに立ち寄ったのはあくまでも寄り道なのだから、その程度が妥当なところだった。
宿の扉を開けると、中から煮込んだシチューの香りが流れてくる。
僕は思わず一度唾を飲み込んでから、宿の入り口を潜る。
そういえば、僕が初めてジャンぺモンの町に来た時、この宿を選んだ理由も、外にまで漂ってきた夕食の香りに抗えなかったからだったと思い返しながら。
あの頃はまだ宿もこんなに立派じゃなかったから、外にまで夕食の匂いが漏れていたのだ。
「いらっしゃいませ、……あら、エイサーさん? あら! エイサーさんじゃないですか、お久しぶりです」
扉の開く音を聞き付けて出迎えに来てくれたのは、ノンナの孫でアイナの母であるシェーネ。
彼女は驚いた顔で僕の名前を呟いた後、喜色を浮かべてもう一度僕の名前を呼ぶ。
声の弾ませ方から、本当に僕を歓迎してくれてる事が伝わってきて、何だか少し面映ゆい。
「うん、久しぶり。宿を、取り敢えず三日と、食事が欲しいな。匂いでお腹が減っちゃって」
僕がそう言えばシェーネはやはり笑顔で頷き、二階の部屋へと案内してくれた。
前回泊まったのと、同じ部屋へと。
偶然だろうか、それとも泊った部屋を覚えててくれたのだろうか。
いずれにしてもその事を、少しばかり嬉しく感じる。
「でもエイサーさんが来てくれるなんて驚きました。あの子もきっと喜びます。あの子、あれから暫くずっとエイサーさんの事ばかり話してたんですよ」
あの子というのは、恐らくアイナの事だろう。
軽い口調でその名前が出て来て、僕は少し安堵した。
いやだって、姿がどこにも見えないから、何があったのだろうって思ったから。
人間は寿命以外にも、時に病にだって命を奪われる。
特に子供は、驚く程にあっさりと。
或いはこの町は、以前のズィーデンとカーコイム公国、ヴィレストリカ共和国との前線に近かったし。
「そう、姿が見えないからどうしたのかなって思ったよ。もう大きくなったんだろうなぁ」
僕がそう言えば、シェーネは頷き相槌を打つ。
ハイエルフにとって人間の子供の成長はあっという間だけれども、親である彼女にとっても、我が子の成長は早いらしい。
「今日はあの子は、町の剣の訓練場に行ってます。……そういえば、訓練場に通うって言いだしたのも、エイサーさんの影響でしたね」
鍵を受け取り部屋に荷を下ろせば、次は空いた腹を満たす為に食堂へ。
階段を下りながらも続く他愛のない話に、不思議な楽しさと安心を感じる。
しかしそれにしても、僕の影響で剣の訓練場か。
あぁ、そういえば、以前に屋上で日課の訓練をしていた時に、アイナに強請られて訓練用の木剣を削ってやり、基本の素振りの仕方くらいは教えたような記憶があった。
まさかそれから本格的に、この町で剣術を続けてるなんて思わなかったけれど、それは何だかとても面白い。
昔のここが小さな宿だった頃は、我が子も貴重な働き手だったから、剣を学ばせる余裕なんてなかっただろう。
だけどこの宿は大きくなり、人を雇う事で働き手を増やした。
つまり豊かさが、時間を学びに向ける余裕を与えたのだ。
宿の娘に剣術が必要かと問われれば、多分それは否だろうけれど、シェーネは僕がその影響を与えた事に関しても、好意的に捉えてくれているらしい。
さてそうなると気になるのは、アイナが一体どれ程の腕前なのかってところだけれど、そればかりは本人に会ってみてからの話だった。
流石に毎日訓練所に通ってる訳じゃないだろうから、ヨソギ流の道場で育ったアイハ程じゃないとは思うが……。
あぁ、そう言えば二人は名前も似てるし、ふと数えてみたら、恐らく同い年の十七歳である。
もし仮に二人が出会ったら、友達同士になれるのだろうか?
他愛もない事を考えながら、出された食事、柔らかなパンとシチュー、それから鹿肉のステーキを口に運ぶ。
そしてアイナが勝手口から帰宅したのは、僕がその食事を食べ終えた丁度その時だった。