218
僕が不死なる鳥の卵に力を注ぎ始めてから、もう三年近くは経つだろうか。
実際の話、もう結構きつかった。
何が辛いって、日々に変化がなくて飽きるのだ。
食事はその辺りをうろつけば、木々が実をわけてくれるから飢えはしない。
だけど木の実ばかりの生活は、やっぱり早々に飽きてしまう。
剣の鍛錬は日課としてこなしてるけれど、手頃な枝を拾って削った木剣を素振りするだけで、腰の剣は抜いていなかった。
やはりそれは、時折だが僕の様子を窺う他のハイエルフに、刺激が強いだろうかと思ったから。
力を注ぐ度に反応してくれる不死なる鳥の卵は可愛いが、だからって話し相手になってくれる訳でもないし。
最近ではちょっと独り言が増えてきて、不死なる鳥の卵に向かって話し掛けてる。
まぁ要するに、やっぱり深い森の外に出たいなって、気分がヒシヒシと募ってる感じだ。
のんびりとした生活は決して悪いものじゃないけれど、僕にスローライフは向いてない。
ドワーフになった覚えはないが、それでも僕は鍛冶をして、酒を飲んで肉を食べなければ、生きていける気がしなかった。
身体が生きる為じゃなく、心が生きる為にそれらを求めてるから。
不死なる鳥の卵の孵化にまだまだ時間が掛かるようなら、一度は深い森を出て外で過ごし、また折を見て戻ってくる事も検討するべきだろう。
いや検討というか、本当に限界が近いから、力を注ぐのは今日で一旦終わりにするか。
そう心に決めた時だった。
ピシッと、乾いた音と共に不死なる鳥の卵に大きな罅が入ったのは。
……えぇ、いやそれは、なんだかこう、ズルくないか?
随分とタイミングが良すぎるというか、むしろ外に出たいと思ってるのに悪いというか、まるで僕の心を読んでいるかのような反応に、ちょっと言葉が出てこない。
もしかして、卵だから喋れなかっただけで、これまでの僕の独り言も、不死なる鳥は全部聞いて理解してたりするんだろうか。
少し釈然としないものを感じるが、三年も力を注ぎ続けてきて漸く孵化の兆候が見えたとなると、流石に一旦中断して深い森の外へ、なんて言葉も引っ込んでしまう。
この三年で、幾枚かの黄金竜の鱗の破片は擦り切ってしまったが、元より使い道には困っていた代物なので問題はない。
寧ろ正直持て余してるから、できれば全部使い切ってしまいたいのだけれど、荷物袋の鱗の破片がなくなるには、それこそ何十年も掛かりそうだ。
故に遠慮なく、僕は最後の頑張りだと思って、黄金竜の鱗でミスリルの腕輪を全力でこする。
卵に当てた手からは、強い力が注がれて、それに呼応するように罅は大きく広がっていく。
これで最後だと思えば、我が身が力の導管となる感覚も、中々に楽しい。
最初は通る力の大きさに、熱や痛みを感じもしたが、今ではすっかり慣れてしまったから。
バキバキと、音が鳴った。
卵の中身が、殻を砕いて外に出ようと動いてるのがわかる。
しかし卵が大きいから当たり前ではあるのだけれど、やっぱり中身も随分と大きい。
この段階まで来れば、もう力を注ぐ必要はなくなっただろうし、何よりも殻を砕かんと暴れる動きに巻き込まれそうだったから、僕は慌てて距離を取る。
割れた殻の隙間から覗いた緋色は、不死なる鳥の体色、或いは体毛の色だろうか。
そうして安全圏に退避して暫く見守れば、割れた卵から出て来たのは、濃く明るい赤色の、大きな雛鳥。
だがサイズは大きいが、まだ卵の殻を頭に被ったその姿は、あぁ、随分と可愛らしい物だった。
……一瞬、カラーひよこって単語が脳裏を過ってしまうけれど、流石に口に出しはしない。
言ったところでどうせ通じはしないのだし。
孵った雛鳥は真っ直ぐに僕を見ていて、一歩、二歩と前に、こちらに近寄る。
僕より体の大きな雛だけに、その圧迫感はかなりのものだが、危険や恐怖は感じなかった。
それどころか可愛らしく、愛おしくすら思う。
これはハイエルフとしての、不死なる鳥に対しての種族的な好意か、それとも我が手で力を注いで孵した事にで芽生えた愛情か、もしくはその両方か。
いずれにしても僕が近寄ってきた大きな体に手を伸ばせば、雛鳥はその頭を伸ばした手に擦り付けた。
あぁ、実に驚きの手触りだ。
生まれたばかりにも拘わらず、物凄くもふもふしてる。
埋もれて寝ればさぞや心地好……、いや、体温がかなり高いから、普通に暑くて寝苦しいかな。
「おはよう、不死なる鳥」
僕がそう声を掛ければ、雛鳥はぴちゅぴちゅと鳴いて返す。
だけど僕が触った手を通して、雛鳥の思考も伝わって来る。
『私の事は緋色とお呼び下さい。この身体の色から、昔はそう呼ばれていました。不死なる鳥と呼ばれる同族は他にもいます。だから私を孵した貴方には、私だけを指す言葉、緋色と呼ばれたいと思います』
……なんて風に。
何だか随分と好かれている様子だけれど、これはハイエルフと不死なる鳥という種族的な相性以外にも、刷り込みのようなものが働いているのだろうか?
あー、うん、しかし卵が孵れば次は雛か。
そりゃあ当然と言えば当然だけれど、僕も流石に雛鳥に背中にのせて空の上まで飛んで欲しいなんて、とてもじゃないが頼めない。
もし仮に頼めば、緋色は僕の頼みに応じられない事に悲しみそうな気がするだけに、余計に口には出せなかった。
「あー、緋色は触り心地がいいね。大きくなってもこんなにモフモフしているの?」
だから僕は全く違う事を口にして、そのモフモフとした柔らかさに身を埋める。
アテが外れた残念さを誤魔化すように、少しおどけた調子で明るい声を出しながら。
『大きくなれば変わります。しかし成鳥となった私の触り心地も、今に負けない事を保証します。少しだけ、お待ちください。大きくなれば、貴方の望みは必ず叶えますから』
でも緋色には、僕の気持ちはお見通しだったのだろう。
そんな思考が伝わってきた。
あぁ、そう言えば、孵ったら雲の上に連れてってくれって、卵の時に言ってしまってる。
やっぱりあの時、既に僕の言葉は、緋色に聞こえていたらしい。
「うん、ありがとう。楽しみにしてるよ」
僕はそう言って、温かさと柔らかさを堪能する。
不死なる鳥である緋色の時間感覚で少しって、……どれくらいなのだろう。
十年か二十年、或いは百年を越えるのか。
随分と長い少しになりそうな気もするけれど、まぁ、待とう。
緋色だってハイエルフが生きる時間は知った上で、少しって言ったのだろうし、普通のエルフであるアイレナも、後何百年かは生きている。
待つ時間は十分にある筈だ。
今はもう少しこうして緋色と過ごしたら、後の事はサリックスに任せて、深い森を出る心算だった。
何時か大きくなった緋色の背に乗り、雲の上を目指すその時まで、外の世界を楽しむのだ。
時折、様子を見に帰ってくる事だってあるだろうけれども、うん、次はもっと堂々と胸を張って、この深い森を訪れようと思う。
だってここは、紛れもない僕の故郷なのだから。
21章終了ですが、実は今月は誕生月だったりするのでもう一章、公開予定です
いや、クリスマスとかあるから、の方がいいでしょうか
公開は数日ほどお待ちください